はてなキーワード: ノブとは
うちも妻のほうがカネもちの状態で統一ではないが外国由来の信教を持ち、父親は親戚に士業がいた
父親は洗脳されかけていたが、生来の人好きの性格やオタクいやノブレスな責任感を死ぬまで持っていて妻には手を上げることもなかったので、逆に妻から迫害され、自分は反面教師だと意味深なことをよく言っていた
子の私は妻から妻を受取人とする生命保険を非通知でかけられ、その10年後には運転中に体当たり押し出しの轢き逃げ事故にあい体幹を負傷
しかし警察が轢き逃げを記録し本人が自白していても検察や裁判所は取り上げずに済ませ
相手から民事裁判を訴えられても信用できそうな弁護士は契約できないし、裁判官と保険会社で酷い和解案を出してくる
見たくないんだが同居人が週間として朝飯時刻に時計代わりにつけているので見てしまっている…その場にいる全員でツッコミ入れながらだけど。
もうツッコむ気力も失せた。
ーーーーーー
沖縄とは何度か観光した以上の縁がなく民俗研究とかしてない身だけど、沖縄文化はご先祖様を大事にしてお盆は盛大にやる、くらいは知っている。こちらでいうお盆はウークイといい、旧盆の時期にやるのだそうだ。古来より盆暮正月は帰省が許されるんだから、お母ちゃんの再婚の噂で「すぐ帰る!」とかトチ狂ったこと言わすんでなく、ウークイだから帰ります、でいいんじゃねーのかよ。旅費高いから数年ぶりの帰省って感じにすれば当時の沖縄との距離もだせたじゃんよ。
ウークイは盛大にやる=準備が忙しいわけで、こんな時期に「だけ」遺骨収集にいくお母ちゃんっておかしいだろ…比嘉家なんも準備してねえな?お父ちゃんのお迎えとお送りしねえの?いや、自分ちが親戚全滅してたとしても近所のお手伝いとかあるじゃん?社会から完全位孤立してんのか比嘉家。これまでの行いからして孤立してても不思議じゃねえけど。
そもそも山原(沖縄の北のほう)からガマのある南部って片道移動に半日かかるぞ…。
で、石川家の嫁、なんで実家にいんの?ここんとこ娘の姿がねえな、どこにやった?海に沈めたのか?子役のスケジュール押さえられないなら、子供出すなよ。
そもそも博夫は実家から出てアパートで暮らしてんだから、そこに合流すればいいだけなのに良子が実家にいる理由はなんだ?実家に入れば育児は歌子に丸投げできるからだろう?「この子の母親は私しかいない!」とか言ってたのは無かったことになったんだな。
だいたいそもそも、ウークイは毎年巡ってくるだろ?子供時代のお父ちゃん死んだ初盆で子供に教える体でお作法とかやって、お父ちゃんとお母ちゃんの話をちょっとして「幸せになりなさいね」ってやればよかったやんけ。そしたら視聴者もウークイの勉強になり、ストーリーもなんぼか見られるかたちに積み上がったのに。30近い兄弟が雁首揃えて、はじめてのウークイの体ではじめてお母ちゃんの昔話聞いてる体が不自然すぎる…気持ち悪…。
昔話パートでも、親戚探しにいくと言って、親戚の一人でもあるオーナーに親戚の消息を報告するでもなしにいきなり結婚して山原に住むと事後報告とか、お父ちゃんも大概だな。
そして沖縄戦の悲劇は合計30分未満の語りで終わって、ノブコとクズピコのラブシーンの踏み台にされただけだった。は?きも。海と三浦大和の歌で誤魔化しきれると思ってんのか?八百屋のあんちゃんはもう退場なのか?オーナーの、メイレイハゼッタイって要らんだろ。きも。
ただ、昔語りの2日間はノブコが「マサカヤー」「アリエン」と金切り声あげなかったから耳に優しかった。それだけは評価する。どうせなら顔映すのもなくてよかったかな。あの人声が良くねえ。あの子供っぽい喋り方はそういう演出なのか?厨房では髪を結べ、汚えな。
本土復帰50周年作品と銘打ってしまったから沖縄を使ったけど、沖縄の文化を描くでもなく、本土復帰前後のもろもろの社会運動や復帰後の混乱を描くでもなく、ただ顔の濃い方言女子におっさんの考えるカワイイムーブさせたかっただけじゃねーか感。
