はてなキーワード: 民主制とは
国民は政権の説明より学者の意見に同意している、というだけ。衆議院議員総選挙に安部自民党は大勝したが、憲法を自由に解釈変更するには十分な権限ではない。
学者の意見に同意しているというのはどんな調査によるものか。その調査にどんな権威があるのか。
同意しているというが、本当に憲法九条改憲に同意しているのか。メディアは「安保法制違憲と偉い学者が国会で言った」ことしか報じていなかったのは皆知っていることだ。
憲法の解釈の変更は選挙前に行われている。その解釈変更に基づいて、今般の安保法制が作られている。
自由な解釈変更かといえばそんなことはない。長年の情勢変化にともなって「自衛に必要な最低限」の範囲が変化し、その結果、集団的自衛権の一部が「最低限」に含まれるようになった。という簡明で筋道だったものだ。前提が変化したので結論が変化したという当然の帰結だ。論理の枠組みが変わっていないことは朝日新聞すら認めている。
そんないいわけは通用しない。
国会に呼ばれた憲法学者が実は九条改憲説というのは報ぜられていなかったが、安部首相の安保政策の「危険性」なるものは朝日新聞が十二分に選挙前から報道してくれていたものと思う。
間接民主制は代表を選ぶのであって、個別の政策の是非を国民が選択するのではない。
野党の幼稚さ、経済政策への支持、そういういものが相まって、首相にそういう権限を与えた。そう理解するべきではないか。
仮に悪い結果を招くとしてもそれこそ、間接民主制のリスクとして受け入れるべきだ。
どこまでコストをかければ十分なのか?新しい解釈を天下に示した上で総選挙を行って、圧倒的な議席を得た。
野党の論理が未熟だったので議論は低調だったが、100時間だったか、異例の長時間の審議を行った。
反対派が満足する結論がでるまで採決してはならないのか?
行かないとダメ、精々選挙に行かないと世の中変わらないぐらいで説得力も具体性も無い意見がほとんどですよね。。。
もちろん肯定するより否定する方が簡単なので当たり前と言えば当たり前なのですが。。。
・泡沫に投票
・行かない
どれに入れても結果も影響も変わらない。
よく選挙に行かない人は現状を肯定だ、責任持てみたいなことを言う人がいますが、
別に野党に入れたからと言って何も免責されません。結果が出たらすべて受け入れざるを得ないのが民主主義です。
民主党政権の時に出てきた問題に関しても、もちろんブーブー文句は言ってますが現与党は責任もって対応してます。
流石に(少なくとも今の自民党の議員は)そのくらいのことは理解しているはずです。
野党に入れたら免責されると思ってるのは一部の愚か者ぐらいでしょう。
選挙による間接民主制の場合、投票結果で議員にプレッシャーをかけるには頭数が必要です。
何の繋がりも無い人が投票にいっていずれかの陣営に投票したとしても、
その陣営の人を喜ばせるだけで、投票した人に戻ってくることはほとんど無いんですよね。
逆にこの構造が全体として一見不利益な方向に政治が進んでしまう要因だと思います。
例えば某大阪の弁護士上がりの人とかはその当たりを上手くアピールして後ろ盾のない人の支持を得ようとしてますが、
結局頭数のある陣営に妨害されて中々上手く行ってないですよね。
高度成長時代の頃であれば所謂正社員な人であれば所属企業を経由して、あるいは労働組合を経由してみたいな形で
お零れに預かったりできていたのですが、そう言った枠組みが機能しなくなっているのが現状なのかなと。
想田監督の一連のツイートに対するブコメの反応をみてると「安倍政権は日本を右傾化させるかも知れないけど、経済再生等々を考えると、この程度の右傾化は許容できる(せざるを得ない)」と考えて自民党支持する人が多いのかな。
確かに憲法改正は、衆参両院の3分の2の賛成で国民投票を実施して、それで過半数を取れないと実施されない。だから選挙では自民党に投票する人も「経済はともかく、憲法改正は信任してない」という意思表示を参議院議員選挙や国民投票ですることができる。
一方で、憲法改正しなくても「安倍一強状態」をうまいこと使って、集団的自衛権を行使して実質的に軍隊強化して韓国といつでも戦争できる国にしてったりするかもね。
どちらの見方が正しいかは、これから四年間みていくしかない。でも、どちらが正しくても、きちんとした手続きに則って我々の代表として安倍内閣総理大臣が決断していくことなので、ここは従おうと思ってます。「悪法なれども法は法」と言ったソクラテスのような気分。
個人的には、自民党政権はいいけど、安倍政権は嫌だった。なので今回の選挙では自民党に議席を大幅に減らしてもらい「安倍の賞味期限も長くないな」となって欲しかった。
