はてなキーワード: 労働生産性とは
なぜ独身が辛いのかと言えば、家庭持ちがマジョリティだからではない。
家庭持ちが善とされているからだ。
そりゃ、わかる。
1970年代なんか、世界的な人口爆発の潮流の中、先進国内ですら少子化はむしろ善に近いという雰囲気すらあった。
なぜ少子化が悪になったのかと言えば、労働生産性が上昇しなくなったからだよね。
それはグローバリゼーションで労働安価な国に資本が移転したからだよね、
その流れって昔の時点では、大多数の予測ではなかったわけ。
で、今、この状況になって場当たり的に少子化はダメとなってる。
少子化を悪としなかった昔と同じだよ。
なんなの、AIとか言ってるのに信じてないの?
http://nippondanji.blogspot.jp/2016/01/blog-post.html
記事の主張は正論なんだけど、じゃあそれに「バカ経営者は死ねよなあマジで」みたいに投石すれば解決するかって言うと違う。
そういう被雇用側からのヘイトを経営者に集めれば集めるほど、「経営者って割に合う職じゃないんだな」と認識されて、起業者が減る。これは日本のあらゆる場所で実感があると思う。経営責任なんて負いたくない人が大半だろう。
そしてそういった風潮の結果、経営者が少なくなり、当然ながら母数が減るので優秀な経営者も減るし、その優秀さの上限も低下する。それゆえ、日本の起業には優秀な経営者が少なくなるから、労働環境が悪化して、あらゆる業界でブラックが減らない。
少子化問題を解決するために「子供をうもうとしない女が悪い」とか「若者が恋愛離れしたのが悪い」とかヘイト投石しても何も解決しない、というのはある程度共有されていると思うのだけど、その道理がわかるひとでさえ、「残業が横行するのはバカ経営者がいるから」とか平気で言う。まあ、たしかにそうなんだけど、もう一歩進めばそれは「バカ経営者しか選択肢がない程度の民度の国だ」ってことにブーメランしかしない。そこから目をそらして被害者ぶったところで、どうにもならない。
解決するためには制度設計で起業や経営者優遇を行うべきだし(これはじつは調べるとそこそこある)、さらにいえば、少子化と同じように、世間の風潮みたいなもの改めていく必要がある。少子化で言えば「結婚や子育てには経済的合理性がない」みたいな風潮だし、労働環境においては「経営者なんてなるべきじゃないし被雇用の敵だ」という風潮は、自体を悪化させる。そういうのを改めていくべきだ。
追記:コメで「政治家減ってるのも同じだね」と合って、それも多分その通り。貰える報酬(金銭報酬+敬意や賛辞、無償の協力者)が少ないにもかかわらず、責任や労務ばかりを押し付けられれば、当然なり手は減ってしまう。減ってるから、減った候補者の中から選べるのは、能力が低い候補者か、あるいは、明示的な報酬以外(たとえば賄賂や利権)を目当てにした候補者になる。ブラック経営者も、その意味では一緒だ。
もしかして昔の日本を過剰に美化してる人が増えてるのかな?と思ってしまうエントリを最近いくつか見かけた。
http://anond.hatelabo.jp/20151022043900
「日本の生糸の品質が世界一」って、明治初年なのに? 明治初年の生糸事情
http://anond.hatelabo.jp/20151027104900
SF作家 山本弘先生の「日本人のモラルが昔から高かったと思うな」「日本人のモラルは昔より格段に向上している」
明治時代はともかく、戦後の日本製品の品質についても最初から高かったと思ってる人をたまに見かけたりする。実際には日本の製品の品質が良くなったのは1970年頃になってからで、それ以前は安かろう悪かろうだった。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13100020158
また昔の日本の生産性は高かったと思ってる人が居るが、実際はそんなことはない。
http://www.jpc-net.jp/annual_trend/annual_trend2014_3.pdf
図3-4に1970年からの労働生産性の、OECD加盟国内での順位の変遷があるが、日本は18-19位だったのがバブル期に13位に、その後は現在まで21-22位で安定している(OECDの国数が時期によって違うことに注意)。
「本当に共働きが必要か」のエントリでは専業主婦世帯が日本に合っていたのでは?と言っている。共働きになったからいろいろ大変になってしまった、専業集世帯がメインになれば改善する、と言いたいのだろう。
このような発想が出てくるのはそのような社会形態だった頃に景気が良かったことからきてるのだろうが、実際には因果関係は逆で、景気が良かったから専業主婦が成り立っていただけである。
