はてなキーワード: 試聴とは
エアコンの効きすぎた部屋の窓を開け、ぬるく湿った外気と部屋の冷気が混じるの感じながら、大きな入道雲を見上げる夏の日の午後。
けだるい夏の午後の感傷を味わわせてくれるアルバムや、じわじわと汗ばむような熱を持ったアルバムたちです。
Nelson Cascais - The Golden Fish
https://nelsoncascais.bandcamp.com/album/the-golden-fish
youtube に上がってなかったけど、上のURLでアルバムまるまる試聴できます。1st track をプレイすると、勝手に全部再生される模様。
2011 の作品なので、もう4年が経つけれど毎年聴いています。
タイトル曲はピアノが散文的で美しくも物憂げな雰囲気を含んだテーマを弾き、そこにギターとサックスが重なります。それぞれのソロは吹き上がることなく滑らかに展開しますが、良く考えられていて曲の世界を引き立てます。タイトル通り金魚が泳ぐ水槽をぼんやりと眺めて過ごす夏の午後が想起されます。アルバム全体もほぼ同様のイメージできっちり固めています。
(追記:言及するかしないか迷って、結局しなかったのですが、1曲目は確かにテイストが異なります。このレビューを読んで1曲目を聴くと、「?」なので、言及しておくのが適切でした。アタマでリスナーの耳をつかむためのトラックだと思いますが、この曲はこの曲でギターのユニークなアイディアなど、アルバムの聴きどころの一つだと思います。)
ネルソンカスカイスは toap というポルトガルのレーベルから何枚か出ているベーシストですが、彼について私が知っていることはほとんどなく、紹介しようにも何も語れないので困ってしまいます。ですが、このアルバムを聴けば彼が素晴らしいコンポーザーであることは誰にでもわかるでしょうし、それで十分かなと。今回一番紹介したかったアルバム。
Marc Johnson - The sound of summer running
https://www.youtube.com/watch?v=OgC6aOfKGeA
出た時には非常に話題になった作品であり、賞なんかも取ってたので聴いた人も多のではないかと。マークジョンソンの名をジャズオタ以外にもメジャーにしたアルバム。
ピアノがいないので全体にゴージャス感が排除されており、朴訥としたギターのメロや絡み合いが郷愁を誘います。子供が見た夏の田舎の風景ですね。夏休みのある日の午後、意味もなく森や川のあたりを歩き回った記憶がよみがえります。
アルバム全体のコンセプトが明確で、曲もそれに沿った素晴らしい曲ばかりですが、なんといってもギター二人の人選があまりに完璧で、マークジョンソンのコンポーザー/オーガナイザーとしての力量を示しています。
マークジョンソンはプレイヤーとしても素晴らしいので生で見る機会があればぜひ。このアルバムでは控えめなプレイに徹していますが、ライブではアップテンポな曲のソロになると、まるでピアノの低音域のような明確なタッチで速いパッセージを正確に弾き倒していきます。私が見たダブルベースのプレイヤーの中では最も上手いと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=coHUt4si8Oo
名盤ぞろいの WAR ですが、もちろんこれも外せません。タイトル曲以外にも、Get Down, Slippin' Into Darkness といった有名曲を擁しています。
このアルバムは構成が素晴らしいです。まったりとレイジーなタイトル曲で幕を開けると、その後は単純に吹け上がることなく、じっくりと汗ばむような熱を帯びていきます。そして最後の Baby Brother でクラシックロック風のソウルをガッツリとキメてみせます。
上記 url はタイトル曲のみです。権利関係の問題で削除されてしまうようで、アルバム全体やプレイリストを見つけられませんでした。ぜひアルバムで聴いほしいんですけどね。。
