はてなキーワード: 瑕疵とは
そろそろ30になる今日このごろ。大人になって初めて恋をしてしまった。
最後に恋をしていたのは、小学4年生のころ。毎日暇さえあれば、好きな子のことを考えていた。何度か一緒に遊んだこともある。最終的には何もなく、僕が転校したので、それで終わった。
思春期に僕を待っていたのは、恋ではなく、ワキガだった。内気ではあるものの、それなりに楽しく過ごしていたつもりだったが、ある時「お前ワキガだもんな」と言った友達がいた。周りにいた他の友達が一斉に黙った。ワキガという言葉は知らなかったが、なにか良くない意味であることは分かった。またシチュエーションから、それがワキに関することであり、ニオイに関することであることも察せられた。その時急に思い出されたのが、中学入学と同時に母から渡されたエイトフォーのスプレー缶だった。よく分からないものの答えが、頭の中で繋がって、僕は戦慄した。
目立っていじめられることはなかったが、一部にはワキガだのくさいだの言って笑う人たちがいた。悔しいが仕方がない。内気な僕では、道化になることもできなかった。
はたして僕はワキガのことが嫌いになった。この日本では、ワキガというのは異常な体質であって、嘲笑され、疎まれ蔑まされることはあっても、褒められることはない。そんな僕を好きになる人があるわけがないし、ワキガであることを隠し通せるものでもない。鼻の利かない人をなんとかつかまえたとしても、生まれてくる子供は50%、あるいは75%の確率で憎むべきワキガだ。
畢竟僕は世間一般でいう生きている意味がない。誰のことも好きにならないし、誰からも好きになられない。唯一僕を好きでいる人は両親くらいだろう。だから彼らが死んでしまうまでは生きていようと思った。
社会人になって、まずワキガの手術を受けた。というのも、ワキガのニオイのもとであるアポクリン腺は、成長期に増えるものであるから、あまり早くに手術を受けても、結局増えてしまう。ある程度成長してから摘むのが良い。これはなかなか素敵な手術で、皮膚の隙間にメスを入れて、アポクリン腺を除去する。傷は目立たないという人もいるが、普通に色素沈着するので、今でもありありと手術したことがわかる。麻酔が切れるととても痛かったが、保険適用の手術なので、両脇で5万程度しかかからない。ワキガ手術には保険が適用される。それが日本人のためになるからだ。
おかげさまで、今では人間のような顔をして生きている。しかし遺伝子自体はワキガであり、また、ワキガ体質であれば、ワキ以外にも全身にアポクリン腺はあるので、たとえば胸や陰部からは、いまだにワキガのニオイがする。
結局僕はワキガであり、日本の社会通念上必要に迫られてケアを行っただけであり、人間のように誰かを好きになったり、好きになられたりすることはない。
そう信じてここまで生きてきたが、ここにきて様相が変わってきた。不覚にも人を好きになってしまった。これといった理由はない。普通に可愛いなと思っていたら、いつのまにかいつもその人のことを考えるようになってしまった。
こう言うのはなんだが、その人は僕より10以上年上で、そうなると自然、子供が難しい年頃である。すると、この人と結婚した場合、自然な形で僕は自分の遺伝子を後世に残さずに済む。大変失礼な話だが、これに気づいてからますます好きになってしまった。まるで僕のための人のような気がしてくる。
まあまあ、そうはいっても、と冷静な僕が口を挟む。僕のことを忘れたわけではあるまい。まず鏡を見てみろ。パサパサの髪質、すぐ脂の浮いてくる顔、じっとりとした一重まぶた、人参のように膨らんだ鼻、飛び出た頬骨、厚い下唇、白い斑点のついた歯、笑うとむき出しになる歯茎、削れてなくなってしまったかのような顎、いびつに大きい頭、対して華奢な肩幅、平均に満たない身長、曲がった背筋、不格好なO脚。お前はこいつと一緒にいたいだろうか? うーむ。いや、人間中身だ。そう、中身といえば、地方Fラン大学部卒の学力で、テレビを見ないから芸能・社会情勢に疎く、気の利いたことも言えず、頭の回転は遅く、嫌なことがあるとつい表情に出てしまうし、心に余裕がなくなってくると人にやさしくもできない。六畳の部屋に一人暮らし、何をしているのか知らないが、預金残高は200万しかない。おまけにワキガだ。手術で人間のフリをしているが、こいつに子供を産ませると、体感としてはほとんどワキガが生まれてくると思っていいだろう。子供には罪がないのに、不憫だね。
