はてなキーワード: 腎臓とは
よくあるけど、「俺は専門家なんだけど」と前置きした上で、他人に誤解を招くような拙い表現とか、あるいは中途半端な知識とかを主張するのってホント罪作り。
何気なくそういうことを言う自称専門家ってたくさんいるけど、自分たちが持つ社会的信用性の高さを自覚できてないよね。
そういう専門家が何気なく言ったことはどんどん拡散され、誤解を招き、そしていつか偏見となって特定の人を苦しめる結果にすらなる。
自分の社会的立場の重さを理解せずに、言いたいように言ったり、やりたいようにやりたい人は、さっさと専門家の看板下ろして
腎臓とかって実際買い取ってくれるんだろうか
あなた方はわかっていない。
相続税の恐怖を。
大体どうして、人間の容姿やらには相続税がかからないのに、売れない会社の株には相続税がかかるのか。
もし、父親がうまく兜町で鐘を鳴らせば自分はまだ人より有利になる。
もし、出来なかったら全ておじゃんだ。
数百日眠れば結果は分かる。
どうすればいいんだ。どうしようもない。
ただ、祈るだけなんだ。
もし、明日父親が死んだら。。。
もし、鐘を聞いても自分は容姿が良くなるわけじゃないからどうしようもない。金があっても容姿は良くならない。
収入が高くなれば、容姿コンプはなくなると思って生きている人がいたら、それは大嘘だ。
金があっても容姿はキモいままだ。金に愛されるだけだ。美人局に狙われるだけだ。
数百日間が怖くて怖くてただ本を読んだり、絵を見たりするのだ。
大学に行くと、セックスに困らない顔のいい女が授業をまじめに受けず楽しくやっている。
それでも、自分よりも彼女のほうが価値は上だ。容姿がいい。性的魅力がある。楽しそうだ。
苦しくなるから、いつも鐘がなった時にはこっちはあいつらとは別世界に行くんだと自分に言い聞かせている。
そうすると、なんとかやりすごせるのだ。
でも、父親が鳴らした鐘の音を聞くことが出来なかったら、自分はただのグロメン腎臓病のやつになってしまうという恐怖がある。
そもそも、金すら無くなる可能性だっていっぱいある。
同じ学部のドブスを見る。金はあまりなさそうだ。彼女は容姿のせいで孤独だ。スカートを履いている姿を見たことがない。
悲惨だ。哀れだ。
美しく生まれたか醜く生まれたかなんて自分の行いじゃ決められないんだ。
金はどうにもならない。
容姿は美しくならなくても、まだ惨めさは軽くなって生きることができる。
うまく行った先も惨めだし、失敗したら悲惨なのだから、死んだほうがマシだと時々思う。
http://anond.hatelabo.jp/20151007164457
http://megalodon.jp/2015-1007-1708-22/anond.hatelabo.jp/20151007164457
自分にはあるチャンスで数十億のお金が入ってくるかもしれない。
バレると数十億のお金が入ってくる出来事が消えてしまうから恐ろしいから言えない。
ただ、数十億のお金が入らない可能性がある。
それは父が死んでしまった時だったり、いろいろある。でも一番可能性がありそうリスクは父が死ぬことだ。
1年は絶対に父が元気に生きてくれないと困るのだ。
父が生きていてくれないと自分は容姿が醜く、病気持ちで、頭が悪い大学に通っているゴミだ。
でも、うまくいって数十億のお金が入ってくると自分は何か選ばれたものになれると本当に一瞬思ったりするのだ。
今でも父のおかげでとても裕福な暮らしが出来ている。裕福な暮らしが出来てもつらいのに、父が死んだり、数十億のお金が入ってくるチャンスが目の前で消えたら、自分は耐えられるのか。
おそらく耐えられない。
数十億のお金が入っても自分の容姿は醜いままだし、病気持ちで、学生証が「東京大学」とか「慶應義塾大学」とか「早稲田大学」にはなれない。
でも、お金はまだ味方をしてくれる。
整形でマシにはなっても、美しくなならないだろう。
また、容姿がキモいのは親も知っているけど、気にしているのを感づかれるとなにか屈辱的に感じるし、母はなにかの拍子で感づいた時は「そんなことない 皮膚科いこう」とふざけたことを言ったし、父は感付いていないが学歴コンプに関してなにか言った時は「見返すために働け」と言っただけだ。
そもそも、「働いて見返す」というのは訳がわからないし、おそらく見返しにならないだろう。
数十億のお金が入っても永遠と気にし続けるのは、豪勢な今の生活でわかっている。
今の生活は街を歩く美人に嫉妬して、発情しながら泣いて、そのつまんないことを書いてもどうにもならなくて、結局、ただぼんやりしているのだ。
