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2018-11-20

[]【9】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181120113627





5日目



ほんとにひと玉でよかと?


リラックスできる」と「グッスリ眠れる」の間にはまだ少し超えなければいけない壁がある様で、4泊目の夜の睡眠は途切れ途切れだった。

携行している睡眠導入剤を使えばよく眠れるのだろうが、あまり連用はしたくない。

7時頃には完全に目が覚めてしまったので、洗濯をすることにした。

旅行では日を重ねるごとに使用済み下着や2回袖を通す服などが増えてくるし、なんとなく薄汚れてくる気がするので、気軽に洗濯ができるのは本当に有難い。

うっかり肌着も全て洗濯機に突っ込んでしまったが、素肌にシャツでも問題ないだろう、本来シャツとはそう着るように作られているものだ。


一先ず最寄り駅前モスバーガーで朝食をとった後、宿に戻って身支度を整える。

今日の行き先は太宰府天満宮

朝のワイドショーによると、今日福岡は時よりにわか雨が降るらしい。

折り畳み傘を持って宿を出た。


宿から天神の駅を経由し、博多まで歩くことにすると、行きすがら美術館発見した。

福岡アジア美術館

常設展は200円なので入ってみることにした。


タイ芸術家、キエン・イムスィリ作「音楽のリズム」など、普段触れることの少ない東・東南アジアの近現代美術は興味深い。

広島瀬戸内海洋交通要衝ではあったのだが、福岡場合は港が東シナ海に面しており、南に降れば上海台湾フィリピン、西を見れば壱岐対馬を挟んで韓国が目と鼻の先。

歴史的アジア諸国との繋がりは深いようだ。

そういえば博多の街では他の国の人より有意に多くの韓国人をよく見る。


美術館を出て博多の駅に着き、太宰府までの経路をチェックする。

行きすがら途中下車して、名物博多うどんで腹ごしらえをする事にした。

そう、博多ラーメンだけではないのだ。

竹下の駅を下車してやや歩くと、博多うどんの名店と紹介される「春月庵」が見えてきた。


河川敷脇の道路沿いに建つ店舗は外から見るとポツンとしているが、中に入ると30席ほどありそうな店内は満席に近い状態、みな賑やかにうどんを啜っていた。

博多うどん定番トッピングと言えばゴボ天らしい。

店員さんを呼んで、ゴボ天うどんとかしわおむすびを注文する。

と、「うどんのお代わりは自由です。ひと玉でよろしいですか?」と店員さんが念を押してくる。

いや、おむすびも食うんで、ひと玉で充分ですよ。

やがてそのおむすびに続いて、顔どころか頭蓋骨が丸ごと隠れそうな大椀に浮かんだ浮かんだうどんがやって来た。

食べてみた博多うどんは、麺の食感に特徴があり、程よいコシと柔らかな食感。強いコシと弾力信条讃岐うどんとは別モノだ。

ゴボ天も肉厚に切られているのに柔らかい

優しい美味しさで、讃岐うどんばかり溢れる東京にもこのうどんがあれば良いのにと思える味だった。

と、啜っていると、さっきとは別の店員さんが勘定伝票をめくって

「ご注文揃いました?うどんはひと玉で大丈夫ですか?」と再び念を押してくる。

いやいや、大丈夫、美味しいですし、満足してます

でも聞いてくる理由はすぐ分かった。

カウンターお客様、3玉でーす。」

耳を疑うような注文内容が何度も聞こえてくるのだ。

そう言えば広島ではスリムな人が多かったが、博多の街ではふくよかな人やがっしりした人をよく見みた。

福岡の人は本当によく食う。

こんだけ食えば、そりゃ大きくもなる筈だよ。


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2018-11-16

anond:20181116230959

単純に東京に良いところがないだけじゃね?