料理とか取ってつけた感しかないし、イタリア料理について調べもしてない。食材ぶちまけるとか焦がすとかいう寒いギャグの連発を見るに、製作陣は、食事はエネルギー補給のエサとしか思ってないんじゃないか。鶴見の居酒屋に下宿して、自転車10分の横浜寄りの小綺麗な洋食屋で修行でよかったじゃないか。
そして1970年代80年代前半の新聞記者様(エリート)は当時の鶴見なんぞには絶対に住まないので、クズピコとノブコが同じ下宿=やりまくりですね!になるんだよ。あーあ下半身の相性が良すぎてステータスと金を持ってくるはずの婚約者切っちゃった、とな。
放送開始前に思い描いたのは、沖縄を舞台にして綺麗な海や山原のモリモリの森やギンギンの太陽を背景に、地元食材を使って、戦争の傷を抱えた人々とともに食のアメリカ化に抗う沖縄料理食堂を切り盛りする物語だったのに…。なんでこんな…。
「世の中って思ったより面白いし色々ワンチャンあるじゃん……」
顔が思わずニヤつきそうになった。
流石に状況が状況なので表向きは抑えていたが、目だけは煌々爛々とするのを抑えきれなかった気がする。
戦争が始まろうが、流行病が蔓延しようが、結局世界は昨日までと大きく変わらずに動いていく中で、テレビが伝える情報は世界の壊れる音を聞かせてくれた。
世界は壊れる。
誰かが壊せる。
数年ぶりに心のエネルギーがポジティブの側へと傾くのを感じた。
このままもうこの人生終わってもいい頃合いじゃねえかな?
そう思ったのはファウストの最後、世界をよりよくせんと誰かが振るうツルハシの音を聞いたと勘違いしながら息を引き取る場面が脳裏をかすめたからだ。
俺にとっては、テレビが空砲と伝えた破裂音、鉄パイプをガムテープでグルグル巻きにしたガラクタのような何かから火薬が弾けた音が、希望のラッパみたいに聞こえたんだろうな。
クソったれのお偉いさんども賢しさ振りかざしのエリートども皆皆逃げ場のねえコロシアイの始まりだ。
沸騰しそうな頭の中でそんなサンダードームみてーな謳い文句を必死に考えてる自分がいた。
産まれた時から無能で貧乏で結局ソレをなにも変えられないまま偏差値50未満のアホの群れとして年収手取り300万の人生がずっと続いていく世界に本当にうんざりしているのが我ながらよくわかった。
ぶっちゃけ万人の闘争は既に始まっていて、だから優秀な人間は無能な人間に貧乏くじを押し付け続けられているわけだが、突然ルールが変われば、その勢いで誰にでもワンチャンが出る。
戦後の闇市がまさにそうだったわけだが、俺は大戦争までは望んでない。
ただ今椅子取りゲームの頂点にいる連中が、突然自分がぶっ殺される側になると怯えてくれるだけで満足なのだ。
万人が万人にとってのダモクレスの剣となり、誰もが誰もを本気出したら殺せる世界、そんな世界じゃなきゃ人権宣言なんて紙くず扱いだ。
俺はもういい加減強いやつが強いからという理由でハラスメントを繰り返して、それを告発しようとしても報復に怯えて皆で隠し合う社会にウンザリしてんだ。
調子こいたらぶっ殺される。
そのルールを下層だけが強要されて、上の人間が都合よくそのレベルを調整して、上を不快にさせたら調子こいてるのでぶっ殺していいって勝手決めちまうような社会がもう懲り懲りなんだ。
誰もが、誰もに対して不快を叫んで良くて、そして不快を叫ばれた奴が怯えるべきは追求ではなく銃弾であるって社会で良いんだ。
全米ライフル協会なんぞはどうせ権力で凝り固まった老害の組織だから信用してないが、銃によって赤ん坊が大人をぶっ殺せるという社会でなければ人間同士の相互監視は実現しないんじゃねえだろうか。
相互監視が実現しなければ、結局人権ってものの在り処さえその場その場の権力者が好きに決める社会になっちまうんじゃねえか。
人が人を自分より下層の雑魚だから何やってもいいと思いこむことそのものさえ恐れるような社会の誕生の鐘の音があの日聞こえた。
成り行きを見守りたいと思ったよ。
自分の人生も、好きなゲームの続きもとっくにどうでもよくなっちゃいるが、それでも何かもうちょっと観測できるんじゃねえかと生き長らえてきた。
結果を観測してから死んでおきたいものに一応出会えたわけだよ。
さあ、どうなる?
