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「虎に翼」が終わって「おむすび」になりましたが皆さん観てますか?
先日、増田に「虎に翼」のとてもよい考察がありましたが、朝ドラはそんな真面目な考察に値するものではないですよ。
https://anond.hatelabo.jp/20240928134122
そもそも朝ドラは対象年齢は60~70歳前後だと思いますが、あまり映画やドラマに親しまない人が家事とかしながら気軽に見られる様な作りで、1回見逃したらついて行けないなんてことがない様1回の内容は薄いうえ重要シーンは何度も流しますし、土曜のダイジェストを観ればストーリー的には十分、余計な演出がカットされててむしろ出来がよいまであります。
「おむすび」では、ギャル文化のボリュームゾーンが50歳前後だと思うので、その世代向けの思い出とその肯定を入れたいんだろうなあ、少し若めの視聴者もターゲットにしたいんだろうなあ、というプロデューサーの狙いを想像します。最序盤ですが、あいかわらず薄い取材で適当なエピソード入れてる感じがしてさぶいぼが出ます。元ギャルに取材して「パラパラ踊れる人が偉かったんですよ~」なんて聞いたのが、「一発で難しいパラパラ踊れたら認めてやる」と少年マンガみたいなことになってしまったのではと想像します。実話だったらすみません(知り合いに元ガチギャルがいるので聞いてみようかな)。
朝ドラは、大きく分けて実在の人物をもとにした伝記系と、現代でとある職業に生きる系の2種類があります。ましなのは前者が多いです。「虎に翼」とか、カップヌードルとかゲゲゲとかウィスキーとか。後者は料理人とかパティシエとか気象予報士とか航空学校とか看護師とか海女とか、だいたい薄い取材でゲットした業界あるあるエピソードをつまらなくして盛り込んでてさぶいぼが出ます。せっかくスポットライトを当てたその職業の深みとかは表現しきれず、脚本家の書きたいドラマの設定に利用するのが精一杯です。
プロデューサーの主張なのか、するりと社会問題を入れてきます。特に「強い女」は普遍のテーマです。戦前でも戦後でも「今どき、女が〇〇する様な時代じゃない!」なんてセリフは毎回出てきます。余談ですが、大河ドラマでも平安から明治までどの時代でもこのセリフが出てきます。他、自閉症っぽい子供が田舎で元気になったり、性的マイノリティとか。
尺が豊富にあるせいか、内容が冗長です。回想シーンでは映像を流した上で「あの時の!」ですし、下手すると同じ回の15分で同じ映像が流れます。映画とか観て見て伏線がー回収がー演出がーという人が初めて朝ドラを観るとショック死すると思います。
演出はほぼ古来からのドラマにありがちな紋切り型(クリシェ)です。とてもわかりやすいです。落ち込むと暗い部屋でじっとしてるし、挫折すると雨に打たれながら外で倒れてます。主人公はだいたいモテモテだけど恋愛に鈍くて、恋愛脳の友達に助けられ、カントリーロードです。早い展開でイケメンで完璧な男と結婚/交際すると、戦時中なら死にますし現代なら相手側の理由で別れます。お笑い担当はコントみたいなBGMで登場し、肝っ玉母さんに怒られます。序盤で出てきた嫌なやつは、口が悪いだけのお友達キャラになるか、ラスト近くで「堪忍なあ」と泣きながら主人公に謝って禊を済ませます。
また、セリフ抜きの演出で表現する力量もないし、テロップ症候群の視聴者も読み取ってくれないので、心情もその都度ナレーションで解説が入ります。主人公が眉をひそめて少し首をかしげながら、「どうも腑に落ちない〇〇でした」って感じです。余談ですが、変わり種のナレーションでは、亡くなっていつも見守ってる家族(幽霊)目線、飼ってる犬目線てのもありました。欽ちゃんが犬役で面白かったです。
脚本家が群像劇を書きたそうな気配を感じることが多いですが、尺はあるのにうまくいってない事が多いです。だいたい各登場人物の設定を説明するのが精一杯です。
