はてなキーワード: 不要論とは
ヤジ問題、テレビ報道やらネット報道やらいろいろなところで報道されているが、
媒体によりスタンスが違うのはもちろん、受け取り手の印象が違いすぎてすごいことになっている。
・「早く結婚しろ」とは言ってない、「みんな結婚しろ」と聞こえる。セクハラではない(なぜか男性が多い、NHKの音声増幅で押韻の関係でそう聞こえやすくなっているそうだ)
・ヤジ自体悪いとか何言ってんの、一連報道は的外れ(ヤジの内容は問題ないし、何故騒いでいるのかわからない系)
多め意見
・結婚できない女のひがみすげえw
多め意見
少なめ意見
・議会でハラスメントがまかり通っているのはおかしい、高齢議員はハラスメントの定義を学習すべき
この問題、女性のように直接自分に利害がある存在が敏感になるのは分かるが、
要は高齢議員にとって身近な問題でなければ、
もっとまともな政治家も必要だが、もっとまともな有権者もいないものか。
そらおまえ、俺がヌクヌク研究できる環境を与えてくれる大学や行政に対して
それを奪われる可能性を上げる文系学問不要論を俺がなんで支持しなきゃならんの。
俺がしゃぶれるスネがあるうちは全力で
って叫び続けるに決まってんじゃん。
そいつに向かって「おまえの学問要らん」って言われても困るわ。
それ決めんの俺じゃねーし。
そら経営サイドの方に言ってくれや
(中略)
文句は採用サイドにどうぞ。
うんまあ、それはその通りだよな。
それで、政権の文系不要論を支持するかしないかって話になるのではないかなと思う。
俺も「要らん」って言われたら素直に野に帰るわ
そうなればいいんじゃないかな。
理系人間は役に立つか立たないかで議論するから、文系学問不要論を唱えるが、文系学問を真面目にやらないからこそ薄っぺらい人間になり、薄っぺらい人間だからこそ文系disをする。
これ、文系学問が役に立たないことを認めちゃってるよね?(俺は、役に立つ文系学問もあるとは思うけど、とりあえずこの前提に乗ってみる)。
役に立たない分厚さってただのはったりだよね? はったりで世の中渡って恥ずかしくないの?
http://anond.hatelabo.jp/20140516005154
文系disはたくさんあるが理系disは少ない。なぜかというとそれだけ理系が文系disする人数の方が多いから。つまりは理系の方が性格悪いってこと。理系人間は役に立つか立たないかで議論するから、文系学問不要論を唱えるが、文系学問を真面目にやらないからこそ薄っぺらい人間になり、薄っぺらい人間だからこそ文系disをする。わざわざ違う学問の道に進んでいる人間を貶める必要はない。そもそも自分が究めたこともない分野の学問に口出しする勇気に驚かされる。自分が専門分野で活躍することで万能であるかのようにでも錯覚してるんだろうけど。
もうちょっと詳しく言うと、旧帝大クラス以下のレベルの大学で文系学部って必要なの?
安倍政権の大学改革で、文系不要論が台頭してるので、文系の皆さんが大騒ぎしてるんだけど、理系の自分としては、複雑な心境になるんだよね。それって自業自得ってところもあるんじゃないの?っていうか。
旧帝大クラスの文系でも,ぬるま湯につかりすぎだろって、理系の人間なら誰でも思ってるんじゃないかな。毎年毎年授業は変わり映えもせず、試験もレポートも楽勝、学生も教員もそういったぬるま湯に浸りきってる感じ。じゃあ、文系教員が研究してるかというと、文系で、コンスタントに海外の論文誌に発表してる教員って、「割合として」そんなに多いのかな?
