はてなキーワード: タグとは
最近よく見かける「反応がないので創作活動やめます」っていうの、すごく悲しい話だなと思う。でも、「その気持ちわかんないな」とも思う。
なんか、だいたいこの手の話って「やっぱり感想送らなきゃ!」「続けてほしければ感想は大事だよね!」というのが多いと思うし、わたしもそれは分かるんだよな。わたしはあんまり声を出さないけど、声を出して感想を送ったくれた人によって恩恵を受けてきた側なんだとは思う。
ただ、わたしも一応たまに文字を書く人間としては、「反応がくるとかこないとか、そういう次元で悩んでしんどくなるのってやっぱ大変だな」と思う。別に僻みとか妬みとかではなく本当に。
わたしはかつてサイトも運営していたし、pixivにもたまーーに投稿してる。有難いことに感想をもらったこともある。感想ではなくブクマとかタグ付けとかみたいな反応をもらったこともある。サイトのときはアクセス解析とか見て、訪問者が多い日は嬉しかった。あと、リアルの友達に初めてサイトを教えたときにすごく嬉しい感想を直で貰ったこともある。ほんとうに嬉しかった。たしか、Twitterでもフォロバしたら「嬉しい!あのサイトから来ました!まさかフォロバされるなんて!」とか喜ばれたこともあって、そのときはは〜〜〜〜好き、楽しい、絶対一生文字書く!と思った。気がする。正直そのフォロワーが誰かはもう覚えてない。
ただ、ランキングでめちゃめちゃ上位になるとかもなかったし、投稿したら絶対毎回反応してくれる人とかがいるわけでもない(これはちゃんと確認してない。いたらごめん)。
だから、""評価されない""のが当たり前だと思ってるし、わたしは自分で文字書いてるときが正直一番楽しいし、ブクマ0のものも1年後とかに読み返して過去の自分最高書いてくれてありがとう!!てできるくらい自給自足の神というか過去の自分と趣味が合いすぎる。ので、感想とか反応は「ありがたい」「嬉しい」「また書きたいな〜」という気持ちにはなれど、「書こう!」という行動にはほぼ関与してこない。これが普通なのかちょっと他の人と違うのかは分かんないけど。
だからわたしは「評価されないからやめます」という話を見たときに、「一度すごく評価されたら、今のわたしには想像できない世界が広がっているんだろうな」と思ってしまうし、「評価されて違う世界に足を踏み入れたことで、『感想がないからやめよう』という発想になるのは悲しいことだな」と思う。
ランキング上位とかに入ってフォロワーとかめっちゃ増えたら嬉しいだろうな〜〜「すごく面白かったです」の一言だとしても貰えたら最高にテンション上がるだろうな〜〜〜〜もっと書きたいな〜〜とか思うんだろうな〜〜〜〜
でもずっと評価され続けるものを書き続けられる気もしないし、いつか他人からの反応の有無で創作をやめたくなるくらいなら、一生これくらいたまにブクマもらえるくらいでいいかなって思う。
まあ、読み手としては感想を送るっていうのはしたほうがいいんだろうなあとは思う。
でも、pixivとかでシリーズ登録されてると基本1話しかブクマしたくないし(ブクマが多くなるとわたしが見づらいし整理しにくいから)、全話に反応しなきゃ!ていう意識で読み手やりたくねえ。一回フォローしたらその人の作品よっっっっぽど好きじゃないとブクマしねえ。だってフォロー先のその人のホームから見れるし。なんか、反応ないし見てもらえない→だから書かないってまじでわたしには分かんないな、結局。書きたいから書く。それが素人の創作活動だろうが。一次でも二次でも同じだろ。商業はのぞくけど。
お気に入りの古着屋ロスから一夜空けて元気に・・・はなってないけど
東京帰りたい発作は落ち着いた
でも店によってはほんとうんこみたいな状態の古着とかあるからなぁ
(Y-3のパーカーリング欠損で18000円とか二度見したわ。新品買うよ)
なお、無くなった古着屋、メルカリ並みの値段なのに状態までよかったんだよなぁ。最高かよ。最高でした
高校3年生のときに字書きを始め、早6年。ちゃんねる系や18禁エロ小説も書きながら、細々と二次創作を続けてきました。
そんな中で感じた、支部で小説を投稿する際の自己評価の基準とか、閲覧数を上げるために気をつけていることを字書き初心者向けに書いていこうと思います。
自分の小説の客観的評価としては、最大ブクマ数は♡2500くらい、平均ブクマ数は♡100〜300をうろうろしている程度の字書きなので、ご参考までに。
支部にはブクマ機能がついていて、他の人の作品もブクマ数を確認することができます。タグで「1000users」的なのもあるから、検索しやすい。だいたいの人は検索ジャンル+100usersとかで徘徊してるんじゃないでしょうか。
なので自然と、自己評価もブクマ数になります。自分の性癖のために書いているとはいえ、レスポンスがあるからこそモチベーションはあがるので。
ところが、ジャンルやCPによって大手/マイナーよりけりなので、自分としては同じクオリティを保っているのに、読み手の母数が少ないためにブクマ数が伸び悩むこともある。
そこで個人的に作品のクオリティを評価するのに使っているのが、ブクマ数/閲覧数の比です。これがなかなか使える。言ってみれば、「そのジャンル/CPを好む人の中で何割くらいの人に刺さったか」が分かる指標なのです!!!
