はてなキーワード: 反抗期とは
発達障害の人間が言いそうなありきたりなことしか言わないけどマジで普通の人間になりたい。
っていうか普通の人間になるために23年間ずっとずっと頑張ってきた。で、24年目にばっきん折れて、そっから学生という名のニートしてる。
ありがちすぎる。馬鹿か。
もう私が発達障害なので幼稚園の時点で分かっていた。教室にいる時間より脱走してウロウロしてる時間の方が長かった。
はい、あるある。教室に1人はいただろ、座ってられないクソガキが。そいつが私だ。勿論親は白い目で見られる。可哀想以外の言葉がない。私だったら絶対ぶん投げてる。
しかし母はぶん投げない。偉すぎる。
母が偉すぎるので私は小学校も特別教室じゃなくて普通学級に通えるぐらいには人間の形にしてもらえた。
忘れ物、もちろん母が10回確認してくる。10回確認されたら8回目ぐらいで何とかなる。それは何とかなったとは言わねえよ。
テスト。勉強だけはできるが、もちろんケアレスミスがヤバい。3回解きなおしてた。なにせ時間だけは死ぬほど余る。
人間関係。ヤバい。何がヤバいか私には分からないが母はものすごい頻度で学校に呼び出されてた。
どうしようもないガキの親、どんなクソ親かと思って呼び出してみたら普通の人間が出てくるから先生も驚いただろうな。
実際私と同程度の問題児の親は、子供にピアス開けたり子供を金髪にしたり学校からの呼び出しバックレたり子供のおもちゃ酔っ払ってドブに捨てたりご飯作らなかったり育児放棄してたり、ヤバいのしかいなかった。
いや、産んで愛して生存させてるだけで100点だと私は思うけどね?世間はそうは言わない。
まあ最初は親に憤っていた担任も、1年終わる頃にはお母さんも苦労されますねまで折れてるのが毎年恒例だった。
そんなどうしようもないガキだった私も、周りの大人のおかげで人間のふりがちょっとずつ上手になって高校を出る頃には……なんて美談はない。
朝起きる、時間を守る、期限を守る、約束を守る。その他色々。死ぬほど苦痛だった。苦痛に耐える力が多少上がっただけだ。ストレスで高校3年間で5回ぐらいしか生理来なかったけど。
生理が止まるまで頑張っても、部屋片づけられないとか起きれないとか時間守れないとかそういうの全部努力不足で片付けられる。そうか、まだ足りないのか。
じゃあもっと頑張るしかない。私が普通じゃないのは努力が足りないからなんだ。
はい、この流れどっかで100回読んだわ。思春期過ぎてメンヘラ堕ちする発達障害。ありがちすぎる。
大学は発達障害の掃き溜めと名高い工学部に進学した。女で工学部なら学校推薦で大手企業に入れるだろうと思った。
逆に、人間性を見るような面接をされてしまうと絶対落ちる自信しかなかったので。
普通のサラリーマンになるにはシステマティックな採用をしてる古いメーカーに肩書で潜り込むしかない。
そこで女が少ないのを利用して手堅い理系男子を捕まえて結婚して大手企業の手厚い育児支援を受けながら働くんだ。
そこまでやればきっと私はどこから見たって普通の人間の型を踏襲してるって言えるはず。
大学では普通の人間になるためにめちゃくちゃ頑張った。オタク趣味も全て封印して告白してきた好きでもないけど普通っぽい男と付き合って、普通っぽい男に惚れたら普通になれると信じて好きになる努力をして、普通に遅刻癖や汚部屋をだらしないと糾弾されまくって、飲み会では美味しくないビールをいつか美味しいと感じるって言葉を信じて毎回飲み干して、たまに吐いて、興味もないファッション誌を購読して、好きでもない流行りの服を着て、好きでもない工学を学んで、好きでもない研究をして、嫌いなことをすればするほど、人間に近づいていく気がして嬉しかった。
ほらまたどっかで100回聞いたような話をする。うるせえ女の愚痴なんてだいたい100回聞いたような話だろ。
で、その夢がそろそろ叶おうという就活の目前で私は突然全てが嫌になり全てをぶん投げたため大学院を留年した。
馬鹿か。ぶん投げるならもっと早い段階でぶん投げておけ。23でやっていいことじゃないぞ反抗期。自分探しなんざ学部1年の夏休みに北海道で済ませておけ馬鹿が。
まあぶん投げたところで、1年までならセーフだろうという浅ましさである。全てを捨てられないところが本当に凡夫のそれだ。そしてまあ1年が経ったわけだ。
もう一回、レールに戻って、毎日普通の人間になるために努力する日々を送るための段取りは整っている。
教務課に、学校推薦を下さいって言うだけで私は普通のサラリーマンになれる。
私が23年間頑張って普通の人間になるために敷いてきたレールに、戻るべきか否か。
ですよね。
40代50代とかもうこれは確実におじさんだなって歳なのにダメージパンティ+テカテカパンティ+ローカットのパンティ
みたいなやんちゃなファッションしてるおじさんなんなんでしょうか
最近の若者は男も女も、綺麗めカジュアルが基本でシンプルなのがカッコいい時代で、コテコテのやんちゃパンティしてるの恥ずかしくないの
