はてなキーワード: 手巻き寿司とは
小さな頃に実家で何回か…、そういえば好きな甘海老やいくらも並べてくれていたな…。 今の増田の財布では、まだどちらかひとつしか選べないが。
あやふやな記憶を頼りにあれやこれやと準備をしていたら、手巻き寿司したことないの?と冗談交じりに聞いてきた。
遥か昔だが有る、なぜそう聞くのかと尋ねると 海苔は四つ切だ、そんな大きなサイズの海苔でおにぎりでも作るのかと彼は笑って答えた。
一方増田家では半形で、コンビニおにぎりの手巻き寿司のひとまわり小さい位の円錐タイプだった。今回出したのも半形だ。
手巻き寿司の海苔は 1/4、1/2、どのサイズがベストなのだろうか。一般的なのだろうか。
余談だが、大人になって好きになった具材は マグロのたたきとたくあんを混ぜたやつ。
https://anond.hatelabo.jp/20210502155909
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適当に199N年1月分のブログというより個人家事メモ。ひっこしして1人めを育児してゲームしてそこそこのんびり新妻してたらしいな。下から読んだほうがわかりやすい。今そこから3回(旦那は4回)転居した。
食事の内容がわりあい粗食である点については事情があるので参考にしないほうがいいぞ。
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引越の買い物 収納ボックス 照明器具 台所フィルム 押入の敷物 冷蔵庫 (乾燥機付)洗濯機 カーテン・・。
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1月31日(月)
引越後最初の平日なので、市役所に行ったり駐車場の契約に行ったり銀行に行ったり。旧居の鍵を返したり。カーテンを買いにさまよって結局昨日の店で買ったり、その途中でmが大うんちをしたり。夕食はドーナツ。
1月30日(日)
また旦那の両親が来てくれた。父は旧居から残して置いた冷蔵庫と洗濯機を運び出すため自動車で2往復。母は旧居のお掃除を手伝ってくれた。私はmと新居にのこってとりあえず当座必要なものの在処を確かめた。あと子守。それにしても新居はほんっとーに、むっちゃくちゃ寒い。腰痛に響く。お昼ゴハンを一緒に食べた後お帰り。夕方、カーテンと照明器具を探してさまよう。良いのが無かった。
1月29日(土)引越当日
朝8時から引越屋がくるので6時起き、10時にかぎ引き渡しにでかけ、通帳を詰めてしまったことに気が付く。11時前に積み終わって昼過ぎに運び込み。手すきの連中で餃子を食べ、旦那にサンドイッチを買って帰った。引越屋は照明の取り付けを手伝って3時頃帰ったが、すぐ後に新しく買った冷蔵庫と洗濯機の運び込み。これから開梱をがんばらないと。昼過ぎ実家の両親が来て旧居の掃除と子守を手伝ってくれ、冷蔵庫の中身や浄水器も運んでくれた。新居はむちゃくちゃ寒いので灯油も買ってきてくれたが、カーテンが足り無いのや隣近所がまだ居ないので、いくらファンヒーターを焚いても暖かくならない。バーンアウトは無理だと旦那が言ったとおりだった(でもノンホルマリンでもやっぱり臭い)。風呂はむちゃくちゃ早く沸いた。洗濯機はエラーばっかり出てうごかん。照明が足りない。夕食はおごり。ごちそうさまです。
1月28日(金)
引越前日ということで旦那の母が来て荷物梱包を手伝ってくれた。おそろしいほど早い。夕食までおごってもらった、と思う。私は風呂掃除をちょこっとした以外子守(離乳食をやらないのでご機嫌悪い)。
1月27日(木)
旦那のお休みにはいったけれどなんか何をやっていたか思い出せない。ただ最初働いてくれないと思っていらいらしていたので、本でも詰めたのだと思う。夕食はマイクロウウェーブディナー(要するに昨日買った冷凍食品)だったか?私は早くも1日mを背負って腰痛になった。
1月26日(水)
今日が旦那の引越前最後の出勤日。引越がせまるにもかかわらずmのお散歩ついでにスーパーに行って買い込んでしまった。だって冷凍食品5割引、低脂肪乳1本100円、伊予かん5個200円には勝てない・・。
1月25日(火)
銀行と郵便局に行って市民税を7万円以上も払って帰ってきたら背負っていたmの靴下が片方無くなっていた。またか・・。夕食は昨日の残りを卵綴じにして。