安倍政権がヤバいなあと思うのは、安倍さん頭が悪いから。 成蹊大学って、こんなもんなんだろうなと思う。
今回の解散も大義なかったし、頭の良い人なら恥ずかしくてやれない。でも安倍さんは「野党の準備が整っておらず、自民党に大きな失点のないこの段階で選挙を実施すれば、自民党圧倒的多数の状況を更に伸ばせる」と読んで実施した。
選挙で述べるのは「アベノミクス」に絞り、「この話は国民の信を問わなくて良いの?」という集団的自衛権や特定秘密保護には触れなかった。これも頭の良い人なら恥ずかしくてできない。
哲学者の永井均さんのツイートの一部に「近年の貧富の差の激化と同時に賢愚の差も激化しているという事実はなく、ただネットの普及によって愚者の考えもまた知られるようになっただけ」https://twitter.com/hitoshinagai1/status/540675730011463681 とあって、これは本当にそうだなあと思う。
これまでは愚者の考えは広く知られなかったので、愚者は「俺の意見は少数派でおかしいのかな」と思ってたろうけど、いまは広く知られるようになったから「俺の意見でやっぱりいいんじゃん」と自信を持てるようになった。
頭の悪い安倍さんを支持しやすい状況になってる。嫌韓、嫌中が流行るのも、こういうのがバックグラウンドになってる。
でも、この状況って、民主制が衆愚制に落ちていくってことだよね。そこが大丈夫かなあと気になってる。
「そんなに言うなら賢者がなんとかしろよ」というとこなんだけど、いま賢者の言説は響かないんだよね。
それはなんでかっていうと、大局的にみて日本の未来が暗いから。どうやっても国力落ちていく局面でしょ。だから頭の良い人が出す処方箋は魅力なく見えると思う。
それで頭の良い人はなんかウダウダ言っちゃうんだけど、頭の悪い人は「ウダウダ言ってないで、やらなきゃ駄目だろ!」と行動して、おかしなこともやってしまう。でも衆愚化と相まって、その行動力が魅力的に映ったりするんだろうな。
まあ、そんなこんなで出口はないけど、なんとか衆愚制に落ちずに持ちこたえて欲しい。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11412485.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11412485/
身内に「かなり重篤なギャンブル依存」がいるという「嘘」(と判断する理由は後述)から話を始めて、カジノに理解があるかのように装っています。
――ほう!
「優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金を無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」
この人は「優れたビジネスマン」なんでしょ。エリートで「ボーナス」を擦っても大丈夫なくらい資産に余裕があるだけじゃないの? それとも本当に「全財産」かけてるの? 「ヒリヒリする」たまらない快感にお金を払っているだけなんでしょ? それなりに合理的に生きているんじゃないの? 「かなり重篤なギャンブル依存」のエリート???
――依存症は青少年や地域社会、治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。
「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。[中略]だったら限定的に容認した方が『まし』だ。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です」
このあたりは、まだ事実認定としても、主張としても妥当ではないかと思います。
――カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正や犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。
「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞(ぎまん)だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。
面白い見解だけど、パチプロもいるし、妥当性があるかどうかははっきりしないのではないでしょうか? 実証研究など知っている人がいたら教えてください。
いや、サイコロと違って競馬には不確定な要素が多すぎるからでしょう。確率論の教科書には「パスカルの賭け」の話が載っているのを知らないとは!
