はてなキーワード: 腎臓とは
エンジェル・ハートがドラマ化されて日テレから放送されているらしい。先天性心疾患を持つ者として、エンジェル・ハートは好きになれない。
前作のシティ・ハンターは、ほぼ全部原作を読んだのだが、エンジェル・ハートの原作は、心臓移植の話が出てきた途端に、生理的嫌悪感で読めなくなった。
何が気持ち悪いかって、移植された心臓を通じて、故人の気持ちがレシピエント(移植された臓器を受け取った人)に伝わってきたりする描写がそこかしこにあること。そんなこと、あるわけないじゃない。
移植された臓器を通じて故人の気持ちが伝わるという設定なら、なぜ、心臓なわけ?腎臓や肝臓でも良かったのでは?
その辺りを考えると、結局、医学的には否定されていても、心臓という臓器に「心」が宿っている…と少しは思っているからこそ、心臓を移植されたという設定にしたのだろうと事が透けて見える。
それが、気に食わない。
移植された心臓を通じて気持ちが伝わるような描写をテレビで広く放送されてしまうと、「心臓には心が宿っている」という大衆の幻想を強化することになる。すると、心臓に障害を持って生まれた人間は、心にも障害があるのだろう、と思う人がチラホラ出てくる。あるいは、移植された臓器を持つ人間が、ドナーの気持ちに背くような行為をしたら、苦しんで当然だ、と思う人がチラホラ出てくる。
結果的に、心臓病患者や臓器移植のレシピエント全体がとばっちりを食うのですよ。ただでさえ、臓器の疾患は、自分から離さなければ他人にはわからないことが多い。だから、病気を職場に隠して普通に会社員として生活している人も大勢いる。ああいう、心臓病患者を悲劇の主人公にするような話が放映されると、患者の側は、「医学の知識の乏しい職場の人間にどう思われるかわからない、話したら、『こいつは自分が悲劇の主人公であると思ってもらいたくて、ゴマをすっているのだろうか』と思われて、自分の仕事の評価に影響するかもしれない。とりあえず、何かあるまでは隠し続けよう」となる。
正直、大変やりにくい。あの話を作っている作者やドラマの製作者は、心臓病患者を食い物にして、儲けているのですよ。
他にも、エンジェル・ハートは、移植の観点からも本当に悪影響。日本で心臓移植を合法的に出来るようにするまでは本当に大変だったと聞く。心臓は、他の臓器と違って脳死の状態じゃないと移植出来ないから、日本で臓器移植法が出来るときに、心臓移植を必要とする患者は「人の命を奪ってまで生きたいのか、この命泥棒」ぐらいの事を大衆から言われ、批判されてきた。「日本人の死生観は脳死ではなく心臓死、心臓が生きている間は日本では人は行きている、だから日本では心臓移植は出来ない」、みたいな論が真顔で流され、昔の心臓移植を必要とする子は、アメリカまで行かないといけなかった。そんな中で、ようやく日本でも心臓移植が出来るようになった。
にも関わらず、あんな、「心臓にはやっぱり心があります」みたいな話を放映されたんじゃぁ、話が逆戻り。ただでさえ持っている人が少ない、臓器移植のドナーカードで、心臓を移植したくない人が増えるかもしれない。そうすると、助かる命が減る。正直、エンジェル・ハートの作者も、あのドラマを作っている人も、心臓移植を必要とする子に死んで欲しいのだとしか思えない。ただでさえ、ドラマやお話の中の「心臓病」は、登場人物を悲劇的に殺して話から退場させる手段として使われてきた。心臓病患者は、そういう悲劇的な話を大衆に売って儲けようとする作家やテレビ局のダシ・食い物にされてきた。
一日、あまりに鬱屈としているウェブを見ずに転部のための勉強 つまりはTOEFLの勉強をしたがいつもより気分が良かった。
土曜日の夜に神田橋に立って川面を見ているときと同じくらい落ち着いていた。
今度は朝日新聞の記事をネタにして不毛な議論をしているようだ。
妊婦はマタニティマークを付けるのを恐れているという記事だった。
立っていたら、おっかなそうな老人は座らせるけど、妊婦には譲らない。
自分がその妊婦に勃起しても譲らない。勃起させる力を持っていることが腹を立たせなおさら譲ろうとは思わなくなる。
とりあえず、朝日新聞の記事がどのくらい真実なのか確かめる気はないが、その記事を鵜呑みにしたうえでのはてブを見ると呆れるものだった。
大抵が「妊婦に優しくしないものは死ね」だ。極稀に優しさをみせるものがあったが、大半が妊婦に優しくしないものは死んだほうがよいというものであった。
