はてなキーワード: 病理とは
盲信的な反原発主義の人々は、科学的な知識があるかどうか以前に、
-お互いの相容れない部分について、冷静に話し合えるか
自分にとって不利なことを言われると、議論のすりかえをするかコミュニケーション遮断するかのどちらか
こういうのは、典型的なコミュニケーション不全で、彼らには「他者」が存在しない。
更に、盲信的の、「信」の内容について
ゼロリスク信仰、という言葉が生まれたように、善悪の中間を受け入れられない人が多い
この辺は、おそらく心が弱いゆえだろうから、責める気はさらさらないが
こういう「症状」は、一定以上「その他大勢」の社会との接点が失われている人に出やすい症状。
いわゆる左翼人はもちろん、そのもっともステレオタイプなサンプルだ。
また、子供のいる主婦で盲信的反原発主義に罹患してしまったというケースでは
子供への影響を恐れることだけでなく、子育てによる社会からの隔絶という隠れた病理がありそうだ。
いわゆる「生きにくい私たち」ってやつ。
原発事故によって、安心してのんべんだらりと「私って生きにくいの」をやってることができた人たちが、魂の危機に瀕しているわけだ
この二つの社会的な症状は、表と裏の関係というか、鶏と卵ではないが
だいたいのケースにおいて、両方発症してしまっている人が多い。
「他者が存在しない」からこそ、結果的に社会から孤立しがちで、「生きにくい私」が出来上がるのか、その逆か。
どっちにしろ、彼らにとって反原発は、ちょうど良い「依り代」ができたってなもんだろう。
その弱さを否定するつもりは全くないんだけど、何しろコミュニケーションが成立しないのが、身近にいると本当に困るね
あとあれだ、反原発関連で、左翼の金回りが良くなってるらしくて
反原発以外の色んな社会運動(驚くほど大したことないやつで、このところお出ましはなかった)にまで
出張ってくるようになった。
疫学的には今回の放射性物質の拡散と健康被害は否定されてるデータが色々出てるはずですが。
疫学的に、なんで個々人についての体調不良はあるかもしれません。が、
それと放射性物質の関連性はない、というのが疫学調査の結果であり今の科学の結論です。
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50651160W3A110C1000000/
この記事が全てではないけれど逆に今回の放射性物質の拡散が健康被害と関連しているという
科学調査に基づくであろうちゃんとした記事を自分は見たことがありません。
なぜ貴方のような言説がまかり通るのかというと、病理というのは複雑な要因が重なり得るので
明確な否定がしにくいためだろうと思われます。
そのため統計的な調査が必要なのですが、その結果としては現在関連性は否定されているのが現状だと思うのです。
それを覆すには同じく科学的調査に基づくデータと根拠が必要なはずなのですが、件の漫画は
細胞シートの権威として知られ、小保方晴子氏の大学院時代の指導教授でもあり、小保方氏の博士論文を審査したことでも知られる大和雅之氏が、
stap細胞論文の疑惑が初めて浮上したのは2月5日だが、期せずしてその2月5日から大和氏はtwitterからもメディアからも姿を消している。
週刊文春などの報道によると心労のため脳梗塞で入院してるとのこと。すでに1ヶ月以上先の学会もキャンセルされていることが分かった。
日本の再生医療のキーマンとしてメディアに出演し続けた大和氏の不在は、再生医療の未来に暗い影をなげかけている。
https://twitter.com/darasugo/status/437935360165695488
A03班 班長
大和雅之
http://megalodon.jp/2014-0316-2048-12/bio-asm.jp/symposium.html
A03班
鈴木治
http://bio-asm.jp/symposium.html
↓
http://megalodon.jp/2014-0317-2051-37/www2.convention.co.jp/103jsp/program.html
http://www2.convention.co.jp/103jsp/program.html
BIO-1
大和 雅之
http://megalodon.jp/2014-0403-1547-31/www.bio-t.jp/Symposium/
