「公共性」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 公共性とは

2022-05-03

anond:20220503132711

フェミニズムですら萌え絵性犯罪を増加させるなんて質の悪い議論はやってなくて、あくまで「女性表象」が「広告の持つ公共性」との関係で論じられてきた。つまり、濃淡のある議論なわけ。

そういう積み上げられた議論すら無視して暴論振り回すの、もはやアンチフェミなりすましかと思っちゃうんでやめてもらっていいですか?

2022-05-01

表現の自由に関して関して思うこと

最近、このような投稿を見て、男子・低身長男性女性と似たような被害に遭うのだなと思った。

https://twitter.com/conte_kun/status/1517841084084273153

https://twitter.com/omgomg211/status/1520105562088013824

表現の自由に関する論点は、このような状況に置き換えると、

(つまり、「男子・低身長男性」が性被害に遭いやす社会において)

1) 公共性を帯びた表現物において、「背の低い男性」を性的存在として表現すること

2) 「“未成年男子」を性的に扱う製品を、公的性質を持つ媒体などで宣伝すること

の是非といえるのではないか

(性的存在として扱う、という世界観は、「ショタ フェチ」でググるみえる)

そして私は、1)にも2)にも反対である

- -

https://twitter.com/kamikaze_49_730/status/1518888673601032192

このような表現物に関して声を上げないことを、ダブルスタンダードだと言うのはわかる。

でも、もしそのダブルスタンダードが貫かれた結果、女性性的に扱う表現物が公共の場から消えて、男性性的に扱う表現物のみが溢れた時、

その表現物も「表現の自由だ」と言って守らないのであれば、それもそれでダブルスタンダードだと思う。

2022-04-29

anond:20220429103907

多分おおかたはこういう緩やかな公共性で良いと思ってるはずなんだが

2022-04-24

日経とたわわ

たわわの問題点は我々が日経公共性の高い上品新聞である勝手認識していた点にあって、本当はグラビア広告を当たり前に載せるスポーツ紙とまるで変わらないことを示してくれた『月曜日のたわわ』に感謝するべきなのかもしれない。

2022-04-23

anond:20220422161152

オタク側も「広告もつ公共性を鑑みた際に掲載して良いかどうか」ってフィールドからすぐはみ出るじゃん。

広告の話してるのに「コンテンツ自体の是非」とか「エロいかどうか」「成人向けかどうか」の話にすぐすり替えるよね。

そもそもゴールポストもなんもない泥仕合にしてるのは両方だと思うんだけど。

anond:20220421211708

これって、「たわわ広告がアウトである理由」じゃなくて、「ナタリーのあの記事がアウトである理由」になってない?

私もこれは思った(https://anond.hatelabo.jp/20220421134845

日経全面広告という場における、広告問題性を測りたかったんでしょ。

編集部コメント情報に混ぜたら、日経全面広告という「公共性」の問題がブレるじゃん。

2022-04-21

anond:20220421124726

日経全面広告という場における、広告問題性を測りたかったんでしょ。

編集部コメント情報に混ぜたら、日経全面広告という「公共性」の問題がブレるじゃん。

そこは切り離すしかないだろ。

2022-04-20

anond:20220420170538

広告出稿文脈に「新社会人に向けて」と公共性を持たせてるにも関わらず、ソフトエロ表現を「癒やし」「ご褒美」といった文脈提供していることが問題

anond:20220420162427

BLにかぎらず、ソフトエロ表現全般について、本屋で売ることについてはそんなに気にしてない。

本屋って、漫画にかぎらず、文庫本の並びにフランス書院文庫も並んでたりとか、その横には成人向けじゃないけど強めのセックス描写あるハードボイルドとかも普通にあるし、厳密なゾーニングあんまりされてないけど、なんとなくの棲み分けはできてるでしょ。

まあ、すごい昔、かわいい少女漫画だと思って立ち読みしたらロリエロ漫画誌でショック受けたことはあるけど、今どきそこまでまぜこぜに置かれてるほうがレアだと思う。

初見じゃわからないって言っても、本屋に通う子供ってだいたい小さいころから地元本屋にずっと通ってて本屋内の配置に土地勘あるのが普通じゃない?「あのへんの棚はいかがわしい本あるから入れない」みたいな認識はなんとなく持ってたと思う。大人向けの本と子供向けの本をまぜこぜに売ってる本屋学校の中でも「あの本屋エロい」って言われてて子供は入っちゃダメ雰囲気だったりとか。