妊婦に優しくされたことがなく、そして、妊婦に優しくされる予定もない。
そんな人間に対して「妊婦に優しくしろ」と言われても、嫌になるに決まっているのではないか。
おそらく、その妊婦は男を選ぶ余地があっただろう。とりあえずセックスには困らなかったはずだ。そして、今まで優しくされていただろう。将来自分に対して優しくすることはないだろう。もしかしたら金目的ならあるかもしれないが、そんな輩死んでしまえと感じる。
まぁ、妊婦が優しくしてくれなかったし、これからも大抵は優しくなんかしてくれないのだから、譲る筋合いなどないと言われたら言い返せないということだ。
また、妊婦だけが優しくされるのにくるしむ人間だっているだろう。
自分が高校生の時 腎臓の病の薬の副作用で、醜い容姿がより醜く 顔全体が腫れ、ニキビだらけになり膿や血やら脂やらが吹き出て、つねにお腹が張り気持ち悪く、不眠で気が狂いそうだったが総武線に30分乗っていた。誰も優しくなんかしてくれない。
気持ち悪がられはしたが、優しくされなかった。
これから妊婦になるかもしれない、顔のいい女は嫌がって自分の隣には座らなかった。
現代社会の妊婦の大抵は、散々幸せを享受し、これからもそうなのだから優しくなんかしたくないと思う人間がいても仕方ない。
また、産まない選択だってある。それくらいでギャアギャアいうならば産むなと言われても仕方ない。
コメントから一番汲み取れる悲しいことは、腹の中にいる子の多かれ少なかれは妊婦に優しくしない人間は死ねなんていう人間がいるこんな世の中に生まれてこないほうが幸せであることだ。
追加
病人を助ける必要があるのは、自分も病気になるかもしれないという理由かあるからで、それを理解できる人は多い。
しかし、妊婦というのは限られた人間しかなれないものだし、殆どなりたくてなる。
つまり特権的階級と思われてもしかたがないし、なりたいのになれない人間が妊婦に悪意を向けるのはやむ得ないし、弱者ではないので助ける必要がないという理由になる。
※再追加
あんまりこんな不毛なものを書く必要はないのだが、自分の不細工な母の、それまた不細工で高卒の弟は40代で40代の容姿のよくない女と結婚した。
そして容姿が悪い女の子が生まれた。容姿が悪い妊婦はどうなのかという問いかけなのだが、おそらくそんな女でも優しくはしないだろう。
美人妊婦ほどのイラ立ちは覚えないが、譲りはしない。腹の中の子に対してかわいそうだとは思うときはある。自分の両親の容姿がよくないから。
腹が立つ妊婦が増えている可能性はある。都内で地下鉄を乗ると容姿の良い妊婦がおおいことに気づく。妊婦まで行くというのがある一定の容姿の女性の特権になっているのかもしれない。
腹は立つが生まれてくる子は容姿が良い方が幸せだ。自分はそんな風に生まれてくる顔の良い子が大っ嫌いだが、その子たちは幸せだ。叔父の子は不幸だ。
今日は奈良に行ってきた。京都駅からはタクシーで月6万円の家賃の汚い部屋に戻ってきた。
東京よりも安い料金設定なはずなのに2500円も取られた。
奈良に行ってきた理由は中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像を見るためだった。
なぜ、そんなアカデミックなことをしてきたかというと、弥勒菩薩半跏思惟像を見て勃起したというツイートがある日タイムラインに流れてきたからである。
それから、機会があれば見ようと思っていた。
ついに見る機会ができた。平日に1限以外の授業がない日が出来たのだ。
丁度いい。みやこ路快速に乗って奈良方面へ向かった。顔とスタイルの良い女子高生を見て嫉妬したりしたが、なんとか法隆寺駅に着く。
法隆寺駅から法隆寺まで歩くのだが、途中で自転車を漕いでいるお顔が綺麗な女子高生を見る。天使みたいな顔だった。
ウェブ上で不細工であまり頭のよくない田舎生まれの鬱屈とした大学生から「お前が都内の金持ちに生まれず、田舎で生まれたら自殺してるだろう」と言われたのを思い出す。
少なくとも奈良の普通の家に生まれたら確かに自殺していただろうと思った。
自分は1年前、都内の高級住宅街の近くの大手予備校に通っていた。
私立文系の授業を受けていた時、重度のアトピーの容姿がよくない男がよく講師に怒られていた。
よく授業中に寝ていたからだ。
邪推だが、痒みで夜に眠ることが出来にくいのだろう。彼の顔はいつも辛そうだったし、無気力だった。あまりにも理不尽なことを経験しすぎているのだから当然だろう。
