はてなキーワード: ドラマとは
さすがに滅茶苦茶すぎるだろ。
せめてアンチポリコレのゴミカスが作った作品なんかリメイクするなって主張しろよ。
ハリポタは好きなのかよ。
確定していること
https://en.wikipedia.org/wiki/Sugar_Daddy
A sugar daddy is a man who offers support (typically financial and material) to a younger companion.
なお、同名の日本向けサービス「SugarDaddy」は2015年から存在している
おそらくだけど
・援助交際全盛期が2000年前後であり、古くなったのとイメージが悪化したため
・「朝活」を始め◯◯活が流行ったのが2010年〜2011年頃からだったので、その流れ
かなと思われる
また、◯◯活というワードが古くなるまで使われ続けると予想される
まだ「推し活」など現役ワードが多数あるので廃れないのではないだろうか
最初の頃のほうが交際クラブなど、高級志向の意味合いだったようだ
最近はもっとライトになってきていて、少しずつ援助交際と同じ意味に近づいて言っている
調べてみると、2009年〜2016年頃に盛り上がっていたようだ
パパ活に取って代わられたのかもしれない
これはYESでありNOでもある
交際クラブやギャラ飲みには思ったよりも体の関係が無いものが多い
これは単純に
・年を取りすぎてある程度枯れている
からと考えられる
よくあるのが看護師は気が強くないとできないってやつ
まあわかるけど、看護師は正直いい人とやばい人の差がすごく、やばい人の割合が高い
常に切羽詰まってて人への許容範囲がすごく狭いという感じ
看護師以外にも薬剤師、こいつは偉くなればなるほどヤバいやつになるイメージ
どうやら普段の業務上勉強も必要だし、外からは頭いいと扱われてるのに病院内での位が低いから精神が壊れるっぽい
病院で働いていることがすごいと思っているっぽい
医者は思ってたより悪いやつは少ない
でも本当にドラマで悪い医者役として出てくるような怒鳴り散らしたりするやつが稀にいるし、めちゃくちゃに偉い
権力もすごいし怖すぎる
ちなみにかなり大きい病院のことを言っている
思い入れがあるのはポケモンの赤緑金銀までだから、パルワールドがめちゃくちゃ楽しい
最近の3DCGで繰り広げられる人間ドラマ、面白くはあるけどかったるい
みんな同じドラマを見るならゲームじゃなくて実況動画でいただろ
ソードシールドはミライドンを乗り回せて楽しかったけど、ミライドンじゃなくて他の手持ちのポケモンにも乗せてくれよ
ただ撫で回すだけで愛着って湧かないだろ
草むらに入ったら殺されかけるような
虫取りのポケモンが好きだった
パルワールドは、昔の下品でワイルドなポケモンが好きだった気持ちを思い出させてくれるいいゲームだ
開発者はキャッチーさのために見た目を似せただけであろうが、ポケモン批評としてポケモンに似た見た目でなくてはならなかったと思う
ゴジラ-1.0、アカデミー賞視覚効果賞ノミネートおめでとうございます。
アメリカでの公開当初、最大瞬間風速でジブリが一位、ゴジラが二位をとったんでしたっけ。ロッテントマトの評価も高く、米国で公開された非英語映画としても興行収入で歴代5位となり、世界興行収入1億ドル超え、圧倒的公開映画館の差にもかかわらず興行成績でディズニーのウィッシュに迫りそうな勢いのようです。
海外の反応を読んでいると、人間ドラマパートがよくできているという意見をよく見かけます。トラウマからの克服、家族の再生の物語……。アメリカ人には伝わってないんだな、そして、伝わらなくてもいい、それぞれ受け取り方が違ってもいい、良い映画なんだなと改めて思います。
海外で意識高い系の厄介オタクが解説とかしないんでしょうか。ゴジラ70周年にふさわしく、放射能に始まり放射能に終わる、眼に見えぬ脅威が全面に出てたゴジラ映画だと思いました。
以下は私が受け止めた個人の感想なので、間違ってても笑って流してください。