これと似たような話として、終身雇用・年功序列を復活させるべき、ということを言う人がけっこう居たりする。これも同じく経済が成長期だったからこそ終身雇用・年功序列でいけてただけに過ぎない。
そもそも、日本は終身雇用だったというのが幻想で、実際に終身雇用の対象だった人は労働者の1割も居なかったわけで。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20141109-00040587/
ここら辺、解雇規制に関する勘違いと似ていて、日本は解雇規制が厳しいと言われるがそれは大企業の正社員のみの話であり、それ以外の人との格差が問題になってたりするのだが、勘違いしてる人は結構いたりする。
なぜこのような勘違いが発生するかと言えば、マスコミで取り上げられるのが大企業ばかりだったからではと思う。ほんらい少数派のはずがマスコミによってさも日本の代表値のように扱われ、それを信じてしまったのではないだろうか。
最近の若者は終身雇用を望む人が増えている、という調査がある。今の時世では安定を求めたくなるのは当然だよね、と思っていたのだが、もしかすると皆が終身雇用な社会、皆が専業主婦世帯な社会が成り立ちえると勘違いしてるから、そういう意見が増えてきてるのかもと考えてしまった。
あと、手や身体、脳の決められた部位(冒険のないマニュアル的なこと)は確かによく使っているけど、本質的な試行もとい思考は、軒並み日本人ってあんまりしていないよね。
つまり、市中で使われている労働生産性とは、つまり「労働換金性」なのだよね。
質・量に優れた生産物を輩出しているなら、本来的な「労働生産性」は高い。で、「労働換金性」は低いが通貨の価値がその分高い。
けど、そうした意味においても日本国の労働生産性が低いのは、勘違いな「おもてなし」などの、判に押したような過剰サービスのせいだったり。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4943951.html
ついこのあいだはてブでもホットエントリに入っていましたが、日本の労働生産性が低い理由を概説します。
日本のように「より品質の高いものやサービスをより安く提供」することを善とすれば労働生産性は下がります。
供給不足でクソな品質のものをクソ高い値段で売れば労働生産性は上がります。
例えば歯止めのない市場主義によって競争が激化すればするほど労働生産性は下がります。
また国際比較としては、通貨とか関税や労働者の移動が完全に流動化した場合にのみ、
労働生産性が実際的な意味での「生産効率・労働効率」とか「勤勉さの指標」に近づきます。
例えばオーストラリアでは驚くほど質の低い物やサービスが日本よりはるかに高い値段ですが、
これは南半球に隔絶されているのをいいことに供給側が殿様商売を続けているからで、
仮に日本人が英語堪能になって乗り込み、日本のレベルの物作りやサービスと競争するようになればすぐに一掃されます。
500 mlのコーラを400円で売っているコンビニで時給2,000円で引き算のできない店員が5人体制で常勤しているような世界ですから。
また日本は労働市場の流動性が低く、賃金の下方硬直性が機能しません。
「クビになるぐらいなら給料が安くなった方がいい」、とみんなが考えるからです。
よって日本では過酷な労働条件(低賃金とサビ残)によって人件費を圧縮することができるのです。
高品質なものを(円安の下駄も履かせて)安く世界に提供しようという姿勢を続ける限り、
ある種の経済学者は、この労働生産性の意味を「勤勉性や効率性」の意味に意図的に取り違えて、
日本の労働者、特にサービス業従事者やトップ層を除いたホワイトカラーからの搾取を強めようとしています。
リーマンはこんなクソみたいな経済指標を真に受けて無駄に反省しないように。
もちろん判子とか「平素よりたいへんお世話になっております」などの非効率性はありますが、無視できるレベルです。
まとめ:
日本は働き過ぎで労働時間が長い。だから、女性が社会進出しにくいし、男も大変だ。フランスは労働時間が日本より短いのに労働生産性は同じなので、フランスを見習って労働時間を減らした方がいい。そうしたほうが、男も女も時間ができて暮らしやすくなると女性の論客らは言っていた。
「しかし、労働時間を減らしたら、デメリットが有るのではないか?減らした分だけ、労働生産性も減るのではないか?」
「日本のGDPが世界第三位なのは日本人が働きものだっていうのが重要な要素として考えられるのでは」
といっていたが、それに対して、勝間和代が反対していて
いろいろ経済学の言葉を使って、労働時間を減らしても大丈夫だと言っていた。
辻元清美も、
とも言っていた
しかし、勝間和代やその他の女性の論客が言ってることにも納得できなかったな。
労働時間が減ったら、労働生産性やGDPが減って、日本は貧しくなるのではないか?
