はてなキーワード: 中途半端とは
原作:黒執事一話とおなじで出落ち紹介がけっこう重要なので映像に馴染みにくそう
たとえば先代のとこなんかCVも体型もかえないと不自然だからカメラワーク糞不自然にしないと一発でネタバレじゃん
サザエさんドラえもん的なタスキルりセットをちょくちょく挟んだ話でアニメはあるけどさ
アニメ化:未見だがやるなら四畳半神話みたいだろうとおもってた 中途半端にラノベとしてもりあげようと失敗するだろう
というかブギーポップ自体がラノベだとはおもえない イソップの古きから続く童話の正統派後継者だとおもう
だから二次創作アニメとして世界観以外監督に全部おまかせのアニメ独自のモーフィングとかいれまくったネタで
スペースダンディとかパンストとか○○回みたいに自由にやってもらゃよかったんじゃねえの
やっててコケたんならごめんね
製造業だが過去の成功体験が強すぎるのとソフトウェアに弱すぎて進歩はなさそう
製造業の主な勝ち筋は
の2つだった。
だがかつての日本は給与安い人に職人芸を取得させ、給与を抑制(タダ働きのQCサークルとかが典型)で金をかけずに高品質なものを作るという新たな勝ち筋を見出し席巻した。
しかし今は貴方が触れているようなソフトウェアの影響で設備に金をかけて人に金をかけずに超高品質をさらに安く作るという新たな勝ち筋ができた。日本の勝ち筋は過去のものとなり中途半端なものになった。
本当は勝ち筋を乗り換えないといけないが成功体験とソフトウェアの弱さで難しく、現実から目を背け職人芸こそが日本の製造業の復活の道と叫ばれているのである。
ワクチン接種の大規模会場ニュースを見てこの国は本当に終わったなと実感した
国と地方自治体でどっちが責任を取れば効率的かを考えればいいだけなのに
お互いが責任を取りたくないからこういう中途半端なことが起きる
連携しようとするからコストがかかるんであって国がやるならやる、自治体がやるならやるで任せればいい
なので正直者が馬鹿を見る
防ぐ仕組みを考えればいいだけなのに「お願い」で終わらせる
単に後から調査して二重予約が判明したら取り消すとか言っておけばよくない?
実際には調査なんかしなくても十分に防げる
既に予約がパンクしまくってて事前に日時を決める方が効率的だといろんな自治体が実証してくれたにもかかわらず
日付決めて連絡すればいいだけだろうに 辞退する人は連絡しろ
とにかく早く接種率を上げることが必要とされているのに
仮にワクチンの効果が1年しかもたないとか判明したら日本が世界のお荷物になりますよ?
育児頑張りすぎ。でも、一人でよく頑張ったね。
いま、うちにも生後2ヶ月の3人目がいる。たぶん元増田とおんなじくらいだね。
3人目は「鳴き声がしたら生きてる証拠」と思って育児をしている。
1人目の時は、なんで泣くのかわからなくて、抱き上げたり、おむつを替えたり、それこそ24時間を妻と二人で交代、つきっきりだった。思えば、下の二人に比べて、鳴き声が大きく、耳に刺さるような泣き方をする子だった。小学生になった今も声は大きい。
2人目は、泣いてたら「どれどれどうしたんだ?」、3人目は「ああ、泣いてるな」。こんな感じになる。
これから奥さんが少しずつ回復して、二人になったら、もう二度と育児が原因で体調を崩させてはいけない。たぶん、基本的な体力はあるんだから、休みをとれば大丈夫。
子育てはポジションの決まった野球では無い。サッカーだ。それも、チームは開始5分でレッドカード2枚。そんな感じ。スペースを埋め、さがってさがってドロー狙い。中途半端なクリアーをするくらいなら、コーナーに逃げる。時間と体力を稼ぐのみ。
やってるとは思うけど、うちの場合はこうやって楽してた。