生きて、あらがって、終幕のあとたぶん二人はすぐに結婚するでしょう、でももう二人は永くはない。井伏鱒二を知る日本人にはそれがよく見えるが、海外の人には見えてない。最後の映像であえて映された典子の首筋の黒い瘢痕、そして黒い雨を浴び、あれほど高濃度の放射線の発生源に降下した敷島。熱戦発射時のゴジラなんてチェルノブイリの象の足みたいなものでしょう。たぶん健康で生きていられる時間はふたりともそう残されてはいない。
たぶんあのあと、二人を亡くしたアキコは澄子さんとともに生きていくことになる。
保護者がいてよかったと思います。そして圧倒的な災害下における我々日本人の『もちつもたれつ』『困ったときはお互い様』のこころを描きたかったのかなとも思います。
ラストで悪しきものの復活を示唆するのは、ジュラシックパークなんかでもよく見たモダンホラーのテンプレですが、あれは気づかない人向けラストでしょうか。わからない文化圏、教育的素地の人にはあのモダンホラーのテンプレがラストとして機能するのかな。でも、病室のシーンで永くはないであろうことが“わかって”しまう我々には、その二人の余韻だけでもうなんかこみあげてくるものがあってたまらない。あえて首筋をじっくり映してたあたり、監督の意図はあきらかにそこにあったのではないかと思います。
全然関係ないけど25才ぐらいのとき、新聞社の仕事で特攻隊員の生き残りの人にインタビューしたことがあります。正確には予科練生。特攻に出る前に終戦になり、広島に帰ったら家も親も何一つ残ってなかったと言っていました。予科練で、次に特攻に行く人はもうだいたい訓練生のなかで決まっていて、誰が行くか!って上官が問うたときに、行かないひとはみな一歩下がる。だから行くと決めた人だけが前に出る(残る)形になる。行くか、と問われて、皆の前で行かないなんて言えるはずもない。だから実際のところ、志願と言いつつ本当の志願ではないのだと。
……このあたりはどの本でも読んだことがないからたぶん現場にいた人のなまの声じゃないでしょうか。私は聞いただけで、実際のところの真偽はわかりません。
それでも本当の志願でなくとも、『米軍が本土にきたら男は殺され女は犯され女も子供もみんな死ぬ。どのみちみんな死ぬなら、自分たちが止めるしかない』という決死の思いは共通でみな持っていたのだと言います。
映画のパラシュートは、脱出ポットに言及された伏線とコックピットを見た橘さんの目線からそうくるだろうなと思ったけれども、実際のところあの時代に実戦配備されて、パラシュートで敵陣の海中に降りても無意味だろうなとも思います。引き上げてくれる味方がいなけりゃ100%溺死するだけだろうし。人間魚雷回天とおなじく(靖国神社の遊就館で見られます)非人道的な武器であり思想であるけれども、『自分たちが止めるしかない』というかつての予科練生の想いは、そのまま劇中の『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』という秋津さんや元海軍の皆さんの言葉につながります。
そういえばyoutubeで見られるんですよね。当時の米軍が記録していたと思われる神風映像。私は見るたびに泣いてしまいます。
https://youtu.be/yN-zEpXwf4s?si=stYhOmHLazLrLV0o
ちなみに『男は殺され女は犯される』という言葉、戦時日本のプロバガンダだと思いきや、20世紀末に旧ユーゴスラビアで実際に起こりました。民族浄化っていいます。その後もコソボなどで起こりました。語源は第ニ次世界大戦中だとも言われています。
インタビューをしたあの方は、まだご存命でいらっしゃるでしょうか。もう亡くなられているのかな。連絡先ももうわかりません。
特攻隊や特攻隊員がゴジラと同じくフィクションの世界に住人になっていく。
でも、『自分たちが止めるしかない』『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』と生き方を決意した方々がいらっしゃったからこそ、今の我々が在る。