ガチ文化レベル高い民なら豚に真珠スマンなだが

校外学習普通に芸術劇場とか美術館へ行ったしな

かにそれらは当たり前にあったよ

ワイはメシがうまくて山海が近くてミニシアターあって

まったり出来るチェーン店じゃないカフェがあるところなら

どこでもええんねん

ただし年収・・・

anond:20181116223629

箱物は既にいいところにあげたので省略しただけやで

anond:20181116121748

東京のいいところ?(ワクワクまではしない)

映画館がたくさんある

大型図書館美術館イベントがある

職はある(ただし万年寝不足に)

物作りにはまぁまぁ最適な環境

良い意味でいろんな人がいる

実験的な試みが観察できる

ファストファッションはお求め易い(でもそういう年でもない)

東京に金があるので福祉は充実している

良いなとは思えるが(帰ったら多分行くだろう)

そのためだけに帰りたいと思えるほどワイの文化レベル高くないので

anond:20181116204339

劇団はないけど映画館ミニシネマもあるぞ

ただミニシネマ、地方は数が無いのよ

映画見るならはやっぱ東京やろな

でも結構確率DVD化されるので東京しか見れないはあんまない

どちらかと言えばやはり美術館博物館劇場などの公共箱物イベントかなぁ

東京しか見れないは

anond:20181116222721

増田が列挙してないものちょっと電車乗ればあるんですよ。

芝居に興味が出た時にちょっと劇場行ってみたいなと思ったら、もう宝塚だろうが劇団四季だろうが場末小劇場だろうが数百円の電車代で体験できる。

芸術でもそう。建築なんかは大学大学図書館から自治体図書館美術館音楽ならホールからライブ会場まで気軽に行ける。チケット問題は別としてな。

モノの無い地方だと興味があっても近くにないから途切れる。それが都会との違い。

自分の知ってるもの自分のやりたいものをやるだけで新しいことをしない奴にはあまりメリットはない。

anond:20181116204422

交通の便がいい

近代美術館あるし大型公園あるしメシ屋がまぁまぁ

チャリ錦糸町もイケるしね

いこうと思えば人形町浅草もいけるし

anond:20181116203031

ゆうてもあの辺で420-500万で暮らすのはキツイで?

外食しないならどこ住んでも一緒やし

ワイ氏、酒もタバコもやらんけど食をどうでもいいで片付けられないマンなので

520万は欲しいなぁ

腰据えて探せば取れない額ではないけども、うーむ

地方なら美術館はないけどあの感じの街に360万もありゃ余裕で過ごせるぞ

しかも山海いけるし

anond:20181116131758

清澄白河美術館もメシ屋もあってチャリで色んなとこ回れる良いところだけど

やっぱ家賃いね

8-10万出すなら年収520万以上は欲しいなぁ

買い溜めして休日に下処理しないと

野菜を食えない生活とか嫌なんやけど

2018-11-15

美術館とか舞台とかクラシックコンサートとかどう情報集めるの?

このサイトみれば全ての情報が載っている!みたいなサイトないじゃない。

東京 美術館 で検索すれば今やってる情報はでてくるんだけど、通知することもできないし、RSSも使えないし。


Twitterなりのアカウントじゃ情報を見逃す場合もあるだろうし。


趣味があまりないので、美術館とか舞台とかクラシックコンサートとかジャズライブとかシルクドソレイユとか少しだけでも体験しようかなと思ったんだけど、

みなさんどこから情報を得ているの??


つーか、結構値段するのなー美術館クラシック舞台なり演劇とかも普通に一回一万二万飛んで行くのね。


新しいコンサートなり展示なり舞台情報が入ったら通知してくれたり、たとえば安めの舞台をたくさん見に行っていたらあなたおすすめ舞台はこれですって通知くれたり。

通知くれるなら、Twitterでもアプリの通知でもメールで通知でもなんでもいいんだけど、毎度毎度能動的に情報を集めなくても受動的に情報を取れる方法があれば知りたい。

