はてなキーワード: 菅直人とは
アウレリウーッス
本日はO157 堺市学童集団下痢症を忘れない日、となっております。
初めてO157と聞いた時は「何だこの珍妙な英字と数字の羅列は」と思ったものです。
そしてしばらくしたらかいわれ大根を食べてる菅直人さんを見せられて「かいわれ大根食べてるなぁ」という感想を抱いたものです。
最近じゃ生食も禁止されるというか、生食用の肉を使う上でちゃんと気を付けなければいけないことやちゃんと火を通すことを徹底されたので、ちゃんと遠ざけられているなぁとは思いますが
それでもほとんど生みたいな肉を食って腹を痛めることが最近でも発生しておりますので、やはり食べる前に気を付ける必要性はありそうです。
ということで本日は【十分な加熱よいか】でいきたいと思います。
十分な加熱よいか!十分な加熱ヨシ!
世界中から、それこそプーチンですらも死を悼み、断交以来最高位となる台湾副総裁の弔問があったり
ブリンケン国務長官が急遽来日する等、世界の外交日程を変えてまで、その死を惜しまれ
世界で多くの国の人々にも死を惜しまれて、報道のされ方一つでメディア批判を呼ぶほど話題になり、
外国の地で彼の為に用意されたメッセージボードが一杯になるほどの思いが寄せられ、
最後の地となった現場に日本国民からの献花が絶えず、通夜へ各界の著名人の弔問が絶えず
大勲位の叙勲をもっても評しきれないほどの功績に人々は思いをいたしている。
そんな安倍の死は、生前の価値の大きさを今さらながらに思い知らせてくれる。
同じく首相経験者だが、鳩山由紀夫や菅直人が死んだ時、どれほどの人が惜しむだろう。
安倍が政治生命をかけて守り抜いた安倍夫人が「晋ちゃん、晋ちゃん」とその名を呼ぶほど、彼らの夫人は悲しんでくれるだろうか。
「KDDIの通信障害は大変遺憾」「総理からの指示をうけ、昨晩から省の幹部を連絡要員として新宿のKDDIビルに派遣した」 ネット民「邪魔すぎる…」
<ネットでの反応>
違う、そうじゃない
こんなの、現場と上の人がちゃんと連携して、上の人が連絡・報告すればええんや
圧かけに行ったただの冷やかし
このせいで遅れてんじゃないの
土日でホント良かったな
平日ならストップ安確定だぞ
連絡要員というかただの監視役だろと思ったけど電話使えないから現地に派遣せざるを得ないのね理解した
文句言いに行っただけやろ。
「対応にあたらせた」とは何をさせているのか
余計なことをする…
大臣が言う事は「ただいま技術者の方々は必死に対応を頑張っています。auショップに行ったりサポートセンターに電話しても改善されませんし、業務の妨げになるので控えてください」
これだけ言ってくれ
連絡要員来られても…邪魔だろうなあ
今後みずほみたいにならなければ良いけど
総務省の幹部の接待で職員のリソースが奪われてるんとちゃうか、知らんけど。
菅直人の福島第一原発訪問の時の大失敗を全然学んでおらんなあ。
どうなってるおじさん増やしてどうするんや
役人が行って直るならとっくに直ってる
なかなか直らないなあ・・・よし、国のお偉いさんを連絡役として現場に派遣だ!って事か
http://jin115.com/archives/52349437.html
世の中がこういう分かってきた人が増えた風潮でいいことだと思う
野党として政権批判をくり返し、救助・復興の妨害をしていたってマジ?
SNSでは、リベラルがそういう宣伝をしているけど、事実に基づいてる?