大戦後、ビキニ諸島での原爆実験を経て産まれたゴジラが、福島第二原発を経て70周年にこういう形で結実する。素晴らしい映画を映画館で見られてよかったなと思います。世界的な興行成績の成功もおめでとうございます。
名作映画、ゴッドファーザー製作のために奮闘するプロデューサーを主人公に、作品で描かれる権力をエンタメ業界における権力や、現実のイタリアンマフィアの闘争に重ねてメタ的に描いたドラマだ。
内容的にフィクションの部分も相当多いと思われるが、あれこれ文句を言うコッポラ監督はじめ制作側のトラブルや、金と敬意を求めてくるマフィアの横槍、荒れる私生活などに対応するプロデューサーに共感してしまう。
バトルアンチをなんでキャラストーリー萌えと料理好き(?!)にまとめてんだよ
自分はバトル自体のアンチではないけど、バトル以外のポケモンとの生活を描写したりブリーダー・コーディネーター・レンジャー的要素を追加してほしいんだわ
特に剣盾がバトル(ポケモントレーナー)至上主義で世界観が薄っぺらいのがすごい気になったんだよな。(そのくせいらない人間ドラマはきっちりあるし)
容量足りないとかなら、メインとは別ゲーで出してほしい
都会だよ。満員電車は最悪だよ。
ひよこのお菓子は食べないよ。あれを東京のお菓子だと言うと福岡の人が怒るよ。パンダは10年に一回も見ないよ。
写真は撮らないよ、おー、おるおると思ってるよ。
渋谷はあるよ。
新宿駅は西口から東口まで貫通するでかい通路ができたからもう迷わないよ。
秋葉原行って「昔とは変わったよな」とか言えるよ。原宿でも渋谷でも言うよ。
スカイツリーは料金が高いし、どうせ上から見てもきれいな街並みでもないから上らないよ。
ディズニーランドは日帰りで行けるよ。
お台場で遊べるよ。
行かないからわからないな。今度歩いてレインボーブリッジ渡るよ。
東京住んでても知らないよ。
テレビ東京見れるよ。SHUTUPってドラマが面白いけど普通にtverで見てるよ。
タワーレコードあるけど行かないよ。
ライブはたまに行くよ。
コスプレ仲間は作ろうと思えばできるんだろうね。
学生時代に任天堂に1年インターンした後にJPモルガンに入り、大ヒット作のアイデアの良いとこどりで別サービスを何個も成功させている。
単なるパクリではない、相手を知り尽くした炎上を微妙に回避したバイラルマーケティングなのではないだろうか。
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/190906a
JPモルガンに入社しながら片手間で「STORYS.JP※」や「Coincheck」などのWebサービスを立ち上げてきた過去を持つ。
※STORYS.JP ユーザーの人生に秘められたドラマを共有するWebサービスサイト。2013年に書籍化された『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』こと通称『ビリギャル』が生まれた場所としても知られる
Overdungeon
僕は大学に入学したのが2008年で、卒業したのが2012年ぐらい
「はてなブックマーク」などがかなり盛り上がっていて、iPhone 3GSが2009年に登場して、2011年に「LINE」がリリースされて。Webやアプリが一気に広がっていった時代でした。
アルバイトを経て「任天堂ゲームセミナー」という任天堂主催のインターシップに行ったんです。で、1年のあいだ学んだあとに「ゲーム作りは大変すぎるな」と気付いて、別の道に行きました(笑)
いや嫌気とか本能とかもあるだろうけど、それより口が聞けない・自分で判断ができない幼児を対象にした絵や漫画を、いつでも見れる検索できる範囲で公開することは果たして良いのか?と。
親や大人が感知できない所で幼児が性的虐待を受けていることが騒がれているわけで。
テレビアニメゲーム映画ドラマでもR-18つけていける範囲といけない範囲があるでしょ。表現の自由にも自由度の階層があると思う。