2018-11-11

疲れる初デート

ネットで知り合った人との初デートだった。

遅めの昼飯を食べてから美術館へ行ったが、解散する頃には心身ともにヘトヘトだった。

初デートでこんなに疲れるんだから、たとえ付き合えたとしても上手くいかないんだろうなと思った。

空しい。

2018-11-05

美術で何か成そうと思ってる女性結婚しないほうがいい

学生時代から創作系の趣味がある。学校美術系。なので友達はもともと絵を描いたり、物を作ったりするのが趣味友達が多い。

アラフォーになるが、この歳になると何かを成した人と成さなかった人の差が出てくる。

キャラクターデザイナーとして人気の人、公営美術館で展示している人、書籍を数冊出版している人、大手メーカーでヒット作を手がけている人…など。

私の観測範囲に限ってしまうが彼女達は例外なく結婚していない。

結婚している40歳くらいの女性が30歳くらいで結婚して、子育てして…としていた10年間に

彼女達はせっせと自分を成すための活動をしていたのだ。

そりゃ、かなうけがない。

美術創作に関してに限ってしまうが何者かになりたいと思っているのなら結婚はしない方がいい。

結婚したとしても子どもは産まない方がいい。

結婚して子どもがほしいのなら早めに何者かになることだ。

かになるにはストイックさと自由時間重要なんだろう。

先日、学生時代にとても好きな絵を描いていた友達と久しぶりにあった。

当時は賞を獲るくらいに才能がある人だった。

泣けるくらいに感動する絵を描くひとだった。

「今、絵を描いているの?」と聞いたら

学校印刷物に使う為のイラストを描いたくらいかな」と言っていた。

もったいないなー。

でも、とても幸せそうだった。

2018-10-30

やっぱり弱者でも非モテだけは罵倒嘲笑一色なのな

子供社会で育てろとかいう風潮

anond:20181029092924

この人おかしなこと言ってなくない?

せめて論理的反論して欲しいわ。


yomichi47 君も子供の時に他人お金使いまくって育ったんだけどね

2018/10/29 リンク Add Staratahara137kori3110

それはこの人が大きくなって稼いでる時点で返してるんじゃないの?

この人が自分の死後の社会の為のコストまで払うことがフェアかどうかって話しだよね?


masumizaru 税金社会保険料を月40万払うって、お前そんな高給取りなのになんで非モテなんだ。そっちのほうが問題だと思うぞ

2018/10/29 リンク Add Starkazu_y84sajiwo

これ一番最悪じゃね?

弱者の訴えに対して「なんでお前はそんな弱者なんだw」「もっと頑張れよw」という混ぜ返し。

え、これに☆付けちゃう


sunamandala なんか言おうかと思ったけどなんの得にもならなそうなので止めた

2018/10/29 リンク Add Starneo_Neutral47kori3110

こうやってなんの意味建設性もないほのめかしで馬鹿にするだけの卑劣コメントにも☆が集まる。


htnmiki 嫌なら参加しなくていいよ。俺は非モテ独男だけど参加したいよ。

2018/10/29 リンク Add Starcloq36kogane104

これも。

「感心な弱者」「モデル弱者」を持ち上げて、

抗議する弱者や懐疑する弱者に「お前はなんでああ出来ないんだ」っていうコテコテの抑圧のやり方じゃん。

しかもずるいのが、不参加にする手段なんかないのに「嫌なら参加しなくていいよ。」とか言ってること。


kotetsu306 日本人の子供が育たないと、増田が歳をとった頃には (A)日本は衰退しまくり、貯めた財産も使い道が無い (B)移民だらけで日本語が通じない街で独居老人をやる羽目に、辺りの未来予想図なんだが

2018/10/29 リンク Add Staratahara30kogane104

それはもうそうなってるんじゃないの?

というか問題はむしろ増田の死後に発生すると思うけど

増田はそこに関われないからそのためのコスト負担したくないってことでしょ?


laislanopira 俺は病気をしないので福祉医療への補助はいらない、美術館図書館も巨大望遠鏡も興味ない、もう大学卒業したので大学予算もいらない、日本刀を持って自衛してるから軍隊空母警察もいらない

2018/10/29 リンク Add Starkazu_y25kogane104

こういう言ってもないことを言ったように非難する。

ザ・藁人形論法じゃん。


anigoka お前は泥の中からまれたのかよ!wあ、でもこのメンタル 泥っぽいかホントにそうかも…誤解してゴメンな!

2018/10/29 リンク Add Starkotanyanko21kori3110

もはや意味不明。

目が腐る幼稚さ。

本題

要するにさ、

この人は社会再生産に参加させてもらえない立場の人なわけでしょ。

子孫を持てない人。


子孫を持ってる人は何も問題ないんだよね。

自分の死後の社会のためのコスト負担できる。

それはかわいいわが子とその同世代への贈与に過ぎないから。


けど子孫を持てない人にとっては自分の死後の社会ってもう関係ないじゃん。

自分一代の期間についての社会コストは当然適正に負担する。それがフェア。

でも自分の死後の期間に紐づくコスト負担させられるのはおかしくない?アンフェアじゃない?と。

筋通ってるじゃん。


この人の言ってることは経済学では課税の垂直的公平性と言う。

この人の垂直ライン自分のところで断絶するんだから

そこから先の費用をこの人に課すのは不正義だよ。


一応言っておくけど自分はこの人とは違う境遇

まだギリ20代だし子供を持つ可能性はまだ終わってないと思う(実は終わってるのかもしれないけど。)