まず、授乳とその他家事で夫婦の役割を分けてはいけない。夫は粉ミルクを使ってでも、どちらもやる。睡眠をまとめてとるために、おきてるときはちょっとだけ頑張る。買い物もどちらかに任せない。外に出る事も重要。必要な者はリストを共有する。ルール作りは大変だけど、洗濯のルールと、子供ことだけ決めればいい。大人に関してはお互い文句を言わない。どちらかに任せている時間帯は泣いてもわめいても食べて寝るしか無い。変なこだわりは捨てよう。紙おむつ、粉ミルク、レトルト離乳食、なんでも使う。しばらくはミルクだろうから、ポットは2つ。お湯と湯冷まし。最近の粉ミルクは少ないお湯で溶けるから、お湯で溶かして湯冷ましで割る。これなら冷ます時間はほとんどいらない。子供が吐いたりして、服がやベッドが多少汚れても、そんなこと気にするな。どうせまた汚す。炊事と食事の間に10分つくってそこでミルク。そのタイミングで寝てたら、食べ終わるまで放置。
3ヶ月くらいで首が据わって子供が笑うようになったら楽しい事がどんどん増える。この2ヶ月つらかったのなら、もう大丈夫。明日は今日より楽になる。
あと、昼間、うちにいるなら、ちょっとだけ頑張って子供を抱いて散歩しよう。いまは良い抱っこひもがいっぱいある。親も日光に当たった方が良いし、子供も夜よく寝るようになる。
そして、思った以上に周りの人が優しい。声を掛けてくれる人も、見るだけの人も。
僕は生まれて初めて女子高校生に席を譲られた。それも、かわいーって言われながら。
よぼよぼのおばあさんに、「いい顔しとるね」と言われた。もちろん子供の事だが。
コロナで人との関わりが減ってるのが残念だけど、近所の散歩はしたほうがいいと思う。
声の大きかった1人目はいまは立派なお姉ちゃんになって、大きな声で「○○くん笑ってるよー」「お風呂の間みてるねー」と役に立っている。三人並んで寝てる姿をみると、笑いしか出ないよ。
どこかでうちの子供と同級生になるかもね。そしたら、「僕は3人目だからほっとかれててさ、長男長女がうらやましいよ」って愚痴ったりして。
はっきり言うが、中途半端な演劇見せるくらいならやらなくて良かった。そりゃできれば開催してくれた方がお金回りが良くなるのは分かっている
そもそもガチャゲーはとてもシビアで、手に入れたいキャラは入手期間が定められており、少しでも課金を躊躇すると機会を逃す、とても財布が軽くなる趣味だ。
なのに捻じ曲げられた二次創作物がそこら中にはびこっていて、舞台の登場人物のキャラクターには最早統一感が存在せず、やたらオリジナルキャラクターを出す、その癖自分だけがキャラクターを独占したいとグッズを買い漁り、好きあらば運の良さをSNSで自慢したいというクソ野郎ばかりだ。
そもそも舞台でのグッズはランダム商品がほとんどだ。推しの物を手に入れるには膨大なハズレを引く必要がある。
いくつかの同人誌はネット上で公開されていたりもする。何なら、このサービスに固定で付いている客は少なく
なのに脚本家はその自由性に付け込んで、中身のない演劇を原作者の権利だと言わんばかりにやっていくんだ。マジ粛清されてくれ
引退して別ジャンルに移ったユーザも見受けられた。今はコロナにより中止している劇場がほとんどだ。
山姥切長義に関してはグッズの高騰が激しいらしい。駿河屋など中古屋ショップに出るだけで珍品だろう。運営はキャラの格差社会を生み出してると自覚した方がいい。
神絵師って単語自体なんかちょっとキモいが、今回はわかりやすいから使ってる。
人は描ける。
顔の描きわけもひとまずできる。(極端なクール⇔元気っ子とか)
色は塗る。
全身描いた絵も複数枚アップしている。
上記が中途半端にできたが故に「下手ではないが神絵師でもない」という状態。いわゆる絵描かない人からしたら「上手いね!」と言われるアレ。
絵を描く人たちの中では宙ぶらりんだからもう上手くなってるのかも下手になってきてるのかも実際にはわからない。
ジャンル名+キャラクター、CPモノであればCP名のみにしたり。タグは使わない。普通の「2次創作の絵がついたツイート」。
それを深夜に投稿し、朝起きてRTいいねがそれぞれ2桁あればひとまず「今回の絵は下手ではなかったんだな」と思っている。
あと最近手を出したジャンル(相互に同志がいない的な意味で)の好きなキャラクターの絵をツイートして、同じように各2桁を観測。普段の絡みがいっさいない人から見てもひとまず下手ではなかったと考える。
しかしこのやり方は明らか周りからの反応を前提にしているのでやばい。良くない。悪い。
