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2024-07-19

自称「万AI仕事を奪われた絵師

ってアカウント提示もないし絵師である証拠いかあくま自称なんよな

いわゆるインターネット便所の落書きなのに、なーにまじになって鵜呑みにして賛同してんだか

本人のnoteも「最終的な当時の年収は160万くらい」って書いてるし

これを「冷静なnoteだ」「客観的」「実情をよく表した論考」っていうやつもいて、そんなやつはほぼAIつこうとる

自分に都合のいいものだけ絶賛して、反対意見ぼろくそに腐すのやめた方が印象良いですよとは思うな

あと、自分も「コミッションサイトに出してるキャラクター立ち絵全然売れなくなってきて」って言い方には違和感あったわ

コミッションって受注依頼を受ける事だから、絵を売りに出すのって販売サイトとかの方がいいそうではある あとNFTとか?

その前段階に「ココナラとかSkebとかSKIMAとか、そういうコミッションサイトフリゲーやTRPGVtuber用の立ち絵イラストを1枚1万弱で売り捌いている」と書いてるから違和感シマシ コナンが「あれれ~?」っていいそうである

このnote主がもの知らん・言葉足らずだけかもしれないけどね

イラストで食っていた」って専業なのか兼業なのか不明から

「早くて1日あればキャラクター立ち絵を1枚仕上げられた」っていうのもイラストレーターさんから懸念を「いや、自分もこれくらい描けたよ。月100P漫画描いてたし?」ってイキってたVいたけど、そいつイラスト提示されなかったし、実績が継続して月100Pなのか、商業なのかってところも描いてないかあん意味ないなって

同人なら100Pは自分でページ設定できるから商業で100Pネーム作成とは異なるので、そうなんすねって感想しかないし

フリゲーやTRPGはそんな相場かなと思ったけど、Vtuber用の立ち絵イラストに1枚1万弱は価格設定おかしいやろ

AIに負けたのではなく、ブランディングに失敗しただけでは?

TRPG立ち絵では?って指摘した人もいてフーンと思って調べたらTRPGってめちゃくちゃAIイラストつこうてるのな

もし、このnoteが真である場合、メイン顧客TRPGユーザーで薄利多売を売りにしてたって事かな

それにしたって

・「年間の”依頼”は200弱」っつてるのと「”コミッションサイトに出してるキャラクター立ち絵”が全然売れなくなってきて」の違和感

Vtuber用の立ち絵イラストに1枚1万弱は価格設定おかしいやろ(2回目)

・「「自分だけの絵を描く仕事」は奪われてない。消えたのは「クライアント要望通りの画像を用意する仕事」だ。」 商業って全部それなんスけど…

と、なーんか違和感というか絵で食ってたという割には…実際絵で食ってる自分や、他のプロアマ問わない人達からツッコミが数多くでてくるのを鑑みると、嘘松なんじゃね?それかめっちゃ膨らまして書いてね?って気持ちがぬぐえんnoteだった

絵を描いてる人は真に受けない方がいいよ、コレ

レスバでいつも負けてる増田

何を思ってあんペラペラ理論でいつもつっかかってくるんだ?

逆張りしてれば気持ちいいってやつなのか?

道路工事してる人いない?

建築工事やってる者なんだけどちょっと質問がある。

なんで新しい道路作る工事ってあんなに時間かかるの?

うちの近くで新しい道作ってるんだけど、もう半年以上工事が止まってるんだよね。

雪が降る地方なんで冬はまぁ工事を止めるのもわかるんだけど、雪が完全に溶けた3月以降もまったく工事してない。

見るともうあとはアスファルト敷くだけ、みたいな状態なんだけど、ずっと放置されてる。

こういうのってなんか技術的な理由があって放置されてるのか、それとも手続き的な問題なのか。

建築工事毎日現場動かして出来るだけ早く工事を終わらせてって感じなんだけど、

道路工事はそういうのを感じないんだよね。

すごい不思議

道路工事に詳しい人いない?