なぜ「白昼堂々」「市民が」「生業として」なんて極端な想定を持ち出すのかな。それに「生業」にできるんならいいんじゃないですか。
「賭博が分泌する毒性」だって。こういう馬鹿な比喩を使うことについて「あまりに無自覚だと思います」。依存症のメカニズムくらい勉強してよ。 『快感回路』とか。
[中略]
――しかし観光振興の起爆剤になり、自治体財政にも寄与する可能性はある。デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか。
「安倍政権の経済政策は武器輸出三原則の見直し、原発再稼働などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。でも、当然ながらリスクが高いほど金は儲かる。
「リスク」という言葉をご存知ない? 『リスクにあなたは騙される』なんてことにはなりませんように。あ、それに質問をはぐらかしてますね。・・・・・・というか、仮に内田先生の言うとおり、博打はリスクが高いから儲かるのなら、「デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか」の答えは、たぶんイエスですね。
安倍政権でも麻薬の合法化はやらんでしょう。論点のすり替えっぽくなってますね。
それに戦争って儲からないよ。アメリカが儲かっているように見える? これについては『戦争の経済学』もある。知らないんだろうなぁ。きっともう頭の中に「金儲けは悪い → 戦争は悪い → ゆえに戦争は儲かる」というバカな公式が成り立っちゃっているんだぜ。
ほら! 思ったとおり。
そのとおり。為政者の大事なお仕事の一つは、内田先生の嫌いなお金儲けの算段、つまり「経(世)済(民)政策」です! まさか「経済」の語源を知らないの・・・・・・。
首相は営利企業の経営者じゃないし、国家は金儲けのためにあるんじゃない。福島の原発事故対策、震災復興、沖縄の基地問題の解決の方がはるかに優先順位の高い国民的課題でしょう。厳しい現実から目を背け、なぜ金儲けの話ばかりするのか」[中略]
なぜ? 原発事故の処理にも震災復興にも基地問題にもお金がいるんだよ!
――理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、現実的な議論をすることが、成熟した大人の態度と言えるんじゃないですか。
「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金を持っている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」
現実を見てもいないくせに「現実と理想を折り合わせる」とか偉そうに! 後半、内田先生はインタビュアーがトンデモ発言をしたかのように言いがかりをつけて、自分が正しいかのように見せかけていますね。藁人形論法という詭弁の一種です。気をつけましょう。
――理想を語らず、目先の金。嫌な世の中になりました。
「[中略]有権者は独裁的に物事を決めていく安倍さんを『決断力がある』と見なして好感を持った。合意形成に時間がかかる民主制より、独裁的な方が政策決定の効率はいい。そう思うようになった。
この効率のよさを知らないとは言わせません。チャーチルが独裁的に動かなければ、おそらくイギリスはナチスに占領されたはずです。独裁の問題はその先にある。
それならもう国会なんか要らない。安倍さんがどれほど失政をしようと『劇的に失敗する政治』の方が『決められない政治』よりましだ、そういうニヒリズムが蔓延しています」
そう思っているのは、ニヒリストなのは、世間じゃない、あなたでしょう。誤魔化そうとするんじゃないよ。
――ニヒリズム……。
「米ソ冷戦の1960年代、米ソの外交政策に対して日本人は何の発言権もなかった。国内でどんな政策を行っても、ある日、核ミサイルが発射されれば、すべて終わりだった。そういう時代に取り憑(つ)いていた虚無感を僕はまだ覚えています。いまの日本には、当時の虚無感に近いものを感じます。
ほらね! あなたは、自分の勝手なニヒリズムを、世間に責任転嫁して、新聞紙上で垂れ流してるのよ。だらしないこと。
グローバル化によって海外で起きる事件が日本の運命を変えてしまう。どこかで株価が暴落したり、国債が投げ売りされたり、テロが起きたり、天変地異があれば、それだけで日々の生活が激変してしまう。自分たちの運命を自分たちで決めることができない。その無力感が深まっています」
「『決められない政治』というのは政治家の個人的資質の問題ではなく、グローバル化によって、ある政策の適否を決定するファクターが増え過ぎて、誰も予測できなくなったので『決められなくなった』というシステムそのものの複雑化の帰結なのです。何が適切であるかは、もうわからない。せいぜい『これだけはやめておいた方がいい』という政策を選(よ)りのけるくらいしかできない」
自分が「決められない」意気地のなさを「システム」のせいにしてさ、恥ずかしくないの? 「もうわからない」「できない」と言う前に、勉強しましょうよ。
[中略]
「民主制のもとでは、失政は誰のせいにもできません。
安倍政権批判を貫徹する勇気もないらしい。というか、民主制を維持しようとする気概もない。つまり、ただただ虚無感に打ちひしがれて、僕、内田樹と一緒に諦めましょう、と。最後まで何のまともな提案もないんですね。新聞に載せることですか?