やんちゃ系とかパンク系とかって、反抗期の人間がやるものじゃないですか
反ブラジャーがかっこいいとか、先公にもブラジャーにも従いたくないねとか
そういう反ブラジャーであることがカッコいいと思えるのって、社会に支えられる側の子供の思想じゃないですか
いい歳になって、ブラジャーを背負う側になるともう卒業するものじゃないですか
最近の若者は冷めてるというか悟っているというか、もはやそんな反抗期みたいなスタンスをとることを微塵もかっこいいと思ってないじゃないですか
そんな中で、綺麗めカジュアルなトレンチパンティの大学生なんかの横で、ダメージパンティ履くのって恥ずかしくないですか
ゴテゴテ飾りつけて生きるの恥ずかしくないですか
いや、いいんですよ
でも気になるんです
40代50代とかもうこれは確実におじさんだなって歳なのにダメージジーンズ+テカテカジャケット+ローカットのスニーカー
みたいなやんちゃなファッションしてるおじさんなんなんでしょうか
最近の若者は男も女も、綺麗めカジュアルが基本でシンプルなのがカッコいい時代で、コテコテのやんちゃファッションしてるの恥ずかしくないの
やんちゃ系とかパンク系とかって、反抗期の人間がやるものじゃないですか
そういう反社会的であることがカッコいいと思えるのって、社会に支えられる側の子供の思想じゃないですか
いい歳になって、社会を背負う側になるともう卒業するものじゃないですか
最近の若者は冷めてるというか悟っているというか、もはやそんな反抗期みたいなスタンスをとることを微塵もかっこいいと思ってないじゃないですか
そんな中で、綺麗めカジュアルなトレンチコートの大学生なんかの横で、ダメージジーンズ履くのって恥ずかしくないですか
ゴテゴテ飾りつけて生きるの恥ずかしくないですか
いや、いいんですよ
でも気になるんです
※ド自分語りです
分かりやすく言えば「好きになるのに性別なんて関係ない」と思っている、人間だ。
どう繋がんのか、って話だよね。
ある意味情勢が理由になるのかな、とも思うが、匿名でない限り、友達にも、ましてや恋人にも言えないことだから、この匿名で言わせてほしい。
自分にとっては言わないとあまりにも辛いが、誰に言えたことでもないから。
ちょっと引っ張るとあるある言いたい〜みたいな感じになってくるからそろそろ本題に入ろう。
言ってしまえば、今は実家暮らしに近いものだ。というか、母方の実家に暮らしている。祖母と私の二人暮らし。生活に必要な金は、医療費以外は祖母が出してくれるような、そんなぬるい環境だった。とあるところから逃げ帰ってきて今までおおよそ一年間、それにずっと甘えてきた。
私は祖母が大好きで、ここに来た当初は支えていこうとすら思っていた。
しかし結論から言えば、その意思が無くなってしまった。今ではもうどうでもいいとすら思っている。
何故か?
受話器を持ちながらそう言われた。
んで、びっくりした私はこう答える。
朝だよ? 何なら寝起き。返答の判断なんてつかないじゃんと思って聞いてほしい。それにしても不注意だったなとは思うけど。
前提として私自身は女であり、この時には女の子の恋人がいて、それをうっかり言ってしまった。一般人には理解がないから、なるべく言わないようにしていたのに。
それと、前々そういう題材を取り上げている番組とかを観て、そういう時代だよね〜とか言ってた祖母を見て、私もうっかり大丈夫なんだと、無意識に大丈夫だと思っていたのかもしれない。
ただ、それが一番の間違いだった。
それ以降、祖母からその話をされることは無くなったんだが、ある日、受け入れられてると思い、とある話題で、「私にも守りたい人くらいいる〜」みたいなことを言った訳さ。
笑いながら、そう言われた。
頭に重石が乗っかったみたいな感覚、目頭が熱くなっていく。悔しさのせいで。ここまで悔しかったのは一生でこれ以上ないかもしれないってくらい、悔しかった。
うっかりカムみたいなことになってしまった自分が一番悪いかもしれないけど、その時ばかりは普段から直球な物言いしか出来ない祖母に苛立ちを感じてしまった。
けど、その時の私は何故か、一晩だけでどうにかこの気持ちをおさめようとして、次の日からは明るく振舞おうと思ったわけ。で、実際そう振舞ったと。
問題はその次の日から、定期的に電話で出された見合いの話を言われるようになったこと。
それと度々「○○ちゃんなら素敵な人に出会えるよ」って言われるようになったこと。
日々ふざけんな、と思いながら苦笑いで済ませてきたけど、後者は朝ドラのいいシーンが来る度に行われたから、さすがの私も気が狂いそうになった。故に朝ドラがちょっと苦手になった。作品に罪はないんだけどね。
あと覚えてる語録で言えば、ちょっとお高めのアクセサリー買った時に、
「それを買ってくれるような人がきっとできるよ」
とか、
世の中でBLが流行ってると(タイミング悪く)テレビで流れた時に、
こんなん、いくら悪気がないと言えど、言葉の暴力だと思うんですよね。
ここまで言われた私は当たり前に辛くて、もう耐えられないと思った訳よ。
