はてなキーワード: たらい回しとは
入店しても「いらっしゃいませ」も言わないんだもんなあ。
商品見てる客の前を平気で通ったりするしさあ。ものを見てても、店員が何もせずにそこに立ちふさがって邪魔だったりすることが多いしさあ。
「通りたいんですけど」って言ったら舌打ちするしさあ(実話。まあそこはもうなくなったけど。ちなみに評判悪かったらしい)。
客の購買意欲を削いでるのは店員自身なのではないかと、元販売業従事者は思うわけだ。
商品の有無を聞いても、売り場をたらい回しにした挙げ句、調べもしないで「ありません」の一言(←これ、某百貨店で実際にあった話。やっぱりいい話を殆ど聞かない百貨店グループ)だし。
他の百貨店に行って聞いたらちゃんと調べてくれたんで、そこをひいきにしようと思ったが、そこで買うものがなかった……。ごめんね。いつかちゃんと買うんで許して?
製作する側とユーザー側では同じゲームに対する考え方が全然違うと思ったので
このエントリを書きます。参考程度に読んでもらえるとうれしいです。
これはユーザーにはわかりにくいです。
ほとんどのゲームは、発売した会社(パブリッシャーとかメーカーといわれる)と開発会社は別です。
もちろんパブリッシャー自身が社内で開発しているタイトルもあるのですが、
その後に表示される社名ロゴがそのゲームを実際に開発した会社の社名だったりします。
なので、同じ会社から発売されていても全く別の会社の違う人たちが作っています。
例えるとパブリッシャーが出版社で開発会社が漫画家という感じです。
下請けの製作会社は、クライアント(パブリッシャー)からの要望・指示を元に
なので、好きなゲームがあれば開発会社の方もチェックしてみてください。
インターネットの普及、少子化、世界不況など様々な理由でゲーム業界は縮小しています。
逆に言えばファミコン時代が売れすぎていたんだろうな、と感じます。
なぜ売れないか?それはユーザーが買わないからです。
「最近のゲームはつまらない」「何買っていいかわからない」「ファミコンの方が面白い」
そういう人も多いかと思います。でも、ゲーム自体がつまらなくなったとは思いません。
あからさまな「クソゲー」はファミコン時代の方が多かった、これは断言できます。
ですが、ハイクオリティなゲームが登場する一方では「クソゲー」や、発売された事が信じられないレベルのゲームが
その理由について考えました。
ゲームが売れない
↓
経営資金が無くなる
↓
お金をかけずに短期間で作成するしかない
↓
質が落ちる
↓
最初に戻る
まずどのハードでどういったジャンルのゲームが売れるかを考える際に、今売れているからといって
「知育ゲー!」「ミニゲーム!」「幼児向け!」などとブームに便乗しようとして、目先の売り上げに釣られ、安易な決定をし、
早く発売したいから短期間で開発させ、製作者(プログラマ、グラフィッカ)に負担をかけ過ぎた結果がクソゲーです。
ひどいゲームは実質開発期間1ヶ月というタイトルもあるでしょう。
バグだらけで何これ…と思うようなゲームは、開発期間が異常に短い、
企画段階でたらい回しにされて担当者が逃げた…など様々な原因が考えられます。
悲惨です…。
結局こういったゲームは、当初の予定より完成が遅れて余計に開発費がかるので、安物買いの銭失いです。
いくら安く作りたいからと言っても、ゲームを1本作るのには絶対に時間が必要です。
未だにそれを理解していない人たちが、企画を決定する立場にいるのです。
出せば売れたファミコン時代と今とでは、同じ感覚でゲームを作る事はできません。
昔の感覚でのほほんとやっていてはいけないのです…。
開発資金が無いので自由なゲームを作る余裕がありません。
あなたがクソゲーと思ったゲームは、作った人たち自身がクソゲーだと思っている可能性は高いです。
製作者自身が納得のいかないまま発売されてしまうゲームがほとんどだと思います。
これは半ば仕方の無い事ですが、悲しい現状です。
ひとえに優秀な企画者です。
アイディアや発想はもちろんですが、一番大切なのは意思を貫くことです。
こんなゲームが作りたい!とハッキリした構想がある人は、なかなかいません。
もしそんな人がいたら今すぐゲーム会社へプレゼンしに行くべきです!