自分もだが、容姿やら病気など、クソみたいな体で明るい大学生活、未来を描くのは無理に決まっていたし、今もどちらもそうだ。
ある日、彼は授業が終わると、どの駅の方向でもない方向に歩いてので、気になってついていったことがある。
予備校から歩いて数分の1.5億円以上はする高級分譲マンションに彼は住んでいた。
彼は親が金持ちなのが救いだった。それだけだろうし、それが幸せなんていえない。
本当にどうにもならないことばかりだ。特に容姿に関して感じる。
とりあえず、寺に着いた。
勃起なんかしなかった。
家賃抜きで毎月12万円を父は振り込んでくれる。
しかし、容姿や体が悪いと、大学はセックスが出来なくて地獄だ。
時間制限ありで木屋町で売女に2万5千円を払うのはとても嫌である。
母親にお前らのせいでこんな買うしかない容姿なんだと言ったら、母は病気だからやめたほうがいいと言った。
かわいそうだ。醜いから孤独だし将来就職できるのかも怪しい容姿だ。
しかし、彼女は醜いから可哀想だと思ってもどこでも慰められることはないだろう。
自分の容姿がよくてセックスとかに不自由しなければ醜女なんか気にしなかっただろう。気にしても仕方ないが。
これから先、親が死んでもグロメンハゲ腎臓病の男として生きていかなきゃいけない。
どうせ、美人が愚痴を垂らしたら可哀想にとか言われる中、自分は何やってもキモいと言われる存在になるだろうし、金を払わなければセックスはできないだろう。
もちろん家賃抜きだ。
大体2万円以上が本代で消える。
みんな、アルバイトで忙しいようだ。
勉強なんかする隙がないだろう。
当たり前だが、僕はアルバイトをしなくて良い。
でも、仕送り12万円があって自由時間がたくさんあっても僕は楽しくない。
セックスが出来ない理由は自分の容姿が悪いという理由でしかない。
僕は木屋町の風俗を2回生に教えてもらったが売女を買う気になれない。
2万5千円を払って、腎臓が悪く免疫抑制剤を飲んでいる体に病気を取り込むのは勘弁だ。
バイトしろよという輩が出てくるだろうが、表参道のケーキ屋でオシャレに可愛く売り子をやっている慶應大学に進学したマナちゃんと比べたら惨めになるからやらない。働く先でもルッキズムが働くだろうからやらない。
あと数百日眠ったら、自分はお金持ちになれる可能性があるらしい。
可能性だから、その可能性が消えるのが怖くて震えて本を読んで時間を潰す。父が死なないことを祈る。
怖くて、怖くて、そして容姿がいい女にずっと嫉妬していたから心を落ち着けるために神戸でクレーの絵を見た。
思ったより早く見終わったから、内心飽きてたのだろう。
いつも、僕を正常な気持ちにさせないものがあって、それはお顔のいい女から飛び出た胸だ。
冬は特に苦行だ。目立つ。授業なんてまじめに取り組んでないくせして、セックスは不自由なく、みんなから愛されて楽しそうだ。
僕は本物か粉飾された胸かを見分けるすべを持ってはいない。
だけれども、顔のいい女の子が性的魅力を振りまいているのは許せないのだ。
ミスキャンもどっかのキャンパスで持て囃されている相撲の女もだ。
スカートなんか履いたことない、一生孤独な醜い女を僕は知っているのだけども、彼女を見ていると可哀想な気持ちになる。神は優しくないというのはこの女の容姿で証明される。
三条を歩いていたら、風俗の勧誘に注意というアナウンスが流れていた。
僕の知っている醜女は声をかけられないだろう。
結局、僕があの醜女を気にしているのは自分の容姿が彼女と同じくらい悪いことに尽きる。
今からでも手に入るなら死んでも手に入れにいくつもりだ。
容姿が悪くて差別されるといえば、「美人だって差別されているの いい?不細工のほうが楽よ」
などというのを遠回しに書いてあるWEBの記事や書き込みが散見される。容姿が醜い人間としては、これはごまかしである。
美人なんていつでもやめれるものである。そんなに苦労しているなら顔に熱湯をかければいいだけだ。
どうせかけないのだから、苦労なんて言い訳にしか聞こえないものだ。
自分も含め、容姿が悪い人間は容姿の良い人間にはなれないのだ。
自分が通う学部にはとてつもない不細工がいる。SF小説で言えば、接続された女のP・バークという女レベルに醜い。
世の中の美的感覚の正反対だ。千年に一度の容姿の醜さとでも言おうか。声も、授業中の行動も、ネイルも、体の指も、書いている小説もなにもかもが醜い。頭も悪そうだ。
この女の悪口を書きたいのではない。
美人の苦労なんて、どうってことがないことがこの醜女を見ていれば分かるのだ。