だからつい2,3ヶ月くらい前に、ちゃんとセクシュアリティも含めた、この日記の冒頭みたいな説明をしっかりした訳ですよ。全性愛者であること、(言い方はアレだが)好きでこうなった訳ではないこと。
だから偏見みたいなことは言わないでほしいし、結婚の話ももうやめてほしい、と言った。普段から都合の悪い話を聞かない祖母に、度々「話を聞いて」と声を上げながら、伝えた。
でも、もう、多分1ヶ月くらい経った頃には忘れられたのか、以前と同じ頻度で言われるようになった。
それでいて、私が自主的に、生活費のほぼを支えてくれているからという理由でやっていた家事も、徐々に要望が上がっていき、最近では夜に突然「これ買ってきたから煮てほしい」とか、そんな急なレベルで頼まれるようになった。
ルーティーンに縛られる生活があまりにも嫌な自分の性格のおかげで、その辺の歯車も段々と狂いつつあった。
あとは、在宅で仕事をしているから、密接になりすぎて嫌になった、とか、そんなところもあるのかもしれない。
で、耐えられなくなったのが、年の瀬、大晦日前日。この日もイマイチやる気が起きない上に「唐揚げの下準備を〜」と言われていた日。
ただどうしてもその日に下準備をしたくなくて
「明日の朝とかでも良くね?」
って言ったら、
「唐揚げは一晩つけなきゃダメだから、今日風呂入る前にやらなきゃね」
何か、その一言で急に耐えられなくなった。
今まで色々散々に言われた上、そいつの手伝いどころかほぼをやって、それで風呂の時間までそれに縛られて……?
私は一体、誰の時間を生きているのだろう。
そう思った瞬間にはもう無理で、気がついたらあのクソ寒い夜に、河川敷を歩いていた。風がすごく強かった。
間近で水面を見ながら、ぶっちゃけ波にさらわれてもいいとすら思った。
それから渋々祖母の言う通り、唐揚げの下準備をしていると、母親から折り返しの電話がかかってきた。
もう、わんわん泣いたよな。
母親の前で泣くとか何年ぶりだよってくらい、泣いた。もう20代も半ばに差し掛かるのにぼろっぼろ泣きながら、もう頼まれるのが辛い、無理だ、って訴えた。
当たり前だが、恋人のくだりは伏せた。なんもねーのに結婚だの、素敵な人が〜の話されるのが辛いって話はしたが。
したら母親は、
「辛いなら帰ってくれば?」
この一言で、また泣いた。
だから私は、皆が我慢している中すまない、と思いながら、今年も実家に帰った。
もちろん、混んでいない早朝を狙って、実家へと向かった。大晦日でこのご時世ということもあり、人はほぼ、誰もいなかった。
まあ帰省の話は長くなるから割愛するが、家族が全員食卓に揃った瞬間にも泣きそうになったとだけ……(ひたすらに涙もろい)
で、また祖母宅に帰る時も、うだうだ言っている私に対して母が「あの人は身近にいる人をすぐ使うから、たまには嫌だって言うしかない」「もうある程度諦めるしかない」と助言をいただいた。
でも、それって同居しててほしいっていう母親の気持ちの表れじゃん? いや分かるよ。いくら近くに親族がいると言えど高齢者を一人で住まわせたくない気持ちは。私もそうだったからこの家にいたわけだしね。
けど、誰だったかはもう分からないが、こんな名言を残した人がいた。
「辛い時は、逃げてもいいんだよ」
うん、すまんが、逃げるわ。
ってことで、家に帰ってからすーぐ祖母に「最近よく頭働かないし、その理由は多分頼まれるのしんどいからだと思うので家を出る」と説明。
「私が邪魔なのね」
とか言ってきたが、知らねー。それより私は色々嫌なことされてきてんだ知らねー! と遅れてきた反抗期みたいなことを思いながら部屋に帰った。
そこからの私の行動は早かった。言ったその日のうちに物件を探して、その内見を近い日付で取り付けた。
まだ見れていないが、余程悪くない限り、そこで決めたいと思っている。
と、現状がここまでなんですが、最後に
人間として見下してしまっていて、15年以上マトモに会話していない。
不倫する人間に生きる価値はないと思うし、よくもまぁここまで好き勝手して生きてこられたと思う。
あまりにも父親が人間としてクソみたいな出来なのもあり、ああはなるまいと努力した結果、自分は経営者まで上り詰めたし、今後人生でお金に困ったり、誰かに非難されるような生き方を送ることもないだろう。
嫌いになる理由なんていくらでも上げられるし、多分このまま死んでも無縁仏で処理するだろう。
それでも父親の白髪交じりの髪を見たりすると、残り10年か?20年か?の時間をこのまま嫌悪したまま続けて良いのかどうか、悩んでしまう。
「叱り飛ばす」「とんでもねえクズ野郎だ」という発言から、普段そのように接していたと推測。
『やったことが認められない』
という状況が続くことだ。
