はてなキーワード: 公共性とは
単行本1巻収録の「アイちゃん」のシリーズで何度も描かれるのは、電車内で女子高生が男性会社員に胸を押し付ける場面。男性会社員は、この女子高生と会える通勤時間を「もはや憂鬱な月曜日の朝に無くてはならない癒し」と捉えている。
全面広告で描かれた女子高生について、作中で男性会社員はこんな視線を向ける。
「いけないとは思いつつも 誰もが一度は目を奪われるーー
たわわに実った二つの膨らみが 少女らしく華奢な体をアンバランスに飾り立てる
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7
これ、広告の何処にも書かれてないし、冒頭に書いてる通り単行本の中身から拾ってるんだが、この論法(広告単体の表現では無く、作品そのものが政治的に正しく無ければ公共性の高い全国紙に広告を出すべきでは無い)で批判するなら全国紙どころか地方紙まで使って全国に全面広告出したFGOなんて原作はR18だけどいいんか?別作品だから関係ない?んなわけねーだろさっさと批判しろよ叩けよ。
2022年3月21日、第57回ボートレースクラシック(鳳凰賞競走、総理大臣杯)にて、ボートレース史上初の女子選手によるSG競走優勝という歴史的偉業が達成された。
2022年3月21日時点で選手の最低体重制限は、男子が52.0kg、女子が47.0kgとなっており、体重の軽い方が有利なボートレースにおいては、女子選手はハンデをもらっている状態(だからズルい、凄くない)というのが女子選手の活躍に対してつけられるお決まりのケチである。
特に今回は2020年11月に男子の最低体重制限が51.0kgから52.0kgへ引き上げられて男女の体重差が4.0kgから5.0kgと広がって間もない(と言っても1年数ヶ月経っているが)タイミングでの偉業達成だったこともケチをつけられる要因となっている。
『最低体重制限の男女差により女子選手はハンデをもらっている』
というのは果たして本当だろうか?と問題提起したかったからである。
それどころか私はむしろ
『最低体重制限の男女差によってハンデをもらっているのは男子の方である』
とさえ思っている。
その理由を書いていく。
(細かい部分で知識間違い等があるかもしれないが大筋の主張は変わらないはず)
まず、大前提として押さえておかなければならないのは、「最低体重制限は男女のハンデのために(女子を有利にするために)存在しているわけではない」という点だ。
まるでハンデのために最低体重制限があるかのように書いてあるブログやニュースの記事が当たり前のようにあって驚く。
それでは女子選手の活躍にケチをつける人がいるのも仕方ないのかもしれない。
1988年以前、ボートレース(当時は競艇名称が一般的だったがボートレースで統一する)に最低体重制限はなかった。
最低体重制限がなければ勝ちにこだわる選手たちは当然少しでも有利になるように限界まで減量する。
1987年のSG笹川賞で優勝した野中和夫選手は過度な減量でふらふらの状態だったそうで、それが最低体重制限導入のきっかけだと言われており、
1988年に男子は50.0kg女子は45.0kgという最低体重制限が設けられた(本格運用は1989年から?)。
要するに最低体重制限は、過度な減量から選手の健康を守ること、ふらふらの状態で起こしてしまう事故から選手を守ることが主目的で、女子を有利にするために存在しているわけではない。
女子選手の方が最低体重が軽いのは単に女子選手の方が元々の適正体重が軽いからだ。
日本人の成人男女の平均体重を見ても5kgの差はむしろ小さいと言えるかもしれない。
ここまで「最低体重制限は男女のハンデのために存在しているわけではない」と書いてきたが、正確には「男女のハンデを考慮した最低体重制限の変更」は行われている。
2001年、寺田千恵選手がSG競走の1つ、グランドチャンピオン決定戦で女子選手初の優勝戦進出、結果は5着に終わったものの、寺田千恵選手の活躍がきっかけで女子の最低体重制限が見直され、2003年に女子の最低体重制限が45.0kgから47.0kgへと引き上げられた。
