はてなキーワード: 北野とは
いただろうか?
さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。
当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎の女児がぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。
言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症」である。
私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。
逆に「ちびまる子ちゃん」は癒しの作品だった。恋愛ものに息切れした女児のオアシスのように、まる子はただただ普通に、家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカルな空気を携えて、毎月私の所へやってきた。
そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルはヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃんは引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。
「お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。
乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん』作品は、基本的には未来を指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然な成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。
そういう理想の学園生活がキラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。
「今よりももっとかわいくなれる」
その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。
作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。
前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代をモデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。
まる子も成長し、恋愛や友人関係や自分のコンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠の小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ。
私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。
勿論リアルタイムで読んでいた小学生時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。
クラスのどのカーストの女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品の代表格だった。
その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在も本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配症コラボの掲載巻は実家にあると思う。
成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。
そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い。読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。
私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。
しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。
気骨のある人に「乗り換え」を敢行してほしいと思って調べたため,徒歩連絡可能な駅のみを対象とし,距離はGoogleマップのルート検索で徒歩を選択した際のものとした。
そのため,交通機関の利用が必須となる「北海道」「本州&九州」「四国(註)」「沖縄県」の相互にまたがるペアは対象外とした。
また同一駅名の基準は漢字表記と読みがともに同じであることとした。
(註) 本四連絡橋のうち,しまなみ海道には橋の部分に自転車歩行者道が併設されている。しかし最も本州よりの尾道大橋は歩道が狭く,渡船(有料)の利用が呼びかけられている。というのもあるが,何よりGoogleマップがこのルートを徒歩ルートとして認識してくれなかったため対象外とした。
駅名 | よみ | 距離(km) | 県1 | 県2 | |
---|---|---|---|---|---|
白沢 | しらさわ | 1766 | 秋田県 | 鹿児島県 | |
黒石 | くろいし | 1591 | 青森県 | 熊本県 | |
藤崎 | ふじさき | 1515 | 青森県 | 福岡県 | |
松山町 | まつやままち | 1486 | 宮城県 | 長崎県 | |
旭ヶ丘 | あさひがおか | 1464 | 宮城県 | 宮崎県 | |
白石 | しろいし | 1441 | 宮城県 | 熊本県 | |
河原町 | かわらまち | 1409 | 宮城県 | 熊本県 | |
大山 | おおやま | 1383 | 東京都 | 鹿児島県 | |
久保田 | くぼた | 1376 | 秋田県 | 佐賀県 | |
市役所前 | しやくしょまえ | 1366 | 千葉県 | 鹿児島県 | |
小林 | こばやし | 1339 | 千葉県 | 宮崎県 | |
運動公園 | うんどうこうえん | 1291 | 群馬県 | 宮崎県 | |
