はてなキーワード: 伝統とは
私はてっきりトランスジェンダーの主張はもっぱらGID(性別違和)の人がしてるのかと思ってたんだけど、最近の増田を見てたら、最近のトランスカルトは非GID者がトランスジェンダーを主張していて、伝統あり社会的に認められつつあったGID者と対立しているらしい。
おもしれぇなぁ。
自由と個人を重んじるアングロ・サクソン系の国家で一番称賛されるのが、有名になることでも、大金持ちになることでもなく社会に奉仕することっていうの面白いな。金持ちの子供がハーバードに入っても「レガシィだろ」って陰で言われるけど、同じように金持ちの子供がコネで手に入れた議員の推薦状使ってウェストポイントやアナポリス入ると称賛の嵐。
いや、アングロ・サクソン系の国家って伝統重視とかジェンダーロールとかコミュニティ間の付き合いがめちゃくちゃ強いから、そもそも自由と個人の尊重ってのが幻想なのかも知れない。会社が所有してるサウサリート郊外の住宅に住んでた時に壁のリフォームしたら近隣住民が押し掛けて来て「なんで何も相談しないんだ」って言われたな。
めちゃめちゃビックリした。
人間の都合で調教して人間の都合でムチ入れて人間の都合でレース走らせて人間の都合で屠殺する競技の関係者が、他人を「動物虐待」って言って責める資格あると思ってるんですね。すごいなぁ。
当たり前だけど、何千万もの募金集めてようやく十数頭の馬を救っても焼け石に水で、本当に馬の福利を考えるのであれば競馬を廃止するか、年の競走馬生産を計50頭以内に抑えるのが一番手っ取り早いからね。
ダービーの実況で「○千頭の頂点!」みたいに言われることがあるけど、それだけの馬を生産してることが動物愛護の観点からいえば異常なわけで。
20年ものあいだ、全体からみれば微々たる数の馬を救うことで満足し、競馬廃止運動などを繰り広げてこなかった団体なんだから、てっきり動物虐待に対する体系的な問題関心を持ってるわけじゃないと思ってたんだけど、見込み違いだったかな(体系的な問題関心を持ってないのは悪いことじゃないよ、念のため)。
増田は動物愛護には何の関心もないオタクなので、普通に競馬を楽しむし、ナイスネイチャバースデードネーションにも寄付したし、それと同様に上げ馬神事についても「まあ伝統の神事なんだから別にいいじゃん」と思うけど、競馬産業を放置してる団体が上げ馬神事をあげつらうのはおかしい。
たかが数頭の馬が伝統行事で酷使される程度のことに怒るならば、より身近で体系的な競馬とかいう動物虐待に対してもっと真摯に向かい合うべきだっただろう。競馬廃止の運動をするとか、競馬関係者を糾弾して社会的に非難される職業にするとか、競走馬を生産する牧場のボイコットを呼びかけるとかね。
ナイスネイチャバースデードネーションで俺も含む大勢の人が寄付したわけだし、そのパワーを競馬廃止運動や牧場ボイコット運動や騎手の吊し上げに向けてはいかが?
競馬に情熱を注ぎ込んできた人たちが大勢いるように、地域の伝統行事を大切にしてきた人たちも大勢いて、それはどちらも尊重すべき人間の文化の一部だと思う。片方を「たとえ伝統文化だとしてもダメ」と切り捨てるのであれば、当然、競馬にも同じ刃を向けるべきだし、これまで20年以上も競馬関係の業界にいながら競馬のシステムへの根本的な批判を行ってこなかった団体がいきなり伝統文化に口を出すのは、ちょっと受け入れがたいものがあるなぁ。五十歩百歩ってご存知?
