はてなキーワード: 保育園とは
大したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。
休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います。
クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。
私について
北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校は工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ。
きしょいオタク、文章書くのは割と好き。漫画とアニメとソシャゲ全部好き。乙女系コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ。
母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。
記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)
両親も親戚もみんなオタク。父親はラムちゃんとアイマス、プロレス。母親は最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。
弟2人はFPSとかモンハン。兄弟二人ともゲーマーガチ。世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーとボドゲに目覚めた。
実家は村に近い山奥のドドドドド田舎。同級生に農家と酪農やってる子がいっぱいいる。
育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん。
保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。
イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。
ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達を存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……
物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。
保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃんは長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。
母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事は祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待。
ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。
後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。
当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。
あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。
確かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。
全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態。
入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。
家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。
教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃん、ありがとう……
あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。
3年生ぐらいから普通に社交的になったと思う。クラスの委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。
この頃、休み時間は教室以外にも図書室で本を読む女になってた。
同時期ぐらいに父親が仕事をクビになってニートで引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。
ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。
高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親からの評価がめっちゃ高かった。
勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子。
実際、3年からは毎回クラスで委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟が同級生同士で仲良し~とかあった。
ちなみにこの頃はちゃおと少年A、ジャンプ、母方の祖母の家でガンガンとGファンタジー読んでた。
ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。
多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。
祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。
弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男だからしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。
小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。
祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。
その後、親が離婚して一軒家から団地に引っ越した。離婚後父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。
これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。
母親はいつ祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態で仕事に行ってたらしい。それでも授業参観も運動会も学芸会も絶対全部来てくれた。
田舎あるある。小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。
半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんがいじめを受け始める。
ゆみちゃんが堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由で野球部に所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安だから……」と頼まれて野球部に入った。
まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。
私はゆみちゃんがいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。
彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。
結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか。
私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめる相手が居なくなったから仲良かった私になった。
ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。
なんでか自分のノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。
当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。
そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。
中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。
私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。
休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。
それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。
おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。
ただ、学校の担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。
母親はその日のうちに学校に電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。
後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。
どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。
家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。
ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。
そのフォロワーたちもいじめを経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。
なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。
クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。
修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校で先生とマンツーマンで勉強した。凄い有意義な時間の使い方だったなと思う。
卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲のプリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。
高校は女で嫌な思いをしたので男子の比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制の高校へ行く気でいた。
卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校の合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書とアルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。
ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ。体罰も普通にあったし、クラスメイトの男子は教室内でデカデカと万引を自慢するようなクラスだった。
担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。
ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位の計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科の先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。
後々、クラスの男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位分しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。
担任は露骨にわたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校でちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。
他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネットで検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。
学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行が東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラスの女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。
その子と出席番号が前後だったジャニヲタのまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんは「まなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女である。マジで強い。
ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当にAOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談と書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。
この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部でBLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう。
適当に単位取って適当に卒業した。これが私の高校時代の思い出である。
専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ。
ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社に入社した。そしてこの後、地獄を見る。
前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。
上京してから半年、横浜で警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎で地獄を見る。
警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。
入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み。
休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。
休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。
心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。
私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。
そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場に電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。
無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親に電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。
元々寮で暮らしてたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情を説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。
その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいかに自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。
都会の粗製乱造園は経営側もスタッフもろくに経験ないから保育の質めっちゃ低いけど
それでも園不足で園児には困らないし保護者も他のまともな保育園を知らないから文句言わないので改善されない
ってのどっかで読んだのを思い出した
たまに経験豊かで意識も高いベテラン(出産退職後の再就職者とか)が中途で入ってきて質が低いのに気付いて改善しようとしても
既存スタッフは誰も問題に思ってないからベテラン側が追い出されてしまうと
それでもとりあえず死にはしない、って程度の保育は受けられるし
そういう園が今後はどんどん増えていくんだろうって話
でもってまともに教育されてない子を押し付けられる小学校教師なんかが困るんだろう
まあそれなら元増田も楽しく働けるかもね
前は少し我慢すれば抑えられてきたけど、最近は表情とか態度にも出てきていると指摘された。
何すればいいんだろう?カルシウム取ればいい?
性欲解消したりして発散もしてきたけど、もっと違う方法はないだろうか
結構年を取ると怒りが我慢できなくなる人って多いんじゃないか?
人間は年をとると怒りっぽくなる的な
https://anond.hatelabo.jp/20200719130411
で子供の奇声に耐えられない人がいるけど、たぶん若いころは気にならなくても
加齢で気に障ることが多くなる人は案外多いんじゃないか。
現に保育園を建てようとしているところに「子供の声が響くのが嫌だ」と反対運動するジジババが多いらしいし、
公園で子供が遊ぶのにも腹を立てて遊べないようにするって案件も少なくないし。
このまま何でもかんでもキレるような老害にはなりたくないな
大したことないにしても、感染者が出たときに対策を怠ってたのが外部から伺い知れると、「人殺し保育園」と全国から脅迫電話かかってくるので協力してほしい、みたいなのでいいんじゃないだろうか
コロナ禍言っても別に俺みたいな、そしてはてなに多そうなホワイトカラーは特別収入が減るわけじゃない
もともと引きこもり体質だからステイホームも苦じゃない(むしろ死ぬまでステイホームしたい)
でも、新型コロナウイルスのなんやかんやでいろいろと恩恵は受けてきたよなあと思う
全員、それもゼロ歳児まで貰える
収入減ってないし非課税なので臨時ボーナスだ(地元でこの給付金が交付された次の週末は家電量販店の混雑がエグいことになってた)
自治体によっては個別の給付金や子ども手当の上乗せや公共料金の減免など追加ボーナスもある(俺は世帯で5万円くらい得ている)
そして持続化給付金という名の実質的な100万円(法人なら200万)バラマキキャンペーン
え?売上下がってない?