僕がもし会社の新商品で、これをお客さんに売らないといけないなら、まず、普通の方法では売れない。何か特典をつけてそっちで買ってもらうか、本来とは違う用途で活路を見出すしかない。はっきりいって、こんなものは売り物にならない。
これが僕の理性であるが、恋とは面白いもので、もやもやした気持ちは理性では抑えきれないようだ。仕事中も、家に帰ってからも、好きな人のことが気になって、本当に迷惑している。
にっちもさっちもいかないので、僕は市場原理に任せてみることにした。先述したように、僕の考えでは、市場には僕のニーズはまったくない。ただ、何らかの理由で誰かが欲しがれば、その商品には値が付く。じゃあそれでいいじゃないか。価値は僕が決めるのでなく、市場が決めるのだ。
そういうわけで、近い内に職場でこっそりと連絡先を聞き出す。頭の足りない僕が一生懸命考えた自然な方法でだ。そして食事に誘って、その食事中にデートの約束を取り付ける。これだけのことだ。僕がするのは湖面に石を投げ入れるようなもの。なにか新しい波が起こるかもしれないし、そっと静寂を取り戻すのかもしれない。うまくいって欲しい気もするが、すぐに拒絶してほしくもある。うまくいってしまったときに、ごみ商品を掴んでしまったお客さんを相手に、僕は商品の瑕疵を最後まで隠し通せるだろうか。
つってもさ、
俺「あ〜バグ見つけたわ〜これ放置してテストフェーズに入ったら後で絶対QAからバグ報告飛んでくるわ〜でもスケジュール的に直してる時間無いしこの場は見なかったことにして後で「すんません抜けてました〜」とか言ってテストフェーズの時に対応しよ〜」
が現実になってる。
と、俺みたいなことを言ってるやつがいたら俺はぶん殴りたくなるんだけど、実際の俺はこんな感じなんだよなあ。
いと恥ずかしき。
で、そのせいでQAの時に実装ばかりやってて本当に必要なバグ修正に行き着くまでに時間がかかっとるんよなあ。
でもしょうがないじゃん。タスクの期限は迫ってるし、残業しても潰しきれない。
もうその繰り返しがトラウマになっちゃって、次こそは見積もりのレビューさせろと言ってレビューさせてもらったら、こんな会話だ。
はい遅いです、すみませんが私は能力を過大評価するフシがあり、これくらいが現実的な見積もりであることに最近気づきました。
「僕らの見積もりは社内のベテランのレビュー受けたから大丈夫だよ」
その人達は毎日深夜まで残業してますよね。正直私では荷が重いですね。
「良いからやってよ」
なるほど、おそらく上田さんは、私が怠け者だから作業量を過大に見積もってると思われてるんですね。だからそれをさせない為に無茶なスケジュールで私の尻を叩くんですね。分かりました。毎日深夜まで残業させていただきありがとうございます。
でも辞めてどこに行けば良いんだろう。
何を基準に応募すれば良いんだろう。
俺はそれら企業に認められるのだろうか。
あるじゃん、差別煽ってゴミみたいな釣り投稿繰り返すアクセス稼ぎの匿名書き込みとか売名記事みたいなの。
そういうのを内容に応じて閲覧不可になるまで罵倒したり、アンケートとして役に立たないような意味不明POSTしまくったり、投稿者の心が折れるまで文章の瑕疵だけをひたすら指摘してくれるようなやつ。
理想としては投稿者個人を特定して、晒さずに本人のSNSとかメール宛てに延々と広告メールを送り付けて欲しい。
それでもやめなければ投稿者の知人宛てに「アンケートご協力ありがとうございました」とか「釣りアカウントに連絡乙www」とか送りつけて人間関係を破壊する。
土壇場での監督解任とか、ナショナリズムと結びつけるとか、いろんな理由が混じってるけど、あの行為はどこの国がやったとしてもボロカスに非難される事だった。
それだけ
じゃあ何でそこまでやったかというと、これに尽きる。
博打が当たったからよかったものの、下手すれば消極的施策のせいで負けた上に形に残る結果もない、という日本サッカー協会の死につながる事態も起こりえるほどの大博打だったので、とりあえず博打に勝っておめでとう、で良いのでは?