現在 WAR は WAR と Low Rider Band に別れていますが、現 WAR にはロニージョーダンしかオリジナルメンバーがおらず、ファンの間でもいろいろ疑問視されてます。
そんなわけで Low Rider Band の Slippin' Into Darkness を。衰えを感じさせない素晴らしい演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=7clTT8-JrDo
Lonnie Liston Smith & The Cosmic Echoes - Expansions
https://www.youtube.com/watch?v=9dmX2uhQrZs&list=PLCb0jgW_NZ4XTRdKAqQ5ekJobVOSOUP8y
個人的にレアグルーブは夏と結びついており、そのあたりからも一枚紹介したいなと思ったので Lonnie Liston Smith を入れます。アルバム全体は見つけられなかったのですが、上記 url はリストでアルバム全体をフォローしていました。
Summer Days といった曲があるあたり、明確に夏のイメージで作成されたアルバムだと思いますが、ロニーの持つ独特な歪み感というか、ささくれだった熱のおかげで陳腐な夏のイメージからは上手く距離を置いているように見えます。
ベースラインがたまらないタイトル曲や Desert Nights, shadows といった耳を引くチューンと、保守的な Peace のような曲が程よく入り混じっていて飽きません。
2000年、俺は東京にいた。
新たな生活。
そんな期待を抱いて俺は東京にやってきた。
淡い幻想は一瞬にして打ち砕かれ、
期待とは真逆の最低な日常を、一日、一日と俺はなんとか懸命に生き抜いていた。
5限の講義を受け終わった後、
ただあてもなく街の中を歩きまわり、
気づくと俺はタワーレコードの中にいた。
ひとつのポップが視界に入った。
ポップの内容は確かそんなものだったと思う。
地元が一緒でなんとなく惹かれたのか、
再生。
煩わしいサウンド。
下手くそな歌。
しかし、何かの気の迷いなのか、俺はそのCDを買ってみることにした。
あるいはバイト代が入ったばかりで、気が大きくなっていたからかもしれない。
正確な動機を思い出すことはできないが、
おれはそのCDをレジに持って行き、幾ばくかの金を支払いそのCDを手に入れた。
本当に暇さえあればずっと聴いていたと思う。
偶然にも気の合う友人ができ、
そして、あんなにも嫌っていた日常が楽しいものになっていった。
そして、日常生活が充実していくにつれ、
あの日々から15年。
仕事もそれなりに順調だ。
ナンバーガールのSAPPUKEI。
懐かしくなって久々にそのCDを聞いてみることにした。
轟音のギター。
やかましいドラム。
音痴な歌。
瞬時にあの日常が蘇ってきた。
気だるさ。惨めさ。
その瞬間、当時の感覚が生々しく蘇ってきた。
はっきり言って全く良い思い出ではない。
大きすぎる自我をかかえてのた打ち回り、なんとか毎日を必死に生き抜いていた。
常に周りと比較し劣等感に苛まれ、優越感を抱ける相手を必死に探し、
何とか自分を維持していた。
正直、思い出したくもない日々だ。
https://twitter.com/itukayomu/status/580778140751912960?lang=ja
そもそも流行はこうやって大作感を演出することで作り出している
サッカーは「絶対に負けられない戦い」と毎回銘打っている
「行列が行列を呼ぶ」という現象の構造が、「何か凄そう」という曖昧な印象を魅力にしている
まとめサイトが「悲報」「衝撃」などという言葉でタイトルを付けるのも同じ精神構造だ
ではなぜ「大作感を出して雰囲気で引っ張ろうとした艦これ」がこれだけ大げさに叩かれるのか
それは、アニメは地上波で無料放送して後に収益を回収する構造を持つからだ
無料試聴の段階では視聴者は身銭を切っていないため、自分と切り離して作品を語ることができる
これが有料視聴ではそうはならない。視聴者は自分の精神を安定させようと、損をしたことを忘れようとするからだ。