民主制より金が大事という判断を下して安倍政権を支持した人たちは、その責任をとるほかない。もちろん、どれほど安倍政権が失政を重ねても、支持者は『反政府的な勢力』が安倍さんのめざしていた『正しい政策』の実現を妨害したから、こんなことになった。責任は妨害した連中にあるというような言い訳を用意することでしょう。そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労ですけれど、それでも『金より大切なものがある。それは民の安寧である』ということは、飽きるほど言い続ける必要があります」(聞き手・秋山惣一郎)
たしかに『金より大切なものがある。それは民の安寧である』なんてお題目が、たいそう立派な「理屈」だと思って、それで何かを提案した気でいるんだから、「そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労です」よね。よく分かりました。
(もう正直ね、あまりに腹がたったので、言葉が荒くなってしまったようです。とはいえ、内田樹先生への批判として理屈は書いてあると思いますし、その理屈が本旨です。「あまりの酷さに腹が立った!」ということを伝えるためにも、文章は(概ね)そのままにしておきます。各自で不適切な表現を割り引いてくださいませ。)
間接民主制とは何かね?まともに動くのかね?
都会では要らぬ噂話に悩まされたが、田舎では内向的な自分にも需要がある。
田舎の人間は案外、物事にこだわらない面がある。どこかでこだわりを捨ててないと、とっくに今の田舎から去ってるだろう。
少なくとも江戸時代以前から藩の搾取や飢饉に苦しんだ記録が残っていて、それでも生きてきた人たちが住んでるから。
徳川幕府が倒れて明治政府になり、大日本帝国が負けて民主制になっても、故郷は故郷のままだったからな。
どちらを信じるようになるかということだ。
それにしてみろ、「減税しまーす!福祉を充実させまーす!みんなにお金を配っちゃいまーす!」って耳障りのいいことだけ言うやつが通るだろ。
でもそれ実行できないんだよ。そのときどうするの?
言ってた政策やるためなら、何でもアリ、ならとんでもないことになるぞ。
例えば「減税しまーす!福祉を充実させまーす!みんなにお金を配っちゃいまーす!足りないお金は、国民全員に籤を引いてもらって、当たった人の財産を全部没収して野垂れ死んでもらいます!」
タイトルだけだと語弊がありそうだけど、
ツイッターで「デモはデモクラシーのデモであり、それを抑えつけることはデモクラシーの危機だ」
みたいな文章があった。(その人への特定攻撃がこわいので文は若干改変)
そもそも「デモ行進」「デモ活動」みたいな言葉の「デモ」って「デモンストレーション(示す、証明する)」だよね?「デモクラシー(民主制)」ではないよね。雰囲気で類推解釈して叫んでる人が疑問。
たしかに、デモクラシーは国民の声によって政治を機能させる制度だし、「デモ活動」は政府の方針に反対する人の「民意」なわけだけども、、「間接民主制」じゃん。
選挙によって(「民意」によって)選んだ政党、議員がその方針を示してるわけだから、過剰なデモを抑圧する分にはいいんじゃないカナ。
だって、今回の法案反対デモに参加してる人って選挙の時に自民を選択した人もきっと大勢いるんでしょう?なのにあんなにムキになっちゃって変じゃない?
