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2020-05-15

anond:20200515003331

政治家じゃなくて町工場のしゃっちょさんくらいなら良かったと思うよ

2020-04-27

anond:20200427050251

ねえちょっとまって。

貧困に窮してる女性その人の、女性その人自身がもうからない」ということなんだけど。

個人で見知らぬ人に対して安全確保だの事前確認だの制約の厳守だのセルフマネジメントできるわけじゃないじゃん。

だと割のいいプラットフォームに乗りたいと思うよね。売れてるお店で働きたいって。

そうなると、それで儲かるとみた競合がでてきて、相互に成り立たないと不利益になる条件や相互抑制しあう状況になるよね。

売れる所には売れっ子がでて、そこで売ったほうが高効率だけど入れないとか、じゃあその次、その次の条件だけどしかたなくその次、と下がっていくよね。

商売で競合に並ぶとはいわずとも同じ市場で生き残るためには、内容も相応だけど価格も相応に顧客の満足が「価格、機会、品質」のバランスを料金と等しいと感じる位置に設定する必要があるよね。

まさかブランドバッグと100均の袋が一緒と思ってる人はいないとおもうけど、100均の袋はそんなもん買う必要がないとして売れてないわけではないよね。数量としてはブランドバッグより売れてより多くの機会で使用されているよね。

逆に100均カバンうってるからってブランド品がカバンの総量について危惧することはないよね。

風俗店に行くって言ってる時点でそのプラットフォーム市場に乗るってだけの話で、やくざ不条理にその市場を閉鎖的にしているため安いサービス存在していない、従業員の扱いについて下の下にする必要がないというかそういうプラットフォームは参画不可になるという実情がない現在素人低価格短期間に機会を衒う、ほんとにはした金で生命危機に瀕する事もでてくる可能性があるわけだよね。逆にほんの出来心であとくされなく一度だけ体を売るってこともできるわけだろうけど、そこで生命危険などに関わるハズレくじをひく可能性もその後になにかすべき手段もないわけだよね。

そもそも女性貧困になることが多くなる、身持ちの良い人がそこに落ちてくるって時点で男性もたいがいに貧困に足つっこんでるはずだよね。だと起こりえるトラブル市場ランク想像つくんじゃない?

トラブルが増えればそれを阻止しているという名目ピンハネは大きくなっていくだろうし、競合や市場が大きさを増せば金のない客層にも売るために大幅に価格は下がるでしょう?

それでいて女性本人に割のいいとはいえなさそうとは、想像に難くないと思うけど。

じゃあ安い町工場で働けよって言うかもしれないけど、そこをクビになってきてるわけでしょ。

まともに8時間立ち仕事工場勤務なら寮完備で工場勤務もあるかもしれないけど、それができない人がいるわけじゃん。それでセーフティーネットって話になるんでしょ。

時間で5千円ほどもらえたらわりにあってないたか報酬かといわれるかもしれないけど、体を危険さらすのが楽な仕事ってわけないじゃん。

労働に見合った対価とかでいえば、ワンクリックで一時間五千円ほどになる証券取引とかオンラインでしてるのはどうなるの?税率9割とかにしないとおかしくない?

ね、女性にぜんぜんいいことないと思うんだけど、これしないですむ方法があるなら、チャットレディとか増えるとかならまだぎりいいかもとおもうけど、それよりその市場プラットフォーム整備をおっさんがしておっさんが設けるために女性が安く仕入れることができるチャンスがくるっていい方とかそういう市場の作り方ってあまりよくないと思うんだけどどうかな。