どちらかといえば、かつては「二院制とか、意味ねえ」と思っていた。
しかし郵政選挙で衆議院の2/3を取った自民党が、その数だけで無茶苦茶な法案を提出し始めるわ、政権はたらい回しにするわ、まともに議会で話し合うこともせず強行採決を連発するわ、その上結局郵政反対派も粛々と自民出戻ってくるわ、と、ひどい有様だったところに、ちょうど参議院選挙が来て心から思った。
「ああ、チェック機能というのは、こういう非常の際に、はじめてそのありがたさが分かるものなのだ」、と。
私はかつての己の不明を恥じた。どちらかというとそんな非常時を招来させてしまったことを一人の大人として恥じる方が先かもしれないが、とりあえず胸をなで下ろした。
なんでこんなエントリを書くかというと、「参議院が害悪である理由:http://d.hatena.ne.jp/iteau/20081225/p1」を読んだから。ハッキリ言って一般論にぼかして書いているが、自民に優越していて欲しいというごくごくポリティカルな意識を背景に書いているとしか読めない。そういう語り方を、確かご本人は批判していたと記憶するのだが。
とりあえず、一般論としても批判しておくと、参議院と衆議院の大きな差は「解散」の有無にある。すなわち立法府と行政府の間に「ズレ」が生じていると感じるなら、速やかに解散して現時点での民意を問うことができるしそうするべきだ。それこそが衆議院の機能であって優越性の根拠でもある。
「ねじれ国会」をさんざん揶揄していたマスコミは基本的に馬鹿であって、国会がねじれて膠着状態になったときそれを解決する手段が「解散」なのであり、その手法を「党利党略から否定し続ける」内閣及びその所属政党こそが、国会の膠着状態に関する最大の責任者だ。衆議院とは「解散して民意を問うことができるから参議院に優越」しているのであって、「解散して民意を問わない衆議院」には存在価値がない。もちろん、国会議員たるもの始終解散に追いまくられては仕事ができない。だから解散の無い議員、という存在は必要で、それが参議院だ。すなわち「ずれを認識しながら解散しない衆議院は参議院に優越しない」。エントリ作者は「解散しない衆議院は害悪だ」と主張するべきであると思う。作者は
現状のように、両院で多数党が食い違っている時、日本のシステムでは、政府と議会が統一しているという議院内閣制のせっかくのメリットも生じず、かといって大統領制ではないので行政府は議会から独立しておらず、政権の無秩序化が生じる。
それをシステム上の欠陥と称しているが、こういう状況になれば速やかに解散するというのが本来の「システム」ではないか。従って論旨に従えば、欠陥とはこの状況でも政権に居座り続けることが許されるという方向について言うべきだと思うがどうなのか。
ついでに言うが、とりあえず自民は一度4年でも5年でも、政権を放棄するべきだ。ポリシーの異なる党の余勢にすがってみじめに政権に居座り続ける姿に、知り合いの元自民支持者は泣いているぞ。なんのかんの言って戦後50年日本を運営してきたそのポリシーには敬意を表するが、いずれにせよそれだけの長期にわたって政権に止まり続けることからくる弊害は、今やどうしようもないレベルに達している。
二世議員を廃せ、利権主義者をたたき出せ、そして保守中道の左派右派が現実主義的に対立するまともな政党として出直せ。
どうせ民主の寄り合い所帯は4年も持たないことだろう。多分、本当のところ今の国民が求めているのは、とてつもない新党とかではなく、まともになった「新(真)自民党」なのだと思うぞ。
まあそんなオレは共産党支持者なわけだが、「確かな野党」の向かい側には「確かな与党」があるべきだ。その意味で応援している(笑)。
私の家系は無宗教なのに、亡くなった時は真言宗にいつもお経なりを世話してもらってます。しかし、私としては、2日以上も葬式などに時間を奪われる価値はないと思っていますし、この日本文化の意味も全くもって分かりません。しかも、これが終わっても、法事地獄がまってんだぜ!全くこの仕組みが分からん。 父や母は、先祖代々からやってるから、親戚、周りの目があるので常識的にするしかないのよって 言ってます。
誰が考えたんだろう、こんなメンドクサイシステム。お寺さんか? 昔なら分かるぜ、田舎のほうとかさぁ、でも、この昨今ではこんなメンドクサイシステムする必要ありますか?もっとシンプルに1時間くらいで済ませてくれよと思うのは私だけですか?それとも異常ですか?