あまりに容姿が醜いために、友人も一人いるかいないかで、男と話した様子は一度もない。
就職だってできるかわからない。京都でも東京でもあれほどの醜女が働いているかといえば怪しい。
しょうもない会社で採用に関わっている自分の父親はあの醜女は採用しないだろう。
いや、赤坂の某ラーメンチェーン店に居た。凄く醜かった。他の店員からも客からも嫌われていた感じがする。
整形や化粧なんて焼け石に水だ。自分もだが。
こんなに醜女が可哀想なら、お前が救ってやれよというかもしれないが、容姿が同じくらいかそれよりはちょっとだけましなくらい醜い容姿の自分だってあの醜女に金を使いたくはないし、向こうもお断りだろうがセックスなんかしたくない。
それはやっぱり容姿が醜いからに限るのだ。これは自分 つまり雄ゴブリンがあまりの容姿の醜さに雌ゴブリンを忌み嫌う様である。これが美男美女同士 エルフ同士だったら美しい物語だ。
なんとなくだけど、女性の社会進出などで男女ともにより容姿が問われる気がしそうだ。ビジネスの最前線にいる不細工で腎臓病の頭が悪い子供を作った父の雰囲気から感じるだけだが。
学歴よりも、資産よりも、容姿の良し悪しが人間の価値を決めていくかもしれない。
中学三年生、確か大地震があった年の11月に千代田区の高級住宅街に引っ越した。
その時には自分は容姿と腎臓がオワッテいて、中学一年の再発時から飲んでいた、薬の副作用で肌はとてつもなく汚く、ボコボコに、そして顔は赤くパンパンに腫れていた。
お腹もいつも張っていて気持ち悪いし、頭痛はいつもひどいし、眠れないし、容姿のことで笑われたり、奇妙な容姿のおかげで街でもあからさまに妙な対応をされたりした。
だから容姿がいい女の生理が苦しいとかいう説教は信じない。自分の方が苦しい思いをした気がするから。
千代田区に引っ越した、その3年後に割とどうにもならなくなったので、その時保険適用外の薬20万円を打って、それからひどい副作用の薬はまだ飲まなくて済んでいる。もちろん容姿やらは少しはマシになったがやはり酷く醜いし、醜さは日々進行している。
いずれはまた薬を飲むから、わりかし死んだ方がマシだし、しょうがない京都のアホな私大に通ってとても毎日の気持ちはブルーだけど、死なないから生きているのだ。
自分は生まれてから年をとって、ただでさえブサイクな容姿が醜くなるほど父親の所得は増えていった。
ブサイクな父親と母親は見合い婚で、ブサイクな子供が生まれたけど、父親は高学歴が基本的に多い会社を辞めてごにょごにょやっていって収入は増えていった。
そして、容姿の敗北が確定している中学三年生の時にほとんどの人が住みたくても住めない千代田区に住むことになったけど、家が金があると自慢は何回もしたがやはり容姿がいいものが勝ち組である。
金なんて常に誰かに奪われる恐怖が付いて回る。
美人は容姿が極端に悪い人間の気持ちなんか微塵も考えないで、常に自己防衛ばかり考えているクズばっかで、周りもそれを推奨して、美人をチヤホヤして、容姿の悪い人間を苦しめられているのだ。
美人には容姿が失われる理由のほとんどが年をとるためなだけで、外部からの攻撃で容姿が失われることは滅多にないから自分のことばかり考えてられるのだ。
こっちは金がなくなったら、本当にごみくずになってしまい、非常に惨めな人生を歩まなければいけないことをいつも考えて生きている。
だから、貧しい人間の気持ちを考えることを忘れることができない。とくに容姿が悪く金がない人間の。金がない醜い人間にいつでもなり得る可能性が自分にはあるから。
もうとても容姿はひどいものだ。うんこ色の肌に、とても大きい顎が突き出た顔にちっちゃな目がくりぬかれていて。。。
顔も体もありとあらゆるところが汚いのだ。女を見ている限り、まだそいつよりはマシなブスな友達が一人いるだけで、男と話している様子は皆無である。彼女は孤独だ。可愛ければ孤独になんかならない。
この女は絶対に自分よりも金があるような雰囲気ではない。醜いあまり就職もできない可能性だってある、営業先で怖がられるこの女は将来どうなるか考えたりするのだ。
考えてもどうにもならないし、ただ哀れになってくるだけだから意味がないのだろうけど、考えてしまうのだ。
金をまだ持てている醜い人間である僕は美人が苦労しているとかいう文を読んだが、そんなの嘘に決まっていると感じた。
苦労もクソもない。美人なんて少しの痛みに耐えて顔を焼けば一瞬で美人じゃなくて、苦労なんかしなくなるのだから、それをやらない時点でなにも説得力をもたない。
