はてなキーワード: 社会的弱者とは
アプリが悪さをするわけでもないしどんなサービスだってコンセプトとしては問題を含んでたりしないかとは思う
けどどんな形にしても入り口を作るとそこに必ず目的を持った人が集まるわけじゃん
その集まるって量はふだん街で遭遇するより遥かに確率が高くて問題性や規模もおおきくなるんじゃない?
そこそこ手間でそこそこ幸福でそこそこ不運や不幸もある日常は個人が行政を使ってなんとかなる水域を治安って言うわけだよね
それが入り口をつくって集まるようにすると一気に密度というか圧があがるのはそのアプリやコンセプトとかの話じゃなくて圧がかかるように誘導することが問題なんじゃないかな
迷惑の種類とか規模とか予想がある程度できるわけだからそれを対策して純粋に集約されることを効率化できればいいだろうけど
ひとが自殺するまでとかしたとしてもそこまで迷惑かけておいてなんの罪にも問えないネットの現状ではまだ早いとか治安の整備が先にほしいとこ
シンママとかほかなんでも社会的弱者が声をあげたら息苦しくなるのをまず何年スパンで改善に取り組みますとかあってほしい
それなしでいまビジネスはじめるみたいなのはある程度でる被害を想定したうえでその人たちを許容値にふくめてる感じがむごいとおもうよ
ほら書いたまんまじゃん
もう一度書いておきますね
社会活動に重大な影響を与えるレベルの鬱病・強迫観念の寛解だけを意味しており、
経済的に成功しても、パートナーを得ても、子どもを作っても、永遠に穴が空いたバケツのまま
親が愛してくれなかった・まともな養育をしてくれなかった怒りは、なにを得ても永遠に過去のものにならないし、
助けてくれなかった世界のあらゆるものを羨み、バカに出来そうなら攻撃する
自分自身のこの特性は嫌悪する親そのものと認知することもなく、ひたすらドン引くような言葉を使った家族の悪口を書き、
✨アダルトチルドレンを克服しました✨
これが人の親になっちゃうからな、虐待の連鎖ってマジでこういうこと。単純に殴る・蹴る・怒鳴る・ネグレクトするとかそういう話ではない
なにもかも嫉妬で片付ける人って感情が雑かつ語彙がないのか?と思って生きてきたが
マジで言葉のまま、あらゆるものが羨ましい・妬ましい人もいるんだよな
ザマァ・スカッのなにが面白いのか微塵も理解できなかったけど、
あらゆるものが羨ましい・妬ましいと、自分よりも弱いものバカにできそうなものを見ると
攻撃したくてたまらなくなっちゃうんだ
彼・彼女らにとっては自分の立場(ニート・小金持ち)に関わらず、
社会的弱者は蹴り飛ばしバカにしていい存在だ。今まで自分がやられてきたことをしてんだね
https://anond.hatelabo.jp/20230115203346
『大怪獣のあとしまつ』と『シン・ウルトラマン』を見て、後者より前者の方が好きだった人間です。
なにが好きかと言われれば、内輪で社会の上層部が枝葉末節に囚われ下品なことに汲々としている中
一般人はそのしりぬぐいをさせられ辛酸をなめるという社会のひずみがちゃんと描かれていたことなんですよね。
怪獣処理のためダムを決壊させる場面でも「恐らくあの避難民の背景の家とかは巻き添えで流されたんだろうな」と想像する余地がありましたし
そもそも冒頭の怪獣退治後の場面からして徴兵された若者が犬死していることを暗示しているっぽいです。
(※「生きていてよかった」みたいに多くの若者の関係者が抱擁する→それなりに犠牲があったのでは?とにおわせる/普通の災害派遣でそうなるとは考えにくい
そもそも背景のポスターに「お前ら兵役逃れは許さんぞ」みたいなことが書かれていたし)
そういう社会のいびつさというか、社会的弱者に災禍を押し付け自分だけ安全地帯でのほほんとするというチキンホーク的価値観を揶揄していた時点でかなり満足しました。