しかも、母はお布施をいくら包めば分からないこともあり、葬儀屋さんに相場の額を聞いていました。葬儀屋さんいわくお寺さん一人に対して、25から30万円くらいのお布施、初七日が3万くらい、交通費、諸経費が2万円くらいと言っていましたが、基本的にはお寺さんに直接聞いてくれと言ってました。なぜなら、昔からの長い付き合いの方はもっと額が跳ね上がるのだと言う。もう、意味不明です。そもそも、なんで直接聞くの?額なんて気持ちの問題だろ?しかも、こっちが高い金額で雇っているのに、坊さんが偉そうにするのはなぜ? 立場逆だろよ!! しかも、最初にお経を言う「枕なんとか」の帰り際に、「今日忘年会だからねぇ」などとほざきやがる!! 税金払えボケ!!交通費くらいだせよボケ!! 葬儀屋と癒着してるんだろうがよ!! 葬式の日は坊さん2人来るからお布施もその分だせって どうゆうことだよカス!!
あ"ーーーーーーーーー イラヅク!!
で、今日から、お通やと葬式に貴重な時間を奪われると同時に、高額なお布施をむしりとられ、葬儀屋にもお金をもっていかれ、遺体の祖母もたらい回しにされる。おかしくないか?この制度? そんなメンドクサイことせずに、火葬で焼いて土の肥料にすれば良いのではないのか? それから、墓場の存在よ。墓場なんかいらないし、墓参りもいらない、そうすれば、高額な墓石も買わなくていいだろ!!
なんで、シンプルに短時間で埋葬して低額で済むやり方を選択できない世の中になってしまったのだろうか?誰の洗脳だ?何回も言いますが、私には全くもって意味が分かりません。しかも、こんなひねくれた考えをして、葬式などに出ないと、周囲から揶揄されること間違いないだろ。あー意味不明だよこの習慣というか風土というか。
私が死んだときは一切そんなことはして欲しくない。直ぐに焼いてくれ!そして直ぐに土にまいてくれるように頼むよ。で、こんな私みたいな考え方する人って結構いるんじゃないだろうか?しかも最近では。ちょっと前までだと嫌々親戚付き合いや、葬式をしていたけど、そろそろみんなで取っ払おうぜ!この文化を!! みんなが徐々に短縮していき、追々はこんな制度辞めていけば、定着するからさ!
とりあえず、父と母が死んだときは、ちゃんと常識的にやってくれと言われているので素直にやりますが、心の中では "はてなマーク" が100個くら充満していて、意味ないのになぁと思いつつ、今回も祖母の葬式に行ってまいります。
最後に質問させて下さい。
皆様はこのシステムどう思われますか?