ところで、動物虐待罪は悪法であり廃止されるべきである。動物は権利を享有する主体と見做されるべきではない。動物の所有者が(絶滅危惧種ではない)動物をどのように扱おうが、それは所有者の自由だ。動物虐待を行った者が友達を失くしたり近所の住民に軽蔑されたりするのは仕方ない(誰しも友達を選ぶ自由はある)けど、それは他人の権利を侵害しているわけではないのだから、刑罰を科すのは間違っている(他人の動物を虐待したら器物損壊で処罰すればよい)。
動物虐待罪の保護法益は「動物愛護の良俗」とされているが、こんなものがまかり通るなら、「天皇を敬愛するという良俗」を保護対象にして、天皇の写真を焼くアートを取り締まる立法だって許されることになってしまう。多くの善良な日本人は日の丸をあえて損壊する行為に心理的抵抗を感じるだろうが、では日の丸を損壊する行為に刑事罰を科すことは妥当だろうか? 俺は天皇の写真を焼くようなパフォーマンスをする連中とは友達になりたくないが、そいつらが逮捕されることには断固として反対する。そして、動物虐待も同じだ。
動物愛護が美徳であることは否定しない。天皇や日の丸に敬意を払うのと同じくらいには市民の美徳だろう。だがある行為が美徳であることは、それを毀損した者に刑罰が科されるべきであることを意味しない。天皇の写真を焼き日の丸を破り捨てる行為がどれだけ腹立たしくとも合法であるべきであるように、犬を殴り、猫を焼き、馬にムチを入れレースで走らせたり神事で酷使したりする行為は、それがいかに嫌悪感を催すものであろうが、合法であるべきだ。動物虐待罪は市民の自由を奪う悪法である。一刻も早く動物愛護法を改正し虐待罪を削除すべきだ。
動物愛護を本気で考えてる人が競馬を批判するならまあ理解できるが、「俺は動物愛護に反対だけどね」は醜悪だわ。動物愛護にもグラデーションはあって「そりゃそんな使い方したら死ぬだろ」っていうのはあるでしょ。
ですよねえ。数十キロの重り背負わせて高速で東京競馬場や阪神競馬場走らせたら、そりゃ死にますよねえ。「原因はわからないんじゃない、ないんだ!」って、いやいやどう考えてもそれが原因でしょっていうね。
上げ馬神事で馬死なせるのと沈黙の日曜日とで何が違う? 俺にはわからない。片方が起きるような環境を文化として擁護するならもう片方も擁護すべきだし、片方を嵩にかかって糾弾するならもう片方も追及しないとおかしい。これまで競馬に深く関わっておきながらダンマリだった連中が上げ馬神事に強い言葉で物申すのは醜悪だと思うよ。
不快なものは規制してよい論者だ! 論拠が素朴すぎて絶滅したと思ってたけどまだ生きてたんだ! すごい! 超レア! サインください!
俺も隣人が犬や猫をいたぶって遊んでたら嫌すぎるし、今後のお付き合いは考え直すだろうが、隣人が刑務所に送られたり罰金を払わされたりするのは間違ってると思うよ。
2024/2/14 タイトル一部変更
自分の意見は「二次創作が伝統的に許されてるのにイラストAIになった途端許容しないのはダブルスタンダードだろ」という意見が核になってます。
なんなら自分も二次創作は好きなんですが、「俺の作品!」みたいな面されると反感持つだけです。
とはいえ今から追記するとゴチャゴチャにしそうなので波線以下文章は手入れてません。
本当にすみません
・お前のお気持ちだろ
仰る通りです
〜〜〜
「二次創作を有料に描いてる人が文句を言うなってのはお門違い過ぎないかなってね。今回のAIの問題点は「『人様の絵』を使うなって感じじゃないの?」とかのたまってるアホがいてイライラして書き始めた。
・AIが話題になるずっと前からfanboxやFantiaのガイドラインに許可されていない二次創作で金取ることを批判していた。
・イラスト生成AIは肯定派だが、あくまでそれは技術の進歩としてで、オープンソースとして研究されるべきだったし、クローズドにして金を取るのも、そのAIを使った金儲けも禁止すべきとは思ってる。(ただ、プロンプトのコツみたいなのはイラスト教本みたいな感じだからそれはfanboxでも出していいかなって思っている。)要はAIで金儲けしなければいい。
・二次創作そのものはどんどんやっていいと思っているが、それで金を受け取るのは違うだろクソ!と思っている。
まとめると嫌儲主義みたいだが、こんな感じ。今回の二次創作はfanboxで公開されてるエロ絵みたいなものを前提に考えてる。
あくまで「AIを禁止されないために相手の弱みを突く」ではなく、「二次創作で金取ってるやつがいっちょ前に創作者ヅラしてんじゃねえよカス」という立場。もちろんAI絵師は絵を描いてる!なんていう気はサラサラないし、そいつらはネットの承認欲求こじらせたアホとすら思っている。
そもそもAI禁止されたところでネットは遮断されないんだから、中国あたりにスクレイピングされて日本語の通じない相手が新たなイラストAI出すだけだし、規制は根本的な解決にならないだろ。
「AI絵師はこんなひどいことやってるし、こんなクソなんですよ!」といわれた場合、「そうですね。ひどい奴ですね。許せませんね。」となる。俺はイラストAIで金儲けなんてしたことないから、そいつはカスだね!で済む。単純な白と黒の二元論で物事を考える頭Mr.ゲーム&ウォッチがいないことを祈る。
それでこの前AI規制を訴えたアホがきらら作品のエロ二次創作でfanbox・fantia・DLsite・DMMのマネタイズしてたのを必死こいて削除してたのを見て思ったけど、最近の絵師(笑)はなぜ二次創作で金を取る?
