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ここ半年くらいで「日本衰退!うおおおお!シェーシェーーーーwww」
みたいな書き込みを見ることが増えたが、自国の危機の目をそらそうとしてるのか
理解した
人口世界一から陥落予測の中国、成長鈍化に危機感…米専門家「衰退前に台湾侵攻の危険性」
2022/07/18 09:22
【北京=田川理恵、ニューデリー=浅野友美】国連の人口予測で、インドが2023年にも中国を抜き、人口で世界一になる見通しとなった。19年発表の前回予測では、逆転は27年頃としていたが、4年早まった。インドが世界経済の先導役になると期待される一方、中国は人口減少が国力衰退に直結しかねない。
17日、北京で、子どもを連れて公園を訪れた人たち。中国は近く人口減少に転じるとの予測もある=片岡航希撮影
国連の発表によると、今年1月時点の人口は中国が14億2600万人、インドが14億1200万人。
中国は、36年続けた一人っ子政策の副作用で、少子高齢化に歯止めがかからない。21年は、人口に占める65歳以上の割合が14・2%と過去最大となる一方、総人口は前年比48万人増にとどまった。子育て費用の高止まりに加え、新型コロナウイルスの流行で結婚や出産を控える心理が働いたとみられ、専門家からは「22年の人口増はゼロになる」との悲観論が出ている。
生産や消費を支える若い世代が減れば、経済成長の鈍化は避けられない。高齢化が進めば、年金など社会保障費の増大が財政を圧迫する。21年の社会保障費は約69兆円と、この10年で2・7倍に膨れあがった。
中国共産党機関紙傘下「環球時報」の 胡錫進 前編集長は12日、SNSで、貧困率や労働意欲などを比べると「インドの実際の労働力は中国よりはるかに少ない」と指摘し、人口で逆転されても「世界の工場」の立場が取って代わられることはないと主張した。
一方、国力の衰退が、軍事行動を引き起こしかねないと警告する専門家もいる。
米中関係に詳しい米タフツ大のマイケル・ベックリー准教授は、「新興勢力が衰退し始めると、『力があるうちに取れるものは取っておこう』という心理から、より攻撃的になる傾向がある」と指摘する。
特に、今年後半の共産党大会で異例の3期目政権を発足させることが確実な 習近平 国家主席は、台湾統一が悲願とされる。ベックリー氏は、「中国が、本格的な衰退に陥る前の20年代を『最後のチャンス』ととらえ、台湾侵攻に踏み切る危険性がある」とみる。
事実カルトで救われたやつはもう依存しちゃうからね。カルトも救いは与えるけど、救われて去っていったらもう儲からないからと、依存させて金を出し続けるように仕向ける。
だから、カルトで救われる前に公的な別の救いの道を作らないとならない。何よりも良質な就職先が必要。
職業訓練給付と、職業訓練給付の名前で外に出させて、メンタルサポートをしていくこと。好景気と軽い労働力不足を続けて良質な就職先を作り、ブラック企業は人手不足で倒産させる事が必要だと思う。
MMTのJGP(職業保証プログラム)として、職業訓練給付を幅広く、家族の所得関係なしに、何度でも受け入れるようにして、さらにメンタルサポートも加えて無敵の人となる前に、メンタル回復とちょっとましな就職につながるようにしてやってほしい。
それから、職業訓練給付付属のメンタルサポートで、カルトに取り込まれる人が減ってほしい。
カルトは一応救いを与えるんだよ。だけど、救われてカルトから去っていったら儲からないから、回復しそうなところで依存させるような脅しをさせたり金を出させたりするの。
あーあ。
俺はさ、ゆるキャンが大好きなんだわ。アニメ化する前から追いかけてきて。ゆるキャンのためだけに芳文社のマンガしか読めないアプリに月数百円払って。お前らの誰よりもゆるキャンが好きなんだわ。でも今回の映画はマジで最悪だった。
ぶっちゃけさ、映画をやるって聞いたときは嬉しかったけど、「映画は大人になったなでしこ達を描きます」って発表があったときはモヤっとしたよね。お前らもそうだろ?