http://anond.hatelabo.jp/20081105135432
彼女ができた。なんとHaskellerだ。
8月に参加したLLイベントで知り合い、10月から付き合い始めた。なんでLLイベントにHaskellerが…
これまで5人くらいのプログラマと付き合ったことがあるけれど、一般的なプログラマと比較して
といった点が目立つ。
見た目はLisperを少し丸くしたようなかわいらしさがあるのだけれど、要するに中身はPrologだ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういうプログラマとつきあうのは楽で楽しいと分かってきた。
コードは深い問題もFizzBuzzのような軽い問題も内容を伴って書ける。
いろいろメタプログラミング・アロー記法・ユニコード演算子などを試そうとするなど好奇心が強い。
純粋関数型言語も習得しているというのに論理系の言語も習得しようと勉強していて向上心の強さがある。
IOモナドをコントロールできない自分に「おかしいな、普段はこんなはずじゃないのに///」と恥ずかしがる。
Haskeller、はっきり言ってオススメです。
問題はどうやって知り合うかだけれど、職場(あるのか?)という戦闘モードの時に誘うのではなく、.emacsなどを書いているオフタイムが狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的な女の子よりも付き合いは簡単かも。
この間の墨東病院の件で、病院側の批判あるいは産科医療崩壊を論ずるブログに関して。
はてなブックマーク - ぷにっと囲碁!なブログ | 東京の医療は既に崩壊してるのに…。(現在は、消されているので、魚拓→
http://punigo.jugem.jp/?eid=486 - 2008年10月24日 11:05 - ウェブ魚拓)で、各ブログの反応がたくさん引用されていた。はっきりいって気の滅入るものだった。いろいろな点で。
ひとつには、ブックマークの数からもわかるように、たくさんの人が押し寄せたように、ここで挙げられていたブログのほとんどがエントリーを削除あるいはブログごと閉鎖している。これは、bewaad氏が以前に指摘した「無防備な個人によるマスコミュニケーション - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com」という問題といえるのではないだろうか。
また、もうひとつには、ここで挙げられているブログを「バカだなあ」と批判している人たちについても、今回の場合には当てはまらないとしても、一般にブログでの議論のようなものにおいては、自分は正しい知識を有しているぜとばかりに、他の人の議論における些細な点の誤りをあげつらい、その誤りが議論の本筋にどれくらい致命的かは測定することなく、論旨全体にダメ出ししてそれ以上の議論の展開を阻むような、ディベートの方法の悪い形での現れという危険性が少しだけ感じられる。
こう書いたときに念頭にあるのは、たとえば、こないだの内田樹さんの「学校選択制 (内田樹の研究室)」というエントリでのキーボードの配列についての事実誤認について、「良いこと言ってるのに「QWERT配列」の話でだいなし。」と言うコメントがあったけれども、ほんとうに「だいなし」になったのか? それから、「マックス・ウェーバーの犯罪」の件も似たようなものかと思う。右にも左にも末人の跳梁。
話を一段落前に戻すと、もちろん、
「いまのこの時期に「たらい回しは殺人罪相当」ということを軽く書けるのは、情報摂取能力が高くないことは明らかであって、このような人をブログで説得することが難しいこと(説得して考えを改めるくらいに賢い可能性の低さ)は想像に難くないので、これを批判する場合には、とにかく罵倒・皮肉・当てこすりによって、お前バカなんだから反省しろ、とSPAMのようにコメントをたたきつけるのを戦略として選んでいるのかもしれない」
という可能性は低くありませんが。
もうすこしディーセントにいきたいのだけど、難しいですね。
ん? 俺はずっと意見変えてないと思うけど?
だから「仮の話」なんだよね? 理屈的に反論はこれで終わってると思うけど。
君の想像上でどれだけ民主的に是認されたやり方だとしても関係ないわけで……。
(民主的に正しさが保証されるような問題ではない、という意味で、たとえ君の仮定が実現しても関係ないのだが、それ以前に、現実の話をそもそもしてない)
人手は足りないけど、診断に使う時間が足りないという状況ではないと思われますが。
「極限」が通常の意味でならそうなるはず。「極限」に新たな意味づけをしたいんだろうけど、
合理的な論拠がないから、第三者には恣意的な区切りにしか見えないわけ。
時間についてはwikipediaにすら書いてあるくらいトリアージの基本中の基本だが。
君が増田で繰り広げる言論活動は内輪じゃなくて、顕名はてなは内輪なのか?