話を聞いてくれない。認められない。テストでいい点取っても褒められない。スポーツで活躍しても○○の子だからねと言われる。もしくは他の人のお陰だと言われる。いい点取ったら欲しいもの買ってくれると言ったのに買ってくれない。約束が違うと怒っても相手にされない。正当な説明を求めても「親だから」という理由で説明してもらえない。または「いいから言うことを聞け」と言われる。先生が理不尽だ。友だちが理不尽だ。人からバカにされる。むしろ親が率先してバカにしてくる。軽い気持ちで嫌なことをされるが、嫌だと言ってもやめてくれない。逆に自分は何をしても怒られる。認められない。話を聞いてもらえない。
中学から思っていた、ということは、自我が特に発達する成長期にその手の仕打ちを多く受けたことを示す。反抗期に相当な反抗があったのではないかと思うが、そういうのを「叱り飛ばす」とか「とんでもねえクズ野郎」発言とかで上から抑え付けてたことが容易に想像できる。
おめでとう、増田の教育の賜物で、無事心が折れ、「生きてる意味が分からない」状態になったよ。心が折れているのに、それでも大学まで進んだのは偉いことだ。
改めるのであれば、増田がまずDV改善のためのカウンセリングとか受けないとね。ただ20年培ってきた「子を蔑ろにする」という価値観を改めるのはそう簡単なことでもないと思うので、ご飯あげるマシーンとして日々己の過ちと向き合うのがいいかと。
反抗期はなかったんか?
妻へ
驚くべきことが起きました!
12月27日、日曜に横浜アリーナでライブがあり娘は本当は友達と行くつもりだったそうですが
友達がどうしても行けなくなったので代わりに僕を誘ったとのこと。でもまだ本決まりではありません。
月末の金曜までに誰か他の人が見つかればそっちと行くそうです。
僕は平静を装って「どちらでもかまわないよ、それじゃあ一応日曜は空けておくよ」と言いました。
しかし内心は冷静なはずがありません。
そんなことは一生無いと思ってました。
娘が小5の時に君が死んでしばらくは父娘で仲良くやってたつもりでしたが
二人ではどうにもならなかった。
カラ元気は余計に空しくなるので気付けば、僕は無口になっていました。
派手に暴れたりはしません。
とにかく僕と一秒でも口を聞くのが嫌みたいでした。
同じ家にいながら娘は僕を見えないものとして扱い、僕もいつのまにかそれに慣れていました。
娘は僕に対して静かに怒っているようで、それはもしかしたら君が死んで数年後に僕に新しい恋人が出来たことが原因かもしれません。
その恋人とは別れましたが結局娘と会うことはなかった。
娘はもう高二です。
以前に比べれば僕らの関係はずいぶんましになりました。
少なくとも家の中で挨拶ぐらいは交わすし、時々バイト先のレストランからお酒を貰ってきて僕にくれたりします。
ごくたまに一緒にテレビを眺める時間があり同じタイミングで笑ったりもします。
しかし!それにしても!
まだ実感がわかずフワフワしています。
浮かれているわけではないですがどうにも顔がにやけ仕事になりません。
それで僕は得意先にアポを取りに行くふりをして、外出して仕事をさぼり喫茶店に入りこうして驚きを綴っているのです。
それは当然です。
僕は独身時代まだそのアーティストがバンドだった頃ライブを見たことがあります。
大昔の話です。その時に誘ってくれたのが君でした。
素晴らしいライブだった。
そういえば娘にもそれを自慢した事がありました。
妻へ
天国で暖かく見守っててください。
本当に「発覚」で使い方はあっている。
子どものころ、親からあらゆる虐待を受けてきた。殴られて首の骨がずれたことや包丁を向けられたこともあるし、おぞましい体験もある。テストの点数を見せて平均点以下だったらぶん殴られる生活だった。交友関係の自由はなく、男子から電話がきただけで2時間正座で説教だった。
父と母、双方のクワイエット不倫の結果、母は最終的に焼身自殺を選び、父や周りからは「親が自殺した人間の娘など貰い手もない」「鬼畜生の娘だ」「お父様に一生孝行して尽くして、結婚するとしたらお父様が連れてきた人でないといけないよ」とかさんざん言われた。
そんななかで出会った現在の夫は、私にとってまさに「白馬の王子様」だった。
修羅の国みたいな環境に包まれていたが、私は恐ろしくまじめで、男性と付き合ったこともなかった。18と22で出会って、23と27で結婚。育ちよく人柄よく文武両道で努力家で大学院卒業の夫と私では、とても釣り合いがとれていなかったと思う。
でも、菩薩様と仏様みたいな義両親は、過去をつまびらかにした私に対して、「よく生きていてくれたね」と言ってくれて、それからの15年、本当に掛け値なしに、私はとても幸せだった。
そしてその15年のなかで、私は自分の会社を立ち上げ、そこそこにした。夫と義両親が、私に対して「正しい自己肯定感」を与えてくれたから可能だったのだと思う。
私は妊娠が怖かった。
私の家庭はいつも怒鳴り声と暴力と理不尽さに包まれていたし、お前なんか生まなければよかった死んでくれこんな子は私の子じゃないという言葉は私にとってありふれたもので、だから子供=邪魔物という認識しかなかった。ない。
だから結婚するときも、「私は一生涯子どもを作らないと思う、それでもいいか」と聞いた。
