ネグレクト、という横文字が端的に理由を表している。
育児放棄では、鍵っ子も含まれそうだ。虐待にしては、殴ったりはしていない。
異質であり、異様な犯罪であるなら、「虐待の末の子殺し」として、面白可笑しくワイドショーで取り上げれば良い。
でも、あまりにも生々しい。
誰にでも起こりうる、隣人もそんなことをしかねないと、皆が心の底で思っている。
だからこそ『ネグレクト』といういかにもな横文字で、なんとなく煙に巻かれつつ遠目に眺める。
全てが覆い隠されて、つながりが希薄で、みなが善人であるという建前で動く「日本の社会」だから。
起こりかねないけど、珍しい出来事、そんな意味がネグレクトという横文字に込められている。
珍しくなく、知っていたから。
子供を育てたいがどうして良いか判らない、そんな母親を支える人たちが居た。近所のおばちゃんとか。
父親が酷い男で、逃げるように別れてホステスとして子供を育てる、そんな女性がたくさんいた。お互いに支え合った。
家に金を入れずに飲むだけ飲んで、殴る暴れるなんて親父もさほど珍しくなかった。
町が変われば、一からやり直せる。町に溶け込めば支援が得られる。
駄目なヤツは昔から駄目だ。
それでも、珍しくなく良くあることなら、地域に相談する土壌があった。
若くして孕ませて、相手の親父に殴られてずっとソリが合わなければ、離婚したときには実家に呼び戻されていた。
親が居なくても、親戚一同に子供がたらい回しにされて冷遇されるなんてのが無くはない話だった。
子供は、その家系の先端にいるものだから、一族で面倒を見るのが(面倒であっても)当たり前だったからだ。
そういった、伝統も因習も悪習として切り捨てられた。
プライバシーの名の下に、他人の事情に首を突っ込まなくなった。
婚前交渉も、孕ませてからの結婚も、親が殴らなくなった。
お互いの生活に過度に干渉することで成り立っていた町社会のシステムのママ、本音の部分が建前で切り捨てられていった。
ニュースになり話題になるのは、起こりかねないと皆が思うからだ。
異質なニュースなら忘れれば良い。
異常者は避けがたい不運のようなモノだ。
子供の冥福を祈り、親の名前をシリアルキラーカードに加えれば良いだけだ。
しかし、そうはならない。
誰にでも起こりうる。
今、貴方の隣に住んでいる夫婦ですら起こりうる。
居酒屋に子供を連れてきている夫婦は、離婚したら親に頼れるのか?
カレシを変える感覚で、旦那と別れて良いのか?
そうさせない、ムラシャカイの圧力が無くなった状況で、なんら支援も指示もない。
そうなったときに、適切な回答が誰にもない。
同じ状況になった母親は、また同じ事をする。
彼女が特殊なわけじゃない。
彼女が異常なわけじゃない。
彼女が不運なわけじゃない。
自分にも起こるかも知れない。
誰も回答を知らない。
そんな不安には、まともに向き合えない。
ちきりんさんに同意している 無責任なオッサン、脛に傷あるオバサンも、 どこか自分とは別の世界の出来事にしたい、考えたいと思っているところが不誠実だと思います。 伝統も因習...