逆に『シン・ゴジラ』なんかは政治権力(=政府与党)こそ善であるみたいな価値観丸出しで気持ち悪かったというか、はっきり言ってゴジラの看板に下痢汁ぶっかけたもんだと思っています。
『シン・ウルトラマン』も似たり寄ったりな感じです。はっきり言って土曜の朝にテレ東でやっているウルトラマンの方が何倍も物語がちゃんとしているし、なんならそれと同列に扱われること自体憤懣やるかたないです。
陰謀論者って正義感が強すぎて世界にまともになってほしいという気持ちが大きすぎてトンチキな陰謀論信じちゃうんだな
それか
自分に自信が無かったり、スポットライトが自身に当たったことないから陰謀論を信じ主張することで自分は特別だ、賢いと思いたいんだな
と思ってたけど違うな
自分の立場があまり良くないor良くないと感じてるから(無意識か自覚あるかは置いといて)
世界がぶっ壊れてると
・自分以上に恵まれてて幸せな人もこんなやばい世界にいるんだからみんなみんな自分と同じ惨めな存在になる
というメリットがある
自分もこのまま気持ちが塞がったままだとやべー陰謀論者になるだろうな
むしろそうなった方が楽かもしれない
colaboの疑惑の会計を批判されて「女性に対する攻撃だ!」とかさ
少し前だとひろゆきが沖縄で県外活動家をおちょくったら「沖縄ヘイトだ!」とかさ
私は哲学や倫理学ちょっとやってたけど、今は障害者になってしまったから障害者雇用で働きながら底辺生活してる。なので意識高い人たちの弱者を助けようって思想とか態度には共感するし、期待もしていた。でもそれは理念とか哲学とか思想の部分であって、実際に世の中のことを知って彼らの実態を見てしまうとほんとがっかりしてしまう。実際に障害者にとって役にたつのって働いてるネトウヨ公務員の方だったりするし。
彼らの実態を何度も目にしてもそれでも落胆せずいつまでも擁護してられる人たちもまた同じような世間知らずな人間なんだろう。
社会のことを偉そうに語っていろいろ批判したりするのに、自分たちこそ世間知らずだったりする。世の中のこと何にも知らない。社会的弱者が何に困っているか何も知らない。
弱者の味方ですみたいなこと言いながら組織で権力持っちゃった人間が性犯罪みたいなことしてたりする。金の使い方はいい加減で、性格は横柄になる。そのくせ自分いい人なんですみたいなアピールは欠かさない。弱者ポジションを取りたがる。
なんかすべてがハリボテなんだよな。貧困ビジネスってことばがあるけど、要はそんな感じなんだと思う。理念とか正義とか哲学とか思想とかがあってそのために行動してるんじゃなくて、金儲けしたい、いい人に思われたい、セックスしたいとかそういうモチベーションで動いてるんだと思う。ほんとくだらないよ。
既に出ている・今年から本格的になってくると思うが、既にウチの様な、その活動費用の殆どを寄付と手弁当で運営している様な小規模NPO団体でも昨年末辺りから出ている。
具体的に言えば、経理関係が非常に厳しくなった…いや正確に言えば監査が厳しくなる「らしい」という情報があり、対応せざるを得なくなった、という方が正しいか。
フェイク込みで例を上げると、例えば30食を提供する予定で用意する、実際の提供は28食分だったら、従来は30食分を予算に入れていたが、今後は実際に提供した分しか認められなくなりそうだ。
また、同様に被支援者との交流の際、飲み物・軽食を10人分用意する、その予算は従来であれば10人分だが、今後は実際に提供した分が予算の対象となる。
例えば6、7人に提供し残りは被支援者の家族に渡すとか、ヘルプに来てくれた人に提供するとか、そういった事が出来なくなりそうだ。
※ブコメで数名から指摘がありましたが、「余った提供予定の食事や支援物資を自分達で持ち帰っているのでは無いか?」「(先の目的の為に)初めから余らせる前提で多めに予算を組んでいるのでは無いか?」