女性に合わせて労働時間を減らしたら、他の国に競争に勝てなくなってしまったりするのではないか?
どうなのだろう
http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/shojo/johokeizai/it_jinzai_wg/pdf/002_07_00.pdf
日経が伝えている。
日本の労働者は他国よりも長時間働いている半面、1時間あたりの生産量は非常に少ない――。先進諸国と日本の労働実態を比較すると、働く現場での非効率性が浮かび上がる。
経済協力開発機構(OECD)の調べによると、日本では1人あたりの総実労働時間は2011年で平均1728時間。統計をとり始めた1970年の2243時間がピークで、高度経済成長 期に比べてサービス残業の見直しなどで減少傾向が続くものの、英国(1625時間)やドイツ(1413時間)、オランダ(1379時間)など欧州諸国に比 べると、長時間労働が依然続いている。
一方、同じくOECDによる労働生産性の国際比較(11年)を見ると、日本の労働時間1時間あたりの生産性は41.6ドル。米国(60.2ドル)やフランス(57.7ドル)、ドイツ(55.8ドル)に比べて日本は生産性が著しく低い。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG1800X_Q3A620C1SHA000/
(関係ないが何故日本のマスメディアは記事を消すのだろうか?BBC等の海外メディアはかなり長期間残しているが、日本のマスメディアはやましい事でもあるのだろうか?)
やっと、この国でも「生産性」について最近考えられるようになってきた。
「生産性」と言う「率」に換算して考えると、日本人の水準は低い。
その事自体はこちらに帰ってきた頃から気が付いていた。ただ、そう言う事を訴えても、この国では新参者や部外者の意見は取り入れられないらしく、叩かれて終る。
(常にそうだったし、恐らく大多数の人間はこれからもそうであろう。)
生産性とは特段指定が無ければ基本的には「生産率」の事と言える。
この国で重要視される、或いは重宝されるのは「労働時間が如何に長いか」と言う量的問題であり、「率」ではない。そしてそれ以上に価値として重きが置かれている要素が「根性論」と言う悪しき風土である。(要は入力しか見ておらず、出力や全体の式を見ていない。)
そしてそれが齎す文化が、「自分を捨てて死ぬ気で頑張ったものが偉い。」「体を壊してまで労働に自己をそそいだ者程偉い。」と言う悪しき風潮である。
だからマスメディア(増すゴミ)ではそう言った物語が大々的に取り上げられ、賞賛される。
「長く労働した方が偉い。」「(効率はともかく)会社に長時間残っている奴が偉い。」と言う暗黙の了解とその悪しき労働文化。
(そして、「効率」を本当の意味で理解している人間の少なさ、、、口では「**してると効率悪いからね」などと言うが本当に理解している奴は極端に少ない。)
その為、「最終的な生産量」のみが重視され、その間の「生産工程」・「生産過程」・「率」が考えに入れられる事は無い。
労働量や最終的な「出力量だけ」が重視され、「その過程」が全く考えられていないのである。
そして、その「率」を上げよう物ならば、必然的に労働時間は短くなる。
何故かこの「労働時間が短くなる」と言う事が日本人にとってはたまらなく嫌な事であるらしいのだ。
そもそもその思考回路自体俺には理解できないし、馬鹿馬鹿しいと思うが、しかし彼ら彼女らが事実上重要視するのはその「時間長」であり、単位時間当たりの生産「率」ではない。
勤務時間が減って労働時間が短くなれば自分の生活に費やす時間が相対的に(その差分として)長くなる。
そうすれば趣味に余った時間を使う事もできるし、そもそも休息時間が長くなるので次の勤務に備えやすくなる。
「次」に備えやすくなれば人間の動機は回復するし、体力的にも回復する為、更に生産性は増す。