愛好者には辛いとあるけど、そのくらいがちょうど良くない?昔だってエロ絵一枚探すのに苦労したし、現実でもナマモノとか扱ってる人らは専用サイトに隠れて供給を満たしあってるわけで。
ロリペドイラスト描いてる本人もちょっとは罪悪感とかあるだろうし、みんなで自制して簡単に見られる場所から少し奥に引っ込むだけで多少周りの目つきも若いうちからペドに落ちる人の数も変わると思うんだよ。
ウマエロ絵とかは皆で自制して監視し合えるのに、なんでロリは「供給減って困る」とかになっちゃうのか不思議。
別に俺はロリ絵を葬り去りたいと思ってるわけじゃない。エログロ系犯罪絵の中でも特に拒絶されやすい絵であることを意識し直して、検索しやすくなった現代に合わせて配慮すべきと言っている。
「つまんない」なんて言ってもしょうがない。僕たちは運悪く歴史のそういうステージに生まれついてしまったんだから。
22世紀まで僕たちはマイニチマイニチ朝7時に起きて、学校や会社に通って、とりとめのないムダ話を繰り返す。学校では英単語や歴史の年号を何度も何度も暗記して、会社では「つまんねー」なんて言いながら、本当につまらない仕事を1週間・1ヶ月・1年なんていうサイクルで何週間も何ヶ月も何年も繰り返す。
延々と最先端スポットができ続けて、延々と政治家は汚職をし続けて、テレビの中は延々と激動し続ける。だけどテレビのスイッチを消してまわりを見回すと、いつもとなんにも変らない毎日があるだけだ。
三島由紀夫は自伝的小説『仮面の告白』のなかで、「戦争より日常生活のほうが恐ろしかった」って書いた。僕たちはガマンにガマンを重ねながら、この「身震いするほど恐ろしい日常生活」を生きていく。得体の知れない「安定した将来」をしっかりと引きつけておくために。一歩一歩慎重にコースを踏み外さないように気をつけながら。
テレビのドラマみたいなハッピーエンドはない。ただグロテスクな「ハッピー」が延々と続いていくだけだ。延々と続く同じことの繰り返しがあるだけだ。そう、キーワードは「延々」と「繰り返し」だ。
生きてたってどうせなにも変わらない。これからどの程度のことが、世の中や自分の身に起こるのかもわかっている。「将来!将来!」なんていくら力説してもムダだ。あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子供をつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240122183330 の続き
ウイスキーの製造に使う大麦麦芽は成長を止めるためと貯蔵のために乾燥させられている。この乾燥に用いられる燃料のうち伝統的な燃料がピート(泥炭)である。このピートを燃料とするとピートの香りが麦芽に移りこの麦芽を使ったウイスキーにはピーティと言われる香味(燻製のようなスモーキーさとヨードチンキや正露丸のような薬品香)がもたらされる。その香りはピートを燃焼させたときの燻煙に含まれるフェノール化合物によるものであるが、その麦芽に含まれるフェノール化合物の割合をフェノール値と言いppmを単位として示される。このピートはスコットランドに広く存在するがアイラ島のピートには海藻由来の成分が多く含まれ特に薬品香を強くもたらすと言われる。このピートで乾燥させた大麦麦芽を使った原酒は程度の差こそあれアイラのみならず多くのスコッチウイスキーに使わている。また日本のウイスキーにも広く使われている。
ウイスキーがどれくらいピーティかは実際にはフェノール値だけでなく蒸留のどのタイミングの蒸留液をどう使うかや熟成に使う樽によっても変わるのであるが便宜的にフェノール値を用いてほぼ0の場合をノンピーテッド、それから順に(人によって違うが)10ppmぐらいまでをライトリーピーテッド、25ppmぐらいまでをミディアムピーテッド、50ppm台までをヘヴィリーピーテッド、その上をスーパーヘヴィリーピーテッドとしてウイスキーを区分することがある。ただ特にフェノール値が非常に高いような場合、例えば150ppmのウイスキーを飲んでも50ppmの3倍スモーキーだと感じるようなことは(増田の経験上は)ない(多分それを目指して作っていないと思う)。フェノール値はあくまで目安である。