ポジショントークではなく筋の問題として元増田おかしいことは言ってないと感じた。


結婚したくても結婚できず子供を持てない彼は

経済的には強者であっても別の一面では最弱者であって、

そういう人のちゃんと筋の通った訴えが非論理的嘲笑リンチされてるのはがっかりする。

弱者弱者でも女性とか身体障害者とかホモレズトランスみたいな「馬鹿にしたら怒られる弱者」でないと

普通にこうやって馬鹿にして楽しんじゃうんだね。

2018-10-27

anond:20181027233746

県立美術館いってみろよ

裸の女の絵なんて当たり前にある

anond:20181027233254

警察自衛隊教師もみんなやってる

サラリーマン土建屋パートも皆だ

新しいアートの一つと捉えるべきではなかろうか

さすれば100年先には美術館に収蔵される

2018-10-26

誰が何を好きでもいいじゃない

「誰が何を好きでもいいじゃん」と思うと最近すごく心がスーッとする。

学生時代から特撮が好きでずっと見ていて、ネットファン同士交流してるとうお~と思わされることが長年ある。

女性特撮好きなんて珍しいですね」。

みんな悪意ないから言えないけど珍しいって何度も(その人は初めて言ったのかもしれないけど”珍しい境遇”の人はいろんな人からずっと言われている)言われるのって結構ストレスなんだよな~。

自分でも結構気にしていた。

美術館に行った帰り、上野公園観光しているらしい40後半くらいのおばさんがいた。

肩が開いた若者向けの露出度の高い服からゴリゴリタトゥーが覗いていた。

おばさんは楽しそうにカメラピースしていた。

めっちゃいいじゃん!!

以来、そういうことに目を向け始めてから、好きな化粧で遊ぶとか、歳気にせず服着るとか、テレビで”若い人は入りにくい”と紹介されててそういうもんなんだ…と思ってなんとなく入りづらかったカフェに行くとか、自分の中で無意識に作っていた壁が徐々に崩れている。

まだ楽しんだことがないものがあると思うとワクワクする。

2018-10-22

anond:20181021093430

現代美術理解してることと頭の良さは関係ないんだけど、なんでこういう人が多いんだろうね。



一般人印象派以前の藝術も理解できないんだけど、あれらはまだ大衆的な要素を内在してるから、そっちだけを受け取ることはできる。

言ってることがよくわからない。理解っていうのは神話とかの寓意性のことかな?それとも絵画史の流れや歴史的な背景とかかな?研究者でもなければ解説で補えばいいんじゃないかな。


>それまで大衆的な要素+芸術的な要素だった美術絵画(彫刻)が、現代アートへと移行する時に大衆的な要素を切り捨てたのね。より純粋な藝術に進化するために。

さらによくわからない。コンセプチュアルアートミニマルアート派生してきたことについて言っているのかな。現代美術はどちらかというと、大衆的な美意識を取り込んできた歴史だと思うんだけどな。


>だから、それまで大衆部分だけを受け取って喜んでた一般人は急にわからなくなりヒステリーを起こした。

>だけど、藝術理解者は印象派以前にも藝術部分しか見てないか一般人が何を騒いでるのかわからない。

もっとからない…。歴史的に見ても、新しい表現表現がでてきて反発するのはまず芸術家というか、君の言う「藝術理解者」そのものなんだよね。



一般の人って、工芸品の凄いやつが現代アートになるとか勘違いしがちだけど(オタクアート論もその変奏)、全く質の違うもの

工芸品って、部屋をひすたらゴミひとつなく綺麗に掃除するようなものクリエイティブじゃない。

日本エリート(東大京大文系理系とか)って教養がない極東田舎者からクリエイティブ理解できない。すぐに「工芸品」を持ち上げる。怖いんだろう。自分理解できない藝術が。佐藤可士和デザインですら大多数は理解できないんだものあん教科書的なものですら。