「そもそも本当に必要な分を支援しているのか?(少数に多く渡す事で水増し、便宜を図っていないか?)」などの『疑惑』がかかってきます。
勿論意図的に不正をしようなど思った事もありませんが、意図してやる人が素直に意図を説明する…なんて事も無いので、『疑惑』を持たれない様に、更に厳正にしなければいけなくなる、と考えています。
1000食とか万食とか提供する様な団体では無く、ごく小規模の所ですら、ごく一部でも公金が入っている以上は、今まで以上に厳格にならなければいけない。
幸いにもウチは普段は会社員として経理の仕事をしている女性(仮にK子さんとする)がキッチリやってくれているが、それでも限界はある。
年末年始に今までの申請分含めて改めて整理した所、「グレー」や「黒に近いグレー」な会計が、いくつか出てきたという。
公金ガバガバでも会計ガバガバでも無い所ですら、それこそ本当に悪意無く会計でちょっと問題ある所が出てくる。
しかし、「ちょっとぐらい良いだろう」というのは、恐らく今後数年は難しい、「ちょっとぐらい」は「アウト」になるのでは?と思わざるをえない。
もし仮に今後、例えばウチの様な所で少額の「不当な経理」が見つかってしまうと、以前であれば「すみません、次から気をつけます」で許されていた事が、許されなくなる。
「あんな問題があったというのに、何故他でも起こるのだ。ちゃんと監視しているのか?」と責められたくない行政は、ウチみたいに政治家の後ろ盾なんて無い団体などあっさりと切ってしまうだろう。
ぶっちゃけ、真面目にやっている・やっていきたい所程、事務作業が増大し、チェックも厳しくなり、支援にかけるリソースが消費される事になる。
そこまで考えて、あそこまで強硬な態度を取っているのだろうか…いや多分想像すらした事も無いのかもしれない。
一番迷惑がかかるのは、お金も人手も足りてないウチの様な弱小団体では無く、そんな団体が何とか助けようとしている、行政からも大規模団体のセーフティネットからもこぼれ落ちてしまう社会的弱者だと言うのに。
ちょっとフェイク多めなので我ながらふんわりした文章になっていると思います。すみません。
でもぶっちゃけ言うと、自分の所でも…いや大抵の団体では、あのレベルの会計やってたら、「領収書出せ、すぐに」と詰められるだけまだマシだと思います。
一発アウトでハネられても文句は言えないので、普通は経理の人、ウチで言えばK子さんに全力で止められます。
公金を貰うという事は、皆様の税金…恐らくその中には自分達の活動に対し否定的であったり肯定的では無い人達の税金も含まれます。
そういった類のお金を、僅かでも頂く以上、お金関係はクリアな状態を維持するのは当然だと思っていたのですが、そうでは無い団体も少なくなく、非常に残念に思います。
親が愛してくれなかった・まともな養育をしてくれなかった怒りは、
低スキル労働者だろうが、とりあえず、ひとりだち出来ても過去のものにならないし、
経済的にある程度成功出来ても、パートナーを得ても、子どもを得ても、
なにもかも嫉妬で片付ける人って感情が雑かつ語彙がないのか?と思って生きてきたが
マジで言葉のまま、あらゆるものが羨ましい・妬ましい人もいるんだよな
ザマァ・スカッのなにが面白いのか微塵も理解できなかったけど、
あらゆるものが羨ましい・妬ましいと、自分よりも弱いものバカにできそうなものを見ると
彼・彼女らにとっては自分の立場(ニート・小金持ち)に関わらず、
社会的弱者は蹴り飛ばしバカにしていい存在だ。今まで自分がやられてきたことをしてんだね
毒親+バカ(共感性と認知能力が低い)って本当に地獄の組み合わせだよな
そんな地獄のバカに生活保護の話題のおもちゃ与えたヤツ、かなり控えめに言って社会の敵
アルコール依存症やギャンブル依存症よりもずっとずっと公助を今後ともいっさい受けて欲しくない
慎重を期す話題であることフツーに生きていて理解できないってある????