川東 | かわひがし | 1291 | 福島県 | 佐賀県 | |
石橋 | いしばし | 1247 | 栃木県 | 長崎県 | |
市役所前 | しやくしょまえ | 1238 | 長野県 | 鹿児島県 | |
住吉 | すみよし | 1204 | 東京都 | 長崎県 | |
住吉 | すみよし | 1178 | 東京都 | 熊本県 | |
小川 | おがわ | 1170 | 東京都 | 熊本県 | |
松原 | まつばら | 1160 | 東京都 | 長崎県 | |
大町 | おおまち | 1154 | 千葉県 | 佐賀県 | |
祇園 | ぎおん | 1137 | 千葉県 | 福岡県 | |
新町 | しんまち | 1129 | 群馬県 | 熊本県 | |
吉井 | よしい | 1124 | 群馬県 | 長崎県 | |
春日 | かすが | 1074 | 東京都 | 福岡県 | |
高岩 | たかいわ | 1073 | 長野県 | 長崎県 | |
桜台 | さくらだい | 1073 | 東京都 | 福岡県 | |
黒松 | くろまつ | 1068 | 宮城県 | 島根県 | 本州内で最長 |
赤坂 | あかさか | 1068 | 東京都 | 福岡県 | |
北野 | きたの | 1060 | 東京都 | 福岡県 | |
高田 | たかた | 1057 | 神奈川県 | 福岡県 | |
市役所前 | しやくしょまえ | 1053 | 愛知県 | 鹿児島県 | |
白沢 | しらさわ | 1049 | 愛知県 | 鹿児島県 | |
橋本 | はしもと | 1049 | 神奈川県 | 福岡県 | |
一本松 | いっぽんまつ | 1046 | 埼玉県 | 福岡県 | |
赤坂 | あかさか | 1040 | 群馬県 | 福岡県 | |
森下 | もりした | 1026 | 東京都 | 福岡県 | |
玉川 | たまがわ | 1010 | 岩手県 | 大阪府 | |
旭ヶ丘 | あさひがおか | 1008 | 富山県 | 宮崎県 | |
市役所前 | しやくしょまえ | 1006 | 福井県 | 鹿児島県 | |
西山 | にしやま | 1002 | 新潟県 | 福岡県 |
駅名 | よみ | 距離(km) | 県1 | 県2 |
---|---|---|---|---|
赤坂 | あかさか | 1000 | 山梨県 | 福岡県 |
市民病院前 | しみんびょういんまえ | 996 | 富山県 | 長崎県 |
本郷 | ほんごう | 991 | 長野県 | 福岡県 |
桜町 | さくらまち | 990 | 長野県 | 長崎県 |
宮内 | みやうち | 988 | 山形県 | 広島県 |
筒井 | つつい | 979 | 青森県 | 奈良県 |
市役所前 | しやくしょまえ | 970 | 和歌山県 | 鹿児島県 |
愛野 | あいの | 964 | 静岡県 | 長崎県 |
加納 | かのう | 953 | 岐阜県 | 宮崎県 |
大町 | おおまち | 940 | 富山県 | 佐賀県 |
川村 | かわむら | 924 | 愛知県 | 熊本県 |
大久保 | おおくぼ | 876 | 秋田県 | 兵庫県 |
高浜 | たかはま | 872 | 茨城県 | 島根県 |
県庁前 | けんちょうまえ | 853 | 千葉県 | 広島県 |
市役所前 | しやくしょまえ | 851 | 千葉県 | 広島県 |
運動公園前 | うんどうこうえんまえ | 837 | 青森県 | 愛知県 |
本山 | もとやま | 836 | 愛知県 | 長崎県 |
大町 | おおまち | 836 | 千葉県 | 広島県 |
荒井 | あらい | 826 | 宮城県 | 兵庫県 |
宮内 | みやうち | 826 | 新潟県 | 広島県 |
八丁堀 | はっちょうぼり | 815 | 東京都 | 広島県 |
競艇場前 | きょうていじょうまえ | 814 | 東京都 | 広島県 |
南方 | みなみかた | 810 | 大阪府 | 宮崎県 |
吉浜 | よしはま | 799 | 岩手県 | 愛知県 |
白沢 | しらさわ | 798 | 秋田県 | 愛知県 |
大久保 | おおくぼ | 792 | 秋田県 | 京都府 |
新栄町 | しんさかえまち | 790 | 愛知県 | 福岡県 |
青山 | あおやま | 790 | 岩手県 | 愛知県 |
追分 | おいわけ | 769 | 秋田県 | 滋賀県 |
荒尾 | あらお | 768 | 岐阜県 | 熊本県 |
坂本 | さかもと | 765 | 滋賀県 | 熊本県 |
山下 | やました | 763 | 宮城県 | 兵庫県 |
醍醐 | だいご | 762 | 秋田県 | 京都府 |
本郷 | ほんごう | 756 | 愛知県 | 福岡県 |
なるほどね。
https://anond.hatelabo.jp/20170811215029 を書いた者だけど追記読んだよ。
まずこのエントリがバズった理由として、"批難してる側が自分達の矛盾を突かれたくないから"ってのはあると思う。
同じ浮気じゃないか、同じ人気商売の芸能人じゃないか、と。それは確かにあるけど、少し置いておこう。
次に紳助さんとたけしさんの裏稼業系との付き合い方なんだけど、これちょっと違う感じなんだよね。
大雑把に言って前者の人が業界内の立ち位置を決めるのに多少は持ちつ持たれつに"見える"のに対し、後者の人は笑いの為に後先考えずに騒ぎを起こすのを面白がって庇う人がいる、って感じかなと。
後者の人は「若い人の規範になって下さいね」なんて言われたら「冗談やめてくれ」って言うだろうし、そもそも自分がウケたのは規範だとか風紀を馬鹿にして笑いにしてきた面が大きいのを分かってると思うんだ。
私は詳しい事は実際に何も知らないんですけど、[ツービート] [悪] で検索した記事を二つほど貼ってみます。
http://bookstand.webdoku.jp/news/2016/05/29/200101.html
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10137915585
それから、[紳助竜介]でも同じ組み合わせで検索しましたが、そちらは貼らないでおきますね?