でも考え直した結果さ、すばらしい出来のアニメを作ったスタッフなんだから良いものを作るはずだろう、って思うようになったのよ。
大人になったなでしこ達なんて見たくないけど、このスタッフなら大丈夫だろうと思った。
原作を差し置いて大人になったなでしこ達登場させてでも描きたいものがあるんだろうなって思った。それはさぞ素晴らしいものなんだろうって思った。
でもダメだったわ。有給を取ってワクワクしながら上映初日に見に行ったけどクソつまらなかった。
なでしこ達が大人になってるからキレてるんじゃない。単純に1本の映画としてクソつまらなかった。ゆるキャンだからどうという話ではなく1本の映画としてダメだった。
ここから先はネタバレだから注意してくれ。正直俺はゆるキャンが大好きだから、お前らみたいなゆるキャンが大して好きでもなんでも無いカスどもに俺の怒りを消費されるのは我慢ならないんだが、それでも否定的な感想を書かずにはいられなかったわ。
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致命的なのがキャンプ場のテーマの「再生」。これがまったくダメだった。
初めに「再生」をコンセプトにすると言い出した理由って、古いドラム缶を撤去するのに金かかりそうだからとか、鳥かごがなんとなく素敵だからとか、その程度の理由じゃん。浅すぎる。鳥かごはコンセプトとか関係なく普通に残して、ドラム缶は県から予算引っ張ってきて撤去しろよ。
なんとなくコンセプトが必要な気がしたから「再生」に決めただけで、再生をコンセプトにする動機が何も無い。
「ドラム缶を撤去するのが金かかりそうだから」って理由も悲しすぎる。なんて貧乏なんだ。大垣さあ、県主導のプロジェクトならそのくらいの予算は引っ張ってこいよ。お前にはそのくらいお茶の子さいさいだろ?
百歩譲って労働力をボランティアに頼っていることにやりがい搾取っぽさを感じるのはいいとしても、ドラム缶くらい税金で撤去しろよ。錆びたドラム缶をそのまま残して誰が喜ぶんだ?ドラム缶じゃなくて例えばナショナルの看板やブリキの人形ならレトロで風情があっていいねとなるかもしれないが、朽ちたドラム缶が置いてあっても誰も良い気持ちにはなンないんだわ。貧乏で寂しくて悲しい話だ。
せめてさ。せめて「私はリンちゃんからキャンプの楽しさを教えてもらった。その私が下の世代にキャンプの楽しさを教える。これって"再生"だよね。だから再生ってすばらしいんだ。ボロいだけにしか見えない朽ちたドラム缶にも中古の遊具にも誰かの思いが詰まっているから私は大好きで、リンちゃんがやってくれたように、私はドラム缶も遊具も全部再生したいんだ」って展開にできなかったの?
こういうセリフがあれば納得感が出るんだけど、無いよね。無いから「ドラム缶邪魔!せや、再生ってことにして撤去費用浮かそ!」ってやってるようにしか見えねンだわ。
縄文時代の遺跡を「再生」するのもおもんなかった。それ土器が出ちゃってキャンプ場を作れない流れになっちゃったから、しょうがなく、妥協案として、本当は縄文なんてあってもなくてもどっちでもいいけどしかたなくキャンプ場のコンセプトに入れたんでしょ?大垣たち自身が縄文文化に興味を持っているわけではないし(リンだけは後々興味を持つけど)、アニメスタッフも縄文文化に一切の興味を持っていないよね?
俺も別に縄文時代に興味は無いけど、縄文時代の暮らしって、ちゃんと調べれば絶対面白いはずじゃん。狩猟採集をしていた縄文人は、小麦の奴隷になってしまった俺らと違って、豊かな信仰とユニークな世界観を持っていたはずだろ?その文化は今の日本人に少なからぬ影響を与えているはずだろ?月の満ち欠けや季節の変化に"再生"を感じて、生まれては死んでいく自分たち人間の死生観に共通点を見出していたはずだろ?縄文人は小麦以外のおいしいものも不味いものも食べていたし、信じられないくらい遠くの人間と交易をしていたかもしれないし、俺にはわからない芸術性を土器に見出していたはずだし、独自の言葉を持っていたはずだし、歌もあったし踊りもあったはずだろ?