同人誌ならまだ分かるが、データ媒体なら印刷費も郵送もいらねえのに何で金とんだよ。
作家の支援なら一次創作だけfanboxで投稿すればいいし、二次創作は無料公開すればいいじゃん。
わざわざpixivに本番シーンを抜いた不完全エロを投稿して「続きはfanboxで!」はなんなんだ?どう考えても二次創作エロを商材にしたドスケベサブスクサービスじゃねえか。
それを俺は昔から「おかしくない?」と指摘していた。これはあくまで古臭いヲタクの「二次創作はアングラだし、二次創作元の目に入らないようひっそりと楽しめ。金稼ぎなんてもってのほか」という考えから来ている。
ふざけんじゃないよ。
お前がキャラデザインをしたのか?
お前が周囲のキャラクターとのエモーショナルな関係性を考えたのか?
お前がそのキャラクターが織りなすストーリーで誰かの心を震わせたのか?
一次創作やる時に気を付けるのはな、「自分の世界を読者にいかに理解してもらうか」だよ。
その過程を「みんな知ってるあの作品のあのキャラです!」ですっ飛ばしといて創作者気取ってんじゃないよ。
お前がやったのは作品の文脈のフリーライドでしかないのを自覚しろ。
「この作品のこのキャラにこんなエッチなことをさせました!」なんてな、作家性もクソもねえし、リスペクトもクソもないよ。キャラクターの消費。
「人様の絵」って、人様の絵を使ってるやつが言える言葉ではない。
大体ネットで二次創作挙げて創作者気取ってるやつは碌な奴じゃない。
自分の考えた一次創作じゃインプレッションもらえないからって、二次創作に頼ってるだけの承認欲求だけが発達したつまらん人間だろ。
一次創作描いて少ないインプレッションに打ちのめされて自分がつまらない人間であることを自覚しろ。
長々描いてきたが、俺の主張はこうだ。
・「ガイドラインで許可されていない二次創作エロ描いてるやつはfanboxやめるか一次創作にとっかえろ」
・「『自分はイラストの練習頑張ってきたのに、後から来たAIがイイ感じのイラストかけるようになってずるい!』と思うのは好きにしろ。当然の感情だし、AIを悪用する奴が完全に悪い。ただしアホの理論武装をして作家性とか言い出すな。それが言いたきゃ一次創作しろ。」
・「ちなみに一次創作者は好きなだけイラストAIに文句つけまくれ。お前にはその権利がある。」
・「二次創作で金を取るな。それはお前が金を取っていい領分を超えている。」
別にAI批判をしてもいい。確かに法律的には学習はセーフだが、倫理的に問題は実際ある。国に禁止を訴えかけてもいい。(他国が保有してたら意味がない核みたいなもんだから、俺としてははイラストAIを普及させまくって市場的な価値を下げまくった方が、オリジナルの画風を持ってる人が有利になると思う。)
ただAIが悪いからといって、お前が二次創作で金取ったりすることが許されたわけじゃないのは肝に銘じておけ。
これは100%俺のお気持ちであって、この内容に俺の中の倫理的な正しさはあっても、皆に共有できる正しさはあまり含まれていない。(版権に迷惑かけなければ二次創作やりまくれ!とはいいわけがない)
そこらへんはきちんと明言しておく。
https://mainichi.jp/articles/20230513/k00/00m/040/221000c
北海道白糠町と釧路市音別町(旧音別町)の境界にある馬主来沼(パシクルトウ)西側の民有地で、大規模な太陽光発電計画が持ち上がっていることが、関係者への取材で明らかになった。一帯はアイヌ民族の伝統的生活空間「イオル」とされ、民族の伝承も残されており、近隣に暮らすアイヌ団体の幹部らからは懸念の声が上がっている。
明らかになった計画は、馬主来沼の湖畔の西側に当たる釧路市音別町の5ヘクタール強の原野。国道38号南側の海岸沿いに位置する。
不動産登記簿などによると、2021年8月、東京都港区の会社(A社)が、紋別市の会社から条件付きで買い取るとの所有権移転仮登記をした。条件は「本件土地の状態が発電事業を行うのに適切であると、買い主が判断したこと」とある。さらに今年3月、売買により、関係があるとみられる港区の別の会社(B社)に所有権が移された。
資源エネルギー庁の再生可能エネルギーの事業計画認定情報によると、この土地ではB社の名義で、発電出力1999キロワットの太陽光発電が22年3月に認定されていた。