お前どんだけ図々しいこと言ってるんだよって話だ
まあ助けを求める方からすればそんな言葉が心をこれ以上無いくらい抉るということもわかるが
「逃げろだけが無責任」というのなら、もう無視して勝手に死ねば?という方がまだマシになる。
そして、まあ助けを求める側からしても、中途半端な助け舟よりは開き直られた方がまだ「救いの裏切られ」がなくて良いのかもしれない。
それにしても思い出すのはミナコさんの件だ。
苦しんでいた人を助けてあげようとして、ツラいことあったら連絡してね、と伝えたら、
毎夜の如く長電話の猛攻を受けることになったという。
助けてほしいという気持ちはわかるが、無制限に野放図に全ての救いを相手から引き出そうというのはもはや救いの搾取ではないのか。
だから「相談には乗るけれど、いつでもなんでもというわけにはいかない」と一々断りを入れる必要に迫られることになったのだ。
可哀想な人を助けたいという意思にどれだけの「責任」を負うのかということ。
無責任でいたいのなら無責任であることを申告しなくてはならないというところか。
だが今のクソリベラル時代は、「助けられる人間なんてそうそういないよ」みたいなスタンスを激烈に攻撃してくるからな。
とある育成ゲームを元にした二次創作の偽実況動画についての感想
もうタイトルで落ちている
※動画を視聴した際に感じた個人的な意見を愚痴ているだけで、こうしろなどの命令的な意図はありません。
『~した方がいい』『~してくれ』『~だと嬉しい』などの表現はあるけどぶん投げるだけの愚痴なので言ってるだけ。
以下感想
今やっているゲームの1作目の動画と別の長編ホラーゲームの2作目の動画はとても面白かった、繰り返し見ても飽きないくらいだった
なのに今やっている続編動画はどうしてもつまらなさを感じてしまっている
理由としてはいくつかあるけれど個人的に決定的にこれが気に入らないと感じた点を言うと
『無言が多い』
これに尽きると思う
無言が嫌なら見るなと言う意見もあるだろうけれど、先に言っておくと好きだからこそ粗や気に入らない点に気付いてしまうともやもやとしてしまうので言いたいのだ
顔芸本丸と名乗り呼ばれているその動画は名前の通り顔芸(イラスト)でリアクションをとっていくスタイルの動画なのだけれど、それにしたって無言多くない?と思ってしまう場面が多く感じられる
いくつか動画の間隔を空けて3秒以上の無言を演出するならまだ理解は出来るし見ていて面白いのかなと思うし、びっくりポイントで黙ってしまうのはビビり設定が活きていて良いと思う
(動画の間隔を空けるとは、例で言えば
part.1で10秒越えるほどの無言が続いた、part.2は普通に喋って、part.3で衝撃の展開が起きたりムービーが挟まって終始無言だった
くらいなら許せるし、内容によってはきっと面白い)
けれど顔芸本丸の無言は3秒以上10秒以内(個人的にリアクションが大切な実況動画内で許される無言の長さ)ではなく、下手したら20秒近くあるんじゃないか、それよりもっと多いんじゃないかと言うくらいの長さで無言が続くことが多い
その上、1つの動画内に一度の頻度ではなく動画内で何度も無言になるので見ていてだれてくることが多い
具体的に測ってはいないので分からないけれど動画の2/3無言だったと言われてもおかしくないレベルで無言が多いpartがいくつかある印象
しかも一人実況ではなく、二人で実況をしている体なのにどちらかが驚いて無言になったのをフォローするために話すとかでもなく、どちらも無言になるので正直こいつら仲悪いんじゃないかと思ってしまうくらい無言すぎる
どちらもビビりで無言になってしまうくらい驚いたと言う表現なのだろうけれど、本当にとにかく無言がつらいなと感じるし、何かしらの悲鳴でもあげてくれた方が見ている方も楽しい
たまに偽実況じゃなくて無言プレイ動画見た方が良いんじゃないかとか、自分が見ているものは偽実況動画じゃなくて無言プレイ動画なのでは?とか思う瞬間が来ることがある