自分の作品で言うと、閲覧数10に対してブクマ数1くらいが平均的で、良く書けたなと思う作品はもっと割合が良くなります。逆に、とてもブクマ数をもらえた作品でも、対閲覧数的にはあまり良くなかったりする(エロとか)。
これはブクマの絶対的な数に比べて、自分の小説の質の評価に使えるので、例えブクマ数が少なくとも、閲覧数に対して多ければ質の高い特定の人たちの性癖に刺さりまくった作品が書けたということになるのでモチベーションがめちゃくちゃ上がります。
あとは感想。コメントひとつあるとブクマ数100レベルの嬉しさがある。スタンプ一個でも、「最高ですた…!」一言でも、100人の人のいいねに相当するので……みんな感想送ろうな。
あと、自分は「名前+#支部」でエゴサするタイプなので、Twitterで「よかった… URL://〜」みたいなツイート見ると1000人分のいいねに相当する悦びを感じます。自分も神作品見つけたら積極的に呟こうと思いました……
ブクマ数は貴方の小説のクオリティだけじゃなくて、読み手の数とか時間帯とかにも左右されるから他の基準も持とうねって話でした。
それはそうと、たくさんの人に自分の作品を読んでほしい!評価されたい!あると思います。では、閲覧数の高い作品(=人の目に触れやすい作品)とは何なのか。
結論から述べるとエロメインの小説は閲覧数が高いです。夢のない話でごめん。それは、カプ推しの人だけじゃなくてジャンル推しの人とかキャラ推しの人も検索するから。
とか、
とか、それで引っかかるし皆エロは見たいので()閲覧数があがる。ついでに性癖タグとか付いてるともっとあがる。
「腐向け ♡喘ぎ」
とかで検索する人がいる。
前に「エロは情景描写と台詞と心情がバランス良く書けるので練習に良い」みたいなツイートを見かけたけどホントその通りだと思う。
(高校生以下、未成年は書いても読んでもダメだよ!!!!!!!)
ちなみに私もありえん勢いでめちゃくちゃブクマ数ついた作品は大手CPのエロでした。「快楽堕ち」タグついた瞬間に爆上がりしました。
ちなみにエロ以外で書きやすいかつ読み手が多いジャンルで言うと、ちゃんねる系だと思います。
2chは廃れたのに未だにちゃんねる系作品は新たに生まれ続けているからすごい。
ちなみにちゃんねるジェネレーター(http://salthome.php.xdomain.jp/chtool_v2.1.php)を使うとコテハンとか番号を振ってくれるのでとても楽です。
もう一つ、エロでもちゃんねるでもなく、閲覧数を上げる工夫があるなら、タイトルです。
おしゃれな単語とか、外語使うとか、素敵なタイトル付けたい気持ちもあるけど、内容が分かりやすいタイトルのほうが読まれる可能性があがります。
ラノベやなろう系から続くテクニックなので今更なのかもしれないですが……
あとは、
「〇〇が記憶喪失になる話」
よりは、
「ものわすれが多い〇〇くん」
携帯で空いてる時間にちまちま書いていくのに使えるアプリとしては、
Evernote (https://evernote.com/intl/jp)
Nola (https://nola-novel.com)
idraft (https://dictionary.goo.ne.jp/info/app/)
あたりがオススメです。
Evernoteはオンラインに自動保存されるので、PCからもリアルタイムで編集できるのが便利。あとフォルダ分けとかも細かくできる。アプリだと、書いている途中に上にスクロールされちゃったりバグりやすいのが難点。
Nolaは小説ツールでプロットとか設定も細かくメモれるので、長編書くときにおすすめです。これもPCとデータ共有できるから両方で編集できて便利。
アプリ開くと、執筆画面までに何回かタップしないといけないのと、自動保存機能がないので、そこが改善されたら完璧かなぁ。フォルダ分けとか章分けできるのも良い。
idraftは最近のお気に入りで、言い換え機能と校正機能がついてます。アプリとしてのバグも少ないし、フォントやUIも見やすいし、文字数が自動で左下に表示されるので、パッと書きたい時にホント便利です。
あとはおまけで縦式(https://apps.apple.com/jp/app/%E7%B8%A6%E5%BC%8F-%E7%B8%A6%E6%9B%B8%E3%81%8D%E5%85%A5%E5%8A%9B/id1415281201)も。
縦書きで原稿用紙に書くみたいに書けます。pdf出力してくれるので、オフ本発行やネップリにも使える。
あんま面白いこと締めで書けないけど、参考になったら嬉しいです。
ちなみに私が初めて書いた小説は、推しのティンコが呪いで無くなるという全年齢作品でした。
良い字書きライフを!
