はてなキーワード: アトラクションとは
この記事読んでて思ったんだけど、中に作られたアトラクションの「背景」すべてにアクセス可能なリアルの遊園地があったらすごく行きたい。
ディズニーランドや他のテーマパークって、中の建造物は凄くきれいでみんな面白そうなのに、7~8割ただのハリボテじゃん?
たとえばショッピングプロムナードも、2階建て3階建てでもアクセスできるのは1階だけ。アトラクションのコースから見える面白い光景も、あくまで「見るだけ」。
でも本当に夢見るのは、そんな面白い光景の中に入っていくことなんだよね。
サンダーマウンテンの山や坑道に、別コースから徒歩で登って行けるように、できないだろうか?
ウェスタンランドやクリッターカントリーの島に上陸出来たり、ジャングルの中を歩けたりできるようになってほしい。
ワールドバザールの街並みも、シンデレラ城の尖塔も、当然全てアクセス可能で、1つひとつの部屋に何か物語や発見がある。
そんな無茶苦茶「濃い」テーマパークができたらな……と、子供の頃から夢見てる。メンテとか考えると無理だとは思うんだけどさ。
>子供がお化け屋敷で本気で怖がるのも別に不思議はないよね。子供って素の状態とごっこ遊びに入ってる状態がシームレスだったりするし。
>吉村昭の高熱隧道のホウ雪崩のくだりとか羆嵐の描写が俺的にはマジでゾクゾクした
>アミューズメントパークのアトラクションのお化け屋敷が恐怖を惹起する媒体・道具立てとして機能するというのは、俺にとってはアニメ版の鬼太郎でチビるくらいよくわからない
って書いてるし、更に、
>で、大人を怖がらすための演出において「ネズミ公園の中にあること」だったり「スタッフさんの存在」とかがあまりにも重いハンディであるよねって話なんだけど…
って書いてるじゃん😒
未知を恐怖・畏怖する感情に強度やグラデーションがあるから、稚拙だと大丈夫、稚拙でも忌避する人がいるってだけの話
やはり最初の増田で終わりにしとくべきだったなぁって思うが、もう書いちゃったので、
古典のラブコメよろしくなぜわざわざ恐怖を感じに入るのかは最初に書いた恐怖を科学するの関連展示か
娯楽的恐怖(recreational horror)で調べればよろしかろ
ディズニーって、ある程度成熟した大人の目で見たらよくできたハリボテみたいにも見えるし、
何よりも世界観に入って視野狭窄を起こす人が一定の割合で現れる場所がTDRで、みんなにとっての「夢の場所」ではないよなあって。
もちろんスタッフの人は世界観を作るためにすごく頑張っているし、清掃に頑張っている人もいるのだろうし、動線設計とかは最高によくできてると思う。ギミックも素晴らしいよ。
元増田のようなスタッフの話もいて本当に残念だけど、夢の国を作ろうとしているほとんどのスタッフは尽力している気がする。
ショーは最高。だからちゃんと見たかったけど、問題の彼女に連れてこられた日は体調悪化し過ぎてそれどころじゃないし。彼女とショーの終わりとか最初をちょっと観たけど、それで横で面白かったー!とか言い出しててショー全部をみて組み込まれた全体的な世界観やメッセージを把握して楽しめる感性が全く育ってない人だと言う事が分かって悲しくなってしまった。
結局4時間付き合わされてほぼベンチ。アトラクションは1回しか乗らなかった。
早く帰らせて欲しいけどちょっと異常者とはいえ長年の友人を放置して出ていくのも、その瞬間は憚られたんだよね。
夢の国の中に過ごす自分は「客」であり「主人公で優先されて当然」という価値観で育った人はディズニーファーストになって
一緒にいる友人が困っても、叫び回って我を通すのかなって。
ディズニー作品が訴える人間愛や平等に他者を思いやる気持ちと逆の結果になるって皮肉。
彼女は仕事で扱った物で事故があってリハビリしてて、その時からたまに発言がおかしくなってたけど
美術館にいくのも本当なら別の日の予定が、ご家族のことで外せない立ち会いが重なりました。
