はてなキーワード: ムラ社会とは
世の中には『自動車』とか『バイク』とか便利なものがあるのだが、東京の人は知らないんだよな。
不便な電車を「最高のもの」だと疑いもせず、地下鉄で行ける範囲に閉じこもって生きていく。
スマホがあるのに、「ガラケーは最高に便利!電話もメールもあるしネットでニュースも見れるし買い物もできる、何も困らない!」「スマホは便利かもしれないがテンキーないし折り畳みもできないし電話しにくい」ってかたくなに新しいものを試そうともしない。
親の世代は外からやってきた人が多いから別の世界を知っているが、二世・三世になると東京しか知らないんだよね。中途半端に便利なもんたから外に出ようとしない。結果、井の中の蛙になってしまう、しかもそれに気付かない。
世の中には『自動車』とか『バイク』とか便利なものがあるのだが、東京の人は知らないんだよな。
不便な電車を「最高のもの」だと疑いもせず、地下鉄で行ける範囲に閉じこもって生きていく。
スマホがあるのに、「ガラケーは最高に便利!電話もメールもあるしネットでニュースも見れるし買い物もできる、何も困らない!」「スマホは便利かもしれないがテンキーないし折り畳みもできないし電話しにくい」ってかたくなに新しいものを試そうともしない。
親の世代は外からやってきた人が多いから別の世界を知っているが、二世・三世になると東京しか知らないんだよね。中途半端に便利なもんたから外に出ようとしない。結果、井の中の蛙になってしまう、しかもそれに気付かない。
要するに団塊爺の悪辣非道の業の報いは、おまえらの行いがどうであれジュニアで氷河期のおまえらが被るってこと。
ジャップにはすでに会社を去って年金暮らしの爺にヘイトを向ける知能がないからね。目の前にいる年寄りっぽいキミらを全集中で叩くんだよ。
年下の彼らが中年になっても、彼らにもキミらと同じく自分がオッサンになったという自覚が生まれるのは相当先なので、いつまでも目の前にいるキミらが叩かれるんだろうさ。
GoToトラベルだったり、満席で演劇が上演できるようになるだったり、社会が徐々に明るい方向に向かっているというのに。自分は、映画館もスタバも劇場も何もない田舎から出られないでいる。
産まれてから18年間、同じような生活環境の田舎で住んでいたのだから平気だろうと思っていたけれど、一度都会の娯楽に溢れた生活を知ってしまったら、もうこの「何もない」田舎の生活が苦しくて仕方がない。
大学進学を期にいわゆる都会という生活に触れた時も感じたけれど、田舎は圧倒的に選択が少なすぎる。または、選択を広げるためにかかる時間とお金の負担が大きい。当たり前だけれど。
だって、スタバの抹茶フラペチーノにチョコチップいれたやつを飲みたいと思ったら、電車で30分揺られなきゃいけない。タリーズのヨーグルト&アサイーを飲みたいと思ったら1時間近く電車に乗る必要がある。500円の飲み物を飲むために、その三倍以上の交通費を支払う必要がある。
映画を観たくても電車で1時間かかるし、そもそも一番近い映画館は県をまたがなきゃない。朝日が昇るまでバーで飲むなんてこともできず、日付をまたぐ前にどこの飲み屋も大概閉店してしまう。刀剣展示を見た次にミュシャの展覧会に行ったり、プッチーニのオペラを観た帰り道に箱で頭振るなんて芸当もできない。
きっとこの話を北海道に住んだことのある友人に聞かれたら「こっちはセブンまで〇〇時間かかる」とか言われそうだけど、今はそんな話をしているんじゃない。私が、私の経験してきた人生と照らし合わせて、今の生活がつらいっていう話をしたいんだ。私が今どうしても苦しいっていう話を聞いてほしいんだ。
こんなコロナがはやる前は「また田舎に住むことになったけど、大阪にも名古屋にもすぐ行けるし余裕っしょ。むしろ岡山(長船)にも高知にも福岡にも近くなってラッキー!」ぐらいのノリでしかなかった。ほんと馬鹿。
今じゃ大阪・名古屋はおろか、プライベートでは自転車で動ける範囲での生活に縛られているんだぞ。あの頃の能天気な自分を助走つけて殴ってやりたい。もっと足元を見ろ。
その自転車で行ける範囲にある娯楽はカラオケしかないし、大好きだった大判焼きを売っていたお店は、結局コロナ休業が明けることなく閉店してしまった。
そのくせ、駅前の通りにはデカデカと看板を掲げたキャバクラが立ち並んでいる。これで若者の移住やUターン就職を政策で掲げているのが、むしろギャグとしか思えない。(だからと言ってじゃあスタバを作ればいいのか、という話ではないから難しいけれど)
社会情勢を見るに、まだしばらくはこの田舎から出られない生活が続く。そう考えるとぞっとする、というような感情は薄らぎつつある。今は諦め、の方が感情に占める割合が大きいきがする。それと怒り。