なのに、美人がみんな好きだから、美人は大変だよねとか美人のいうことに同情するのだ。死んだほうがいい。
金があっても、容姿は良くならないし、金を貯めたら醜さから逃れられるかと思ったら大ウソだ。
美男美女が自分よりも速いスピードで金を稼いだりして幸せそうなところを見て耐えられるのか。
じゃあどうすればいいのかわかるかっていうとそんなのわからない。
だから、今日は発狂しかけてこんなところに何回もくだらないゴミ文をアップしているのだ。
とりあえず、金を貯めたら容姿コンプが解決するなんて嘘だし、技術革新なんてこっちは期待しないし、期待できる現状などどこにもない。死んだほうがマシなきがしてならない。
今日は、ウェブで知り合ってから仲良くしている同じ大学の2回生とファミレスに行った。
どうやら彼らは内定が決まっているようだった。
男はN○○デ○○の関連子会社で下請けをこき使うことをやるそうだ。
とても容姿の良い女 足がとても綺麗だった女はみんなが羨む京○○○に就職が決まった雰囲気だった。
もう一人の女はよくわからなかった。
とりあえず就職先が分かる二人は北海道のバカな附属校からの推薦な感じだ。
一方僕たちは、非モテな話をしていた。
最近自分はトラバにいかにも釣りな女子大生からのトライバックに遭遇した。
ttp://anond.hatelabo.jp/20150924011959
そもそも午前4時に女がはてな匿名ダイアリーにいることはなかなか考えられない話である。
また、文章からや自分の容姿の例えで如何にも童貞ホイホイな女優の名前を出してくるのは明らかに嘘くさい。
しかし、明らかに学校の施設を知っている人間が書いたことは確かだ。
何も期待していなかった。自分の容姿が美しくなるわけではないから。しかし、一度は釣られてみようと、金曜日の昼休みにどうかという風に返事を書いたがやめた。
いいことはない。
こんな文章を書いてもどうにもならないのは大昔から知っているし、結局自分は惨めに生きていかなければならないのは確かだ。
病気が再発して容姿がグチャグチャだった頃、父親が「お前はモテるぞ 家が金持ちだから」というのは愛されたい自分にはとても苦しい言葉だった。
自分が容姿が醜いのは父の言葉からも、他の人の言葉や扱いからも知っている。
もうはてな匿名ダイアリーで釣られたりと最悪だ。
他にやることもないし、あぁ苦しくなるだけだ。
もちろん、美人が持つ性的魅力はグロメン男である自分はマイナスなので、性的闘争に勝利した状況を味わったわけではない。
ただ、そこにいる人たちよりも自分の方が立場が上の場所に行ったのだ。
それは父親の会社だった。
夏休み、父親の会社のある一つの事業所でアルバイトをしたのだった。そこは30人以上の社員、従業員がいる。
そこで、よくしてもらったのだった。
皆、自分の話を聞いてくれた。
だけども、ここでは話を聞いてくれたのだ。
それは当たり前である。自分には雇用主がバックにいるのだ。しかも血のつながりもある。
もし、何かしたら、雇用主パワーで25日に給料が振り込まれなくなるかもしれない。
そういう恐怖で優しくしてくれたのだった。
美人を疑似体験したが、美人が経験する優しさとはこれでもだいぶ違うことが分かる。
美人への優しさというのは恐怖からではなく、性的魅力からくるものである。自発的なのだ。
じゃあ、お前は優しく頑張れよという輩がいると思うがそれは違う。
これではあくまでも聖人君子であって、美人とは扱いが違う。ただ相手に都合のいい存在なだけで、自分は消耗するし結局辛いままだ。
強制的に優しくしてくれていたのは、一部の社員からは自分はゾンザイに扱われたことからわかる。
一部の社員というのはイケメン社員だった。自分に自信があるのだろう。女性社員は大抵、彼に笑顔だ。
結局、雇用主のバックからの強制的な優しさでは自分は苦しくなるだけだった。
近くの大学の容姿のいいもの同士のカップルのような性的魅力での愛し合いはなかった。
もうすぐ大学が始まる。
大学でもトップクラスに汚い、自分も他人も見ていられない己の肌は冬になるとさらに血やら膿やらを吐き出しカオスになるし、容姿の良い女はタートルネックやらを着て胸を強調してくるだろうから生きるのが苦しくなる。
父親の年収が数千万円でも自分は生きているのが苦しいのだから、やはり金ではもう如何にもこうにもならないのだろう。