取りやめてもいいって言ったけど、結局は予定を早めることになって、5月なのに夜には2月下旬の寒さになったその日になりました。
一度病気をしたり不安が生じた時、気のおけない人と普通に振る舞う事がかなり精神面での助けになるのは経験上知ってたし、
本人も美術館に行きたいって事前には行ってたし、友人として何かできるをしよう。
この日も会った途端、彼女は突然予定を変えて、ディズニー行きたいと言うのを5回くらい断ったのだけど、美術館行く気でもなくなったし、
その辺でお茶して近況聞いて帰ろうかと思ったけど、もう呪われたかのようにずーっとディズニーディズニー言い続けている。
ここまで言うくらいディズニーで癒されるなら、じゃあシーに行って適当な店に入って静かにしてればいいし、行ってみるかなと。
判断間違えた。もっと前の時点でおかしいと気づくべきだった。考えたら昔からたまに失礼な事がある人だった。
我が家の家族が癌になったら死亡後の話をし始めたり、身近の人が怪我してしばらく治るのに時間かかる話をしたら障がい者認定の取り方の本を渡そうとしてきたり。
でもまあ学生時代はそこまでおかしくなかったし、家庭や仕事で大変な事が人生あると判断がおかしくなる事もあるよなって。
この人以外のディズニー好きの人たちによるディズニー語りは常に若干おかしいので、ディズニー好きの人とは身構えて距離を置いていたけれど、
この人はこの日まで一度もおかしな語りもなく、むしろディズニー好きの人ちょっと怖い人もいるからと引いた発言していたし、(結婚式場も相手の趣味と言ってたし)
私の持病についても知っていて今までも体調崩しそうな時は無理させないでくれた事が何度もある。だから信頼していた。
でもこの日は違った。本当に気持ち悪いからちょっと休みたいって伝えたら
ギャグだと思うでしょう。こういう発言が口から明瞭に出る人が世界にはいるんだよ。きっと500人くらい。その一人だった。
ディズニーきたら元気になる程度の仮病を私が使っている、と信じて私の体調について矮小化してないと出てこない発言で。びっくりした。
ちょっとめまいがしたよね。いい成人で30過ぎててプライム企業でエンジニアやってて職場に部下がいる人だよ?まあうちの会社もプライムだし部下の数は私の方が多かったけど、この後少し休暇とらざる負えなくなるし部署替えで部下いない所に移ったから今は知らない。
そんなに元気になれるなら重病が見つかった親御さんと一緒に来ればいいのに。親御さん元気になるよ。ディズニーの魔法とやらで。
世迷い言は不快なので無視して、どんなにダサくてもいいから上に着られる服が欲しいと訴えたら水避けのポンチョを差しながら「あれシー以外できたら恥ずかしいけどね」(ケラケラ)とか
他にないのか聞いてもはぐらかされる始末。高級お散歩の時間が減っちゃうから。この時点でこんなバカ置いて帰ればよかったと思う。体調悪くなると動くのが億劫だし、まともな判断が出来なかった。
もう縁は切ったからいいや。
このまま付き合いを続けて、今度は自分の命が亡くなるような事があったら許せないし私が家族に申し訳が立たない。
でもきっと彼女にとったら、私が大変な思いをするとか命を落とすとか、どうでもいいんだよ。その後も自分を擁護する発言ばかり言い回ってたから。
増田の言う通り認知症かなにかしらの疾患が出てきているのかなって思ったけど、何よりも恐怖しかないよ。
どこから見ても普通にしか見えない30代が、突然ぬいぐるみの世界で束の間自己中心的になって同行者の人生が狂うくらいのダメージを与えるの。めちゃくちゃ怖い。二度と会いたくない。
だからもう終わった話。
ディズニーランドとかシーとか好きな人はただ趣味が幼いのかなぁ、くらいに思ってたけど、そうじゃ無くて
から、好きなんだと思う。もちろん全員そうではないけど。
友人はゲートをくぐって変化。まさかの同行者がキチガイのインパクトが強すぎた。
だけど、ベンチで座ってずっと見てるとそれだけじゃないし。ストローラーでまだ歩けない子供を乗せて人にぶつかって行ったり、