菅直人が谷垣禎一に入閣を要請して、谷垣がそれを固辞するというシーンがあった。
しかし、どういう理由で妨害行為といえるのか、私にはよく分からない。
他には、自民党が内閣不信任案を提出したことも、ときどき「妨害」と言われる。しかし、6月になっていれば、緊急の救助活動を邪魔するものでもないだろう。
そもそも、当時は「民主党内で揉め事があった」という衝撃が大きかった。内閣不信任案も、民主党の造反組が協力してくれるから出そうとしたわけで、自民党が独断で動いたわけではない。
民主党の造反組は、自民党と協力して菅直人を引きずり降ろそうとしたが、やっぱり菅直人と妥協することに決め、グダグダと内紛を繰り広げた。
マスコミは「民主党は被災者の苦しみをかえりみず、仲間同士で足をひっぱりあって、国民の不信を招いている」という批判を行っていた。
前半→https://anond.hatelabo.jp/20220615180702
こんな形でソ連という敵を喪失してなおアイデンティティの為に日教組を叩いていた人らが居たのだが、社会的には全然相手にされていなかった。
そこでこの批判を既存のコードを使ってアップデートしたのが小林よしのりだった。
左翼や進歩主義者ににとって社会は変革されるべき客体である。人間は変革を担う主体である。
だが、最初に大事なのはその主体が社会的矛盾や疎外に気付く事だ。それによって「変革の主体」との主体性を得るようになる。
だから、大学などに進んでも尚主体性を得ずに高校の延長で勉強しているような学生には「君達は教育による馴致によって自分が何か、何がしたいかの動機が予め奪われてここに居るんです」というような事が言われる。説得でもあり扇動でもある。
ルソーの『エミール』等の自然状態礼賛がベースになった考えで、本来人は高貴な野蛮人として生まれるのに教育を受ける間に躾けられ、個性を封じ込められ主体性を発揮する動機さえ喪失してしまう。
君たちは既に侵され殺され抑圧されているがそのことすら気付いていない。卵の殻を破壊せよ世界を革命する為に、とそういう具合である。
だがこの主体性への気付きというのは進歩主義者の専売特許ではない。帰国子女は異文化経験によって「今ここ」が異化されており概ね主体的でありそれにより成熟している事が多い。私学エスカレーター組と比べると大人とガキの違いだ。
また就職活動で仕事について真剣に考える期間を経ると顔つきが大人びてくる。
そこで小林がやったのは「君たちは教師によって騙されていた。君の本来性は殺されたままだ」という扇動だ。その騙しとは真実である歴史修正主義言説を隠蔽していたというものだ。
今ではこういう覚醒の物語というのは「レッドピル」として一般に認知されている。マトリックスでモーフィアスに「今までの生活がいいなら青カプセル、覚醒して世界の真実が知りたいなら赤を飲め」と言われるアレだ。
この扇動が奏功するには条件が必要だが、その前に指摘しておきたいのが、90年代末当時に流行していたアダルトチルドレン言説である。
アダルトチルドレンとはアル中に育てられた人間が自分の子供にも暴力をふるってしまう現象の事だ。
だがこれが「親の教育のせいで大人になれないガキ大人」という風に俗流解釈されてこれが流布して問題を起こしてしまう。
米国で弁護士事務所が営業をかけて「自分が大人としてうまくやっていけないのは親の教育のせいだ」として親を訴える事例が続出したのだ。
元の意味では自分の問題行動が幼少期のトラウマにある事を発見して自覚し克服するのが目的になっている。
対して俗流では自分の人格の問題は教育のせい、と問題を固定化するのが目的化しているのだ。訴訟を吹っ掛けるのが目的なんだからそうなる。
さて小林の日教組被害論はどっちだろうか?後者であろう。そして小林は当時この言説を知っていたはずである。ビル・クリントンが「僕もアダルトチルドレンだ」なんて言ったニュースが流れたのだから。
まず最初は
1.主体性棄損論がリベラル教師らによって唱えられ受容されていた
これは既に言った通り。
就職面接対策がマナーや受け答え型の技術的なマニュアルから主体性探求型へと移っていた時期である。自分が何故この会社と職種に賭けたいのか、自分を探求して経験者が起業する時のような事を語るのを求めれた時代である。今の洗脳型ブラック研修のオリジンはこの頃にある。
格別に強度がある自分探しの経験をしたとアピールする為に東南アジアの奥地で死にそうになったエピソードを語る学生が沢山居た頃である。
日教組被害論が端的に奇妙で揶揄の対象となるのは経験で上書きされていないという事だ。普通は大学や社会での経験で上書きされて中高の頃の事などいつまでも覚えていない。
上書きされないのはレッドピルだからなのだが、それ以外にも当時は社会経験で上書きされないという条件が揃っていた。
当時の新卒就職率は大学でも5割程度である。高校卒なら殆どが就職できていない。
「学校の上書き」がされずに経験の類型を話す時に仕事じゃなくて学校での事で話してしまうような者が半分以上居たのだ。
みなバイトや派遣してるうちに社会が変わって何とかなると考えたが何ともならなかった。
小林はリベラル界隈で活動している時に薬害エイズ訴訟の支援をしていたが、菅直人が厚労大臣になり原告の請求是認して謝罪し一応の解決を見ても運動に参加した学生がいつまでも新たな課題に飛びつき運動から離れないので嫌気がさしてしまった。