でもどうして生きているかというと、父の作った人形がある街で4桁の番号をもらえるかもしれないのだ。
4桁の番号を手に入れると自分は数十億円の資産が手に入るそうだ。
しかし、父親が死ぬと全てがおじゃんになる。数十億円の資産も入らないし、父が稼ぐ金はなくなる。
ただでさえキモい容姿はより年をとり酷く醜くなるのは確定済みだ。
もし、父が生き続けて、数十億円の資産が入っても今の醜い肌や髪、容姿全て、腎臓は治らない。
美しい容姿で生まれたかったけども、どうにもならないのはわかっている。
人形が4桁の番号をもらって容姿が変わらないことに絶望するまでは生きたい。
もしくは4桁の番号がもらえないと分かったときまでは。
ツイッターのフォロワーがいい年下息子と母親で手をつないで歩いていたキッショとみたので
20世紀の終わりごろ、母が死んだ。
俺は19歳で馬鹿な浪人生で、母親に何もしてやれないガキのまま母が死んだ。
母親は腎臓の病気で、俺が高2のときに病気がわかり、そこから入退院を繰り返しながら
最後は病院で、意識が混濁して話も出来ないままの日が2週間くらい続いてから死んだ。
母はだいたい病気が分かった時にはそんなに長く生きられないってのわかってたみたいで、
暇があれば俺と街に出た。どうでもいいような服を買ってやりたかったみたいだけど、
俺は富士見ファンタジア文庫がほしかったから本当は現金がよかった。
妙に高いんだけど、どこか田舎くさいブルゾンとかまだ捨てられないで残ってる。中年太りで着れないけど。
病気だからしかたないけど、周りから見たらそんな病気にみえないよっていう人もいるたいで
腹が立った。
腹が立ったけど、俺もなんかそう思った。自分以外のしんどさが想像つかなかった。
道で俺と歩くとき、結構しんどいみたいで、でかけるのがつらいならやめればいいとしたり顔でいう俺を
こらといいながらも連れまわした。
帰りの地下鉄、7番出口からでるときが一番しんどそうで、俺は母の手をひいたりしてた。
いまだに実家帰っても7番出口は使えない。
父さんはのんきな地方公務員だったのに、母さんのために仕事の多い部署に異動して残業たくさんして
でも、それなりに中流だったから、あんまり金で苦労してなくて、自分が働いて家を出るまでは父さんの苦労とか
稼いでたすごさがわからなかったなあ。母さん病気だからもっと早く帰れと思ってた。
理解するのがいつも俺は遅すぎる。
年々母の声を忘れそうになる。子供の頃の記憶じゃなかったのに、
母さんの手を引いた買い物行程
恥ずかしかったよ母さん、そりゃ。
自分の父親が稼いだ小金が溶けた2025年。人々は重税と物価高と貧困で喘ぎ苦しんでいる。
持病持ち2.5流大学3流学部の醜男は今よりもありとあらゆるものをこじらせているのだろう。きったねえ肌つけたきったねえ顔の腎臓病のキモいおじさんになっている。 死んだほうがいい。
僕は千代田区には住めなくなっているだろう。
金をもった年寄りが千代田区で裸の顔のいい女にリードを付けてかわいがっているのだろう。オマール海老のビスクや老人の肉棒をなめている。
リードに付けられた裸の顔のいい女は枯れた釘宮理恵のような声で「わんわんっ」とか「ニャアニャア」言っているはずだ。
慶應大学という学歴と愛玩動物としての利益を享受しているのだろう。
僕は金持ちの老人を妬まないだろう。きれいな顔で肉棒なめてる愛玩動物のハルちゃんを妬むはずだ。
ハルちゃんは老いによってポイされるはずだ。運が良ければ最後まで飼われるが。
女犬である彼女がポイされて死んでも、僕は老人ではなくハルちゃんを妬む。今までの人生と、死んだことが羨ましいからだ。
2025年、夜の学食でほうれん草の巣ごもり卵しか喰っていないのにガタイがいい汚らしいドブスな同じ学部の女はどうなるのだろうか知ったこっちゃない。2015年現在。僕を含めて、同じ学部の男のほとんどはあのほうれん草の巣ごもり卵のドブスを女としてみていないのは確かだ。
2025年を考えて死にたくなるけど、明日もあさっても限界だ。
Avidメディアコンポーザーとかカメラとかマイクなんてなくなれ。
おっぱい揺らした、性的魅力で人生を謳歌するであろうプルーンプルーンのおっぱいをつけた顔のいい女なんかもう見たくない。○○○大学なんてゴミ大学行きたくない。考えただけで死にたくなる。死んだほうがいいのだけど、人生というのはファミマTポイントカードレベルにやめルのが難しい。ロープを買っても、ファミマTポイントカードなので、うんざりして辞めたいのにやめる手順にうんざりしてやめるにやめられない。