もちろん違法アップロードでインターネットにアップされた違法動画を違法試聴することは違法です。
私が某英語圏にいたとき、アニメは日常にあるものではなかった。合法的にネットで見る方法もなかった。ニコニコアニメチャンネルは海外(日本以外)からのアクセスを禁止していた(おそらく今も)。
DVDのレンタルショップは日本ほど発達していないし小規模で、置いている日本のアニメは宮崎駿の映画とかだった。テレビでやっているアニメはスポンジボブとか子供向けのものだけだった。
年に1回、日本のアニメと漫画を販売するイベントが行われて、入場料を払ってアニメのDVDを買うことだけが、私の国で合法的にアニメを見る手段だった。そこでは海賊版のグッズも沢山売られていて、皆はそれを喜んで買っていた。
ある日インターネットで観たいアニメのタイトルを検索すると、違法アップロードされた動画があった。私は、下の英語字幕が邪魔だなあと思いつつも、それを観た。すごくおもしろかった。数年ぶりに観た、日本のアニメだった。
きっと海外にいる人はそのときの私以上の感謝と喜びをもって違法アップロードされたアニメを見ているんだろう。
自言語に翻訳されていないアニメを翻訳してアップロードしてくれた誰かの存在を、有難っているんだろう。
スマホでニコニコのアプリを起動させて観たいアニメの生放送を予約。イベント会場に足を運んでDVDを買うよりも、アニメの英語タイトルを検索して削除済みの動画のなかからまだ見れるものを探すよりも、ずっと手軽だった。日本に帰ってきてよかったと思ったし、日本にアニメ好きが増えるわけだと思った。
http://www.slideshare.net/MatumitFilmSombunjaroen/ss-40971455(タイにおけるオタク人生)
とある男とは、また別の男の話。
90年代後半。男はギターロックが好きだった。ちょっとポップな、弾ける感じのギターロック。
ある日、小さなレコードショップの試聴機で聞いた歌声と歌詞に感銘を受けた。
「これは素敵な僕のバンドを見つけた!」と思った。
ハイラインレコーズか、さすがだな!
アルバムを買った。ランプ、ガラスのブルース、K、続・くだらない唄、アルエ、やばいやばいやばい!
ライブがあるとのことで、十三ファンタンゴに駆けつけた。泣いた。笑った。叫んだ。泣いた。
「十三ファンタンゴもいいライブハウスだけど、もうちょっと大きなところでやりたい。クワトロは大きすぎるけど」
そんなボーカル藤原のMCに、会場の男たちは「クワトロでも狭いわ! ゼップクラス以上やろ!」と笑った。
ライブから帰ってすぐ、その感動を自分のホームページにしたたるためにホームページビルダーを立ち上げた。
BUMP OF CHICKENの公式サイトにあるBBSにも「ライブ良かったです! 感想をまとめたので良かったら読んでください」と、男のホームページのURLを貼った。
翌日、カウンターのCGIが壊れたのかと思ったぐらい回転した。
今まで誰も書き込んでくれなかった男のBBSに、知らない人から「良かったです」「ライブ、行きたかった」「東京も良かったですよ」と100人以上の人が書き込んでくれた。
でもこのバンドはいつかメジャーになって変わってしまうんだろう、と確信めいた感覚があった。
それからと言うもの、男は会う人会う人にバンプを勧めた。変わってしまう前に。
「ふーん。インディーズなの」
「この曲「ランプ」って言うんだけど、最高なんだよ!」
「へー、今度聴いてみるわ」
「今から送るよ!」
ダイヤルアップ接続の遅いスピードで、ICQを使って送った。数分の曲を送るのに2時間近くかかった。勿論、歌詞も一緒にテキストにまとめて送った。
「これ、いいね! すごい元気になれる!」
「あー、若い時に聴きたかった。今の僕はナイフに代わる自信を仕事で手に入れたよ。でも、いい歌だね」
みんな、喜んでくれた。
男は嬉しくて、でも「ランプ」だけを送りプロモーション活動を続けた。無料で配るのは気が引けるから、この1曲だけ。本当に気に入ってくれたら、きっとアルバムを買ってくれるはずだと。
こんなにも良い音楽なんだもん、本当に多くの人に届く! 嬉しい!