そう、つまり、「男女のハンデを考慮した最低体重制限の変更」は、本当は女子にとってはもっと軽い体重でも問題ないのにそれだと男子が不利になってしまうからという理由で行われたということだ。
これを『最低体重制限の男女差によってハンデをもらっているのは男子の方である』と言わずしてなんと言おうか。
「女子がその体重の軽さという特性を活かして活躍するのは卑怯」で、
「男子がその筋力の強さという特性を活かして活躍するのは卑怯じゃない」
引き上げられたが、これらは男子選手の平均体重や厚生労働省の統計データにおける平均体重との差を是正し、且つ選手の健康維持並びに身体能力の発揮による事故防止を目的に行われたものだ。
簡単に言えば男子選手が大型化したから基準も変えたということで、女子選手を有利にする目的ではない。
男子は2回も引き上げているのに女子は引き上げないのかという意見もあろうが、それは減量なしの通常体重が最低体重を割っていて逆に増量に苦しんでいる選手の割合を男女で比較すれば、引き上げる必要がないことはわかるはずだ。
そもそも47.0kgの最低体重制限引き上げが不当な差別であったのだから、むしろ差が5kgに戻ってようやくまともになった(あるいはもっと差があってもいいのかもしれない)と言える。
ボートレースクラシックの優勝戦に乗った6人の体重は、遠藤エミ選手が44.0kgで他5人の男子選手は52.0kgか51.0kgとなっている。
おそらくこの5人の男子選手の中に体重が軽すぎて増量に苦しんでいる選手はいないと思われる(いたらごめんなさい)。
遠藤エミ選手は意図的に最低体重以下まで減量した上で調整重量を積んでいるらしいので軽すぎて苦しんでいるタイプではないようだが、少なくとも最低体重を割ってまで無理な減量はしていないはずだ。
そう考えると、遠藤エミ選手は健康に支障をきたさない範囲でもまだまだ減量できる余地があるということになる。
他の5選手も(最低体重制限導入のきっかけとなった野中和夫選手レベルの過度な減量をするならともかく)健康に支障をきたさない範囲の減量となると可能なのはあと数kg程度なのではなかろうか。
遠藤エミ選手と他の5選手が健康に支障をきたさない範囲でギリギリまで減量した場合に、その差が5kgを超えるのならば、最低体重制限の恩恵にあずかっているのは男子選手の方ということになる。
この問題で考えなければならないのは男女差だけではない。
同じ性別間でも身長差があるのに一律で最低体重が決められていてよいのかというのは議論されるべきだ。
身長の低い男子選手であればもっと減量可能なのに、身長の高い男子選手が過度な減量とならないように最低体重が制限されているため減量できない状態ということだ。
男子の最低体重制限が52.0kgに引き上げられたことにより、今村豊選手が逆に増量がきつくなるという理由で引退したのは記憶に新しい。
同じ性別間の身長差と最低体重制限の問題は女子選手においても同様である。
最低体重制限の公正さを重視すればボートレーサー養成所の受験資格において、身長の上限を低くするのが本来は手っ取り早い。
ボートレーサーを志した理由には、低身長が有利なことに魅力を感じたからというものがかなり多い。
漫画『モンキーターン』の主人公も低身長故に野球の道を諦めボートレーサーになった。
個人的には時代を巻き戻せるのならば、ボートレーサーは低身長の星として、受験資格を男子は身長165cm以下、女子は身長155cm以下くらいにしておけば少なくとも同じ性別感の身長差と最低体重制限の問題は大分解消できたのにと思わないでもない。
しかし、実際には身長制限は段階的に緩和されており、過去の基準であれば受験資格を得ていなかった身長170cm以上の選手も現在活躍している(艇界No.1の実力を持つ峰竜太選手の身長は173cm だ)ことを考えると、今更受験資格を狭めるわけにもいくまい。
また、ボートレースは競技であると同時に興行でもあり、また公営競技なので公共性という意味でも、先鋭化するより門戸を広く開いて多くのファンと選手志望者を獲得することが大事であるから、受験資格緩和路線を否定することはできない。
落とし所は男子で身長160cmなら何kg、165cmなら……170cmなら……