名を出して、自分が名指しで批判されるようなところでガチに議論することはリンチだけど、名前も出さずいつでもケツをまくったり全部リセットして最初からゴネ直すことが可能なところでそうでない相手をネチネチやることはリンチに当たらないわけか。
話にならんのはどっちだっつのw
少なくともこっちのレスは多分文体でわかる・・・はず。多数派工作をした覚えはないなあ。
いや、口調なんていくらでもいじれるからなあ。
その男の子が我が家にやって来たのは、今から10年以上も前のこと。
親戚中でたらい回しにされ、行き場の無くなってしまった子。話しかけても返事もせず、正直「可愛げのない子」だと思った。
だけれど、我が家で預かるのは一週間の約束。それをやり過ごせばどうにかなると思った。
しかし、約束の一週間を過ぎても男の子を預かるはめになってしまった。
私の夫が勝手に「今日からうちで面倒見る」と一人で決めてしまったのだ。妻である私に何の相談もなく。
その当時、私と夫はいわゆる新婚。これから自分たちの子供を持とうと考えていた時だった。
当然、私は怒った。なぜ勝手に決めてしまうのか。自分たちの生活はどうなるのか。
親戚の子とは言え、その子には祖父母もいる。なぜ我が家で預かる必要があるのか。
私が何を言おうと夫は意見を変えない。
半ば強引に始まった三人暮らしだった。
学校で問題を起こし、家でも何かと反抗的で笑顔を見せてくれない男の子との先の見えない毎日。
何度も夫と喧嘩し、何回も何十回も「もうだめだ」と思った。
離婚だって何度も考えた。けれども、やっぱり私は夫が好きで離婚なんてできるはずがなかった。
三人暮らしが始まってどのくらい経った頃だろう。
男の子と夫が一緒に釣りに行くようになった。徐々に私とも話をしてくれるようになった。
それからは、一緒にゲームをしたり、冗談を言い合ったり、買い物したり、旅行したり。
たまに喧嘩をして気まずくなったこともあったけれど、おおむね良好だったように思う。
小さかった男の子は、あっと言う間に私と夫の身長を追い抜いた。
大学進学時に一人暮らしを始め、我が家には年に数回帰って来る。
ご飯を食べに来たり、夫と一緒に釣りに行ったり。私は、あの頃と同じようにお弁当を作って二人を見送る。
一緒に行かないのは、男同士の間に割り込んではいけないような気がするから。
ついこの間までランドセルを背負っていたような気がするのに、今では毎日スーツを着て働いている。
うれしいけれど、寂しい。けれども、誇らしくもある。そんな複雑な気分。
先月のことだった。いつもなら連絡してからうちに来るその子が、突然帰って来た。
今までにないことだったので、一瞬でいろんなことが頭を駆け巡った。
「どうしたの?」やっと出た一言だった。
男の子は、「こっちに来て」と外を指さす。
わけもわからず、慌てて追うとそこには子犬を抱えた夫が立っていた。
「ボーナスと貯金とおじさん(私の夫)にも助けてもらって買ったんだ」と、男の子が笑う。
そして「遅れちゃったけど、母の日のプレゼント」と、照れくさそうにまた笑った。
私がずっと柴犬を飼いたいと言っていたことをおぼえていてくれてのプレゼント。
私達夫婦は実子には恵まれなかったので、母の日は感謝する日であり、感謝される日が来るとは思いもしなかった。
何度か学校で母の日の手紙や絵を書(描)かされたことがあったようだが、私に渡してくれたことはなかったし。
何が何だか分からなくなってご近所の目も気にせず、家の前で号泣。
慌てた二人に家の中に連れていかれた。
今までは、こちらがメールをしても2回に1回程度しか返って来なかったのに、今では毎回返信メールが届く。
あこがれの柴犬との暮らしも最高だけれど、何より男の子とメールのやりとりが増えたのがうれしい。
この柴犬の目、どこか男の子に似ている気もする。そこがまたうれしい。
夫は「似てないよ」と笑うけれど。
妊婦のたらい回し事件とかモンスターペアレント、
それに自分がいじめられてたから、
いじめられて、相手を殺そうと思ったこともあるし、
自殺しようと思ったこともある。