どこか勝手な使命感にかられてたのかもしれない。自分ごとのように必死だった。自分のことじゃないのに。
ある時。
転機は急に訪れた。
「見えないものを見ようとして」
大好きな歌声で、なんだか、ちょっと違和感を感じる、乗り切れないメロディが飛び込んできた。
メジャーデビューが決まったと聞いた時、すごい不安だった。変わってしまうと思ったから。
ボーカル藤原だけじゃなくメンバー全員が「俺ら、変わらないから」そう何度も言ってたけど、そんなの無理だって分かってた。
モテない、女心も分かってない童貞全開な歌詞。いつも通りのバンプなのに……。
天体観測。
さながら打ち上がったロケットが、大気圏を突破して宇宙(そら)に消えて行くようだった。
男は黙り込んだ。
これで、もうバンプの話ができなくなるかもしれない。
この前までバンプのことを完全スルーしてた人たちも、男と同じように自分ごとのように喜ぶんだろう。「これは素敵な僕のバンドを見つけた!」と。
それは、もう男にとっての「僕のバンド」ではなくなっているだろうけど。
ほどなくして、そんな知人に会う機会があった。
その日は珍しく知人のほうからこう切り出してきた。
「おっ、そうなん?」
「BUMP OF CHICKENって知ってる?」
(終)
▼元ネタ:本当にあったやるせない話「BUMP OF CHICKENって知ってる?」
・俺自身も小箱のバトル出るのが限界だったラッパーにすぎないから、この理論を突き詰めていくと、トップレベルのラッパーしかヒップホップを語れなくなってしまう。
・ラップの技術と「ヒップホップを見る目」はまったく別のもの。
・楽しみ方は多様であっていいし、ライムを分析してあーだこーだ議論する楽しみ方はあってもいい。
まともに現場踏んだことないような奴がえらそーに「フローはいいけどデリバリーが…」とか語ってんじゃねぇよ。
「日本語は押韻詩に有効じゃない」。そうかもしれないけど、お前は自分にマイクとか来たら、絶対一発でロックできないよね?ミスってパンチライン飛んじゃうようね?客数十人でもステージとかだったら、相手のライムなんか耳に入らないよね?
そもそも偉そうに語ってる連中のほとんどは、そいつらが一番脳の回転が充実していた時期であっても1分間走りきれないだろ。そういう連中が、日本代表の、「日本で一番フリースタイルが巧いであろうラッパーたち」をバカにしているわけだ。「海外とクラベレバー」「世界デハー」とか言ってるわけだ。お前が知ってる“世界”ってなんだよw?
昨日もfacebook見てびっくりしたわ。高校時代、俺がノートに向かってる時に、前でGreeenの話で盛り上がってた帰宅部の奴が偉そうに「俺にはYO! YO!が理解できない」とか「HIKAKINのほうがよっぽどマシ」とか書き込んじゃってるわけですよ。それに「詳しいですね」とかいって「いいね!」がついちゃってるわけですよ。俺にはお前が理解できないわ。お前の思い上がりはワールドクラスだわ。カカロットお前がナンバー1だ。
マスコミは一応、現役ラッパーとかを使うからいいけど、ネットメディアは本当にひどい。「ニコニコ試聴本数なら誰にも負けません(キリッ」みたいな奴が「ジブラが守る会会長はありえない」とか言ってるわけよ。お前はゲロ吐くまでクラブで飲んだことがあんのかと。
そういう“にわか評論家”が風営法改正案提出見送りの時にこれでもか!と出てくる現状が元プレイヤー的には許せません。皆さんの意見も聞かせてください。
これまでずっと気になっていたんだけど、なかなか試聴の機会が無いのとお財布の都合があって手を出せないでいたヤマハPHP-MT220。まあそんなに高価なヘッドホンじゃないんだけど。
そんなに高価じゃなくて、何とかなりそうなメドがたったのでAmazonでポチッと。Amazonでヘッドホン買うなんて初めて。
ヤマハのモニターって一時期はみんな使ってたから。それにしときゃまず問題ないだろう、って感じ。それを本棚みたいなところに入れて使ってたんだけど。