1月24日(月)
じつは今日オレシカをクリアした。割と簡単にクリアできてしまったのは簡単モードだったからである。1030年。 外はとても寒かったがコーヒー牛乳1L98円とか買ってきた。
夕食は牛肉とタマネギの牛丼風、と思ったらたれをすき焼き風にしたらしく、とても甘い。と文句を付けたら豆腐とお麩と春雨を追加してホントにすき焼き風にしてくれた。
1月23日(日)
朝すぐでかけ朝マック。コジマ電気に入り浸り、カタログを持ち帰り検討し、昼デパートに行って授乳と昼食をとってまた戻って、冷蔵庫(450Lクラス)と洗濯機(8kgクラス)を検討。冷蔵庫は、電気を食う富士通と三菱は却下、ナショナルもいまいち、東芝とサンヨーと日立で結局安くて製氷パイプが洗える東芝。洗濯機は超音波霧重力と斜めドラムと静かとイオン水でイオン水にした。たくさん買ったのでカードの限度額を超えた。リサイクルショップに寄って帰って3時、みんなでお昼寝。mがうんちして泣いたので起きた。
夕食はベーコンエッグ、みそ汁、サヤインゲンの炒め物、焼きタラコ。しょっぱくてのど乾いた。テレビ特報200Xで、母性について。マンガン不足に注意、ナッツ、キウイ、玄米を食べよう。 明日は「月下の棋士」やるらしい。人がまた死ぬらしい。麻雀も書いたんだから某カードゲームでも書けという某学生に一票。
1月22日(土)
初詣に行った後、旦那様がビデオを見たりしていたらあっという間にお昼。1時半から再内覧会。今度は旦那がしっかり採寸してくれた。3時半頃実家の両親が来て冷蔵庫を車に積んだ。その後mを子守してもらって荷造りが少々進んだ。5時過ぎに近くの回転寿司に行きおごってもらった、親とはありがたい。気に入ってもらえたみたいでよかった。帰ってからmがくさーいうんちを少々。マッサージが効いたらしいが、うんちするとき泣くのは参った。
冷蔵庫一個無くなっただけでずいぶんすっきりした。この調子でもう一個の冷蔵庫と洗濯機を旦那の実家にあげたらもっとすっきりする予定だ。見積もりしなおしてもらわないと?
旦那は「動物のお医者さん」全12巻読了、mに「なあ、チョビ」などと呼びかけている。飼いたいらしいがmが大きくなるまでだめ。
1月21日(金)
朝から敷き布団一枚を資源回収に出した。強風のなかリサイクルショップに出かけて、マホービンは800円、揚げ物鍋700円、電気鍋2000円で委託。足元見られてるけどまあいいや。一旦帰って新たに食器なども持っていこうとしていたのだがmが寝たので中断。夕ご飯はハムエッグ、納豆。
1月20日(木)
午前中天気が良かったのでリサイクルショップに出かけて敗北。定休日だったよ・・。今日の委託品は大きいマホービン:800円、温度計付き揚げ物鍋:1400円、小さな電気鍋(しゃぶしゃぶ用):3000円。マージン35%も取られるけど明日にはまた売りにゆこう。
夕ご飯は昨日の常夜なべ+牛肉。たぶんしゃぶしゃぶに近い。食後にライチ(7ヶ月前の冷凍もの)。7ヶ月冷凍庫に入れて置いた牛肉は完璧に冷凍庫の臭いになっていた。歯ごたえは良かったんだけどね。 どっちの料理ショーは鶏煮込みうどんと海鮮堅焼きそば、海鮮が豪華だと思ったら鶏の勝ち。あれ?3層麺、そんなにおいしかった? 来週は豚汁となんだろう?豚汁はいつ食べてもおいしいから負けそうだと思うけど・・。
1月19日(水)
今日も寒くなるそうで、出かける気がしない。灯油も使い切り(引越のため)、何一つ暖房のない我が家、しかたないからエアコンでもいれるかな。今日はインフラ(?要するにガス、電気、電話、水道)に引越すると電話した。
夕ご飯は豚肉の常夜なべ。 夕食後のテレビタイムに旦那が「動物のお医者さん」をよんで、たまに吹き出している。はまったな、ふふ。
1月18日(火)
晴れた。暖かくて嬉しい。mもよく寝る。自転車で遠くの銀行や写真の焼き増しや最低限の食料品を買い物しに行った。
夕ご飯は枝豆と豆腐と挽肉の麻婆風(ワカメはなし)。ワカメのみそ汁。
1月17日(月)
暗いと思ったら大雪。チェーン忘れを痛恨の一撃にするこの雪・・。午後晴れてから郵便局と銀行に行った。頭金のためにたくさんお金をはらって通帳が3つほど空になった、と思ったら1個だけ通帳記入を忘れてた分が残った。でもそのお金も家具を買って使い切る予定。結婚したときあまり家具を買わなかったので、ここでばっちり揃えてしまおう。ドラム式洗濯機っていいのかしら?