理系だと、論文は普通英語で書くし、海外で研究発表してなんぼで、もちろん業績というのは査読つきで初めて評価される。社会や経済方面でグローバル化が云々されて久しいけど、理系だと昔から戦場は世界であって、日本語で論文なんか書いたって何の評価もされません。ところが文系の研究者って、業績リストを見るとほとんど日本語文献ばっかだよね。しかも、ほとんどが査読なしで、学会論文どころか、新聞とか雑誌の原稿までも立派な業績扱い。こういうのってほんと理解に苦しむわ。
要は、日本という非常に狭い箱庭の中で、内輪で馴れ合ってきたのが文系の現状じゃないの?だったら昨今の厳しい財政状況の中では厳しい評価を受けるのも当たり前だよね。
念のため言っておくけど、文系分野で世界的に評価されている研究者がいないと言ってるわけじゃありません。あくまでも全体的な傾向の話。
なので、旧帝大クラス以下のレベルの大学で、文系なんていらないじゃんっていうのは、それほど暴論じゃないと思うんだけどなあ。でも、そういう論調は主流じゃないんだよね。
facebookに書いても到底知人に「いいね!」されないしさりとて自分のブログに書くか?という気がしたのでここに書きます。競馬新聞みたいに書きたかったが、詳しくないので無理だった。
先に結論を書いておくと、
宇都宮 | △ |
田母神 | × |
舛添 | ◎ |
細川 | ○ |
です。あと、競馬新聞だったら 「波乱含み」と書かれてると思います。
都知事選挙について その2|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり
http://www.taro.org/2014/01/post-1436.php
http://www.asahi.com/articles/ASG1H5KBMG1HUTFK00L.html
片山氏、舛添氏支持依頼に難色 「婚外子への慰謝料扶養が不十分」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140119/plc14011917580011-n1.htm
政党助成金で借金返済 舛添氏の「新党改革」 政党支部→資金団体と迂回
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-01-21/2014012115_01_1.html
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20140116-OYT1T01056.htm
http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2014/01/117848.php
http://www.asahi.com/articles/ASG1P0GWFG1NUTFK00S.html
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11746489362.html
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140119/elc14011917060001-n1.htm
http://simplog.jp/pc/pub/11564344/45
泡末候補によるJリーグで言うと降格争い、箱根駅伝で言うとシード権争いか(良く言いすぎかも)。
有効投票総数の10分の1を得て、供託金300万円を返してもらえるかを観察したいと思います。
の誰かと思われる。今回は堀江貴文の資金出してもらって出馬した、株式会社paperboy&co.創業者の家入一馬さんの動向に注目したいと思います。勝ち予想は・・・正直どうでもいいです(笑)。
以上
突っ込みどころの地雷原たる一連のツイートだが、いくつか言いたい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1785362.html
所得の低「そうな」人ほど礼儀正しさを備えているように「思える」という雑なイメージを吐露している。
なぜ雑かというと、所得の低そうな人がどういう人か、礼儀正しい人がどういう人か、
読者に納得のいく意見が述べられていないからである。データや経験のない意見は
その雑なイメージを基に疑問を呈してみても共感など得られるはずもない。
まずは「牛丼 客 年収」などでググることが必要だ。別に論文レベルの
データや参考文献は必要ない。だがそれを補うためには圧倒的に魅力的な経歴が
2. 疑問は時に炎上する
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1499407139
皆さんは上の投書を覚えているだろうか。
新幹線の指定席を買い忘れた壮年男性が空席を求めて指定席ゾーンを彷徨い、
最後は自由席で子連れの母親から席を譲ってもらったという話である。
ペットや未就学児童が指定席に座っていることに疑問を呈する投書であるが、
「虚を突かれ」「座席で居心地の悪さを感じながら」など、
今回のツイートも「僕はこんな疑問を持ちました」という表明である。
が、共感を求めるポーズが滲み出ており、「分からない」という形式の疑問ではなく
「僕/私の言ってることは間違ってますか」という形式の疑問である。
このテの疑問は小町でよく見かける。そして漏れなく炎上している。
3. 不要論は禁止に似ている
たしかに「牛丼屋でごちそうさまなんて本来不必要」と「牛丼屋でごちそうさま言うな」は違う。
