はてなキーワード: 甲斐とは
社会人になって3年が経った。
自分が大学受験のときに思っていたよりも大学というものは一生ついてくるのかなと思った。
高校受験をして、トップが阪大、専門学校に行く子もいる、なんちゃって進学校に入学した。寮生活が面白そうだったから…
しかし入学してから気づいたのは、受験に対する意識が甘さ。公立大学の付属校なので、先生も進学指導に対しそこまで気力もなく、さらに田舎なのであまり経済的に恵まれた人もいないせいか、実家から通える地元の公立を目指そうというレベルだった。
周りの甘っちょろい受験への姿勢が恐ろしく、高2から、土日は東進でビデオ学習と自習に充てた。
その間に寮生活の友達は、親の目もないのであまり勉強していなかった。
テストで同レベルや私より上位だった子も、私よりかなりレベルを落とした地方の国立大学を受けるか、浪人していった。
あの時東進に通っていた土日に勉強しておいて良かったなと思った。
就活でも社会人になってからも余程の技能がない限り出身大学のことは言われ続ける。新卒採用もあからさまに区別される。大学受験では上位の大学に行くに越したことはないなと思った。
大阪市とサンフランシスコ市における、慰安婦像をめぐる姉妹都市甲斐性の問題について。
先日、大阪市の吉村市長が先方の不誠実を理由として姉妹都市を解消した。
ところがそれに狼狽したブリード市長が「一方的に解消することは出来ない」などと言う妄言を吐いたらしい。
大阪市としては、先方に対して猶予時間を与えて返事を待っていた。
それに対してこのバカ市長はそれを黙殺して、大阪市側の誠意をコケにしたのではないか。
この期に及んで「一方的に解消することはできない」だなんて、本気で言っているのなら精神疾患なのではないか。
初めて出待ちをした。
本当はするつもりなんてなかったけれど、友達の付き添いをしている途中で手紙を出し忘れたことに気付いた。
「あ、出し忘れた」
「え、じゃあついでに渡したら?」
そんな軽いノリだ。
出待ちってそんなに軽いノリでやっていいのか、という疑問も浮かんだけれど、気付いたら一時間以上待っていた。
「え、出てくるの遅くない?」
「没った可能性も否めないよね……」
友達の推しは何故かさっさと帰路についたのであっけなく終わったのだが、私の推しはいつまで経っても出てこない。
こんなに遅くまで出てこないなんてことはあるのだろうか、と思いつつも、他のキャストの町厨もまだ帰らないのを見てこれだけ遅いのは普通なのだろうか、とぼんやりと考える。
推しを推し始めてそこそこの年月が経ったが、うっかり同じ時間帯に帰ってしまうことはあれど凸ったことはなかった。
接触イベントもそうある俳優ではなく、でも苦労の甲斐あって出待ちせずとも顔も名前も認知されていて、そんな中今さら出待ちをする意味とは。
ぐるぐると渦巻く思考をそのまま友達に垂れ流していると、奥から見覚えのあるシルエット。
「推しだ」
それまでの間に散々あれ俳優かなあ、いや全然違うわ、なんてやり取りをしていたのに、推しは遠くからのシルエットだけで分かった。
「頑張れ!」
友達に背中を押されながら手紙を持ち推しに駆け寄ると、彼はマスクを外し、そしてあっ、という顔をした。
舞台上で私を見つけた時にする反応と全く同じだった。
正直何を話したかなんて覚えてない。
ただその時着ていた服がたまたま私がプレゼントであげた服で、私のあげた服ですね、と言ったらはにかみながらありがとうと言っていたことは覚えている。
なんてタイミングなんだ、と思った。
「明日の公演も頑張ってください」
「ありがとう、気を付けて帰ってください」
「お疲れ様、どうだった」
「なんで、なんで優しくしてくれるんだろう」
彼はとても優しかった。
出待ちになんて優しくするもんじゃないだろう、なのに優しくて、どうしたものかと思ってしまう。
優しくなければもう少し諦めがつくのに。
後悔する気持ちと同時に、また同じことを私はやってしまうのだろうかと怖い気持ちが私の腹の中でぐちゃぐちゃになって、胃を痛めつける。