anond:20240719093501

彼らは権力者ではあるんだろうけど少数派であって

そうだね

ほとんどの男はそういうのは嫌な人が多い

そうだろうか

少なくともはてなにいるような弱者男性は彼らのことを嫌いだろうけど、非弱者男性から嫌われている様子はあんまり

anond:20240719085903

一番最初の頃は暇空の正体があんまりわかってなくてシュナムルの件でなんか勝ったみたいな幕引きだったか

追及や分析能力があると信じてる人たちがいたんだよね

認知プロファイリング()の正体がすぐにバレてまともな知性のある人たちはすぐに我に返った

「俺たちは暇空に全ノリしてたわけじゃないし…」

あんなにcolaboや暇空記事があるとすかさずブコメして暇空の肩を持ってた暇空支持者たちが

すごい勢いで損切りし始めてて草

自分たちはcolaboと少しでも繋がりがある人や組織は公金チューチュー仲間のナニカグループだって叩いてたくせにその言い訳は通らんやろ

anond:20240719030532

オレは悩んだあげく都知事選では蓮舫に入れてしまったけど、すげー後悔してる。

あん自分批判しても批判されたくないみたいな人間は、政治家として終わってる。政治家どころか人として終わってるんだよな。

しか弁護士相談ってなんだよ。

朝日新聞みたいなマスコミすら抑えつけられるような圧力見せられたら、一般市民は怖くて何も言えなくなるんだよな。

いまは政治家じゃない私人から、みたいな話もあったけど、百歩譲ってそうだとしてもあんなことする人間政治家に戻ったら素直に批判を受け止めるとは思えないし。

ましてや政権取ったら公権力使ってどんな圧力加えてくるか怖すぎなんだよな。

蓮舫には得票数三位すらふさわしくない。

たまに立憲にも投票してたけどもう無理だわ、あいつら。

オレも今の日本自称リベラル連中が無理すぎる。

ほんと、まともなリベラルが出てきてほしいんだよな。

人生運ゲーや!!😀👍

人生とは結局運なんだと思う

でもどこの誰が広めたのか「言い訳するな」とか「自己責任」とかで片付けられてしまうんだよな

こういうこと言う人って世の中がそんな悲しい事実で成り立っているっていう事実を受け入れられなくて自己責任とか他人に言っちゃうんだろうな

人生運ゲー

マジで運ゲー

橋〇徹とかテレビに出すなよ

運がいいだけのオッサンからあんなの

センセイが俺を高評価するのは俺がしおらしく黙ってる時

何を心配したのか褒め始める

黙ってろクソが

あんたのその耳障りの良い美辞麗句馬鹿誘導されてあんたを信奉するようになるんだ

あんたの素性、ルーツに寄り添って

まるで子供のように慕う。自分は反逆者になるつもりはない、そんなセンスは無いか

だけどあんたの敷いたルールには従わない

ここはあんたの家じゃないからな

anond:20240718000030

今の業界リメイク頼みなのは一般人でも分かるみたいだね

オリジナルコンテンツを生み出すのはとてつもなく大変になってきているのが事実

製作委員会方式場合リメイクの方が出資してくれるらしいし

中年を養護する訳では無いが中年がいなくなったとしてもあんまり変わらないと思われる

友達が気付くといなくなってた

アラサー男、フリーターもどきをやってる増田だけど、これを書いてる深夜2時半過ぎに思った。あれ、俺って友達いないんじゃね?

友達定義によるだろうけど、少なくとも俺にはラインを寄越してくるような知り合いがいなかったことにさっき気がついた。小さい頃からしぶとい奴だ、死にそうにないと当時の仲間内で言われていたけれど、それにしてもあんまりじゃねぇか。高校の頃まで繋がっていた当時の友達は、俺が大学受験に失敗して数年経った頃くらいから今にして思えば連絡がなくなった。肯定的に見れば、あいつらも実生活が忙しいのだろうと思える気持ちもあるけど、たまには連絡を寄越してくれたっていいじゃないか。俺はそこまで、一瞬も頭をかすらない存在なのか。俺はたまに掠める。だからたまにはこっちからラインをしたりしていた。けれど逆はない。それって、俺が取るに足らないと思われているってことだ。

あんまりじゃねぇか。そう毒付きたくもなる。あの時俺は神奈川御三家と呼ばれる高校に通っていた。そこで得た友達も多くはなかったが、両手で足りるくらいはいた。なんなら部活を通じて後輩先輩とも繋がってた。でも今じゃ誰が何をやっているのか知らない。あっちは俺のことを落ちぶれた奴として見ているんだろう。俺は覚えている。前に、成人式の後の飲み会高校時代友達に誘われて行った飲みで、そう言えば今何してんのと訊かれて浪人してると答えた彼らの顔を。文章では表せないくらいの、本当にどう書けば良いんだって顔だった。それからなんとなく、ぎこちなく会話が進んでいったのを今思い出した。ああそうか。あそこで俺は篩に落とされたのか。友達の条件から。そりゃあそうだろうな。今、風の噂じゃああの時の同級生の中からGoogle就職したり、プルデンシャルだったりの外資でやってるのも出てきてる。官僚として課長補佐になったのもいる。そんなのと比べられたら俺はただのフリーター。付き合う理由がないか。俺は進学校の彼らが選民思考に染まっているって言いたいんじゃない、ただ俺が彼らの常識から外れてしまったってだけのことを今更になって気付いた。遊びに行こうにも、話をしようにも、たぶん俺はもう話にもついていけない。ただそれだけの話なんだろう。俺は明日は夜シフトから、こんな時間まで起きている。だけどあいつらは朝早いんだろうなぁ。それで今頃寝ているんだもんなぁ。そりゃあ生きている世界が違うよ。話が合うわけがない。そういや最近からも連絡がないのも気付いた。弟は既に所帯を持ってるからだろうなぁ。そりゃ忙しいよな。でもだからと言って、親父の死に目に合わせてくれなかったのはどうなのよ