155cmなら……160cmなら……
という具合に男女別で身長によって最低体重を変えることかと思う。
話が逸れたが、この文章で1番言いたかったのは、遠藤エミ選手や女子選手の活躍に対して最低体重制限の男女差を理由にケチをつける人たちは間違っているということだ。
森裕子参院議員に賠償命令 特区WG座長代理の名誉毀損―東京地裁:時事ドットコム
記事には「毎日新聞社に対しても損害賠償を求める訴訟を起こしたが(中略)真実と信じる相当の理由があったとして請求を棄却」とある。
ということ。妥当。
一方、森裕子に対しては「全国紙の報道であっても、真実と信じる相当の理由があるとは言えない」として真実相当性の法理による免責を認めなかった。
これは2010年の最高裁判決(最決平成22年3月15日刑集64巻2号1頁)を踏襲していると思われる。最高裁判決については以下の資料が参考になる。
最高裁判決を要約すると「一般市民であってもマスコミと同等の調査義務が課される」、換言すると「裏付け取材を行わない限り、真実相当性は認められない」ということ。
今回の判決においても同様の基準が採用されたのであれば、森裕子は「毎日新聞の記事を鵜呑みにし、裏付け取材を怠った」ために真実相当性を認められなかったということになる。妥当。
BIFF 本件の「全国紙の報道であっても、真実と信じる相当の理由があるとは言えない」と毎日新聞の訴訟での「真実と信じる相当の理由があった」は整合性取れてるのかちょっと気になる。。
毎日新聞は裏付け取材を行ったために真実相当性が認定され、森裕子は全国紙の報道を鵜呑みにし、裏付け取材を怠ったために真実相当性が認定されなかった。整合している。
fops 「全国紙の報道であっても、真実と信じる相当の理由があるとは言えない」そうなの??記事に問題があるならリンクより、記事を書いた人に問題あるんでないの?
それは「配信サービスの抗弁」と呼ばれるものだが、最高裁は配信サービスの抗弁を否定しており、記事を転載した側も当然その責任を負うべきだという判例が確立している。
http://www.mikiya.gr.jp/True_proof.html
真実性、公共性、公益目的があった場合は罪に問われないし、損害賠償もする必要はないぞ。
ただし、裁判で立証しないとならないし、スラップ訴訟と言って、ただ訴えて相手を痛めつけることを目的とした訴訟もある。
裁判と立証するためには、相手は弁護士雇っている以上、君の側も弁護士を雇うのが必須と言えよう。弁護士費用だけは我慢しないとならない。
君自身へのパワハラに対する損害賠償請求もできるかもしれない。
ああ、あとな、そんなパワハラやってたとしたらサービス残業してないか?サービス残業させていたら不払い残業代請求もできる可能性がある。それも視野に入れて弁護士に相談しな。
中学の時、みんな入るからという理由で疑いもなく全国レベルの文化部に加入。朝練や夜練がキツイ、先輩が怖すぎてドロップアウト&不登校
なんとか持ち直して高校。受験になり学力より上の大学を狙うもほぼ落ちる。プライドだけあったため浪人して何とか有名私大に入る
就活、利益を出さねばならないビジネスの世界に入りたいと思わず、なお公共性の高い仕事に就きたい、不登校だった経験から学校教員を志望。実習はきつかったが何とかやりきって晴れて試験にも合格。教員となる。
教員になってから経験のない運動部顧問を任され、なお毎日の授業づくりに明け暮れる。はっきりもの言えるタイプでもなく、叱れないアホだったのと、生徒の家庭事情やメンタルを間に受けてしまい疲労困憊。数年で辞める。
適性とか自覚せずに判断してきた人生だと思う。そのくせプライドだけあったので、いい学校に行こうとか、子どもたちのために!みたいな根拠もない自信みたいなので生きて挫折してることをまるで学習してこなかった人生だよな。と、今になって思う。これが自分の反省。こんな後悔負ってこれからも生きてくんだわ。
あからさまなR18表現でもない表現をゾーニングできると思ってる人の根拠ってなんなの? 恣意的でない基準にそって、あなた方にとってどう見える世界になれば理想なの?