これだけ文句言いましたが、近年の朝ドラで私が好きだったのは、「カムカムエヴリバディ」でしょうか。それぞれの人生が少しずつ関わりながらすれ違っていって、ちゃんと群像劇でした。登場人物が気づいていないことを、視聴者が神の目線で「あの人だ!」「あの人の子供がこんなところで!」って気づくことが多くて、そのまま登場人物同士は他人のままだったり。伏線回収もことさら強調せずさらさら流れていきます。たぶん視聴者を主人公目線にセットしてると、久し振りに登場するキャラは、飲み屋に「よう」って入ってきて、「○○さん!?」「お前、よくここに顔を出せるな!」とかやるしかないよね。ラストで、子を置いて男とアメリカに行った母の言い訳回は要らなかったかなと思うけど(片付けが要るのはわかる)、朝ドラってのはこういうのでいいんだよ。こういうので。
美しきクリシェに背を向けて
私、最近趣味でラーメン作りを始めてみたんです。でもなんと、友達が食べてくれるか不安で、結局、全部自分で食べちゃったんですよ。まさに受け入れられない状況ってやつですね。
それと同じように、私はケーキ作りも始めました。でもね、これまた受け入れられないことが発覚。友達から「これ、何の味?」って聞かれて、正直に「分からない」と答えた瞬間、みんなが引いてしまって…。まあ、甘いものは得意じゃないんですよね。
夜の巷を徘徊することが好きで、そこで見かけた人間たちについて考えることがあります。「人間って、なんでこんなに面白いんだろう?」ってね。クリシェって言葉があるけれど、それって実はリアルで面白いんですよね。例えば、あるアーカイブを見ていたら、世帯年収が増えれば良いと思ったら、それが怖いですよね、わかります。
日本の街は本当に面白くて、週末になると四天王の中でも最弱な私が、どんな落とし穴にハマるかわかりません。でもさ、だったら起こることってあるじゃないですか。一括投資って言葉も聞いたことがあるでしょう?私、それをやってみたら、結果は…まあ、お金が減る一方でした。
とにかく、人生って面白いものですね。どんな出来事も笑いの素材になるし、受け入れられないことも、それが笑いに変わる瞬間がある。これからも、笑いを届けられるよう頑張りますので、応援よろしくお願いします!
まあ、クリシェを操る芸術ってのも一興よね。古くさい言葉の中から、まだ使われてないような表現を見つけるのは難儀だけど、その瞬間がたまらなく「新しい!」感じるわよね。
流行語やCMの台詞って、時折深い意味を持っていることもあるじゃない。それを引用すると、相手には「おお、哲学的じゃない!」って錯覚を与えちゃったりするわけ。まあ、あまり深読みしない方がいいかもしれないけどね。
それにしても、クリシェだけで話すというのは、まるで感情のフィルターがかかってるみたいで面白いわね。他人の言葉の中に自分を隠す芸当、なんとも巧妙よ。
「新しい言葉を生み出すことも大事だけど、クリシェの中に新しい自分を見つけるのもアリだわね。」って、まるで人生の辞書みたいじゃない?
もう既に使い古された有名な表現(クリシェ)を適切なタイミングで挟みながら会話したい。
だって、私が新しい言葉を考え出さなくても十分なくらい、面白い言葉や表現は多数開発されているのだ。
それらをいくつか吸収し、それらを適切に会話に放てば、たぶん「なんか面白い」ことは言えるはずなのだ。
素人である私が新しい言葉を考えて笑わそうとしても、それは車輪の再生産になるはずで、
一昔前の流行語やCM動画など、しょっちゅう見返して、「あっ、新しいな」と思ったら、会話で使ったりしてる。
また、一方でクリシェで話すのには、自分の考えを隠すという役割もある。
他人がよく使っている表現だけを使えば、私の偏用する用語や言い回しから、私の指向性を隠すことができる。
例えば、流行してることしか喋らない人に「流行好きだね〜」以上のことを感じたりする?