特任講師
松浦 勝久
http://www.bio-t.jp/Symposium/
「ネット右翼/ネトウヨ」なる言葉が語られるようになってからかなりの時間が経ちますが、その間にネトウヨに対する揶揄の言葉というものがいくつか生まれ定型化してきました。
この記事で書かれている「そんなに韓国韓国って、本当は韓国が好きなんじゃないの?」「偶然日本人に生まれて、日本人という以外誇れることが何もないんだろ」というのはその代表的なものだと言えるでしょう。
はっきり言ってこういうのはあまり褒められたものではないです。「あなたの言っていることは間違っている」と発言それ自体について反論するなら批判として成立しますが、そうでなく発言の裏にあるものを勝手に決めつけてそれについてあーだこーだ言うというのは単なる揶揄にすぎない。「サヨクは反権力気取ってる自分が好きなだけ」とかそういうのと同じです。
そしてこの手のネトウヨへの揶揄が孕む問題というのは他にもありまして、というかこちらが本題なんですが、こういう揶揄って「ネトウヨ=底辺の負け組」という認識が前提になってるんですよね。まさにさきほど引用した「日本人という以外誇れることが何もないんだろ」なんていうのはその典型。
まあこれも無理ないことで、これまでネトウヨについての分析として「負け組の社会への不満が近隣諸国に向かっている」「持たざる者が日本人であるということにプライドを見出している」というような語りがされることが非常に多かったわけです。
これについてはいくつか理由があると思いますがとりあえずここではおいておきます。
問題は実際のところどうなのか、です。本当にネトウヨは負け組ばかりなのか。これについては批判的に見る必要があるのでは、と思います。
『日本型排外主義―在特会・外国人参政権・東アジア地政学― 』(樋口直人)について
実はここで紹介されてる本は読んでないんですが、興味深かったので少し引用します。
“まず最初の筆者の主張は、「欲求不満を抱え、下方へ転落し、社会の縁辺にある者が担い手になる」というのが誤りであり、さらにそれを社会病理の範疇で捉えるのは間違いであるということ。在特会の構成員も、桜井誠のように高卒で非正規雇用というような人はむしろ少ない。経済的には、どちらかという「中産階級」が多いとのこと。日本の在特会の調査でも、社会階層の共通点ではなくむしろそもそもあった保守的なイデオロギーの共通点が特長的。安田浩一が『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』 で描く「しんどそうな人々」(経済的・精神的においつめられた人)というイメージも無理があるのではないかというところから始まる。”
ネット上でネトウヨ丸出しの発言をしている有名人が何人かいます。「ネトウヨレベル」なんて言われたりしてますが身分を隠して匿名で書きこんだらネトウヨとしか思われないんで「ネトウヨレベル」ではなく「ネトウヨそのもの」です。ではその人は社会の底辺なのかというと、東大を出て大蔵省に入って議員になった人だったり航空自衛隊のトップに上りつめた人だったり、底辺どころかエリートなわけです。つまり、ネトウヨになる理由を不満や生きづらさに求めるのはちょっと無理がある。個人的な実感でも「ネトウヨ=底辺」という印象はなく、これまで実際に出会ったネトウヨ的な言動をする人の中にいかにも生きづらそうな底辺の人というのはまるでいません。
おそらく、ネトウヨ底辺説については誤りであると言ってしまって構わないのではないかと思います。ネトウヨ若者説についても同様で、世代はそこまで重要なファクターではない。
そして更に踏み込んで、社会情勢とネトウヨの台頭を結びつける言説自体がそもそも間違っているのではないか、ということをここでは主張したいと思います。ネトウヨが増えているという社会の変化を他の社会の変化の反映であるとする発想そのものが間違いである、ということです。心の闇というのも関係がない。
アポロの月面着陸はでっち上げであるという説があります。子どもの頃、僕はこの説をテレビで知って、そして信じてました。
でっち上げ論者はいくつもの疑問をアポロの月面着陸につきつけます。そのうちのいくつかを紹介しましょう。
・月面には空気がないはずなのに旗がはためいているのは何故だ?