幸運なことに、そういうことはなく生きてこれたけど。
自分の子供が脱がされてケータイで写メとられてネットにバラまかれたら、
子供も何するかわからないし、それ以上に俺自身も何するかわからない。
自分の娘がそんな被害にあったら、ね・・・。
そういう不安を回避する意味では、
自分の生命維持を優先する為に最初から子供を産まない、となるのも当たり前かも。
ってのはわかる。
まあそんな心配するよか、嫁さん探さないとorz
まあちょっと信じられない話かもしれないけれど、大学の同期の友達から聞いた話をしたい。本人に許可は取ってきた。
仮にその友達の名前をノリオとしておく。
ノリオはいわゆる育児放棄をされていた子供で、両親は健在なのだが小学校を出るまで親戚の間をたらい回しにされていた。そのあたりの事情はあまり聞いていない。
小学校を卒業してからは宮崎のお婆さんの家に預けられ、高校を出るまでそこにいた。
お婆さんは一人暮らしでつつましい生活をしていたけれど、その分ノリオをかわいがってくれたので、その間は彼にとってもそれまでにない幸せな期間だったらしい。
大型の台風がその地方を直撃して、様々な被害が出たという。
その中のひとつが、ノリオのお婆さんの家だった。
大雨で地盤が緩んで起きた土砂崩れのせいで、ノリオとお婆さんは家ごと土砂に埋まってしまったのだ。
ノリオが気がついたときには真っ暗な中何もわからず、息だけはできたものの、まったく身動きが取れなかったらしい。
寝ている間にそういうことになったので状況すらわからず、すぐにパニック寸前になったとき、お婆さんの声が聞こえてきたんだそうだ。
「ノリオー、大丈夫かー?」
「ノリオー、どこか痛くにゃあか?」
ああ、婆ちゃん無事なんだ、と思ってノリオも安心した。
「婆ちゃんこそ大丈夫?」
「どこも痛くないよ。婆ちゃんこそ怪我してない?」
とか何とか、しばらく真っ暗な中で会話して、お互い励ましあって心細いところを紛らわせているうちに、約十時間後やっと救助されたようだ。
瓦礫の下から助け出されてすぐ、ノリオは気を失ってそれから丸一日眠り続けたらしい。
病院で目が覚めてから少しして、落ち着いてきたノリオに告げられたのは、事故の概要と、お婆さんの死だった。
気が遠くなるような絶望だったそうだ。
「お婆さんは即死に近い状態だったようで、君に続いて発見された時には、もう」
即死のはずがない。
生き埋めになってから随分、婆ちゃんとは話してたんだ。
そう主張してみたが、医師にはやんわり否定された。何かの間違いだ、と。
じゃあ一体誰と会話していたというのか。
後になってからどうしても気になったノリオは、自分を救助してくれた消防団の人に話を聞きに行ったそうだ。
最初は渋っていたその人から何とか聞き出した話によると、お婆さんは天井の梁の下敷きになっており、さらに泥に埋まっていてとても声が出せる状態ではなかったという。
ノリオは疲労している以外は幸運にも怪我はほとんどなく、すぐに退院できた。
近くの親戚の助けでお婆さんの葬儀を済ませて、半年間これまた親戚に援助してもらって高校を卒業したノリオは、推薦で大学へと進学した。
この話を聞いたのは俺の下宿でサシで呑んだ時に何かのはずみから話題が怪談になって、それでノリオが話してくれたのだ。
聞いてみて正直なところ、夢かあるいは極限状態での幻覚なんじゃないかなという気もする。
でも、ノリオ自身はあの時眠ってもいなかったし幻覚でもないと言う。確かにあれは婆ちゃんだった、と。
本人がそう思っているのならそれが真実なのかもしれない。
そうならば、お婆さんは本当にノリオをかわいがっていたのだな、と思う。
ひょっとしたら事故のとき怪我がなかったのだって、お婆さんが守ってくれたんじゃないかな、という気さえしてくる。
余談だが、卒業後ノリオは中学校の教師になった。教師になれば奨学金を返還しなくていいからだ。
勉強会で知り合った同じ県の教師と付き合いだして、今日がその人との結婚式だった。さっき帰ってきたところ。
今まで苦労した分、幸せになってほしいと思っている。