2020-04-21

anond:20200421205455

小さい町工場でおじいちゃんじゃおばあちゃんが手作業で作ってるんだ。

最新式の工場機械大量生産されるのに比べたら品質はおちるけど心はこもってるよ。

2020-04-15

anond:20200415011503

性善説で語られてるから愛に溢れてるけど、性悪説だと悲惨になるよね。

子供を作ることが目的になって、クズ親が赤ちゃん町工場を作りまくる

2020-04-03

マスクバッシングされて

マスクを作ってる業者は大ショックだな。

小さくて古い町工場で老経営者や老従業員が細々と作ってたのに(←想像)脚光を浴びたばかりに「こんなものつけいないほうがいい」とか言われちゃって。

2020-04-02

anond:20200402161801

そこでプロジェクトXみたいに大田区町工場に押出成形機をつくってもらってダイが3年まちのところ人命救助って割り込ませてもらうんでしょワクソワ

2020-03-29

ロックダウンの恒例行事化で地方活性化

Wikipedeaによると、ここ100年くらいの間にスペイン風邪から数えて6回のパンデミックがあったそうな。

スペイン風邪アジア風邪、エルトールコレラ香港風邪、A(H1N1)pmd09(新型インフルエンザ)、COVID-19(新型コロナウイルス感染症

かつての感染症と違って、現代感染症のほうが現代医学で制御できると思ったりもした。しかし、制御できるどころか、現代医学の発達以上にヒトの移動の激しさと、都市人口密度によってかつてない速度で世界中に広まっている。

今回のCOVID-19が単年で終わったとしても、数十年に一度は違う感染症パンデミック騒ぎはあるのだと思う。そして、COVID-19が単年で終わることもないように思う。

ロックダウンは毎年の恒例行事なのかもしれない。

けっこうな対策費を計上するわけだが、来年も再来年もその額を出すのは不可能だろう。

今年制御出来なかったら、来年、再来年もっと悲惨なのだ日本中国のようにヒト、モノ、カネを躊躇なく使うべきだと思うのだが、まあそれはいい。

しかし、経済も悪いことばかりではないように思う。

人口が多い都市の閉鎖が毎年のように起こったら、都市生活することをリスクと感じ地方を好む人も増えるだろう。

お金があっても、タワマンより、戸建ての豪邸に住みたくもなるだろう。

そういうわけで、東京大から地方都市へ、地方都市から地方の小さな市町村へ、人口流入すると思う。

地方仕事がないとそんなことは起きえないと思うかもしれないが、地方仕事も増える。

こうも簡単予測不能工場が止まると、大きな工場を一か所建てて全世界へ出荷するというのも難しくなる。必然的に、工場の数は増える。

国を超えての輸送さらに困難だ。

メキシコでつくってアメリカに輸出なんてリスクしかない。

トランプ恫喝しなくたって、いろんな州に工場が建つ。

今よりもっともっと部品材料供給元の数は増やされ、世界中中小町工場も潤う。

小売りだってイオンのような大型店の一人勝ちじゃなくなる。感染症蔓延していて、一人の感染者が出ると、二桁三桁の濃厚接触者が出るような大型店は営業がままならない。

人は生きているのだから、生きてる限りなにかしらの消費はする。そのための生産活動がある。腹が減ったら飯を食うし、機械が壊れたら買い替える。経済活動がなくなるわけじゃない。