「みんな」がお前やお前が作り出した作品を見ると不快でキモいと思うから、お前は日の目の見えない私的な領域に影のごとく隠れてろ、俺らがお前やその作品を見たくない自由を尊重させろ、といえば、それは「いじめ」だし人権侵害になるよな?
それ以上の強い理由だということで公共性や常識やTPOを利用すればそれはマジョリティによるマイノリティへの抑圧じゃないのか? 実のところ「社会通念」に訴えなきゃいけない法律ってめちゃくちゃあるけど、それって実践上の必要悪であって原則的には、一部の人しかアクセスできない、普遍的妥当でもなんでもない恣意的な基準の温床であることを引き受けるってことだろ?
女性への「女性は性的客体である」という意味付け云々の話にすれば、明らかに作者の意図でないメッセージを作者に帰属させてる点で過剰すぎるだろ。女性は男性と平等に主体性をもつ生き物ですって認めてることと、架空の二次元女性が萌え絵広告に使うことは両立可能で相互独立だろ? セクハラはだめ、同意のない性行為はだめと思うことと、萌え絵広告を書く態度は全く相反しないだろ。こっちのファンタジーなんだからほっといてくれよ。
見た人に影響があるってんなら、対応するデータくらいは出してくれよ。根拠のない懸念だけっていうにはあまりに語調が強すぎるだろ。理解できないオタクは狂ってるみたいな言い方よくできるよな。
おれはどんな基準でみなさんがゾーニングとか言ってるのか分からんわ。俺だって道端でいきなり裸になったりはしないけど、それってあからさまな公然わいせつだからだろ。いきなり性器を露出した露骨な性表現を含む雑誌を見せびらかしたりしないけど、法律で禁止されてるからだわ。
最終的な結論として出てくる「ゾーニングは法的な議論にはそぐわない。慎重な議論が必要だ」という言葉がよくあるけどさ、本当に慎重な議論しようってやつおる? その議論って印象操作とゴリ押しだったりしない? 燃やしたやつは、すぐ忘れちまって次の広告を燃やすように見えちゃうのよ。
以上で上げた論点を問題視してる人なんて俺以外にも山ほどおるけどさ、恣意的でない基準でゾーニングやったろうってぶち上がってくれた人が、全然俺には見えないわけよ。なぜ特定の表現が駄目なのか、本当にオタクや表現者にかけた攻撃的な言葉通りに問題なのか、ちゃんと時間をかけて検討してくれとる? 批判と批判を積み重ねて、案件ごとに議論を発展させておくれとる?