ノブリス・オブリージュのないゼニゲバの成金の2世3世が人間の人間扱いを放棄することで社会を回そうとし続けるのかい?
それともビビって表向きだけでも数だけは多い下層の人間どもに媚でもへつらうかい?
見せてくれよ。
俺はそれを見るために生きることにしたんだよ。
田舎の人が都会(というか東京23区あたり)の声で嫌味に聞こえるものとして、車への認識が大きいと思う
特に富裕層につま先を濡らしている人の多くは田舎の車文化を毛嫌いする
なので都会にいくほど普通免許の取得率は下がるし車自体を持つことを嫌う傾向にある
かくいう自分も東京で学生やっていたときは免許なんて取らず車も運転する理由がまったくなかった
転勤先の田舎で強制的に取らされ、その後転職して別の田舎で車を必要とする生活をおくることになり今に至る
その過程で思うのは、車に乗らないで済むならそれでいい、ということだ
あえていうけど車やバイクというモータリゼーションが嫌いというわけじゃない
単に車が維持費がバカ高い乗り物なので趣味や余興で手に入れるならまだしも、生活必需品として位置づけられることに違和感があるだけ
これは自動車税、ガソリン代、駐車場代、車検・整備費、などを合わせた額だ
自動車の維持費を落とすことは容易ではないため、田舎では家賃や住宅ローンに車の維持費を月割した額を含めて考えないとあっという間に破産してしまう
これが電車ならば定期代を会社からまるまる出してもらえる可能性もあるのだが、車だとせいぜい通勤経路のガソリン代だけだ
こんなに高いものを支払わないと生活できないとかちょっとおかしい
これが結構大問題で、都会にいた頃は1日1万歩は楽勝だったのに、今は職場の巡回などで稼ぐしかない
しかも田舎は階段の概念が乏しいことが多く、家の中や職場以外では全く階段を上り下りしないことも多い
そうすると運動量が極端に乏しくなる
自分はまるでアルコールを飲まないから良いのだけど、数世紀前の飲み会がまだあった時代は車で居酒屋に行けば帰りは代行運転を頼むかシラフの人に送ってもらって必要があった。自分が飲まないならば飲んだ人を送り届ける必要が出るので、どっちみち手間や時間やお金がかかる。
電車ならば車内で寝ようが本を読もうが自由である。けれど車だと運転に集中する以外にすることがない。どんなに疲れていても自分を移動させるには頑張って運転するしかなく、事故に合わないようにするには自主的に休憩を挟むと必要がある。試験会場に向かう最中に軽く問題集を読み返す、なんて単純なことが車だと難しくなる。なので情報源がラジオなどに偏ってしまい、無駄にラジオCMを覚えるハメになる。過払い金とビックモーターが大嫌いになった。
高齢者の運転事故はなぜ多いのか。車を運転していればわかるけど、ほんのちょっとした集中力の欠けや操作ミスで簡単に事故は発生する。レーンを一定速度で走行する、という基本中の基本ですら疲れや不注意で容易に外れてしまうのだから、運動神経や感覚が鈍っている高齢者が運転すればどうなるかは想像にかたくない。
プリウスミサイルは決して誇張ではないと思う。なぜならあのシフトノブは悪意があるとしか思えないのだ。他の車ならばシフトを最上部に持ってくればパーキングが入りとまることができる。しかしプリウスなどの電子シフトだとパーキングは独立したボタンとなっており、最上部にするとリバース(バック)になってしまう。とっさの判断を強いられる運転において、あろうことか止まるとリバースが同じようなシフト位置にくるのは事故を起こして欲しいという悪意がなければ成立しない。