法人登記簿によると、A、B両社はともに「太陽電池及び関連部材に関する卸・販売・輸出入業務」などを目的に設立された。社員欄には、海外の太陽光発電会社の関係者とみられる名前がある。土地購入手続きなどに携わったという日本人女性は毎日新聞の取材に計画が進んでいることを認め、「計画の見直しは難しいと思います」と答えた。
紋別市の会社の社長(78)は国道を挟んで北側の原野(約66・7ヘクタール)と山林(約330ヘクタール)も所有しており、「山林は東京都中央区の会社が太陽光発電を計画し、原野も別の複数の業者が発電用地を確保しようとしている」と明かした。
不動産登記簿によると、山林は22年11月、「売買代金完済」を条件に、東京都中央区の会社に所有権移転の仮登記が行われていた。紋別市の会社社長は「近くに送電線があり、計画は太陽光発電と聞いている」と明かした。さらに西側の丘陵地では、別の会社が設置した二つの太陽光発電が稼働しており、一帯は適地とみられる。
白糠町は馬主来沼の東半分を囲うような形で町有地284ヘクタールを「馬主来自然公園」として保全に努める。対照的に、西半分にあたる釧路市音別町側は保全の手は打っておらず、計画が進めば、沼の西にかけての多くがソーラーパネルで覆われる可能性がある。
白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は「寄り鯨が集落を飢餓から救った伝承のある土地で、アイヌ民族にとってはかけがえのない生活空間。守りたいのはやまやまだが、どうすればよいのか」と話す。
道東では釧路湿原国立公園の南側周縁部の原野でも、大規模な太陽光発電計画が水面下で進み、予定地には絶滅が危険視されるキタサンショウウオも生息することから、自然保護団体などから懸念の声が上がっている。【本間浩昭】
白糠町と釧路市音別町にまたがる周囲約4キロの海跡湖で、ヘラジカの角のような複雑な形が特徴。平均水深1・7メートルと浅く、冬には結氷する。縄文海進が約6000年前に終わり、海退の過程で砂丘が海水をせき止めて形成された。国指定特別天然記念物・タンチョウの飛来地で、環境省選定の「日本の生物多様性保全上重要な湿地」の一つ。北海道の「すぐれた自然地域」にも指定されている。
フンペ(アイヌ語で「鯨」)が漂着したことをパシクル(カラス)が教え、集落(コタン)が飢えから救われたとの言い伝えが残る道東の馬主来沼(パシクルトウ)。その西側の釧路市音別町で、大規模な太陽光発電計画が進んでいた。伝統的生活空間「イオル」の一角が侵食されかねない事態に、アイヌ民族は戸惑いを隠せない。
「寄り鯨」の伝承を裏付けるような出来事だった。昨年11月26日。沼から東に約3キロ離れた和天別川の河口近くに1頭のミンククジラが打ち上がった。死後かなり経過し、「海岸には腐臭が漂っていた」と白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は語る。「数年前のフンペ祭りの前日にも打ち上がった」という。一帯は、海が急に深くなっている海底地形や海流などの影響で、古くから鯨が漂着しがちな海岸線らしい。
この地に大規模な太陽光発電が計画されていると天内さんが聞いたのは1年ほど前。いったんは計画が立ち消えになったと聞いて「ほっとしていた」が、半年ほど前から再び業者が動き始めたと知らされ、「できれば造ってほしくない」と危機感を募らせる。
白糠町は、沼の東側を囲む形で約284ヘクタールを「馬主来自然公園」として保全する。昨年には太平洋を見渡す高台に、国のアイヌ政策推進交付金を得て、鯨の恵みに感謝する古式舞踊「フンペリムセ」(鯨踊り)発祥の地として、展望台やモニュメント広場、駐車場などを整備した。毎
年9月の第1日曜日には、寄り鯨の恵みに感謝を捧げる「フンペリムセ」が奉納される。
一方、沼の西半分を占める旧音別町側は1968年、音別町立自然公園条例を制定、沼周辺を町立自然公園に指定し、国道38号沿いに駐車場や説明板、周辺展望台を兼ねた休憩舎などを整備したが、面積は0・78ヘクタールにとどまっていた。
音別町は2005年の釧路市との合併で、白糠町を間に挟む「飛び地」に。条例は新市に引き継がれず、自然公園でもなくなった。「馬主来沼の存在は重要視されなくなった」と言う住民もいた。
音別町史にはこうある。「夕日が西山に沈む頃。白糠町側の高台に立って当町方向を眺めるとき、パシクル沼の水面に映る夕映え風景は、まさに一幅の名画を見る感がある」。釧路市は15年に選定した「音別新八景」の一つに「パシクル湖畔の夕日」を選んだ。