はてな匿名ダイアリーに似たことを何度も投稿するのをやめなければならない気もする。
どうにかしないと思いながら2025年まで生きるのだろうか。
http://megalodon.jp/2015-0614-1835-00/anond.hatelabo.jp/20150614182953
うちで飼ってた猫が亡くなった。
夜七時過ぎくらいにうちに帰ると、ドアを開けるなり娘が
「みーちゃんが息をしていない!」と大声で泣き叫んだ。
慌ててその場へ向かうと、押入れの手前下のちょうどそこだけフローリングになってる和室で静かに横たわってた。
体に触れるとまだ温かかったが、確かに息をしていなかった。
触れるとどんな時でも猫らしくぐるぐると嬉しがるのにまったく微動だにしない。
ふと見ると失禁というか、床には尿が大量に流れていた。
ともかくこのまま置いておけないと判断して、マンションのゴミ庫にあるダンボールを取りに行こうと玄関を出ようとするとちょうど買い物に行っていた妻が帰ってきたところだった。
「みーちゃんが亡くなったようだ」
と告げると妻は一瞬で表情を変えた。
ダンボールを取ってふたたび戻ると妻は動物病院に電話していた。
おそらく心停止して10分以上は既に経ってるから動物病院でも無理だろうと思いつつ、ダンボールにタオルを敷いてそこに入れた。
ふと、もう一人いるはずの息子のことが気になり、和室に引きっぱなしになってた布団をめくるとそこでゲームする息子がいた。
動物病院では、先生が酸素吸入しつつ心臓マッサージをしてくれたが、息を吹き返すことはなかった。
状況から、最初は押入れの段の上にいたが、そこから降りようとして失敗して落ちてしまい、頭を打ってしまって打ち所が悪く死んでしまったのではないか、とか先生と話したけど、遺体解剖するわけでもなく原因は分からない。
昨日まで、というか家にいた妻や子供の話では夕方まで、老いたとは言えそれなりにいつもと変わらない様子だったらしいし、腎臓は高齢とともに少し弱っていたが大した病気もしたこともなく、食事だって普通にとってたし排尿排便もまるで問題なしで、体重だって至って普通、予兆は全くなかった。年に一回の三種混合ワクチンも欠かしたことなく、その際にいつも軽く診断もしてもらってたし…。何れにせよ、原因は分からない。
うちにその亡骸を抱えて帰ると娘は依然として泣いていたが、息子がその死を理解できず、亡骸をみるもののすぐにゲームしようとしたので流石に妻が怒った。
でも、ほんとに理解できなかったようで、いずれ目を覚ますとでも思っていたらしかった。不意に息子が「これからどうなるの?」と聞いてきて「明日役所に引き取ってもらって焼かれることになる」と答えた時点で理解したらしく、突然大泣きしだした。
今年で17歳になる筈だった。
妻と結婚する年に、一人暮らししていた俺のマンションに妻が予告もなく生まれて間もない子猫を友達から貰い受けて連れてきた。
だから付き合いとしては多分、家族の中では一番長く付き合ったのが俺だろう。
彼女(※雌である)は子猫時代、恐ろしく元気でやんちゃだった。
俺は引っかき傷が耐えなかった。
あまりにとんでもなくやんちゃだったので俺も彼女をビシバシ叩いた。
そんなもんでやんちゃが止まることはなかったけど、カーテンを上るのだけは止めてくれたのが懐かしい。
思い出は語り尽くせないけど、なんとなく最近、死期は近いだろうなとは思っていた。人間にすれば90歳位だし。
亡くなって、実のところ、自分自身は特に悲しいとか感情は湧いてこないのが不思議。これからじわじわくるのかな。
16年と11ヶ月。ありがとう。俺がそっち行くまでまだ大分あるけど覚えててくれるかな。覚えててくれたらお前が一番気持ちよかったらしい尻尾の付け根をいっぱい叩いてやるからな(笑)
親父はもう70近い。自分が学生の頃は休みの日にキャッチボールの相手や一緒にカラオケ言ったりボーリング行ったりしてくれていた。
父親が70近いというのも夢なわけね。
親父はもう70近い。自分が学生の頃は休みの日にキャッチボールの相手や一緒にカラオケ言ったりボーリング行ったりしてくれていた。
ここから俺が見たそんな親父の夢なんだけど、ふつうに実家で暮らしている何気ない生活風景だった。
親父も俺もリビングで親父は簡易ベッド作って、俺はソファーで寝るんだ。(L字のようになる)
そしてみんな寝静まった夜中に親父がおびえた寝言を言い始めるのさ。
