はてなキーワード: 学会発表とは
銀英伝燃えてる話、発端は社会学者のツイートなんだわ。この流れキズナアイでも見た。そろそろ飽きた。
学者は学者として発言することの重さを知れ。Twitterすんなとは言わないから、せめて素性を隠せ。あるいは学者として本名でやるなら食事と研究と学会の話だけにしろ。自分の詳しくない分野について発信するな。Twitterで議論なんてできるわけねえんだよ。学者さんは上澄みでしか生きてきてないだろうが、Twitterには上から下まで、それこそ月からスッポンまでいんだよ。月のお前だろうとスッポンどもに囲まれたら負けんだよ。お願いだから自分の詳しくない分野について学者として発信するのはやめてくれ。それか発信したいなら論文なり学会発表なりでやれ。
最近のオタクは、「沼」にハマったり、「神」に出会ったりして、心を大きく揺り動かされたという文章を書く。
それで同人誌を作ったり、SNSやブログでいかにとてつもないものに出会ったか熱く語ったり、あるいはそれゆえにコミュニティを離れたり、あるいはあまり積極的には書かれないけれども人を妬んだりして邪悪(と社会通念上言われる)なコメントを誰かにする。
「自分の大きな感情」ってそこまで大ごとにするべきことなのだろうか。
例えば恋愛でも研究でも、自分の心を揺り動かされることがある。けれどもどこかで冷静にならないと形になっていかない。
なんというか、自分の感性や感情(の強さ)だけに担保される発想や行動って冷静さがなくて大丈夫なのかと思う。
を考えている。工学部の無能な理系女です。これから生産性0の愚痴を吐きます。
卒論発表が終わりました。
散々な発表でした。
結果は出てないし、結論はあやふやだし、発表はトチるし、質疑応答は何度も聞き返すし、これでもきっと卒業させてくれる日本の大学制度に感謝するしかない。
ところで今回発表する50人ほどのうち、女は1人だけなんですけど、聴衆のうち1人でも「だから女はだめだ」って思った人はいないのかな。そこまで行かずとも「リケジョ(笑)育成云々で向いてない人間を呼び込むからこうなるんだよ」とか。
……世の女性の社会進出云々で活動されてる皆様ごめんなさい。研究なんか向いてない無能な私がちょっと物理が好きで座学はそこそこ得意だったのでなんとなく就職に有利そうな工学部に進学したばっかりに、女はできない、の印象を植え付けてしまった人がいるかもしれない。ごめんなさい……。
これが1/25のただの無能な学生ってだけなら、少なくとも「女が学問できるところを見せなきゃ!」みたいな思考が生まれることはなさそうでいいなあと思ってしまうし、そう思う自分がクズだなーと思う。己が女であることに責任を転嫁するのマジで馬鹿だなー。きっと教授も同期もそんなこと考えてなくて、ただあいつは真面目だけど無能だなくらいしか思ってないと信じてるけどね。女の教授(死ぬほど頭が良くてメモすら手に持たず爆速で授業をする。学生は置いていかれる。あと卒論発表でほとんど全員に対して容赦ないうえに本質的な質問をする)だっているわけだし。研究科に1人だけど。
そんなこと考えてる暇があるなら研究を進めろ! おっしゃる通り。
最近、本当に自分が自分の実力でこの大学に受かったのかすら不安になってきた。受験生の頃は「◯◯工業大学とかは特に女学生欲しがってるそうだから、きっと有利だよ!」とか言われたけど、いやそんなわけあるか点数取りゃ受かるんだよとか思ってた。いやまあ点数開示したら平均ちょい上だったしそんなので受かったと本気で信じてるわけじゃないけど……。
某医学部で男子加点があったやつもさ、あれ合格した男子学生だって被害者だなーと勝手に共感したりする。マジで普通に点数良くて受かってる人だって外部から見たら「下駄はかされて受かった可能性のあるやつ」なんでしょ? つら!