プラカードの中にはものすごくエゴイスティックな言葉が書かれてたりするし、そういう人ってまず法案に目を通したのだろうか。選挙のときマニフェストをしっかり確認して投票したのだろうか。
メディアを作っているのは人だし、その個人には思想があるわけで偏向報道するのはもはや前提条件だと思うけど、あきらかにそれに流されて自分自身の意見を持たずにメディアから受けた言葉を「民意」だと思い込んでる人が多い気がする。
法案にしっかり目を通す、わからない文言があったら辞書を引く、それでもわからなかったら賛成派、反対派の意見(感情的な論調のものを除いて)両方に目を通して自分なりのロジックを組み立てる。そうやってはじめてデモクラシーが達成されるんじゃないのかな。
「民意」が届かない!最低だ!って叫んでる人はさ、民意が直接届いた1933年のドイツを振り返ってみてよ。ツイッターでも感情的に賛否の議論をして白熱してるのをよく見かけるけど、そういう意見の多数者によって物事がどんどん決まっていったらそれこそ衆愚政治になってしまう。
選挙によってフィルターを通し、与党野党がさらにそこで議論を行って慎重に決めている現在の日本(確実にそうかと言われると疑問だけど)は、直接「民意」が届かないからそれなりの生活ができてるんじゃないかな。
民主制なんて国のリーダーが全部きめるわけじゃないんだから、確実なベストはありえないし国民が冷静に落ち着いて議論しつづければ「そこそこイケてる」国でありつづけると思う。条件反射的に「それはだめだ!あぶない!死ぬ!」とかやめようよ。
「権利を行使しないから罰する」ってそれはおかしいだろう。選挙行かないやつが行っている通りに「その権利をどう行使しようが人の勝手」なんだよなあ。
それが社会通念上認められないとか、投票率や間接民主制として問題があるとか、政党がどこに贔屓目の政策をするかに関わるから批難されてるのであって、その原則は変わらない。
ただ「投票は一つの意思表示」で「我々の政治を左右する政治家を選ぶ重要なシステム」である事も変わらないわけで。
確かにデモや署名は投票よりはその人の意思を伝える事ができるだろうし、個人が選挙に行っても情勢は極わずかしか左右されないのもあるが、「政治に意思を表明したい」って観点から見れば投票を利用しないのは・・・奇妙としか思えないが。
「選挙に行かなくて政治に対して批判している者」は、まず選挙というシステムで意思表示をしなかった事になるわけだ。言うのは自由だろうが、先にもある通り滑稽としか思えないんだよな。ただ批判したいだけならそれでいいんだろうが。
投票に行く意味無いって主張してる人の方が真っ当に見える。選挙に行かないと変な奴等を受からせる、と言ってる人がいるけど、ナチスだって民主党だって選挙で選ばれてる訳だから、全くの無意味。
ナチスに関しては、あの当時戦後の大不況にあったドイツを完全に復活させた、と言う意味で、政策的にはものすごい手腕があったんだよ。
そんな状況だったから投票率も高く、しっかり支持された上での政党。経済に関しては完全に成功してた。
途中からヒトラーが勘違いしておかしくなって、選挙自体から実質民主制が保持されないような状態になってあんなことになった。
フリーライド云々言い出したら普通選挙の否定になるんじゃないの?
投票行くだけが社会貢献なんだっていうこと前提にしないと成り立たない話だろ
選挙行かない奴も仕事してたり税金おさめてたりするんだからちょっとくらいサボってもいいだろ
お前はずっと社会のためになる行動だけしろやとか思ってんのかもしれんが
鼓腹撃壌できる世の中になったのも先人のおかげだと思うよ
そもそも間接民主制での秘密選挙してるのが現実なのに意見を言う言わないの話にするのもおかしい
ある候補者に投票したからと言ってその候補の政策全部に賛成してるわけでもないから選挙行くのは意見表明でもなんでもない
秘密投票が憲法で保障されるほど重要なのも無理やり意見言わすことに弊害があるからだよ
条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
今日は1条。
「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。
そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。
今日は2条。
「国会の議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。
「皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう。
今日は3条。
ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
今日は5条。
皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為をさらに委任することはできないということだろうか。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
今日は8条。
財政上も統制を加えるということなんだろう。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある。
1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。
「自民党は59人の候補全員が当選して圧勝し都議会第1党に...」
「第2党となった公明党と合わせて...」