沼周辺は、アイヌの暮らしに必要な動植物の入手に欠かせない伝統的生活空間「イオル」とも位置づけられている。類いまれな景勝地とされる一帯の景観が「メガソーラーの海」に変わる可能性がある。【本間浩昭】
Q:ジュディス・バトラーの主張と批判について教えてください。
A:ジュディス・バトラー (Judith Butler) は、ジェンダー、アイデンティティ、権力の問題に焦点を当てた哲学者、ジェンダー理論家である。彼女の主な主張は、ジェンダーは固定的で自然なカテゴリーではなく、むしろ私たちの日々の行動や相互作用を通じて継続的に生産され強化される社会的構成物であるという考えに基づいている。彼女はクィア理論の発展に影響力を持ち、フェミニズム、異規範性、伝統的なジェンダーの概念に対する批判を行ってきた。
バトラーの主な主張の1つは、ジェンダーは遂行的であり、それは単に生得的または既存のアイデンティティを表現する問題ではなく、むしろ私たちが行動や行動を通じて創造し、実行するものであるということである。彼女は、ジェンダーは私たちが学び、内面化する文化的なスクリプトであり、私たちの日常的な他者との交流を通じて常に再生産されていると主張している。つまり、ジェンダーは私たちから独立して存在するものではなく、私たちが積極的に生み出し、参加しているものであるということです。
バトラーの研究のもう一つの重要な側面は、本質主義に対する彼女の批判である。本質主義とは、特定の特徴や性質が個人や集団に固有のものであり、これらの特徴がそのアイデンティティを定義するという信念である。バトラーは、本質主義は抑圧の一形態であると主張する。それは、アイデンティティには固定的で自然なカテゴリーがあり、それが差別や排除につながる可能性があるという考えを強化するからである。代わりに彼女は、複数の変化する表現形式を可能にする、より流動的で柔軟なアイデンティティの概念を提唱している。
ジュディス・バトラーに対する最も一般的な批判の1つは、あまりに抽象的で理論的であり、彼女のアイデアを現実世界でどのように実践できるかが必ずしも明確ではないということである。批判者は、ジェンダーのパフォーマンス的な性質とアイデンティティの流動性に焦点を当てることは、具体的な政治的または社会的行動に変換することは困難であり、彼女の仕事は不平等と抑圧の問題に対処するための明確な戦略を提供していないと主張している。
バトラーの研究に向けられたもう一つの批判は、個人のアイデンティティと主体性に焦点を当てすぎており、より大きな社会的・制度的構造が私たちの経験を形作る方法を十分に説明していないということである。一部の批評家は、彼女が成果主義とジェンダーの社会的構築を強調していることは、家父長制、資本主義、人種差別のような制度的システムを通じて権力が機能する方法に十分に対応していないと主張している。
最後に、フェミニストの学者や活動家の中には、生物学的な性と女性の経験の重要性を損なうとしてバトラーを批判する者もいる。彼らは、ジェンダーの流動性とアイデンティティの社会的構築を強調することで、バトラーは女性の身体の物質的な現実と、性に基づいて歴史的に抑圧されてきた方法を消し去ると主張している。
性犯罪はほぼ100%差別的な動機に基づくけど(せん妄、精神疾患、認知症、重度の知的障害、少数宗教の伝統的な実践、不慣れな文化圏に来た難民が衝動的に行動した場合などを除く)
左派やリベラルが、子どもを殺したお母さん、認知症で女性を轢き殺したおじいちゃん、大家さんを階段から突き落として殺した知的障害者のおじさん、精神疾患で悪魔にそそのかされたように連続で住民を殺して回った外国人のお兄さんなどを守ろうとするのは、そういうこと。
ファミコン版『Ⅰ』の容量・512キロビットは今でいうと携帯電話の待受画面ほどの容量でしかなく、カタカナも20種類だけでやりくりするほどでした。したがって、素の守備力にもそれ専用の項目を作れず、「すばやさ」の半分を今でいうところの「みのまもり」に置き換えたのでしょう。
そしてファミコン版『Ⅲ』はといえば、容量は2メガビットまで増えたものの厳しいやりくりは相変わらずで、最後にはタイトル画面を丸ごと削除するほどになっています。
ステータスも「たいりょく」や「かしこさ」は追加できましたが、「みのまもり」を「すばやさ」の半分で代用してきたところまで手を加える余裕はなかったのではないでしょうか。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13101258643