本当に、ホリエモン・ひろゆき・田端信太郎氏・DaiGo氏・古市憲寿氏・コーネリアスの小山田氏並にどうしようもない
anond:20230103140744 anond:20230104121741 anond:20230105113705 anond:20230106065004
※なお、一般人の店をファンネル使って攻撃して大打撃与えたりしてるが、意外とホリエモンはダイバーシティかつ金より人間ありきを語っている
2022年末から世間を賑わせている例の件について思うところを書いておこうと思う。
初めに自分の考えを書き記しておく。私自身は社会的弱者の保護施策は必要、かつ各種施策は税金で支えるべきだというスタンスだ。現在俎上に上がっているのは女性支援施策のあり方についてだが、女性はどうしても様々な面で男性より不利な状態に置かれやすいのは間違いなく、それをケアする仕組みは必要であると思う(ただ、件の組織を肯定している訳では無いことは留意して頂きたい)。括弧書きで記したように私は件の組織を否定的に捉えている。かつ、その組織の裏側にいる人・団体・組織にも否定的な見解を持っている。増田を使って”なぜ彼らを否定したいのか”という気持ちを整理したい。
まず、被保護者となり得る人物について記したい。これは某ブログにも書かれているが、一言でいえば人間として「どうしようも無い人」である。普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手の迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する(下手すると数分後のことすら考えない)等々である。皆様の周りにも居ないだろうか。こういう人を助けようとした経験がある人は分かってくれるとは思うが、経験の無い人にはどれだけ熱心に諭しても伝わらない。経験の有無で事象の解像度が大きく変わる。
普通に生きていて、普通に生活している人であれば困窮しても誰かに助けて貰える(”普通”の定義は細かく定めない。義務教育課程のクラスの中の8割に共通するような属性をイメージしてもらいたい)。この”普通の人”は社会の共助の仕組みで大概救われるのである。仮に助けて貰えなかったとしても個々の尽力で社会福祉にたどり着くことも可能。自助でなんとかなるのである。全員とは言い切れないが、大半は救われる。
共助の枠組みで救えない人。例えば虚言癖を持っていてお金にだらしなく、働く意欲も無い。口を開けば文句ばかり言ってる他責性の強い人を想像して欲しい。彼女(彼)をどうやって救えば良いだろうか?
女性で容姿に恵まれていれば救われる方法はある。風俗店で働いている女性にはこういう人がちらほら見受けられる。容姿が良いのでランキング上位に入ることもあるが、性格が災いして指名が付きにくい(結果として店を頻繁に変える)という印象。ホストにもこういう人がいるが、仕事がハマれば馬鹿みたいに稼ぐこともあるのが世の不思議。粗末に扱われたい女性に寄生して金を吸い上げるのだが、最終的にどこに行きつくのかは知らない。
ホストは兎も角、こういうどうしようもない人を税金で救うのは私は仕方がないと思っている。これらの人を救おうとするならば、聖人並みの精神力を持ち、当人に人生を狂わされる覚悟で取り組まないといけない。正直そこまでやれないし、税金でアウトソースできるのなら是非やっていただきたい。世の中の多くの社会人は同意いただけるのではないだろうか。
今回のいざこざの中で「貧困ビジネス」という単語が飛び交っている。この単語もグラデーションがあり、人によってとらえ方が異なる。酷い事例はふるまいよしこ氏が語っていたようなタコ部屋。上述のどうしようもない人を集めて生活保護を申請させ、そこから利ザヤを得るというものだ。人を人として扱っておらず人権問題である。こういうことは許されるべきでは無い(ただ、ここにも色々な事情はある)。
ここで前段に記した”保護を必要としている人”を振り返りたい。自助・共助で救えない人を救うべきであると書いたが、ここにもグラデーションが存在する。単純化するために「周りが助けてくれる人」、「自分自身で対処できる人」、「どうしようもない人」の3区分に分けて考えたい。
「自分自身で対処できる人」というのは「どうしようもない人」と比較すると話も出来るし周りにも迷惑もかけないが、税金による保護を必要とする対象である。こういう手間のかからない人を集めて保護費を申請し、自身の保有する物件に住まわせることができれば殆どノーリスクで安定的な収益が得られる。原資は税金。限りなく失敗する確率の低い優良ビジネスだ。こういうことをやってる輩に対し、SNSでは「貧困ビジネス」と揶揄しているように思う。