もしそうなら、君にしてみれば初歩的なところで迷える子羊になってる俺に教えてくれんかの。短い文章だと前提が飲み込めないから、自明と思われることも順々に積み重ねてくれると嬉しい。そうしてくれた人には、どんなに一見稚拙に見える論理を展開する人でさえ感謝するから。ネットで誰かにモノを教えるって怖いもんな。言葉にするのって大変だよな。でも、善意があるならしてくれんかね。延々とつづく脳内藁人形は、あまりに私個人にとって不快でつらすぎるんよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20211119084159
数々の反応頂けてありがとうございます
掻い摘んでレスするよ
表現の話ではなくて老若男女向けのプロモーションで「女子高生をそういう風に扱う社会」でいいのかって話じゃん 建前だけでも「高校生は性的対象として扱いません」という体は保たれててほしいよ
あれが老若男女向けのプロモーションとは思えないけど、唯一、法に触れてしまう部分は私も引っかかったので、そこの指摘は良かったと思うし、公式も速攻で修正したね
ただそう思いつつも、表現の話として避けて通れないのも事実だと思った
フィクションのキャラ設定にそれは犯罪だろと突っ込んで修正させたのだから
フィクション中で起きるのが殺人なら「それはダメ」って共通認識があるけど、セクハラや性犯罪は「別に問題じゃない、むしろ喜ぶ人もいる」と認識する人がまだ多く、その幻想(心理学用語で投影)を強化してしまうんよ
って言う統計なり、裏付けるデータがちゃんとした形で欲しいし、そのセクハラや性犯罪について「問題じゃない」とか思ってしまう人はそれが創作の影響なのかどうか、そう言うのも欲しいね。
あとその言い分だと認識する人が減ってきたら描写しても良い感じなの?その判断は誰が
私は萌えとされる絵や、性的描写とされた絵が万人に明確な形で実際の犯罪へ影響力があり害悪だと示されるなら法で規制したら良いと思ってる
タバコなんかはわかりやすかったね。ただ嫌とかじゃなく、人体への影響として発癌性がある、しかも副流煙により他者への害をも及ぼす。そりゃ規制されるよってね
色んなコメント読んでて、それこそ萌えが好きだから擁護するとかそう言う話じゃなく、同じ部分でもやもやしてる人は多いんだなと思った
そして、そこへの明確な回答が出てこないなとも。あったらすっきりしてるからね
私はただ表現規制と言う視点で今回の批判に詰めの甘さを感じて、その穴を埋めたいだけなんだよ
ちなみに性犯罪の刑罰は被害に対して軽すぎると思うし、性犯罪者は去勢したら良いと思ってるくらいです
全国の温泉客がキャラを目にする以上「公式サイトに見に行かないといけない」点で公共性を免れるというのはちょっと無理あると思う。というかこの件はほぼすべて文脈の問題では
以前萌え絵が燃えた時は街中のふと目につくような場所にあるのは相応しくないとか言う主張があったよね。それを気にした程度のものです
わざわざネットに行かないと見れないプロフィールに公共性はあるのかと言う疑問だったけど、これもやっぱり意見割れるね
知らなかったと言う意見も少なくなかったし、5年目にして火の目を見てるのはその証左とも言えるかも
私は街中で目についたものについて気になったら検索する事もあるけど、そこまでPRからネットに飛ぶことはない
少なくとも街中のその辺にポスターと一緒に文面が貼られててふと目に入ってしまうよりは公共性は格段に落ちると思う
またPRなのにわざわざ未成年者表記で問題のある文章を載せてたのは問題と言うのは上に書いた通りごもっともと承知してます
既存作品とのコラボはその作品の性格含めてコラボが適当か判断するのが責任、PR目的でキャラ作るならその世界観やキャラ設定だってPRする側の責任でしょ。そしてPR対象はフィクションではないわけで。
温泉むすめは間違いなく萌えなフィクション作品が好きな層へ向けたものだと思うよ
そして同時に、家族向けは家族向け、女性向けは女性向け、カップル向けはカップル向け、それぞれPRに打って出てると思うよ
温泉むすめが老若男女対象の唯一のPRならそりゃ違うだろうけど、そんなアホな事はしてないと信じたい