「お腹痛い……」
自ら望んで上京したやつはその通りだが東京生まれ東京育ちのやつはかわいそうだろ
https://anond.hatelabo.jp/20180930210657
観戦していたものです。
このような厳しい環境の増田で、あなた方の論戦は例外的に上手くいった方だと思われます。過去の議論の多くは大抵は数レスで空中分解してしまいました。今回の稀な成果はギリギリの緊張のなかでもお互いへのリスペクトを保ち続けた甲斐があってのことでしょう。二人とも本当におつかれさまでした。
シェアしたくないって言っても、上方婚…とまでは言わないまでも、女性のニーズを金銭面でも精神的ケア面でも満たせる男性の数はとても少ない。
日本の左派の本当にバカなところは自民支持、自民擁護、自分達に文句言う人間=安倍信者とかネトウヨだとか言って下手に見下したり過激に独裁がどうとか騒いで無用に敵を作ったり自分達で近寄り難くして一般有権者を跳ね除けてるところ
文句言うやつ皆敵対者と言わんばかりの0か1かの判断は自分達こそが反安倍正教信者と名乗ってるようなもの
どれだけの国内最大派閥とも言える多くの消極的支持層や支持政党なし層が自民党一党の一人勝ち状態を危惧してるか、左派の不甲斐なさに嘆いて左派にアドバイスしてるか、ブコメなんて特に顕著にそのボヤキを見ることも出来るのに、“敵対者”はブロックするか信者乙するだけで肝心なとこ何も見ざる聞かざるで、俺たちが支持されないのはどう考えてもお前らが悪いとただ喋るだけ
お得意の「国民の声を聞け」はどこ行った?
というのがよく槍玉に挙げられるが、ああいうのはだいたい「あの絵柄が気持ち悪い」とか、「ブサイクなオタクを堂々とバカにしたい」とかの言い換えでしかないのではないか。
それはともかく、そういうのを一切排除した場合、私の観測範囲内では最近の作品ではなく、ドラクエ4のネネさんがもっともこれに当てはまることになる。
ネネさんというのはかの有名な武器屋トルネコの妻である。後に大国エンドールに店を持つことになる彼だが、3章開始時点では人に使われる身でしかない。
しかもようやく夢を叶えたトルネコは3章終了後に旅に出てしまい、そこで出会った勇者パーティにそのままついていき、大半のプレイヤーによりガーデンブルグで牢屋にぶち込まれたりしつつ、悪の魔王をぶっ倒すまで戻ってこない。
ネネさんはその間、夫の夢を甲斐甲斐しく支え、不在を守り、途中で預かり屋に商売替えしつつ、愛する夫の帰りを待つというわけである。
こうして改めて書いてみると、まったく勝手なものである。「夫の夢を支える妻」というのは朝ドラなんかでもたまに見かける設定だが、こんなん朝ドラでやった日にはあさイチに抗議のお便り殺到不可避ではないか。
と、本編だけでもいい加減ヤバいというのに、このクソ親父「不思議のダンジョン」なる噂話を真に受けて、自分も行ってみたいと思うようになる。ええ加減にせえよ。
ところがそれでもネネさんは理解を示し、夫の冒険を支えていくわけである。最高に気持ちの悪い存在ではないか。
まあトルネコはトルネコで商才があるのは間違いないし、他の仲間たちにどうにかついていける程度の戦闘能力もあるし、
外伝作品では主人公になったのをいいことに戦士になったり魔法使いになったりとやりたい放題、そして成功した男にありがちな浮気や女遊びにもおそらく縁がない、とこれまた理想的な存在であることは間違いないのだが、
ファンになって初めてのライブ。A2ブロック。(番号はあまり良くない。)
この日は地面がドロドロだったため、泥対策をしていない人は前に行きにくかった模様。
開会式後に会場入りしたのに、前から4~5列目ぐらいのポジションまで行けました。
位置も、町屋さんとべにちゃんの間ぐらいで、町屋さんが良く見えました。
個人的にツボな髪型で、かっこよすぎて、とても興奮してしまいました。。。(照
この日、実は、入場前にペンライトを買いまして。
そしたら1曲目で、町屋さんがこっちの方を指さししてくれたんです!