能無しは能無しなりに虚を突いてやる

お前を雑に扱ってやる

折れた振りをして背後に回り込み、その肉付きの良い背中憎悪で串刺にしてやる

ほらね、早贄の完成だよ

そうやっていたぶり鋳造された銅像みたいに

何一つ動けない状態にしてさ

(もう傷は負わせた筈なのに)

(自分と同じ喪失経験してるのに)

(あの人はこんなに冷酷じゃ無かったのに)

(団子屋の売り子はあんなに、柔和な笑みで自分の行く末を案じて、優しくしてくれたのに)

ごめん、駄目なのは自分なんだ

ももう止められないんだよ

アイデンティティを設定してしまたか

何もない自分証明する方法がこれしか無い

「俺」が「私」が一時の感情を発露させたように思ったか

違う、違うんだよ

最初から嫌っていた

父親としてのお前を

生殖を是とするお前を

愛が何かを知ったような顔をして

満足そうに女を抱いただけのお前を

から憎んでいた、最初から憎んでいた。

交わる事の無い赤の他人として、別々の人生を歩むのが当然の摂理なのに

あんたはこっちの期待に答えようとして

寂しさを埋めさせようと安易な誘いを提案するんだ

あんたが心地よく手を広げて受け入れようとする素振りをするなら、その胸を思い切り蹴りあげてやる。一生残る痣になるまで。

同情したか赤の他人を?境遇の異なる

苦い経験を持つ別個体を?

良いさ、あんたは好きにすれば良い

だけど、その行動の結果は何ももたらさない。

こっちは一陣の風に過ぎない存在から

真正からかい合われても逃げるだけだよ、御愁傷様。

anond:20240719020627

そもそもゲーム本編があんまりプレイされてへんかっただけやん。

アニメのあの出来と話題性で、あの程度の人しか観なかった、というのが現実やで。

子連れ帰省するのがとてもしんどかった話

増田基本情報

30代男性、妻と子一人

関西出身東京在住

2歳の息子が絶賛イヤイヤ期

 

【何があったか

親戚のお祝い事があり家族帰省してたんだけど、もう最初から嫌で仕方がなかったのが電車移動。

 

息子がとにかく動き回りたい、じっとしているのが嫌な時期で、泣く喚くは都内電車移動で経験済みだったのと、平日朝の新幹線なんて、会社員が寝てたり仕事してたりで、子供の泣き声が悪目立ちするんだろうなと思ってた。

 

新幹線では案の定ギャーギャー騒がれてしまい、じゃあー少し歩くか、なんて通路からデッキまで歩いてみたりするも、今度は「席に戻りたい!」と主張が二転三転。お前は何がしたいんや。

通路の反対側でパソコン仕事してる風のイカついおっちゃんからまれ、「すまん、けどしゃーないんや」と思いながら、精一杯のパフォーマンスで息子に対して「シーだよ!」「またデッキに行こっか?」とかやってた。

 

で、最寄りの新幹線駅に着いて這々の体で私鉄特急に乗り換えたら、あら素敵。席がガラガラじゃないの。しかも他にも夏休みだかで家族連れもチラホラいるし、これはまあ、多少泣いてもなんとかなるんじゃない?みたいなことを夫婦で言ってたところ、ここで息子が一旦ご就寝。

 

寝よった!ええやん最高やん!このまま寝といてくれよ!とか言って、なるべく息子が寝やす姿勢を探しながら我々夫婦も束の間の睡眠休息を取っていたものの、あっさり20分で息子起床。なんか寝足りなかったのか起きた瞬間から泣いてるし。つら。

 

眠いならもう少し寝ててもいいんだよ?」とか「ほら、お外見て!お山が見えるねえ(なんでもいいか琴線にふれろ!)」みたいなことを言ってもダメ

 

あーあ、みたいな感じで夫婦ともに放心状態になってるタイミングで、ちょうど車掌が席にきたので、特急券の確認かしらと思い切符を出そうとしたら、

「あのー…他のお客様もいらっしゃるので。難しいとは思うんですが、お子さんのお声を、まぁ難しいとは思うんですが、なんとかしていただければ…」

 