それになぜかBレンジというバックとも捉えられるシフトが存在するのも謎。しかも足を前に出すとブレーキとアクセルの両方に足が触れるので非常に危ない。
車は他の家電と違って、ないと行動そのものが阻害される。人によっては冷蔵庫がなくても問題ないケースもあるが、車がないと田舎では本当に何もできない。地域社会自体が車を前提に組み込んでおり、徒歩や自転車への扱いが雑だからだ。もちろん徒歩や自転車ですむならそれでいいのだが、それは子供がいなかったり職場がすぐ近くなどのレアケースでしかない。
車自体は面白い。運転は爽快だし多少の荷物があっても自由に移動できる。満員電車に子供を乗せるなんていうリスクを負う必要もない。
けれどやはり生活自体に組み込まないと成立しないのは度し難い。
運転自体が苦手な人でも田舎にいれば強制的に車を持って運転しないといけないのは理不尽だ。
できるならカーシェアの方が気楽なんだけど、田舎ではカーシェアが圧倒的に非効率なのは言うまでもない。お金の学校などでカーシェアを田舎の人に勧めているのだが、それなら引っ越すかタクシー通勤したほうが良い。
とりあえずスーパーの隣の家に住みたい
母親の体表がぬめぬめとした毒膜に包まれており、それに触れると患部が赤く腫れあがるなどの症状が出る。
食事に関しては熱を通すことで無毒化されるので火を使う料理はある程度安心して食べられるが、
サラダなどは怖くて食べられない。
風呂に入る前に風呂場を熱いシャワーで念入りに流す必要があり非常に不便だし、
皆様お元気ですか。
私は相変わらずです。
[歌詞検索サービス 歌ネット]にて「ブルマ」を含んだ歌詞をキーワード検索する。
なお「ブルマ」とは関係のない「ブルマン」(ブルーマウンテンコーヒーの略)、「テーブルマナー」や「ゼンカイオーブルマジーン」(註:ゼンカイブルーンとゼンカイマジーヌというロボットが合体してこんな名前になるらしい)が引っかかるのでそれは除外した。また、ドラゴンボールの登場人物であるブルマも含めていない。
さて、調査の結果、いくつかのパターンに分けられることがわかった。
魔法少女プリティサミーイメージソング「DOUBLE MIND」(1998/03/25)では
見学ばっかりの
体育じゃ 泣けてくる
いらない ブルマなら
売り飛ばしちゃいたくなる
と、当所のブルセラブームを感じさせる歌詞がある。ウィキペディアによれば、1991年から1992年にブルセラショップの名がついたそうで、宮台真司は当時ブルセラ社会学者と呼ばれたという。なんだそりゃ。
ドージンワークエンディングの水橋舞「夢みる乙女」(2007/07/25)では
ソ・ラ・は ピンク色で
ブルマもビュッと飛んで行く
というよくわからない歌詞がある。作者のヒロユキの自画像はブルマーに一本線の手足と顔が付いているというもの。そのため「ブルマくん」と名乗っていたそうだ。しかし、「アホガール」以降はそれがバナナに変わっているとのこと。
コスプレ衣装を連呼する「ロリィタ帝国ビショージョ大帝」(2007/10/31)では
着るなら着なさいよ
という歌詞があるが、これもよくわからない。元々オープニングの「もってけ! セーラーふく」もよくわからなかったのでそういうものだろう。
「迷い猫オーバーラン!」イメージソング、「スキだからスキ」(霧谷希というキャラのキャラソン)(2010/06/25)では
イイ子 ワルイ子 どっちでもない
と珍妙な歌詞で、さすがスパッツの上にブルマーをはく「ブルッツ」という概念を考えたアニメであるな、と納得した。一昔前には「はっぴぃにゅうにゃあ中毒者隔離スレ」なってスレッドが2chにあったのだが、覚えているだろうか?
