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はてなキーワード: 町工場とは

2021-02-18

anond:20210218131347

ついに、そのへんの町工場から地方をつうかして、鹿島本体に話は到達(本当はどこだかいえないCloudEdge)

2021-02-15

秋葉原シャッター街だらけになってるって発狂してるオタクが多いが

アングラ感と技術両立させたいならIT企業って言うか、IT町工場をいっぱい作れば良いんじゃないの秋葉原

朝に『〜な感じでマクロ組んどいて』ってサンプルデータ渡して、

昼には出来てる料金1万円って感じの

2021-01-28

日本賃金が安いということは喜ばしいこと

価格で優位に立てるわけで

中共台湾韓国下請けとして活躍できるぜ

日本町工場の力の見せ所!

2021-01-12

エンジニアとして」みたいな記事がいっぱいあるけど、なんで "IT" エンジニア製造業プラントや、それこそ町工場おっちゃん達を代表して「エンジニア」面してるんだろうね。

anond:20210112001349

難易度が異様に高い殺人的なプログラム研究所・その下請け町工場という順番で受注すると思うか思わないか?思うなら、あたりまえだろうな。

2021-01-08

ほとんどの仕事は一桁ナンバープログラマーなんていらない。

大体3桁ナンバーから4桁ナンバートラブルがたいてい。

町の小さな仕事というのはペンキ塗りとか、クロスの張り替えとか町工でできること5桁ナンバーでいい。

ただ、2桁ナンバーを全くしらない町工場がやると、そのレベル問題がおきたときに、事前契約がないという理由で、一切協力ができず、納品不能に陥り、返金。当然 億単位の返金。

かけたお金はすべて支払いで2倍の損失で億が消し飛ぶという事故は、大手ではたまにある。

そんなもの無防備突入するやつらがでると、国が止めるしか無いが、これは迷惑

業界無視新規参入を助けるためにとめるとはなにごとだ。

あるいみ、見せしめ死ねというしかなくなる。

 

から必ずいざというとき事故を起こしたらどうするのか?

二桁ナンバークラスに話は通しておくのが筋。

PHPを使った、ちょっとしたホームページを作りたい2000円

そんなものはどうでもいいが

トラブルにお客さん100人と巻き込まれる、作業員が 数十人が各都道県で・・・

こうなると、万人単位トラブルになる。

そうなると、根本で締めるて指揮命令。これはまぁ、大手スクールとはなるが。

まぁ2桁ナンバーとか1桁ナンバーを1人はやとっておいてくれ。

話が通じない

 

これはどこもそういうもんだろ?

2020-12-21

anond:20201221003203

現場からデザインについて上がってきたとして取り入れるか?

商品構成についてお客様からこうありましたと上に報告してそれに合わせるか?

商品の産出コストがどんなものわからんのかそれに関われるほどの単価つまりオーダーメイドレベルでもないと現場の声みたいなもの意味なんて感じないよ

一流ブランドデザイナーチームリーダーになったとしてパートのおばちゃんが近所のおっさんが卸してる布地がとてもいいからって現場の声があったら専属オーダーして値段下げてる紡績取引から町工場おっさんの布地つかうか?

自分の財布から出す金で世界が変えれると思ってるお子様は拡声器公道で使うなって感じだよまったくもう

2020-12-18

anond:20201218091507

日本中どこでもそうだが

自営業、在宅勤務するわけじゃなきゃ、都心部じゃないと高給な仕事はないぞ

 

青梅市の平均所得年収

2019年平均所得317万4434円 

indeed青梅市求人の様子

https://jp.indeed.com/jobs?l=東京都+青梅市&radius=0

 

ちなみに

1位 港区 1217万218

2位 千代田区 1081万5822円

3位 渋谷区 872万9986円

ドベ 足立区 346万8869円 ← 元宿場町農村町工場現在に至っても大企業がない

2020-11-10

anond:20201110131637

それをやると、株式家族で持ってる部品製造下請け町工場とか小さい酒蔵とかだと、相続税の支払いに困って事業継続が困難になるのではないか。無理に赤字を累積させて株式評価を下げることはできるけど、そうなると銀行融資が厳しくなるはず。