だらだら書いてたら長くなってしまった。
書き手の感情を整理がてら書いてるので、暇つぶしにしかなりませんが。
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先月辺りまで「ルース」にはまっていた。
ルースとは裸石とも言い、発掘された原石をカットや研磨を施された石のこと。
ざっくり言えば指輪やネックレスといったアクセサリーの台や枠に取り付けていない、宝石単品のことだ。
宝石と言ったら高価というイメージだが、ルース全般をみるとそうでもない。
ワンコイン500円を切るものから、とんでもないお値段までピンからキリの幅がとても広い。
かねて鉱物に興味のあった私は、今年に入って間もなくルースの存在を知った。
手に届きやすいもので好きな色の石や誕生石を、少しずつ収集していた。
冒頭のはまっていたという過去形通り、現在は熱が落ち着きつつある。
他者から見れば些細かもしれない出来事が2つ、心にもやもやとして残ったのが原因だ。
1つ目。
カラーチェンジというのは、その名の通り照明の種類によって色が変わる。
良く知られているのは「アレキサンドライト」だろう。
個人的な所感だが、カラーチェンジは解りやすい変化から人気があるように思う。
先に挙げたアレキサンドライトだと天然かつ品質も良し、カットも美しければとんでもないお値段になる。
この時、私が購入したカラーチェンジのルースは普段あまり手を出さない価格帯のものだった。
なぜ購入に至ったかというと、それまで数回販売に出されていたが、希少性から入荷見込みがなく当面は販売機会がないこと。
そして色の変化がとても私の好みだったから。
これより前に別のカラーチェンジのルースも購入しており、とても満足していた。
ただそれまで購入していたルースより高価なものだったため、即決はしなかった。
人気のあるものから次々と完売していく中で、カラーチェンジのルースはまだ残っていた。
商品画像にある美しい色に惹かれ、財布の中身と相談した上で、購入に至った。
間もなく、他の購入品とともにカラーチェンジのルースが届いた。
すると同日に同じ物購入したある方の到着報告が目に留まった。
「変化後の色が違う」
驚いて画像を見れば、確かに商品説明時と異なる色に変化している。
確かに色は変わっている…ように見える。
というのも、色の変わり方が近似色(例えば緑から黄色、報告は緑からオレンジ)なのだ。
そしてライトを見続けていることでどんどん目が疲れて、肉眼では判断できなくなってしまった。
しかしスマホの写真では、ライト以外は同じ条件下で撮影していて、色はしっかり変わっている。
写真では変化していたこともあり、私は交換せずに手元に置いた。
当時はこういうこともあるのだと思ったが、何処かもやっとした1つ。
2つ目。
展示即売会は全国で「ミネラル~~」という名称などで催されている。
多数の出品ブースから巡り巡って、お目当てや掘り出し物を見つけるのはとても楽しい。
さて新型コロナ禍の折、各地のイベントは軒並み中止や延期となった。
緊急事態宣言が解除されてから次第に新型コロナ対策をした上で、少しずつながら展示即売会が開かれていった。
その中で、とある販売元が単独で数日間、即売会をすると発表した。
そのノベルティの1つがとても良さそうと思って、行く計画と予算を立てた。
行く日の前夜、様子はどうなのかとSNSで見て回っていると気になる言葉を見つけた。
「ノベルティが終了しちゃってた」
終了してた、そんな言葉は他には見当たらない。
各日で数を用意しているのか、と思って深く考えずにいた。
当日は、開場に合わせて到着したことでスムーズに買い物できた。
お会計もまだ数人目だったと思う。
だがレジ隣の陳列に希望していたノベルティは見当たらず、質問するとやはり終了していた。
ノベルティ終了について発表があったのは、私が行った日の夜だった。
【十分な数を用意していても、限りがある】
ノベルティを渡す立場にいたこともあるから、それはよくわかる。
予測を立てることは、とても難しい。
ただ今回は、ノベルティへの期待が大きかった。
帰宅後、購入品を並べて楽しんでいたが、残念な気持ちも隣り合わせだった。