諦めは、この人生を選択したのは自分だから、というもの。都会の生活が良ければ、就職の時に都会の会社を選べば良かった。それをしなかったのは自分の判断なのだから、今この状況に置かれているのは自分の責任だろう、ということ。
この田舎でコロナ初感染者が出た時、その家の窓ガラスが割られた。そんな話、ネット上の創作でしょ、と高をくくっていたけれど本当だった。風の噂によれば、その家族は引っ越したとも自殺したとも聞いている。どっちが本当かは分からないし、知りたくもない。
自分が、自分の家族が次の感染者になるかもしれないのに、よくそんなことができるなぁ。
おそらく、これは自分の想像でしかないけれど、「こっちは我慢しているのに都会に遊びに行った挙句コロナにかかって」といった憂さ晴らしでそうした行動に移ってしまったのだろうと思う。
実際、パートのおばさまたちの「〇〇さんこの前大阪に行ったんだって……」という陰口を叩いている場面に出くわしているので、当たらずとも遠からず、といったところだと思う。
自分は、その憂さ晴らしを、自分の中にある嫌だなと思う気持ちを、こうして文章にして出力することができるからまだ救われている。他人の家のガラスを割るよりは、よっぽど健全な毒の吐き方だと思う。
ただ、万人がこの毒の吐き方ができるわけではないことも分かっている。自分だって本当は、美味しい酒を飲みながら、誰かに自分のつらさを聞いてもらって同情してもらいたい。
それが叶わないからこうして、家で冷凍庫から出したウォッカを、瓶のまま飲みながらこの文字を打ち込んでいる。
Twitterが見れなくなった。舞台や美術館の上演・展示情報を見ると、そこに行けない事実を突きつけられるから。「行く!」と言っているフォロワーに後ろ暗い感情を持ちたくないから。
今の私の手には入らない美味しそうなお料理、綺麗な品々、素敵な物語。「どうせ自分はいけない……」と、いちいち悲しむことに疲れてしまった。
先日、上司(この田舎に住んで十年以上)に息抜きの会話の中で「(大学生活を送った土地)に帰りたいんですよね~」と話したら、「万一コロナに罹った時村八分になるからやめた方がいいよ、ガチで」と改めて念を押されてしまった。
その会話の数日後に、仕事終わりの終電に飛び乗ってその地に行こうと画策していたけれど、その計画もぽっきり折れてしまった。
久しぶりにワクワクした。全部終電を乗り継げば、日付は越えるけどその地に辿り着ける。出勤前に駅のコインロッカーに旅行カバンを預けようとか、馴染みのバーのマスターにはあのお土産を買っていこうとか、あっちに帰ったらあのレストランのご飯を食べようとか、旅行用の歯磨きセットが無いから買わなきゃとか、いろいろ、考えてたんだけれど。
結局そのお休みは、昼過ぎまで寝てYouTubeで酷道走行動画を見たりしていたっけ。
どんどん預金残高が増えるけれど、これっぽっちも嬉しくない。いくら円盤を買っても生の演劇・映画・演奏とは別物。いくら高い酒を買ってもバーで飲む味には到底及ばない。
何で自分は働いているんだろ。
生きてるって言えるのかな、これ。
コメ返信
https://anond.hatelabo.jp/20200919145352
そんなささやかな希望すら叶えられない田舎クソだな〜〜〜ってほんと思う。京都の確か四条通りのカフェのカヌレとかも食べたい。あと博多のShinShin。
https://anond.hatelabo.jp/20200919145353
映画自体じゃなくて映画館に行くまでの道のりが電車しかない(車持っていない)なので詰んでるんですよね。別に映画館とか行くの自体は大丈夫でしょって思ってる。
https://anond.hatelabo.jp/20200919145626
明日トラックに轢かれて死ぬかもしれない刹那主義で生きてるから相容れなくてすまんな……あっでも10万給付で貯金額増えた時は嬉しかった。
https://anond.hatelabo.jp/20200919150005
近゛く゛に゛美゛味゛し゛い゛お゛酒゛飲゛め゛る゛バ゛ー゛が゛な゛く゛て゛困゛っ゛て゛ん゛だ゛よ゛!!!!!!!高い酒ストレートで飲む分にはいいけれど……さ……あとバーの雰囲気が好き人間だからよ……
https://anond.hatelabo.jp/20200919150734
分かりみすぎて笑ってしまった。わかる予言するわ多分「都会の生活は時間が早すぎる、こんな溢れた情報の中で振り回されるような人生は送りたくない」とか書いてそう。生きるの根本的に向いてないな???