2020-02-22

からある町工場のかっこいい「工」の字

縦棒が⚡️になってるやつ

あれ好き

令和に興した工業系のスタートアップ企業積極的に使っていってほしい⚡️

2020-01-29

子供の頃に住んでてもうない家の思い出

●二階だった

借家だったので二階だった。一階は小さな町工場だった。外側に階段があってそこから家に入った、階段の手すりに布団を干したりしてた。

●お風呂がガスだった

風呂場はまるい石が敷き詰められたタイルだった。お風呂を沸かすときガスコンロみたいな感じで点火してお風呂を沸かしてた。なかなか沸かなかった。

●汲み取り式のトイレだった

なんか怖かった。

おやつ母親が作ってくれた

ホットケーキプリンとか。ホットケーキに絵を描けると教えてくれた。

ハムスターオウムを飼ってた

両方とも逃げた。

病気がちだったのでよく温度計を使ってた

電子式じゃなくて水銀の膨張を利用するやつだった、わきにいれたまま寝ておってしまって怒られた。

冷蔵庫が緑だった

緑だった。

●古い白黒テレビがあった

最初リビングにあったが後で子供部屋に来た。兄が夜中に起こして「おもしろいよ」ってスタートレックを見せてくれたけど寝てしまった。

なんか思い出して懐かしかったんで書いてみた。

2020-01-14

ゴーンがキャロル夫人との不倫から気づきはじめたのウケる

キャロル夫人とは不倫だったらしい。キャロル不倫し始めてから

レーシックして眼鏡やめる

・髪大大増量

眉毛整える

ファッションを垢抜けないおじさんからセクシーエグゼクティブ系に

・豪邸やクルーザーなどを突然買いまくる

なおゴーンがやったとされる日産資金不正は偶然にもキャロル夫人不倫し始めた頃から始まっているという。ウケる。ゴーンの野郎、色気づきやがって……

不倫前は確かに町工場おっちゃん社長のような垢抜けないイメージキャロル夫人青森県職員たぶらかしアニータみたいな人なんかね?

2020-01-09

anond:20200109151708

関係ないけど、町工場は今のイメージと違って昔は残業で高給とりになれる時代があった

anond:20200109151942

どうしても貧乏な街を作りたいのね

かに町工場ばっかだとそうなるかもね

anond:20200108175647

葛飾町工場のおばさんがこれを書いていると思うと面白い

実際は東西に差はないし、どっちにも高所得だって住んでるし、町工場レベルもある。そもそも世田谷が全部田園調布二子玉みたいだと思うなよ!

もしかして東京知らない?

2020-01-06

anond:20200106230536

町工場の金型をなくしたら医療機器病院も作れないからまず零細企業の時給を2000円以上とし次点医療関係者にすべきだろうな

anond:20200106230326

介護士の時給を引き上げるならまず町工場の時給を上げるべき。なぜならあらゆる産業の根幹だから

2019-12-22

anond:20191222175107

中小はともかく零細町工場で働いてても結婚できないのは統計上明らか

2019-12-02

スキルアップに臨みなしってなったエンジニアはどうすりゃいいんだ?

町工場ってわけにいかないだろうし(そっちのほうがレベルたけぇ)

営業職ってわけにもいかない

教えるほどスキルがあるわけでもなし

2019-11-20

キャッシュレスの最大の弊害市場町工場

anond:20191119183122

現金化が~とか言うじゃん。中小はそんなに待ってられないとか

いやね、お前らこそ対応しろよ。市場の仲買人や給与手渡しの町工場共よ

もちろん個人法人が同じで良いのかってのもあるけど、そういう仕事での金の支払いがキャッシュレスで出来るならすぐに普及するよ

飲食店市場仕入れるのにキャッシュレス使えれば、店の支払いもキャッシュレスの方がイチイチ入れなくて済むから楽でしょ

企業からの支払いもキャッシュレスなら、そのまま社員キャッシュレスで金を払えばいい。現金にしたかったら今は口座に引き出すことも出来るし

もっとBtoBキャッシュレス化を推進しようよ。そしたらBtoCだって活性化する

もっと確実なのはパチンコパチスロ公営ギャンブルキャッシュレス化だな。一気に普及するね。公営ギャンブルの換金だってキャッシュレスで充分。パチンコパチスロは知らん

2019-09-16

故郷を思い出したので自分語りしてみる。

ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。

静かな入り江からさな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。

最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去ホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。

ただの個人経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。

この日記結論はこうだ。

かに東京人間想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会再生産されているということ。

自分東海地方の海沿いの寂れた漁師町に生まれた。

名古屋まで電車で1時間半以上、文化的施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。

2軒の本屋万引き被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。

1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らし年寄り趣味でやっている畳屋と宝くじしか無かった。

街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。

家族母親と母方の祖母のみ。

高卒で一度も町からたことのない母親は、漁師相手にする場末スナックで働いて自分を育てた。

同じ町で漁師をしていた父親フィリピンパブ出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親離婚した。

それより前には「キミの父親不倫をしているんだ」と小学校の同級生母親から聞かされた。

相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。

最後父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。

その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。

こんな家庭環境は、東京自分が属するコミュニティでは聞かない。

なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。

親が大卒同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。

自分博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。

あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面通底していた。

さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。

世代職業漁業水産加工町工場自動車修理で、小中学校教諭公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。

スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。

町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。

クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。

そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックフィリピンパブギャンブルセックスくらいしか聞いた限り思いつかない。

かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。

ギャンブルパチンコ電話投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元暴力団が元締めをする高校野球賭博流行っていた。

暴力団偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車スウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである

まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力ギャンブルだった。

そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会フラクタル図形のように構成していた。

小学校の頃には駄菓子屋コンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。

暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。

そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。

小学6年生のとき教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。

メガネは弱いもの象徴で、勉強議論をするような人間排除対象だった。

文革かって感じ。

反対に、野球が上手いか、足が早いかケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。

動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思合意感情とその時の雰囲気で決まっていた。

そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除対象となる。

真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。

授業中には廊下自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族野良犬があらわれる。

トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。

教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。

一方で登校している生徒にとっては、校則フーコーパノプティコンも真っ青な規律自動化させるもので、髪型男子坊主女子は肩まで。

他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。

校則を破らなくても、目立てば排除対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。

そして積極的に学んだり考えることが嘲笑対象であったので、そこでもやはりセックスしたことがあるかとか、バイク知識があるかとか、そういう分かりやす尺度ヒエラルキー構成されていた。

授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分地元も同じだった。

テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベル勉強に対する姿勢で、将来は男子工業高校女子商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。

ここまでは自分ライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。

はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。

ただ、地元の話は中々難しい問題はらんでいる。

ここからは冒頭に述べた「社会再生産」について触れたい。

さて、経緯は知らないが、自分幼稚園の頃にIQテストを受けた。

そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親コメントをもらったらしい。

大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分都内海外の全寮制の学校小学生のうちから預けようとした。

だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。

当時のことはよく覚えていて、理由友達と離れたくなかったから。

その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。

ただ、結論からいえば、自分結果的に完全に故郷を捨てた。

小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。

早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員時間図書室でひたすら本を読んだ。

そのうちに、自分生活する社会根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会存在することを知った。

哲学思想系の本はもちろんのこと、西洋美術画集建築写真集に心を揺さぶられたし、マーラーCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。

めちゃイケを好むふりをして、自分加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。

そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方公立トップ校だった。

他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由ものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。

通っていた高校地元から電車を乗り継いで1時間は掛かる。

入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会社会階層自分は組み込まれたと自覚した。

同級生の親の職業は、医者弁護士会計士大企業社員ばかりだった。

誕生日には名古屋デパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。

彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォード留学中とかそんな話も当たり前にあった。

幼い頃からピアノバイオリン書道バレエスイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。

彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアル人間とできたことだった。

そして何より彼らは、自身解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。

もちろん性やギャンブル暴力ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体享受するだけでなく、思考対象としても話題を取り上げることががあった。

高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。

今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。

ただ、当時の自分には、その選択肢はなかった。

なぜなら、受動的に与えられたその社会自分のすべてだったから。

母親母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。

自分たまたま自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。

なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから

自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。

パチンコ新台や、友達奥さん不倫をして旦那相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。

もちろん、そういった社会自分経験したような)を否定する理由はどこにもない。

ただ、自分故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会適応しきった人々である

有り体にいえば、将来の選択肢存在すら意識できないのが自分体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのもの封建的否定される強い構造を伴っている。

からこそ、自分田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。

もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会存在することを予期している人も稀にはいることだろう。

幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身好転させるにはあまりにも遅い場合が大半である自分は思う。

そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。

それくらいに共通言語がもはや異なっている。

母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。

一方で、開成筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的自分が望んだ社会享受してその上に今も生活を営んでいる。

それは誰でもそうであるように、最後最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである

自分依拠すべき地域地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである

そして同時に、自らの強みは故郷がない事であり、海外に出ることも辺境の地に赴くことも、自分さえ許せば可能となり得る。

今朝の夢に現れた、小さな漁船はきっと自分自身だったのであろう。

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