今まで色付けされたヘッドホンでやってたんだけど、それでもキチンと鳴ってたので、割とうまくなったなーと思ってる。そう思えたヘッドホン。
今時の曲をチェックするような人間ではないのだが、それでもBGMやラジオがかかってる環境でで強制的に新しい曲を聴かされることがある。その新曲どもがどれもこれもサビで始まるのだ。何年か前に「ヒット曲の法則」とやらを呼んだことがあるが、その中に「始まって30秒以内にサビを聴かせろ」というのがあった。サビを冒頭に持ってくれば一発である。あたまいいね。
元々サビから始まる曲というのはごく少数で、それなりの創作的理由があった。たいていはサビまでが長い場合である。Aメロ→Bメロを2回またはそれ以上繰り返す場合や、長い前奏や間奏が入る場合もあった。今時の曲は普通の構成の曲にサビを頭に持ってくるだけなので単に同じ繰り返しが一回増えることになる。
以前は色々あった日本のポップミュージックの形式も、90年代以降はほぼAメロ→Bメロ→サビ→Cメロ→サビに統一されてしまった。これに今はさらに頭にサビが付く。それもみんなだ。J-Popはかつてないほど画一化してきている。
この状況は実は洋楽の方がひどかったりする。洋楽はたいていBメロがないからもう延々サビの繰り返しだ。あちらではCD販売がほぼ壊滅しているから試聴の最初の数秒が勝負なのだろうな。
こういう状況は場末のスーパーマーケットに似ている。経営が傾いたので商品を売れ線に絞って合理化した結果、どこにでもあるものしか置いてなくてますます客足が遠のくあの循環である。ポピュラー音楽はそりゃ世の中の変化やビジネスとは無縁ではいられないが、「サビ頭」の蔓延はDL販売も含めた今の音楽業界にとどめを刺すことになると思うね。
ヘッドフォンを使わないといけない状況が発生し、SE-200PCILTDのアダプタを探していたんだけど、引越しのときに捨ててしまったのか部屋に見つからない。
せっかくだからSE-300PCIEにしようかと思って価格comを見ていたら、DAC-1000Sというのが評価が高かった。
PCオーディオはどうやら外付けのDACを使うのが主流になってきている。
USB出力した信号をDACという機器を使用してアナログ信号に変換する。
(昔、一度ONKYOのを使ったことがあるのだが、そのときは音がよくなくてすぐに売ってしまった)
このDACというやつを使ってみたいと思ったのだが、DAC-1000Sにはヘッドフォン出力がない。
今使っている廉価なアンプ(LEPAI LP-2020A+)にもヘッドフォン出力がないので、
1、ONKYOに問い合わせてSE-200PCILTDのミニプラグ出力アダプタを手に入れる
2、DAC-1000Sとヘッドフォン出力用の(DAC/アンプ)を用意
3、スピーカー出力とヘッドフォン出力のある(DAC/アンプ)を用意
1がもっとも負担が少なくタスクを達成できるが、オーディオ的な興味を満たせない。
気持ちとしてはDAC-1000Sを使ってみたいので、2の選択に傾いている。
まずは試聴にいくべきか。
荻上チキ・Session-22ではなく(笑)、コレ↓
気鋭の政治・歴史学者・中島岳志さんが、蔓延する単純化とスピード化に徹底的に抗って、いまじっくり考えるべきテーマを、この人ならではのゲストをお迎えして、じっくりと語り合う90分。毎月の時評と書評も出色の、わかりたいあなたの必聴トーク
http://www.ustream.tv/recorded/34108599
http://vodp27.ustream.tv/0/1/34/34108/34108599/1_4516521_34108599.flv
中島先生は、少し以前、札幌のコミュニティFM局・三角山放送で
「フライデースピーカーズ」というラジオ番組のパーソナリティやっていました。
月刊中島新聞は「フライデースピーカーズ」よりも自由度を増した
いい番組です。
あくまでもあれは瞬間最大風速的な絶望
どうでもいい人なら何を言われてもダメージ低いけど
好きな人、身近な人にあんな感じでネチられ失望され見下されると流石に辛い