今回の博打の結果はよかったものの、土壇場の代表監督解任は尾を引く問題だ。
その前例を作り、そして結果も残したとなると、今後も何かあれば監督側に瑕疵があるかないかにかかわらず監督が切られる土壌が出来たわけで、わざわざこのような損な役回りを実績のある外国人監督が引き受けるのか?という問題は依然として残ったままだ。
『幸色のワンルーム』(以下、「幸色」)放送中止騒動について、弁護士・太田啓子氏の記事を読んで思ったこと。
この日記は、以下の記事を読んでの感想である。筆者が、他所での議論をほとんど追えていないことについては、ご容赦願いたい。
以下では、当該記事の内容について適宜要約し、筆者なりの疑問点を整理していく。
【元記事の要約①】「幸色」放送中止への批判として、『ルパン三世』や『名探偵コナン』は放送中止にならないのに、なぜ「幸色」だけが、というものがある。この批判に対して、太田氏は、現実における殺人犯と誘拐犯の認知の違いを説明することで応答している。すなわち、殺人犯は自身の行為を殺人であると認識している一方で、誘拐犯はその限りではない、という。また、この認識の違いは、これらの犯罪行為を受け止める側の人々の認識の違いと並行している。
→<①への疑問>太田の応答は、“現実における殺人犯は自己の行為を殺人であると認識しており、それを受け止める側の人々もそうなのだから、殺人にまつわる番組を放送したところで問題はない」というものであり、確かに「ルパン」や「コナン」が放送中止にならない理由を説明しようとはしている(内容の是非は置いておいて)。しかし、この議論から導き出せるのは、せいぜい“誘拐のテーマは殺人よりも注意して放送すべきである”程度のところまでであり、副題の「なぜ殺人はOKで、誘拐はNGなのか」はミスリーディングである。
【元記事の要約②】太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者や一部の人が事件に抱いたであろう妄想を作品にしたものであり、「実在の被害者に対する中傷そのものだと思う」という。
→<②への疑問>言いがかりに過ぎない。
【元記事の要約③】太田氏は、ドラマ公式SNSの“盗撮ハッシュタグ”に触れた後、「公共の電波に乗せるのは、表現者の社会的責任を伴い、おかしな社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と述べる。
→<③への疑問>“盗撮ハッシュタグ”に眉を顰める気持ち、そして“公共の電波に乗る表現には社会的責任が伴う”、という点には同意できる。ただ、もっとも議論されるべきは、“「幸色」の表現者が十分な社会的責任を果たしていない、と言えるのかどうか”という点である。問題は、瑕疵の有無ではなく、その大きさなのである。太田氏の記事では、この点についてあたかも自明のことであるかのようにほとんど触れられておらず(太田氏が、別の場所で議論しておられるのであれば、申し訳ない)、実際問題、この点についてほとんど議論がなされないまま放送中止が早々に決定されてしまった。
【元記事の要約④】誘拐の被害者は「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」。しかし、今の日本社会では「女性が被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気の社会の中で、『女児を誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知を肯定し強化することにならないでしょうか。」