維新が似たようなこと以前いってたけど、こっそりひっこめた。

2020-10-27

anond:20201026003439

ガラケーでもネットはできるけどなあ

親が町工場従業員のわりに裕福すぎるし

なんかリアリティないんだよな

高校まで電車乗り継ぐなんて普通だろ

大学なんか二時間かけて通う人もいるし

実感のあるエピソードが少なすぎる

2020-10-26

日本から捨てられた土地で生まれ

この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。

私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。

私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。

そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。

家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段テレビ新聞学校図書室だけだった。町には本屋もなかった。

私は決して学校勉強から遅れることはなかった。地元中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまり偏差値が違いすぎたため、バス電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。

あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領アカウントフォローした時には、テレビ新聞世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。

同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強したことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォン参考書自分朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。

その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学限定した。仕送り必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビしか見れないものだった。運良く私の家はBS契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画テレビYoutube予告編しか見れないものだった。アカデミー賞カンヌを取るような映画は大抵東京最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷ミニシアターヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。

私はどうにか大学受験をして東京とある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。

初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供ときに見ていた日曜日昼の番組中吊り大賞などというのがあって週刊誌記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。とき週刊誌卑猥コピー小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京最初に印象に残ったことだ。

私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。

そこである東大慶応学生たちと出会たことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業渡り歩いているらしかった。全員都内実家があった。

私は、自分と彼らの家庭環境のあまり格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンド仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。

他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校カリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校テキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかやす説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。

私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大合格できた。

私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちからまれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語勉強のために夏休みカナダ語学留学をさせて、ネイティブ発音などを身に着けさせていた。私は英語勉強が好きだったが、流暢な発音馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3ダウンロードした英語スピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれ環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。

私は自分人生を激しく呪うことになる。生まれ場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。

私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。

私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴武器にこの後は一流企業就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間そもそもいらないのだと。だから勉強する環境手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。

私が大学卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣大学試験について「地方学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ地方土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。

また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネット地方で使うインターネットはまるで別物であるインターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCプログラミングというもの存在を私の田舎認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供プログラミング教室などに通って小さいころからそういうもの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態インターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場人間発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親からまれ子供だけである田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。

話が脱線してしまったのでもとに戻す。

私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎もの必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。

とにかく必死だった。帰る場所必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去日本が課した呪縛から逃れられていない。

こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かにまれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定いいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。

追記1

めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。

高校には社長の息子とか医者ゴロゴロいたでしょって話について。

同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子もっと都会の私立学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方公立の方がレベルが高いので。

同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。

友達床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。

でもみんなよく勉強してました。

同級生殆ど地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebook検索したときインターネット系の大手で働いている人はいました。

追記2

追記を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20201027203138

2020-10-24

追放系ってどういう作品なの?

天才神童として神学の道に進学したけど同性愛に目覚めて今は町工場で働いてます』みたいな感じ?

2020-09-24

anond:20200924133408

キリスト教圏と価値観共通してるって発想がまずアホすぎだし、中国共通価値観無いってのも歴史観無さ過ぎだし、やばいやつだって言ってんだよw

 

注文者としての圧力使って町工場に視察強要して、技術盗んで町工場潰してるアップル悪口やめろよ!

資本主義に基づいたら何やってもいいと思ってんのか?

2020-09-13

anond:20200913161551

学者でもべつに

私大の平教授とかで

文科大臣でもなければ

作家が本を出してる版元の社長でもなく

日本出版業界会長でもなければ(そもそもそんな役職存在しない)

作家個人に対しては赤の他人絶対的権力者でも何でもないわけで

(下手すりゃ作家の方こそ知名度社会的地位がずっと上の場合も)

それが「個人意見」を言うたらイカンとなったら

そっちのほうが言論弾圧だと思うんだけど

じゃ、肩書きが「学者」じゃなくて「社長」なら

作品感想自由に言って良いのか

(これもトヨタソニー社長から町工場社長まで社会的影響力はピンキリだ)

学者じゃなくて芸能人なら良いのか? 同業者作家同士なら良いのか?

自衛隊員なら? 新聞配達員なら? 専業主婦なら?

こう考えていくと学者発言だけ問題視されるのは

学者に対する職業差別のような気もするのだが

元の社会学者発言内容自体はいっさい何も擁護してない

たぶん市井の一個人でも元の社会学者と似たようなこと言ってる人はいると思う

でもいちいち問題視されないよね

それは叩いている側こそ学者権威

過剰にあがめ奉ってしまっているからではないのか

2020-09-11

anond:20200911112230

人力でなんとか回しちゃうから「まだイケる」って相手方も思っちゃう

そこらの町工場とかのレベルからFAXが届くわけだからそういところは単純に金もないんだろ

花王の件も似たようなことで小口の客は逼迫してないもの設備投資するような金がないんだろ

2020-08-24

anond:20200725112945

いきつくとこ無能は消費だけして、才能あるやつだけ働く権利をやるという社会主義体制になることでは?