正味な話、日々どうしようもない人を助けていたらSNSでアニメ絵にクレーム付けたり、「表自!表自」とか騒ぐ気力なんて削がれるのではないか。人のモチベーションの源泉なんて様々だし、何言ってるかわからない人と対峙することでエネルギー湧いてくる人もいるかもしれないが…。
前段で書いた「揶揄される貧困ビジネス」を行っている人・団体・組織は安定的な収益源を拡大するためにより多くの予算を求めるだろう。しかし、その活動で本当に救うべき人に手を差し伸べているのだろうか?「貧困ビジネス」で得た収益を弁護士に渡し、上に書いた「自分自身で対処できる人」を救うことで実績を稼いではいないだろうか。それで救われる人もいるのだから全部止めろとは言わない。ただ、どういう風にお金を使っていて、誰を救っているのかは明確にして欲しい。救いやすい人を助け、利益を仲間内で回していないことを証明して欲しいのだ。
大きく2つの理由があるのではないか。一つは当該団体及びそのサポーターに「社会人として必要な実務能力」と「社会人として必要な常識」が欠けていながら、上から目線かつ自身の過ちを認めないような態度をとっていること。「社会人として必要な実務能力」と言っているのは支出をちゃんと品目ごとに整理して帳簿を綺麗にするというようなもの。また、「社会人として必要な常識」は領収書を取っておくとか、プレスリリースを書き換えたらちゃんと公表するとかを指している。
真面目にやってる人から金を集めて、使う側は適当にやってよいは許されない。しかも「社会正義のために使ってるから適当でも良いでしょ」というような態度…。こういう部分も「社会人として必要な常識」が欠けていると言いたくもなる。
二つ目は社会弱者の保護を謳っている団体が本来やるべきことに注力せず、「間接的に影響を及ぼしている」という言い分で様々な分野に喧嘩を売っていることである。アニメ絵を規制したら保護すべき人々が救われるとは思えない。閑話休題で書いたが、本業を真面目にやってたら喧嘩売る気力も残らないくらい疲弊するだろうに、日々喧嘩を売る相手を探しては噛みついてくる。そりゃ喧嘩を売られた側は意味が分からない(本来の活動とどうつながるのか?という疑問が出てくる)し、そもそも本業ちゃんとやってるのか証明しろとも言いたくなる。
ここまで書いて、「どのような人が保護を必要としているか」の段落で書いた「どうしようも無い人」が頭に過った。
『普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手の迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する』
これは今回非難されている側に当てはまる部分が無いだろうか。私はこういう人を公助で救ってほしいと思いながら、一方では存在を強く否定したい気持ちもあるのだ。
この問題がどこにたどり着くか全く分からない。私としては心に矛盾を抱えつつも、「どうしようもない人」も救われる社会を望んでいる。
だいたいが強烈な原体験を抱えていて、それに伴う怒りや憤りが活動のエネルギーになってるのよね。界隈で働きていたのでその突破力の凄さは肌身で感じている。
その怒りが社会構造に向けられているうちは良いのだけど、他の組織や支援者に向けられるとまあ悲惨。吸い寄せられて薪をくべる取り巻きが現れるし、穏健な味方は去っていくし、面倒臭いやつ扱いされて結局事業がスケールできなくなる。
うまくやれてる団体の代表者は原体験を抱えながらも「自分のような不幸の連鎖を少しでも止めたい」というスタンスの人が多いかな。身の回りの人を少しでも救いたいっていう、人斬りを止めた剣心みたいな感じ。
危ういのは、「自分のような不幸の連鎖は完全に止めるべき」っていうスタンスの人。怒りのエネルギーがとにかく強い。その「あるべき」が他者に向けられるともの激しい攻撃性が発揮されるし、果たせていない自分に向けられると自責感で潰れる。もっとも、多くの人はそんな強い怒りのエネルギーを受け止め切れるだけの心の強さもないので、結局は他責に転じてしまうのだけど。
まぁ何が言いたいのかというと、もしあなたが社会的弱者の支援活動に従事したいなら、代表のキャラクターはよく見定めた方が良い。怒りを程よい距離感で活動のエネルギーに変えられている人は超優秀。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2df5ee600e853a65b6a4bfe5ee60ce9d374827a4?page=2
その中でその犯人に対する「一人で死ね」という言葉が槍玉に挙げられているが
『川崎殺傷事件の犯行直後に自死した容疑者に対して投げつけられた「(死にたいんだったら)ひとりで死ね」という言葉。』
の()内は違うでしょ。
誰も「(死にたいんだったら)ひとりで死ね」だなどとは言っていない。
「(人を殺すくらいなら)ひとりで死ね」でしょう?