ガーンですよ。なんだろう、一瞬で

「まあーそうだよね、うるさいよね」

「いやけど、なんとかしようとしてたんだけどもできてないという過程を経て今があって」

「いやいやしかし、今この瞬間は”子供が泣いてるのに何もしてない親”感が出ちゃってた?」

「他の乗客からクレーム入ったかあんまり人乗ってないけどとこから?」

みたいなのが頭の中を駆け巡って、

「あっ、子供の声を小さくすればいいんですよね?分かりました分かりました、小さくしますね!」

と、できもしないことを車掌に対して口走り、車掌が居なくなってなお泣き喚く子を抱きかかえてデッキに行くと、なんか席に残してきた嫁さんが泣いてるのがデッキからちらりと見える。ええ…そこで泣くんかい…。

 

嫁さんに後で聞くと、混乱してたらしい。同じく混乱はしてたけど、泣くなよマジで…。

 

ちょっと嫁さんに引きながら、結局特急に乗ってる間、1時間ずっとデッキで息子を抱っこ。

 

なんとなく車掌が憎くなり、くそーとか思ってたらその車掌デッキまで来て「どうぞ!」と息子に電車シールをくれる。こんなん好きやん子供って。憎しみすら持たせて貰えないというのか。

ちなみにその時に車掌に聞くと、乗客からクレームは無かったらしい。本当か分からないけど。

 

多様性の世の中だし、子供の泣き声くらい許される時代になってきてるんじゃなかったっけ?

でも、子供の泣き声が嫌な人の気持ちも認められるべきもの、ってことになるのか?

じゃあ私のこの気持ちは、疲労はどうなるの!?

いや、そもそも大人の都合で子供を連れ回してるんだから自業自得だわ。

そんなこと言ってたら冠婚葬祭に出れないな…。

なんてデッキで考えながら、息子に対して「立派になれよ」とか我ながら唐突すぎる言葉を息子に投げかける。

子供へかかる労力は投資じゃないのは頭でわかってるはずなのに。疲労は人をダメにする。

anond:20240719012357

あんなすぐバレる毒、暗殺の道具として使うのは無理だと思うが

2024-07-18

いや、あれとかもそうなんだけど、すごいね

批判誹謗中傷全然区別できてないし、

自分はどれだけ批判誹謗中傷してもいいと思ってる割に、相手から批判には一切耳を傾けず、ひどい攻撃しか受け取ってない

今の時代あん醜態さらすとは驚き

ほんとに周りのだめ環境依存しちゃったんだろうな。

哀れな人だ

カンニングした理由からカンニングをやめるまで2

前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635

勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服スカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。

学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線バカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。

そうなってからカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟旅行遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。

一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校勉強なんだし当たり前じゃん。しか地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画アイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。

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大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。

その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。

せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。

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母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校テスト大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。

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そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニング邪魔をしてくる。

それから模試最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニング文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。

自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたこしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。

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勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはようから何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。

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そんな時、行きたいなと思った大学AO入試を知った。自分勉強指定校推薦は無理だったので早急にAO入試シフトした。論文面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。

大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去存在しているのになと時たま思い出してしまう。

受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。

母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。

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AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。

中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。

当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめ受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。

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大学時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。

そして検定を好んで受けた時、カンニング意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。

検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。

勉強以外では仲良くしている。受験就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。

社会人の今は帰りに図書館に寄って気象勉強をしている。今度は地震勉強でもしようと思う。

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カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子カンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭取引をしているようなカンニングは知らん。

ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供カンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)

出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。

定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。

それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母兄弟も私を勉強いじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。

カンニングをする子は本人の意識問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。

点数を気にしない人と出会しかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子カンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。

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カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。

今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学から今まで勉強していますカンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。

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カンニングした理由からカンニングをやめるまで1

カンニング卑怯であり、姑息であり、やってはいけないことだ。大前提である

長いけど吐きたくなった。本当は墓場まで持って行くべきだと、ずっと思っていた。

だけどカンニングニュースを見て以来、ずっとモヤモヤしていた。過去清算をしたくなってきた。そんな年齢なのかもしれない。

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カンニングしたことがある。小学生中学生くらいまで。

私にとってテストの点数なんかどうでもよかった。友だちと遊べて、学校行事に楽しく参加できればそれでよかった。だけど親は違う。成績が全てだった。普段は優しくて褒めてくれるのに、点数を見たときは怒ってる。だから低い点数なんか取るわけにはいかなくてカンニングした。誰にもバレない上手いカンニングをしていた。

こんなことを言えば「カンニングをするなんてクズ」「性根が腐ってる」「カンニングした奴はぶん殴れ・退学」みたいな意見が出ると思う。そうだろう。自分もそう思う。そう思っててもカンニングはやめられなかった。やめたら点数が悪くなる。そうすると親に怒られる。第三者から指さされるより、自分の母に怒られるのだけは死ぬほど嫌だった。