・写真の中で影の方向や長さがバラバラなのは何故だ? 光源が複数あるのでは?
・宇宙飛行士は月面で宇宙服を着たままカメラを操作したようだがそんなことは可能なのか?
・月に行くまでには大量の放射線を浴びるはずだがそれを防護する技術が当時あったのか?
・アポロ計画以後アメリカが地球軌道の外に人類を飛ばしていないのは何故だ?
これはほんの一部で月面着陸への疑問点は他にもたくさんあります。ここでは文字だけなのでちょっとピンとこないかもしれませんが、これがテレビで画像や映像を参照しながら語られるとかなりの説得力を感じてしまうわけです。そして「月面着陸は冷戦の中アメリカがソ連に対抗するためにでっち上げたものであり月面着陸映像はスタジオで撮影されていた!」という結論に「なるほど!」と納得してしまう。一応筋が通ってますから。
念のため断っておくとこの月面着陸捏造説はトンデモの類です。少し調べるだけで上記の疑問への答えは出てきますし、大真面目に唱えたら馬鹿扱いされるんで気を付けてください。
さて、この月面着陸捏造説ですが、これを信じる人を分析して心の闇だとか社会への不満だとかそういったものが出てくるでしょうか。普通はノーでしょう。これを信じてしまう人は単に騙されただけで、その人が騙されやすいか騙されにくいかというのは関係があるにしても社会がどうのこうのというのは関係がない。騙されやすい人はあらゆる世代、階層にいますから世代や階層もあまり関係がない。ネトウヨもこれと同じなのではないかと思うんです。
つまり、右派プロパガンダ・修正主義デマに騙されたらネトウヨになるという単純な話なのではないか、ということです。
もちろん、月面着陸捏造説との違いはあります。月面着陸捏造説の先に反米感情は用意されていませんが、修正主義デマの先には嫌韓・反中感情が用意されています。これはひとつのパッケージとしてある。実は嫌韓・反中感情があるからネトウヨになるのではなく、ネトウヨになる過程でそういった感情が「注入」されるというのが実際なのではないか、というのもここでの仮説です。
この感情との結びつきの有無の違いは月面着陸捏造説は広がりを見せないのにネトウヨ言説は広がりを見せるという違いを支えているものだと考えています。
まあなんにしろ、「南京で30万人虐殺されたというが当時の南京の人口はそんなにいなかった! だから南京虐殺は捏造だ!」とか言い出すネトウヨのことを僕は「大気がない月面で星条旗がはためいている! だからこれは地球のスタジオで撮影されたものでアポロは月に行っていない!」とか言い出す人と同じ人種として見てますし、「韓国ってこんなにひどいんですよ! ちゃんと勉強してください!」とか言って国民の知らない反日の実態とかアフィブログとかのURL貼る人については「アポロの月面着陸は捏造なんですよ! あなたは騙されてるんです!」とか言って怪しげな個人サイトのURL貼るようなアレなことしてんなあというそういう目で見てますはい。
その共著者である大和教授は、ツイッターマニアとして知られていて、学会の座長をつとめてる最中に「座長なう」と書き込むほど熱心である。
ところが2月5日を最後にtwiterを休止している。
http://twitter.com/yamanyan/status/430856361170067456
この投稿を最後に毎日欠かさず続けていたtwitterは停止しており、
https://twitter.com/pontaro2008/status/436877660795326465
また重要学会のキャンセルが相次いでおり重篤な病気ではないかとの懸念が強まっていた。
一部の人によると2月5日から追求が始まった「STAP細胞論文画像加工問題」との関連を指摘する声もある。
大和教授は小保方晴子の大学院時代の指導教授として知られ、また博士論文の審査者としても責任が追及されている。