だったら今すぐ今月の仕事を止めろ
課税対象だから手取りはもっと少ないが、庶民に100万はでかい
あと事業者ならちょっと書類作ればユルユル審査で数十万円手に入る補助金がすごく増えた(こっちは投資額の何割を補助って感じだから現金で貰えるわけじゃないが)
自治体によっては県内旅行に限定し先駆けて始まってるところもある
俺は旅行に行く予定はないが、お盆の帰省(地方→地方)に使わせてもらう予定だ
興味ないのでお盆期間まで対象かどうかはわからないが、まあ補助されなくても給付金いっぱい貰ってるからどうでもいい
具体的な金銭でもこれだけ得ているが
子供と遊んだり(ちなみに保育園は通常営業してる)、積みゲー一気に消化したりと充実した時間を過ごすことができた
あともののけ姫観に行ったんだけど映画館もコロナ対策ですげー広々と使えた
あと、はてなのイデオロギー的には安倍内閣の支持率下がったり、オリンピック延期したり(ワンチャン中止も有り得る)等いいことばかりだ
しかもコロナウイルスなんてどうにもできねーもんが蔓延ってるおかげで毎日日本を叩ける「嬉しいニュース」が舞い込んでくる
笑いが止まらんよな
長期的に見れば損することの方が多くなるかもしれないけど、そんなのどうしようもないし、そんときは俺以外のほぼ全員も沈んで行くんだからどうでもいい
深夜1時、携帯も見ずにカーテンから溢れる光だけをみ見つめていると急に過去の自分と対峙する時がある。
20歳を過ぎ1人暮らしを初めて毎日夜遅くに帰宅し、寝床につく生活が当たり前になってその時間は徐々に無くなっていったが、今これを書いている瞬間、今まさに久しぶりのこの感情。
それは自己防衛の為の故なのか、それとも単純に衰えなのか。よく歳を重ねると涙脆くなると言うが今のところ全くの逆で、泣ける。感動する。映画やドラマを見ても別に自分と関係ないしと思って冷めてしまう。
ペットが死んだ時も、そりゃ生物はいずれ死ぬよなって思ったりしていよいよ自分大丈夫かな?と思ったりもする。ところで話は大分脱線してしまったが本題に入るとしよう。
俺が小学1年生に上がった時期だった。保育園を卒業した俺は当たり前のように地元の小学校に入学した。
そこがどんなところで何を学ぶ場所なのか分からなかった俺は登校日初日に通学途中、怖くなって不安になって
母親の待つ家に帰りたくなってそのまま泣きながら帰宅した。それから母に連れられ登校を試みるも俺は小学校のクラスの部屋という存在が怖かった。
今まで保育園では、時間割など無くて好きなことして好きなように時間が過ぎて、夕方になれば母親が来て帰って弟や父親と遊んで祖母が作った美味しい夕飯を見てふざけてみんなが笑ってくれてそれで良かったのに。
それなのに突然、勉強や学校生活、上級生の存在に戸惑ったし、なぜ友達や先生はそれを認めてくれなくて共感しないのだろうと不思議に思った。
時にはクラスの友達や先生が強引に俺を連れ出そうとした。訳が分からなかった。行きたくないと言うのに。
その時俺はおかしな存在として扱われているのを初めて自覚した。
大人になった今でも皆が普通や常識と言われることに疑問を持ちながら生きている。
した方が怒られないからするけど、内心そんなに呑みたきゃ自分でつげよじじい。俺が注いでやってんだぞお礼ぐらい言えないのか?と思っていること。
上座下座も意味が分からない。好きな場所座ればいいじゃん。と思うこと。
親を見る限り幸せそうには見えなかったし、子供を育てて行くことの大変さや結婚して家族を支えていくことがいかに困難だということ。別にしなくてもいいと思うし
したい人はすればいいじゃんって思うこと。
芸能ニュースが心底どうでもいいと思うこと。
顔は知られてるけど結局、他人だし話したこともないしましてや会ったこともない人のことなんて興味が湧かないこと。
主にネット掲示板を見ていると皆自分を大きく見せようとしたりいきなり見ず知らずの人を煽ったり嘲笑したりしていること。自分はその人がそう思うならそれはその人の考えや生き方なので口出しはしたくないし好きにしたらいいと思うので、アドバイスを求められない限り余計なことは言わない主義だし、逆に自分にとっても相手が何言おうが、最終的には自分がどう思うかだからどうでもいいかな。真に受けないようにしてる。
なんで皆いると思ってんだろうってこと。
いるわけないじゃん。冷静に考えて。
俺が小学校に行きたくなかった理由よりも明らかにおかしいでしょ幽霊や神様がいるなんて。
でも世間は自身のために動いてないことも知っているから、好きにすればいい、けど他人に強要するなよ何事も。
そして誰も他人の生き方を批評したり馬鹿にしたりしなくなればいい。
俺は個人が思う好きで多様な生き方を受け入れてしているし、好きにしたらいいと思う。
寝るわ。
眠いし。
直接給付金や補償金出しても1人30万円でにっちもさっちもいかないけど、GoToトラベルやったら、本当に客が来るの?毎日東京で、4月より感染者出ている段階で?