実家で暮らしていた時もそんな感じだったけど、ストレスがたまったり恐怖を感じたりすると、時折この世の言葉ではなさそうな寝言を言うんだ。
隣でそんな気味の悪い寝言やられるととても寝れたもんじゃないので、決まって俺が親父の足を揺さぶって寝言を静めるんだ。
翌日、親父はこういった。
「俺はな、滋賀の病院に入院しなきゃならない。お前が俺の世話をしてくれんか」 ー (実家も今の住居も滋賀とは程遠い都道府県)
滋賀に有名な病院ってあったっけ・・・とにかく治らない持病をどうにかするためなんだろう、なぜそういう経緯になったか知らないが半分ぐらいは空気を読んだ。昨夜もうなされていたし。
俺「いきなり入院ったって、どれくらいの期間なの」
父「1〜2週間」
俺「宿なんかはとってあるの?」
父「まだ」
俺「うーん・・・ちょっと待って、俺じゃ無理だよ・・・仕事あるし」
父「(´・ω・`)」
そんなこんなで仕事中も気が気でないままだった。いつ親父がぶっ倒れたっていう連絡が入ってくるだろうと怯えていた。
なんだったら、次電話で連絡が来たら、仕方がないと腹を決めて仕事を整理して滋賀に向かっていただろうと思う。
そして自分を情けなく思った。
俺は社会人になってもこういう態度しかできないのかよ・・・って嫌になった。
実は自分の親父はすでに他界している。それも15年ぐらいも前。生前は腎臓病を患っていて、週に3回人工透析を受けていた。
とくにオチなんかないけど、親父は夢の中で何を俺に伝えたかったんだろうって思う。
自分が学生のときに先立たれたこともあって、孝行らしいことはできてないんだ。それもあって自分の行動が情けなくてしょうがない。
父親が存命の人たちはそういう告白があったらどう行動すべきか悩んでおくといいとおもうよ。
あー、そういや最近遺産相続で揉めて墓を移していたなあ・・・亡くなってからも落ち着いてられないだろうなあ。
たまには手を合わせに帰るかなあ。
大学の頃から酒は楽しいと言う肯定的な意識だけが植え付けられていない?
若い頃なら急性アルコール中毒にならない限り多少の無理は利くだろうけど、それができなくなるころにはすっかり飲酒が癖になっていると思う。
その上、社会人になれば段々うさを晴らす等の理由で飲む機会が増えるし、人によっては付き合い、接待で飲むこともあるだろう。
それらは楽しむための飲酒ではないけど、避けられない人も多いと思う。
アルコールで問題を起こして病院へ行った人をシンプルにアルコール依存症と考えるが、アルコールが原因の肝臓、腎臓の病気や糖尿病、食道炎等々を考えると相当数の依存症患者がいるんだろう。
12月初旬に扁桃炎で40度の熱で死にかけて2泊入院し、嘔吐下痢咳、何より激痛の喉の痛みを経験した。
インフルではなかったが38度に下がっても忘年会の幹事をし酌をしてまわり苦情も罵倒も耐え続け、年度〆の仕事作業に10時間労働をし、我慢し続けていった。
上司には2日の入院休みを叱責され、「扁桃腺を除去手術するなら休んでもいい」と言われて僕のメンタルは崩壊した。
扁桃腺を除去するのを耳鼻科医に相談したが、「容易に取るのはすすめない、取ったあと、問題が起きても君の上司は責任をとってくれるのか?」
とったところで、会社と上司のための作業用便利ロボットになるだけで、ロボットのメンテナンスと寿命はどうなるかなんの保証もない。
ことしの業務が一旦きょうで終わったが、僕は3ヶ月ほど薬付だ。
抗生物質と鎮痛剤とその他もろもろで肝臓腎臓を痛めつけている。
扁桃からの熱を抑える対処療法で日々のQOLを変えるための根本的処置をしているわけではない。
このままでは、そのうちバタンと逝くだろうな。
死んだら上司や会社は使い物にならない病気持ちが自業自得でくたばっただけと思ってすぐに忘れてくれるだろう。
ゆえに、僕は決めた。
扁桃をこのまま所持し続け、熱が出でも我慢し続けていきていく。
我慢を我慢と思わなければいいのだ。
これで僕は悟りの境地をめざす
はやくしにたい
→社会的損失
犯罪者の臓器を配ればいいと思うよ。
話ずれるけど、江戸時代の、例えば、
姦通は死罪
放火は馬で市中引廻しの上火罪
というのは今も適用されればいいのにと思っている
これを、講義の一環とかで賛成派に立たされる人はかわいそうだなあとおもう
ということで、サバイバル・ロッタリーでぐぐったら、
少し前に流行った、一人轢かれるか五人轢かれるかというたとえ話とつながるらしい。
http://ameblo.jp/ubqubq/entry-10701501109.html