初見時のショックについては、普通に生活してる限りどこでもあり得る話で、路地入ったら風俗店があったりとかするわけだし、そこまで全部浄化するのは難しいと思うよ。

で、これは自分私見だけど、たわわ広告については、広告出稿の文脈に「新社会人に向けて」と公共性を持たせてるにも関わらず、ソフトエロ表現を「癒やし」「ご褒美」といった文脈提供していることが問題だと思ってるよ。たわわ売りたいだけならそんなに気にならないよ。

anond:20220420145508

しか新聞広告公共性みたいな話だとフワッとしてるけど「子供に見れる場所」だとボーイズラブだろうが少女漫画だろうが一瞬でアウトなんだよな。

子供の見れる場所に置いていいけど広告ダメ」女オタと男オタの立場の違い

(※筆者はどちらかというと自主規制が今よりキツくなることを消極的ではあるが支持している派。これはこの記事の本筋とは少しズレるのだが、一応書いておく)

話題のたわわ論争で語られる論点は多岐に渡っていて、包括的に語るのは難しいのだが

今回その中で1個ピックアップして、面白いと思ったのだが自分の中で上手く理解できていない立場対立点について書いてみる。

当てはまる人や解説できる人がはてなにいたら是非レスポンスして欲しい。

オタク側の一部から出た

「たわわと同程度"問題"のある描写や内容、未成年キャラを使ったソフトコア的な性表現は、女性向け作品(特に例に挙げられやすいのはBL)でも世の中に溢れておりそれらは容認されている。よってこのような広告自主規制しなくてよい」

というような意見に対し

女性オタク側の一部が

「それらは新聞広告になっていない。新聞広告になっていることが論点として重要

と返しているケースが多く見られる。これが個人的には凄く面白い

なぜかというと、上で挙げた

「たわわと同程度"問題"のある描写や内容、未成年キャラを使ったソフトコア的な性表現のある女性向け作品

は、新聞広告にはなっていなくとも(そもそもここの真偽の問題はあるが一旦置いておく)18歳以下でも入れる書店普通に平積みされ販売されているからだ。

これは

子供(18歳以下)でも見れる場所に置いていいが、新聞広告にするのはダメ

という基準を持った立場存在するらしいということを意味する。

この立場自分的にはなかなか理解できていない。かなり特殊なことを言っているように見えて面白いが、やはり理解はできない。

そもそも子供が見れる場所」なるもの重要視するのが間違いで(とはいえこのワードはずっとゾーニング議論で長年出てきてはいたが)新聞広告に「子供が見れる場所」云々とはまた違う特殊公共性があるのか?

それとも、書店というものにある種の特権性があり自主規制ラインが変わってくるのか?その場合いわゆるヘイト本などの問題はどう処理されるのか?

あるいは、同程度の性表現未成年キャラクターの性的消費が行われていたとしても、キャラクターが男か女か、見る人が(たとえ18歳未満の子供だとしても)男か女かにより変わるのか?消費することそのもの問題はどうなるのか?

様々な疑問が湧いてくるので、この立場に当てはまる方がいたら是非説明して頂きたい。

その上で、今現在自分感想を正直に言えば、この立場論理的に整理するのはかなり難しく

もし、たわわの新聞広告自主規制されるのなら、上で挙げた「たわわと同程度"問題"のある描写や内容、未成年キャラを使ったソフトコア的な性表現のある女性向け作品」も一緒に今よりキツくゾーニングされるのは避けられないと思っている。

上記のような作品

新聞広告にするのはダメだし、子供(18歳以下)でも見れる書店に置くのもダメ

とするか

新聞広告にしていいし、子供(18歳以下)でも見れる書店に置くのもいい」

とするか

このどちらかのみがどう考えても論理的には正しく

おそらくどちらかがセーフでどちらかがアウトというのは成り立たないのではないか

最後

この議論自体がwhatboutism的に捉えられそうなので一応書いておくが、これは当て擦りのような事がしたい訳ではない。

筆者個人の考えとしては、1番最初の※で「仕方ない」と表現しているように、消極的ではあるが上記のような形で自主規制が進むのを支持している(なぜそうなったかはあまりにも長くなるので省くが)

「やるとしたらこういうラインになる」という話をしたのみだし、実際にそうなってよい。ここは男性オタクから批判されてしまうところだと思うが。まあ最初に書いたようにここは話の本筋ではないのでスルーして欲しい。

Chim↑Pomのいう多様性って約束事を破っても許される自由ってこと?