夕ご飯は干物の焼き魚、若布のみそ汁。冷蔵庫空っぽ計画なのだ。
1月16日(日)
昼ご飯は近所の回転寿司。私は安い巻物を中心にたくさんたべた。そしていよいよ内覧会。まずしょっぱなから駐車場の抽選にはずれた(といっても後で調べたらそんなに最悪ではなかった)。旦那はそのショックで肝心の家の内装などはチェックしていなかったと後で告白。そうね、ただバタバタとドアを開け閉めしてたわね・・。メジャーは持参したけど使わず、ただやっぱモデルルームよりは狭いという印象。私が内装にケチを付けてなおしてもらうようにして、その他いろいろ手続きして、帰って落ち込んで、ぐちをたれまくって(実家にも)、近くのスーパーのお総菜でしょんぼりごはん。
mはそんなことにも気づかずご機嫌。最近はころころ寝返るし、お気に入りのあやし言葉「ぷしゅー」でケケケと笑う。親ばかなのでビデオを持ち出し撮影会。
1月12日~15日
12日:食料を片づけ、りすに餌をやってから迎えに来た父と電車でお出かけ。母は忙しく、夕食はけんちん汁など。電車に乗ったせいか、mが腸重積ではないかと思うほどの夜泣き。「谷村志穂、飛田和緒1DKクッキン」「2DK」「お買い物」
13日:午前中はのんびり。昼は焼き肉宝島のお膳、680円。午後は母が忙しいためお留守番。妹と父とおでんをたべた、おいしかった。「PAPA TOLD ME」「研修医なな子」
14日:金曜日ということでみんなのんびり。昼はステーキ宮、夜は豚バラと高菜の煮込み(大好物)他。
15日:お昼はうどんの民芸。公園で遊んだ。旦那が迎えに来た。だいぶよれよれになっているので帰りは運転してあげたら、さらに疲れたらしい。かえったら不動産屋からおしかりの電話。
気が付いたら、実家からタイヤチェーンを持って帰るのを忘れていた。「動物のお医者さん」はもって帰ったのに・・。ぼけてる。
1月12日(水)
初雪が降った。このあたりはつもりそう。旦那の身内に不幸があり、旦那は自動車で出かけていった。私は実家に帰って旦那の留守を過ごす予定なので、またもや更新が滞りますがよろしく。
1月11日(火)
朝からうんち。離乳食はフレンチトースト(煮たの)、ミカン、みそ汁ご飯。写真の焼き増しが1駒ずれていた。郵便局と銀行を回った。昼過ぎまたうんち、これで3度目。そりゃ1週間近く溜め込んでたんだからと思いつつ心配。熱はあまりないけど・・。添い寝してたくさん昼寝させた。
夕ご飯は豚のソテーウスターソース風味、粉ふきいもとサヤインゲン添え。コーンスープ。おいしかった!