夫は「それでもいい、ただ考え方が変わったらいいね」と言っていた。私もそう思った。考え方が変わって、多くの人みたいに「子どもを欲しい」と思えたのならば、それはきっと幸せなことだっただろうから。
それから15年、本当に夫は私によく添ってくれた。ご両親からは「ま~子ども生むなら早い方が楽だけど(これは本当にそうだろうから、嫌でもなんでもない)、いなければいないでそれは貴方たちの選択だからね」と言われていたし、せっつかれたのは本当にたった1度だけだ。そのときも、私の伝え方が悪くて誤解が生じたがゆえのこと。
私は38歳になり、心境が少しずつ変わっていった。「絶対に欲しくない」は「欲しくない」に変わり、「欲しくはないけど、いてもいいかもしれない」に変わった。
なので、夫と話し合って、妊活だけ始めた。いなければいなくていい、いたらいたで楽しいかもしれないと。
妊活の最中で、自分の気持ちが、「欲しくはないけど、いてもいいかもしれない」から「欲しい」に変わるかもという期待もあった。
年齢制限と、よく私のことを知る周りからの「いなくても君たちは幸せだろうけど、少しでも『いてもいいかも』と思う気持ちがあるのなら、妊活してみたらいいんじゃない? やらない後悔よりもやってからの後悔の方がマシだと思う」という後押しもあって。
積極的な不妊治療はしなかったけれど、双方の同時検査で「私は問題なし、夫は加齢によるもので合格ラインよりも10パーセント下程度」となった。あとはタイミング療法だけでとりあえずいきましょう、と。
まさかその2か月後に、子どもができるなんて思いもしなかった。
私の夫は、菩薩様と仏様の間の子どもだけあって、非常に人間ができている。私の体調不良にも、精神の不安定さにも、彼はどこまでも寄り添ってくれるだろう。
今だって、家事の7割を担ってくれているのは夫だし、ハウスキーパーを提案してくれたのも夫である。
育児も絶対にやってくれるし、育児休暇も取得するし、フットワークもすさまじく軽いし、20年付き合ってきて一度も彼の誠実さを疑ったこともない。
ダブルインカムだけあって、まぁ世帯年収がだいたい1500万円くらいで生活に不安はない。快適な家があり、心優しい義両親(そのうえ義母は医師なので医療的知識もある)もいる。実親はひどいもんだけど。
基本的には仕事の調整は自分でつけられるし、病院に行くために仕事を休む……という経験をしたこともなかった。
この年齢で、妊活2か月で、しかもほぼ自然妊娠に近い形で妊娠できるのは、奇跡ともいえるんだろう。
私は実はソムリエである。そしてソムリエになるくらいだからわかって頂けると思うのだけど、酒好きである。妊娠発覚前日も、「まぁ妊娠したら飲めなくなるしな!」と思いながら、仕事でワインを1本分程度飲んでしまった。
そして私は、生魚も好きだし、チーズも好きだし、チョコレートも好きだし、コーヒーも好きだし、つまり妊婦にとって「悪い」と言われるものが全部すきだ。
こういうことを言うと、ぶったたかれるであろうことはわかっている。いろいろ調べてみても、「出来ない悩み」や「うっかり飲んでしまったこと」に悩む人は多くても、私のようなクソみたいな悩みを抱えている人は多分いない。
私が一人だけで立ち上げた会社は、私自身がメインのソムリエであるため、私がいなくなれば掛け値なしに間違いなくつぶれる。というか、開店休業状態になる。
肥溜めみたいなところから這い上がってきた私が、私自身の力で立ち上げた、私が大好きな会社は、おそらくここでついえることになる。
私が好きだったお酒も、私が好きだった釣れたての刺身も、私の研修でもあった年に3回の渡航も(もっともこれはコロナがあるからどっちにしろ無理だけど)、私の大好きだった夜更かしも。
夫は非常に優しいけれど、子どもを切望していた夫の生活には少なくとも大きな変化はない。
だけど私は、仕事ができなくなるし、好きなものも食べられなくなるし、体調不良も抱えて生きていくことになるし、そのうち店にも出られなくなるだろう。
私は家の近くに会社を建てたため、保育園や幼稚園に預けたとしても、熱が出れば迎えに行くのは私だ。夫はたしかに協力的だけど、夫の会社から家までは2時間かかるので物理的に絶対に無理。
私は我儘だし、子どもだし、身勝手だ。完全な覚悟ができて妊活を始めたわけではなかったし、生理がくれば安堵もしていた。今だって、どこかで「間違いであったらいい」と思っている。
私がまだ20代の前半くらいならば迷いも当然のものと受け入れられようが、アラフォーになって、しかも妊活をしてでさえこのありさまだ。だれも同じ悩みなんかない。あるはずがない。もしあったのならだれか本当に教えてほしい。
酒のみで、自身のキャリアを構築していて、でも妊娠をすれば物理的にその仕事を続けていくのは不可能で、という人に教えてほしい。
その悩みはどうやって克服したのかと。私の悩みは「私」自身の考え方に終始してしまっているけど、みんなすぐに「良いお母さんになろう」って思えるの? 楽しかったこととか全部封じても?