4/19、16時少し前、Chim↑PomTwitterhttps://twitter.com/chimpomworks/status/1516309905828810753/photo/1)で改名のお知らせが出ていた。

まず、内容をざっとまとめよう。

Chim↑Pomは”際どい社会人である“間違ってもただの「健全」なグループだと勘違い”してはいけないグループだと自称している現代アーティスト

Chim↑Pom現在森美術館個展を2月から5月末まで開催中(開催真っ只中!)

・会場準備の設営費の一部に協賛金が必要になっていた(1000万円ほど)

・そんな協賛金のうち、Smappa!Group接客を伴う水商売ホストなど)の会社であり、Chim↑Pomと数々の協働もしてきている会社Chim↑Pomの一人であるエリイ」の夫が会長を務める会社でもある。)の金額のみ森美術館受理していない

受理していない理由は「六本木ヒルズという『まちづくり』における『ブランディング』」「森美術館ヒルズという『文化都市』の顔である」と森美術館は言っている

これに対してChim↑Pomは、

受理しないことは、”アートによる「多様性」と取るか「『多様性』の搾取」と取るかは、議論必要である

受理しないことは、クリエイティブ産業が街から「猥雑」なものを十把一絡げに職業属性により排除する「旧来のジェントリフィケーション」の典型だとも捉えている

社会全体、そして、特に多様性をうたう森美術館が”実態としては公共性よりもブランディングを優先し、いざ自身問題として直面すると排除する、という常套手段がまかり通ることに対しての違和感をここに強く示す”

そもそも、「スーパーラットポケモンピカチュウを模して渋谷の街で捕まえたネズミ黄色く、頬は赤くしたもの)」の美術館内での展示ができず、美術館内ではなく共同プロジェクトスペース内での展示という落としどころになっていたことも”「表現の自由」に議論余地ができた”ことだったから、水面下の交渉限界を感じ、発表した

・同時開催で別のイベントもするから遊びに来てね

でもって、森美術館

・全媒体広告物の「Chim↑Pom」の名前を「Chim↑Pom from Smappa!Group」に変更して今後は使用する(使用開始の期限はGW明け5/15)

・Smappa!Groupの協賛金受け取りとロゴ掲載検討

の2つを誠意を持って対応しろ

という感じだろうか。

改名、いいじゃないの、したらいい。意志表示、どんどんしたらいい。

でも、いくつかの点で、この声明文に物申したい。

おっと、その前に。まず、増田当事者でもないし森美術館および森ビル関係者でもChim↑Pomファンでもない。

そのため、すべてのことは想像しかなく、中には事実と反することもあるだろう。

それを踏まえて、聞いてもらいたい。

①”多様性””公共””ブランディングを優先””ジェントリフィケーション

キャッチーで、そうそう、そうなんだよ、反体制スピリット!と、どこかアナーキーアーティスト性に酔いしれたいファン応援したくなる巧みな言葉遣いうまい、うますぎる

⇒だけど、待って。多様性って「いつでも全てを無条件ですべてを認める」ということなのだろうか。幼稚園ロリコンの成人が混ざりたいといっても、幼稚園には幼稚園対象があり断られるように、NHK企業名を出さないように、R18のゾーニングをすることのように、男湯と女湯を分けることのように、さまざまな無条件ではない場合にも、そこに多様性がないわけではない。多様性とは、で調べると、「幅広く性質の異なる群が存在すること。」とある。そうだと思う。『群』だと思う。その『群』を否定してはいけないが、その『群』が完全に混ざり合う必要はないのでは。だから多様性の一つの解釈に「いたずらに何かを排除してはいけない」があるといえるだろう。今回は「排除」しているのかもしれないが「いたずらに」ではない。そもそも、”公共”の要素を持っているからといって、森美術館は『株式会社』だ。”ブランディングを優先”そりゃそうだ。株式会社だ。権威であろうと、体制であろうと、そこには日々の生活と日々の業務があり、誰かにとっての、そして企業にとっての小さな信頼と伝統を積み重ねてきた「商いの形」がある。そんな「商い」の中で、交渉をし、契約を結び、落としどころを見つけながら話していることは、「いたずらに」ではないのではないか。そこには企業としての意思がある。

ジェントリフィケーション、その通り。『都市開発』では『都市』を『開発』するのだから、そりゃあジェントリフィケーションが起きる。でも、それとこれとは別の話ではないか接客を伴う水商売を悪いものとしているわけでも否定しているわけでもなく、ただ「うちとは合わないよね」といっている話に、たいそうにジェントリフィケーションを持ち出されても、森美術館の言う通り「ブランディング」の内側の話を拡大解釈しすぎではないだろうか。

約束ってそんな簡単に破ってもいいの?