比較的こまめにSNSを更新してくださっているだけに、早めにお知らせしてほしかった。
この2件によって、いつのまにかルースへの熱が落ちてしまった。
1つ目の販売元での通販はよく利用していたが、先月は購入していない。
2つ目の即売会は、また今月開かれるそうだが行く計画は立てていない。
希望していたノベルティがまた用意されて最後まで渡せるよう準備します、というけれど。
それでもあまり乗り気にならないのは、熱がなくなってしまったのだろう。
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同じ解釈を持ったフォロワーたちや、神絵師の人たちをフォローして、とても楽しくやっていた。
私は絵を描いたり、文章を描いたりしていた。それをTwitterに上げて、感想をもらって、少ないフォロワーながらも推しの話で盛り上がっていた。
ある日、通知欄を見たら新しいフォロワーが増えていた。その人は推しの名前を捩った名(以下Dとする)だった。とりあえずフォロバした。
Dはpixivに上げていた漫画に反応してくれて、感想ももらった。それは私の描いた漫画に感想を書き込む形式のものだった。
1ページ、一コマ毎に、ここがいい、このセリフがいいなどとびっしり書かれていた。
正直、少し違和感を覚えた。
感想は嬉しい。何物にも変えがたい。が、自分の描いたものに描き込まれるのは初めてだった。その時はこういう感想の送り方もあるんだなと思った。私はそんなに若くはないし、これが今の若者のやり方なのだとも思った。
だが、感じた事を記しておこうと思う。
Dは、絵を描いていた。上手い。
基本的に私は誰よりも何もかも下手くそだと思いながら生きているので大抵の人は私より上手い。
Dは次第に誰かにマウントを取るような姿勢になっていくように感じていた。それが初め誰に向かってか分からなかったが、私がやってきた事に対してマウントを取るような、そんなニュアンスの事を呟いていた。
例えるなら、私が「今日この料理を作った」と言えば、その人は「昔○○っていう料理(私が作ったものより難しいもの)を作った事がある」など。
本当に、ただそれだけのツイートなのかもしれない。しかし似たような事が何度も続けば私だって気付いてくる。以降、Dのツイートがどうにも引っかかってしまうようになった。
そして、別の日、あるアニメにハマった私はそのツイートをした。
元々相互だった同じジャンル、同じ推しの神絵師(以下Aさんとする)もそのアニメにハマっていて、私のツイに反応をくれて話が盛り上がった所、別の神絵師(以下Bさんとする)の方にフォローされた。その人もまた、同じアニメにハマっていたからだ。
Bさんも私と推しは違えど同じジャンルにいて、私の描いた絵に感想をくれたりRTもしてくれていた。さすが神絵師BさんのRTである。こんな私の絵もたくさんの人に見てもらえた。嬉しかった。
Bさんを通じて、私の絵が好きだというフォロワーも少し増えた。推しは違うが、みんな日常のツイにもいいねをくれたり、コメントをくれたりして楽しく過ごしていた。
そしてある日、何をどうしてかDもそのBさんと相互になったらしい事を知った。
推しも違う、接点も無さそう、一体どうしてか分からない。ただ、Bさんは優しい。
どうもDはBさんに媚びたいらしい事も分かった。
DはAさんにも空リプを飛ばしていた。相互になったかどうかは知らないが、全く反応しないAさんの様子を見るとおそらく媚びるのはうまくいかなかったのだろう。
絵を描くDはBさんのRTでファボRTが増えたせいか、調子に乗っているように見えた。それ自体は悪いことではないが、宅コスや顔出し自撮りを上げたり、(なお鍵はかけていない)、同じ推しの神字書きCさん(私も相互である)にも媚びていた。いや、媚びているように見えた。
「小説書きたーい」などとも言っていた。だが書く様子は未だない。
そしてとうとうDの絵が、今までで最高に伸びていた。
私も同じテーマでタグをつけて軽い気持ちで絵を描いていたが、Dの絵は私より伸びていた。
彼女は「勝った」と呟いていた。
Dは何と勝負していたのだろう。
私なのか?それとも他の誰かか?それとも自分と戦っていたのか?