うーん、話がごちゃごちゃだね。工芸品も現代アートになるよ。オタクアート論は関係ないよ。工芸ももちろんクリエイティブだし、掃除とは関係ないよ。

ただ、役所的なところで工芸というかテクニック重視のものが持ち上げられるのは仕方ないね、わかりやすいし理解も得られやすいからね。

佐藤可士和デザインは受け入れられていると言えるでしょう。個人的に残念だったのはザハかな。


>とにかくアジアって文化後進国なのね。トップ日本ですらこうなのだから東京"国立"博物館デュシャン日本美術脈絡なく展示してホルホルしてるレベルもの

アジア文化後進国と見なすような西洋中心的な視点から脱却しよう、というのがまさに今の現代美術のメイントピックの一つだと思うんだけど、大丈夫


>まず日本に生まれた時点で、現代アート理解するには圧倒的に不利。

それはそのとおりなんだけど、「アメリカに生まれた時点で萌えアニメ理解するのは圧倒的に不利」と言ってるのと同じなんだよね。それはそうでしょう。


アートって歴史上一度も大衆相手にしてないので。

>昔は王侯貴族宗教的権威で、今は超金持ち美術批評家

? 例えば聖人の像なんかは大衆啓蒙用だよね。想定してる歴史範囲が狭すぎるのかな。


民主主義恩恵で、一般人美術館で億の作品を数百円で見れるようになっただけで泣いて喜ぶべき。

? 民主主義関係なさすぎて泣いた。


>そしてあれは、将来のお客さんとアーティスト入り口としてやってるの。1000人に1人、将来アートに貢献する人材いるかもしれないと信じて。

そんなこと考えてる人いないと思うなあ。


金持ちにもアーティストにもなれない一般人はまあ、おこぼれで"文化的"コスプレしてインスタグラムでもやればいいんだと思うよ。

おこぼれ?文化的?の意味がわからないけど、コスプレいいよね。



アート勉強し始めの高校生とかかなあ。頑張ってね。

2018-10-21

anond:20181021172314

いやまあ勉強したところで高すぎるんだよな

あの価格設定なんなんだろ

欧米じゃ無料美術館なんてざらにあるのに

https://anond.hatelabo.jp/20181021093430

現代アートが切り捨てたのは大衆的な部分じゃなくて、芸術的な部分では?