改めて、会期中、しかも会期残り2週間のためにすべてを修正しろっていうのは担当者のことを考えると辛すぎる

アートと商いは相性が悪いという話は、アートと商いがとっても相性がいいという話と同じくらいよく見受けられる。アートの中で、資本主義は時に否定され、時に資本主義と共に大きく幅を利かせている。

⇒会期残り2週間のために用意しているあらゆる媒体資料広報資料名前を『物理的に(印刷など)』修正し、デジタルであっても『修正依頼を(人力で)』ひとつずつかけて、すでに用意していた様々な資料もすべてをやりなおす。だれがその資金を工面するのだろうか。森美術館がするのか?商いを馬鹿にしすぎている。契約という約束事が軽すぎないか

⇒人気も出てきた、会期も真ん中、なぜいま発表をする?別で準備しているイベントがまとまったからか?なんなんだ?Chim↑PomChim↑Pom契約同意し、うまみがあったり意義があったり面白味があったりいろいろな理由を超えて「森美術館でやりたい」と同意たから、会期が始まっているのに、なぜ、今なのだ?そんなに不快なら仕事を受けなければよかったのかもしれない。始まる前に話し合ったり声明文を出すのも手だったかもしれない。でも、今、すでに始まった中で後から手を翻し、ずっと怒っていたと一方的にきざな言葉で並べ立てるのは、いささか「商いを馬鹿にしすぎている」としか思えない。ひとりひとりのお客さまからお金をいただいて、ひとつひとつ企業さまからお金をいただいて、誰かのお金になるように、経済を回すこと、生活すること、権力だろうと権威だろうと体制だろうと、そこには人がいるし、そこには道理があるのではないだろうか。強者に対してなら何をしてもいいとでも思っているのだろうか?

そもそも、会場設営費の1000万円って・・・

⇒会場に行った方なら体感できるだろうし、行っていなくても写真を見たらわかるだろうが、今回の展示、かなりアグレッシブな展示方法も展示手法も含まれている。これは予算が…これは消防法…設営の順番大変そう…いろいろな制約を乗り越えられるよう、ひとつひとつアーティストと館の間を取り持ち、掛け合いながら進んだのではないか、と感じさせる会場だ。

⇒1000万円、通常の展示ではないことをたくさんする(=森美術館としては、新しさのあることにしたい&今までのChim↑Pom活動をそのまま紹介できるようにしたい)という意志もあって、「会社的にはこれ以上の設営費の負担ができないので、その形での展示は出来ないのですが、設営費をいただけたら、なんとか…」という落としどころをもって話した結果だったりはしないのだろうか。

⇒そのうえで、「受理していない」場合は、その「不足額」は誰が払っているのだろうか、「その協賛金を受け取れないのは森美術館側の話だから、その不足分は森美術館で持ちます、だからすみません」そんなやりとりがあったのではないだろうか。スーパーラットの展示を美術館内で出来ないと判断されても、展示の流れに組み込みたいという思いで共同プロジェクトスペースに設置しているのを思うと、ついついそんなことを想像してしまう。

物事多面的で、憶測でモノを申している立場で本当に申し訳ないが、

やっぱりこの声明文でChim↑Pom評価されていることに納得がいかない。

きざな言葉を並べて、弱いふりをすれば、もしくは本当に弱者立場であるからといって「弱さを盾にすれば、権威のことを後ろから殴ってもいい」そんなわけがないと自分は思う。

2022-04-18

anond:20220418224514

まあそういう観点もあるよな。俺は何となく公共性を感じる。というか公共性を帯びていてほしい。まあその辺は、人それぞれでいいんじゃないか。

例の国連ウーマン団体みたいなのに舵を渡さない限りは、我々で是々非々議論すりゃいいんじゃね。

anond:20220418224423

エビデンスがなくとも新聞の全面広告には何がしか公共性普通は見出すよな

単なる一私企業が発行しているだけなので公共性見出しませんが

anond:20220418222659

大新聞の全面広告社会全体からメッセージと見なせるか、こんなの証明しようもない問題だが、まあ、エビデンスがなくとも新聞の全面広告には何がしか公共性普通は見出すよな。

そこに、未成年者に月曜日のたわわというタイトルはまずいんじゃないかという感覚は、それぞれがそこまで細かく言語化してなくとも、共有されていると思っている。

結局、か細いが複数常識の束に頼って、ヨロヨロとやってくしかないんだよ。

そんな中で非常識バカ議論はやめような。有害なだけだよ。

anond:20220418221530

ソース至上主義だと、広告社会への影響なんて真っ先に吹っ飛ぶけどいいの?