運動で正義を追及する自分がアイデンティティになってしまうからである。
更に運動に参加した学生が一律同じことを言うようになる。戦後に天皇が存続しているのもおかしい、自衛隊が存在しているのもおかしい、と。
明らかに左翼運動家に「世界観」を吹き込まれているのだ。レッドピルである。それらのパッケージの全体性は自己のアイデンティティの保持の為に支持されている。これに「汚ねぇやり方だ」と感じるのは正当であろう。
こういう運動のイヤな面を見て嫌気がさして辞めたのに、その方法論を覚えて転籍先で援用したのだ。
世界観提示による実存囲い込みの方法もその効果も、経験が少ない若年者を囲うと世界観の保持の為に経験での上書きを避けるというのも知っていた。就職しないで運動を続けたいというのがこれだ。
異論は個々の方法には許されるが、世界観を構成する箇所への異論はNGだ。その世界は積み上げたものではなくてパッケージ全体性が担保されねばならないものでそれを棄損するものだからだ。
小林はこんな風に左翼の思想/行動的に拙いところの要点を教示されるなどで認識しているのにそれを後に右翼扇動に使うという事を沢山していて例えば橋爪大三郎が後に口の端にも上げないのは小林の転向の為ではない。自分が説明した事の悪用のせいだ。
まとめると、社会が安定した日教組衰退期にソ連が敵性を喪失した為に敵の乗り換え先としてテーゼとなったが世間では相手にされていなかった。左翼運動の方法を知る小林が若年者の実存囲い込みの方法をこのテーゼにコピーして実行したところ社会情勢がマッチして成功した。
日教組被害論者があり得ない条件を言うのでツッコミ多数で、いやあったんだ北教組は…などという話によくなっているが、日教組は実在するのはみな知ってる。
そうでなくて日教組によって自分の主体は棄損されて間違った世界を見せられていたというのが訴えたいことだったのだろう。あれはマトリックスに封じ込めるブルーピルだったと。
だから揶揄している人は実在を問題にしているのではなくて中高の経験をいつまでも語るおかしさを揶揄している。思想的な事を多少知る人はその日教組の存在は世界の全体性パッケージの外郭を保持する為のアプリオリな仮想経験だという事に気付いている。
ネットでの対話なら揶揄して終わりだが、身近に居る人なら「それに拘泥している間は経験を擦り合わせて積むことが出来ない」「自由世界の住民の自我は小傷が多いがそれで壊れたりしない」と忠告してくれるはずだ。
冷戦と社会党瓦解の影響で日教組が協調路線に転じたのが1995年頃なのでもう30年近く前なのだよ。その当時の中高生はもう40代半ば以上なのだ。
ttps://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1478889801827102722
ttps://togetter.com/li/1829396
ttps://www.sankei.com/article/20220114-SZT4OOTICBMOVMB6WWWGYBPKFQ/
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ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220201/k10013460051000.html
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ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220215/k10013485071000.html
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ttps://twitter.com/kharaguchi/status/1505292668360073218
ttps://mainichi.jp/articles/20220323/k00/00m/010/317000c
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ttps://www.gifu-np.co.jp/articles/-/73978
ttps://bunshun.jp/articles/-/54027
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220515/k10013627241000.html
ttps://mainichi.jp/articles/20220515/k00/00m/010/095000c
ttps://twitter.com/tomominishitani/status/1527271616090017792
政府は電力会社憎しの世論を煽り、海外で失敗だらけの電力自由化を無理やり押し進めた。
自由化の大義名分は「購入先の多様化」「競争による低廉化」、そして「再生可能エネルギー」だった。
結果は以下
①卸市場活発化のために、大手電力会社は利益ゼロで電力を供出させられ
②発電所等を持たず、安定供給への使命感などゼロの新電力がそこから利益を抜き
③孫正義と菅直人によりFIT制度が作られ、国民の血税を吸い上げながら役に立たない再生可能エネルギーが次々と導入された。