http://stapcells.blogspot.jp/2014/02/blog-post_5586.html
しかし、週刊新潮、週刊現代の報道によると脳梗塞を起こし、STAP論文の確認作業すらできない深刻な病状であるとのこと。
ネットでとある有名な詩人が優れたポエムを書いていた。それを某2chで紹介した人がいたんだよね。
自称プロポエマーの俺から見てもそのポエムは凄いもので、「はああああああ、こんな凄い詩があったのか!」と感激した。この感動をみんなと分かちあいたい。さあお前ら絶賛したまえ。そんな気持ちになった。
ところがどっこい、これがもう酷評の嵐だったわけよ(笑) 代表的な感想が「痛い」「アイタタタタ」。
どないなっとるねんこの世の中ァ!もうこれはポエムとしての出来どうこうじゃなくて、ポエムというもの自体に「痛い」「厨二的」といったレッテルが貼られてる。
そういう時代なのだな、特にネットはそういう身も蓋もない文化なのだな、と衝撃を受けたと同時に納得した。納得したらポエミーな笑顔がこぼれた。
で、ここで考察を終えては建設性がない。なぜ痛いのか?そこを考えてみたい。ポエマーなそこのお前は必見だ。
私見では「痛い」の思想は、日本古来の恥の文化なんだよね-。正確にいうと恥の文化から派生したのが「痛い」の文化。
つまりどういうことかってーと、ポエムがここにあったとするわな。それを自分が書いたと想定するわけだ。そして「うわ!これはハズい!」と思う。これが「ポエムが痛い」って感覚。
日本語を学んでいる外国人よ。これが日本の「痛い」の文化だ。分かったかね?
この感覚の強烈さは日本特有だと思うよ。海外でもあるけど、外国人は日本人みたいに自虐的な人少ないから。だから自分が書いたと想定しても、「うわはずっ!」にはならず、「痛い」が分かりにくい。
もちろん外国人といっても様々だ。中には自虐的な国とか自虐的な個人もいるだろう。そういう人は日本の「痛い」の文化に造詣が深いと言える。
いや、言えないけど。素質はある。少なくともぷにぷにぽえみぃがカブトボーグなど比べものにならぬ位の黒歴史アニメだということは痛いほど理解できるだろう。
さて。ここまででだいたい、厨二とかポエムとかが日本でことさら「アイタタタ」扱いされる理由(わけ)が分かったろう。そうだろう。
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続いては自虐という心理について解剖してみよう。現代人は自虐という病理に突き動かされて日々過ごしていると言っても過言ではぬわーい。じつに根深いものなのだ、自虐というものは。
だもんで、当然現代人特有の「痛い」とも密接に繋がってくる話だ。
手始めに「自虐風自慢」という学術用語があるな。これは自虐という体(てい)で堂々と自慢しようという魂胆よ。と思いきや、そうじゃない場合もあって、ほんとに自虐していることもある。
例えばイケメンがその容姿と少しでも関連する(と解釈できる)自虐をしようものなら、立ちどころに自慢と捉えられてしまう。かやうなる現象も「自虐風自慢」だ。
で、問題となるのは前者だ。なぜ自慢するのに自虐のフリしないといけないのか。自虐の構え(ポーズ)してるだけで実質自虐してないのはミエミエなのに、
なぜ人々は自虐の構えが免罪符(エクスキューズ)として通用すると思ってしまうのか?これらの問いに答えるにはたった1つのことが分かっていればいい。
基本「現代社会では女の方が有利だし女の方が生きやすい」って思ってる人の中身は女だと思う。
なぜなら世の中は、尊敬されるには男の方が有利で、愛されるには女の方が有利な仕組みだから。
女の方が生きやすい、女が羨ましい、女に生まれたかった…と思うのは、尊敬されるよりも愛されたい証拠。
そういう男は社会的要請によって男性的外面を取り繕ってるだけで、内面は女性的なんだよ。
美少女が登場するエロいフィクションの楽しみ方も、美少女を犯す側に自己投影しているとは限らなくなっているでしょう。