そういえばこのあいだ某大学が教員の男女比が目標を下回った部局の予算を減らすとかでTLに馬鹿にされてたりもしたな。なんとかアクションってやつ? ああいうの明言された上で雇用されたくないよなー。単純に能力が高くてポストに向いてる人を雇用します! って言い続けりゃよくない? で今は昔よりはまだ工学部の男女比マシになってきてるんだから、そのうち上のポストの男女比もマシになってくでしょ。過渡期はしんどそうなのはわかるけど。
まあ私には大学の教員とか関係ないけどね。院進はするけど修士終わってからも研究続けるつもりないし、どうせドクターとか受かんないし。
あーあ、叶うならもっと男女比がましになった世界線で工学部に進学したかったなあ。そしたらただの無能な学生になれたのになあ。
あと研究室の夏合宿で突然生理が始まって誰も頼れないので(まあこれは私がコミュ障なのと計画性がない馬鹿であることが原因の大半を占めるけれども)夜中にこっそり片道徒歩30分のコンビニまでナプキンを買いに行くことも、温泉旅行に行く話をする同期を「楽しそう! いいねーいってらー」と初めから自分を数に入れないよう立ち回るのも無いんだろうなー。
まあそうなったらなったで別の苦労が出てくるんだろうなとも思ってはいるんですけど、現状に辛いことがあるのは事実なので。現実逃避? その通りです。
名も知らぬ増田たちが予想以上に冷静で(すまぬ)なんか救われたので追記。
ありがとうございます。修士ではできる学生を目指して励みます。学会発表とかできるくらいになれたらいいなあ。研究、向いてないのは重々承知だけど嫌いではないんだよなあ……。
これが実は1番救われた。ドーモ、ただのありふれた学生です。
金網の話ちょっと状況が想像できなくてビビったんだけどマジでそんな感じだったんですか? 弊学、少なくとも現在はむしろ使用する人が少ない割に男子トイレと同じくらいの頻度で掃除されてるのでむしろ研究棟のトイレ自体は快適ですよー。数はちょっと少ないけどね。女の学生増えてほしいと切実に思ってるのでそこに関してはご安心頂きたい。
元増田です。
この枝の議論は自分にとってとても大切な観点が書かれていたのでここメインで書き込みます。
横増田の方はかなり私の考え方に寄り添って書いていただきました。
またその方とやりとりしている方も「ファスナーは常に閉めるべき状態なのだ」と考えるあり方を提示されており、私のこだわりに添いつつ新しい考え方をもたらしてくれました。
この枝のさらに枝の増田さんが書いている、何か事態が起こった場合に反省して切り替えていくという姿勢は私のような人間には極めて重要です。
人の意見を素直に受け止めないと苦手なものは一生そのままになってしまう。何が苦手かはおそらく元の文章読んだ方ならなんとなくわかるかと思います。
私は例えば人より0.7倍スキル習得速度、物事への認知速度が遅いとしても、その分できないかもしれないけど頑張って、人より劣るけれどもスキルに経験値入れ続けることは大切だと思っています。自分のやってることに半分自信があり半分は全くないので、冗談ぽく周囲に話して、それでちょっとずつ直したり考え直したりしてます。
元の増田もそんな気持ちで議論になりそうなこだわりをヤバそうなものから共感を得られそうなものまでグラデーションでピックアップして書きました。
ということで、お皿はもう少しちゃんとやってみようと思います。
もう少し、と書いたのはいきなり完璧にやろうとすると失敗するからです。
これについてはhttps://anond.hatelabo.jp/20200116111422の指摘があたります。