してもしなくても一緒です。
だけど、たらい回しされて黙ってられる訳がないでしょう。
そうですか、そうですよね、仕方ないですよね とは言えませんよ。
大人しく黙って待っていたら友人は助かりましたかね。
それこそ神にもで祈っていればなんとかなったんですかね。
そうじゃないはずなんです。
何も出来ない状態で自分に出来る事は、当たりをつけた連絡先にお願いをして、聞き入られなければ、怒鳴りつける。それしか出来なかったんですね。それ以上の事は何もできなかった。無力です。
先日、友人が死んだよ。交通事故。友人2人も同乗する車での事故。酷いケガで意識も朦朧としていた。自分はちょっとした打撲程度で大した事は無かった。救急車を呼んで同乗するも、受け入れ先の病院が無い。なんだかんだで受け入れてくれない。別に深夜でもない。昼間の4時ですよ。たらい回し。そうこうしているうちに酷いケガの友人はみるみる元気が無くなっていく。「かかりつけのお医者さんは無いですか?」なんて聞かれたけど、全員、いたって健康でそんな医者なんぞ知らない。結局、病院に担ぎ込まれたのは、救急車に乗ってから1時間後。車内では救急隊員が必死で心臓マッサージ。大した事無い俺達は、泣き叫ぶ事しかできない。みんなで救急車の中から携帯で119して受け入れてくれる病院なんとかしてくれ、それはできないとかなんとかで怒鳴る事しかできない。104で病院探して電話しても救急車に従ってくれの一点張り。その救急車が困ってるのにどうにもならない。俺達はわーわー怒鳴るだけで何もできない。そういう時に何をしたら最善なのかもわからない。そうやってるうちにも友人は弱っていく。返事が無くなる。
受け入れてくれた病院でも大騒ぎ、結局、俺達の前で臨終になった。医者や救急車の運転手にも掴みかかった。彼らはベストを尽くしてくれたのだろうか。俺達は感情むき出し、血まみれ涙まみれで抗議にならない抗議をした。彼らはたんたんとしていた。まあ、こういうもんですよ。みたいな、そういう態度だった。
俺達が政治家だったら、もっと違った対応をしてくれたのだろうか、明らかに金持ちっぽかったら対応が違ったのだろうか、無礼な話かもしれないけど、自分が天皇だったら、総理大臣だったら、県知事だったら、友人はしかるべき処置を受けられたんじゃないか。俺達は余りにも無力だった。大切な友人を失った。俺達にもっとチカラがあればよかったんじゃないか。
この漫画の場合もコトに対して2段階を追って考える必要があります。
まず目の前で患者が運ばれ、自分の医療が求められているならそれに応えるべき。契約や勤務体系なんてどうでもいい。自分が提供すべき付加価値があるならば惜しんだりしてはいけない。それが人の命に関わるならなおさら。この時点では主人公が正しい。
障害のある職場への暫定対応と恒久対応
暫定対応と恒久対応が大事というのはわかるが、目の前に急患ががいれば医者はどんなに疲れていて正常な判断が下せないくらい眠くてもとにかく医療に当たれということだろうか。一番近い搬送先はお前の病院なのだから、ベッドが空いてるなら人的資源が足りなくてもたらい回しになどするな、受け入れろ、ということだろうか。それはいかがなものか(後者はさすがに悪意に満ちすぎた例だけども)。それで医療過誤が発生した場合、真っ先に問われるのは病院側の監督責任やら行政責任やらではなく、医師個人の過失なわけで。
今の医療現場は暫定対応がどうとか悠長なことを言っていられるほど余裕はないと思う。
あ、漫画の中だけを取り出してどうこう言ってるならごめんなさい。でも、漫画を引き合いに出して、現実の問題に照らし合わせて一般化しようとしているなら、それはどうなのと言いたかった。もし、「職業人たるものは(医師も例外なく)その勤務・給与体系如何に関わらず、そのときにできることがあるならかならずやらなくてはならない」というのであれば、疑問を呈さずにはいられなかった。だって普通は、それがどんな仕事であれ、24時間必ず対応しなくてはならないとか48時間ぶっつづけで勤務しなくてはならないとか、こんなことはないでしょ。理想論で、目の前に患者がいれば絶対に助けろというのは無責任じゃないかなーと思う。