余程頭のねじがぶっ飛んだごく一部の旅行好きしか、他県には「トラベル」しないんじゃないの?そんなの少数の人が払うお金で本当にやっていけるの?
後、これで地方まで感染拡大したら、マジで医療者より国民から観光業の人、恨まれると思うよ。
あれだけ頑張ってくれて、普通の神経を持っていれば感謝しかされないはずの医療業の人ですら、子供が保育園で預かるのを断られたり、学校でいじめられたりみたいな事例が出てきているんだよ?悲しいけど。GoToトラベルをマジでごり押しして、地域医療崩壊したら、田舎の観光業の人、マジで村八分に合うんじゃないかと思うけど。いや、そういう事件はあっちゃいけないけど、でも、予防するのは無理でしょ。地味な嫌がらせ事件は起き続けると思う。
それでGoToトラベルで大儲けできるならいいけどさ。そもそも、補償金にしたら一人30万円ではした金にしかならんから、GoToトラベルやろうとしてるんじゃないの?
そもそも使わないと損なキャンペーンって酷いよね。家族持ちの帰省には何のお得感も無い
得するのは独身と実家と疎遠になる子無し夫婦だけ。移動する人間が多くなればなるほど万が一の感染確率増えるし、なにより帰省先には高リスクな年寄りが多い
自分は情弱言われようと反対する。旅行は行け。正規料金で行って目的地で金落とせば良いだろ。なんで補助受けるんだ
気にせず行けよって言われそうだが、感染したら仕事は休むし共働きの妻も休むし子供の保育園も休園になってGoToキャンペーンの恩恵以上のマイナスがやってくるのが怖い
独身と子無し夫婦だって感染したときの周囲の影響は変わらないと思うのに、なんで大丈夫って思うのかな?完全リモートのIT系以外は一発アウトな気がする。それともみんな大手企業務め?
最近一部界隈で話題になっている30歳腐女子の「32歳腐女子の友人目線」とかいうはてなブログ、読んだ。
読んで、個人的にいろいろ思うところがあったのでここに書き捨てておく。
私は、おそらく30歳腐女子さんと同じぐらいか、あるいはそれ以上の田舎出身である。
どれぐらい田舎かというと、地域の子どものほとんどが小学校から高校まで同じ学校なんてことも珍しくないレベル。
小中の顔ぶれは大半が4歳5歳ごろからの幼なじみで、親同士も長年の付き合い。
だから単なる幼なじみや友達というよりは、友達と家族の真ん中というほうが正しい。そういう関係の人が何人もいる。
なので、該当ブログを読んだとき、指摘の内容はともかく、筆者たち三人がAにそこまで干渉してしまう気持ちがなんとなくわかってしまった。
というか、序盤の「みんな保育園からの幼馴染み」を読んだ時点でなんとなくオチが察せた。
わかる。わかるんだよ。単なる友達じゃなくて、お互いの家庭事情や過去に何があったのかもよく知ってるから、つい思わず「友達相手にそこまで言うなんて」と言われても仕方ないお節介をやいてしまう。
将来に直結する収入や仕事に関することならなおさら。(まあ服装やメイク、財布あたりは完全に女子特有のマウントだと思ったが)
正規ageも、客観的に見たらマウントやら見下しやらに分類されると思うんだけど、少なくとも当時の筆者ら三人は本気でAの将来や家庭事情を心配して言ってたつもりだったんだろう。と、勝手に代弁してみる。
ただ、口出ししてしまったその「気持ち」がなんとなく理解できるというだけである。
おわり
体調がイマイチすぐれず、忙しい時期でもないので午後休みを取った。
保育園に預けている子どもを迎えに行くか迷ったけど、自分の体調が悪いんだから仕方あるまいととりあえず自宅に帰って休むことにした。
久しぶりに自分ひとりで家にいる。お迎えまで5時間ある。体調悪いので軽く食べてから寝て…と思ったけ寝付けないのでだらだらスマホではてブみたりタブレット出してきて電子書籍読んだり。
い、いやされる…
私に必要だったのは心の休息だったのか。誰かと会って話すとか楽しいけどそれ以上に疲れるしゲームマンガ大好きひきこもり人間な私が四六時中子どもと二人きりで過ごしてたの、楽しいし充実してるんだけど実はストレスもあったんだなーと実感した。