いずれにせよ分からないが、いい気持ちはしなかった。そしてこれ以上この人に振り回されたくないとブロックした。
しかし、私のフォロワーはDと相互の人も多く、TLで調子をこいて媚びているDの残像が出てくる。名前も出てくる。私はそれすらミュートにした。もはや名前見るだけでゲロ吐きそうである。
そうだ、あの感想だ。
あの時覚えた違和感は、ショックだったのだ。
私が描いたものの上に殴り書くようにして書かれた感想は、私の描いたものを褒めながら否定しているものだったのだ。本当はそうして嘲笑っていたのかもしれない。
初めからそういう奴だったということに気付けなかった私はなんてバカなんだろう。
色々な時間を削り、推しの事を考えながら描いた漫画。私の解釈を詰め込んだ漫画。
DはそれをD自身の気持ちや感想で塗り潰して返してきたのだ。それは違和感じゃなかった。嫌だったのだ。あの感想の送り方が。
少し感情的になってしまった。タイトルにもあるように、作者に感想を送る事が是とされる昨今だ。どこが良かったか細かく教えてくれるのはとても嬉しいし、自信にもなる。
あなたがマウントを取っているつもりはなくても、私のように思う人もいるかもしれない。
そして私は筆は折りたくはない。こんな事で折ってたまるかとも思っている。
これからDの残像ちらつくTwitterをやるべきか、一切やめるべきか。
フォロワーに「Dにこーいう事をされて悲しいから、Dをブロックして」なんて言えない。それではやる事が小学生だ。小学生でもしないだろう。私が頭のおかしいやつになってしまう。
最後にこれは、よくある「オタク女のお気持ち表明」だ。間違いなくそうだ。 彼女らがどうしてあんな事を言うのか今まで分からなかったが、ようやく分かった。
そういえばDが自発的に推しへの所謂萌え語りをしている所を見た事がないと気付いた。
フォロワー数多い神絵師や神字書きに直リプ空リプを飛ばし作品やその人達の萌え語りや解釈に同意するツイはよく見かけたが、Dの中の解釈などは一切分からなかった。時々描いていた漫画も「○○さんのツイのやつです」ばかりだった…
人がどういう解釈を持とうが構わないし、推しの事を無理矢理語れと言うわけでもないし、好きにも色々形はある。だから否定はしないし強要もしないが、自分の中の推しはこうだ、というのをちょっとでも見せてくれたのなら、ここまで苛まれる事はなかったのかもしれない。
承認欲求について考える。
誰しも認められたいという気持ちは少なからず持っているものだと思うのだが、筆者が所属する界隈ではその欲求というものが、著しく顕著に表れているように思う。
書き出すと随分と長くなってしまったので、夜の戯言だと思って聞いて欲しい。
コスプレと言っても色々とジャンルがあるが筆者は2次創作を中心に活動を行なっている。
男装、女装ともに依頼があれば撮影するが、その割合は男装4割、女装6割。
作品を知らない撮影の依頼は、事前にアニメや原作をチェックして一通り頭に入れてから撮影に臨むように心がけている。そうすることで、被写体側が要求する心理的描写の部分に耳を傾けやすくなるからだ。
専門知識もない素人ではあるがそれなりにフォロワー数もあり、充実した撮影ライフを送っていたのだが……
正直…悩んでいる。
撮った写真はツイッターやタンブラーといったSNSにあげ、近況としてアップする。
掲載する写真に添えるのは、タイトルや被写体名、カメラマン名、いればアシスタント名といったごく普通の内容。筆者以外の投稿を見ても、皆、大抵同じようなテンプレートで投稿しているようだった。
原作への熱い思いを明記している投稿を目にすることもあり、写真の出来栄えだけでなくタイトルや説明文に説得力があるとじーんと目頭が熱くなる。…歳だろうか。
コスプレ写真はツイッターに掲載されることが多いため、筆者自身もこの媒体を利用しているが…ここで厄介なのが、「タグ付け」というサービスだ。
筆者はこの「タグ付け」が気になって仕方がない。
「タグ付け」は掲載予定の写真に対し、誰が関与したかリンクを貼れる便利な機能であり、このタグが付いていると被写体や撮影者の個人ページへ移動することができるため、個人的に非常に重宝していた。
何故ならリツイートで目にした、まだ見知らぬカメラマンや、被写体、その他関与した人々に出会うことができるからだ。
裏を返せば、そのタグ付けがないとどれだけ素晴らしい写真でも、どれだけ被写体力に優れた人物であっても、どれだけ素晴らしい撮影地であってもそのアカウントにたどり着けない。(ツイッターのリプライ機能で明記している場合もあるが、ここでは省く)
そのため、筆者が写真を掲載する際は関係した人々のタグ付けや@表記を行なっており、また、怠らないように注意を払っていた。そうすることで、敬意を払っていた。
何故?
無い。
もはや…理解ができなかった。
そう気付いた瞬間から、ともに撮影に臨んだはずなのにあの瞬間はなんだったんだと、頭を弾かれたれたような気分になった。
上手く撮れた写真にカメラマンのタグ付けやクレジット表記なく写真をあげる。そこに明記されている内容は
「繋がらなくてもいいから俺の(私の)〇〇を見てください」
作品に対する思いなど感じられない。
つまるところ、自分自身の顔やウィッグ、表情、衣装……総合的に自分だけを見て欲しいのではないのか?
二次元のキャラの姿を借りた、自分の姿に陶酔しているのではないか?
そんな思いが渦巻いた。
ちなみにこの現象は被写体だけの話ではなく、カメラマンにだって当て嵌まる。
上手く撮れたといって被写体の名前もタグも明記なく、自分の腕前を振るうだけの投稿だ。
例えば、彩度高く白飛びすることなく写した水辺の写真や、銀残しといったコントラスト高めのパキッとした尖った風合い、など「俺の」「私の」主語が大きく聞こえるような投稿を目にしたことはないだろうか?