物語において悪徳を与えられたキャラクターには作劇上に「報い」が設定されることが普通でそれを以てして作者は表現の公正を担保するが、単発のキャラではそれが難しい。設定は書いて終わりじゃない。使わないと
確かに設定だけのキャラクターと、そこから成長する話では違うかもしれない
温泉むすめも物語が付けばそれはそれで流行って良いPR目指せるのかと思ったけど、多分深夜アニメらしい深夜アニメにしかならないな
すみません。色々と意見を目にしてレスしながら考えて、自分なりの落とし所が見つかりました
単にフィクションの表現としては、実際に犯罪を起こさなければどんなフィクションであれその存在自体は是としてる
もちろん然るべきゾーニングもあっての上で
でもPRとして公共の場に出すものは、公の下として公序良俗に従うと言うのが妥当な言葉かなと思った
思想や表現は多様すぎるから公序良俗のラインが曖昧でぶつかる事はあるかも知れないけど
今回フィクションのキャラ設定を外圧で変えた正当な理由としては腑に落ちた感じです
結局何じゃそりゃみたいな。基本に立ち返っただけみたいな、腑に落ちる言葉探しとなりましたが
"物語において悪徳を与えられたキャラクターには作劇上に「報い」が設定されることが普通でそれを以てして作者は表現の公正を担保する" よくわからん概念が。悪役が悪役のまま大成したら表現が不公正? 謎
創作では悪が悪のまま終えると言う話もありそれはOKだと思うけれど、PRと言う公的な場で仕事をするキャラクターにおいては公序良俗に従うのが道理と言う点を踏まえると、それに反する設定を付けられていたら、物語があればその点を克服しPRにも足る人物になり得るけど、物語がなければその余地がないから設定だけでは不適切になってしまう、と
あくまで自分の納得のいく道筋が立ったと言う話で腑に落ちました
表現に人権侵害を助長する要素がないか、犯罪容認になり得ないかという視点がオタクは壊滅的に欠落している。創作物の内容と現実は地続きだよ。
よくあるけど乱暴すぎる雑な主張だと思う
オタクコンテンツに限らず古今東西無数にあるものを上げてオタクと言う属性に文句つけるのはただの差別でしょう
だから、現実では犯せないことも創作で発散されてるかもしれないよね。その考慮は?
創作においても断固として異常な嗜好は許さないと言うのであればそれは新たな生きづらさや差別を生むよ
例えば自分の子供がそうした嗜好を持つ人間だったとしたら、そう言う嗜好だから仕方ないと子供の人生諦められるか?
そうしたことまで考えることが多様性、共生の世界だと思ってるよ
囲碁漫画読んで囲碁始めたり、サッカー漫画読んでサッカー選手になるのに、エロだけ現実に影響しないというのはなあ。大学生男子の半数が創作物のポルノから性知識得てる統計
問題とされる箇所で言うならば色んな犯罪描写がある中で性犯罪だけ敷居が低くて影響されるからダメと言う部分を比較しなきゃいけないんじゃないの?
公的な場においては公序良俗に従うと言うのは私としてはとてもフラットに納得できた線引きだ
これで納得するということは過去にAV出演した方がプロモーションに採用されるのはダメってことにも納得できるということにもなる気がするし連中は実際いちゃもんつけて来るぞ。普通に差別の理屈だよ
いちゃもんつけてくる人は付けてくるだろうけどそれはただの職業差別だし、そんな理屈に私は納得してないよ
基本的に批判側の人間として気になったのは、いくつかの案件での関連団体の公共性の話という観点が抜けている点かな。
学会や市、赤十字、NHKという公的団体(もしくはそれに近しい存在)がそれを採用するのか、というのは批判の声が大きくなった一因だと思うので。
自分のとこのコンテンツの客観的に見た暴力性とか反社会性みたいなものをきちんと見積もれているか、では。
どのコンテンツにもある程度そういう部分はある。
広告塔にしたりコラボしたりしていつもと違う公共性の高いテリトリーに出ていくときはそうした部分は抑えて、あくまで出張先の価値観にあわせる。
そうやってお互いが良い効果を得られるよう努力するものなんだけど、そもそもの自分とこのコンテンツを客観的に見れていないのでその調整ができない、もしくは必要性を理解できないのかもしれない。