途中にBIがあって、何もせずとも現在価値20万ぐらいもらえて最低限は暮らしていけるが、わず10%ぐらいの選ばれた働く権利のある人は最低手取り200万はあって、400万ぐらいは税金でさっぴかれてるような。最分配として10人中能力のある1人が20人分のBI払ってやるわけ。

どっちにしろもう少しAIドローン進化すれば、コンビニ程度のバイト初音ミクがやってくれるようになるし3K仕事ペッパー君がやってくれる。

今、資本格差拡大は止めようがなくて、実質99%の人が働かなくてもほとんど自動化で行き渡る食料も太陽資源もあって、それでも人が働かないといけないのは働く以外に「資本の再分配」をする方法がなく「生きがい」を保てないから。

でもどんどん技術が高度化していく世界で、労働人口全てが「働いて再分配をもらう」事にもう限界があるわけよ。改善に乏しい古い大企業雇用を維持していくことも、政治のために動いてる道路建設交通などの大企業雇用も、利権まみれな上どこまで延命させどんな重病でも治すかのような医療制度も、人口が増える前提での年金も、その複雑な社会保障市民サービスを維持するための公務員完璧さと公平さを保つために莫大なコストかけてるが、この大半が利権メンツバカなお客に怒られないために過剰なコストかけるような真面目なやり方じゃ国は赤字で成り立たないわけさ。

使わない道路建物や、複雑な社会保障システムを公平に維持するために莫大なコスト払ってもなんの生産性もないだろ?

無理してでも働かないと、無理してでも雇用を維持しないと、無理してでも失業率改善しないと「再分配」と「生きがい」を保てないてのがおかしいわけで。それで一生懸命ブラック企業を生き残らせて、古い価値観とやり方の大企業を潰さないように雇用も守って、クソみたいな上司となんの意味もないクソみたいな仕事をやっても未来ないべ。

社会保障管理公務員をたくさん雇って賃金払うより、BIという仕組みで再分配するからその働く時間ゆっくり子供育てたり、遊びに消費する時間増やしたほうがいいでしょ。Googleに入る能力があったり、最先端町工場改善特産品を作製する能力があったり、働ける能力があるやつだけ働けばいいわけで。

労働はいずれ「AI」に取って代わられる。それにともない衣食住や社会保障サービスはどんどん無料に近づいていく。そのどこかのポイントで「お金」と「資本主義」は消え、働くことはお金のためじゃなく、それを本人がやる意義があるかどうかの「生きがい」か、人類としての問題解決に絞られていく。

2020-08-10

anond:20200810131129

割と繊細男子多いぞ

騒音がとか年がら年中言ってる

ワイが面倒みてたアラフィフ男子住民の質がとか騒いどったわ

 

