「つまんない」なんて言ってもしょうがない。僕たちは運悪く歴史のそういうステージに生まれついてしまったんだから。
22世紀まで僕たちはマイニチマイニチ朝7時に起きて、学校や会社に通って、とりとめのないムダ話を繰り返す。学校では英単語や歴史の年号を何度も何度も暗記して、会社では「つまんねー」なんて言いながら、本当につまらない仕事を1週間・1ヶ月・1年なんていうサイクルで何週間も何ヶ月も何年も繰り返す。
延々と最先端スポットができ続けて、延々と政治家は汚職をし続けて、テレビの中は延々と激動し続ける。だけどテレビのスイッチを消してまわりを見回すと、いつもとなんにも変らない毎日があるだけだ。
三島由紀夫は自伝的小説『仮面の告白』のなかで、「戦争より日常生活のほうが恐ろしかった」って書いた。僕たちはガマンにガマンを重ねながら、この「身震いするほど恐ろしい日常生活」を生きていく。得体の知れない「安定した将来」をしっかりと引きつけておくために。一歩一歩慎重にコースを踏み外さないように気をつけながら。
テレビのドラマみたいなハッピーエンドはない。ただグロテスクな「ハッピー」が延々と続いていくだけだ。延々と続く同じことの繰り返しがあるだけだ。そう、キーワードは「延々」と「繰り返し」だ。
生きてたってどうせなにも変わらない。これからどの程度のことが、世の中や自分の身に起こるのかもわかっている。「将来!将来!」なんていくら力説してもムダだ。あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子供をつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。