もしも子どもに障害があったら? 子どもが自殺してしまったら? 子どもが犯罪者になったら? 子どもが殺されてしまったら? そんなこと、だれも考えないの? 私は周りで、横に書いたこと全部が起きたのだけど。
「ずっとだれかがいる生活」「自分の楽しいことをキャリアを諦めて生んだ、それでも反抗期がやってくる子ども」を、だれも怖いとは思わないものなの?
自分だけが努力してできることではないことが、生活のなかに入ってくることが、ただ怖い。もともと変化に極端に弱いから。こんな風に、自分のことしか考えない私は、多分母親になる資格などない。
分かっている。覚悟がなかったのならば、選択をしなければよかっただけ。過去のことは、考え方のベースにはなっているけれど言い訳にはならない。アラフォーなんだし。
すべての結果は、すべて私自身の選択だけによるものだ。だからこれは、たぶん、匿名でしか言えないような、「妊娠が発覚した」ときの話。
よく思うことなんだが、外ではとても言いづらいことなのでここに書かしてもらう。
自分は「もし自分が明日死んだら」ということをよく考える。誤解されないために明記するが、これは自殺したいと思っているということではない。自分の余命が決まっているというわけでもない。自分はありがたいことに安定して(多くはないが、生きていくことはできる)お金が手に入る状況にあるし、友人にも恵まれており、趣味等もある。体もまだ20代前半で特に大病を患っているわけでもない。かなり恵まれている状況にあるということは自覚している。
だが、こういう状況にあっても、明日死ぬ確率というのは決してゼロではない。交通事故、なんらかしらの社会とのトラブル(事件に巻き込まれるなど)、突然の体の異常の発生(心臓発作等)、最近だとコロナもある。もちろん、小さい確率ではあるが、無視できるものではないだろう。明日ではなく1年後になれば、人間関係のトラブルからの鬱の発生→自殺願望の発生といったルートや生死にかかわる病気を患うといった、もっといろいろな要因が存在する。1年後、今と同じように心身ともに健康にいられる確率というのは決して100パーセントではないだろう。死というのは、たとえ恵まれた自分であっても決して遠い状況ではないのだ。
こういう考えを持つようになったのはなにも最近のことではなく、小学6年生のころからであり、23歳になった今になるまでずっとこのことを意識している。小学6年生のころに一時的に親との関係がうまくいかなくなり(今思い返せば反抗期の始まりのような些細なことであったが、当時の自分にとっては世界を揺るがすような重大ごとであった)、自殺を考えたことがある。実行はしなかったし、「自分が死ねばみんな困るだろう」という小学生らしい浅慮な考えだったが、幼いながらに死に方に思いを巡らせた経験はかなり強烈であり、それからも事あるたびに、死は近くにあることを思い返すようになった。
最初はこういった考えが悪い方向に働くこともあったが(どうせいつかは死ぬんだといろいろ投げやりになった時期になったこともあった)、高校を卒業したあたりからは「いつ死んでも後悔しないような生き方をしよう」というように考えるようになった。これは、色々なことに対して「プロセス」を重要視するようになるという変化を自分にもたらした。例えば、何か目標がありそのために努力をしなければいけないとする。すると、それまではその目標を達成するために努力をしようという考えだったのが、努力する過程も楽しもうという考えになった。そうすれば、目標を達成する前に死んでしまったとしても後悔しないからだ。これは極端な例だが、なんらかしらの結果を出すために何かを我慢するのではなくそのプロセスを楽しむ、あるいは選択をするときにプロセスが楽しそうなほうにする、という風に考えることができるようになった。
他にも、人との出会いを一期一会と思って大事にすることができるようになったり、なにより「今日一日は楽しかったか?」ということを意識しながら生きることができるようになった。これは後ろ向きな考えをしがちだった昔の自分からするとずいぶんとよい傾向だと思っている。
(ちなみに、今死ぬなら誰にどういう遺言を残したいか、といったことも考えたりする。そうすると自分が本当にお世話になっている人はだれか、とかやり残したことは何か、みたいなものが見えてくるのでよい時間だと思っている。もちろん、本当に自分が遺言を書かなきゃいけない場面になった時にこういう考えができるかといわれたらそんなことはなさそうだし、おままごとの域を出ないとは思う。)