ゆるキャンの映画で描かれる縄文はただの舞台装置にしか見えないんだわ。
最後に完成したキャンプ場で、みんなでキャンプをするシーンさ。縄文関係の描写がほとんど無かったよね?本当に悲しいラストシーンだったわ。縄文をコンセプトにしたキャンプ場を作った彼女たちはそもそもほとんど縄文時代に興味がないし、縄文がキーワードのアニメを作るアニメスタッフもおそらく縄文時代にほとんど興味がない。だから完成したキャンプ場にも縄文がほとんど登場しない。
ただただ「工事を始めると土器が発掘されて工事止まりがち」というあるあるネタを登場させて笑いを誘うための噛ませ犬として、そしてリンたちに立ちはだかる障壁として土器が登場する。悲しい使い方だ。おもんある大人は絶対に縄文をそんなふうには扱わない。俺はおもんない大人だから縄文に興味は無いけど、おもんある大人は縄文を決して軽んじないだろう。
一番センスが無くてびっくりしたのは「富士川松ぼっくりキャンプ場」とかいう名前。
いや再生どこ行ったの!?!??!????!?!?!?!?!!?!?!?!?!?!?!?!??????
コンセプトが"再生"なんだからキャンプ場の名前にもそれっぽいワードを入れないとダメでしょ。意味わからん。なんで松ぼっくり?
確かにゆるキャンには松ぼっくりが頻繁に出てくるけど、リンって別に松ぼっくりが特別好きなわけじゃないよね?火種として優秀だからゆるキャンにはよく登場するけど、リンは別に松ぼっくりにそこまでの思い入れは無いじゃん。富士川松ぼっくりキャンプ場のそこらじゅうが松ぼっくりだらけなわけでもない。少しくらい松ぼっくりは落ちているけど、松ぼっくりを推すほど松が生えているわけではない。
キャンプ場の名前に「松ぼっくり」って入れる意味が本当にわからなかった。マジでセンス無いと思う。原作で何度も出てくる松ぼっくりってワードを入れときゃ喜ぶだろ、という陳腐なファンサービスでしかない。リンの性格や心情をなにも考えていない。
あれもキツかったわ。ちくわが土器の破片を掘ってくる展開。ちくわが土器の破片を拾ってくるのはまあいいんだけどさ。その後千明が「ちくわが拾った破片について一応上司に報告したんだけど・・・」とか言い出したところで引いちゃった。
いやいやいや!
お前はそういうキャラじゃないだろ?ちくわが土器の破片を拾ってきたら、「土器埋まってそうだな!私たちで掘り起こそうぜ!」って言ってシャベルでそこらを掘りまくるタイプだろ???そういう破天荒なところってお前の欠点ではあるけど、いいところでもあるだろ。なに報連相してんの?確かに報連相は社会人の常識だけど、大垣、お前は常識にとらわれる女じゃないだろ。大垣、お前は報連相のできる立派なオトナになったけど、同時につまんない大人になっちまった。
別に報連相するなと言ってるんじゃないんだよ。してもいい。してもいいけど、土器の調査を他人に丸投げすんなよ。お前の知的好奇心はそんなもんなのか?自分で調べよう、自分で掘ろうとは思わないのか?筋を通すのは別にいいんだよ。ただ筋を通すこととおもんある大人であることは両立するだろ?もし土器がザクザク出てきたらそれ以降は専門家に任せるべきだけど、最初くらいは自分で掘ろうよ。DIYを描いたアニメでありながら、そういう"自分でやってみる精神"が欠如しているのもこの映画のつまらなさの原因だったわ。鉄腕DASHを見てるとワクワクするのにゆるキャンのキャンプ場づくりには何一つワクワクがなかった。土器の調査も草刈りの技術も、どれも自分で調べずに他人に任せきりだったからだ。いや、実際はいろいろ調べているのかもしれないが、その過程が描写されていない。たとえばなでしこがパワーショベルの免許を取ってくる展開は良かったが、免許を取るまでの過程は一切描写されない。DASH村だったら教習所でTOKIOがパワーショベルの操作に苦戦しながら徐々に上手くなっていく描写が絶対入るだろ?DIYは結果ではなく過程が楽しいのに、この映画は過程を描かない。
大垣に限らずみんなつまらない大人になってしまった。俺はそんな彼女たちを見たくなかった。近所の人に言われるがまま草刈りをする斎藤(お前は泥臭い作業なんて1秒もせずにググって良い草刈り機を見つけてポチるタイプだろ?)、ドラム缶を再利用しようとか言い出す犬山(捨てろよ)、ソロキャンにあまり行かなくなったリン(毎週行け)。どれもこれも見たくなかった。みんなつまらない大人になってしまった。
高校生の頃よりもおもしろい大人になっていたのはなでしこだけだ。なでしこはアウトドアショップの店員が似合いすぎる。大人になったなでしこが独自のスタイルで接客をしているシーンは大好きだし、ジムニーを買ってアウトドア好きに拍車がかかっているのも良い。登場人物の中でおもしろい大人になったのはただなでしこ一人だ。さすがはキャプギアメーカーのCEOになる女だ。なでしこ、お前は面白い。残りは全員クソつまんない大人になってしまった。