ここにこんなことを書くのはチャンスを潰すことにつながっているのはわかっている。
数十億のお金が入っても美しくはなれないということにどうしようもなさを感じているのと、金さえ入ってこなかったらどうしようという恐ろしい気持ちで吐きたくなった。
チャンスがあると父に教えられたのは数年前の高校生の時だ。
自分は薬で顔がパンパンに腫れ上がり、顔は今よりも吹き出物やら、膿やら、血やらでどうにもならない顔だった。
父親は、このチャンスは選ばれし者にしかないことと、醜くても家には金があるということで美人と結婚できることで自分を励ました。
結局、数十億のお金があっても自分は醜い者で、自分についている金しか愛されない。
そしてさらに悲しいことに、自分は自分のような容姿のものは嫌うのだ。
高校のとき、英語教員に「お姉さんいるよね」と言われたことがある。
自分に姉などいない。
顔が大きくて、肌がどす黒くて、鼻が通っていなくて、目が小さくて、背が低く、潰れた体型の女だ。
教室にいた男子生徒が「○○(自分の名字)の姉ちゃんって絶対ブスだろ」と言った。
あぁ、そうだ。英語教員が自分の姉で、自分にひどく似ていると思った女は醜い。
セックスしたくない。
今の自分は数十億のお金が入ってくるチャンスがある髪が陰毛のような、肌は街で見る誰よりも汚くて、赤黒い肌で、毛穴だらけのつけたような鼻で、父方の家系から引き継いでしまったおおきなぼってりとした顔で、小さな一重の目で、汚い眉の生え方で、貧弱な撫で肩の体がついていて、腎臓がゴミで、より悪くなったときはさらに容姿が醜くなる頭の悪い大学生だ。
金はない、金が入るチャンスしかない。
高校のとき、ものすごく容姿が醜いコイズミという同級生がいた。
ものすごい背は低いのに小太りで、肌は汚く、際限なく顔のいろいろなところに毛は生えてきて、髪は自分と同じ陰毛のようで、全てが悪い。
自分と同じように女はだれもタダではセックスしてくれないだろう。
でも、生きていた。そして、誰とも話さないし、話しかけられる時はたいてい容姿で馬鹿にされている。
なんで彼は生きているんだろう。
自分はコイズミが馬鹿にされる理由は容姿が悪いことで、馬鹿にする奴が悪いとは思わなかった。今も思わない。
慶応大学にいったハルちゃんが夕日を浴びている姿を自分は見たことがある。
最初は聖なるものかと勘違いした。でも、容姿がいい慶応に行った恵まれたイケメンとセックスしたがり、コイズミや自分には顔をしかめる女だ。
隣の芝生は青く見えるというけど、自分の人生をハルちゃんはみて自分の人生は嫌だというだろう。コイズミの人生なんてなんて、目の前でトロントロンな声でなきながら自殺するだろう。
美しければ、どんなに僻まれてもどこかで味方される。自分が守りたくなるのも美しいものだ。ウェブでも美しいものは味方されているし、叩かれない。醜い自分は僻んだらクズだとか言われるだろうし、贅沢だとかも言われるだろう。
ああ、どうにもならない。
http://anond.hatelabo.jp/20150825025320
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★★★★☆
2巻3話。
自分を18の年頃の女だと考えてBJの身の回りの家事をしようとするが、ことごとく空回り。
BJを愛しているというピノコに対し、金を積まれたから手術をしただけで、自分は人を愛せない人間なんだと話し、拒絶する。
手術中に、腎臓がつぶれてしまっていることが判明した際、ピノコは自分の身体を使えと言うが、BJはそんなバカなことを考えるかと一蹴。
両親に腎臓提供について打診するが、金にがめつい父親の値引き交渉に付き合っていたせいで子どもは死亡してしまう。
どうして自分の身体を使わなかったのかと問い詰めるピノコを追い払い、
机で一人歯を食いしばって悔しさに耐えるBJの姿を見て、ピノコはそっとベッドに戻り、先生愛ちてるとつぶやくのだった。
うーんほんと収録順めちゃくちゃだな・・・
なんでこんな順番にしたんだろ・・・
それはともかく、ほかならぬBJが一番人を愛してるんだなってのがよくわかる無言の悔しさの表現がすごくよかった。
「私には愛なんか無意味だっ」
「私はな ひとを愛せない人間なんだっ」
「私はな 金しだいでどんな手術でもするんだ」
「かん違いするなよっ 大金を積まれたから あの手術をしただけだ!」
ピノコ愛してる
二度死んだ少年
