盲信的な反原発主義の人々は、科学的な知識があるかどうか以前に、
-お互いの相容れない部分について、冷静に話し合えるか
自分にとって不利なことを言われると、議論のすりかえをするかコミュニケーション遮断するかのどちらか
こういうのは、典型的なコミュニケーション不全で、彼らには「他者」が存在しない。
更に、盲信的の、「信」の内容について
ゼロリスク信仰、という言葉が生まれたように、善悪の中間を受け入れられない人が多い
この辺は、おそらく心が弱いゆえだろうから、責める気はさらさらないが
こういう「症状」は、一定以上「その他大勢」の社会との接点が失われている人に出やすい症状。
いわゆる左翼人はもちろん、そのもっともステレオタイプなサンプルだ。
また、子供のいる主婦で盲信的反原発主義に罹患してしまったというケースでは
子供への影響を恐れることだけでなく、子育てによる社会からの隔絶という隠れた病理がありそうだ。
いわゆる「生きにくい私たち」ってやつ。
原発事故によって、安心してのんべんだらりと「私って生きにくいの」をやってることができた人たちが、魂の危機に瀕しているわけだ
この二つの社会的な症状は、表と裏の関係というか、鶏と卵ではないが
だいたいのケースにおいて、両方発症してしまっている人が多い。
「他者が存在しない」からこそ、結果的に社会から孤立しがちで、「生きにくい私」が出来上がるのか、その逆か。
どっちにしろ、彼らにとって反原発は、ちょうど良い「依り代」ができたってなもんだろう。
その弱さを否定するつもりは全くないんだけど、何しろコミュニケーションが成立しないのが、身近にいると本当に困るね
あとあれだ、反原発関連で、左翼の金回りが良くなってるらしくて
反原発以外の色んな社会運動(驚くほど大したことないやつで、このところお出ましはなかった)にまで
出張ってくるようになった。