確かにそれらは上手く撮れているし撮影の技術も素晴らしい。衣装や表情、ポージングなども完璧でクオリティも高く見栄えする。
だが、それら投稿からは作品に対する思いだったり、写真に対する思いだったり、そこに参加した人々へ対する配慮など感じられなかった。
コスプレ撮影は趣味であるし、タグ付けをしないといけないと強制的に決められたわけではない。自由につけてもいいものだ。
わかっているが、理解ができない。
RTやフォロー数稼ぎで写真が使われているのか、撮った写真がその消費に利用されているのではないかと思えて仕方がない。
撮影を始めて10年あまり、筆者は純粋に撮影を楽しんでいたのだが…近頃はそう思えなくなってしまった。
この情勢の中撮影自体自粛をしてはいるが、保留となった撮影案件はまだ残っている。
誰にも話すことができないためここで吐露させて頂く。
今日知った言葉タグを見てるとなんでこんな無知が生きてこれたのか不思議だよな。
知らないふりしてるだけなのかな。それとも一人じゃないのかな。でもタグに後乗りとかキモいよな。ジュースの回し飲みできるタイプ?
少しフェイク交えて書くけど、地元がちょっとしたコロナのクラスターになったらしい。
私の地元には(ざっくり説明すると)町内ごとに手作りのお神輿を作成し、その出来を踊って騒いで競い合うという伝統的なお祭りがある。
祭り自体は中止になったものの、そのお神輿を作る町内の蔵の中でクラスターが発生した。老若男女関わらずコロナに罹り、中には役所関係の人もいたりと対応に追われているそうだ。
人が集まったり飲み食いしたりすれば感染が拡がるのに。アホすぎる。
ちなみに私は対象の町内の外に住んでいたので、祭りに対して特別な思い入れはない。しかし思い返してみると通っていた小学校の友人はみんなお囃子や太鼓が叩けて当たり前という空気だった。もちろん私は、笛も太鼓も触る機会すらなかった。
当時は学校の先生方含め、祭りは地域の伝統だと持ち上げて誇らしげだったが、そこに入れてもらえない町内に住んでいた私は少数派で、なんとも言葉にできない居心地の悪さがあった。
そして(もちろん全員がそういうわけではないが)悪い大人に唆されて友人が非行に走ったり、未成年飲酒が見過ごされていたりと、あの祭り独特の雰囲気が嫌だった。中学生くらいまでは足を運んでいたが、その後は全く行ってない。
最近はFacebookで昔の友人がタグ付けられた写真をさらーっと流し見する程度だったので忘れかけてたけど、コロナがきっかけで祭りについて色々と思い出したので書いてみた。
最近は#TRA学者の言いなりになんてならない というtwitterタグが作られたほどです。TRAとはTrans Rights Activists(トランス権利運動家)のことです。
この辺り本当に勉強になる。
プラスサイズモデルってのは初耳だけど、そもそもなんでモデルって高身長の痩せた人ばっかりなんだろうなってのは前から思ってる
ファッションショーとかなら見栄え重視でそうなるんだろうけど(詳しくはないからそんなことなかったらすまん)
普通の服とかの着用モデルなら平均身長、平均体重(標準体重?)の方がいいんじゃないかと思うんだよな 購入サイドは大半そういう人だろうし
ぱっと見スタイル抜群とは見えなくてもよく見たらモデル身長160~170くらいとかザラ 平均は確か160切ってたよな
低身長・高身長向けのサイズ展開とかしてるとこだと割と細かく身長別着用写真があるような気はするけどそれでも細身の人ばっかだし
ふわっとした服なんかは肉付きでかなり印象変わるから(逆もそうだけど)、どうせなら痩せ形・標準体重・太り気味で着用写真があってもいいような気がする
まあ手間暇コスト考えたらそうも言ってらんないんだろうけどな~そういうYoutuberとかインスタグラマーとかいたらいいのかも しらんけど
自萌えするタイプだから出来た段階で満足してて、支部にアップしてる大きな理由は未来の自分のため。
(読み返してニヤニヤしたいとき、保存方法が雑なせいでパソコンの中から読みたい話をすぐ取り出せない)
もうひとつは過去、まだ自萌えが確立してなかった頃に色んな二次創作で楽しませて貰ってたから、
お返しじゃないけど、どこかの誰かひとりでも楽しんでくれたらいいな~という気持ち。
いいねとかブクマ頂けてるってことは、たぶん楽しんでくれてるんだろうな、よかったな~と思ってる。
これだけなら何処が良いと思われてるのか分からなくても構わなかったんだけど、
特に感想コメントの付いていない話に「続き待機」というタグがあるのに気付いてちょっと困ってる。