→<④への疑問>まず、「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」についてだが、“必ずしもあり得ない”という意味なら同意できるが、“絶対にあり得ない”という前提であるならば、疑問である。“人間が何を望んでいて何を望んでいないかはっきりとひとつに決定できる”という素朴すぎる人間観は置いておいて、実際のところ、実親からの虐待から逃れるための緊急の避難が、結果として誘拐事件というかたちをとってしまうケースはままあるように思われるからである(筆者は、それを肯定している訳ではない)。ただ、「誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない(というのが常識になるべきだ)」という太田氏の見解は、客観的な事実の認識というよりはむしろ、弁護士としての倫理を加味したものであるように思われるし、そのこと自体に対しては、筆者は敬意を表する。次に、「女児誘拐についてのそのような歪んだ認知を肯定し強化することにならないでしょうか」であるが、これに対しては、“それは本当なのか、本当ならどれほどのものなのか”“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という二つの疑問が浮かぶ。前者の疑問は、そのままの意味で、「幸色」の放送によって“歪んだ認知の強化”が本当に起こるのか、起こるとしてそれはどれほどの強化なのか(微々たるものではないか)、という疑問である。また、後者の“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という疑問は、もし「幸色」によって引き起こされる“強化”が微々たるものであるならば、それは「幸色」の表現者が果たすべき社会的責任の範疇を超えているのではないか、という疑問である。そもそも、社会というのは、何かひとつのドラマによって大きく変わったりするようなものではないだろう。もしそういうことがあったとすれば、それは社会のなかで変化への準備が潜在的に進んでおり、作品が最後の一押しになったということにすぎない。そうだとすれば、個々の表現に過敏に反応する態度は、社会の本質的な領域から目を背けた盲目的な“水際作戦”であり、また作品への“責任の押し付け”になりかねないようにも思われる。
【元記事の要約⑤】表現の自由は「公共の空間で何をやってもいい権利ではない」。『表現の自由への弾圧』という批判は的外れであり、太田氏は、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのだという。
→<⑤への疑問>表現の自由は「公共の空間で何をやってもいい権利ではない」、という点については同意である。しかし、繰り返しになるが、もっとも大事な論点は“「幸色」は本当に許されない表現なのか”ということであり、元記事では、その点について一方的な議論しかなされていないように見える。放送中止を批判している人々も、太田氏と同様に、「公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしている」ことは明白であり、「『表現の自由への弾圧』という批判は的外れ」という応答は、それこそ的外れの揚げ足取りではないか。
【筆者の意見とまとめ】
「幸色」放送中止騒動について、筆者が問題視しているのは、公的な権力による弾圧ではなく、むしろ<私的な検閲>と呼べるようなものである。公的な検閲によって作品が発禁になった、という過程ではなく(すなわち、行為主体の種類の問題ではなく)、あるイデオロギーによって「幸色」が放送中止に至った、という実際的な結果に注目しなくてはならない。元記事には「作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要」とあるが、「幸色」を放送中止に至らしめた“世間”とは、決して“世間一般”のことなどではなく、特定のイデオロギーをもった少数の人々にすぎない。少数の人々からの批判にテレビ局が過敏に反応し、“本当に許されない表現なのか”を議論する機会が十分に設けられないまま、放送中止の決定が下される。“事実上は”の次元では、特定のイデオロギーによる“世間”を無視した検閲が行われているのである。それが果たして「公共空間のあり方」として正しいのだろうか?