ワイは町工場(プレス機でガコガコやってる)の隣かつダンプカー及び大型トラック駐車場付近木造アパートで幼少期を過ごし、

会社が手配するマンスリーホテル繁華街だったりレオパだったりしたので

騒音にはかなり強いけどそれでもSRCマストやな。手取り10万の時だってRC造に住んどったぞ

その分、食費削られるけど必要経費よな

2020-07-28

anond:20200728112215

中卒の町工場で働いていても、

機械ロジックの呑み込みが早い人とかも「自頭が良い」に入るので

学校勉強ができること自体は、自頭の良さには含まれないと思う

2020-07-20

いや

年収200万でも1000万でもいい

から、300-400億円ぐらいのものでも 5000万円ぐらいで 小規模なら作ってやれる。

ただ、それを見た人間勘違いをして

おれたちでもできるとやって、会社を潰すことがある。

ひとこえかけてくれれば、これは大会社研究をもとにしていて などなど

せつめいしてやれる

1万回転のエンジン町工場単独で作れるわけがない

ふつうはわかるんだが、

プログラム業界だとまだ、勘違いがたまにある

やるまえなら一報を貰えればとめにいくんだが、であるがゆえに、ちょっとがんばれば解決する程度となめてかかるやつがでちゃう。 これが大問題成る

大手仲裁に入ったらしいが、しらんよそんなもん。末端には、そういうふうに伝え聞く程度。

2020-07-07

阪神が弱すぎる

僕は3年ほど前、仕事精神的に参ってしま無職になった。そのまま1年をかけて僅かな貯金を食いつぶし、しかし再び働くことができず困窮していた。

足繁く球場に通うほど野球観戦が好きだったが、その頃には最早テレビを通して見ることすらままならないほど精神的・金銭的に追い詰められていた。

早い段階で実家を頼れば良かったのだろうが、ほとんど家出のような形で実家を出たためどんな顔をして頼ればいいかからず、とうとう僕は自殺視野に入れた。いつ死のうか、どこで死のうか。そう考える毎日だったが、ある日突然父からメールが来た。

元気か?会えるなら会おう

僕はここが人生ターニングポイントだと確信した。ここで父を頼らなければ僕は本当にこのまま人生を終えてしまう。僕は死にたくもあったが、やり直せるならやり直したくもあった。

そこで僕は腹を括って現状を赤裸々に伝え、あの日、今まで育ててもらった感謝言葉もなく飛び出して行った僕の非礼を詫びて、頭を下げて、頼らせてほしいと伝えた。

その日、父は僕を実家に連れ帰った。

久々の実家は気まずかったが、父は僕が実家にいた時と同じように野球中継を流しながら晩酌をする。僕は居心地悪くそそばに座って、母の出す料理を食べていた。

父は何も聞かなかった。僕がずっと何をしていたのかも、どうしてそうなったのかも。ただひたすら大好きな焼酎を飲み、テレビ視線を送っていた。

僕は父に合わせて野球中継を見る気になれず、そそくさと食事を終えて席を立とうとする。するとそこで、テレビから大きな歓声が流れた。

その日、阪神タイガース東京ドーム巨人戦を行なっていた。巨人の先発は菅野で、そんな試合はいつも負けるはずだった。なのにその日は、阪神菅野をこれでもかというくらいに打ち崩したのだ。

それまで無言だった父は立ち上がろうとした僕を呼び止め、こういった。

阪神菅野を打ち崩せたんだ、お前も出来る。俺が応援するよ」

しかし僕は何か言葉を発したらそのまま泣いてしまう気がして、無言で席を立った。

僕はその1ヶ月後、小さな町工場で働くことが決まった。ゼロからスタートでしんどかったが、家に帰ると父はいつも通り野球中継を見ながら晩酌をしていて、それが僕の心の支えとなっていた。

早く今の職場に慣れて、父の好きな焼酎とそれに合うグラスを贈って、あの日のお礼を言おう。それから出来たら、一緒に甲子園試合を見よう。

僕はそれを目標に、むちゃくちゃに働いた。

そんな矢先だった。

コロナ流行最中、父は肺炎のような症状が出た。すぐに病院検査をしてもらい、その結果が肺癌だった。末期だった。

母は父のいないタイミングで僕にそう告げ、あと数ヶ月だって、と言いながら涙を流した。

ビデオの早回しのように父は一気に老け込み、僕は会うのが恐ろしくなってしまった。

野球中継を見ながらの晩酌はなくなり、父は時折散歩に出る以外はベッドで寝て過ごしている。

僕は毎日仕事帰りに実家に寄って夕飯を食べ、父の顔を見て家に帰っている。しかし確実に弱りつつある父をいざ目の前にすると、なんの言葉もかけられなかった。

阪神あの日のように強くいてくれれば、あの日の父のように僕は父に声をかけることが出来るのかもしれない。励ますことができるのかもしれない。

僕はありがとうが言えないまま生きていて、深夜に風呂の中でその日の試合結果をチェックして、湯船に顔を沈めて泣いている。

2020-06-24

https://anond.hatelabo.jp/20200624011350

大田区には田園調布山王のようなお高い地域もあれば、町工場ばかりみたいな昭和っぽい下町もある。

蒲田みたいな雑多な繁華街もあれば、マンションが乱立する人口密度の高い住宅地域もある。

住んでいる人もごった煮地域だよ。

anond:20200623211523

台東区以外は比較的新興の住宅地下町ではないのでは。大田区とか杉並区とかむしろお高く止まってるイメージなんだが

台東区だけど土地相続で家はボロめで家業町工場のザ・下町育ち庶民だよ

あと下町育ちのセレブも成立するから

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