ちょっと変わったのでは聖Smiley学園生徒会「twinkle*2」(2014/03/05)で
「追いかけっこしてたら迷った!」
という女声電波ソング(註:電波ソングというカテゴリも、そのうち「電波」という表現がまずいといずれ改称されそうな予感がする)っぽい歌詞なのに、これはニコニコ動画の男性歌い手たちが学園生活を送っているという体裁のCDなのである。
アニメやゲームとは違うが、ボーカロイドではデッドボールPの「クリスマスヒトリポッチ」(2014/07/02)があり(註:初音ミクWikiによれば2012年のクリスマスソング。前述の日付はおそらくCDになった日)、
ローションドロドロノブルマ
と、ブルマーを使った自慰行為が表現されている。このサイトではカタカナの歌詞だが、元の歌詞は㍍などの記号の下半分だけをつなげて読ませるものになっている。
つまり
㌔㍓㍇㍎㌔㍀㌔㌨㍔㌏
となる。
2009年結成のアイドルグループ、私立恵比寿中学「体操」(2013/07/24)には
ブルマー
トレパン
トレシャツ
という歌詞があるが、あまりブルマーはそこまで歌詞の中で重要な意味はなさそう。少なくともPVはクオーターパンツ姿である。
驚いたのがブリーフ&トランクスのブルマ率の高さである。
「ブルマン」(2000/05/01)では
へその上まであげている
1組の桜井
ブルマン……
また、「となりの柳橋」(1999/09/01)では
となりの柳橋が言いました
「伊藤くんに言いたいんです。
スカートの中をのぞかないでください。」
となりの柳橋が言いました。
そして挙句の果てに「ひとりのうた」(1999/09/01)では、
ひとりきりっていいよね 座布団のにおい かぎまくれるし
ブリトラの伊藤多賀之と細根誠、どっちがブルマーフェチなのかどうかは知らないが、どちらも1976年生まれ、ブルマー世代ではある。生々しいのはそのせいか。
「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマンの歌」には
赤いホッペに 太まゆげ
と彼の姿を歌っている。あれは提灯ブルマと呼んでいいのかわからないが、まあいいだろう。歌詞に風俗街の名前を織り込む当たり、時代を感じる。
またmiCKun「O-Z-3 feat. Crystal Boy」(2011/01/12)では
と昭和世代の象徴として用いられている。miCKunはmihimaru GT」のメンバーのmiyakeで、「mihimaru GT」は「気分上々↑↑」で知られる。
それではまた。
美人女がブス女に向けて化粧のやり方とかスタイルのいいボディの作り方を教えたり、整形費用の金を援助するのがノブレスオブリージュであって、弱者男性と結婚してあげるのは別ににノブレスオブリージュじゃないやん。んで整形はともかく美容アドバイス腐るほどある。
分かるかな君らの脳で。
反出生主義は、要は「合意なくこの世に産み出される、ふざけるなすべての出生は悪だ」なんだよね。で、生き続けているってことは生に合意しているのでは?と言うけど捨てるのはまた違うって理屈だよね。
翻ってノブリス・オブリージュは、要は「偉いやつは望む望まないに関わらず責任を持て」ってやつで、元は王族とか貴族とか。
でさ、王族とか貴族とかは生まれたくてその地位に生まれたわけではないよね。生まれを呪う奴だっているわけ、仮に生活が民より良くてもだよ。んで、それでもてめぇは責任を負うんだ!って言うわけ。合意してないのに。
反出生主義という、合意がないことを責める考えに身を置きながら、合意なき責任を相手に課すって、これもう破綻してない?嫌ならやめろ続けるなら合意だ論でいくなら、反出生主義はじゃあ嫌ならシネって言われて納得すんの?生きてたら生に合意したことになんの?
矛盾してんだよね。