この一連の連鎖を日本人は理解していないようだ。(と言う事に、最近気が付いた。以前までは理解しているのだろうと勝手に思い込んでいた。ところが理解力のある人間が全てではないと最近になって気付いた。)
しかし、「生産効率」を謳おうものなら、単に「でしゃばるな」「生意気だ」の一言で一蹴され、社会の中でそう言った意見はかき消されてしまう。
特に、日本に帰ってきた当時はまだ20代前半で、その上見た目も実年齢より低く見積もられてしまうので特に扱いは酷いものだった。
普通に(論理的に・理論的にと言う意味で)考えれば当たり前の話である。
だからこそそれを調整して「生産性」を上げるべきなのであり、単に時間を延ばすとは愚の骨頂である。
そしてそれをこの国の人民は出来ていない。
「その能力が伴っていない」と言う事もそうだが、文化がない風潮が全く進むべき道と真逆を行っていると言う事が最大の要因だ。
それを無視して労働者を酷使しているのがこの国の現状であり、特に大きなしわ寄せはある世代に特に酷く押し付けられている。
基本的な傾向としてはある世代以下の人口層である事は、解る人間には解るだろう。
そしてその結果は現状を見れば言わずとも解るだろう。
メディアでも時々騒いでいる事と同じ。
衰退の一途を辿っているに過ぎない。
35時間しか働かせてはいけないってことは35時間で元を取れない仕事は発生してはならないって話だからねえ。
それだけの時間で給料に見合った価値を生み出せない人はその場では不要だし、もっと安い仕事するなり無職になれってことにしかなんないよね。
日本では労働生産性の低い無能でもとりあえず正社員に滑り込めればそう簡単にはクビを切れない。
多少有能だったとしても、不況になれば仕事自体がなくなるからどうしようもない。
そういう時に欧米型の職務型正社員なら「仕事がないのでクビを切る」は正当な理由なのでバンバンクビ切れる。クビ切られた労働者は他の仕事を探す。
日本型正社員は職務に対して雇用しているわけじゃないから、仕事がないというだけでは正当な理由にはならない。クビ切れないからいつまでも残る。
とりあえず大きな会社は体力があるから当面なんとかなるし、下請けをいじめたりしてそう簡単にはクビは切られない。
しわ寄せは下の方にきて、中小や派遣が長時間労働に安月給ででがんばる構造になる。
日本の労働構造を変えたいなら、派遣を正社員にしようとか最低時給がどうだの労働時間の規制をどうだのということももちろん必要だけど、
それと同時に現行の正社員、労働組合の仕組みを支える労働法制を変えて、労働市場をもっと流動化しないといかんわけだけど、そっちはみんな大反対。
片方だけ変えて上手くいくはずなんてないのに、見ないフリしてのかなあ。
「給料は我慢料」
だけど、ちゃんと稼いでいる企業(知識集約型産業・資本集約型産業)だと
それをやると赤字になると思うけどね。
結局、効率に頼らず頭数に頼っているビジネスは、最終的には人件費を削減するしか無いからブラック企業になるしかない。
逆に、人件費を削らずにどうやって利益を上げるか?と考えると(知識集約型産業・資本集約型産業)以外に道はない。
さらに、資本集約型産業となると既得権益だけが得するモデルになりかねないから、あまめく多くの人材を幸福にしようと思うと、知識集約型産業にならざるを得ない。
根性に頼らず、誰もが楽に、ひとりひとりの労働生産性をどうやったら引き上げられるか?という事を考えればホワイトになっていく。
まともに英語もできないのに海外駐在になって一年。日本人の労働生産性が悪いということを実感。
・アイディア勝負。実行は他人にやらせる。(実務作業負担を最小限とする)
・上記と絡んで、交渉上手。人を使うのがうまい。意外に人に使われるのもうまく、最小限のリソースで依頼をこなす(不必要なことはやらない)。
・専門知識は浅く広く。難しいことは専門家(他人)にやらせる。実は、意外に文章が書けなかったり、実務が苦手である場合も多い。
・プライベートも充実している。少数のワーカーホリックは休みしらずだが、他人は巻き込まない。
・仕事の回転が速いのは同じ。決断・あきらめは他人に任せる。(責任を逃れるのがうまい)