影響は測れないとはいえ常識的新聞の全面広告社会からメッセージになりうるのでは?という微妙議論をしてるんじゃないの?

アダルトサイトなど」の「など」に青年誌広告が含まれるとかい非常識議論を許したら、公共性についての微妙議論なんて吹っ飛ぶと思わないの?

anond:20220418220504

痴漢行為等が一切なく、むしろ否定的に描いているとはいえ未成年者を性的に見ているには違いないラブコメ新聞の全面広告に出ることについて、公共性観点から濃淡のある問題として議論しようともしないで、何で「性犯罪を誘発」とか、無理筋の1ビット批判しかできないの?

日経新聞広告についての屁理屈と嘘

表現の自由戦士オタクの人たちは、「女子高生漫画広告を見た人が痴漢女性差別をする」というダイレクト因果関係など全くないと言う。それはそうなんだけど、論点はそこではなくて、「日経新聞のように公共性の高いメディア女子高生性的表象する」ことで、「未成年女性性的眼差してもいいというお墨付きを与えること」が問題なの。なんでいつまで経っても理解しようとしないんだろうね。

ヤンキー漫画禁止すべきなのか」なんていう屁理屈を繰り出す人もいるけど、件の漫画発禁しろなど誰も言っていない。今回問題になっていることに当てはめれば、「不良が同級生いじめている(ように見える)場面を朝日や日軽が全面広告採用する」ということけど、それはダメでしょという話。

ていうか、オタクの人たちは、満員電車巨乳男性に密着するという内容まであるのに、件の漫画性的な要素がないなどという真っ赤な嘘をどうして平然とつけるんだろうね。表現の自由云々の前に、嘘をやめよう。


小宮氏とCDB氏の「論争」についても、CDB氏が何が論点なのかを分かっていないまま噛み付いているので、小宮氏が議論のもの拒否するような態度になるのは理解できる。ただSNS上のパフォーマンスとしては悪印象なので、それはどうかとは思うけど。

anond:20220417232554

ツイフェミ所詮、先の時代の敗北者じゃけェ…!

 …絵単体に対する批判

 …論点が二転三転した後、ようやく「広告には公共性があり、この絵は不快」「TPOにあっていない絵」の今日に繋がるキーワードが登場する。個人の絵や広告以外に抗議したことなんてない(大嘘)とまで主張するように。

 …広告掲出の絵では叩けなくなったので作品自体問題であるから出発し論点大移動中

2022-04-17

anond:20220417183340

悪い悪くないで言えば、どっちでもない。

ただおっさんしか読まないとはいえ日経という大新聞の全面広告公共性/社会性は問われて然るべきと思うんだよね。

繰り返すが、ただダメと言ってるんじゃないぞ。

そこが議論に値する点だと言ってるだけ。

2022-04-16

カップルで街を歩くのって、弱者男性へのハラスメントじゃないの?

職場だったら、女子社員特定弱者男性を嫌って、むやみに遠ざけようとしたり、口をきかないのがハラスメントになる。

あるいは女子社員が同僚のイケメンと手をつないだり、じゃれ合って、それを周囲に見せつけたら、「環境セクハラ」だろう。

  

しかし、プライベートの過ごし方にそのような規則はない。

女性イケメン彼氏と仲良くすればいいし、キモメンとのお付き合いは断ってよい。嫌いなやつを無視することだって自由だ。

無論、カップルで手をつないで街を歩くと、非モテ男性たちに不快感屈辱感を与えるかもしれない。だが、それは人権問題ではない。

  

ーー私はずっとそう考えてきた。ところが、近年には萌え絵とか、漫画とか、広告表現ゾーニング問題になっている。

フェミニストいわく、「女性への配慮が足りない」とか、「性犯罪セクハラ助長している」とのこと。

それならば、カップルが街中で手をつなぐ行為も、(一部の)弱者男性不快感を与えてはいる。それに女性自身の好みにもとづいて男を選別するのは、裏を返せば弱者男性排斥することだ。女のそういう欲望は、自分が嫌いな相手排除してもいいと、イジメ差別につながっていく可能性がある。

 

いずれにせよ、性的欲望に基づいて人を選別したり、そのさまを周囲に見せつける行為は、職場ハラスメントとして禁止されている。これは当人同士が納得していたとしても、まわりの同僚に迷惑になるから禁止なのだ

それにも関わらず、街中で男女が手をつないでいいのだろうか? また、カップル描写のある広告は、ゾーニングせずに世の中に出していいのか?

