三つ子虐待死の減刑嘆願のあれこれを見るに、育児のトラブルにおいては、たとえ子殺しであろうとも「母」は被害者であり、罪は男の作った社会にあり、男が償うべき問題らしい。
であれば、虐待を受ける息子は幼児と言えども「加害する側の性別」であり「後には男社会に属する」わけだから、「男社会の罪は男が償え」論によってその責任を背負うはずである。
即ち、「政治的に正しい理解」においては、殴っている母こそが被害者であり、殴られている息子こそが加害者なのではないか?
虐待された息子が虐待した母を糾弾するようなことは、己の加害者性に目を背ける行為であり、「政治的に正しくない」のではないだろうか。
虐待を受けている少年は母から一打を受けるたびに、母をそのような凶行に走らせている社会(の構成員となる己)の罪に向き合い、母の心を救えるように努力する事が求められているし、それができない者はミソジニストで、弱者男性で、失格である。