馬鹿騒ぎして子供にぶつかったり、連れている女の子にぶつかったからって相手に因縁つけて喧嘩をしようとしたりする人たちが居たりして、治安が悪い。
この甘やかされた空間で勘違いした人がざっと数時間に複数回エンカウントするのは異常でしょ。やはりディズニーランドとかシーとかキチガイの巣窟だよ。
まあ甘やかされた空間という意味では匿名ダイアリーも同じかもね。
元増田が出会った人もそういう種類の人なのだろうし、昔はそんなにいなかったよ。怖い所になったなって。
体調不良は直後から発熱10日→ 診断A → 診断B →みたいなことが起きてドミノ倒しでした。丈夫な人にはわからんだろうけど。健康のジェットコースター、落ちる時は直角。気をつけてね。
お大事に、がもし私宛ならありがとう。本当大事にする。そして勘のいい増田もいい事ありますように。
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追記:
別に大けがしたわけでも死んだわけでもないのに広い園内で元増田たちを探し回り、挙句の果て、旦那にはあきれられて先に帰られちゃったんだろ、明らかにヤバい奴らじゃん。
普通、多少いろんなことがあっても限られた時間を様々なアトラクションに乗ったり、パレード見たりするのに使ったほうが楽しめると思うのだが、それを選ばなかったわけで。
園側もヤバい人だと思わなかったんだろうか?それとも、経験の浅いスタッフだったんだろうか。
別の増田が言う通り、直接対決させるより、分離して説得し、納得できない場合はおかえりいただくというのが正しい対応だろうな。
そもそもおかしい人に絡まれたのが原因だけど、最終的に母を過呼吸まで追い込んだ対応にも悔しくて正直もうあんなとこ行きたくない。
発端はあるアトラクションに乗る時のことだった。
乗り場に向かって歩いているとき、後ろで転んだ人がいた。母と私は普通に驚いたし、母は大丈夫ですか?!と声をかけた。
そのあと乗り場で並んでいたら、突然母と私は背中を強く叩かれた。
振り向くとすごい剣幕のおばさん2人がいて、「この人たちです!!!」と大声で叫んだ。
するとキャストが出てきて、そのおばさんたちが私たちがぶつかったせいで連れの若い人が転んだと言っていると伝えてきた。
私たちはそのままアトラクション横の空きスペースに連れて行かれた。
目の前のおばさん2人はものすごい剣幕で「私は見た!この人(母)が足を踏んできてぶつかった!謝れば許してやる!」みたいなことを捲し立てるけれど、母も私もまったく身に覚えがない。
連れの若い人には怪我はなく、ぶつかった人は見ていないと言いつつおばさん2人の剣幕に少し震えていた。
おばさんたちは謝るまで許さないと言いつつ、キャストの人にもうすぐレストランの予約があると伝え、レストランの時間を伸ばしてもらっていた。無実の人を何が何でも謝らせたいんですね…
そこで一旦それぞれにキャストが付いて引き離された。ふと見ると母も震えて少し泣いていた。
やったやらない論になるのでつらつら書かないが、母はかなり小柄なのではぐれないように私の後ろにぴったりくっついていたので、もしぶつかるなら前にいた上に身長も母よりは高い私の方が可能性は高い。なのに母がぶつかったと責め立ててきたことに納得がいかない。
ずっと寄り添って対応してくれたキャストの方はいい方だったけれど、そこからのいわゆる「会社としての対応」は正直地獄だった。
震える母の弁明をずっと聞いてくれたキャストの人は悪くない。判断権ないだろうし。
端折って書くと、直接謝ることは無いと思うと最初に言っていたのとは裏腹に、責任者っぽいおじさんとキャストが4人くらいぞろぞろ出てきた。そして「身に覚えがなくてもぶつかってる可能性はあるから謝って済むなら謝るのがいい、相手は直接の謝罪を要望しているから」ということをそれとなく「勧められた」。
今思い返すとリスク回避のために勧めるというニュアンスにうまく留めていたけれど、正直4人くらい出てきて言われたら断れないよ…