だが、世間では「○○なんて不要」という意見は強制の意味を多分に含む。
そんな考えを持った人間たちが街を練り歩く姿をよく見かける。
そもそも140文字という短いフォーマットでは1つのツイートでも
正しく理解してもらう文章力が求められる。殊に本を書いてもいるプロなら尚更だ。
「なぜ謝らなければならないのか分からない」を繰り返していた。
この局面になって炎上する理由が分からないのは他者意識が欠如していると
言わざるを得ない。ここで言う他者意識とは、「この文章を読んで読み手が
どう感じるか」ということだ。
考えてほしい。そのツイートがなぜ炎上したか。なぜ反対意見が多いのか。
かく言う私は反省も謝罪も求めてはいない。求めるのは学習である。
日本で政府や企業を運営しているのはさらにそいつらの親の世代なので、もう一世代回らないとネット不要論は少数派にならないと思われるが。
百歩譲って「ネット不要論者」が少数派になったとして、今のネットは「かつて世間から迫害()されたパソコンオタク」が居た頃のネットと同質かどうかという話が残っている。
ので、やっと世代が変わってきたんだなと実感できた。
もう、今の時点でネット不要論などを言う人間は確実に少数派だろう。長かった。ほんとーに長かった。
パソコン通信時代から「これから時代は変わる」というのはよく聞いていたが日常生活で時代が変わった感を感じることはなかった。
しかし、ここ数年「自分の子供が結婚する」的な記事を一般的に見かけるようになってきた。
やっと時代が変わりつつあるんだな。
今日で20年以上に及ぶ「パソコンオタクとして世間から迫害された自分の復讐」を終わらせようと思う。
奴らはマイノリティ側になった。
同胞達よ、やっと変わったよ。
まだ我々は歩かねばならないが、とりあえずの役目は終わった、あとは次の世代に任せよう。
※以下で記述されるものは第一に愚痴であり、第二におそらく特殊な事例です。一般化して生活の知恵とすることはできないのではないかと私は思っているので、時間を無駄にしたくない向きや面白おかしく楽しい記事を読みたい向きはアレしてください。
※一応申し上げておきますと表現規制方面とはなんの関係もないです。
私は今日(8月31日)、ディナーとしてお好み焼きを食しました。母が心をこめて拵えたもので、大変おいしゅうございました。
ただ、その大きさが私の腹具合に対してある意味で威圧的であり、私はお好み焼きの傍らに鎮座する白米をなかったことにしました(単純に食べなかったということです)。
食事後、麦茶を飲みながら家族でバレー女子のワールドグランプリを観戦していた折、父がおもむろに戸棚からせんべいを引っ張り出してきて、母と私に勧めてきました。
これに母、「おせんべいを食べられるならご飯も食べられるでしょう」と反応。御意にござります。食わざるもの食うべからず(Google検索結果 5件)。
次の瞬間発された、母に対する父の言葉こそ、私から言葉を奪ってそのまま姿を消した、犯人です。
「そういう言い方をされたら、『じゃあいらない』と言いたくなってしまうよ」
まず前提として、父がせんべいを持ってきた時点で、私にせんべいを食べる気はありませんでした。私のぽんぽはお好み焼きで満たされており、満腹中枢は「いや本気出せばいけるよ?いけるけどねー、今ちょっとそのタイミングじゃないと思うんだよねー」とのたまう体たらくだったのです。
思い返せばそのときにいらないと言えばよかったのですが、TVはデュースを告げており、正直せんべいどころではなかったので生返事をしてしまったのです。そこへ母です。
「おせんべいを食べられるならご飯も食べられるでしょう」発言には、口ぶりに冗談のニュアンスも含まれてはおり、「そもそもすでにお腹いっぱいです」と応えれば意地っ張り感はまだあまり出さずにせんべいとお別れすることができたでしょう。しかし相手国のセットポイントに気を取られた私に隙はありまくりでした。
次の父の発言「そういう言い方をされたら、『じゃあいらない』と言いたくなってしまうよ」に対しては、もう打つ手はないように思います。これに乗っかってせんべい不要論を唱えても、その言葉に信ぴょう性は与えられず、両親に私が意固地になっていると思われることは必至です。もちろん、どちらかあるいは両方とも食べるという選択もありえません。お腹いっぱいなのですから。
最も良くないことは、ここで私が何も言わないことによって、両親の心に「私はせんべいを食べたかったのだ」という認識が帰結してしまうおそれが十分にあったことです。
この状況では、私はどうあがいても、またあがくことをしないでも、せんべいが食べたかったことにされうるのです。私の意志を置き去りにしたままで。
以上が今宵(31日)私の身に起きた大きな悲劇です。ここまで読んでくださった方には、労りと感謝の念を着払いでお届け致します。
もし上記の愚痴の内容に関わりのある、またはまさにそのものを説明している社会心理学その他学問的な文献などご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひお教えいただきたいです。と思っているのですが、増田ではそういうことは基本的になされないのですかね。はてなは勝手がわかりません。でもクレクレ文は書いておきます。
原発どうこうって、地震が発生することを考えずにそこに住んでいた、ってのと変わらないのは何故皆わからないのかな?
津波で家が壊された人は、そこに津波がこないと信じこまされた安全神話のせいで壊されたのか?