えらばれたマスク
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
閉ざされた三人
奇胎
からだが石に…
償っても罪=穢れのようなイメージはとれないのだろうか。
以前尿検査で引っ掛かったせいで腎臓内科に検査入院になったことがある。
個室なんて高くて入れないから6人部屋なんだけど隣りのベッドの人と仲良くなった。
ある日彼の友人という男が見舞いに来た。
「いじめ野郎にふさわしい末路。因果応報」みたいな事を言い出した。
隣の人がここではやめてくれなんて言ってもお構い無し。何度も謝ってるのに罵倒を続ける。
俺も気分が悪くなってやめてくれと助け船を出したら矛先はこちらに向いた。
「僕の母親が作ってくれた弁当に消しゴムのカスをふりかけとして入れるゴミですよ」と。
隣の人は否定せず俯いてたから本当だったんだろう。凄くいい人だから信じられなかったが。
確かにイジメは許されることではないと思う。でも病人に対してここまでやる必要あるのかと言ったら
「知らないと思うけど覆水盆に帰らずという諺があるんです」と俺を馬鹿にしてきた。
嫌味ったらしく覆水盆に帰らずを丁寧に説明したあたりで看護師さんがつまみ出してくれた。
でもその後隣の人と話す事はなかった。カーテン開けないしなに言ってもすみませんしか返してくれない。
容態も悪くなったみたいで別の大学病院にいってしまい真相はわからなかった。
この話を友人たちにするとみんなスカッとした話として捉えるんだよね。
そんなこと言ったら反省する人、更正する人が減っちゃうし復讐も肯定されちゃうと思うんだ。
そんなにそいつら庇うんだったら俺に関わるなとか言わないでくれ。
もうすぐ冬だ。
頭が悪いから半袖短パンでまだ過ごしているが、夜は歩くのが苦しくなってきた。
関係ないが、DV作家の講演会の入場券を授業と重なっているのに買ってしまった。友だちが少ないから券をあげる相手がいない。
僕は勃起してしまう。嫉妬しながら勃起するのは生きている心地がない。
とてつもないくらい醜い容姿の女と同時にそんなおっぱいがふくらんだ可愛い顔した女を見ると生きていたくなくなる。
僕は金に今のところ不自由しないけど、女が来たら金が愛されるのだろう。
もし、父親が兜町で鐘を鳴らせない。。。死んだら、僕は相続税を大量に払わなければいけない。
売れない株券の為に。
最悪である。どうなるんだ。
金がなければ、僕はグロメン、腎臓病、ゴミ大学クソ学部のどうにもならない人間だ。
あと300日程度、震えて眠らなければいけない。
もちろん父親が鐘を鳴らしても、僕の容姿は良くならない。最悪だ。
鐘を鳴らせなかったら、どうなるのかわからない。ただ鳴らせることを祈るだけだ。
容姿がいい 人を欲情させられる、愛される人間に生まれたかった。
http://anond.hatelabo.jp/20151007215523
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:anond.hatelabo.jp/20151007215523
冬が近づき、服に密接したセックスに困らない女性たちの胸が目に飛び込むようになり精神衛生上よくない。
いや、いつも精神衛生がよくない気がする。
相変わらず、容姿がひどい女は孤独だ。異性に全く相手にされない。醜いから以外の理由はない。
ついに、あと1年で自分は二十歳になりそうだ。
二十歳になるメリットとしては、ありとあらゆるものに親権者の同意が不要になることだ。
どうしようが、いやでも約365日で二十歳になる。
二十歳でできることの一つが保護者の同意なしで美容整形手術ができることだ。
隆起やら膿、毛穴、凹み、赤みで大学内でも1位、2位を競えるほど汚い肌にとりあえずできる限りレーザーを浴びせよう。
治らないかもしれないけど。
小さい目は取り合えず大きくさせよう。
父親の家の遺伝である腫れぼったい顔で色々言われてきたから、頰の脂肪を溶かそう。できる限り顔を小さくさせよう。
3年前に父親が千代田区の賃貸マンションの一室で大塚家具のソファーに座って言ったことは、「お前モテるぞ 家が金持ちだからな」
真面目にやっていたのに成績はひどかった。
そして元々よくない顔が腎臓の病気の副作用で肌が見ていられない状態だったし、顔全体がパンパンに赤く腫れていた。
あまりにも容姿が悪いので、まわりからの扱いはひどかった。父親も自分の容姿がよくないと言った。