キャストに囲まれた上に、時間も閉園まで近いしあと少し乗り物に乗って帰りたいなあとそれまで思っていた私たちは精神的に追い詰められてしまって、もう冤罪でも謝ってこの地獄から解放されたいと思いで謝ると伝えた。
こんな胸糞話読む人いるかわからないけど、ここで伝えたいのは、やってなかったら私たちみたいに謝らない方がいいと思う。痴漢冤罪とかと一緒で。正直この後の方がもっと地獄だったので。
で、おばさんたちとご対面。もう軽く手が震えた。
後ろにはキャストとか責任者のおっさん(「直接」謝ることを勧めてきたからなんか今になってむかついてきた)とかなんか私服警備員っぽい人たちがいた。
母と「ぶつかって申し訳ありませんでした」と謝ったらおばさん1が「は???何で申し訳ありませんでした???声が小さくて聞こえないんですけど????」と大声ブチギレをかました。
え…謝ったら許すんじゃないの…てかやってないけど。
おばさん2人はさらに「どうやってぶつかったか説明しろ、じゃないと他の人にも同じことをまたするだろ、お前たちは早く乗りたいから娘?を押し退けていっただろ、お前たちのせいで旦那は帰ってしまった、レストランの時間もずらすことになった」とつぎつぎに捲し立てた。
てか謝ったら許すんじゃ…やってないけど…
裁判とかで当事者同士が会わないようにするのって、こういう謝ったら許す詐欺のためなんだあ。ためになったねえ。でも直接謝ることを勧めてきた人たち、想像つかないかな?
他にもおばさん2人に罵詈雑言言われまくった。思い出すと本当によからぬ感情が湧くから全部書かないけど。
あまりの剣幕に動転した母は、泣きながら「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいもう二度と来ませんごめんなさいごめんなさい」と繰り返し、「土下座」をして謝ってしまった。そしてそのまま過呼吸と貧血で倒れた。
ぶつかられた若い人はこっちと同じくらい泣きながら「もういいですもういいです」と繰り返していた。おばさん2人はずっと捲し立ててたけど。
あーーーーーなるべく冷静に書こうと思ったけどむかついて涙出てきた。
こんなこと言ってもしょうがないからキャストにも誰にも言わなかったけど、母は呼吸器も含む持病がめちゃくちゃあるんだが。
やってないのに謝るのもめちゃくちゃむかついたけど、それ以上に母をこんな目に遭わせた時点でこっちの方がお前らに謝罪を要求したいよ…
倒れた母を必死で救護したから、そのあとその人たちがいついなくなったのかすらわからない。
ねえ、何もしてない人をこんなに追い詰めてどんな気持ち?そのあとに食べる食事はおいしい?
母にこれ以上嫌な思いをして欲しくないから耐えたけど、怒りで涙が溢れそうだったし、腹の底が感じたことのない熱さを持っていて、ああこれがはらわたが煮え繰り返るなんだ。本当にこんな熱くなるんだなあと頭の片隅で妙に冷静なことを考えていた。
ここまでで1時間半くらいだろうか。
その後は乗り物に優先して乗車させてくれたし、母を救護してくれて、この後あの人たちと偶然会わないか怖いと震えながら繰り返す母の話を聞いてくれたキャストもいい人だったと思う。
ただ、責任者に対して、会社としての「疑わしきは謝罪すべき(しかも当事者同士で直接対面で)」って判断はどうなのと伝えたかった。
こんな話ここに書いたら、とかいいつつ母親がぶつかったのをしらばっくれてんだろとか言われそうだけど、吐き出さないと辛かったから書いた。
気持ちが落ち着いたら消す。
おかしい人たちのせいではあるけど、なんにせよ私はもうあんなとこ行きたくない。
追記:
読んでくれてありがとう。もうぼかす意味ないかな、さっきディズニーの問い合わせフォームから苦情送りました。こわくて涙止まらんけど。
じゃあどこに行けばええんや
星野に行くやつ(笑)みたいな風潮はずっとあるし、直近でリゾナーレ熱海で揉めてたが
行った所
だいぶ前にねぶた祭りのパッケージで行ったが、送迎や食事の手配など行き届いててかなり良かった。