偽実況と言うジャンルはキャラクターの性格や嗜好、台詞やリアクションなどの台本を1から考える必要がある上にゲームの進行に合わせて会話など色々なものを作っていかなきゃいけないもの。だからこその大変さは想像出来るし理解出来る。けど仮にも実況なんだから無言の空白が生まれないようにしなければいけないのでは?と疑問を抱かずにはいられない
偽実況が後付けであることは端から分かりきっているけれど、作り手による反応の違い、つまりリアクションを見たいのに無言しかないのはしんどい
顔芸を売りにしてるから無言中のイラスト見てろ、それがこの動画のリアクションだって言われればそれで終わりだけど、それでも無理があるよね?ってくらい無言なので本当にそこだけでもどうにかして欲しい
無言になって数秒後には復帰して会話をしてくれ、さっきの出来事に対して何かしらリアクションしてくれと思わずにはいられないのが今の心情
正直本人のツイート見ていて思ったけど、無言動画を作って出しても大丈夫なのでは?は勘違いなのでやめて欲しいところ
最近の動画と発言から作者が無言に頼りすぎ甘えすぎな印象しかないし、明白なことだと思う
【結論】
10秒以上の無言はだれるしずっと無言なのも何を見ているのかわからなくなるからやめて欲しい
無言とはまた別の話について
デスカウント先輩の存在が邪魔で仕方ないので控えてくれると嬉しい
内輪ノリが嫌とかではなく、デスカウント先輩になりすました(そもそも本人の特定など無理だけれど)コメントが溢れるのが嫌なのと、正直でしゃばってる感が鬱陶しい
作者に対してこの件について言うなら
デスカウント先輩の存在を公認するなら、きちんとカットした内のデス数を申告するべきでは?と思った
中途半端に頭がよくてプライドがあるから、「愚民のために社会主義、共産主義を目指そう!」っていうろくでもない思考に陥ってる
「ぼくたちはあたまがいいからじつげんできるんだ!」とも思ってる
物語の基本が「かけているもの」が最後に「満たされて終わる」ものだとしたら、そのお手本の一つがアイシールド21だといえると思う。
アイシールド21ってたくさんの試合を乗り越えながら丁寧に丁寧にアメフト部の部員全員のコンプレックスや弱点を克服したり、強みに変えたりしてたんよね。他の「より強い技を覚えていくゲーム」になりがちなジャンプ系のスポコンものとは一線を画す「物語としての強さがある」ことは高く評価できると思う。
他の名作スポコン漫画とか見ててもちょいちょい「なんかおるやつ」みたいなのが混ざってたりするけど、アイシールドは部員全員がアメフトを通じてきちんと人間的にも成長していく様が描かれていて非常に良い。
おそらく試合展開から逆算してキャラクターを作ってる部分もあると思う。こういう展開の試合、こういう展開の試合、こういう展開の試合。この試合にはこういうキャラの能力が必要で、この時点ではこのキャラは覚醒していない予定なのでこの展開は難しい等々等々。
最初から最後まで計算づくで作られている。これを連載作品できっちりやり切ったのは本当にすごい。
誰もが主役、とまではいわなくてもそれぞれがそれぞれの個性を生かして、自分でできることを精一杯やりこなして勝利をつかむ。チームプレイってものに対して誠実に作られているのもとてもよい。
がり勉の運動未経験で最後までほぼウンチだった雪光学が、選択したルートをひたすら間違いなく走ってパスをキャッチする、その一点で最強チームから得点をとるのはめちゃくちゃ熱かった。しかもこの「選択したルートをひたすら間違いなく走り続ける」ってのは「親に言われた通り成功へのルート(お勉強)をひたすら走り続けた雪光の小中学生時代」にきちんと対応している。う、美しい。
「なんでもこなしちゃう天才」が、自分が天才でないことを認めて「チームのためならなんでもやれる男」にクラスアップする展開もアツい。しかも、最後まで能力値としては中途半端な器用貧乏のままなのよね。
ほとんどの人はもう読んでると思うので今更言うことでもないとは思うんだけど、もしまだ読んでない人がいるならちょっと読んでみてほしい。最初から最後までセブンのサンドイッチばりに具材たっぷりで面白いから。
ワールドカップ編?