「どうして○○しないの(ニヤニヤ)」「どうして○○しないの(ションボリ)」
「○○すればいい」と切り捨てて忘れるような人は恵まれてるから「○○できない人もいる」
ことに思い当たらない
一つ「普通」の基準に近づけても、また別の「普通」で無い事を探されていじられる
その繰り返し善意の「○○すればいい」「名言」で解決することなら増田に書く必要は無い
生きてる限りは出口の無い嘆きもこの世にはある
いじってくる人が怖い 憎い
増田もどこかで「普通」を振りかざして誰かを過去にも傷つけてきたのだろう
それは過去も今も未来も生きてる限り連鎖する地獄 人の業 生きててすみません 生まれてきてごめんなさい
あがいてもあがいても平均値に達せません
だから何を言われても耐えなければ「すみません」と「土下座ストラップ」を握り締めながらいう
他人のいう事など気にしなければ良いという人達は「普通」と扱われない事の怖さがその身で分かってない
「普通」でなければdisってもいいと集団が認識すれば何を言われても暴力を奮われても世間には黙殺される
たまにはニュースにはなるけど、「普通」でない人に原因があると言われる 嘆きは打ち据えられ かき消される
面倒臭いから 救いようが無いから 「○○すればいい」と切り捨てて忘れられる
ってこういう日記が書きたかったわけじゃなくてキンドル日記が書きたかったのでここからはいきなりキンドル日記
MP3ミュージック ストアで洋楽やニューリリースを時々チェックしてたら昨日「ゲスの極み乙女。」という気になるグループ名に惹かれて
試聴ボタン押して聴いた「ぶらっくパレード」という曲を200円で買ったらビビビッと歌詞が脳に来たので悩みも一時的に麻痺した
歌は人を癒す
やっぱり新曲はすぐにMP3ストアに出してくれると嬉しい
キンドルのMP3ミュージックはオルゴールやカラオケやカバー曲が多すぎて新曲があまりないけど、新曲をMP3ミュージックに載せてくれる
人が増えてくれると嬉しい そろそろ一日の食費とMP3代稼ぐ為に1480円の仕事しに出かけてくる
人はご飯だけでは生きていけない 魂にも栄養が必要なのではてブや歌も必要なんです
昨日は久しぶりに栄養が摂れたのでしばらくは元気でいれそうです ありがとう
ここでは音楽CDや映像、ラジオといった音が出る作品を売っているイベントだ。
しかも売るものは個人製作に限らないということで、現役の声優やメジャーデビューしたバンドがいたり、
はたまた個人開発の音楽用のDS用ソフトなんかも出してるサークルもあったりして、周ってるだけでも結構面白いイベントだ。
何せCDが売れない売れない騒いでいるこのご時勢に、1000を超えるサークルさんが手売りでCD売っている。
中には数百枚以上一日で売ってしまうところもあるらしい。割と音楽業界でも注目するイベントなんじゃないかと思う。
そんな感じで買う側の自分もたくさん買い込むわけなんだけれど、帰ってやることといったらエンコエンコエンコの連発でこれが非常にめんどくさいわけですよ。
CDの売れ行きが減ったのはこんな感じでメディア自体が使い捨てになったからじゃないかと思いながら毎回作業やってる。
これは何とかしたいなあと思っていたら、最近CDプレーヤーに直接SDカードとかにエンコードできる機能が付いたものがあるそうで。
「これなら帰宅中の電車でエンコができる!」と買う気満々になってた。
けど落ち着いて考えると音質とか、後でタグ付けが必要とか、気になるところは多いので一長一短かもなあと。
電池持たないというレビューもあったし。同人だとCDDBないものも多いけどね。取り敢えず購入は見送りで。
薄い本の試し読みだったらサークルスペースの前でぱらぱらめくってはい終わり、になるのだけれど、音楽CDだとそうはいかない。
わざわざ再生機とヘッドホンをサークルの方に借りて、残念だったら聴いた後にごめんなさいしなきゃいけないつらさがある。汗っかきなので余計に、だ。
そこで便利なのが視聴コーナー。サークルさんのCDが置いてあってイベント時間内は自由に聴けるという大盤振る舞いのコーナー。