自分的には完了してて、話自体も設定だけ投げっぱなしみたいなのじゃなく着地してるから、え、続き…?って感じだし、
例えば「〇〇が気に入った」とか簡単なコメントでもあれば、その〇〇から広げてみようかな~とも思えるんだけど。
何も無いから困ってる。ヒントくれ、ヒント~。
まぁ困ってると言いつつ、ニヤニヤしたくて数年前に使ってたアカウントへ久しぶりにログインして気付いたことで、
もう待機してないと思うし、どの道ジャンル熱も落ち着いちゃってるから続きは書けないんだけどね。
某半生ジャンルにハマった。
二次元モノの2.5化ではない。ドラマ・映画などのジャンルであり、原作は存在しない。この作品が原作というのか。
なので同じ作品名でツイッターで話している人は実写作品を話している。
ツイッターでは鍵無しで伏せたCP名(太郎×次郎ならばtrjr)で話している人が多数見受けられ、イラストや萌ツイートもよく見られる。
これから書く内容的に突っ込まれそうだから言っておくと、自分は生も言及するタイプなのでツイッターにはこの十年ほど鍵をかけている。
今まで半生ジャンルはツイッターでするなら鍵をかけろピクシブに載せるなと散々言われていたけれど、現状を見ていると半生に突発的にハマった人たちはそんなもの知らない。代わりにCP名伏せ字で通常の検索を行う人とは区別されようとしている。
現状trjr(仮)で検索して引っかかるのはこのCPのみであり、一般人が間違えて検索して見てしまうということはない。
CP名を知っている・もしくは推測できて検索する時点で一般人ではなくこのCPを目的とした人間である。
この現状だったら、trjr(仮)が隔離として有効な以上鍵をかけろと言えないのではないかと思えてきた。
ついでに、はっきり言って絵がものすごくうまい人ではない限り、別人ですと言おうとすれば言い切れるんだよね半生ファンアートって。
よっぽど特徴的な箇所にほくろがある人など以外誤魔化しきれなくもないというか。
昔好きな特撮番組がコミカライズされたときはあまりに似ていなくて服装で見分けようとしたが、女子キャラに至っては服装すら特徴がなくどれが誰なのかわからなかった。プロでさえそうなんだからファンアートだと言わずもがななのはたくさんある。
生ならわかる。実在する役者のセクシャリティに関する内容だ。セクハラだ。
たとえいわゆるガチ恋ファンや夢ファンと言われるあたりのLINE画(古い)や性的な行為をされたとされる妄想ツイートのほうが一般人に見られたときに危うかろうと全くもって誰も注意しないし放置されている現状で、あっちもなんとかしろよ!と思いもするが、同人では何故か注意されるのは役者同士のBLばかりだ。なんでだろうな。
しかし半生ではそこに実在人物の外見は存在しようと実在人物の人格は存在しない。アニメジャンルとどう違うんだ。あちらは声優の声をしているぞ。
半生だからこそ隠れなければならない理由というものが存在しない。生の隠れる理由はいくらでも見つかるけれども半生はついでにこれも隠れておこうねぐらいのテンションであってこれという理由が無い。
言ってしまえば半生は極論鍵をかけなくても良いんじゃないかとすら思えてくる。
だが現状鍵をかけていない半生関連ツイッターアカウントは鍵の人間からは距離を置かれることが多々ある。鍵をかけろ、隠れろという根強い感覚は残っている。
とはいえ十五年~二十年ほど前(同人サイト時代)は鍵をかけていないところもあったような覚えがある。あれは単純に今で言う鍵パカ扱いなのかそれとも鍵をかける文化がまだ育っていなかったのかわからない。
みたいに書いてみたけど、十八年くらい前に本アドで三行メール不可のアドレス請求を行った記憶もあるのであのサイトたちが特殊だった気もする。
鍵の開いているツイッターアカウントを見ていて面白いなと思える行動があった。
そのアカウントは、bio曰く普段は自衛のために鍵をかけているが一時的に開けることもあると書かれていた。固定ツイートを見たところ、番宣などテレビで流れる時間帯には鍵を開けると言っていた。
自分がそのアカウントを見つけたのは偶然鍵を開けていた時間帯だったかららしい。番宣の感想が見たくてキャラクター名で検索をかけたのだから当然だ。
ツイッター上でその番宣が盛り上がっていると伝えるために鍵を開けるのだという。思いつきでそのアカウントのツイートを遡ってみたところ、trjr(仮)の性的な内容のツイートやイラストがいくつも見つかった。
実際トレンドにも上がったらしい(未確認)ため、ツイッター上で鍵を開けてつぶやくのは一定の効果があるだろう。だがそのために鍵を開けるというのは、鍵をかけて一般人の目から隠れるという前提からはずれていないのか。