まあこういう感じで、死にたくはないが、明日死ぬことになっても後悔したくない、ということを念頭に置いて生きているんだが、こういう話をする(もちろん、本当に親しい友人にしかしないが)と「やめてよ、そんな話」とか言われたりすごく傷ついた顔をされる。本当にやめてほしいと頼まれる場合がほとんどだ。もちろん、自分のことを必要な存在だと思ってもらえること自体はありがたいことである。だが、「もし死んだら」みたいな話をそこまでタブー視しなくてもよいのではないか、という気持ちになる。「今本当に死にかけてる人とかに失礼じゃん」みたいなことを言われたりするが、その発言こそ「自分はまだ死ぬ側じゃない」という傲慢さを自分は感じてしまう。○○歳まで生きてあれとかこれとかやりたいみたいな話をしておいて、それよりも早く死んでしまい、「もっとやりたいことやっておけばよかった」となるよりはよっぽど良い気がするのだが、「それはそうだけど死ぬなんて言わないでよ」みたいに言われてしまう。
先ほども述べたように、死はいつだって割と近くにいると思ってるしそんな状況でも死なんてどっか他人事みたいな扱いをするよりは、もう少し気楽に話せてもいいのになあといつも思っている。
ここまで書いて思いついたのだけれど、こういう話を笑い話としてできるフォーマットが「明日地球に巨大隕石が落ちてきたら」なのかもしれない
「荒れてる学校」だと「荒れた地域の住人=自分」だけど、「動物園」なら「一部の特殊で異常な奴=動物のおかげで迷惑被ったマトモな俺=人間」と思いたいんだろ。
大半の奴が公立に行くんだから、そりゃ荒れた学校もあるだろうけど、ほとんどは普通(というか通学区域の民度に比例)だし、こういう人が羨望の目で見る私立も割とドロドロしていて、有力者や太客の家の子は何やってもお咎め無しとか、家の資産で値踏みされるとか遊びに行くのも金次第とかいろいろあるよ。
中高一貫の男子校行った奴は口を揃えて「最低最悪の6年間」と言うしな。
そもそも中学生くらいの年齢は反抗期真っ只中で、大体のやつがなんやかんやこじらせていて厄介なんだよ。
隣の芝生が青いだけだと思うぞ。
ちな一般職産 これからやりたいことがある パソコンに強い 怒鳴らない
ちな国公立大産 割れ窓理論とか言って他クラスで授業するとき掃除しだす(生徒が回答記入してるとき) 教科書の単元もまあそうだけど学校の外で使えることを学んでほしいって言う
ゴミみたいな学校に普通の人がいてよかった~ちゃんと授業うけよ~ていうか自分もこういう大人になろ 趣味と先の人生の希望と自分の考えがあって人間はサイコーになるしらんけど
ずっと教師しててほしい でも逃げても欲しい 週5以上で早朝から夜遅くまで反抗期のガキと接してたら誰でも頭おかしくなるから
ちな一般職産 これからやりたいことがある パソコンに強い 怒鳴らない
ちな国公立大産 割れ窓理論とか言って他クラスで授業するとき掃除しだす(生徒が回答記入してるとき) 教科書の単元もまあそうだけど学校の外で使えることを学んでほしいって言う
ゴミみたいな学校に普通の人がいてよかった~ちゃんと授業うけよ~ていうか自分もこういう大人になろ 趣味と先の人生の希望と自分の考えがあって人間はサイコーになるしらんけど
ずっと教師しててほしい でも逃げても欲しい 週5以上で早朝から夜遅くまで反抗期のガキと接してたら誰でも頭おかしくなるから
「なんで高3で進路決まってんのに学校行かなきゃだめなの」
母親に聞いてみた
悲しかった。
学校は行くものだから行く。卒業できる範囲で休む脳くらいある。帰ってきて家の手伝いして自分の趣味やったら睡眠時間は6時間 足りない 思春期のガキの睡眠時間が短くていいわけない。学生は学校の勉強と学校でやるスポーツか音楽か絵かしかやるなというのか。
睡眠不足や時間のムダというデメリットを受け入れて学校で勉強するメリットの説明を受けたことがない。説明してほしい。大人になったら懐かしくなる。今は反抗期だからなどは論外。ガキだと思って適当なことを言うな。今嫌だと思ったら今後も絶対に嫌だ。過去に嫌だと思ったことを美談にしてはいけない。その時の自分に失礼だから。嫌だったけど良かったなあではない。他にいい方法があったはずだし今嫌なことも他にいい方法があるはずだからそれを考えろ。学生の時はそんなんでいいのよなど言って時間を浪費してはいけない。
先生上司の言うことは聞く。偉いから。何をもって偉いとするのか考えたこともないけど。
会社も行くものだから行く。ブラック企業っぽいけど選考に時間かけてくれたし少ないけど給料もらってるから。