そういうこと。クリシェという大きな社会ノイズの中に、自分というものを隠していたいのだ。
自分を隠していれば、何を言われたって、本当の意味で傷つくことは無いのだから。
「自分が思ったことをそのまま書いただけ。」←お前は自分で思考してないことに気づいてないんだよ。自分で思考してないから他人の言葉のうち質の低いものしか理解できないし、それをそのまま吐き出しているだけなのに「自分が考えている」と思い込んでいる。「語彙力が足りず文章力がなく表現が雑で言語化能力が低い」んではなくて、単に知識もないし、自分が無知であることも知らない。「クリシェ」なんてワードを使いたがるのがファニーなことにも気づいてないんだろう?「言語化」する以前に思考がないんだよ。「バカと貧乏人は語るな」by浅田彰
そうかー。言い訳になるが、なにせ昨日から観始めたばかりだから、増田ほどはフリーレンのことは理解しきれてないのが本当のところだ。
「フリーレンにクリシェが挿入されると浅さが目立つ」と言われて、自分がたしかにそうだなと思いつくのは、サンデー伝統芸のしょうもない下ネタや、漫画お約束の使い古されたギャグ表現かな。あれは完全に浮いてるしギャグに至っては滑り倒してると思う。
ワイが言いたいのはそのクリシェがフリーレンという漫画に挿入された途端に浅さが目立つってことだよ。ヒンメルやハイターがその程度の紋切り型表現すると思ってるならそれは君の読める範囲でしか読んでないからじゃないかな。フリーレンに挿入して違和感ないようにアレンジするなら、ヒンメル「人は一人で生きていけないなんて言わないけど、30年に一回集まって流れ星見るくらいいいだろう?」フリーレン「そうだね」みたいなかんじじゃね。
「人は一人では生きていけないんだよ」とか御涙頂戴通俗漫画で決まり文句みたいに使われる言葉を吐く人物をフリーレンと対話させることを想像してみ?途端にその人物のハリボテ感と安っぽさが見えてくるだろう?
「人は一人では生きていけない」というのは確かにクリシェかもしれないけど、クリシェにされるだけのことはあるというか、一面の真実を突いている言葉だと思う。
あと、その言葉って勇者ヒンメルか僧侶ハイターがいかにも言いそうではないか。
フリーレンは最初は「何言ってんだこいつ」と思うものの、かつての仲間たちの死後、ヒンメルに会いに天国を目指す旅の道中でさまざまな経験を積むなかで、「あのときの言葉って、もしかしてこういう意味だったのか」と気付く……という展開を、自分は想像した。
https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_MF01201642010038_68
第38話:直談判
37話の「中ぐらいの権力を持った敵役によって絶体絶命の危機に陥った主人公」、どうなるかと思ったら
古式ゆかしきサラリーマンまんが(釣りバカ日誌)もっと古くは水戸黄門の
”その前に偶然知り合い意気投合していた相手Aが実はもっと高い地位の人物だったというのが明らかになり、Aの助力で解決に至る”の系譜・変奏曲でした。
さすがに令和だけあってそのままではなく
・中ぐらいの権力を持った敵役によって危機に陥り、問題を解決できるレベルの高い地位の人物Aが敵役サイドについたおかげで絶体絶命レベルに達したが
・高い地位の人物Aは偶然、一方的に主人公を認識しており、実は味方だったので解決に至る
というひねりが面白かった
古典版における伏せられた情報が「Aは(そう見えないが)実は権力者である」(主人公とAが意気投合している情報は開示済み)
と言うのに対し
本作で伏せられた情報は「権力者Aが、実は知己Bの知りあいであった」(Aが権力者であることとBと主人公が意気投合していたことは開示済み情報)
前者(古典型)も本作も伏せられていた情報が明かされることによるプチどんでん返しなのですが、古典的な方は現在では陳腐化しているので、パロディでもないかぎりやめた方がいいですね
そして本作の方の”偶然”が若干「唐突」で「アンフェア」な感じを与えるのは興味深いです
(古典型の場合、Aがただ者ではない描写の程度はいくらでも加減できる)
本作の場合の「Aが一方的に主人公を認識している」描写は、読み返せば存在していたのかもしれませんが…
そして一難去ってまた一難! 来月が楽しみ