1月10日(月)
朝から書斎の片づけをしている旦那。私はmをお散歩につれていったり。昨日から旦那がホントによく働いている。ので、ちょっとゲーム休憩を挟む。オレシカ、佳境です。
夕ご飯は、カッペリーニ白いソース(タマネギ、サヤインゲン、ハム、チーズ、クリーム)。深夜、泣いて居るのでおむつを見たら久しぶりにうんちをしていた。
1月9日(日)
朝から旦那が掃除している。私もお手伝いして、大きな本棚を片づけた。段ボール7箱+2箱くらい積み上がった。夕ご飯は牛肉とゴボウで柳川風。
1月8日(土)
朝ゴハンを旦那がつくってくれた。豆腐とわかめとネギのみそ汁、目玉焼き。mには、豆腐のみそ汁掛けご飯、目玉焼きの黄味を離乳食。ミカンがデザート。その後、出かけた。まずは初詣(旦那は行ってなかったので)と思ったらむちゃくちゃ混んでて中止、レッドロブスターのサラダランチ。クーポン使って長居してその後お昼寝mをつれてコンピュータ店。アイマックDVを検討。わが家のデジタルビデオカメラはfirewire(IEEE1394)端子がないじゃん・・。変換器とかいるのかな。あと、やっと繋がったDVD-RAMドライブ、OS9との相性は?とかいろいろ調べたくなり、その場でインターネット検索掛けたりして長居。保育園に出かけて2月から契約して1ヶ月分の月極料金を支払い。背水の陣に気分はすっかりおセンチになってデパートへ。mを買い物カートに乗せるとしっかり握るからもう極悪にかわええ~。テレビ売場で名人戦の中継みてBS入れたくなったり。次に安売り店で買い物して上がり。夕食はマクドナルドのテイクアウト。mにはベビーフード。
今日も鼻水は止まらず乾いては鼻くそになって大変。と思っていたらベビーフードの匙にがじがじと異様な手応え、とうとう下の歯が頭を出した!初めての風邪と歯が生える時期が重なるってホントです。 あと、最近「えんむ~」とか「め~、め~」って甘え泣きしておもしろい。「ぶぶぶ」は終わって、「んめ~」で歌ってます。
1月7日(金)
週末が近いので楽しみ。夕食はおでんにとうとうとどめを刺した。旦那は映画「ツイスター」をみて妻の気持ちを逆なで。明日からばんばん働いてもらうことに決まり。
1月6日(木)
タッチおじさんの綿毛布が当たってしまった。びっくり。伊豆の写真をみて気力を回復。
1月5日(水)
実家でmが風邪をもらってきたようで鼻を詰まらせていたが、熱はなく機嫌もいいのでちょっと厚着させてあといつもどおり。昨日は離乳食がろくにできなかったので、ジャガイモのみそ汁に卵を落として。卵の黄身を食べさせると鉄分が補給され血色がよい。
夕食はおでん。ねりもの、大根、牛筋、こんにゃく、白菜巻きソーセージ、餅袋、卵、ジャガイモ。
12月31日(金)~1月4日(火)実家にて
31日:昼ご飯は軽く食べ、年越しに天ぷらそばを食べた。エビ、なす、ピーマンなど揚げたて。mを風呂に入れ早めに寝た。一戸建ては夜寒いが、それほどでもない。2000年対策のため父は夕方から出勤。
1日:父は何事もなく始発で帰宅。mに良い服を着せておせちを食べて(きんとん、くろまめ、かずのこ。ちなみにお雑煮は鰹だし。もちの上に、ぶり、こまつな、ゆりね、ぎんなん、とりにく、するめ、こぶ、だいこん、れんこん、ごぼう、にんじん、かまぼこ等が載っている。)お年玉あげて初詣して実家に年賀状が来て新聞を読んだらあとんのーんびり。mの離乳で遊んだ。ミカンをいくらでもしゃぶる。夕ご飯は到来物のお肉でしゃぶしゃぶ。夕食後に旦那から電話がかかってきた。あちらは大変らしい。
2日:上の妹は電車で初売りに。残りの家族は近くの赤ちゃん用品店や本屋やファミレスでホットケーキとお茶やぐるっと一回りして戻った。mにしゃぶしゃぶの出しで雑炊。豆腐のみそ汁はヒットかも。ごろごろ。早めに風呂に入れてショムニをゆったりとみたぞよ。夕ご飯は手巻き寿司とエビ・カキのフライ。