たぶん、タケシを権威にしてしまっているのは芸能界と後輩のお笑いと映画界なんでしょう。
心配しなくても本当にアンタッチャブルになって悪い事をやりたい放題に始めたら、"世界の北野"も自然と消えてきますよ。
なぜ熟女なのか。熟女は汚れきっているからおかずにはうってつけなのだ。
自分自身のセックス未遂体験からセックスは汚いものという想いが染みついている童貞の俺には。
ちなみにセックス未遂に加えて今まで三回のキス経験がある。飲み屋の店員の目の前で「お前でオナニーした」という奇妙奇天烈な宣言をした直後べろべろに酔った俺に無理やり舌をねじ込んできたあばずれ女と、一生に一度は経験としていこうと思っていた風俗に「二度と行くものか」と決意させることになったイソジンの強烈な味のキスというトラウマを植え付けたピンサロ嬢と、「セックス!セックス!セックスオンザビーチ!」の鳴りやまないゴミの掃きだめみたいなクラブでべろべろに酔った俺を無理やり壁に押し付けて口の中を蹂躙してきた渡辺直美似のクソブスの三人だ。すべてディーーープなキッスであった。悲しいことに。
理想と相反する圧倒的現実に身も心もグチョグチャに汚されてしまったのも熟女へさらに駆り立てられる要因だったのだろう。
若く綺麗な女性に対する幻想を捨てきれないから熟女へ向かうのだ。悲しいことに。
しかし、AVにおける若さは時として甘えになる。若い女、特にJKモノとかだと「JK」というブランドに頼り切って肝心要の演技がドヘタだったり、レーズンみたいな乳首だったり、ブスとは言わなくても中途半端な顔面だったりする。それで何度落胆したことか・・・。
若さに頼ってんじゃねえ。舐めんな。
そして若いそこそこにかわいらしい女の子のぐちゃぐちゃに汚れている局部や肛門を見ているとなんだか悲しくなって途中で萎えてしまうのだ・・・。
最もそれを超越するレベルの美しい顔立ちや美ボディや技術の持ち主であれば話は別だ。今日おかずにした北野のぞみなんかはそうだ。そこまで来ると超次元の存在だから、「こいつはプロだぜ・・・」となるか、理屈抜きの天国超特急行きに乗車するかのどちらかだ。
熟女は熟女というだけの価値では生き残るのは不可能だ。だから彼女らは年老いてもなお美しい顔、弛んだ、しかし魅力的な豊満ボディ、超絶技巧、股間に響き渡る素晴らしい喘ぎ声を持ち合わせている。淘汰され生き残って来た一部の美人のみが大手を振って出演出来るのが熟女というジャンルだ。もちろん俺だってその辺にいるかぼちゃだかなんだかよくわからんブスとして生きて来てブスとして死んでいくようなブスがただ歳を取っただけ、みたいな形態のクソババアには興味が無い。
老いた美人の「私まだまだイケてるでしょ・・・?」「女としてもう駄目だと思ってたけど、まだまだ私もイケるじゃない・・・!」みたいな様を見るのは最高に興奮するし、その人の歴史を想って胸が熱くなる。
歳を取って美人から悲しき変貌を遂げるようなのもいるけれど、真の美人は死ぬまで美人というのが俺の持論だ。
近所の公園を1歳の子供と散歩してたら,この公園どっかで見た景色だな,と気付いた
ドラマとか全く見ないし映画とかもほとんど見ないからテレビ番組で見たのかな,と思ったけど全然思い出せない
なんとなくモヤモヤしたまま嫁さんにも「どっかで見たんだよなー」っていう風に話してた
夜になって嫁さんと子供が寝静まり,一人お楽しみタイムになって始めて分かった
俺のお好みの北野のぞみと主観デートできるAVで出てくる公園だ
池を見ながらいちゃいちゃして我慢できなくなったのぞみが「ね,トイレ行こ」って言うAVだ
あのトイレで行為に及んでいたと考えるといつもに増して興奮しました.家宝にします.