電力の供給安定性は大きく毀損、無秩序な再エネが景観を壊し、挙句の果てに国民負担は2.5兆円以上増えてしまった。
これを世紀の愚策と呼ばずして何と呼ぼうか。
――ヒトラーは金融緩和を行っていた。金融緩和を行う日銀はナチスと同じだ。
――男女平等は共産主義者が言い始めた。男女平等を掲げる政治家は共産主義者だ。
――戦中日本は優良多子家庭を奨励していた。少子化対策は戦時体制に回帰している徴だ。
これらが全体的に例証として荒唐無稽なのは言うまでもないでしょう。これは特定の主張と同じ主張をしている別のグループを持ってきて「お前は〇〇だ」と対人論証を行うもので、「連座の誤謬」や「関連付けの誤謬」と呼ばれています。その中でも国際的にも有無を言わさず巨悪とされるナチスは何かを批判する際に引き合いに出されることが多く、些末な共通点だけで同一視するような詭弁が蔓延ったため特に「ヒトラーに例える論証」と特別に名前がついているわけです。本来のヒトラーに例える論証とはそういうものでした。なおこれは論証として不成立であることを批判するもので、侮辱か否かとは少しまた別のレイヤーの議論であることを留意しなければなりません。
そしてヒトラーが持ち出されることが多いのを皮肉ったのが「ゴドウィンの法則」です。議論中にこうなったら大抵建設的でないレッテル貼りになりがちですよね。
しかしつくづく思うのですが、ナチス関連の例えを出した時に”機械的”にゴドウィンの法則を持ち出して論難し始めるのはどうなんでしょうか。元来、「誤謬」に名前を付け「法則」という諧謔を作ったのは非論理的な議論を排し建設的な議論を行うための道しるべを示すためではないのでしょうか。相手の失点を指摘することで点数を稼ぐゲームを行うためのルールなのであれば私の不見識ですが、そういうものではないですよね?現代人が好きな”建設的”な議論をしたいのであれば、紋切り型に言うのではなく相手の論証が不十分である根拠を滔々と説く必要があります。そうすると必然的に根拠を示すだけで議論は成立するので特段誤謬や法則の名前を持ち出す必要も無いものです。
そもそものところ、ヒトラーを出した即ち誤謬・詭弁とするのはあまりに乱暴ではないでしょうか。いや菅直人元首相の発言が連座の誤謬に該当しないと言うつもりはありません。連座の誤謬だと言い切れる自信も自分にはありませんが…。例えばナチスが抱えていた論理的誤謬と同じ誤謬を抱えていると指摘しそれが危険な帰結を導出しかねないと論証できれば連座の誤謬とまでは言えないのではないですか。話を変えて最初に挙げた例に移れば、少子化政策として子供が多い家庭を表彰するという話が出たら戦中の優良多子家庭表彰政策を持ち出し問題点を指摘する程度であれば連座の誤謬とは言えないでしょう。もしくは少子化対策に前のめりになるあまり子供が多い家庭を理想モデルにすることの危険性に注意を促す程度に留まれば個人的には問題無いようにも思います。
こうした区別の判断は「ヒトラーに例える論証」とか「ゴドウィンの法則」とか言って即座に議論を終わらせるのではなく丁寧に反証をしようとすれば、相手の主張が誤謬と言えるものかどうかが見えてきてできるものではないでしょうか。ヒトラーと言うだけで機械的にゴドウィンの法則に該当してお仕舞の世界よりは判断基準が主観的で曖昧になりますが議論とはそういうものではないでしょうか。もちろんそんなに労力をかけられないという意見は分かるのですけれども。
正直なところ、ナチスに関連できることを見つけてすぐヒトラーだと言い出す人とナチス関連の話を持ち出したのを見てすぐゴドウィンの法則だと言い出す人の思考回路は同じようなものじゃないですかね。
と匿名の人間が書いても意味がないでしょうから、権威に訴える論証(詭弁)をしましょう。何を隠そうゴドウィンの法則の発明者であるゴドウィンはオルトライトについてナチスと比較するのを奨励しています。
By all means, compare these shitheads to Nazis. Again and again. I'm with you.― Mike Godwin (@sfmnemonic) August 14, 2017
Since it was released into the wilds of the internet in 1991, Godwin’s Law (which I nowadays abbreviate to “GL”) has been frequently reduced to a blurrier notion: that whenever someone compares anything current to Nazis or Hitler it means the discussion is over, or that that person lost the argument. It’s also sometimes used (reflexively, lazily) to suggest that anyone who invokes a comparison to Nazis or Hitler has somehow “broken” the Law, and thus demonstrated their failure to grasp what made the Holocaust uniquely horrific.