別にこれは現代の若者に特有の病理というわけでもなくて、女装して街に出るオッサンとかジイサンとかって昔から居たよね。
男にも「性的視線を浴びたい欲求」を持つ人が居るんでしょう。男らしくないといって圧殺・黙殺されてきたけど。
で、「性的視線を浴びたい欲求」だけをみたすには、男に生まれるより女に生まれたほうが断然有利。
若い女だったら多少ブスだったりデブだったりしても、露出の多い格好すれば、浴び放題だからね。(同時に軽蔑の視線も浴びることになるけど)
ここで考えたいのは、性的視線を浴びたい欲求を持つ男はなぜ不利なのか、ってことだよ。
わたしは、
・男の価値は性的魅力ではないので、男は性的視線を浴びたがるべきではない(そういう奴は男じゃなくて女の腐ったような奴だ)と思っている男
・男は女の性的価値を認めて金を払ったり面倒を見たりするべき存在なので、男自身が性的視線を浴びたいなどと望むべきではないと思っている女
こういう人間が寄ってたかって「気持ち悪い!」「甘えんな!」と言って迫害したり、特殊な変態の事例として"わたしたちの社会"から切り離したり、
存在自体を見なかったことにしたりして、性的視線を浴びたい欲求を持つ男を圧殺してきたからじゃないかと思ってる。
(というより、わたしの両親がまさに、こういう男とこういう女だった。でも両親だけでなく2chの恋愛板なんかでもこういう言説は頻繁に見るし、
リアルでも保守的な年上の人らはこういうこと平気で言うよ。で、わたしは「すべての攻撃は過剰防衛だ」と考えているので、
差別意識や嘲笑や頭ごなしの否定などをかます人は、何か絶対に守りたいものがあってこういう行動を取っているんだろうなあと邪推している)
わたしは、男が性的視線を浴びたい欲求を持つことを悪だとは思わないな。犯罪さえ犯さなければ好きにしたらいい。
前段落で挙げたような人たちにとって不都合な欲求だから、利己的な理由で悪と認定されてきただけなんだと思う。
悪認定とまでは行かなくても、嘲笑の対象にするような人もいっぱいいるよね。
でも人の性欲を嘲笑すると、その嘲笑的視線は自分の性欲に対して跳ね返ってくる。
自分の性欲を客観視して、人から嘲笑されないよう怯えたまま、一生自己開示出来ないまま生きていくことになりがちだ。
みんな嘲笑しないし嘲笑されないようになればいいんだけどね。(まあ、無理だろうね)
だから要するに中身が男の女でも、中身が女の男でも、どっちでもいいと思うよ。
もちろん中身が男の男も、中身が女の女も、いいと思うし。
二村ヒトシすごくいいと思う。AVは見たこと無いけど、彼の主張がかなり好きだ。
前からなんとなく感じていたことが、彼の主張を読んでまとまったり補強されたり、っていう部分は多いね。
「女に生まれた人間の既得権益」が羨ましくてイライラ・モヤモヤしている男は、彼の記事を読んでみたらいいんじゃないかなと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20140306104852
『自分で自分が認められる』ようになれ、そのために頑張って努力する。
かなり核心をついた意見だと思うのですが『自分で自分が認められる』ようになるには、
実は『他人に自分が認められる』ことが必要になると思っています。
エリクソンという有名な心理学者が提唱した「青年期の課題」でも同じことが述べられています。
社会との関係のなかで自分がどう言う人間か定義できなければ、心理的に不安定な状態になってしまう。
新しい自我同一性(ego identity) ―― 自分がどんな人間かということ ―― を確立することが課題となり、
これに失敗すると役割混乱が起こって同一性拡散(identity diffusion)という病理が生ずる。
ごちゃ、ごちゃ書いてしまいましたが、
自分にしかできない仕事をして周りの人から感謝されると、とっても人生充実している様な感じがするのではないか、ということです。