(まぁ実際には本番シーンだけスタジオなんだろうけど)
社会人になってから一人暮らしを始めてテレビ無しの生活が続いてる。
実家も自分の部屋に無かったし今だとネットで十分なので特に問題はない。
最近はYouTube巡りが多いかな。そういやニコ動は観なくなったな。
ただ一つ腑に落ちていないことがあって、それは昔はフジテレビが人気だったということ。
実家にいるときは観ることがあったけど、なぜだかイライラすることが多かった気がする。
そんな風に思ってた俺に一つの衝撃が走った。
これが、凄い。
今は大御所でたいして興味がなかったけど、若い頃の北野たけしや明石屋さんまとかがキレキレで動き回ってる。
こいつらこんなに面白かったのかよ!しかも被りモノまでしてるし!誰にでも下積み時代ってあるんだな。
上手く説明できないけど、今のテレビにないヤバさがある。どうして今あんなのになってんの?
八王子市内に住んでいる。
今日の夜、八王子駅近くの野猿街道を歩いていたら物々しい雰囲気に包まれていた。
北野駅付近の住宅で火災があったらしく、2人の方が亡くなられたとのことだ(参照:住宅火災で2人死亡 夫婦か 東京・八王子 | NHKニュース)。
このことを知ったのはソースとして用いたNHKニュースだが、それ以外の新聞社や放送局も何か報じているのか気になり「八王子市北野 火災」でGoogle検索した。
そうしたところNAVERまとめの記事がヒットした。リンクは貼らないが、恐らく人の不幸で小銭稼ぎをしようとの魂胆だろう。
野次馬根性丸出しで火災現場の写真をとったりする連中にも腹が立つ。彼らの頭の中には「不幸をカメラに収める」ことの意味がまるで理解できていないのだろう。
ここは大阪。
というと、
そういえばそうなんだわねw
・・・なら、北野をはじめとしたいくつかの難関公立高校に合格する子というのは
付属中?これもあるだろうけど多数ではないような…
それか、局地的に優秀な公立中があるのだろうか?
学校そっちのけでハイレベルな塾に通って学力を付けた15歳がやってくるのか?
(でも、内申なんていうのも重要なんだよね?)
私は大阪出身ではないうえに、私立中に進んで高校受験を経験していないので
さっぱりわからない。。。
我が子も同じように私立に、と迷いなく思っていれば問題ないのだろうが
自分のいろいろな経験から、中学受験はさせたくないと強く思う。
いろいろ考え込んでいたら、
↑みたいな疑問にふとぶつかったのでした。むずかしいね。
西宮(大阪と神戸の中間地点にある街)出身、現在は都内(多摩地区)在住の者だけど、色々違和感。
神戸の北野みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。
山手の方行ってみた?