マスコミの傾向として、「医療現場をまず叩く」っていうのがあって。
それで、マスコミの言うことを鵜呑みにする人々の間に医療不信が育って。
医療不信が先にたつから大きな問題より些細な問題(と言っては悪いけど個人単位のベタな問題)に目が向いて。
結局、根本的な医師不足・科によっては経営が破綻している保険制度の問題・地域医療の問題等々根幹的な問題への取り組みが遅れ、またはほかされ、理想的な医療からはどんどん遠ざかっていく。
マスコミはなにがやりたいのだろう。
患者本人が症状を伝えられないため他の診療科よりも人件費が絶対的に必要な小児科がどんどん減っている現状は、医療が一部の面であれ医師と看護士(と経営者)の奉仕で成り立っていたことを表している。
ところが保険制度があれこれと変わって、小児科を維持できる体力が全体的になくなってしまった。で、小児科自体が減る。ゆえに小児科医も減る。医者は経験がモノを言う職業だから、経験できる場が減れば当然減る。経営が成り立たないからやらない医師もいるだろう。
小児というと幼児を想像するかもしれないが、この世に生まれ出でた瞬間から小児科の範疇だ(??中学生まで)。小児科、すなわち新生児の医療現場の環境は一秒ごとに悪くなっているのだ。
マスコミが本当に問題視しなければならないのは、なぜ小児科が減り、産科も減っているのか。国策としてそのことについての解決がはかられているのか。医療の現場はなぜあんなに過剰労働で綱渡りなのか。
奈良の件で緊急受け入れができなかった病院がその日どんな体制であったのか、そしてなぜそんなに人の少ない体制になっていたか。
http://d.hatena.ne.jp/jyl2142/20070725#p1
技術的なことで。
サポセンに聞きながらなんとかしようとしてきたけれど、今回は私もキレた。
とあるウェブサービスの確認の話だったのだが、サポセンの人間(女性)が何とかたらい回しをしようとする。
つか、あんたの会社の提供しているサービスだというのは明らかだし、電気通信事業会社(カエラちゃんが木梨さんとCFしているアソコだ)自身、そういうサービスを提供しながらちゃんと知らせるべき仕様は公開しないので評判が悪いらしい。
後で知ったが、かなりナメている。
単なる確認なのに。
一言『ちょっと確認します』とか、普通言うもんだろう。
で、いいかげんにしろと怒る気力もなくなったところで、電話を切った後しばらくしてちゃっかりアナウンスなしにサービス復活。
ひどい話もあったもんである。
まあいいけどさ。CFで使われているカエラちゃんと木梨さんがかわいそうだ。
要するに、ちょっと確認してもらえますという客に喧嘩売って、あまりのことにあきれさせるのがあの会社のサポートサービスなんだろう。セキュリティ上ここでは詳しくいえないけど、グローバル**アドレスでアクセスできているのに****ネームでアクセスするとさっぱりなので、ダイナミック***サービスが不調ではないかと聞いただけである。
ところが、そのサポセン女、うちが某***バンクの**ーBB接続であることを原因にしようとする。
筋が通るわけがない。*****ー*サーバが規制でもしていない限り関係のないことだろう。その規制をしているかとも聞いているのだ。
しまいにゃ最後に喧嘩売ってきやがった。サポセンというのは大変な仕事だとは承知していますが、ちょっと確認すればすむことを確認せず喧嘩売った****のスガワラさん、お元気でしょうか。一応IP網というものをちゃんと講習を受けて、あと客に喧嘩売らないことを覚えた方がいいと思いますよ。ただでさえトラブルで憤怒の客にケンカ腰では持ちませんよ。
徐々にそういう会社とはエンガチョしていこうと思っています。だってああいうサービスを提供するのに無料の会社もあるのに有料で、しかもそれなのに技術的なことは本来必要なのに公開していないんだもの。
こっちも何から状況を説明したらいいか分からなくて絶句してしまった。