原発があそこにあることにより被害が拡大したことは事実で、今後はそれを"想定外"では済まされず、
必要がないものなら廃止にしていく、という議論については正しいと思うが、
地震発生まで何も考えてなかった連中がこぞって原発を叩いているのは非常に滑稽な。
中国でのH7N9型鳥インフルエンザのヒトへの感染、ここまでのニュースで知る限り96人感染し18人が死亡している。
当初は死亡率が4割以上だったので、死亡率自体は当初の予想ほどでない気がするが、2002年のSARS騒ぎのときと比べても十分な驚異だ。
これが、2009年の新型インフルエンザ並に世界中に広まったら、SARSの時の死者774人どころの話ではなくなるだろう。
もちろん、人類絶滅なんてことはないと思っているのだが、病院の飽和や、交通機関のストップくらいの騒ぎは起こってもおかしくない。
ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでも、証券取引が数日で再開した回復したし、東日本大震災で交通機関も通信網も電機もとまる東京も、ケロッと回復したわけで、なにが起きたってなんとかはなるだろうが、やはり怖い。
そんなわけで、現時点での情報で考えたことを書いてみる。
生物系ではあるが、まだ学部生なのでいい加減なところもあるが勘弁。
ヒトの間で現在流行しているのは、H1N1(2009年に新型とされた豚由来)、H3N2(いわゆる香港風邪)
二つ以上の型が同時にヒトの間にあることは、今までの歴史からすると例外事象で、今までは新しい型がパンデミックを起こすと、旧来の亜型は姿を消している。(しかし、復活したこともある。どこに潜んでいたかは謎だ。)
1889~ H2N2と推定されているが、遺伝子を含めウイルスが残っていないため、証拠は薄い。
1900~ H3N8とされるが、やはりこれも推定。
1918~ H1N1通称スペイン風邪。鳥から豚、豚からヒトへ感染したらしいことがわかってる。1918-19年の大流行は1億人の死者をだしたとされる。これ以降もたびたび散発していたが、それ以降はそれほどの死亡率は出していない。1950年のウイルスが、1977年に復活しソ連風邪と呼ばれた。
1957~ H2N2通称アジア風邪。鳥のウイルスとスペイン風邪のウイルスが豚のなかで間の子を作り、豚からヒトにきたと推定されている。アジア風邪の流行とともにスペイン風邪は姿を消した。
1968~ H3N2通称香港風邪。鳥のウイルスとアジアかぜのウイルスが以下略。やはりアジア風邪は姿を消す。
1977~ H1N1通称ソ連風邪。1950年のものと同じとされている。研究所流出説等々囁かれているが謎。以後H3N2と共存
2009~ H1N1通称新型インフルエンザ。同じくH1N1だが、豚で維持されていた型でソ連風邪とは遺伝的に遠い。それまでのH1N1ソ連風邪の発生は急速に減少。このまま姿を消すかと予想されている。
散発例ばかりだが、16年間の累計で600人以上が感染して、死亡率は6割を超えている。
恐ろしいことに、発生例は世界中で、しかも同じH5N1といっても遺伝的に相当はなれたウイルス何種類もあるようだ。
ヒトヒトは現在ないとされているが、人から分離した株でワクチン(プレパンデミックワクチン)を作り各国で備蓄してる。
鶏に感染すると集団が死滅するほど強い病原性があるとされているが、近年ではそうでもないケースもある。
その病原性の強さを決める特徴的な遺伝子配列はわかっているが、鶏に対する病原性の強弱と、ヒトに対する病原性の強弱が一致するかどうかは謎。(スペイン風邪はそのような配列をもっていない。)
H5N1と同じく、鶏を片っ端からぶっ殺す養鶏関係者からしたら恐ろしい型。
50人以上が感染したが、死亡例は1人。
しかし、あとになってわかったことだが、感染者に関わった人間に抗体価の上昇がみられ、症状がでなかっただけでヒトヒト感染があったのでは?と疑われてる。
いわゆる香港風邪とは別に、豚で流行しているH3N2が新型インフルエンザの遺伝子の一部を獲得したもの。
変異型(varriant)としてH3N2vと区別される。
2011年から2012年の間で、なんだかんだで150人以上が感染したが、いずれも軽症。
パンデミックは常に豚からという歴史的な経験と豚と接触のない子供の感染例から、H5N1からこちらに注目が移りつつあった。
はっきりいって誰もノーマーク
麻疹、おたふくかぜ、風疹、水疱瘡はワクチンで防げると信じているし、インフルエンザワクチンだって毎年打ってもらってる。
しかし、基本的には、ワクチンというのは既知のウイルスにしか作れない。
ワクチンに限らず、全ての薬は、少なすぎては効かないし、多すぎては毒だ。