自分が学生の時から所属しているコミュニティがいくつかあって、基本的には趣味の集まりだったり、面白いことをやってみる会だったりで、
社会人になってからはOBみたいな感じでゆるく繋がっていてたまに後輩にお節介を焼いたりみたいな感じ
特にしっかりした体育会みたいに強い上下関係とかコネクションがあるわけじゃない、という認識でやってきたんだけど
うすうす感じていたこういうコミュニティに属する利益が、最近いよいよはっきり可視化せれてきてちょっとモヤモヤしている自分がいる。
勉強になるとか刺激を受けるとか、そういう曖昧なものじゃなくて、就職や進学に有利だったり、対価込みの副業を紹介して貰えたりする。
かくいう自分もそういうコミュニティの一つを経由して転職先をみつけて、給料もアップした。
それ自体はすごくよかったのだけど。。。
コロナで人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事の雰囲気が変わり始めている。
私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。
もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域は比較的英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である。小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたときに理科の若い先生が理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからないくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問は世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。
当時はショックだったが、中学校から親の転職の関係で引っ越し、比較的普通の地域に引っ越してしまった。小学校のときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越した地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科と数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくまで中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的に勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理の先生と哲学の議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたときに日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。
大学は自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生の多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学の図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館に毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会を議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定の教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生のパートナーは何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本の最高学府が学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由に研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員とディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験で自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論のテーマも自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性を提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1で勝手に実験をして修士で論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文を12本書いた。ちょっとした自慢である。
博士の資格は名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学のポジションの公募に出す中、私は自分の学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外は日本より風通しが良いだろうと思い、日本の研究費から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語の意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰の論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本の出身研究室で職を得て戻っていった。不思議なものである。
当時の海外での受け入れ研究室の教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本は講座制の影響もあり若い研究者が活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である。日本に戻るためには公募の書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり、研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生と研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室で研究をしているよりも経験をつんで日本で研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議なものである。
こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言を学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育を享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。
そんな先のコロナである。実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言のあおりをくらい、研究室での研究活動はオンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生がいるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。