食事は普通に美味しく(個人の感想です)、地域性のある品揃えだった。今はどうだろう…。バイキングのせんべい汁がうまくてずっと飲んでた。
ここから奥入瀬渓流に行って奥入瀬渓流ホテルの風呂に入れるツアーがあり最高だったんだが、なくなったっぽいんだよなぁ。
居抜き感はめっちゃありバブルの残滓を感じたが、出発の時にでかい旗を振ってる人がいたり、活気がありよかった記憶。
界は各地で全部同じ食事が出ているというウワサがあるんだよな。そんな印象の食事だった。
接客は…若干余裕がない感があったが、若い人が多く誠実そうで感じは良いので良かったのではないかと思います。
簡易宿泊施設とみると高い気がするが、軽井沢だし仕方ないのか。
かなり良かった。客室はやや古い気もするが気にならず。特に風呂が良い。
水波の部屋だったので今度は山路地に行きたいなぁ。
行ってみたいのは、界日光(立地が最高)とOMO5小樽(建物が気になる)です。
あとNIPPONIAはどこか一回行ってみたい。基本メディアで情報を得ていてミーハーなのがよくわかる。
星野以外で良かった所
じゃあこれまで行った所で接客が一番だったのはどこかというと、ここだと思った。
よくある日本旅館という感じなんだけど、なんか好きなんだよな。
最初は建物目当てで行ったのだが、すっかりファンになってしまった。
サービスの充実という点ではここも良かった。みかんジュースの出る蛇口、今治タオル使い放題など。
部屋はめっちゃ狭く座敷牢かって感じなんだが、配置に無駄がなく居心地はよかったんだよな。BEBは見習え。
あとマットレスがすごい良かった。なんとか買えないだろうか。
朝のオーダービュッフェも色々あって良かったな。
道後温泉ありきだし、中心部から坂で若干ダルいとか色々あるが、コスパが良いし割り切りが良い。
ゲストハウス。眺めが最高すぎる。安い。
らべんだあだったかも。時期により一人でも個室使えるんだよな。
冬だとめっちゃ揺れてアトラクション要素があり楽しい。けあらし?も見れたし非日常感は随一だと思う。
風呂に露天があってめっちゃいいんだよな。色々豪快で楽しかった。
飯は期待せず持ち込むのが良し。
って問い合わせは、だいたいダメ。
というか聞いてくる時点で自分でも薄々分かってるんやろ。そのうえで「良いって言われた」って正当化したいだけやろ。
規約に書いてないからやっていいですか?もだいたいダメ。そんなことする人を想定してないから書いてないだけ。
そもそもなんの場所か考えようよ。レストランはご飯を食べる場所、映画館は映画を見る場所、テーマパークはアトラクションを楽しむ場所、駅は電車に乗る場所。想定されていない行為で、普通に楽しんでいた人が嫌な思いをしたり、イレギュラー対応させられるスタッフがしんどい思いさせられるのは理不尽だ。
ぬいぐるみに食事させたいならお家でやって。コスプレしたいならスタジオでやって。踊りたいならカラオケでも行って。電車の撮影は邪魔にならないようにして。
料金は通常の使用方法をする人を想定して設定されている。プラスで金払うわけでもないのに、イレギュラーな振る舞いをして他の客やスタッフにコストをかけさせるな。
ジャンボリミッキーとベイマックスハッピーライドの楽しげな歌詞と楽しげな踊りで人々を魅了させる様子が怖かった。
構造の、
楽しげな曲を流し、真似しやすい楽しげな踊りを先導者がして見せる
↓
楽しそう、と思った聴衆が曲にのって体を動かし真似をする
↓
熱狂的な人(アトラクション回りで完璧な振り付けをし一般客に手を振る一般客)とライト層の人に分かれるが、そのような人々が人を呼びダンス母数が増えていく
という仕組みが怖い。
そもそもキャストの人と手を振る文化も・・・とも個人的に思うが、手振りやダンスは一体感によって生まれる中毒性があるのだと思う。
一体感の快感にハマりすぎてる本人は楽しいと思うのだろうけど周りで見ている分では怖い。