これは完全に私の書き方が不十分で申し訳なかったのですが、元増田で「必要以上に」と書いてある通り除雪はします。私はかなりちゃんとやる方で、ネットの積雪予報と自分の睡眠時間を考えて、時間を定めて適切な範囲で除雪します。融雪の時期は当然朝晩の融解と氷結を見越して除雪しています。変なタイミングでちょこちょこ除雪したり、大した積雪でないのに除雪機出したり、そういうのはよくないと思うのです。田舎だとマンションの管理会社が建設業で、ユンボで除雪してもらえるのですが、その時に自家用車が駐車場にあると除雪に支障をきたすので、来そうな場合は出かける用事を作ります。一軒家の場合はお隣の除雪ペースを心に留めて動きます。
あれこれ理由をつけているだけで、自分のだらしなさを正当化しているという指摘が結構ありました。
その通りです。ただそれはいけないことなのでしょうか? ちょっと言葉は強いですがhttps://anond.hatelabo.jp/20200116133818の意見に近いです。
で、日常のいろいろなことに過度に囚われず、思考したり実践したり、あるいはだらだら休み増田も書く。動静どっちもやる。
ただし、人の意見をしっかりきいてこだわりを相対化するのは大切。
こんな人間なのでお察しかもですが小学校から中学校の時代はかなりいじめというか孤立しましたが、中学2年生の時以来つるんでくれるメンバーがいて、とっても、助かりました。そのメンバー達のおかげでこだわりの相対化へのこだわりが始まりました。
消しゴムを拾わないのは、その時間は書いたり黒板見たり集中して物事を覚える時間だからです。
物を覚えているのに消しゴムを拾うと物を覚えられない。テストで点数取れません。
誤字をすると、物を覚えるのは一時中断します。そして消しゴムの出番です。
席変えの際に周囲に説明して、俺のは拾わなくていいということを伝えるようにしてました。
なお私は上半身を前後させながら授業を聞くと覚えが体感1.8倍くらい(2倍行かないくらい)よくなります。
ただこれをあまりにひどくしすぎると周りの人に迷惑なので、その感覚をより小さな動作で得られるように中学生くらいからしています。
ちょっとだけ貧乏ゆすりする、あるいはつま先をゆっくりトントンする、左手を鼻筋に当てる、ペン回しをする(はじめ右手でやっていたのですが右手でやるとノートに差し障りが出るので、左手でペン回しすることにしています)などです。
自分でもこれヤバイと思うのですが、良い成績取るためには仕方がない。あるいは学会発表とかで論旨を掴むためには仕方がない。消しゴムもこれとおんなじです。
枝増田にあった指摘で、傘もささなそうというものがありました。
ご指摘の通りで、過度の雨(濡れすぎて外出先や職場に迷惑になる時)以外は差しません。お分かりかと思うのですが、傘は雨が止むと差さなくなるからです。
小雨の時はもちろんささないのですが、常に傘は持っています。なぜなら本降りになるかもしれないからです。
雨降ってるのに傘ささないで持って移動していることが多いです。
かなりそう思います。恋人の家でご飯作るときとかは実践の場で、自分のおかしなところを修正していく良い機会だと思いながら、ちょっとずつ自分の変なところを説明したり出したり、そして直したりしながら、かつ楽しくデートするようにしています。
ブコメありました。とってもかっこよく言うとそうだと思います。自分の性分は、性分ゆえに理由なくそうであると自信がある一方で、子供の頃から否定され続けてきたので全く自信がない。ただ修正しながらやってきて自分の性分を生かせる仕事しているだけ。アンビバレントに割り切っています。
二次創作を批判する記事が話題に上がっている https://funny-creative.hatenablog.com/entry/20200106/1578318490 ので所見を述べる。(主観的観測にのみ基づいているのであまり価値のあるものではない)
まず私としては二次創作は基本的に容認されるべきだと考えている。