3日:お散歩に行った。本屋(絵本が充実)とスーパー。苺を片手に握りつぶしながらしゃぶる(といってもどちらかというと握っている手を・・。)mの姿はもうかわいいの一言であった。昼は煮込みうどん(mに卵の黄味をやる)、夕ご飯は豆腐の煮たの他。「MASTER KEATON」「監察医ケイ:業火」
RRD 皮や骨についた身は物理的に刺身に出来ず、貝殻や匙で剥ぎ取ったものがすきみ。剥ぎ取ることを古語で「ねぎ取る」と言ったところからネギトロという。
ところが、その肝心の金太楼鮨では「ねぎ取る」説が採用されていない。
ネギトロ巻きの誕生は、1964年(昭和39年)、浅草に本店がある『金太楼鮨』とされる。三ノ輪店で残った寿司種を手巻き寿司にして賄いで食していたが、鉄火巻きに使用する中落ち・すき身にネギを加えると、マグロの脂っぽさが打ち消された。それを客に提供したところ好評で、常連客を通じて本店にも伝わり、本店のメニューに採用された。
偶然にできた寿司ネタ「ネギトロ」その由来の秘密(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社
ねぎとろ発祥の店と言われているのが、東京浅草に店を構える大正13年創業の金太楼鮨。昭和39年、当時の会長だった間根山貞雄氏が考案したという。その開発の経緯はこうだ。
同店ではまぐろを毎日大量に仕入れていたが、筋の部分は食感が悪く、刺身や寿司に使えず、余っていた。叩いてペースト状にして食べれば、脂がのってトロトロで美味いが、今度は歯応えが皆無。
そこで仕方なく、巻きに使おうとしたところ、昼食用に茹でていたそばかうどんに使うネギやワサビなどの薬味を筋の部分にぶちまけてしまう。やむを得ず、ご飯にのせて醤油をかけて食したところ、これが美味い。そこで、大当たり間違いなしと、店で出すことに決めたという。
思いがけず生まれた新しい寿司ネタ。その命名について、間根山氏はこう語っている。
「浅草には『麦とろ』という名前のとろろ飯を売る店が戦前からあり、専門店としては珍しいので土地では一応知られていた。よし、これだと、麦とろ→ねぎとろと語呂を合わせて決定した」
というわけで、この説明によれば「葱」+「(麦)とろ」である。
例の「チコちゃんに叱られる!」でもこの説が採用されたらしい。
牽強付会な印象も無いではないし、「銀ブラ=銀座でブラジルコーヒー」のように店が積極的にデマを流している可能性もある。
この場合は、昭和39年(1964年)以前に「ねぎとろ」という用例があれば、金太楼鮨の説明は疑わしいということになるはずだ。
が、そう都合よく見つかるはずもない。誰か探してくれ。
追記。
青ジソは香りのよさが好まれてよく使われ、イカのにぎりの場合など、一葉添えられることが多くなった。この青ジソの葉を細く切っていりゴマを加えた、シソ巻ずしを台東区東浅草の金太楼鮨でやっている。また、生ネギとトロとを巻いた「ネギトロ」も、ここの名物である。生ネギをすしに使うなどはなかなか思いつかないことなのだが、このネギとトロというのが相性がいい。
浅草の東、鮨·金太楼本店。(中略)「ねぎトロ」が日に、キロ以上とれて、さばけて行くのですからご立派。ちっと解説させて頂くなら、ねぎトロのトロとは、まぐろをさばいたあと、皮や骨についている肉をこそげ取った身を寄せ集めたものです。(中略)ねぎトロは、いまいったトロにきざんだねぎを混ぜ、ゴマを加えたもの。
信用金庫 29(1) - 国立国会図書館デジタルコレクション
先日、仕事の関係があって、浅草のあるおすし屋さんを訪ねた。そこで、ネギトロというものをたべた。たいへんおいしかったので、ほかであまりきかないけど、おたくだけのものかときいてみた。若いご主人は次のように話してくれた。そうです。実はわたしたちも、すしにネギは禁物だと教わってきたのです。ところが、ネギのとても好きなお客さんがいらして、ネギを巻いてみてくれというご注文なのです、ついでにトロも一緒に入れてくれというので、試しに巻いたのです。ところが、これがなかなかいけるのですね。それで、その後いろいろ工夫してみました。トロをよくたたいてアブラをうかし、スジをとって、それからネギと一緒に巻くのです。これをわたしのところのレパートリーに加えました。ですから、これはお客さんに教えていただいたものといえますね。
