2014-05-14

自称科学的なひと」ではない、文系からの、決めつけ的な分析メモ

盲信的な反原発主義の人々は、科学的な知識があるかどうか以前に、

 -第三者の主張を理解できるか

 -それを、客観的な内容で反証できるか

 -お互いの相容れない部分について、冷静に話し合えるか

などの、基本的コミュニケーションができていない人が多い

自分にとって不利なことを言われると、議論のすりかえをするかコミュニケーション遮断するかのどちらか

こういうのは、典型的コミュニケーション不全で、彼らには「他者」が存在しない。

更に、盲信的の、「信」の内容について

ゼロリスク信仰、という言葉が生まれたように、善悪中間を受け入れられない人が多い

この辺は、おそらく心が弱いゆえだろうから、責める気はさらさらないが

こういう「症状」は、一定以上「その他大勢」の社会との接点が失われている人に出やすい症状。

いわゆる左翼人はもちろん、そのもっとステレオタイプなサンプルだ。

また、子供のいる主婦で盲信的反原発主義に罹患してしまったというケースでは

子供への影響を恐れることだけでなく、子育てによる社会からの隔絶という隠れた病理がありそうだ。

いわゆる「生きにくい私たち」ってやつ。

原発事故によって、安心してのんべんだらりと「私って生きにくいの」をやってることができた人たちが、魂の危機に瀕しているわけだ

この二つの社会的な症状は、表と裏の関係というか、鶏と卵ではないが

だいたいのケースにおいて、両方発症してしまっている人が多い。

他者存在しない」からこそ、結果的社会から孤立しがちで、「生きにくい私」が出来上がるのか、その逆か。

どっちにしろ、彼らにとって反原発は、ちょうど良い「依り代」ができたってなもんだろう。

その弱さを否定するつもりは全くないんだけど、何しろコミュニケーションが成立しないのが、身近にいると本当に困るね

あとあれだ、反原発関連で、左翼の金回りが良くなってるらしくて

反原発以外の色んな社会運動(驚くほど大したことないやつで、このところお出ましはなかった)にまで

出張ってくるようになった。

これはアベノミクス効果なのではないか。金回りが良いのは、まぁいいんかな。どうでもいいな。

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