あくまでも、実際に人を殺そうとしてそのような行為に及んだ人間に対して、その行為の残虐性や身勝手さを非難する言葉だよ
しかも元首相という権力者をピンポイントで狙った山上容疑者においてはそのような社会的弱者男性による犯罪の系譜に掲げていいものかどうかも疑問だし。
共通する思想は「男性はつらい」である。フェミニズムにおいては強者と一括りにされる事への反発から生まれた物だ。俺はこれにハマっていた。
フェミニストが叩かれているのを見ると心が踊った。フェミニズムが嫌いな人間が増えるたび喜んだ。まとめや記事を夢中で読んだ。
しかし弊害が出てきた、段々と好きな作品を楽しめなくなったのである。
大好きだった作品を見返していたら「女はイージーモードでいいな」などとクソみたいな感想しか出てこなくなっていたし、普通の人なら感動する物語に「おっ理解のある彼くんだ」と思って嘲笑うしかなかった。
「女は敵だ」「自分は弱者だ」という極端すぎる思想を内面化してしまうと、当然現実にも影響が出る。
そして、弱者男性の世界と現実の世界は衝突を起こしやすいのだ。フェミニズムへのアンチテーゼであり能力主義及び資本主義へのアンチテーゼ……こんな人間が楽に生きれるわけがない。
そして、弱者男性はそのままルサンチマンでもあり、弱者と自分を規定するものだ。
例えばフェミニズムは女性性を根拠とする一方、弱者男性論は社会的弱者であることを根拠としている。
弱者であることが正義。そんな思想に依存した人間はどうなるのか、当然不幸せになっていく。
自分が弱者であるという認識を持っているにもかかわらず、団結も行動もせず女を叩き、より取り返しのつかない方へ進んでいく思想。それが弱者男性論である。
Twitterアカウントを消せ。
何か楽しいことをしたり、美味しいものを食べてくれ。お前は弱者男性ではなく一人の男だ。その権利がある。
もしも労働が辛くて辛くて仕方ないなら、生活保護を貰って休め。お前にはその権利がある。
そして、いつか幸せになろう。
追記 なんでハマるのか
政治も反日も馬鹿らしいと思っていたにもかかわらず、何故ハマってしまったのか。
所感だが、弱者男性論はある種陰謀論に近いのだ。フェミニズムという大きな敵が統計的事実にも関わらず我々を抑圧している、という構造が存在する。
しかもその事実というのは政府が集めた統計だったりするから俺はハマってしまった。
正直言って、俺は弱者男性論者には賛成しないが(論者を幸せにしないから)マスキュリズムには賛成している。ある程度男性が無視されているのは事実だと思うからだ。(弱者男性論はそれを女叩きとして使うが……)
Twitterを開けばcolaboの話題ばかりで本当にうんざりしている。デマとかそういう以前に、あまりにくだらないとしか言いようがない。
そもそも「公金の不正使用」とか「税金の無駄遣い」とかの問題にやたらに熱心な連中は、相手にすべきではない。
第1に、実のところ問題にしているのは「公金の不正使用」などではないから。10数年前に官僚・公務員の「税金の無駄遣い」を執拗に攻撃していた人たちが、安倍政権下のモリカケ問題を熱心に擁護し、現在の五輪汚職でも何一つ反応していないのがまさに象徴的だ。本来の主張を正直に主張すべきなのだが、それだけと支持者はごく限定的になってしまうという計算から、「公金の不正使用」「税金の無駄遣い」の問題にすることで、中間派を騙して釣って味方につけようとしているわけである。悪質としか言いようがない。