大麻も医療用であっても使ってはいけない。大麻は薬物と同じでダメ、ゼッタイと警察や学校、テレビに言われたから。具体的なデータは見たことないけど。
刺青も入れてはいけない。あんなのは反社会的勢力と言っているようなものだから。実際の反社や墨入れてる人と話したことも迷惑をかけられたことも全員が反社かそれか反社が全員刺青入れてるか確かめたこともないけど。
学生は化粧をしない方が学生らしくて好ましい。学生らしい学生というのは昔から決まっていて具体的な根拠はないけど。
整形やピアスは親から貰った体を傷つけることだから絶対にしない。子供は親に産めと頼んでいないけど。
ていうか精子や卵子に決定権ましてや感情があるものか。子供は一人の人間。人間は誰の支配下にも置かれないし外から意見を変えようとするなら正当な理由や根拠を示して本人がその上で考えてから本人が決定する。自分の頭で一度考える。それが理想である。
誰が人をこんな風にしてしまったのか。毎日悲しい。自分は偏差値50と少し上の学校に通っている。5教科と違うことを専攻しているので偏差値の低さについては触れないでいただきたい。実際学校の生徒は人の話を聞けない 授業中平気で後ろを向いたり友達と話してしまう これいつ締め切りだっけ、覚えておけない 記録しておけない これどうやるんだっけ、自分で調べられない 説明を聞いていないからわからない 18年間生きてきてこの様の人間があと何万人もこの世に居て、もう5か月後か2年後、4年後には社会に出ていく。残り少ない年数でこれが改善されるとはとても思えない。親は40代前半 インターネットで物を調べることができない 話に主語がない 朝食は菓子パン 毎日お弁当を作ってこれてありがとう。
「なんで高3で進路決まってんのに学校行かなきゃだめなの」
母親に聞いてみた
悲しかった。
学校は行くものだから行く。卒業できる範囲で休む脳くらいある。帰ってきて家の手伝いして自分の趣味やったら睡眠時間は6時間 足りない 思春期のガキの睡眠時間が短くていいわけない。学生は学校の勉強と学校でやるスポーツか音楽か絵かしかやるなというのか。
睡眠不足や時間のムダというデメリットを受け入れて学校で勉強するメリットの説明を受けたことがない。説明してほしい。大人になったら懐かしくなる。今は反抗期だからなどは論外。ガキだと思って適当なことを言うな。今嫌だと思ったら今後も絶対に嫌だ。過去に嫌だと思ったことを美談にしてはいけない。その時の自分に失礼だから。嫌だったけど良かったなあではない。他にいい方法があったはずだし今嫌なことも他にいい方法があるはずだからそれを考えろ。学生の時はそんなんでいいのよなど言って時間を浪費してはいけない。
先生上司の言うことは聞く。偉いから。何をもって偉いとするのか考えたこともないけど。
会社も行くものだから行く。ブラック企業っぽいけど選考に時間かけてくれたし少ないけど給料もらってるから。
大麻も医療用であっても使ってはいけない。大麻は薬物と同じでダメ、ゼッタイと警察や学校、テレビに言われたから。具体的なデータは見たことないけど。
刺青も入れてはいけない。あんなのは反社会的勢力と言っているようなものだから。実際の反社や墨入れてる人と話したことも迷惑をかけられたことも全員が反社かそれか反社が全員刺青入れてるか確かめたこともないけど。
学生は化粧をしない方が学生らしくて好ましい。学生らしい学生というのは昔から決まっていて具体的な根拠はないけど。
整形やピアスは親から貰った体を傷つけることだから絶対にしない。子供は親に産めと頼んでいないけど。
ていうか精子や卵子に決定権ましてや感情があるものか。子供は一人の人間。人間は誰の支配下にも置かれないし外から意見を変えようとするなら正当な理由や根拠を示して本人がその上で考えてから本人が決定する。自分の頭で一度考える。それが理想である。
誰が人をこんな風にしてしまったのか。毎日悲しい。自分は偏差値50と少し上の学校に通っている。5教科と違うことを専攻しているので偏差値の低さについては触れないでいただきたい。実際学校の生徒は人の話を聞けない 授業中平気で後ろを向いたり友達と話してしまう これいつ締め切りだっけ、覚えておけない 記録しておけない これどうやるんだっけ、自分で調べられない 説明を聞いていないからわからない 18年間生きてきてこの様の人間があと何万人もこの世に居て、もう5か月後か2年後、4年後には社会に出ていく。残り少ない年数でこれが改善されるとはとても思えない。親は40代前半 インターネットで物を調べることができない 話に主語がない 朝食は菓子パン 毎日お弁当を作ってこれてありがとう。