大人も子供に戻れる場所だから良いのだという考えを知り、ジャンボリミッキーを踊る大人は、同調する快感や肉体をリズムに合わせて踊らせる快感などの本能を解放して全力で快に浸りたいという欲望の発露なのだと思った。全然子供に戻りたくないし本能を解放して生きる事が怖いから怖いのだ。
仕事帰り、駅のホームに降り立つと、ガタガタと騒がしく走る反対車線の電車を横目に疲れた足取りを進める。やがて正面に見えるのはホームに雑然と建てられた小さな建物。『あんスタ』とだけ書かれたシンプルな看板を一瞥すると、横開きのドアをスライドさせて中に入る。入り口横に備えられている薄汚れた食券機で「ぶっかけひいあい」の食券を購入すると、カウンター向こうにいる店主へ無言で受け渡す。
注文品が出来るまでの少しの合間、半分閉じかけた瞼で店内を見渡すと、大方いつもいるような層ばかり。一人でなにかぶつぶつと呟いているくたびれたコートを着たらびおじ、イヤホンで何かの音楽を聴きながら涙を流している流星隊Pの女子大生、高いヒールをカツカツと不機嫌そうにならすOL風のUNDEAD担。
何かを考える気力もないまま立ち尽くしていると、ドン、とカウンターに丼が置かれる。その丼を手に取って、私も無気力な有象無象の一人になることにする。
ただ木の板が壁から張り出しているだけの席へ着くと、備え付けの割り箸から無造作に一本選ぶ。たいした力も入れなかったため、割り箸は綺麗に割れなかった。
ささくれた木の棒を手に、ひいあいの攻略を始めることとする。僕の行為を気に留める誰かもいない今、わざわざ食事の挨拶をする必要もない。
箸で一つまみひいあいをすくい上げると、湯気が出ているわけでもないのに、なんとなく食べるときのくせでふうふうと息を吹きかけてしまう。そして口元へ運ぶと、ずるりと音を立てながらすすり上げる。
しょっぱい、と感じる。おいしいおいしくない以前に、味付けが濃くて判別できない。こんなもの、きっと家でゆったり家族団欒を楽しみながら口にするものではない。
ただ、座る席もないような立ち食いの店で、時間をかけずに食べるにはちょうどいい。疲れた心、疲れた体ではきっと舌も麻痺していて、繊細な味付けなんかされたところでどうせ今の僕には理解できないだろう。
僕は無心でひたすらひいあいを口に運んだ。
ーーあんさんぶるスターズを一言で表すと何? と友人から聞かれたとき、僕の脳裏によぎったのはありもしない立ち食いそば屋での記憶だった。
ありもしないという通り、実際には立ち食いそば屋なんて一度も入ったことがない。すべて妄想であるため、立ち食いそばの実情と大分食い違う点があるだろうことをご留意いただきたい。
そもそもどうして友人があんさんぶるスターズについて僕に聞いてきたかというと、僕があんスタに沼ってるからとか、推しがいるからとか、そういう類の理由ではない。
むしろその逆で、仲間内では「あんスタアンチ」で通っているためである。
僕はことあるごとに「最近のオタクが軟弱なのはあんスタのせい」と口にしている。
友人は、逆にあんスタ沼へ落ちている人と話す機会ができたから、僕のあんスタに対する意見も聞かせて欲しいという塩梅だった。
その質問に対して僕はこう答えた。
一言で表すならあんスタは立ち食いそばだ、と。
僕があんさんぶるスターズを初プレイしたのはリリース当日だった。キャラクターデザインも美麗で見目が好みのキャラもいたため、プレイ前は期待を抱いていたように思う。
けれど実際にサービスが始まり、プレイして感じた違和感。
どいつもキャラが濃い。
奇抜な口調、過剰な趣味、人間味のない受け答え。
まあでも、多キャラものを通ってきた身としてはキャラが尖るのはよくあることだよなと思う。
そのときの僕は、まあ自分向けじゃないよな、程度に収めてプレイを止めた。
ただし、皆さんご存じの通りあんさんぶるスターズの勢いはすごいもので、周囲にあんスタ好きの人は多数いたし、積極的に摂取しなくとも副流煙でストーリーが理解できる程度には定期的に何かしらの情報が流れて来ていた。
また、同居人があんさんぶるスターズのとあるカプに沼ったことで、身近に触れることにもなった(当の同居人は現在あんスタと袂を分けている)。