そのみなとみらいの栄え具合とハーバーランドの寂れっぷりを比べて悲しくならないかな……。
神戸も横浜も東西に細長いだけという意味ではよく似た街なんだけどね。東半分と西半分で文化圏まで違ってしまってるというのも。
ファッションとかはそうかもしれないけど、たとえばスポーツとかクラシック音楽とかは神戸はお寒い限り。阪神タイガースも兵庫県立芸術文化センターも西宮に取られてる。その点横浜は規模はともかく質では東京にも対抗できるよ。
だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点神戸大学は総合大学だし、旧帝大にも肩を並べる大学。
これはまあ同意。関東人の早慶崇拝は意味不明。入試の難易度はどうか知らないけど、研究レベルとか考えたら関西では神大(もちろん神戸大。横浜の方では神大と書いてじんだいとよみ神奈川大のことらしい、とまあこれは余談)はおろか大阪市大や京都工繊大の方がマシかもしれん。
あんたが使ってる「じゃん」が横浜弁なんだけどね……。
それに、神戸弁って「なんどいや」とか「ふざけとお」とか、お世辞にも上品とは言えないようなものも多いんだけどね……。
そもそも、神戸の西半分は旧国名でいうと播磨で、もはや大阪弁よりも岡山弁に近い世界になってる。
川崎はむしろ尼崎みたいなもん。尼崎が大阪の延長なら川崎が東京の延長。
それにさ、関西に来てから横浜がウザすぎるんだよね。神奈川出身って言ってるのに「横浜?」て聞き返してくる確率8割以上。横浜じゃないから神奈川って言ってるのに!
兵庫県というと「神戸?」と言われ、「西宮、ほら、甲子園球場があるところね」というと大阪府出身だと思われる俺の立場はどうなりますかねorz
東京に行くついでに寄ってみたらショボくて笑った。神戸に勝ってるのって、中華街だけじゃん。まず、近代建築がショボい。銀行建築だけだよね、横浜が誇れるのって。神戸の北野みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。てか横浜は街並みが汚いよね。神戸の旧居留地のが開けてて綺麗。あとさ、みなとみらいにある日本丸って建造も母港も神戸なんだよね。横浜があまりに名所がないからって、貸してあげたみたい。
それに、繁華街も神戸の方が密度があって栄えているイメージ。横浜はでかい箱物って感じ。横浜が誇る人口だって、面積広いだけじゃん。あと、東京のベッドタウン(笑)で稼いでいるだけ。なんかさ、横浜って東京の属国みたいな感じだよね。頭があがらないイメージ。その点神戸は、大阪や京都に対しても胸を張って誇れるものがあるし、内心下に見ているよ。
あとさ、横浜は古着屋が少ない。神戸は多い。横浜にファッション文化が根付いてない証拠。横浜ってイオンモールっぽいんだよ。過去から脈々と受け継がれる若者文化がない。大阪から神戸に服買いに行く人は沢山いるが、東京から横浜は全くない。ルミネ(笑)が横浜の限界だもん。オシャレなカフェとか、雑貨屋とか神戸のがダントツに多い。街ゆく人も、神戸の方がオシャレな美男美女が多い。そういうのは、横浜は全て東京に奪われてる。関西みたいな文化的分担がない。『ヨコハマ買い出し紀行』よりも『神戸在住』の方がセンスいいしね。
だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点神戸大学は総合大学だし、旧帝大にも肩を並べる大学。関西の政財界に多数OBを排出している。レベルが違う。
あと、神戸は山があるところが素敵。横浜みたいなぼんやりとした平地とは違う。六甲山ではスキーが出来る。海もあって山もあって、おまけに歴史があって栄えている街なんて神戸ぐらいしかない。あと横浜は言葉が汚い。下品。なんだダベって。神戸のようなモダンでハイソな感じがない。田舎の港町そのまま。
まあ総合すると、
正直横浜より博多の方が魅力あるよね。なので、総合的には神戸>博多>横浜くらい。
追記