文章を見る限り、十分努力もした。
じゃあ、どうすればいいの?というのがここでの問題。
(そこで元増田の次の増田は、神様が欲しい!と言った訳です。神様僕のことを認めてください!とね。)
二人の元増田がどういう状況にいるかわからないから、何とも言えないのですが、基本的な方針としては、
「元増田のことを求めている人たちを探すことじゃないかな」と思う訳です。
十分頑張ったって言ったのにできなかったんだってば!と言いたくなるかと思いますが、
努力の仕方を変えてみるのも一策ではないかということです。
それはどんな些細なことでも、ボランティア活動などでも構わないと思うのです。
もちろんそれをするゆとりが無いんじゃないかと言うのは気になるのですが。
(余談)
他のやり方としては、
①増田の取ったキリスト教的なアプローチ、つまり神様を定義するやり方、
③右翼的な活動に参加して、社会との結びつきを得て、一時的な安息間を得るやり方、
があるかと思います。
問い合わせ内容は実にピンキリだが、私たちが担当するのは「利用規約違反サイト」、つまりスパムブログだ。一週間に削除するブログが仮に100あったとして、そのうち大体95個がアフィリエイト目的のブログとなっている。地域活性化のために提供している無料サービスなのに、地域とは一切関係のないアフィリエイトブログが雨後の筍のようにひっきりなしだ。頭が痛い。
たとえば、句読点代わりに改行が二つ加えられ、行間スカスカで繰り出されるポエム。最後に改行が三つ四つ加えられ、唐突に現れる「プラセンタ」というリンク。リンク先はもちろん、誰が運営しているかすら不明な日本語ドメインサイトだ。
あるいは、同じく地域と何一つ関連性がない恋愛日記。薄っぺらい恋愛記事中に何の脈絡もなく突然現れる「青汁」へのリンク。リンク先サイトにはやはり、誰が運営しているか不明な「○○研究会」という、きわめて架空臭い運営者名。
どんな輩が迷惑行為をしているのか、丁寧にリンクを調べて突き止めようとしたことがある。行き着いた先は、アフィリエイト業界の第一人者的扱いを受けている人間だったりした。唖然だ。
利用規約違反の迷惑行為をしている自覚があるからか、ほとんどのアフィリエイターはブログが削除されても文句を言ってこない。ただ、堂々と文句を言ってくる重症患者も稀にいる。発見が遅れたせいで、ポエムが既に10日ほど投稿されているようなケースだ。
曰く、「あれほど投稿してたのに、どう責任を取るんですか?」「しかるべき対応を取らせていただきます」等。迷惑行為に手を染めている自覚がまるでない。アフィリエイター脳ここに極まれりである。
馬鹿馬鹿しいので、地域活性化ブログの趣旨と利用規約を添えた定型文を送り返すだけにしている。ただ、たちが悪い人間には「社会人として真っ当な場で一度も働いた経験がないのか」「生まれてこのかたあらゆる意味で教育を受けたことがないのか」という内容の言葉を、オブラートにくるんで馬鹿を自覚させる。
登録メールアドレスやログイン時の回線から他に迷惑ブログを作ってないかも確認し、リンク先アフィリエイトサイトもリストに放り込み、以後はお立ち寄りできないようにして対応している。それでも、後から後から現れる。
一度も社会に出ずにニートからアフィリエイターに横滑りしたような人間は、何の疑問も持たずに迷惑行為に手を染めてるんじゃないだろうか。「アフィリエイトサイトを作ったら、まずは無料ブログでリンク付け!」という迷惑行為を一体誰が広めたんだ。ニートだか無職からの一発逆転サイトへリンクを付けてたキミ。迷惑行為が前提の時点で、すでに逆転は叶わないんだよ。逆転したかったら、胸を張れる方法で死力を尽くせ。
最近ではもう、新規ブログや新規記事のタイトルに含まれる語句を見ただけで、駆除すべきアフィリエイターブログだと大体わかる。「日常」「あれこれ」「ニキビ跡」「若返り」「むだ毛」「しわ取り」「青汁」「プラセンタ」等々。