僕もmusicが始まった際は再びインスコしてALKALOIDにうつつを抜かしたりもした(今でもたまにカプ検索はする)。
けれど人間関係と一緒で、一緒にいる時間が長くなればなるほど嫌いな側面というのは見えてくるもので、嫌な部分が過剰に見えてくると耐えられなくなってくるものだ。
やがてただの一ジャンルから嫌悪の対象へとあんスタを昇格させた僕は、自分があんスタを受け入れられない理由を求めて考察するようになった。
実際に以前よりあんスタに触れてみて、考察してみて分かったことは、濃いのはキャラクターだけではないということだった。
ストーリーは大味で、基本的に繊細さはない。
まずそもそも、改めて考えてみるとどうしてみんなアイドルを目指しているのかが分からないしストーリー上で明かされない。さらに、アイドル活動らしいことをストーリー中でほとんどしていない。
ライブステージが始まったかと思えば、急に時空が歪んだのかと思うくらいステージ上でめちゃくちゃ喋ってる。
女性向けゲームといえばキャラクター同士の人間関係も重視されるかと思うが、その人間関係においてもカレーにケーキを乗っけたみたいな料理が提供される。
あんスタ制作人はどうもカップリングを乱立させるのが好きなようで、いたるところで男同士を絡ませて地雷持ちカプ厨の息の根を止めていく。
新しく形成された二人の関係が精巧に描かれていればまだいいものの、実験を楽しむマッドサイエンティストみたいな気分でシナリオが提供されるため、キャラクターを元あるグループと別ユニットに所属させるなど、ファンを不安にさせることに余念がない。
また、新しく激重感情が交わされる人間関係が構築される場合、基本的に他の人間関係をすべて無視した上で行われるため、一人の人間が人によって仮面を使い分けているというよりは、パラレルワールドや二重人格の様相を呈する。
つまり、あんさんぶるスターズは細かな調味料の調整によってストーリーが作られているのではなく、砂糖と唐辛子と塩を混ぜ合わせて作った味付けの濃いコンテンツ、だと僕は認識している。
けれどその大味のコンテンツが、流行しているのも事実だ。
僕視点から見るとクソみたいなコンテンツだったとしても、見る人によってその価値は変わってくる。
例えば、あんさんぶるスターズを舞台上で演出される戯曲だと解釈する。<br<br>>ストーリーが大味なのも、会話がやたら長いのも、キャラクター設定が繊細でないのも、すべて舞台上から観客に届けるための演出である。
細かな仕草で伝えても見えない観客もいるかもしれないし、細々した心理描写を入れるのは舞台には適さないため必然と会話は多くなる。俳優の藤原竜也は演技が過剰でそれがネットミーム化することもあるが、あの演技は舞台で育ったからに他ならない。
我々は舞台上の彼らのやり取りを鑑賞しているのだ、と考えれば過剰な演出もおかしくはない。
ではどうして戯曲的な大味コンテンツが流行しているかという問題になってくる。
結論から言うと、あんさんぶるスターズは今の時代に適した形態で提供されているからこそ、人の心を捉えているといえる。
今の時代、世の中にアニメやゲームをはじめとしたサブカルチャーコンテンツなんていくらでも溢れていて、一つのコンテンツに多大な時間や集中力、意識を割けないと考えている人は多い。
他にも、ストレス社会と言われる現代、ジャンルに沼っていたとしても私生活の問題で時間が取れないこともある。
そもそも立ち食いそばの味付けが濃い理由は、立ち食いそばは舌の上に食材がのっている時間が短く、一瞬でも満足感を得られるようにするためだ、と記憶している。
あんスタも同様に、味付けが濃いので舌の上にのっている時間が短くても満足感が得られる。
深く味を吟味するには向いていないが、短時間で楽しめるアトラクションではあるといえる。
あんスタは基本的に、一人のキャラクターが他のキャラクターとフラグを建てているときに、他のフラグをすべて忘失する傾向にある。