というより「生ネギをすしに使うなどはなかなか思いつかない」「すしにネギは禁物だと教わってきた」といった記述からすると、ネギを使うことこそがネギトロのオリジナリティのようである。
週刊文春の記述からは、いわゆる腹部の「トロ」ではなく、現在のように中落ちや皮ぎしの肉を使っていたことがわかる。
「浅草のおすし屋さん」というのはおそらく金太楼鮨のことだろうが、現在説明されているネギトロの誕生経緯とはだいぶ異なっている。
追記終わり。
別の方向から考えてみよう。
RRD氏は「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」と書いている。
ね・ぐ 【労ぐ】
ねぎらう。いたわる。
ね・ぐ 【祈ぐ】
祈る。祈願する。
「ねぐ」は、神社の「禰宜(ねぎ)」や、「労う(ねぎらう)」「願う(ねがう)」といった言葉の語源である。
ちなみにヤマトタケルの伝説で、景行天皇が、息子の大碓命が会食に出てこないことを懸念し、その弟の小碓命(=ヤマトタケル)に「ねぎ教へ覚せ」と命じた、という話がある。
この「ねぎ教へ覚せ」の「ねぎ」は、まさに「ねぎらう・いたわる」で、「(会食に出るよう)優しく教え諭せ」といった意味になる。
ところがヤマトタケルはこの命令を取り違え、兄の手足を引きちぎって殺してしまった。
「手足をねぎ取った」ということだろうか?
このときヤマトタケルがどう取り違えたかというのは「根切る」や「ねじ切る」といった説があるようだが、さすがに「剥ぎ取る」と結びつけることはないようである。
というわけで「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」という説はかなり怪しい。
しかし古語ではなくとも「ねぎ取る」という言葉があった可能性はある。
別の記事では「ねぎ取るは建築用語だ」とする説が紹介されている。
知ってた? “ネギトロ”は葱とマグロのトロの意味じゃない! “ねぎま”も焼き鳥じゃない | ガジェット通信 GetNews
元の語源は建築用語で、地下構造物を作る時、地面より下の土を掘ることを「根切り」と呼んでおり、それが寿司業界にも広まり「ネギトロ」が誕生。
そもそも「根切り葉切り」という言葉もあるように、「根切り」には「根こそぎ」という意味があり、骨から肉をこそぎ落とすようなイメージは分からないでもない。
そもそも「ねぎ取る」で検索しても「ネギトロ」以外の文脈ではほとんど引っかからない。
中間形態としてありそうな「根切り取る」などもやはり引っかからないのである。
こちらは「俺は寿司屋をやって数十年の者だが『ねぎ取る』という言葉は確かにあるぜ」という人が出てきてくれれば確かめられるはずだ。
というわけで、1964年以前の「ねぎとろ」用例や、古くから寿司屋で「ねぎ取る」を使っていたという人が出てこないかぎり、暫定的に「葱」+「トロ」説を採用したい。
仕方がないので家でご飯を食べるのだが、毎日毎日そうそうレシピが続くわけではない。
そんなとき、今日はしゃぶしゃぶでもやろうよ。と妻に提案してみたところ賛成と一言。
手巻き寿司みたいなもので、好きな食材をしゃぶしゃぶして食べれば子どもたちも退屈しないだろう。
そう思って家族を置いて買い物に出る。
外はどこにいても冷房の室外機が目の前にあるみたいな熱風だ。
外出制限どころかこんな日に外出なんてすれば自殺行為そのものだろう。
スーパーにつく。
しゃぶしゃぶのいいところは、下味なしでとにかくしゃぶしゃぶすれば食べられるところだ。
ただし、だしをうまく効かせてやれば旨味は格段に違ってくる。
ただ肉をしゃぶしゃぶするのではなく、まず鍋にトマトと、はじめに魚介をしゃぶしゃぶしてからだと肉がうまくなる。
トマトはヘタを取り、反対側に十字に切れ込みを入れたらまるごと鍋に放り込む。