知らない子ですね……
いよいよ福岡でも週明けの12日から緊急事態宣言が再発令されるわけだが、個人的にここ最近町中で見かけた状況を考えると「当たり前だよな」と思った。
前回の緊急事態宣言下においては居酒屋がそもそも閉まっていたり、開いてても閑古鳥が鳴いていた場合が多かったが、緊急事態宣言解除以降居酒屋や屋台の人出が顕著に増加していた。
一年間にわたって場当たり的な緊急事態宣言を散発的に発令と解除を繰り返していて根本的な対策は何も進んでいないのに「緊張感を持ち続けろ」なんて無理に決まってる。
緊張感を持たなくて良いというのでは無く、目に見えない脅威に対して緊張感を1年以上にわたって持ち続ける前提の作戦を立てるのはバカのやることだということだ。
安倍政権時もそうだったが、安倍、菅政権の後始末を進んでやりたがっている政治家なんて野党はおろか自民党内にもほぼいないので、少なくとも数年はこの惨めな状況が続くことは容易に想像できる。
危機的状況→場当たり対応→無策で息抜き→危機的状況...というループをいつ脱することが出来るのだろう。
ワクチン接種も遅々として進んでおらずどんどん変異株も発見されている現状では先行きは暗いと言わざるを得ない。
バカを言うな、といわれるかも知れないが、3.11の民主党政権が原発村や各種族議員界隈を敵に回したことを利用して散々揶揄して歴史的大勝を果たした今の自民党は全方面に中途半端に配慮した愚策しか打てない。
今の状況で痛みを伴わない解決策など無いので打てる手がない。
問題の先延ばしも限界に達しつつあるが、それでもまだ「問題の先延ばし」しか行わないところからもそれは明らかだ。
ワクチンで一発逆転を祈っているだろうが、既存のワクチンの有効性が低下した変異株もどんどん発見されているため、それも実現性は未知数だ。
誰かに責任を押し付けて逃げることも出来ず、解決策も実現性は低く、ただ追い詰められるだけという状況は今後も続く。
そもそも検査数を絞って無症状感染者を野放しにしているこの国ではCOVID-19を押さえ込むことなんか無理なのだから、「他の島国を参考にして乗り切ろう」なんて甘えを捨てよう。
コロナの患者数は一次関数的にではなくて指数関数的に急激に増えるので、まだ少ないように見えても早期に思い切って叩かないとダメ。ウィルスや細菌は条件が整っていれば時間経過とともに倍々で増えるものなのだ。菅総理は専門家からおそらく何度もそう言われただろうけど、実際には患者が増えるまでじっくり様子を見て対応が遅きに失した。
問題はそれを繰り返したことだ。複数回失敗しても失敗の理由を理解できずに、2度目の緊急事態宣言も中途半端に終わらせて、3度目の緊急事態宣言をまた中途半端に打ち出した。このことから考えても、菅総理は算数レベルの理解が怪しい疑惑がある。
もっと文系的に、戦略の要諦は選択と集中で、戦力の逐次投入やロジスティクスの軽視は初歩的な悪手だという考え方もあるが、こういう発想も菅総理の頭の中には多分ない。
いつも自分に何かが足りないような気がしている。
高校入試のときも、終わってすぐに、もっと勉強しなければと思っていた。
大学に入ってからも、トップの学校に入れなかったことで、自分には何かが足りないと感じていた。
その一方で、努力をしてこなかった。
頑張らなければと思うわりに、適切な努力をしてこなかった。
高すぎる目標をかかげ、目標を達成するための計画を立てても実行はしなかった。
図書館で本を借りても、読まずにそのまま返していた。
計画を立てるだけで満足し、本を借りるだけで満足してしまっていた。
実際の行動に移すのをさぼっていたし、本を読みとおす努力をする根気もなかった。
何も積み上げられないし、努力が足りていないのを誰よりも自分でわかっていて、だから自分に何かが足りないという感覚は増すばかりだった。
学生時代に抱いていた夢や目標に近づくにはあまりにも辛いいばらの道を歩かなければならないと知り、断念した。