あ、俺は厚木出身神戸在住だから、横浜のことも神戸のこともよくわかってるよ。横浜初めてみたいな書き出ししたけど、実は高校の時に何度も行ってます。その上での評価です。
追記2
おいおい、東京に近いのは、横浜じゃなくて川崎だぜ?だったら川崎の方が都会になるやん。あと横浜は「ぼんやりとした平地」と表現しただけで、真っ平らとは言ってない。まあ神戸と比べて見なよ。横浜なんてメリハリない平地だから。
もっと言うと、今の横浜なんて江戸時代はクソショボイ寒村だったからね。栄えてたのは現在の金沢区の方。横浜市は歴史を偽造するために後から金沢区を無理矢理編入させたって噂。現在の中心部で比べるなら神戸の方が江戸時代はまだ栄えてたよ。歴史を勉強しようか。
それにさ、関西に来てから横浜がウザすぎるんだよね。神奈川出身って言ってるのに「横浜?」て聞き返してくる確率8割以上。横浜じゃないから神奈川って言ってるのに!その度に厚木だよ、へーわかんない、の繰り返し!そりゃ、誰だって横浜嫌いになるって。こっちにきて余計に横浜嫌いになった。
最新作「R100」について、いわゆる松本信者、松本人志の初期の天才性を高く評価している人ほど酷評をしているようだ。
わたしも松本の天才性を認めるにはやぶさかではないし、今でもその根本的な特異な才能は初期のころとそれほど変わってはいないのだと思う。
なのに何故今は往年の信者にすら見放されているのか。
彼にとっての不幸は、キャリアの初期において本来ならば理解困難なそのユニークな感性が浜田という相方の存在により広く「革命的に面白い」と認識されてしまったことにあるのではないか。
彼の特異性は、その驚異的なまでの無知さにある。
ベストセラー「遺書」を読んだことがあるかたはわかると思うが、彼は全くと言っていいほど「引用」「参照」ということをしないし、そもそも何かを学ぶという意識が皆無なのである。
彼が面白いと思うこと、新たに生み出しているギャグというのは、全て彼自身が見ている範囲、彼自身のみから考えられる範囲でのみ構築されたものであり、すなわち常にゼロからひねり出しているものなのである。
それゆえ初期のお笑いの活動においては全くもって斬新なネタ・コントを繰り広げていたのであるが、これはたまたま彼の感性が作り出すものが、浜田の存在により、たまたままだ笑いとして理解可能な範疇であったからである。
松本の感性は、人を笑わそうとしてしてのものではなく、あくまで自分が面白いと思えるものに対しての探求であり、それが世に受けていたのはたまたまに過ぎない、というか相方やブレインなどによるものだ。
彼が映画に手を広げたのは、単に表現手段のひとつとしてであり、テレビ・舞台・ラジオ・漫才・コントといったバリエーションのひとつに過ぎないのであろう
しかし残念ながら映画というものは単なるいち表現手段としては完結しない。映画はひとつの作品として存在するためには、その背景に膨大な参照と引用が必要で、そもそも映画という形式自体が映画文法そのものによってなりたっているのである。
北野武が映画監督として確固たる地位を築いているのは、北野は彼なりに映画というものをとことんまで理解し、その理解の上に自分なりの映画というものを構築し、時にはあざとくも映画の文法を逆手にとって鑑賞者に媚を売ることすら厭わないからである。
松本人志は既存の映画を映画として観ていない。初期のネタづくりのように、自分の感性に対して何か生み出してくれる材料としてしか観ていない。しかもそれすら自分にしかわからない理屈によるものだ。
繰り返しになるが、映画というのは膨大な引用と参照によってなりたつものである。既存の映画と全くの連続性がないとしたらそれは既に映画ではなく、実験映像であり百歩譲って実験映画である。
松本の、自分の得意な感性によってのみ構築された映像は、そういうわけで映画ではない。しかも独自にひねり出してきたのであろうそのコンセプトは映画の中では陳腐なもので、車輪の再発明にすらなっていない。
映画を名乗りたいのであれば、まずは映画を知らねばならないのだが、残念ながらそれは彼の唯一の天才性である無知と完全に相反するものなのだ。