そうすればある程度熱が入ったところで皮がズルリと向けて、勝手に鍋に溶け込んでいく。
とろけるトマトを楽しむもよし。最後に残してチーズを入れてリゾットして楽しむもよし。
それ以外のサーモンや白身魚、ホタテなんかをしゃぶしゃぶするとうまい。もちろん刺し身のまま食べたければ食べればよい。
こいつらはすぐに火は通らないが、スープを確実にうまくしてくれる。
あとは肉なり野菜なり好きなタイミングで好きなだけしゃぶしゃぶすればよい。
普段は人参を食べない娘も、ピーラーで麺のように薄く切り出した人参しゃぶしゃぶは嬉しそうに食べる。
レタスが高ければもやしにすればよい。もやしはいつでも安定した価格で、野菜不足を補ってくれる。
最後にシメの麺でも雑炊でも好きにしろ。目の前にはすでに激ウマのスープが出来上がっているのだから。
大量に溶け出したダシをすべて回収して今日のしゃぶしゃぶの完成度を噛みしめるのだ。
コンロと鍋一つで汁物、野菜、肉、魚、炭水化物すべてを摂取できるだけでなく食べ物の火の通し方とか入れる順番とか、食育にも役に立つ。
あとは食器と鍋を洗えば妻は食事一回分の家事をまるまる楽できたことになる。
しゃぶしゃぶは間違いなく手抜きで、妻は完全に楽をした。
先日10年経ったが、いくつかの後悔が折に触れて思い出されるためここに書いて供養したいと思う。
家族の形や関係性は多様だと思うので、一個人の感想だと思って読んで欲しい。
先によかったことを書いておくと、母親はホスピスなどに入らず死ぬ前日まで自力で風呂に入り、自分の布団で寝て、そして自宅で息を引き取ったので幸せだったと思う。
自分は家族全員で最期の看取りができて本当に良かったと思っている。
うちは3兄妹の5人家族と雑種の犬が1匹で自分が長男。当時高校生~大学生。スマホはまだ持っていない時代。
自分は闘病期間中に大学生になったこともあり、長期休暇には病院への送迎や入院中の見舞いなど介助をする時間がたくさんとれた。
海を見にドライブに行ったり、浮腫んだ足をオイルでマッサージしたり、手をつないで病院を歩いたり、寝る前に話をしたり、たくさんの時間を過ごせた。
生前母親も見舞いに来た友人らにそのことを話していたらしく、四十九日で来訪した母の友人からそのことを聞いて泣いた。
ここからが本題。
この10年でよく思い出す後悔は2つ。
母親からの最後のメールが「ツナのおにぎり買ってきて」だった。
スーパーでの買い物帰りに母親からのメールを受信し、コンビニに立ち寄った。その日は母親の好きな手巻き寿司のツナがなく、三角おにぎりのツナしかなかったため自分はおにぎりを買って帰らなかった。
帰宅しそのことを告げると残念そうな顔をしたが、柔らかく煮たうどんを作ったら美味しそうに食べていた。
その翌々日、母親は亡くなった。
自分に最後に来たメールが「ツナのおにぎり買ってきて」だったこと、
それを叶えてあげられなかったことがのどに刺さった小骨のように引っ掛かっている。
だから私は今でも墓参りに行くときは手巻き寿司のツナを買っていく。
当時階段を上るにも、介助をしたうえで手すりを使ってゆっくりとしか上れない程になっていた母親に対し、
次の予定があった私はノロノロと車に乗り込む母親につい大きな声を出してしまった。
やっと乗り込んだ母親が椅子に座ることも確認せず、スライドドアを叩きつけるように閉めた。
大した予定でもなかったのに、どうして優しくできなかったんだろう。
乱暴に支えた母親の腰周りの感触、スライドドアの重みがまだ手に沁みついている。
母親が死んだらもっと楽しく美しいことばかり思い出すと思っていた。
しかし実際は、もっと若いころの話を聞いておけばよかったとか、色んな料理を作ってあげればよかったとか、
目的のないドライブに行ったり、犬をなでさせてあげたり、新しい歯ブラシをおろしてあげたりすればよかったとか、
そんな自分を責めるようなことばかりこの10年思ってきた。これじゃ母親もうかばれないだろうと思う。
幸せだったと死んでいった母親に、自分は今こんなに幸せなんだと子を紹介する。