例えば、美術館という文脈便器を置けば芸術になるのであれば芸術性なんて形式的ものにすぎないよねと問うのが現代アート

裸婦画がポルノと同じ実用品として消費されないように、大衆だって芸術らしさぐらいは感じ取ることができる。

一般の人が現代アート理解できないのは、それが芸術からではなく、芸術では無いものであろうとしているものからだ。

2018-10-19

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

2018-10-15

anond:20181015160724

初心者がいきなりオリジナルやるより

最初2次創作から入ったほうが実力が付けられる

アーティスト美術館で模写してるようなもん

2018-10-14

[] 【6】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181014130241





センター神通力


ホテルに戻ってシャワーを浴びた後、程近いホーチミン市立美術館を訪れる事にした。

展示もさることながら、フレンチコロニアル様式建物が目当てだ。

バイクを躱して15分程歩くと、門扉が見えてきた。

正面にあるのは黄色い壁の建築物。見事だ。

チケットを買い求め中に入る。

薄暗く、しんと静かな館内に、オブジェ絵画が展示されている。

絵画はやはりと言うか、戦争関係のものが多い。

モチーフになっているのは、銃を構える青年や、ホー・チミンのビラを少年少女に見せる軍人だ。

農具を持って誇らしげに起立する女性オブジェがあった。

共産主義マリア様だ。彼女もまた、ファインダーセンターに収まってもらった。


中庭を囲む建築を堪能しながら常設展を一通り見た後は、別館の企画展を見る事にした。

入り口では警備員のおじさんが気怠そうにデスクの前に座っている。

その姿がホールの設えと完璧調和を見せている気がして、彼をファインダーに入れて一枚撮った。

センターではなかった。


フロアを上がると、おそらくはこの企画展アーティストであろう若い女性がデスクの前に腰掛けていた。

笑顔差し出されるパンフを手に取り展示を見る。

色々な展示があったが、特に気になったのが鏡の前に置かれた椅子一脚。

どうやらこれは、観覧者自体が額に収まる嗜好らしい。

座って鏡越しの自撮りを一枚。

センターでは無い。

別館を出る時、アーティスト写真を見せて尋ねた。

It,s correct ?」

「〜〜 take selfy.」

一部しかヒアリングできなかったが、多分正しい。

「これで正しいですか?」と言うつもりで「これは正確だ。」と言ってしまう位なので甚だ怪しいが。

満足したので次に向かおう。


海外に出ると見ておきたいものがある。

公共交通サインだ。

自律神経の調子が怖いので遠出をする気はなかったが、サイゴン自体は確かめておきたかった。

タクシーを捕まえる。

「I want go to saigon station. ガッ サイゴン。」

運転手のおじさんは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに理解してくれたようだった。

「アァ ガッ サイゴン ナ」


16:00

しばらくすると、おじさんが指差す車窓の外にクルーザー

夕暮れ迫るホーチミンの水面に光が反射して美しい風景が広がっていた。

どうやら到着だ。

メーターを見て払おうとして、おじさんが止める。

なにやら計算すると、メーターとは全然違う金額を書いたメモが手渡された。

メーターの半分くらい。

そう言うシステムなんだろうか?

礼を言ってタクシーを降りると、正面は門が閉まっていて入ることが出来ない。

それに周囲に歩いている人がいない。

ここ、本当に駅?

Google map で確かめて見ると、駅とは真反対の方向。

「やってしまったー」

どうやらサイゴン駅(Ga Sài Gòn)に行こうとして、サイゴン港(Cảng Sài Gòn)に来てしまった。

そういえば、午前にカフェで涙を流させた曲の歌詞に、入江の向こうの海原を見るくだりがあり、海原でこそ無いものの、入り江の向こうの広大な川面意図せず見る事になった。

やはり、4,000年に一度の美少女ともなると、口から出る言葉には言霊というか、神通力めいた何かが宿るのかも知れない。


すぐに別のタクシーを捕まえて、今度はスマホの画面を見せて説明すると、タクシーGa Sài Gòn に向かって滑り出す。

事の経緯を運転手のにいちゃん説明すると、にいちゃんは苦笑した。

どうやら今日は、何かと女性に振り回される1日のようだ。


辿り着いたサイゴン駅で支払いをしようとすると、料金はメーター通り。

やはり自分サイゴン港に運んだおじさんは事情を察してまけたらしい。


サイゴン駅では券売機デザインなどを確認するつもりだった。

しかし、メインステーションとも思えないほど人も疎らなサイゴン駅にはそれらしいものがない。

見ると、中央カウンター越しに客と駅員が話している。

どうやらベトナム鉄道にはまだ自動券売機は導入されていない様だった。

これも発見だ、壁の駅構内図や、主要都市への発車時刻が並んだ表をファインダーに収め、ついでに駅の前にあるゴミ箱の可愛らしいマナーイラストも収めて、駅前にたむろするタクシーを捕まえた。

満足だ、ホテルに戻ろう。


タクシーホテルに到着。

エレベーターの前で暗紫色アオザイを来たエレベーターレディが迎えてくれた。

部屋で一息ついて、食事に行こう。空腹すぎて気持ちが悪い。

ホテルエレベーターは、1Fまで降った後、一度乗り換えて Ground floor に降り、そこから外に出る。

そうだ、まだファインダーセンターに収める事のできる女性がいるぞ。

1Fの乗り換えの際に、ボタンを押してくれるエレベーターレディに声を掛ける。

「Excuse me , Can I take your photograph ? 」

「Me ?」

レディは少し困惑の表情を浮かべたが、笑顔センターに収まってくれた。


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2018-10-07

キズナアイとか乳袋とか

キズナアイも知らないし、乳袋なんていう名刺すら知らない私。

はてな界隈で論争が起きているが、知識人というか、進歩人?というか、そういう人たちが「乳袋の有無」とかいう、こっぱずかしいことで延々議論している様を見て、高尚な知識なり論理を弄ぶご趣味をお持ちな反面、「この服装乳袋が強調されている!」とかい目線物事なり、目の前の女性画なりをご覧になっているんだなと、うがった目線で見てしまう私。

美術館に行って、裸婦画とか、ダビデ像とか、ああいうのはいいのか?乳袋以前にモロである白人から違和感がないか、と思うが、ゴーギャンなんかは、東南アジアの浅黒い裸婦をヴィヴィッドなタッチで描いている。そもそも日本には春画がある。これらもアウトなのだろうか。彼らから言えば、そのようなもの性的興奮を与えるものでアウトであろう。

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