いったいどれだけの有効成分をバイアルにつめたら効くのか、どこまで安全なのか、わからない。
パンデミックが起きる起きると言われ続けたH5N1に対しては、どれだけの量で効くのか、どこまで安全なのか、動物実験でも臨床試験でもかなり確かめて、ワクチンが作られてる。
それでも、本当にH5N1のパンデミックが起きた時に役立つかどうかは、神のみぞ知るというところだ。
H7N9に対しては、おそらくデータらしいデータはなにもない。
一人分のワクチンを作るために必要な卵が一つなのか、二つなのか、三つなのか、あるいは百個なのかそれによって供給のスピードも変わってくる。
それを一つ一つ検討してたら、数年かかる。
今、ウイルスがヒトヒト感染を獲得して、加速度的な感染者増加があったら、間に合わない。
似たような問題は抗ウイルス薬にも言える。
しかし、やはりどのタイミングでどのくらい投与すれば効くのか、手探りだろう。
もちろん、ワクチンの問題に比べると、データの蓄積は早いだろうが。
製造の問題もワクチン同様だ。
石油からでも作れれば、原料が足りないという問題は少ないだろうが、原料となるのはある種の草。
ウイルスが悪さしているのは間違いない。
しかし、ワクチンや抗ウイルス薬でウイルスの増殖を緩慢にさせれば、どうにかなるのか?
肺に水が貯まるから死ぬとか、アレルギーに近いのような病態で死ぬとかだったら、ワクチンも抗ウイルス薬でどうにかなる病気ではないだろう。
そこらへんのデータもまだない。
手洗い、うがい、そういう基本的な対策しかないだろう。
空港での水際作戦も、ほとんどの病気がそうであるように、潜伏期がある以上、いよいよヒトヒトになったときはオマジナイ程度にしか頼れないだろう。
現時点で、ヒトヒトじゃなく、あるいはそれがあっても限定的であるならば、なにから感染しているのかを突き止めて、感染源を叩くしかない。
感染経路を特定するのが最優先だ。
遺伝子から想像する限り、鳥由来であるだろうが、感染源が鳥だという確証もない。
しかし、調査したサンプル数に比べて、汚染率がそれほど高くはない。
鳥からだけきているならば、鳥を制圧すればよいのだが、鳥以外のほかの動物からも来ている可能性を否定できない。
SARSの時は、通常一人の患者が数人に感染を広げていたが、一人が20人以上にうつすスーパースプレッダーと呼ばれる感染者が存在した。
今回も、そのようなスーパースプレッダーがいないのか?
言いたいことはタイトルの通り。
情報ツールの使い方など人それぞれ好きにやっていればいいと言われればそれまでだが、下記の記事を読んで遂に増田に書くことにした。
Googleリーダーの終了で、困るのはたった1~2%のユーザーかも?!
著者はインターネットマーケティングのコンサルを生業としているとのことだが、それでこんな話しているとか大丈夫なのかと少し心配になった。ユーザーが複数のツールを併用しながら情報を収集しているとどうして想像できないのだろうか不思議だ。
私はGoogleReaderにこのブログを登録しているが、確かに私も彼のブログにRSS経由でアクセスしたことはほとんどない。しかし、これは私にRSSが不要であるということを意味しない。単に彼の記事はRSSを見るより先に他のソーシャルから流れてきて読み終えてしまうからだ。このように他のアクセス流入元を確保している情報発信者にとっては確かにRSSなど時代遅れで不要なものなのかもしれない。
しかし、世の情報発信者がすべてそのようなタイプかと言えば決してそうではない。すばらしい情報を発信できる人間と情報発信を効率的に行うことが得意な人間はイコールではない。本当にブログに書くだけで満足してしまいソーシャルなどでの交流を欲しない人間もいれば、半年に一度思い出したように書く人間もいる。そしてそういう人間の書いた文章がどうしようもなく面白いということがしばしばある。
私はそのようなブログを見落とさないためにも今後もRSSかそれに類似したサービスを使い続けたいと思う。そして、彼らの文章に大いなる感動を覚えた後、余計なお世話なのかもしれないが彼らにいつか日の目が当たることを夢見てはてなブックマークに追加する。私のような楽しみをインターネットに求めている人間もまた決して少なくはないだろうとも私は信じている。
最後に、これは至極個人的な偏見になるが件のブロガーのように本気でRSSのようなサービスを不要とする人間は今ネット上で流行っているホットな情報さえ押さえていればそれでいいというやや軽薄な人間だと私には思えてならない。あるいはマーケターとはまさにそこを押さえることこそが仕事なのかもしれないが。
参議院は一つじゃなくていいんです!