第2に、colaboの「公金の不正使用」を暴き出すことに成功したとして、そうした扇動的な世論の盛り上がりの結果起こることは、業務を委託されている公益団体が「不正をしていない」ことを証明するための余計な業務が激増するか、めんどくさいからすべて民間の営利企業に丸投げするかになるだけで、おそらく社会的弱者にとっては何一ついいことがない。兆単位の金額の不正や政府や政権の中枢が関与しているというならともかく、一NPO団体の「不正」に血なまこになる理由がどこにあるのだろうか。今のところ、悪質な詐欺や犯罪的なことに手を染めているわけでは全くなく、その「不正」に対する怒りとしては度を越しているとしか言いようがないだろう。
この問題の発端である暇空茜氏は完全に馬鹿馬鹿しい陰謀論に染まっており、最大限好意的に見ても立花孝志と同じレベルの人物で、まだ真面目に付き合っている人が多いのが不思議である(特に弁護士など知的職業に従事している人で)。
(追記)
正面からの批判ではなく、揶揄・嘲笑で批判するというのはこれまでもよくあることだけど、それに「そんな話題に興味持っているのお前だけだろ」みたいな新手の揶揄が登場していることが驚き。
増田のホットエントリも一時期この話題だらけだったから、否応なく目につくし、興味を持つなというほうが難しいはずで、「そんな話題に興味持っているのお前だけ」は嘘と断言していい。
働く意欲が湧かないという時点で社会的弱者なので、救済されるべき
セクハラ国会議員ジジイとか金で女を買うジジイとか、それってキモいというより「性的嫌がらせ加害者」「売春防止法に抵触した犯罪者」じゃん
でもキモいと言ってしまったがために、 その辺にウジャウジャいる性的嫌がらせ加害者や売春防止法に抵触した犯罪者が、自分らが加害者・犯罪者であることを誤魔化すために「キモいは差別用語!!!酷い!!!弱者を差別するな!!!!!!!」と大声で喚き散らすことになってしまった
いじめっ子が弱者ではないように、性的嫌がらせ加害者(いじめっ子)は弱者じゃないし、貧乏人から内臓を買い取って自分は健康体を維持する金持ちが弱者ではないように、売春防止法に抵触した犯罪者(貧乏人の臓器の中に自らの性器を擦り付け快感を得る行為を金で買う金持ち)も弱者ではない
むしろ強者なのに「キモい」というただこの言葉だけで、彼らの行動は全て無害化され、キモいと言った仁藤が圧倒的悪者扱い
特に限界集落はてな村(スター数10くらいでも人気コメントになれる)には、エコーチェンバーで売春やセクハラを当然と思い込んでいるジジイが多いので余計に悪者扱いがひどくなっている
「表現の自由」問題が盛り上がっているが、前々から思っていることとして、「表現の自由」は以下の三つの立場に分けて理解されるべきだろうと思う。
「どんな不快で差別的な表現であっても、お互いにそれを我慢して認めるのが表現の自由であり、表現への批判それ自体も表現規制につながる危険性が高い。」
「不快で差別的な表現も認められるべきであり、政府による表現規制は好ましくないが、表現への批判も表現の自由の一部であり、そのリスクはきちんと引き受けるべき。」
「不快で差別的な表現を放置することは、社会的弱者やマイノリティの表現・言論の自由を行使する機会と意欲を奪うことになるので、真の表現の自由の実現ためには一定程度は規制されるべき。」