もともと何かを達成するために、すべてを投げうって努力できる性質ではないらしい。
医者になりたいとか、建築家になりたいとか、小説家になりたいとか、身の程知らずの憧ればかりが心に浮かんでは消えた。
ただ、まったく努力をしなかったわけではなく、ちょっとした挫折ですぐに諦めてばかりというほうが正確かもしれない。
成功した人たちは多分、挫折を知らないのではなく、挫折したとしても、少なくとも諦めなかった人たちなのだろう。
とはいえ、成功したと思われている人たちの中にも、何かが欠けているような感覚に呪われている人もいるのかもしれないが。
自分は社会に出てからこれまで二回、大きなキャリアチェンジをしている。氷河期世代ということもあるかもしれないが、あまり恵まれた職業人生とはいえない。それでも正社員として働けた時期もあったし、なんとか食うに困らず生きてこられたのは運が良かった部分もあったのだろう。
だが、仕事があることに感謝し、多少嫌なことがあろうと耐えて同じ仕事を続けるということが自分にはできなかった。家庭の事情で辞めたこともあるが、それも、必死になって続けようと思えば続けられないこともなかったかもしれない。ただ、目の前の仕事に対する執着が足りなかったように思う。
自分にとっては、どの仕事も、いつかたどり着く最高の仕事への踏み台に過ぎないという感覚が続いていた。今でもその感覚がなくならない。いつか、今よりももっといい職場でいい仕事に就けるんじゃないかと期待してばかりいる。
仕事を見つけるにしても、自分が就職できる先がいつも限られていて、妥協するしかないからこんなことばかり考えるのかもしれない。新卒のころから、未経験はお断りと言われ続けてきて、最近では年齢で切られることが多い。そんな自分でも雇ってくれるところがあるのはありがたいが、そういう職場はそれなりに難ありだ。
フリーランスになるとか、起業するとかにも憧れるが、自分には手に職もないし、アイデアもない。どこかに雇ってもらって時間を売る以外に、生活の糧を得る方法はない。健康で働けるうちはそうやって仕事を続けるしかない。
それなのにいつも夢を見てしまう。
実は最近もまた大きな夢を見始めてしまっている。いい年なので、これはミッドライフクライシスなのだろうか。いや、自分はずっとクライシスだからこれは違うのか。
それはさておき、その夢とは何かというと、博士課程に進学したくなってしまったことだ。
いい加減に落ち着けばいいのに、諦めがつかない。
自分の人生はこんなもんだと、得られたものに感謝して生きることができない。
あれはこんな感じなんだろうか。
あの話がミッドライフクライシスの話だなんて先生は教えてくれなかった。
研究したい内容はある。といって学者になりたいわけではない。もともとは進学が目標だったわけじゃなくて、やりたい仕事に必要な専門知識がまったくないことから進学を考えたんだが、これもまた、なんでこの年で、と自分で激しく突っ込みを入れているところだ。
なんでこんなに年寄りになってから、専門外の分野に手を出そうとしてるんだ。
頭も若くないし、体力も落ちる一方だろう。さらに言えば、大して頭脳明晰でもないだろう、自分。
そう思うと不安で胸がいっぱいになって動けなくなる。もう何もできないような気がしてくる。
後悔だらけの人生で、後にも引けない、前にも進めない。
どうすりゃいいんだ。
こんなこと、親には言えない。誰にも相談できない。こんな話をまともに聞いてくれる友達もいない。占い師にでも相談するしかないか。
もし運よく入試がうまくいって、新たに学業をおさめられたとしても、進学を志すきっかけになった仕事に就けるかはわからない。その仕事に就けたとしても、そのとき自分はそれを本当にやりたい仕事と思えるのかもわからない。
なんなんだ自分。
本当に馬鹿だな。
こんなに先が読めないやつ、ほかにいるんだろうか。そのときは一生懸命考えて将来を見据えて動いたつもりでも、結局は暗闇で手探りをしていただけだと、あとからわかる。