一つにしなきゃならんという呪縛から離れると、ユニークな選出方法が生まれ、衆議院のカーボンコピーなんて呼ばれなくなるんです!
皆さんの知的好奇心を少しでもくすぐるような案がまとめられたらうれしいです!
っていうか、この改革案を考えるのに念頭に置いている政治キーワードを書いておくので、知らない人は調べてみてください。すみません。
ねじれ国会・特例公債法案・衆議院の優越・首班指名選挙・内閣不信任決議・問責決議・特別多数・参議院は衆議院のカーボンコピー・首相公選制・党議拘束・一票の格差・非拘束名簿式比例代表制
だいたいこんなところだと思います。
で、ねじれ国会を中心にして、問責決議で参議院が審議拒否とか、なんかいろいろ面倒くさいことが起こるし、議員のお給料ももったいないとか言って、一院制にしようって意見を言ってる人もいる。橋下とか。
でも、きちんと機能する参議院なら、税金使ってもらっても結構ですって人もたくさんいると思うし、私はそんな一人。
私は、一院制には反対です。「一院制 デメリット」「一院制 弊害」とかで調べてください。
それに首相公選制にも反対です。米国の大統領制がちゃんと機能してるように見えますか?
いろいろ意見があると思うけど、私はそうは思えないし、国民が衆議院議員を選び、衆院議員が総理を選び、その総理が閣僚を選ぶってこのエレガントさが好きです。
ってことは、もう皆分かってるんだけど、二院制のメリットを生かしてデメリットを少なくする制度を作らなきゃいかん。
各個々人の議員さんの良識に頼るんではなく、制度上強制的にメリットを引き上げて、デメリットをなくすものを作らなきゃいかん。
いつやるか? 今でしょう!!!!!
皆さんご存知の言葉で言うと、参議院には「良識の府・再考の府」であってほしいですよね。
ですよね!
そのためにどうするか!……その前に、衆議院はすごい。ということを雑に述べます。雑に。まあ衆議院は一般民意を表すということが言いたいし、そうであってほしいということです。今回は衆院の選挙制度改革には触れませんけど。
そのときそのときの民意を表すのは、衆議院の総選挙なんだと思いませんか?
参議院なんてあれです、任期6年で3年に一度、半数を改選です。これで民意なんて表せない。総とっかえできない!
政府を作るのは内閣で、内閣を作るのは総理で、総理を作るのは衆議院なんです。総理指名選挙は衆議院の優越がありますよね。
んで、衆議院の任期は4年ですけど、実際の任期は「総理が解散しようと思ったとき」ってことは皆さんお気づき。任期満了総選挙なんて1976年以来行われてないんですよ!
たとえ衆院で内閣不信任案を突きつけられても、総辞職をすれば解散はしなくていい。参院の問責決議なんて無視ですよ!
総理ってすごい権力者! でも、その総理を選ぶのは衆議院です。
その議員を選ぶ総選挙は、したがって尊い。あの3年前の総選挙も、良くも悪くも実は尊いんですね。
それに比べたら、参議院なんてお飾りです。
何が総理は退陣しろ!だ。国民は総理を選ぶ権限を参院議員には与えていないぞ!
お飾りにはお飾りなりに、ふさわしい選挙制度と、議決上の劣等、権限上の劣等があってしかるべきです!
参議院に求めることというのは、そんなことではないということです。
ということで、いよいよ次の部は「参議院の選挙制度改革案」、その次は「参議院の権限とか」です。
ねじれ国会の最中にあって、参議院が機能するためには、参議院所属議員の党議拘束を外せばいい? 違いますよね。
やっぱ党がないと専門外の自分の頭で考えて議決権を行使できる人なんて(中には専門なんてない人もいるし)いないと思いませんか?
そもそも党議拘束を外すといったって、それを実効的に法的に禁止する術はないと思うんです。
でも、ちょっと待って!