「前回の選挙で都議会第1党となった民主党は...選挙前の43議席から半分以下の15議席に減る大敗となり、都議会第4党に...」
「みんなの党は、...選挙前の1議席を大きく上回る7議席...」
「地域政党の東京・生活者ネットワークは、選挙前より1つ多い3つの議席...」
なぜこの内容を説明する図にしなかったの?と感じたし、
間接民主制だからこそ"選挙前までの議席数"でソートをしても意味がなくて、"選挙後の議席数"でソートした方が意味あるのに。とね。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
http://snowymoon.hateblo.jp/entry/2013/03/10/201924
このエントリーを読んでこの方は法学というものを誤解していると思ったので書いてみました。
以下は理系と文系の違いという点からは少々話がそれるのを念頭において読んでほしいと思います。
彼は法学は演繹法タイプであり、帰納法で行っているからこそ法体系が矛盾だらけなものになっていると主張してます。
これが正しいのかということを考えてみたいと思います。
法律の解釈とは出来上がった法律の条文の意味をさらに具体的に明らかにすることです。
もう少しわかりやすく言うために法律が出来上がってから具体的に事件に適用されるまでを簡単に言うと
①社会において現在あるルールでは解決できない問題・事件が発生する。(これは様々な要因により国民の社会生活に変化が起きることによる)
↓
②このような問題・事件を解決するための基準(すなわち法律)が必要となる。
↓
③国会により新たな解決基準が提案・審議・可決される。(法律の制定。この際に全ての起こり得る事案を想定して条文を作るととても冗長になるから必要な規制範囲を網羅するために一定程度条文は抽象的にならざるを得ない。)
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⑤条文からはこの法律を適用していいかどうかが明らかでない場合がある。(条文が不明確、あるいは事案が複雑でこの条文を適用する場面であるかが不明確であるなどの理由で)
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⑥法律が制定された趣旨から条文の意味を解釈する。(法律が作られた理由・根拠などから抽象的な条文の意味を具体的に明確にする)
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⑦法律を適用するまたは不適用することによって事件を解決する。
以上のようになります。
法学における法律の解釈とは上の流れの④から⑥までのことをいうのです。
ここにおいては個々の事案にそってすでに一般的に定められた法律(理系的にいうと一般法則)をあてはめる作業です。
この一般法則にあてはまるかどうかを法律が作られた趣旨から考えて結論を導くのです。
つまり一般法則から理論を積み上げて条文の不備を補う理論を考え出すのが法学の分野であってこれは間違いなく演繹的な考えかたではないでしょうか。
法学とは彼が言うように演繹的に思考すべきものであり、現にそのように行われているものなのです。
法学が帰納法で行われているというのは彼の思い込みではないでしょうか。
また、彼はルールが我々のわからないように勝手に作られていると主張しています。
確かに法律は星の数ほどあり、それらは全てを把握することは困難な状況です。
おそらく矛盾する点もやまほどあるでしょう。
しかし、現在では解決すべき問題は我々が把握できないほど山ほどあり、これらの解決基準を全て国民全体で議論していては何も決めることは出来ないでしょう。
そのため我々は選挙で国会議員を代表者として送り込むことでそれらの議論を代わりにやってもらってるのです。
すなわち多数決によって代表者を選び、多数決によって代表者が法律の可決を行っているのです。
もちろん現在はインターネットの普及で法案の作成・審議にオープンソースの考え方を用いることも提唱されています。
これが実現すればより民意を反映した法律の作成が可能となるからこれには私も賛成です。
ですがやはり可決の際には代表者による多数決によるのが合理的であるでしょう。
このような多数決のやり方が合理的と言っても多数であれば正しいとは限りません。
代表者といえども間違うことはあるし、時代の進展とともに法律の制定当時とは状況が変わっていることもあります。
その誤りを是正するためのものが裁判所の違憲立法審査権なのです。
最初から憲法に基づいた法律を作ればいいだけといいますが、民主主義において多数決を採用する以上、これは人間が行うことであって誤りがないことなどはありえません。
その民主主義の誤りを是正するために用意された制度が違憲立法審査権なのです。
彼の言っていることは法学が間違っているから生じるのではなく、立法過程に問題があるから生じたものであって、思考法の違いで生じたものではないと考えます。
それを民主党が言ってもいいのか?というのは別途議論が必要だし
そもそも、マニフェストって何、間接民主制ってなに? というのは考えられてしかるべきで
じゃぁ、直接民主制がいいのか?ミクロな投票制度がいいのか?衆愚政治ではないのか?など考えることはいっぱいあると思う。
だけどなんだろう。とりあえず。この年の瀬に説明されても困る。
もうクリスマスも過ぎた。
可及的に年を越せない奴がいる。凍死する奴がいるとかは、それこそ別途なんとかその地域でしてくれ。募金がいるなら、どっかの団体に千円ぐらいならする。
とりあえず、ほんとうに、とりあえず。日本中1億何千人で年を越そう。