例えば、真白友也は氷鷹北斗の前にいるとき日々樹渉の存在が消えるし、逆に日々樹渉の前にいるとき氷鷹北斗の存在は消失する。瀬名泉において、月永レオと遊木真をそれぞれ相手にしているときも同様である。
逆に捉えれば、例えば特定のカップリングを追っているだけであれば、他のキャラクターとの関係性を一切履修する必要がないのだ。
その分他のコンテンツに時間をさけるし、キャラ理解を深めるために地雷カプへ突入する必要がない(公式PV爆撃で地雷を踏むことはあるが)。
あんスタくんは公式が常に二次創作してるようなものなので、よく燃える。それゆえに、ファンが二次創作するにあたって公式以上に悪目立ちすることはあまりない。
また、キャラクター性は特に味付けが濃いため、二次創作する上で多少の改変が行われても紛れて悟られづらい。
要するに、公式のキャラクターに見た目や口調が相似していれば全部そのキャラクターっぽくなる、という二次創作における最大の強みを持っている。
極論、つまりあんさんぶるスターズは今の世間に向いたコンテンツではあっても、僕向きではないという話である。
以前、僕は運営会社を同じくするエリオスライジングヒーローズに片足突っ込んでいたこともあるのだけれど、ジャンルを離れた理由は「設定が雑」「運営が信じられない」「キャラが守られていない」だった。
あまり詳細に書くと長くなるので割愛すると、つまり自分が求めている作品には、世界観がしっかりしていて噛めば噛むほど味が出るようなキャラクターやシナリオが必須であると認識している。
カップリング前提で見ているのではなく、そのキャラクターや仲間、背景を知りたいと思うしさまざまな関係性によってその「推し」が形作られていく過程を吟味したいと思う。
自分のオタク志向的に、あんスタは合っていない、と感じた。
ただ、not for meなだけなら、ここまであんスタアンチに近い発言を繰り返すこともなかった。
あんさんぶるスターズは確かに現代に適した形態でコンテンツが提供されているだろう。一瞬舌に乗っただけでアトラクションが楽しめる大味なあんスタというジャンルは、簡単に「オタクしてる」感が味わえる。
ただしそれは同時に、「味音痴」を作り上げる結果になっているのだ、と僕は主張したい。
あんスタは一大ジャンルなわけで、あんスタを通ってきた人は非常に多い。
ただしあんスタに慣れてしまった人にとって、作品やキャラクターを吟味するという行為は推しを推すために必要な行為ではない。濃い味付けに慣れきってしまって、自分から味わいに行くことはしない。味わわなくても楽しめるし、そもそもよく噛んでも良い味がしないという学習をしてしまっている。むしろ、二次創作においてはセルフで醬油やわさびを足して自分好みに都合よく改変しても、元がカレーにケーキを乗っけてるようなものなので違和感を覚えない。
周囲を観測したり、色々なジャンルを渡り歩いていると、明らかに味音痴のオタクが増えてきたと感じる。繊細な味付けが分からないため、その作品やキャラクターに対して食レポができない。二次創作しても、キャラクターの見た目や名前や特徴的な口調だけが一緒の何かになりさがってしまっている。
他ジャンルでキャラ乖離が激しい・キャラ解釈がない人の過去ジャンルを見てあんさんぶるスターズがあったとき、何とも言えない気持ちになる。
そんな周囲の状況を見ていると、僕はどうしても「すべてあんスタのせい」と言いたくなってしまうのだ。
作品の推し方、作品との接し方というのは人それぞれだと思う。こうしろと強制するつもりはない。時代の移り変わりであり、この流れを受け入れるべきなのかもしれない。
ただ、一オタクとして小言を許してもらえるのなら、たまにはその作品をあなたなりに深く味わってみてほしいと思う。
そしてその料理がなにで構成されているのか、自分なりに考察してあなたの解釈を深めて欲しい。他人と同じ解釈にならなくて良い、正解なんてない。人の数だけ解釈があり性癖がある。
大多数のオタクが味音痴にならないで欲しいと、強く願う。