どうして自分のことなのに、こんなにわからないことばかりなんだよ。
これでも、昔に比べると自分のことがわかるようにはなってきた。学生時代なんて、本当に悲惨な自己認識で、現実が少しも見えてなかった。理想と自分が本当に求めてるものがずれているのに気がついてなかった。失敗を繰り返して、やっと少しずつ自分の価値観みたいなものがわかってきたときにはもう遅かった。もう20年ぐらい前に自分のことをわかっていたかった。
人生100年という説もあるが、実際のところ人生って期限がわからないのが辛いところよね。わかればもう少し計画的に生きられたかな。
どうだろうな。
何かを成し遂げた人が羨ましい。自分は何もかも中途半端で何も成し遂げられないまま人生を終えそうな気がしている。
だけど、やりたくない仕事をずっと続けるのは耐えられないんだ。
今の自分に足りないものを補えば、いつか満足のいく職場で幸せに働けるって思っていたいんだ。
適切な努力はしなかったものの、それなりに頑張ってきた自分が、こんな職場で腐っていくなんて思いたくない。全然共感できない経営者のもとで、都合よく使われるだけなんて嫌だと思ってしまう。
どこかに自分の理想の職場があって、理想の仕事がある。自分の天職がある。いつかそういう仕事に就ける。そう思っていたいんだ。
仕事に多くを求めすぎているんだろうな。そうそう理想の仕事なんてないんだから、仕事は仕事と割り切って、私生活を充実させるようにするのがいいのかもしれない。
でも、なんで自分の人生の時間をやりたくない仕事にとられないといけないんだと思ってしまう。幼稚でナイーブでどうしようもない。いつまでたっても大人になれない。自分で自分を不幸にしている。
頭ではわかっているのに、現実を受け入れられないまま、この漂流人生は続くんだろうな。
いい加減、落ち着かないと、もうどこも雇ってくれなくなりそうだ。そうなったらどうしようか。迷惑かけないようにひっそり死のうか。
『緊急事態宣言』とかいうどう考えてもヤバそうな字面にビビってた去年のウチらはもういなくなっちゃったね。
完全に思考が多動のゴミなので自分でもなんかよくわからない文章になっちまって読み返す勇気もなくしたぐらい最悪な気がしているけどもうなんだっていいですよね。いいということにさせていただいた。
知り合いのインスタが旅行やらBBQやらの投稿で溢れてる中、それを見ながら、人目を気にしないで遊びに行けるようになったらここに行きたいなーとか思って職場と家の行き来をしてるだけの自分は結構偉いなと思うし。
自分だって20代前半のこの若さと元気があるうちに今しかできないことがしたいし、行きたいところだってやりたいことだってたくさんあるけど、50代以上の家族が自分をきっかけに重症化したらいけないからって大人しくしてるよ。
(まあ飲食業で都市部繁華街に毎日出入りしてるので今更とも思うが!!!)
だからってインスタグラマー達を批判する気にもなれないよ。もう。
ダラダラ中途半端に緊急事態宣言しては解除して付け焼き刃って感じだもんな。
ロックダウンでもしたらよかったんじゃないのかね。政治的な詳しい話は全くわからんが。
時短営業も緊急事態宣言で休業になったって、業界とそこで働く人達が貧困になっていっただけで、他にどう変わったのか本当にわからなかった1年だったよ。またこの1年が始まるのかと思うと。なんだあの非接触検温制度。冬とか全員34度しか出なかったよ。そりゃそうじゃ。
と、みんな思ってるんじゃないのかな。
みんなもう飽きているというか呆れているというか慣れているというか。何が緊急事態なんですか?というか。
もう何万回も言われてるけど、政治家は給料変わらないからいいよなーーー!!!知らないだけで減ってんのかな。まあ減ってたとしたって貧困にはならないからいいよなーーー!!
オリンピックを中止にできない事情は色々あるんだろうけど、この状況でやるのであれば開催中のメディアからの情報で静かに確実に心が擦り減ってダメになっちゃう自分が見えるよ。