たしかに彼女たちは責任を果たす。報連相をするし筋を通すしちゃんと書類を回すし法律を守るし上司の言うことに逆らわないしセンパイに迷惑をかけない。でもそんなのは俺でもできることだ。それなりの社会人なら誰だってやっていることで、そこの描写に面白みはない。立派になったなあ、オトナになったなあ、とは思うかもしれないが、その立派さを得るために彼女たちは何かを犠牲にしている。
ああ、本当に彼女たちはおもんないオトナになってしまった。おもんないオトナを描いたおもんない映画だった。それでもゆるキャンは好きだから、映画のことは忘れてこれからも芳文社のマンガしか読めないアプリに月数百円払おうと思う。俺が一番おもんない大人なんだ。
特定の大学や大学群、そこに所属する/所属していた人を誹謗中傷する意図はない。
非情に広い視野・高い視座を持ち、常人には見えない・理解できない思考で、各界のトップとして世界をリードすることができる人材。
逆に言えば大半の人には理解されないため変人扱いされることも。
広い視野・高い視座を持ち、応用力に富んだ思考で現状の課題を打破できる人材。
泥臭い努力もでき、コミュニケーションにおいて字面には現れていない相手の期待を理解し応えられる。
S・A層とは一線を画するものの、一般的には「頭が良い」と言われる人材。
複雑な指示も分解し、自分が出来るものと出来ないものの線引きを行った上で出来ることに取り組める。
「二軍のトップ」的な位置づけで活用すると成果を上げることが多い。
知能レベルはS・A層の中学時代程度が限界点。一つの課題を解決することが目的の業務においてはそれなりの効率で成果を上げることが出来る。
時間と手間をかけて一点に特化させれば、付加価値を生み出すことは可能。
知能レベルはS・A層の小学校高学年程度が限界点。狭い範囲・短い時間軸に閉じた単純作業であれば、指示通りにこなすことが可能。
3行以上の文章は読めず、自然数の四則演算を超える算数はほとんど出来ない。
自分で調べることも考えることもできず、声が大きい人の言うことに従うことで生きている。
単純な労働力としても消費者層としてもボリューム層であり、彼らをいかに効率よく使うか、効率よく騙すかがビジネス成功のカギ。
3語以内の文章であればかろうじて意思疎通は可能(「あなた お金 払う」等)だが、それ以上になると理解できなかったり、意味不明な独自解釈をする。
高値でも買いたいヤツがいるんだから、公式が高値で売ってやれよ。
【ドスケベ・チェーン】
ドスケベ経済社会では、性欲の強さが労働力の大きさに直結するため、絶倫でドスケベな人物ほど社会的に優遇される傾向にある。
労働力を得るためには労働者の性的欲求を満たす必要があり、雇用主は労働者の好みに合わせて性産業従事者を雇う必要がある。性産業従事者への報酬も性行為によって支払われるため、さらに性産業従事者の好みに合う性産業従事者が雇われる。
このように性産業労働者のために性産業労働者を雇う構造が多層化することを『ドスケベ・チェーン』と呼ぶ。
ドスケベ・チェーンが高度に多層化した社会では、性産業に従事する労働者の割合が増加し、その結果として、性産業以外の職業に就く者がほとんど存在しなくなる。
日本や中国などの東アジア地域ではドスケベ経済社会への移行が比較的早期に進行したと考えられており、性産業従事者の割合が極めて高い『ドスケベ国家』が形成されている。
たとえば年収 700 万以上の人だけを集めて社会を構成したとして、その賃金水準を維持できるかというと不可能だ。
それはもっと収入が少ない人の労働力を前提として生み出された額なのであって、本人の能力以上に得た収入だから。
これは資本主義社会では絶対に起こる現象で、だから累進課税があるのだし、インフラと言う形で再分配するシステムになっている。
なんか無条件に給料だけ上がるみたいな感覚で最低賃金上げたがる人がいるけど、最低賃金が上がったらその分求められるものも上がるよね
「この安さで雇えたから人に任せてた」ってだけで、単価が上がったら代替手段考え始めるよね
まぁ、それで安い労働の機械化が進んで、浮いた労働力をより付加価値を生み出す労働にシフトできたら万々歳だけど、
無条件に自分の給料が上がる!ってくらいしか考えられない人が給料なりの人材になるためにスキルアップするのかな
逆に、単に労働者の賃上げさえすれば良いと思っている経営者がいたらそれもどうなんだろう
男は父親になったら、
妻にどんな理不尽なことされても、
嫁両親が子供を甘やかしても、
家族のために働き続けないといけないの?