「なんでこんな低いの?」「なんで勉強もっとしないの?」「遊んでいるからだよね?」と責められる。

でも当時の私はそれに「はい、ごめんなさい」しか言えなかった。小学生だった当時の自分は「なんで?なんでがわからない」としかならなかった。しかし言えば「ふざけてんの?」と絶対に怒鳴る。怒鳴らなかったとしても頭悪いと思われるという事実が嫌だった。怖くて怖くて怖い。母が自分否定してくるという事は、小学生自分にとって死ぬことの次に嫌な事だった。母がキレたときの金切り声が嫌だった。

そして勉強しようと机に向かう。何もわからない。何をどうすれば覚えられるのかわからない。あ、そうだ、聞けばいい、そう思っていたのは最初だけだった。今思えばやらなければよかった。

小3くらいの時、学校先生に「これがわからない」と聞く。先生は小ばかにしたように「こんなのがわからないの?!」と大声で驚く。クラスメイトに丸聞こえ。クスクス声が聞こえた。「わかんねーから聞いてんだよボケカス」と思った。「ひたすら書けばいい」と言われた。どうしても根本的な説明が欲しくて何度も聞いたが「あー、はいはい。これは教科書のここみて」と言われただけだった。先生はそのまま1軍のグループと一緒に遊んでいた。

また塾で算数範囲簡単でどんどんレベルアップして、学校で習っていない割り算に突入した時がある。初めてみる記号でわからない。いつも親切に教えてくれる信頼していた大人休みだったので、別の人に「教えてください」と言ったら「は?!こんなのわからないの?!」と言われたのが今でも鮮明に思い出す。「えと、初めてみる記号で…」と怯えながら言うと「ぷwwww割り算なんて簡単だよ。ほら6÷2は、鉛筆6本を2人で割るんだよ」と。明らかに面倒くさそうな態度だったから「あ、はい、わかりました」と切りあげた。"割る"という概念すらわからなかった私は適当に解いて採点に出す。全部バツだった。泣きたくなった。全部バツ人生で初めてだったからだ。

中学受験期、受験用の塾に通い始めた。わからないことを塾の先生に聞いた。「この程度で質問しにくるの?こんなとこスルーしていい」と言われた。「この程度もわかんねーから聞いてんだよ」と思った。教えてくれたけど「こんなの簡単。余裕だよ。試験になんかでないよ」と言う。私にとっては本気で悩んで本気でわからなかったことだった。それは簡単なことで質問する質じゃない。自分質問することは簡単すぎて馬鹿にされる。そう思うようになった。

親に聞く。「塾(または学校)の先生に聞きなさい」と言われた。怒られるかもと思い何度もお願いした。しかし母は上から目線で「ねぇ、なんでわからないの?こんなに説明しているのに?聞いてる?」と言った。私が「どうしてそうなるの?」「なんで?」と聞きすぎたのかぶち切れた。「理由より覚えろ!」

そこからかに質問するのをやめた。

積み重ねによって、わからない→この程度もわからない・簡単と言われるだろう→自分馬鹿→なら勉強したって意味ないじゃん。といったループになってた。

解説を読んで「なるほど」と思っても、何も見ていないと何もわからない。テキストを解いても見たことある問題だなで終わってしまう。そして解説を見て「あれと同じ問題だったのに覚えていない。自分記憶力はダメなんだ。自分馬鹿なんだ」と自分が嫌になる。もっと勉強が嫌いになる。自分も嫌いになる。間違えちゃだめだと普段勉強試験並みのプレッシャーを感じていた。そしてもっと勉強が嫌いになって机に向かっても宿題に答えを写す作業だけしてた。

また、父は「遊んでこそ人生。いろいろ遊べ!」そんな人間だったので、私は父親っ子だった。それもあって母に内緒で父と一緒に出掛けたり、買い物をした。バレたときは怒られたが父はヘラヘラしていた。母が父に怒らないようにカンニングをしていたのもあった。私の点数がよければ母は怒らない。父も怒られない。兄弟に飛び火がいかない。

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理科だけは楽しかった。星とか断層とか自然には興味があった。だから塾のテストでも理科だけは点数がよかった。全国順位も高かった。だけど一個だけ点数がよくても塾のクラスは上がらないし、母は「理科ひとつできたところでねぇ…」と言う。中学受験のメインは算数国語から特に褒められなかった。理科のみの受験なんてないからだ。

父は勉強のことを「お母さんに聞いてね」としか言わないのでテストの点数を見せても「点数なんて気にしちゃいけないよ」と言う。励ましだと思うけど当時の自分は母と父、どちらも点数を褒めてはくれなかった。