理由はいくつもあるが、まず、二次創作批判派の多くは自身の犯罪行為を正当化したいだけだ、と思えるからだ。例えばなんJなどで同人関連のスレがあると、違法ダウンロードを公言して憚らない連中が、「二次創作は著作権違反だから割る。オリジナルにはちゃんと金払ってる」などと頻繁に書き込んでいる。また、コミケ徹夜組インタビューでも、インタビューされている徹夜組が、コミケは二次創作の温床だから徹夜を批判される謂れはない、などと宣う。さらに同人作家のRed Light氏 が自身の作品の著作権侵害に対し遺憾を表明したところ、「でもお前も著作権侵害(二次創作)してるじゃん」という旨のことを言われた、なんてこともある。
そうした難癖を受けて、じゃあ二次創作を辞めたらどうなるかというと、明らかに誰も得しない。難癖付けている連中がそういいながら二次創作作品を入手していることから考えても、彼らが求めているのは規制ではなく自己正当化に過ぎないのだ。事実Red Light氏は二次創作を辞めたが、彼のオリジナル作品は依然違法にアップロードされ続けている。
次に、二次創作の風潮が嫌いだから作品そのものから離れる、という説。これは理解できる面とできない面がある。確かに公式設定を無視し、売れることだけ考えて量産型エロを乱造している連中は不愉快だ。しかし、だからといってそれで元の作品から離れるというのが分からない。自分も東方キャラを巨乳にしたり大人にしたりする連中が大嫌いだが、逆にそうした連中がいるからこそ、ならば自分が公式通りの外見設定で描こう、と思えるのだ。二次創作の風潮が嫌いだとしたら、それに反発してカウンターとしての表現をすべきだ。それをモチベーションとして創作活動に入ることだってあるのだ。
そして、元記事の、二次創作のせいで作家が育たないという話。商業作家を志す人が少ないというのは色々な事情があるのに、二次創作だけのせいにしているのがおかしい。私はむしろ、技術革新によって昨今のレベルが上がりすぎ、プロになる敷居が高すぎるせいだと思う。実際その壁を乗り越えた同人作家からプロは何人も出ているわけだし。そもそも一次二次隔てなく同人の規模が大きくなることは、クリエイターの質を高める点でいいことだろう。これは創作に関係ないが、後輩にとても精力的に学会発表をする人がいた。彼の発表は粗が目立つし、同じ発表の焼きまわしでしかないものも多かったが、しかしそうして実績を積んだことで現在も研究者として活躍できている。未熟でもなんでも発表することは良いことで、同人イベントはその受け皿になるのだ。
だいたい、アニメでもなんでも見ていて気に入ったキャラがいたら描きたいと思うのはオタクの性ではないか。そこに無駄に高い意識をもって二次創作は表現として劣っているなどと峻別する意味が分からない。
一方で、批判されるべき二次創作というものも確かにあるだろう。公式が二次創作に規約を設けており(sssグリッドマンとか)、それに反するものだ。対して東方なんかは自由な創作活動を奨励しているので、批判する根拠が無い。したがって一括りに二次創作を批判することがそもそも無理がある。そのうえで二次創作が容認されている作品に関して批判したいのなら、全体的な規制を呼びかけるのではなく、作品そのものを個別的に批判すればよい。私だってパチュリーを公式通り幼く描いたら、「パチュリーはむちむち巨乳お姉さんでないとおかしい」とかいう糞リプが来たことがある。糞だとは思うが個別に来ただけまだマシだ。
高卒には分からない世界だろうが、博士号取得のために絶対必要になる「まともな査読付き国際(英文)学術誌に自分が第一著者となって原著論文を通す」っていうのは、大学学士(下手したら修士も)でやってきた""お勉強""と全く違う能力が必要とされるからなあ。
話の流れ的に工学系だと仮定するけど、修士卒を新卒で取って社内で育ててから社会人で博士号取らせるというルートはもちろんあるけど、そんな社内育成なんてしち面倒くさいことしなくても初めから博士号持ってる奴を採用したほうがポテンシャル低い新卒を掴まされるリスク低いし、というのはあるはず。