ペンライトを持ってる人は少なかったので、きっと私の方を指さしたに違いありません(違
もう、これだけでもペンライトを買った甲斐がありました…、、、
この日は、とにかく町屋さん(の顔)にくぎづけになってしまい、町屋さん(の顔)以外のことはほとんど覚えていません。
かろうじてその他覚えてることを箇条書き。
・フェス仕様なのか、次に弾く楽器の人を指さししてることが多かった
・動画で見てた通り、口をよく開けてるし、(特にサビ部分を)口パクでうたいながら弾いているのが印象的
・町屋さんは2回ピックを投げる→残念ながら全然違うところへ(涙
実は、亜沙さんも好きなんやけど、(町屋さんが遠くに行った時に)見ようとしたら、私の位置からは死角で見えませんでした、、、残念。
雪影ぼうし
子育てや家事に理解を示して積極的にやってくれる旦那を見つけ出す方法なんて簡単だよ。
それは、女自身が夫以上の学歴と経済力を身につければいいだけの話なんだよね。
家事や育児をどれだけ夫婦間で分担するには、夫婦間でどれだけの収入の格差が存在しているかによって決まる。
妻の収入がカスだったら、夫は家事や子育てのほぼ全部を妻にやらせようとするだろう。
なぜなら、自分よりも収入の低い女と結婚するメリットがそれしかないから。
夫婦間の収入が拮抗しているのなら、夫側もそれを理解して妻と同じくらいの家事や育児を負担しようとするだろう。
男だってのほほんと夫婦生活を送っているのではなく、夫婦間の力関係(収入や学歴)を見極めてどれだけの負担をするべきかを冷静に見ているんだよ。
結論としては、家事や育児を手伝ってくれる旦那を探すのがムリゲーなのではなく、女側の経済力と甲斐性が無さ過ぎることが問題なだけ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018031102000124.html
・概ね暇だった。
・出勤したらシフトリーダーに会った。ちょこっと雑談したが、実はシフトリーダーはトイレ掃除の為に自前の流せるトイレクリーナーをポケットに隠し持っている、と打ち明けられた。
・シフトリーダー身銭切りすぎ。この間はお客様が壊した商品を買って帰ってたし。古式ゆかしい熟練コンビニアルバイトの感。
・でもたぶん同じ位歴長いプロアルバイター氏はそんなことしない。
・プロアルバイター氏はお客として店に来たとき、超混んでてもマイペースにあたため時間の長い商品をわざわざ買ったりとか、おでんを注文したりする。
・今日もそんな感じでおでんを買って帰ったプロアルバイター氏。
・たまにオフの時のプロアルバイター氏に試されてるんじゃないかという気がすることがある。
・お礼()にちょっと個人情報訊いたったったわ。休みの日なにやってるの?的な。私のおばちゃん度が3上がった。
・でも思ったほどうざがられなかったのでガッカリだ。もう聞かない。
・暇だったから冷蔵庫の中で15分位ドリンクの補充したら凍えた。寒いを通り越して関節が痛いくらい。早く衣替えにならないかな。
・相棒が、実は某ライバル社の制服の方が好きだと言っていた。私はどちらかといえばこっちの方が好きだけど。
・この間、すっぴんでオタクっぽいシャツを着てお店に公共料金の支払いに行った。その為だけに行くには遠い職場なのだがなんとなく。シフトリーダーに影響されてしまったのだろうか。
・そしたら正社員女史(推定二十歳前後)がお店番をしていたので、なんか大人の甲斐性を見せてやらねばならぬという気になってしまい、余計な買い物をしたら公共料金を除いた請求額が八百円超えて後悔。何なんだろうな、大人の甲斐性って……。
・私のみすぼらしい格好にドン引きのイケメン正社員氏(何する訳でもなくフロアをぶらぶらしていた)にお疲れっすと言って帰宅。
・まさかそんなミラクルが起きてるとは知らずにバックヤードに入って鼻歌を歌い出しそうになったまさにその時にイケメン氏が事務所でスマホいじってるのに気付いて素で「ぎゃあ!」と言った私だった。
・鼻歌で思い出したけど、以前インド人ぽいお客様がめっちゃご機嫌に歌いながらご来店。いらっしゃいませーって私が言ったらウインクをばちこーんとしてまた歌い出した。人生が楽しそうだった。いいなぁ。
・でも真似できない。
・イケメン氏がモテまくっているところを久しぶりに見た。品出ししている時にふと顔を上げたら、お客様のお子様に抱きつかれてキャッキャしている最中のイケメン氏と目が合ったんだが、葉蔵さんの同級生かなんかみたいに「わざわざ」って言いたくなった。
・よくある事だけどイケメン氏と長時間談笑した後に私のレジにお会計にいらしたお客様のテンションが急転直下に下がる瞬間が嫌だ。女性のお客様なんか露骨に「何でテメェがレジ打ってんだよイケメンさん出せよ」って顔する。
・イケメン氏にはそういう系のお客様を責任持ってレジ打ってお見送りするとこまでやって頂きたく存じます。
・お手ふきのストックがもう無かったので、相棒に「これ交代のときに店長に申し送りしないといつまでも補充されないんですかね」(先日、誰も言わなかったせいで長らく補充されなかった消耗品があった。)って聞いたら、「ちゃんと在庫チェックしてるはずだから大丈夫」と相棒は断言した。
・上がる前、バックヤードで相棒に、今日シフトリーダーがトイレ掃除を丁寧にやるようにって言ってたけど、店長は前にトイレ掃除は夜勤の人が本格的にやるから夕勤はテキトーにやればいいよって言ってたと言ったら相棒は、
「夜勤って店長とイケメンだよ?あいつらがトイレ掃除なんか真面目にやる訳がねーじゃん」
※真偽不明
物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。
死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。
母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。
後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。
とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。
幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。
周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園の先生からこっぴどく怒られた覚えがある。
書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。
小学校に上がってからの記憶はほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。
唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。
うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。
和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」
当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。
親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。
当然親からは殴られた。それでも反抗した。
父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。
三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。
でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。
「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」
父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。
言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。
母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。
そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁と飛び降りコンボを使って未遂を起こした。
ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。
その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。
私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。
母は号泣していた。
この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。
「あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」
いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。
中学に上がってからの記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。
唯一携帯電話を持っている友人が私の家族に電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。
寒い、寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。
両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教の集会に行っていたらしい。
そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。
「蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いね、ハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」
思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。
あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。
「…二時間くらい。」
「何とかしたいと思う?」
私は静かにうなずいた。
私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。
治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。
治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。
鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。
精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。
そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試は指定校推薦を受けることが出来た。
ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。
「お母さんの信心が届いたおかげよ。」
この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。
不思議なことに落胆はしなかった。
あきらめていたんだと思う。
高校は楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。
高2の春休みが終わる頃に、自転車で日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。
夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。
国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。
東の空が明るくなった。
夜明けだ。
夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?
そう思って反対側を見るとまだ夜だった。
月と太陽が同時に見えた。
その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。
けっこうな時間泣いて、家に帰った。
そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休みの最後に、小児神経科の主治医の判断により治療がひと段落した。
希死念慮だけは消えてなかった。
主治医の見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。
実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。
大学はかなり白熱した環境だったので研究や学業にのめり込んだ。
2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社に就職した。
仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。
今度の病名は統合失調症。
そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。
統失の治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。
悲しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。
そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境に引越しをした。
そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人が自死。
私が実家に引っ越してから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤と放射線治療、本人努力の甲斐があって腫瘍が消えた。
これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。
あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。
そして現在に至る。
今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
お互い、人生を良い旅にしていきましょう。
今から15年も前のこと、漠然とアメリカに憧れていた学生増田はそれはそれは英語を勉強した
片っ端から英語参考書を買い漁り英会話学校に通い知識を深めていった
その甲斐あってメキメキと力をつけていった
そして月日は流れつい先週、ある本屋でのこと
すっかり足を運ばなくなった英語コーナーにふと寄って気まぐれに単語本を見てみた
すると15年前も感じていたある問題がまだ残っていることに気づいた
それは本を開いた時に英単語とその意味を一度に確認できないということ
分かります?
左開きの本の右ページに日本語が並んでいて(基本的に、一般的に、単純に)ページをめくると次のページにその答えが書いてあるんです(Basically、Generally、Simply)
この構成だと、問題→答えの過程でページをペラペラめくるという無駄な作業が入ってくるんです
編集者の意図はおそらく「日本語を見て英単語を思い浮かべる。分からなかったら(もしくは分かった場合は答え合わせの要領で)ページをめくり確認する」ってことなんだろう
そもそもボキャビルにおいては文脈の中で覚えるか、もし単語単独で覚えたいなら英単語とその意味をさっさと紐づけするというのが常識になっていて
うろ覚えの単語をどうにかこうにか脳の隙間から引っ張り出してくるというクイズ形式は全くの無駄なのだがまあそれは置いておく
クイズ形式ならそれはそれでわざわざ不必要にページをめくらせる作りにする必要はない
右ページに「マジ?」ページをめくると「For real?」みたいな