はいつも比べる。○○さんは、兄は、テレビのあの子は、同い年なのに、あんたも同じ塾通っているのに。そして仲の良かった友人を嫌がっていた。あの子のお母さん嘘つきだから、あの子貧乏で意地汚いから、あの子小学生テストすら0点だから別に仲いいなら良いけどというが、そんな言葉は嫌いだから言うのだ。

ある時、酷かった国語テストの点数を書き換えたこともある。先生と同じペンを使ってバレない程度に書き換えた。と思ったがうっすらとバレた。「こんなに間違えているのにこの点数なの?」その時の母の目を今でも覚えている。

母に疑われている。怒鳴られる。○○さんは×点なのにと比べられる。なんで?責めされる。また遊びが規制される。兄弟と比べられる。この子は頭がよくなくてと紹介される。こんな子に育てた覚えはないと言われる。塾の金が無駄だったと言われる。教えてもくれないのに勉強を傍で監視してくるようになる。趣味バカにされる。

そんなことがドッと脳内を襲ってくる。おぼれて死んでしまいそうな罪悪感と恐怖で吐き気が喉元まで来るが、飲み込む。「そ、そんなことないよ」と答える。大きなため息をされた。冷や汗が止まらなかった。塾のラウンジでみんなが帰宅だと盛り上がる中、テストを見られて責められていた。小学生の頃のある日の記憶だが、今でも思い出すと頭痛吐き気がする。

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カンニングがひどくなる。塾で一回遠回しに指摘された。親に連絡入っていなかったが、でもやめられない。「バレない方法は」と考え、バレない方法にたどり着いた。でもカンニングには限界があって多少は点数がよくなっても多少で止まる。

でも楽だった。カンニングさえすればちょっと点数が上がる。本当は自分の実力で勝負しようと勉強を頑張った。でもわからない。わからないのにやらなきゃいけない。怒られる。怒鳴られる。金切り声が響いてしまう。頭に全く入らない。やらないといけない何かをこなしているだけだった。

勉強する→わからない→宿題が進まない→進捗を見に来た親に「これしかやっていないのか」「なんで?」と責められる→わかんないと言えば「解説をみてもう一度解くの」と言われる→解説を見たとき理解する→また自力で解くがわからない→解説をみると同じ系統問題だと気が付き自信を無くす→やる気がそがれて進まない→進捗を見に来た親に…と責められる時間自己嫌悪時間になる。

勉強なんて嫌いで仕方がなかった。答えを微妙アレンジして写すだけの日々だった。勉強時間なんて写すだけなので10分で終わる。10分で終わると親が怪しむので、父が持ってた漫画を借りてこっそり読んでいた。自分の部屋があって良かったと思う。

「私、そばで見ているから」と母が監視しながら塾の宿題したことがある。しか問題を見てもまず何をすればいいのかすらわからない。ずっと悩んでいると「寝てる?」「集中しなさい」としか言わない。怖い。責めてくる。「全然進んでない。なんで?」「なんでわからないの?」と責めてくる。私は「ごめんなさい。わからない」しか言えない。解説バンと渡される。解説が難しすぎてわからないと母に言う。「文章の通りでしょうが!」と怒ってくる。ますます頭が痛くなって解説が頭に入らない。文字が嫌になる。責められる。そして私は限界に達し「わかんない!うるさい!ババァ!」と叫ぶ。母と喧嘩をして「親になんて態度だ!」と家をつまみ出される。そして「私が悪かった」と泣きながら家のドアをたたく。「勉強しないあんたが悪い」「勉強すればこんなことにはならない」と責めながら家に入れてもらう。そんなのばっかりだ。兄は第一子だから母は優しかった。弟は末っ子だったから母は優しかった。私だけいつもこんなんだった。

でも優しいところもあるからすべてが嫌いになれなくて嫌だった。誕生日は祝ってくれるし、お年玉だってくれる。私の好きな食べ物もわかっていて「あなたが好きな食べ物よ!」と夕飯を豪勢にしてくれることだってある。「男たちには内緒ね」と高級なお菓子をくれることもある。旅行にも連れて行ってくれる。だからなおさら怒らせたくないとプレッシャーがかかった。小学生の頃、勉強の話を家でしたくなかった。みんなで楽しく生活しているのに私のせいでぶち壊れる。勉強して追い込まないとと思っても全然できない。そして誰も見ていないお風呂で泣いてた。勉強のできない自分なんて。何で覚えられないんだ!バカだ!バカ!と自分が大っ嫌いだった。枕が濡れることもよくあった。