下手したら修士でも、っていうのは知ってる例だと京都大学の医学系研究科でも原著論文どころか学会発表もせず20ページくらいの修論で修了した人を見たのでまあアレですよ。皆さんの回りにも意外とそういう人いるんじゃないですか?私は理学系の博士卒なんでそういうオボちゃん予備軍みたいな人は周りにはいなかったですが。
はじめに書いておくと、本当のFランクは想定していない。ネットで調べられる偏差値でいうと40~55くらいの私大を想定していて、かつ修士課程に進学を希望しているというていで書きます。
研究が楽しいかどうか・指導教員とうまくやっていけるかなんて、研究室公開の時間では判断できないので、定量的に判断できる要素で研究室は決めるべきだと思います。
有名大の有名な先生の研究室では、学会発表をする際に旅費を出すのが普通かもしれませんが、私たちの大学では全く普通ではありません。
「自分が発表するんだから自分で出すのが普通だよ~!」とか先生や学生が言っていたら、「やっぱそうですよね~」とか言いながら選択肢から消しましょう。
学生の旅費を出してくれることと、面倒見の良さはそれぞれ独立しているように思えまずが、学生の旅費を負担してくれるところの多くは、学生を大切にしてくれます。もちろん、旅費を出さなくても学生を大事にしてくれる研究室はあります。
研究費をたくさん獲得できる有能な先生なので、多忙かもしれませんが、体制がしっかりしていることが多いです。
多くの大学院では、数回の学会発表が一つの修了要件になっていることが多いので、旅費を稼ぐためのアルバイトなどをしなくてもよくなります。
私自身、数十万円、もしかしたら百万円くらいの旅費を負担してもらえました。これを自費で出していたらと思うとぞっとします。(そもそも自費ならそんなに参加してないと思いますが)
院生が国内外(特に海外)で発表している実績がたくさんあると安心です。
優秀な学生が集まっているだけ、ともとれますが、学会発表を修了に必要最低限な数しかこなしていない研究室よりはサポートが手厚いと思います。
最低限の研究室は研究室公開の時に、なんとなくまったりとやっていけそうな、そんな雰囲気を出しながら説明してくれます。
しかしこれは罠で、そういう研究室に入ると、M2になってから困ります。努力の総量は同じでも、就活終わってから修了できるかどうか不安になるのはバカバカしいです。
これは聞きにくいと思いますが、聞けるならぜひ聞くべきです。
どんな研究室でも、何年も運営していたら、ストレートで卒業・修了できない学生が必ずいます。
もちろん理想は0%です。
1割もいたらレッドゾーンだと思ったほうがいいです。自分は成績がいいから大丈夫だと思っていると「こんなはずじゃなかった」となるかもしれません。
勉強と研究はかなり違うものです。勉強が優秀だった学生は研究も優秀であることが多いですが、研究が上手くいかずに心を病む学生も多いです。
行動生態学における、「性的嫌がらせ(sexual harassment)」という用語が、生態学界隈をちょっと騒がせている。
(中国でのヒト受精卵のゲノム編集の話の方がよっぽど事件だと思うんだけどなあ)
この言葉自体には問題がなくて、「いわゆるセクハラ」とは別次元の定義がちゃんと与えられているっぽい。
でも、プレスリリースなどになった時、語弊があるかもしれないと。
で、皆様、適切な意見を述べてらっしゃるのですが(皮肉でなくちゃんとした議論がなされている)、ちょっとお待ちいただきたい。
生態学自体に、ちょっとキャッチコピー多くないですか?
概念の厳密な定義や用法のコントロールってちゃんとできてるのかな?
学問自体に見直しが必要だったりしないですか?