彼ら彼女らの心中で、このような迷惑行為がどうやって正当化されてるのかを伺い知ることはできない。ただ一つ言えるのは、この類の人間が身内にいたなら、吐き気をもよおすほど嫌だろうなということだけだ。
この記事を読んでみるとよい。「なんで」を繰り返すののは当の上司がどうしたらいいかわからないからだ。
http://diamond.jp/articles/-/41083
マニュアルというか、エビデンスに基づいて実践すべきだという考えは当然諸外国(当然先進国)のほうが多い。
根拠の無い方法(母乳じゃないと愛情が無いとか)とそれに付随する偏見で物を言う、見る、聞く、判断し実行するのは野蛮人だぞ。
もちろん根拠の無い方法でもそれで治る(正しい)方法はある。けど常に実証が求められるし実証する過程でまた新たな発見がある。
あんまりバカだと心配になるよ、これからお前みたいなのを相手するかと思うと。
まず自分の思い込みを疑えよ。
「この日本のどこが地獄で、どういうところが問題で、その原因はホントにお前が考えていることか?」
仮にマニュアル化されたチェーン店が増えたと同時に人が冷たくなった(この根拠は出しようが無いが)としたら、それはもしかしたら相関関係(同時に増えた)
かもしれないけど、因果関係(マニュアル化された店舗が増えた「から」人が冷たくなった)とは限らんぞ。
それに今は既にマニュアル化(サービスの良し悪しの均一化)は終わって、その上でスタバが流行った通りマニュアルを越えた店員、店舗、事業が持て囃される時代だろ?
もし仮にお前が電力会社に務めて機材の保守点検をする上でマニュアル無視したら大変なことになるだろ?
まずマニュアルの定義も広すぎるし近代社会の病理とマニュアルを結びつけるのも頭悪い。
社会という大きなものに直面して、曲げざるを得なくなった、ね。
間違っててもしんないけど。
だなんてわざわざ太字で書いてくださってるけど、
正直そこを気にして物言うほうが病理だよ。
そんなことを本気で信じてるヤツは、勝手に自滅する。
それは必定ではないが、たいていそうなるだろう。
たぶん君自身も少なからずわかってることと思う。
しかしそれでも言わなきゃならんかった。
そうしないと鬱憤が晴らせなかった。
別にね、そういう論調は経済的人間だったら特別なものではない。
「経済をうまく回し、俺のところにだけ金が入ってくるようにせよ」
とまで極論に達しなくとも、
「経済の流れを止めるのは善ではない」
というのは少なくない言説だろうし、どうでもいい。
OK。正論だ。
もちろん、経済的思考の上では、だけどな。
コンビニの年齢人称にキレるヤツとか、
いわゆる正論を本気で語るヤツとか。
(正論かたってイイ気になってるじゃなくて、マジで正論信じ込んでるヤツね)
まあ違ってても気にしない。
「利害関係のバランスが取れていることより、論理的に正しい事のほうが重要だ。」
なんだって割り切ることができる。
むしろそうでない人のほうが多いのかもしれない。
うん、自分と他人が違うだなんて認識しなくても結構なんですよ。
そういうのもやっぱりたいていは自滅するから。
そもそも真実なんて言葉もちいてる時点で甘ったれてるんですよ。
それだけでしょう。
暫定的に2人称にあててある「インターネット中毒の非社会人」が
「働く」のであれば、たいていはやがて考えるのをやめますわな。
要はやっぱりね、
「働いてもねえのに偉そうな口きいてんじゃねえよ」
違っても謝らんよ、俺は。
と思っちゃうわけ。
その責任転嫁じゃねーか、とね。
「障害児を生むのが恐い」氏が抱える問題は、障害児に対する考え方の問題ではなく、つきあっている恋人をどれだけ信頼し恋人から信頼されるか、本当はダメな自分をどれだけ愛してくれるのか、という愛情問題に起因している。もしかしたら将来自分は愛されないかもしれないという恋人との関係性が一番不安なのであって、そういう愛情に対する不安を「障害児が生まれたらどうしよう」という言葉で表現しているにすぎない。 だから、恋人との関係性が改善すれば、「障害児が生まれたらどうしよう」といった問題は自然と無くなる。