ウイスキーには様々な成分が溶けているがその中には冷却すると目に見える澱や白濁の原因となるものがある。この原因となる成分を除去するためにウイスキーを冷却して濾過するのだがこの成分にウイスキーの香りや味わいの成分が含まれるとして香味が薄くなるのを避けるためにこの冷却濾過をしないウイスキーがある。このような冷却濾過しない製法もしくは冷却濾過していないウイスキーそのものをノン・チルフィルタードと言い、一般にラベルにNon-Chillfilteredと書かれている。冷却濾過は大量生産するウイスキーの味の均一化という側面があるとも言われる。
スコッチウイスキーの蒸溜所は地域別(ハイランド、スペイサイド、ローランド、キャンベルタウン、アイランズ、アイラ)に分類されることが多い。ここではスペイサイドとアイラの蒸溜所の一部を紹介する。ここに挙げた蒸溜所はすべてモルトウイスキーの蒸溜所である。
日本のウイスキーはスコッチウイスキーから大きな影響を受けている。そのため法律に基づく部分を除き日本では用語等はジャパニーズウイスキーとスコッチウイスキーで同じ意味で使っていると言えるのであらためて説明しない。日本のウイスキーについてオーセンティックバーで見ることが多い銘柄のうちいくつかを紹介する。
もともと日本のウイスキーの定義は酒税法で定められたものだけで非常に緩く輸入した原酒を日本で瓶詰めしただけのウイスキーがジャパニーズウイスキーと称されて販売されたり、酒税法上の焼酎が海外でジャパニーズウイスキーとして販売されたりしていた( https://toyokeizai.net/articles/-/216248 )。その問題への対処として業界団体である日本洋酒酒造組合が「ウイスキーにおけるジャパニーズウイスキーの表示に関する基準」でジャパニーズウイスキーを定義した( https://www.yoshu.or.jp/files/libs/550/202303291553482719.pdf )。この基準の施行前に販売していたウイスキーについては経過措置により従前の表示が認められているが2024年3月31日で経過措置の期限となるためもしかすると一波乱あるかもしれない。
その3へ続く https://anond.hatelabo.jp/20240122184434
その話題で以前Vtuberたちが、お絵かきAIで絵師は終わらないよ!と主張してたのを思い出した。
絵のクオリティじゃなく、ツイッターとか放送とかで滲み出る絵師の人間性をファンは推しているから、みたいな話だった。
でもそれってアイドル売りですよね、人生を切り売りしてる、絵じゃなく。
表に出たくない商売絵師たちは、結局生き残れないじゃん、、、当時思った。
文学界が正解対応できたのは、あくまで作品の質だけを評価してるからじゃないかな。
人間である作者がどうとか、いつどうやって書いたみたいなドラマ性じゃなく、出てきたもののクオリティだけ冷静に客観的に見るのが文学なのだ、のような感じ。
なんか時々発生する、「旦那が友達の家に遊びに行くのについて行かされるイベント」なんなん?
旦那、小学校からの友達(男、結婚済み)と遊ぶこと多いんだけど、その友達の家で遊ぶ時に一緒に行こうよとか言われる。
そう言う時って友達と、友達の奥さんと、友達の弟、旦那、私っていう5人になるんだけどさ、私だけが完全アウェーな訳じゃん。
ゲームなりなんなりもだいたい4人プレイが多いから私が頭数1になると誰かがあぶれて私への解説やらサポート役になるんだよ(私がゲームとか疎いため)
純粋にゲーム楽しみたい勢からしたらテンポ悪くなるしこっちも気を使うし、まじでいい事ないんだけどなんなんだろうか。
今現在もみんながゲームしてるとこからちょこっと離れた場所でこうやってはてぶ開いてるだけなんだよね。