生態学って、学会発表のタイトルがかなり自由っぽい。もちろん、お堅いタイトルもたくさんあるけど、かなりキャッチーなタイトルが並ぶ。
http://www.esj.ne.jp/meeting/abst/index.html
個人の感想だけど、理解しやすいように、人間にとって身近なものへのアナロジーを使用しているものがいくつか見受けられる(証拠なし)。
つまり「人間以外の生き物に関すること」を「人間に関すること」に例える方法だ。
これはすごく強力で、専門分野のややこしい内容をすっ飛ばして、親しみやすい身近な内容に訴えかけられる。すごく分かりやすい。
極めて雑に例えると、動物の番組で、ワンちゃんにアテレコがつくあれみたいな感じ。ワンちゃん脳内の神経回路の発火から行動まで、人間のそれらとどこまで合致しているかをすっ飛ばして、とりあえずワンちゃんが人語を喋る。
たぶん、この方法や他にもある強力なキャッチコピーに乗っかって利益を受けてきた部分が結構あると思うんだ。それ自体は咎められることでは決してない。
だけど、その分の対価を払う必要はきっとあるよね、とTwitterを眺めてて思いましたとさ。
大学院生です。
今月、学会発表や共同研究先への成果発表、研究室内での報告会、講義の課題など色々重なって、1ヶ月で6回プレゼン発表をしないといけなくなってしまった。
一つのプレゼンを作るのにそれなりに時間がかかるし、それと同時に研究や講義での調査も進めないといけないということで、かなりやるべきことが多い状況。
一応、こうなることは前からわかっていたので、スケジュールを立てて進めていったつもりだが、予定通りに進まないこともあってタスクが山積みになってしまった。
遅れを取り戻すためには、気合を出して頑張るか目標を下げるかしかない。
しかし、目標を下げるといっても、プレゼン作成ってのは何をどう話すかを考える部分が労力の8割を占めており、そこで手を抜く術を僕は知らない。
となると気合で乗り切るしかないわけだが…多すぎるタスクを目の前にしてやる気を失ってしまった。
手を付けられるところから進めていけばいつかは終わるはずだが、手を付けることが億劫になってしまっている。
そうこうしているうちに時間は過ぎていき、今日は何もしないまま夜になってしまった。
指導教員からは進捗を心配するメールが届いているし、自分としても前に進みたいんだけど、やる気が出ずにこんな増田を書いて現実逃避している。
まずいなあ。
こんなときはどうしたらいいんだろうか?
ひょんなことから田舎にやってきた.田舎とは言っても,コンビニまでは徒歩5分,スーパーまでは徒歩10分.
もちろん人は少ないし,周りは田んぼと森の緑に満ち溢れているが,ほどよく生活には苦労しない.街道も通っているし,東京へは電車で帰れる.そんな程よい田舎.
東京にいたときは,趣味が高じてものづくりをしていた.気づいてみれば大学も博士進学一歩手前,研究すると覚悟を決めた矢先,とある縁でここへやってきた.
最近思うのは,「やりたいこと」と「できること」は違うってこと.「やりたい!」で飛び込んだ研究の世界だったが,論文締切や学会発表は,やる気だけではどうにもならない.今更だけどつくづく感じている.
本業というのは,むしろ「やれること」で「できること」をこなしていくべきなんじゃないかと,そう思うようになったのは,こっちへやってきてひと月も経たない頃の話.
結局自分は研究ではなく開発がしたかったんだろうな〜,と思っていたところに,友人がものづくりに誘ってくれた.これまた程よくモチベーションを保ってくれている.
「やりたいこと」を諦めるのではなく,「やりたいこと」は趣味として,自分のペースで続けることの楽しみを再確認できたからである.
いつから「やりたいこと」を「やるべきこと」に,そして「できること」に錯覚していたのか...定かではない.
もともと周りに信頼されていないというか,「人から嫌われているんじゃないか?」という,猜疑心にも似た気持ちを心のどこかで抱えてきた.
しかし自分に足りなかったのは,「成功」でも「称賛」でもなく,「自然」と「人とのふれあい」だな〜,と感じさせられる.
空が開けてとてもきれい,どこか風も心地いい.町の人たちもとても暖かく,ともすればこちらに永住したいような,そんな気にさせてくれる.(現実が許してはくれないのだが...