小学生の頃には戻りたくない。社会人になった今でも思う。社会プレッシャーの方が何倍もましだ。

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小学校テストは授業を聞いていれば簡単ですぐ解けたのでいつも満点だった。でも母は「学校のはあたりまえじゃん」と笑っていた。塾のテストだけを見て、塾のテストだけで怒っていた。

結局、中学受験面接が重視されるところに受かった。おしゃべりは得意だった。

他の筆記だけの場所は全部落ちた。筆記だけのところはカンニングしていた。でも落ちた。そんな程度の能力だ。私は。カンニングしておいて落ちる。クズバカだ。

親としては微妙ライン学校だったらしく「受かって良かった」と言う裏では明らかに嫌がっていた。反抗期がくっそ尖っていた時期に「やっぱそんな学校いれるんじゃなかった」と言われていたのを覚えている。私が大好きな学校のせいにするなと私は怒ったから覚えている。

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中学に入っても母はテストの点数を見てきた。英語が酷くてすごく嫌な顔をしていたのを覚えている。英語は将来必要だとかどうでもいい必要性を1時間述べて、英語を教えてあげると言われたが上から目線だったので、案の定私はキレて断った。

そんな中、中学一年先生は優しかった。一年が終わる時の面談勉強が苦しいと相談した時こう言われた。

「君はどんなタイプの子でも仲良くなれる。これほどまでいろんなグループの人と仲良くなれるのは僕の教師人生40年で初めてだ。確かに成績は良くないけど、そこだけで落ち込まなくていいんだよ」そこで初めて勉強以外を褒めてくれる先生出会った気がする。

「君の友人の**って子は成績がいいから、その子相談してみたら?」と目から鱗だった。自分小学生のころから同級生と比べられていたせいで同級生に聞く=恥だと思っていた。人に質問する=恥だとも思っていた。

そこからカンニングをしなくなった。した記憶もないし、していないと断言できる。

成績は悪かったが、学校生活はとても楽しかった。先生たちは私の成績に頭を抱えていた時もあったが「まぁ、君は学校を楽しんでいるからいいか」みたいな感じで責める人はいなかった。学業以外で頼られることも多かった。追試会場でも追試仲間と一緒に先生に「授業が面白くない・わかり辛い。こうしてほしい」と相談することも増えた。そこの校風職員室がカフェのようなノリで入れるため、おしゃべりが好きだった自分先生に遠慮なく雑談を仕掛けた。そこからテストの点数が悪いぞお前→じゃあテストどうすればいい?→ここを山にして覚えればいいんだと教えられる→山なら授業のあそこがわかり辛いなどを相談する。

追々々々試くらいまでしょっちゅう行ったことがあるが、先生バカにしてきたことは一度もなかった。むしろ「君はよく逃げずに会場に来るねぇ」と感心していた。そこから追々々々試に来る、忍耐だけあるバカ共に一から丁寧に教えてくれた。ありがとう先生

そこから母への反抗期が激しくなった気がする。父方の祖母が亡くなったからのもあった。祖母戦争体験者で父と似ていて「自由笑顔であることが一番」な人だった。私はそっち派だった。母からしたら姑としていつも喧嘩していたのは覚えている。

から何を言われても「うっせぇんだよ!」で返した。小学生の頃は母に怒られたら怯えるしかなかったが、中学高校は「世の中は勉強だけで評価されるんじゃないんだ」と感じ、勉強のことしか言わない・認めない母と時には殴り合いになった。

後半→https://anond.hatelabo.jp/20240718233140

anond:20240718230928

わかる

弁護士あんまり有能に見えない

今回の判決も「タコ部屋ではないとは客観的断定できない(おそらく裁判で争われてない)が、暇空側の証拠が不十分で、colabo自体に問い合わせもしてないから、暇空が敗訴」ってことだよね

これ、弁護士が頑張れば勝てたんじゃないかと思う

anond:20240718210623

ほぉ~、まあそんならあなたの言うことが正しいとしたら、筑波大学もずいぶん勇気があることしてはるなぁ。

どこの田舎もんが言うてるんか知らんけど、冷静になって考えはった方がよろしいんちゃいます

そもそも大学がどんな人受け入れるかはその大学勝手やし、あんたに口出す権利なんかもう一つもあらへんやろ。

挙げてるエピソードちょっと信じ難いけど、まあそんなおっしゃるほど留学生問題なんやったら、そんなん言うてるお宅のご近所や身内、ちゃん教育しといた方がええんちゃいますか?

たかも詳しいこと知ってるような口ぶりやけど、京都風に言わしてもらうと、ちょっと信じ難い話やわ〜。

ホロライブ日本人に余り見られてないのでは

バーチャルyoutuber事務所であるホロライブである

youtubeチャンネル登録者の中で海外人達割合

2021年末:11%、 2022年末:23%、 2023年末:32%と上がっていってるみたいなデータのあるページもあった

実際XでのTLでもはてなとかでも他のVtuber事務所と比べても日本人が見ていて話題にしている所はあんまり見ない

登録者数は3割り程度でも、もう実際はホロライブvtuberを見てる人達の半数くらいは日本人では無いのでは?