専門外の自分の頭で考えて議決権を行使できる人なんて(中には専門なんてない人もいるし)いないと思いませんか?
「総務 参議院」
「……参議院」
これは一応、現在の参議院の常任委員会を目安に、各専門参議院に分割しました。
●定数はわかんないけど、20人? イメージは円卓ですよ!
(だから専門参議院選挙の投票用紙は、各専門参議院の数だけあるわけです。投票所のスペースが心配ですね。)
or複数立候補できても、一つの専門参議院にしか当選できません。
●各参議院議員は国務大臣を兼ねられません。政府の仕事をしたい人は、政府の審議会とかに入るのは自由だと思います。
●任期は6年、3年ごとに半数改選。6年間しっかり専門分野と付き合ってください。今の参院議員は6年寝てるんじゃないか?
そんな具合です。あと、つまり、
●予算および予算関連法案は、衆議院の専権事項。専門参議院には議決権がありません。
予算ていうのは、この国をどうするのか?という疑問の回答そのものですよね。それは衆議院に(実質的には内閣・与党)にやってもらいましょう。偉いんだから。
●法案はすべて衆議院先議。衆議院が、その可決法案をどの専門参議院に投げるかを決める
そりゃ、専門参議院なんだから、その筋の専門家が当選してくるでしょう。私たちが選ぶんですけど。
衆議院の審議の不足を補い、法案を否決したり、修正案を少人数で作るんですよ! で、衆議院に投げ返すんですよ!
衆議院が可決した法案を送付した専門参議院以外も、所属議員の1/3(?)以上の議員の賛成によって、その法案の審議に参加し、議決も合同でします。
たとえば、関税をうんたらする法案を、衆議院が経済産業参議院に送ったとします。
でも、外交防衛参議院だって黙っちゃおれん!という場合には、合同参議院を開きます。財政金融参議院だって物言いたいかもしれません。
この機能で結局政党化しちゃうかもしれないですし、議決のための多数派工作に利用されるかもしれませんけどね。
結局すべての法案に全専門参議院議員が参加してるとかになったら面白いですけど。分けた意味ねーっていう。
やっぱり再議決は過半数でないと政治は動きません。と、思います。特別多数は厳しい。
でもその代わり、国民が政党名を書くんじゃなくて、直接名前を書いた人たちが決めた事柄です。ましてや専門を名乗る人たちの意見です。与党(衆院の多数派党)は無視できますか?
与党には、専門参議院の議決を蹴ってまで、その原法案を通す覚悟が求められ、また次の総選挙で審判を国民に仰ぐのです。
そして、また専門参議院は、似非を含めた専門馬鹿の集団になるでしょう。だから、一般人の意思が端的に表れる衆議院はやっぱり専門馬鹿に優越するんです。
議長・副議長は各参議院の互選で選べばいいでしょう。
●憲法改正発議は、全員参加!
国民投票にかける前の国会発議は、全議員の2/3以上にせよ、96条改正で過半数になるにせよ、衆議院議員・専門参議院議員の全国会議員が参加します。
会計検査院を専門参議院の傘下に置いて、とかいろいろ思うけど、お金返せって言っても、返ってこないだろうしなあ。
なんとかならんかなあ。
それでもいいけど、衆議院のほうがふさわしい気もするし。
どうするのがいいだろう?
必要あるのかな?
尻すぼみ! 思いつき! 詰めてない!
でも、どうですか!
これで現状の国会の問題の多くが解消し、上院本来の目指すところである良識の府・再考の府になりそうじゃないですか!
そう思ったのは私だけですか!?
分野ごとにブロック分けして選出したって、結局は人気投票になると思います。実質的に政党化しちゃうかもしれませんね。でも今よりかは、マシだと思うんですよ。
『民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが。』チャーチル
『専門参議院は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、専門参議院以外の全ての上院の選出方法を除けばだが。』増田
仮にも立候補者は専門家を自負して、その専門参議院に立候補してくるわけですから。
加えて、専門参議院議員は政局に絡まめないように権限を制限することで、私たちが期待するあるべき参議院になってくれるんじゃないかなあ。
地方代表を入れるとかいう考えもあるけど、たぶん衆議院は小選挙区制だし、道州制も入ってくれば、やっぱり参議院議員は地方代表である必要など無いと思うんですけどね。
まあ、そんなことはどうでもいいんですよ! 皆さんも参議院について思うところがあると思うんで、
考えを聞かせてください!