CDプレーヤーが必要なので借りて入る場合は順番待ちの長蛇の列が。入るのに30分以上かかるらしい。
でもCDプレーヤー持参してればそのまま入れるので、自分はやっすいプレーヤーを持ち込んでいる。
正直便利すぎてそのまま聴いたサークルのところに行ってCD余計に買っちゃってお金がなくなるといううれしい悲鳴がある。
このコーナー、一応入場チェックはあるけどあとは参加者の良心を信じます的なスタンスで、盗難の恐れがすごくあるんだけど、
そういう話は聞いた事がない。ほんとすごい。参加者のモラルがすごく高いんだと思う。
で、先ほどの録音つきプレーヤーの話。
ぶっちゃけて言えば、これがあれば試聴しながら音源持ち帰れそうだなあと。
チェックする側も見た目にはCD聴いてるだけにしか見えないだろうし、判別は無理なんじゃないかなって。
いや自分はやる気ありませんが。
まあ、そういう目的の人が増えてもそういう人はもともとCD買わないような層だろうし、
そういう人が気に入って次の新作を買いに来ればそれは宣伝の一種だし、
この際にCDプレーヤー買った人が増えれば貸しCDプレーヤーを待つ列も減るし、何よりモノとしての実害も無いので、
この程度は黙認でもいいんじゃないのかなあというのが自分の意見です。
その言動が幼稚すぎて今話題になっている作曲家、菊地創が自画自賛している曲eufonius 「Idea」を聴いた。
曲を聴いてすぐわかった。
この人は楽器が弾けない人なんだ、と。
(電子鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るから、作曲初心者にはもっとも容易い)
だが決して「弾ける」というレベルに扱える楽器は菊地創にあるまい。
彼はライブでも両手で弾くようなパフォーマンスはできないのではないか?
ある程度、音楽をきちんとやっている者なら簡単にわかることなのだが、
全く楽器を弾けない人の作る曲には特徴があって、すぐに判別がつく。
音楽的な美しさがない。あるいは欠けている。
この場合の「音楽的な美しさ」とは何かというと、それは「響き」である。
例えば“ただ音が鳴っているだけの状態”を「音楽」と定義出来るかどうか?
生まれて初めて玩具のピアノを与えられた幼児が、がむしゃらに鍵盤を叩いて音を鳴らすそれは音楽か?
しかしそれを音楽作品として、美しい音楽として扱われるべきものとは到底言えない。
eufonius 「Idea」はいかにもPC上でデータをいじって作った曲だなと感じた。
まるで自動生成されたような旋律がただ鳴っているだけだ。
機材があれば誰でも出来るレベルの作りこみ程度だし、オリジナリテイも感じられない。
他の曲も聴いてみたがどれも同様に「ただ音が鳴っているだけ」のものだった。
念のため裏付けとして菊地創について調べた。
使用機材を見るとやはりデジタルメインで作っていて、楽器と呼べるものは電子鍵盤しかない。ピアノではない。
鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るし、これだけの機材があって弄る方法さえ知っていれば
適当に音を鳴らして誰でも曲を作ることが出来るだろう。
Wikipediaによると彼は転調の多用や独特のコード進行が特徴であるそうだが、
それも作曲初心者が一番初めに思いつくようなオリジナリティの出し方で、余りにチープな試行である。
もし自分の中に美しい音楽の響きが備わっていて、それを自分のものとして提示できるならば、小手先で自己主張はしまい。
私は決して、楽器が弾けない音楽家それ自体を批判するわけではない。
楽器が弾けずともデジタル環境で素晴らしい曲を作る音楽家は何人もいる。
そうした人たちが様々な試行錯誤の果てに、楽器演奏では得られなかった新しい美しさを提示することも往々にしてある。
だが、ただ機材をいじって音を鳴らしたら出来た「音が鳴っているモノ」には試行錯誤の過程も、何も感じないのだ。
聴くだけで「これは子供がピアノを叩いてるだけと同じだ」ということがわかるからである。