・段取り勝負。事前調査、他人との事前合意が大事。このような段取りをいかにうまくこなすかが大事。
・基本的に八方美人。人を同調させるのがうまい。他人から同調を求められた場合、簡単には認めず、仕事を増やさない。依頼を受けたらトコトンやる。言われてないことまでやる。
・ケースバイケースだが、専門知識も自らこなせるほうが「できるやつ」と見なされる。実務もそつなくこなせる。
・プライベートも充実しているが、忙しいときは、徹夜だろうが休日返上だろうが、業務が終わるまで止めない。
・仕事の回転は遅いが、往々にして「自分自身が仕事ができない」ということをなんとなく認識している(昇格していかない事実を把握してるから)。判断しない(ボスや他人に言われるまで動かない)。
・仕事ができる人の引き立て役になっている。無理しない。自己主張しない。ジョブディスクリプションの範疇しか仕事しない。
・ボスとのコネクションのみ大事にする(捨てられたくないから)。横のつながりは薄い。
・仕事を守るために、自身にしかできない領域を確保している場合が多い。意外に専門知識を持っているケースも多い。実は大した知識でない場合が多いですが。。これがないと、会社から捨てられちゃう。
・プライベートは充実している。よく休む。
・仕事の回転は遅いのは認識しているが、「自分自身は頑張ってるんだ」という意識で、周りに迷惑かけているのを棚上げしている。判断せずに、自らの案件がいつまでも決着しない。
・同調主義社会の中で、なんでもかんでも請け負ってしまう。余計な仕事を増やして空回りする。
・上司だけでなく、どんな人のいうことも聞いてしまう。断れない。メールの件数だけはやたらと多い。直接交渉を避けたいから。メールを打つとき、やたらとCcを入れる。自ら判断できないから。
・往々にして「仕事ができる日本人」に専門知識すら負けている。仕方がないから、データ/マニュアル管理など、パートさんでも出来そうなことに活路を見出そうとする。
・遅くまで仕事をする。夜間、土日に緊急性の低いメールを発信する。ただし、仕事が好きというわけではない。
[まとめ]
何が言いたいかというと、欧米は、仕事ができる人・仕事ができない人のどちらが欠けても業務が成り立ちません。仕事ができる人がマネージメントをやって、できない人が実務をこなすという棲み分けがはっきりしているから。要するに、仕事ができない人をうまく使っているのが欧米。
日本の場合は、ワーカーホリックが多いこともあって、仕事ができる人だけでも何とか回していける。雑務をこなす人は必要だろうけど、日本のマネージャーは実務をこなすことも多いし。
ただ、欧米であれ、日本であれ、真に仕事ができる人は、一握りの才能ある人だけであって、99%は凡人。その辺をよくわきまえているのが、欧米社会のような気がします。
一方の日本は、「正社員」=「仕事ができる人」と見なして、仕事をさせなければならないような風潮があるような気がします。基本的には終身雇用だし、正社員は何とか役に立たせたいというのが日本のスタイル。仕事ができない正社員にも、将来的になマネージメント/あるいはクリエイティブな仕事をしてほしい。それが会社の願い。
こうなると、俗にいうブラック企業のように、「できない人」には、とことん残業させるなりして仕事をしてもらうしかないという考え方になる。「何とか、役に立ってくれ!」という会社の切なる思いが詰まってるのでしょうが、どう考えても効率という面では弊害になっている。
派遣やパートの問題についても同じで、派遣・パートという枠を作ることで、システム的に、実務を任せれるようにしているが、どう考えても、こんな不安定な立ち位置で、業務に専念できるわけないよね。効率が悪くなる一方。
このような日本の環境の中で、僕らが気を付けなくてはいけないのは、「日本の仕事ができない人」に陥らないようにすることだと思います。
よく売れているビジネス本なんかを見ると、いかにして、日本の「できる人」になるかということが書いてありますが、そんなことが実現できるのはほんの一握りの人だけ。