ましてフェミニストが主張するごとく、街中や新聞広告にも公共性があるという話をするならば、そこでは職場と同様、「カップルでつるむな」「恋愛はよそでやれ」という規範適用されるべきではないか

anond:20220416091748

公共性があるならいいんだよ。田島はあの時代一定公共性のある役割は果たしたと思うよ

ガン治療のために懸命に努力している医者がいて、それは妻をガンで亡くした自身へのセラピーだったとしても、別にいいじゃん?

2022-04-12

「スト権スト」という言葉を初めて知った

数日前に発表されたJR西日本不採算路線の収支報告書公表問題についてなんだけど。

民営化されているJR西日本と、鉄道が持っている公共性問題議論を眺めていて思ったことがある。

「じゃあなんで分割民営化なんかしたんだ?」という疑問が出てきたので、分割民営化の経緯を色々調べている。

その中で出てきたのが1975年11月に行われた「スト権スト」という現象についてである

すごいな、一週間に渡って新幹線も含めた全路線運休になったらしい。

スト権ストによって国鉄政府圧力をかけた結果として、何が起こったか

それは国鉄自体政府から切り離す、要するに民営化によって解決したらしい。

まりスト権ストが実施されていなければ、2022年現在日本国有鉄道存在していた可能性があったということである

もし今現在国鉄が存続していたら、一体どんな雰囲気社会になっていたのだろうか。

2022-04-09

結局、広告だけじゃなくて作品の中身まで使って批判したいんか

単行本1巻収録の「アイちゃん」のシリーズで何度も描かれるのは、電車内で女子高生男性会社員に胸を押し付ける場面。男性会社員は、この女子高生と会える通勤時間を「もはや憂鬱月曜日の朝に無くてはならない癒し」と捉えている。

全面広告で描かれた女子高生について、作中で男性会社員はこんな視線を向ける。

「いけないとは思いつつも 誰もが一度は目を奪われるーー

たわわに実った二つの膨らみが 少女らしく華奢な体をアンバランスに飾り立てる

男好きする設定が 制服を着て歩いているような少女

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7

これ、広告の何処にも書かれてないし、冒頭に書いてる通り単行本の中身から拾ってるんだが、この論法広告単体の表現では無く、作品のもの政治的に正しく無ければ公共性の高い全国紙広告を出すべきでは無い)で批判するなら全国紙どころか地方紙まで使って全国に全面広告出したFGOなんて原作はR18だけどいいんか?別作品から関係ない?んなわけねーだろさっさと批判しろよ叩けよ。



政治的に正しくないR18作品原作であるFGO広告掲載した新聞一覧:

全国紙:読売新聞

東京都:東京新聞

神奈川県:神奈川新聞

千葉県:千葉日報

埼玉県:埼玉新聞

群馬県:上毛新聞

栃木県:下野新聞

茨城県:茨城新聞

静岡県:静岡新聞

山梨県:山梨日日新聞

長野県:信濃毎日新聞

新潟県:新潟日報

愛知県:中日新聞

岐阜県:岐阜新聞

福井県:福井新聞

富山県:北日本新聞

石川県:北國新聞

福岡県:西日本新聞

佐賀県:佐賀新聞

長崎県:長崎新聞

熊本県:熊本日日新聞

大分県:大分合同新聞

宮崎県:宮崎日日新聞

鹿児島県:南日本新聞

沖縄県:沖縄タイムス琉球新報

北海道:北海道新聞

青森県:東奥日報デーリー東北

秋田県:秋田魁新報

岩手県:岩手日報

山形県:山形新聞

宮城県:河北新報

福島県:福島民報

岡山県:山陽新聞

広島県:中国新聞

鳥取県:日本海新聞

島根県:山陰中央新報

山口県:山口新聞

香川県:四国新聞

徳島県:徳島新聞

愛媛県:愛媛新聞

高知県:高知新聞

大阪府:朝日新聞産経新聞

三重県:中日新聞

京都府:京都新聞(京都府内版)

滋賀県:京都新聞(滋賀県民版)

奈良県:奈良新聞

和歌山県:朝日新聞産経新聞(和歌山県版)

兵庫県:神戸新聞

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