鍵をかけていた時期のツイートはツイッター検索にはひっかからないという話もあるが、非公開アカウントを公開にしたことがないので実際そのとおりなのかの実証は出来ていない。また、googleに拾われた場合引っかかる。ツイッターは古のmetaタグなどの検索避けは使えないので一生来ないでくれと拒否することは出来ない。
前にも似たような内容でぐだぐだ増田で管を巻いたような気がする。別ジャンルに移動してみてまたおかしな文化だなと気になったので思考整理のためにもと書いてみたが、結局わからない。
生や半生ってどこまで隠せばいいんだろうね。個人的にはもう二次元含めて全部隠してほしいんだけどな。幼い頃好きだったアニメの子のエッチなイラストを不意打ちで見たくないんだよ。
(追記)
(追記2)
私は往年の同人女で、好きになった作品やカップリングがあると主に同人誌を出したりなどして感情を昇華してきた。
そして今、某マイナーソシャゲにハマっていて、日々ファンアートなど描いたりして暮らしている。ソシャゲにハマったのは初めてのことだ。コロナ禍ということもあり、在宅の毎日でゲームをやりながら楽しく過ごしている。
しかし、本当にこのジャンルは限界集落なんだなぁ、と感じてならないのだ。
マイナーカプやマイナー作品のジャンルには以前もハマったことがあるのだが、今回は辛いとか寂しいという以前に、「作品を知ってる人」を探すことがまず難しい現状がやばい。配信中のソシャゲなのにアクティブがいる気がしないのもやばい。運営にあまりやる気が見られないのもやばい。
正直に言えば、始める時にも、このゲームは即サービス終了するだろうな、と思っていた。
ただ盲点はめちゃくちゃ自分がこのゲームにハマってしまったということだ。まぁ、死ぬ時まで遊ぼうと最初から決めて始めているので、人のいないことへの寂しさはあれど、わかりきった状況ではある。
悲しいことに「好き」は理屈ではないのだ。
本当にハマっているのは自分1人、描いてるのも自分1人状態だ。
実は人生でハマってるのが自分だけカプは初めてではない。まだSNSがなかった時代には、「これだ!!!」と思ったカプでどんどん本を出していたことがあるのだ。HPで宣伝するくらいしかツールもなかったけどあの密度高いパッションはなかなか楽しかった。
ただ世の中は当時と全然違う。Twitter、pixivと色んなツールがある。今年になってから毎日のように自カプでSNS検索するけどカケラも見つからない。
引っかかるのは自分のうわごとだけだ。サービス中のソシャゲなので最初は信じられなかったが、ああ、これは本当にないのだな、と気づくまでに2ヶ月かかった。一個前にハマったカプがpixivタグ5000超えだったのでギャップの凄まじさを感じた。
ところで、オンリーワンジャンルやカプの人間が自虐的にぼっちだぜ!と言うのは簡単だ。
しかし、1人だと言うのは、言うなれば雪原に最初の足跡をつけ放題状態なので、正直結構、楽しい。ジャンルの現状から言って、元々の人に読んでもらいたい欲求もはなから期待も薄いので、好き勝手し放題である。むしろ描くことで世界に自カプが増えることが嬉しくなってしまう。
ちなみに自ジャンルは誰と組ませても大体オンリーワンカプになってしまう。限界集落なのでそもそもBLを嗜むオタクが絶滅危惧種だ。
自分の場合、絵描き友達が多いので、説明ののち自カプを描いてもらったりなどして、見たい欲求への飢えを凌いだりもしている。友達のみんな本当にありがとう。ただ本当に限界集落なので積極的に他人をはめようとは思っていない(人がいなすぎてハマったら辛いと思うので)。友達たちは1人狂った私の姿を見て楽しんでくれているようなので、周囲は優しさに溢れていると感じている。
これ困るよね~。長年のファストファッション隆盛で「ちょっといいちゃんとしたもの」の値段がめちゃくちゃ上がってて
そもそも売ってない、買えない状態になってるような気がする。(昔のアメリカドラマたとえば、「奥様は魔女」とかたまたま見たら、
ダーリンとかサマンサとかとても良い生地、仕立ての服着てて、見てて安心感ある。)
昔は、デパートでオンワードとかレナウンとかの適当なブランドの服はそれなりの品質感があって、値段もまあまあだったけど、
今では品質感はなくて、値段は3倍。たまにこれちゃんとしてるな、良いな、と思って手に取ってタグを見るとロロピアーナとかブリオーニで値段はユニクロ20倍とか30倍とかになっていて値段の乖離が激しくて手が出ない。オンワードJPressとかDAKSとかが長年のファンの支えでギリギリ耐えている感じがするけど・・・