ここまで筆者は、「幸色」の表現の瑕疵はそれほどまでに大きいのだろうか、という疑問を発してきたが、一方で、「幸色」の表現にはプラスの面もたくさん存在するだろう。生きづらさを抱える少女少年に希望を与える(例えそれが幻想にすぎないとしても)ことはもちろんのこと、適切にテロップを入れるなどすれば、虐待問題への啓発にもつながる。そんな大きなことを言わなくても、普段何気なく接してる表現がいかに我々の人生を豊かにしているか、考えるまでもないだろう。表現の瑕疵ばかり取り立てるのではなく、“望ましい表現”か“許されない表現”かの二分法に訴えるのでもなく、光る部分にも目を向けていくべきではないだろうか。“100%良いもの(表現)”というのは、それが人間の営みにおいてほとんど存在しないということもあって、薬にも毒にもならない(ただ筆者は、そんな“何の役にも立たない”ような表現にも、発表の機会が与えらるよう願いたい)。
「幸色」は、本当に“許されない表現”だったのだろうか。そして、<私的な検閲>が事実上機能している現在の状況は、果たして公共空間・公共の表現の場として、望ましいものであると言えるのだろうか。
完全な後出しじゃんけん。
一通り騒動が沈静化したみたいなので初めて歌詞を見たが、軍歌かといわれると違うという結論に自分はなった。
なぜなら、軍歌によくある「愛国心」と「自己犠牲」のうち「愛国心」しか歌ってないから。
「典型的な排外思想の国粋主義者がよく使う文言が使われているから」だろう。
この歌で多分狙って使われているその手の言葉に、多分狙った通りに反応してしまったんだろう。
これを軍歌だというのは流石に行きすぎだと思う。
大ヒットを飛ばしたアーティストでもこんなコスい興味乞食しなきゃ今時音楽業界ではやっていけないのか、という意味で残念だった。
そこまで音楽業界が追い詰められているという現状がただただ残念だった。
ただ国を愛することを今歌いたいなら、ああいう言葉にはならない。
ギリギリを攻めた言葉をわざわざ選んで書かれた歌だと自分には思えた。
当人たちの主義思想はよく知らないけど、ほかの歌もちょっとは聞いたことあるだけの自分には
HINOMARUの歌詞がRADWIMPSの作詞担当の人から自然と出てきたようには思えなかった。
それが何らかの問題への反発心から来たものなのか、もともとの思想をずっと隠してきたのかも分からないが
この一件だけで彼らを嫌ったりはしない。
ただ、何がきっかけでこの歌を生み出したのかは後ででもいいので明らかになるといいなと思う。
「単に国を愛する思いを歌にしただけだ」と言い張るのなら、それでもいいけど。
宮本議員のFacebookに掲載された資料によると、どうも銀行は森友に、10億円を極度額とする融資を行い、根抵当(抵当範囲が確定していたかは不明)の一つとして、売買代金返還請求権も入れた、ということのようですね。その限度額は、国の債務の限度額であるとの記載がされていましたので、国が支払う金額は1億ちょっとが上限ということで間違いがないと思われます。そして国が買い戻しした後の登記を確認しましたが、29年6月29日に買い戻した登記はなされていましたが、その前の登記はありませんでした。
国が買い戻した時点で、森友学園は2700万ほどしか支払いが完了していなかったので、実際に融資が実行されていたとして、金融機関が回収できたのは、1000万を切るぐらいだと思われます。普通根抵当で運転資金を貸し出す時は、極度額の1.1倍ぐらいの担保を押さえておくものだと思いますが、後述のように、森友の資産はほぼ全部抵当がすでについている状況だったので、何考えてたんだろうねー。
国が売買契約を解除しまたは買い戻し権を行使した場合には、甲および乙は前記土地に設定している担保権の登記を速やかに抹消すること
の記載がありました。国としてはこの記載があることで、土地を回収した時に、抵当権を外すことが約束されているので、国が新たな財政負担をすることはないようですが、この記載があるということは、やはりまだ登記はされていなかったものの、金融機関が土地に対して何らかの抵当権を設定するつもりであったのかな、と思われます。