楽器メーカーが機材のサンプルとして収録してユーザーに提供するような試聴曲にも作りが劣る。
菊地創はおそらく、いい音色で音を鳴らすだけのその程度が作曲だと思っているだろう。
では以下に挙げられた彼の発言から、彼の音楽観について考え、少し検証する。
(http://togetter.com/li/362865)
彼は自分の耳の良さが自慢らしい。おそらくは自分が誇る機材への自信だろうか。「耳」であって自分の「腕」の自慢ではない。
これは上述の「音楽の美しさ」である「響き」を彼が理解できていない証拠ともとれる。
一度聴けば耳から離れない程のメロディセンスも彼には無いようだが。唯一耳に残るメロディは菅野よう子の曲との著しい類似が見られた。
(また余談ではあるが、常に他人を罵倒していないと不安なのは自分に自信が無いから♪だろう。)
彼のプロフィールを読むと初めに記してあるのが専門学校のコンピュータミュージック科との事であった。
幼少の頃から楽器ではなく、入り口から楽器の素養があったわけではなさそうである。なるほどコンプレックスを裏付ける。
美しい響きを求めて、メロディを作り変える音楽家(作曲家)がなぜ苦しむのかが彼には理解できないだろう。
彼は「音が鳴る機械を叩いて鳴らすこと」が音楽だと信じているからである。
誰でも機械を使えば自動生成的に音が鳴る状態を簡単に作れるし、追求のために苦しむこともない。
まとめると、菊地創の音楽は、彼の中にある豊かな音楽から紡がれたものとは言いがたく、それを感じることが出来ない。
ただ指先で鳴らしたら鳴った音を組み合わせ、マウスで弄ったら何となく出来たような産物である。
もちろん彼自身が心地よく感じる音色に鳴る程度には調整されていることだろう。
そこにはせいぜい音色の美しさがあっても、音楽の美しさはない。
また彼が常に他者を罵倒していないと気が住まない理由がコンプレックスによるのは改めて言うまでもない。
とにかく色んな人間を罵倒して自分が上なんだ、自分はあいつらとは違う、と思い込まねば自信を保てない。
そうした奇行の原因は彼のアイデンティティーに関わる根深いコンプレックスにある。
彼は、良い機材を集めて、良い音色を鳴らして何となくそれっぽく作曲することは出来るが
自分の中にきちんと音楽の美しさを蓄えて、それを自分の形にして人に提示することが出来ていない。
ちょうど他人をおちょくるような感じで、ぞんざいに音の連なりの生成はできるが「きちんとした音楽」を作れないのだ。
彼はまともに楽器を奏でることが出来ない故に、きちんと音楽に向きあうことから逃げたままだ。
彼自身もそれは強烈に自覚している。
また菊地創はサイトのトップに(CDのジャケットではあるが)ピアノの画像を載せている。
ピアノはおそらく彼のコンプレックスの表れで「ちゃんとした音楽」の象徴だ。
もし自分に自信があるならば、普段使っているデジタル楽器の写真を載せればいいと思うのだが。
そうした写真はサイトの中に全く見られない。まるで隠したがっているように。
ピアノの写真をトップに載せているのはもちろん無意識だとは思う。
だが彼は自分を「ちゃんとした音楽家」として人に見せたいが故にあのピアノをトップに飾っていることだろう。
なぜなら自分が「ちゃんとした音楽家」などとは到底違うことを彼自身が一番理解しているからだ。
菊地創よ。
君は「eufoniusこき下ろしてみて下さい! 音楽的な視点で(笑)」などと言って自らを鼓舞したが
はっきり言って、菊地創の作曲、そして菊地創の自信作は音楽として評論するに足りないレベルのものだ。
もし音楽家として、また人間としてきちんとやり直すつもりがあるならば
天才の君は「その必要が俺には無い」などとまた妄言を吐くだろう。それも想像に難くない
だが音楽家として、人間としてやり直すチャンスはもうそこにしかない。
君のその強烈なコンプレックスはこれから先、誰を罵倒しても決して埋まらないのだから。
人も、世の中も、音楽もなめたまま生きるのはもうやめなさい。