という意味で考えると、鬼畜馬鹿氏の議論がいかに的を外したトンチンカンな議論であったかがわかると思う。鬼畜馬鹿氏が敵意に近いあのような強い感情をむき出しにした理由は、おそらく「障害児を生むのが恐い」氏が抱いた恐怖感や自己否定感と似た不安感情をずっと持っていて、自分と似た部分を持った人が、安全であったはずの増田という空間でいきなり現れたことで動揺し、激しい嫌悪感を感じたからだろう。その心理は、はじめて鏡を見て興奮し敵意を表す子猫のような心理に近い。
そういう意味では、鬼畜馬鹿氏は「障害児を生むのが恐い」氏よりも可哀想な人だと思う。なぜなら「障害児を生むのが恐い」氏が抱える問題は、努力で解決できる問題であるのに対し、鬼畜馬鹿氏の孤独の深さや自己否定感は、努力で解決できるという保証は無く、精神病の臨床医でも簡単には治療することができない病理だからだ。(私は臨床医ではない。念のため)
まあ、いずれにせよ、障害児が生まれたらどうしようという悩みは、努力やちょっとしたアドバイスで解決可能な問題で、そう心配する問題はない。障害児が生まれたら、その時にふたりで話し合って考えればよろしい。大事なことは、「障害児を生むのが恐い」氏が、いま愛している人と真剣に愛し合うということだ。増田で書いたり読んだりする時間があるなら、愛する人のために料理の一品でも作る方が、ずっと早く確実に問題解決に近づくだろう。
救急現場に危機感 搬送先確保に知恵絞る自治体 :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55355200T20C13A5NNSP01/
当たり前なんだけど、なるべく受入れ拒否されたくなかったら、かかりつけの病院が必要。
普通の病院は夜間はレントゲンも病理検査もできない。つまり初診だと、患者に関するデータなしで対応しないといけない。特定の薬とかにアレルギーもあるかもしれない。運び込まれたときに既往症じゃなくても、遠くない過去にその病院で検査等受けていれば、データがゼロではないのでマシ。
当直の医師も限られる。当直がある場合、内科系・外科系がひとりずつはいるんじゃないかと思うが、来た患者が自分の専門であるとは限らない。整形外科医が脳外科見るのは難しいし、その逆もしかり。自分の専門じゃない、データもない、という状況で患者を受け入れるのはリスクが高い。受け入れたのに、後で医療裁判になったり、なんて考えると、飛び込みの患者を受け入れるリスクはとりずらい。
それと、運び込まれたのが既往症じゃなくても、普段かかっている患者なら追い返すのもどうかな、という判断が働かないとは言えない。
あのさ、病理の学会って100万分の1%と100万分の2%で なんと2倍も結果が違う!
って平気でいう学会だぞ? 絶対数というかスケールファクターは重要だ。
1%と2%は大きな違いだが、100万分の1%と100万分の2%はスケール的に誤差の世界だ。
さすがに、そこまで気にしていたら生きていけないというスケールだ。
この問題は何万組という結婚数に対して1%というスケールが問題だということ。何万組に対して何百万文のというスケールなら誤差の範疇。
ダウン症について触れているのは、引用元に参考記事として書いてあるからだろ。
ダウン症について、フェアじゃない表現をしているということは、性格的にフェアじゃない表現が出来る人という事だから
記事全文にわたって、フェアじゃない表現がある可能性を否定出来ないから
全文にわたって、内容を確認する必要があるという事を示唆していて
案の定、自分に不利なことについては具体的な数字が載ってないだろ。
なんだろう、正確性の確認のために、最初から全数検査はできないからサンプリングして、サンプリングで引っかかったから、全数検査する。みたいなもの。