自分の身の程をわきまえて、欧米の「できない人」たちのように、必死にならずに生きていくことも大事だと思います。それも幸せの一つの形だと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20110816003454
で、なんで、そこまでして空気読んで働くのか。
といったら、根本的には、「空気読まないで働いて、会社を辞めることになっても『次』があるという自信がない」からだと思う。
この「『次』があるという自信がない」という主観的な状況は、実は、労働市場で労働力供給過多になっているという、国内経済/グローバル経済両方の問題の結果に過ぎない。
ブラック企業はなくならない。
雇用に関する法律や規制で、ブラック企業をなくすとどうなるか。あるいは、国民の労働に対する考え方が変わり、ブラック企業が自然に淘汰されるとどうなるか。いずれの場合も結果は同じで、日本の経済はさらに没落し失業者が町に溢れかえり、(予想されているよりも早く)破綻国家となる。物価は上がり、福祉は切り捨てざるをえなくなり、東京がスラム化する。
そんなことにはならないだろうけど、それは日本人のブラックマインド(よく言えば勤勉さ)があってこそであり、もともとあったそういう性質が、さまざまな状況の変化で注目されるようになっただけだ。
社会問題としての、ブラック企業問題はグローバル経済の問題だから、根本的にはなくせないしなくならない。あえてなくせばさらにひどいことになるだけ。できるのは、そういうディストピアの中で、どうやって労働者としての個人が、雇用者としての企業が、生き残っていくかを考えることだけだ。
ただ、長期的に見れば解決策がないわけではない。勤務先の社長が、「厳しい業界の状況の中でブラック的な働き方をせざるをえないのが当たり前になっているけど、そんな業界の中でも、技術や企画を通してそんなに働かなくても稼げるっていう状況を作るのが目標」って言ってた。これは企業単位/個人単位の視点だけれど、同じ事を国単位ですることも(少なくとも机上の議論としては)できる。それは生産性の向上ということにほかならない。日本の労働生産性は、他の先進国とくらべて明らかに低いので、すぐに「追い抜いて1番」とか言うのは無理だろうけど、「追いつく」くらいのことは目標にできるはず。それはブラック企業を多少なりとも減らすことにはつながるかもしれない。
言葉を選んではいるが、ネットでよくある「女性が社会進出したからこうなった、自業自得」の別バージョンにすぎない。
こういう人たちは、日本の少子化問題を「女性の社会進出」に矮小化する前に
今更女性を家に閉じ込めることなどできない。
前時代的、ナンセンス、という以前に、労働力が足りない。それとも移民が正解か?
「(おとなしく家で子を産み育ててりゃいいはずの)女性が
という考え方をするよりも、
女性が社会に出て、なおかつ子供を産み育て、なおかつ誰にも「しわ寄せ」が来ないような、
そういう明るい世の中にするにはどうしたらいいのか、を考えた方が建設的だと思う。
横だけど。
確かに、昔ながらの仕事観を持ってる人(年齢問わず結構いっぱいいる!)とたまに会話すると、仕事というものの捕らえ方が根本的に違ってるなと感じるね。
たとえば、「働き者」みたいな表現とかね。昔かたぎの人はこの表現好きだよね。なんかよく分からないがとにかく常に忙しそうにバタバタしてる、みたいなのを「働き者」であるとする。
想像するに、昔は、ほとんど何の仕事をしていても労働生産性が変わらなかったんだろうなと思う。それならとにかく忙しい方がいっぱい働いてる分稼げる=偉い、となる。
そういう環境なら、ほとんどの人間は、周りと差が無く「価値のある人間」と実感することができるだろう。
パートのおばちゃんがどんなにせわしなく働きまくっても、Rかなんかでmean(hoge)とかsd(fuga)とかタイプしてデータ分析でもする方が100倍くらい生産性が高い。
おばちゃんが1日働いた分の給料はたぶん5分くらいで稼げるだろう。