家庭を守るために我慢し続けなければならないの?
文句言わずに金稼いで家事育児とサンドバッグやってればいいのか。
クソが
最近は自分がリベラルでもなんでもないかもしれないと自覚する機会が増えた。ネットでニュースに接した時のもやっとした感じ、おぼろげな不快感によってそのように思うのだ。
なにが不快か。自分が正しいと思って声を上げている人間が不快。そういう人間の主張をあたかも「多様性」を認めることが正しいかのように、予断をもって報道するメディアの姿勢が不快。
そういうことを他人の面前で表明することはないものの、不快だと感じていることには変わりない。この他者、いなくなってくれないかな、という感覚。
まず女性の権利に関する主張。この手の報道に接するたびに、いつもクソどうでもいいと思う。じゃあ男性の権利はどうなんだと思う。
だれが権利をより多く持つのがよいかという問題について争う綱引きはすればいいと思う。つまり概念としての男女(これをジェンダーと呼ぶのか、どうでもよいが)が社会の中でどのように関係していくかという問題、あるいはその関係そのものがつねに闘争であるということ。それはそれでよいと思っている。議論はしていい。争っていい。生き残りたければむしろそうしろと。
だが、女性の権利が拡張されていくこと、あるいは権利の主張をして男性を攻撃することが、あたかも初めから認められている、あるいは正しいと思い込まれている状況、空気が醸成されていくことには断固として反対する。
お前の真理はおれの真理ではない。勝手に押し付けるな。押し付けるのであれば、おれはお前を潰す用意があるということだ。無自覚に正しさを主張し、正しくないと勝手にみなす人間を敵と認定して悪罵する人間が大嫌いなだけだ。
次に性的少数者の権利に関する問題。これも上記女性の権利に関する問題とほぼ同じ反応を自分はしている。嫌なものは嫌だ。おれはお前の行動が不快ですということが原理だ。
ある人が自分はゲイだとカミングアウトした場に同席したことがある。そのときは彼の決断を心から尊敬し、親愛の情を持ち、これまでどおり付き合っていきたいと思った。
近くにいる人がゲイであろうとレズビアンであろうと、自分はどうでもよいと思っている。普通に友人、知人、同僚として付き合っている。だがその性的少数者であることを旗印にしてプライドだとか言い出したり、社会の不寛容さを批判したりするのはちょっと違うのではないかと思っている。嫌だなと思っている。どういう思想を持つかは本人の自由だが、その思想の表現を見て不快に思う自由もこちらにはあると言うことだ。
ダイバーシティなんてクソどうでもいい。
社会の構成員が多様であることには利益があると思う。それは自分自身にとっての利益だ。いろいろ違う人間、全員がなんとかうまくやっていく。貧困、病気や飢えで死なないように、社会全体で労働力を確保して、協力し合っていく。それが自分の生存にとって大事。他人はどうでもよい。あくまでも自分が死なないように他人を利用できることが大事。だからできるだけいろいろな人間が社会に参加して協力し合うこと、つまり多様性を実現することは大事。これはそう思う。
だが、ダイバーシティがあたかも普遍の真理であるかのようにふるまって、ダイバーシティを認めない人間を排除するような圧力には絶対反対だ。多様な考え方を持つ人間を認めないなら、それのどこがダイバーシティなのか。いいかげんにしろバカと思う。
ようするに「これまで虐げられてきた立場にあると思っている人間が自分の権利を主張すること」は好きにやってどうぞ、それは自由なのでと思う。
だがその主張にこっちが同意するかどうかはまた別の話だ。説得しようとするな。同意しないので。あたかも自分の主張が普遍的真理であるかのように振る舞って、違う見解を持つ他人を攻撃するな。そのようなことをする人間には絶対に従わないので。
権利を主張する「マイノリティ」と、それを支持して「不寛容な他人」を攻撃する人間はリベラルな人間などではない。違う考えを持つ人間を抑圧排除しようとする人間がリベラルを標榜する資格などない。