[抄訳]
ゴドウィンの法則はしばしば次のようにまとめられている。ある人が現在の何かをナチスやヒトラーと比較したら議論が終わったか負けたことを意味するのだ、と。またはその人が法を『破った』とされ、ホローコーストの比類ない恐ろしさを理解できてないということを示唆するとして(反射的に、怠惰に)使われている。
反射的に(reflexively)怠惰に(lazily)という修辞句を使うゴドウィン氏の心情を慮りつつ…。いわゆるトランプ政権のゼロ・トレランス政策をヒトラーになぞらえて批判した議員がいたことについてこのように記述されます。
The response has been predictable: Debate for some people has been derailed by the trivial objection that, even if it is terrible to separate children from their parents (and sometimes lose track of them, or make it impossible for their parents contact them, or even deprive them of the comfort of human touch), it’s not as awful as what the Nazis did.
[抄訳]
「ナチスの行いを矮小化しているからこの比較は不適切だ」という反論したことはないですか?それがいつもつまらない反論でしかも議論を脱線させるような非建設的な意見かは知りませんが、この時なされたその類の反論はゴドウィンからすればここまで大上段に切り捨てられて当然のもののようです。辛辣ですね。この後、こうした時にゴドウィンの法則の名前が出てくるという話もしています。
But I do want to stress that the question of evil, understood historically, is bigger than party politics. GL is about remembering history well enough to draw parallels — sometimes with Hitler or with Nazis, sure — that are deeply considered. That matter. Sometimes those comparisons are going to be appropriate, and on those occasions GL should function less as a conversation ender and more as a conversation starter.
[抄訳]
ナチスの問題は政党政治より大きなものであることを強調したい。ゴドウィンの法則は深く考察される類似性(ヒトラーやナチスとのを含む)を描くのに十分なくらいよく歴史を記憶することに関するものだ。時にそうした比較は適切であり、その場合、ゴドウィンの法則は会話の終止符ではなく会話の第一歩となるのである。
要するにナチスが現代の政党政治と比べるべくもないヤバい奴なのは前提ではありつつも、ナチスとの比較は適切な時もあるから「ゴドウィンの法則に該当するからアウト」みたいな単純な使い方はするなよってことです。もちろんゴドウィンの法則の発明者だからと言ってゴドウィンの言うことが全てではありませんが。ただ、ヒトラーに例えることで議論が脱線し行き詰まるのを防ぐためのゴドウィンの法則という言葉が議論を脱線させる一因となるのであればミイラ取りがミイラではないですか。
ネット上では新しい概念が日夜発明されています。大抵の場合は既にある概念が再発見されて流行してるだけなんですけどね。そうするととかく流行概念に合致してると言えれば即何かしらの結論を得られるという思考に陥りがちです。しかも政治においては用語や見方という枠の解釈合戦(フレーミング)が起こるものです。しかし政治家や活動家でなければ必ずしもそういった方向に行かなくてもいいでしょう。結論と同じようにもしくはそれ以上に過程こそが議論にとって重要であるという基本に立ち返りませんか。その時、数多の概念は思考を論理的に展開する際の補助輪になってくれるはずです。そう、概念は結論に直行するものではなくあくまで思考の補助線なのだと考えた方が良いのではないでしょうか。概念に振り回されず、連座の誤謬もヒトラーに例える論証もゴドウィンの法則も上手に付き合えば落とし穴に嵌らないようにしてくれるはずですから。