あまりの醜さを不憫に思ったのか「金はある」と自分に言って元気付けようとした。本当に金はあるのかわからない。
そして、また持病がぶり返したら自分はその薬を飲むだろう。
父親は大昔、メガバンに勤めていた。そのときに、見合いで頭の悪い容姿のよくない女をもらった。
しかし、容姿が悪いもの同士の見合いだ。恋愛結婚ではない。そして、ひどいものが生まれて現代で惨めな思いをするのだ。
父の言う通り、金でモテるのか怪しいが、もし金ですり寄ってきたら苦痛だ。
自分ではない。金が好かれているのだ。体が好かれたい。
金なんていらなくて、綺麗な容姿が欲しかったし、それで好かれたかった。
金というのは大事というが、実はそこまで大事じゃないことがバレてきた。
もちろん金は必要だ。貧富の格差が広がっているといわれているし、金があまりにないと悲惨だ。
しかし、自己肯定感にあふれた楽しいセックスをするには金なんていらないのだ。
いい容姿 人的資本というのか、身体的資本というのか そういうものがものをいうのだ。
自分はあまり整形してもよくならないだろう。持病でダメかもしれない。陰毛みたいなくせ毛や身長の低さは治らないだろう。
機械のごとく、反射的にいろんなことに言いたくないのだが、結局どこまでも人間は綺麗なものに優しくしたくて、醜いものに酷いことをいうことが分かる。
手や足を失って、義足や義手をつけることになった人間 ただし容姿の良い女性が店員の期間限定のコンセプト・バーのお話である。
これまた、ブコメを見ていると呆れた。
「かわいい! 障害のある人とか、いろいろな人が理解し合える社会になったらいいね!」みたいなコメントで溢れかえっているのだ。
この記事を読んで感動する人間や、障害について理解が深まったとかいう人間は何も考えていないに等しいだろう。
カウンターの中に入るアイドル並に愛らしい女性たちが、これまた愛らしい笑顔で出迎えてくれ……と、ちょっと待ってください。思わず見入ってしまったのが、彼女たちの手と脚。
セックスに困らなそうな容姿の足やら手がない女性2人が写った写真が掲載されている。
はたして、これが容姿の悪い男性 例えば自分のような人間だったら、どうだっただろうか。
自分が四肢のどれかがなかったと仮定する。おそらく、容姿の良い四肢のどれかがない女性のほうがずっと優しくされるだろう。
もしかしたら、四肢ある容姿の悪い自分より交友関係、恋愛、性生活などで恵まれている可能性だって十分ある。
障害などないほうがいいが、手足の欠損というのは、容姿や知能、視覚、聴覚にひびく障害に比べたらずっと世の中は優しくするのだ。容姿が良い女性ならなおさら。
あまり確証はないが手足の欠損というのは、障害のある人間の中では恵まれている。
ロクでもない会社の雇用に関わっている自分の父親は少なくともまともな片手がある程度に、手足がない人間を探している。
なぜ、探しているかというとある程度の規模の会社は法律で障害者を雇わなければいけないからだ。
父は手足がない人間にこだわる。
結局、どの企業も障害者のなかで一番「まとも」な人間を雇いたいから手足の欠損程度の障害持ちの人間を奪い合う。
同じ学部の同じ学年の四肢あるドブスよりも可愛い足がない女を企業は欲しがるだろう。ドブスより足がない可愛い女の方が格上という社会ができている。
この記事のサブタイトルは 障害は「かわいい・かっこいい」 である。
そんなことをいったら、自分の容姿が醜いのもかっこいい とか かわいい と言われるはずだ。
しかし、そうではない。
結局、大抵の人間は自分の都合のいい人間 この場合は「手足の欠損がある容姿の良い女性」というのを見て「弱者」を労る気になっているだけだ。
容姿が悪い障害持ちの人間などには、酷いことを言ったり、避けたりするのだろう。
結局、手足がない店員である女の子たちがポジティブになれたとか記事中で言っているが、それは周りにとって、「綺麗な姿」で「都合が良い障害」だから優しくされて、前向きになれただけかもしれない。
彼女が仮に視覚に障害があったとしたら、こんな風に外には簡単には出歩かないし、彼女を世の中は褒めない可能性があるということを考えないといけないのだ。
普通に容姿が醜い腎臓疾患持ちの自分よりも、足のない可愛い女の子のほうがみんな好きだ。
自分は容姿が醜いが、四肢のどれかを失って容姿が良い女性になりたいかと聞かれると一瞬だけ悩むかもしれないが、今以上に快楽を享受できたり、周りに優しくされるであろう可能性があると考えると「YES」と言うかもしれない。
訂正 四肢ですね 恥ずかしいです