このお盆を節目にしたいと思う。
ビックリするほど眠れないしこんなどうでもいい話をする相手もいないからここに書こうと思う。
長く入院していた祖母は、終末医療を受けていた。1ヶ月前くらいから、病院自体が時節柄部外者立ち入り禁止となってしまった。仕事が忙しく年末に会いに行ったきりで、春先のまとまった休みが取れたところで会いに行こうとしていた僕は、もう外に出られない祖母が誰にも会えずにベッドに寝たきりなことを考えただけで泣きそうだった。
そしてついに亡くなってしまった。知らせを受けてもやっぱり病院には入れず、休憩時間にそっと泣いて、そのまま仕事を続けた。酷い、本当に酷い話だと、それでも何を憎んだら良いか分からず、ただただ天を仰ぐと満開の桜が見えたりして、毎年桜が咲くと祖母のことを思い出すのかなと思うなどして。
共働きの両親に代わって中学を卒業するまでの面倒を見てくれてたのは、同居していた祖母だった。祖父も一緒にいたけど、昔ながらの亭主関白な人で、お茶すら自分で入れない人だったから。将棋とかトランプとかでは遊んでくれたけど、食事や風呂なんかは全部祖母がやってくれていた。
美味しいものが好きな人だった。おやつにスナック菓子が出てくるのは稀で、今日は近所のお煎餅屋さんの甘辛煎餅よ、今日は遠出して〇〇屋の羊羹買ってきたわよ、旬の果物を剥いてあげようね、ラクトアイスじゃなくてアイスクリームを食べなさいって。百貨店のお肉の包みもよく見たし、手巻き寿司をするときは食べきれないほどのネタを用意してくれた。だからといって毎日高カロリー食ではなくて、良いものを美味しく食べさせてくれていた。
学校から帰るとちょうど、リビングテーブルでテレビを見ながら夕飯の仕込みをしているのをよく見た。絹さやの筋を取ったり、茹でたとうもろこしの粒をほぐしたり、生栗の皮を剥いたり、里芋の皮を剥いたり。料理下手な両親に代わり、料理を教えてくれたのも祖母だった。
自然が好きな人だった。何かにつけては花を見に一緒に遠出した。小さい頃だから花に興味なんか全然なくて、なにが楽しいのかさっぱり分からなかったけど、楽しそうにする祖母を見るのは好きだった。
生前好んで食べていた食べ物と、たくさんの花に囲まれて眠る祖母は、やっぱり綺麗な顔をしていて、大好きな僕のばあちゃんは、もう2度とクシャクシャの笑顔は見せてくれなくて、言葉ももう、交わせなくて、分かってたはずなのに、分かっていたはずなのに、死ぬことがどういうことかって、教え方が、痛いよ、ばあちゃん、
納豆巻き。
酢を使った調味料、なかんずくポン酢なら納豆とベストマッチではあるが、素の酢ではいかがなものか。
酢飯は寿司酢、寿司酢は甘酢であり砂糖と酢だ。納豆に砂糖というのは、かつて小森まなみがmamiのRADIかるコミュニケーションで「シュガーナットウ」などと称して広めていたが、これは異端である。ポン酢は認めるが、砂糖はあかん。納豆に砂糖を混ぜたところで溶けるわけがなくシャリシャリした食感になってしまう。小森はそれがおいしいなどと言っていたが、周囲からさえ賛同は得られていなかった。
セブン-イレブンが取り扱う手巻き寿司を見てみると、全6種のうち3種が納豆巻きである。わけが分からない。助六には入れないくせに。
ファミリーマートは手巻き寿司全3種のうち2種が納豆巻きで、ここでも納豆巻き優勢である。
ただ、
この前ジャスミン米というのをブコメかなんかで見て早速1kg買って炊いて食べたんだが、日本のコシヒカリと比べて違いがよく分からない。
つまりおいしいということだ。
いいじゃんこれ。形も食感もコシヒカリみたいだし。
香りが良いと言うがそれはよく分からなかった。まあ普通に米炊いたときの匂い。名前からしてなんかハーブの匂いでもするのかと思ったから拍子抜けした。
タイ米に分類されるらしいけど、悪名高いのはインディカ米らしいね。
「でもタイって土人の国だろ?子供を買いに旅行しにいくクズが行く国だ。」みたいな先入観があったのは否定できない。あと日本米信仰も。あのブクマが無かったら買ってなかったわ。