からあんまり他と比べて話してる人が少ないように見える

オールドボーイネットワーク って言葉がしっくり来た

まさに当部署である

女性ルーティンワークメインで成長の余地が与えられず、子育てなんて知りゃせんな男性社員たちが結果を出さな会議に盛り上がってる。

無限ループかな?ってくらい永遠とこの仕事はどうしようも出来ないからやり続けるしかない。

管理会計手法を変えたら評価が変わる云々。

バカだなぁ、志もなく上の小言に右往左往で結果なんにも残らない

でも自分たちはシゴデキだと思ってる。そりゃタバコ吸いまくって残業突入してたら疲労は溜まるでしょうよ。バカかな?

君が体壊してるのは過労じゃないよ。自炊しないからだよ。

仕事量についてもっと振ってほしいと言ったら「でも〇〇(同期男性社員)のほうが仕事出来るし」そりゃあんたらが贔屓で仕事振りまくってるからね?でもね、その仕事彼は延々と締切延ばしてるからね?私にやらせてくれればもう完成してたよそれ

すごい嫌な職場だけど雇用条件は良いんだよ。

フレックスコアタイム無しすごいありがたい。

会社はいいけど職場が🤮

ほんとオールドボーイネットワークファックですわ

なんで私が転職活動しなきゃなんねーのよほんとうざ

息子に盗難癖がありそうで気になる

買い与えてるものを全部把握してる訳ではないので明確には分かんないんだが、あんまり子に買い与えるタイプに思えない鋭利なハサミとか、年季の入った卓上手動鉛筆けずりとか、茶色の極太マッキー1本だけとか、息子が所持してて違和感あるものがちょくちょくあることがある。

鉛筆消しゴムは持ってておかしくないが、筆箱に入らない不必要使用済みの量や、1ケース(10本)で買ってるのに1本しかないデザイン鉛筆とか、違和感も感じる。

嫁は「買った記憶はないけど、それがどうしたの?」という感じ。嫁にも俺にも買い与えた記憶がなければこれはどこかから持ってきたもの私物化してるって話になるのだが、嫁はどうもピンと来ないらしい。自然増殖するものだとでも思ってるんだろうか。

息子に聞いたら「もらった」と言う。

からもらったかは分からないらしい。

もやもやする。

と思ったらこの間ケースなしのCDを持っていた。CDは全て新品で買い与えており、ケースなしのものはありえない。

息子はちょっとこだわりが強く、CDDVDプレイヤーに入れっぱなしなのを許さない。TV扇風機も寝てると消されるし、言っておかないと風呂場の乾燥勝手に止めてしまう。

なので必然的ディスクとケースの入れ間違いは発生しないし、常にディスクには収納場所があり、歌詞カードがある。ケースと歌詞カードだけ紛失するなんてことはない。

なのにディスクが剥き出しで置いてある。

(余談だが、これまで息子のこれを「きちんと管理する」ルールなのだと思っていたが、「自分定義した状態に戻す」ルールらしいと認識を改めた)

息子はこれも「もらった」と言ったが、すまん父はさすがにそれを信じられない。誰かのもの勝手に盗ってきたとしか思えない。

そもそも小学生メンタルで、盗ったものを正直に「盗みました」と言えることはないと思う。本当にもらったと思ってるのか、それ以外に許されそう(怒られなさそう)な言い方を知らないからそう言ってるか、どっちかなんじゃないだろうか。

嫁もその場にいた訳だが終始無言だった。二人の時にちょっと話したが、息子が盗ったとしての話はしたくないようだ。

とはいえ本人の証言の裏取り(くれた子の保護者に聞いてみる)などはしたくないようで、俺から聞こうかと提案したが止められた。

でもなぁ、これを見過ごすのは親として良くないと思う。

正直ハサミや鉛筆削りやマッキー職員室か事務室か、その辺の備品なんじゃないかと思ってる。名前書いてセロハンテープで留めてた跡があるし。先生方に嫁含めてどう思われてるかも気になってくる。

知人のお子さんは隣の席の子がすぐ人のものを持ってく子で困ってるとのことで、聞いてドキっとしてしまった。しかも友人が言うにはその子自体に「そうしなきゃいけない事情」みたいなのが感じられない普通の子だったとのことで、更にダメージを受けた。

という訳で子に盗難癖がありそうとなったらどうすればいい?

なお実際には嫁も息子もいないので幻覚です。

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