学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生で一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動は制限されている。以前ほどの自由は担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンはスペイン風邪のタイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生に希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。
そりゃあ都会的人間関係も田舎的人間関係もメリット・デメリット、合う・合わないがあるから究極的には人それぞれだけど、でも世の中で多くムラ社会が悪く言われることや、実際に起きている都会への人口流入を考えると、やっぱり一般的感性においては嫌忌される文化なんだと思う。
もちろん一般的感性から外れていてもそれは悪いことではないのだから、増田の好みを否定するつもりはないが。
……ただ、否定するつもりはないと言っておいてこんなこと言うのもなんだけど、増田の経験談を読むとやっぱりムラ社会が良いモノとは思えないなぁ。
そもそも、ヲタ活が望ましくない、そんなものはあるべき生き方に反するって考え方自体が、ムラ社会に歪められた思想なんじゃないかと感じる。
極端に趣味に耽溺して他を蔑ろにするのは良くないが、人に迷惑かけない範囲なら、いつまでもどんな趣味でも好きなモノは好きで良いだろうに。
そういう本来認められるべき自由が、論理的な理由のない空気によって抑圧されているのって、まんま世の中でよく言われる『悪いムラ社会像』そのものって感じがする。
ネットニュース記事で、田舎のムラ社会について言及した漫画が取り上げられていた。
近所の人と直接接触がなくても、噂になってその人のことを耳にするし、それは自分のことが知らないところで噂されていることを示すという内容だった。
田舎の閉鎖的な人間関係を悪く言ったり、都会の無干渉な人間関係を心地いいと感じてる層は、おそらくそういう文化を鬱陶しく思ってるのだろう。
けどそんなに悪いことか?ってのが、正直俺が感じた疑問だ。
堂々とやれることであれば、別に噂になっても困らないだろうと思っている。噂になったら困るという心理があれば、よからぬ行動への抑止力になるわけだし。言及されたときに説明できないようなことは、そもそもやるべきではないと思う。
というか、自分から説明しなくてもなんとなく広がってくれてるというのは、むしろ助かると思っている。
例えば、自分がどこで働いてるとか、結婚したとか、子供ができたとかは、なんとなく知られておいたほうが、はっきり言って楽である。
自分から話題を切り出さなくても、相手がある程度前提を知っているわけで、仮に間違った認識をされてるなら、その場で訂正すればいいわけで。
いちいち「どこまで報告すればいいっけ?誰まで報告したっけ?」とか考える必要がなくなる。
そうはいいつつ、別にそういう田舎に住んでいたからといって、ネットがある今の時代、特定の人間関係の中だけで生きるというものでもない。
現に俺も、20代の半ばでちょっとしたヲタ活にハマり、ネットで知り合った人と交流していた。家族にも黙っていたから、このことを知る地元の人は居ないだろう。家族や地元の人にバレそうな行動は徹底して慎んだ。
グッズは店員が知り合いの可能性がないコンビニまで出向いて受け取った。何度か首都圏へ遠征してイベントにも参加したが、テレビに映ったりネットニュースの写真に載りそうなものは避けたし、万が一に備えて現地で変装した。
そこまでしなければならないのか?と思うかもしれないが、本来望ましい生き方に従った行動ではないという自覚があった以上、これが正しかったと思う。「噂になるかもしれない」という心理からの抑止力があることで、一線を越えないというのもひとつの生き方だ。
ちなみに、その中で出会った同じ趣味の生活環境は同じような境遇にあった1人は、参加したイベントが地上波のテレビにて全国に流された結果、家族や親戚・友人・近所の人にバレて散々な目にあったらしいが、それも致し方ないと思う。もともと、色モノ扱いされるような趣味だしな。
時は流れ、ヲタ活のTwitterアカウントで近況を報告の上、その趣味から離れた今があるが、その界隈で完全に俺のことが忘れ去られているとしたら、それはそれで寂しい。ネット上の公の場ではもちろん言わないだろうが、せめてイベントの場では(コロナの影響でやってないだろうという点は無視する)、俺のことをうろ覚えでもいいから、噂にしてるくらいであってほしいものだ。
そう考えると、そのヲタ活の界隈にも、俺は一種のムラ社会を求めてたんだろうな。
そして、監視や同調圧力のおかげで、ヲタ活に一定の線を引き、あるべき生き方に戻れたと思っている。
個人を尊重といっても、好き勝手できる世の中が正しいとは思わないよ。
ただ、それを最優先にして顰蹙を買うような生き方はするべきじゃないと思ってるだけ。
あと、俺がはまってた趣味というのは都会であっても例えば職場でバレると恥ずかしいというか、変人認定されそうなものだからという理由もある(が、その界隈で知り合った東京の人がバレる心配をしてないあたり、それで居心地が悪くなったら別の場所があるって考えてるのかな?よくわからん)。
人間は滅びるっていう結論ありきで話してそうに見えるので返信する意味があるかどうか微妙ではあるが、
劣悪な環境下でも人は生きるわけで、人間の役割とか生きる意味など考える必要があるとは思えないし、
そもそも知的労働まですべてアンドロイドに置き換えられるとは思っていないので、誰もがまったく働かない社会などは想定していない。
アンドロイドが労苦を肩代わりしてくれれば、人は人にしかできないことに大いに時間を割けるようになる(といいなと思っている)
ただし、子を産む人が減る可能性は大いにあると思う。
アンドロイドが充分に普及した社会では、人間が効率よく生産活動をするためにムラ社会を作る必要がなくなるので、
現代よりもっともっと個が確立した社会――孤立した社会――になっているという想像ができる。
子どもを増やすというのはムラ社会においての生存戦略であり、同調圧力だ。
ムラ社会ができなければ、結婚して子を作れという社会からの圧力が限りなく小さくなる。
圧力が小さくなれば、必要に駆られて結婚したり子どもを作る人は減る。
そもそも人を人たらしめる精神的活動の中でも、恋愛は最高レベルに難易度が高いものだ。
社会からの結婚出産の圧力がなくなり、性欲はセクサロイドが解消し、なんなら精神的にも疑似的な満足を与えてくれるとしたら、
人と恋愛を成就させるなんていう無理ゲーにわざわざ手を付けるだろうか……
しかし逆に、生活に関する苦労をアンドロイドが肩代わりしてくれるなら、
人は今よりもっと他人に優しくなって、他人を愛することに心を配れるかもしれない。
考えてみれば人間というのは必要がなくても山に登り、トラックを走り、他人と競うものなのだ。
アンドロイドが人でない限りは、人と交流するという知的で刺激のある活動はやめられないだろう。
(それまでアンドロイドが取って代われるとしたら、もはやアンドロイドに人権を認める必要がでてくるし、セクサロイドの前提が崩れる)