28年10月時点で、当該金融機関が、森友学園に貸し付けている金額は3億1100万円と思われる記載もありましたが、藤原工業の工事費用が、当初見込みで15億、民事再生法申請時の森友の資産総額が9億円、問題が騒がれ始めた時点で、籠池氏の自宅も抵当に入っていることも報じられていましたし、おそらく全然余剰体力はなかったと思われるので、与信はどうなってたんだろうという感じですが、それは金融機関の問題なので、国としての問題点は、おとといの質疑の時点よりはだいぶ絞られました。
1.国が瑕疵担保免責を見える限りで最大に見積もった、という主張の妥当性
3.認めていたとしたら、それは譲渡、権利の設定を禁止した特約の解除に当たらないのか
4.特約の解除に当たるとしたら、その融通は、通常の運用に比して妥当と言える範囲か
ということだと思います。
森友に売った土地は少なくとも10年間、学校運営に、森友が自ら供することを確約させた契約になっています。森友が、この特約に反して、当該土地の所有権を移転した場合、特別違約金として、売買価格と、違反時点の時価の差額を国に支払う契約です。
来週には働き方改革関連法案が参院採決されると思うけど、そっちはもう上西先生にはかなわないからお任せ。
これ宮本議員も質権について完全に理解してなさそうなのと、蝦名航空局長の言い訳もひどいのとで理解が難しかった。当該部分は短いので是非見て欲しい。(前半部分では、会計検査院の事務総長と次官級折衝が行われたことをほのめかしていたり、何らかの弾をまだ持ってるな、という感じはあるので明日以降も国交、財金は見逃せないですぜ。)
追記:宮本議員が自身のFacebookに資料を掲載してくれたので、大体の概要はわかりました。トラバに。
「略)資料2を見ていただきたい。これは国土交通省から提出を受けた資料であります。質権設定承認通知書と、質権設定契約証書であります。質権設定承認通知書には、”上記の通り質権の設定を承認します”という干山よしゆき大阪航空局長の承認印がございます。内容は、さるメガバンクに対して、10億円の質権の設定を承認するものであります。28年10月14日といえば、8億円の大幅値引きで、わずか1億3400万円で国有地を売却した、わずか4か月後のことであります。瑕疵担保面積の考え方で、ただ同然、わずか1億円余りで買った土地を担保(これは間違い)に、森友学園が、メガバンクから10億円の借金をするのを大阪航空局局長は、承認をした。これは一体どういう理屈ですか。航空局長。」
蝦名
「ご指摘の質権の設定につきましては、森友学園との本件土地の売買契約締結後に、森友学園が限度額(抵当権の極度額に相当するものと思われる)10億円を借り入れる契約を結んだことを受けまして、国が、売買契約の解除や買い戻し権を行使した場合の売買代金の返還金の請求権に、森友学園側が質権を設定することについて、平成28年10月14日付で承認申請があったために、10月25日付で承認を行ったものであります。」(これは経緯をこたえてるだけで、どういう理屈で10億の質権設定を承認したのかについては答えてない)
「我々は、籠池氏が国有地買取の直後に、この土地の不動産鑑定を依頼し、8月10日付で、鑑定評価額13億円の不動産鑑定書を受け取っていることを、把握しております。ここにそれを持っております。大臣ね、蝦名局長は、リスクを排除するために、見える範囲でリスクを最大限に見積もったと、言うけれども、6月にただ同然で入手した森友学園は、早8月には13億円という不動産鑑定書を受け取って、この土地を担保に(これは間違い)、10月には新たに銀行から10億円の借り入れを行う約束を取り付け大阪航空局長は、それを承認までしている。全くこれは、でたらめな話じゃないですか。大臣。」
石井(なぜか笑いながら)
「あのーご指摘いただいた事実関係について、私は承知しておりません。」(これは事実だと思う。理由は後述。)
「今日委員会に提出した、この質権設定承認申請書、そして大阪航空局局長が、承認をしている。これは私がどっかから入手してきたものではありません。国土交通省から提出されたものですから、国土交通省が、10億円の枠を設定したことは、逃れようのない事実なんですよ。おかしいんじゃないですか。」
蝦名
「あの本件質権は、国が売買契約の解除や、買い戻し権を行使した場合の、売買代金の返還請求権に対して、森友学園側が質権を設定しようとしたものでございまして、土地に対して、質権を設定したというものではございません。」(事実を答えているが、質問には答えていない。おかしいかおかしくないかを答えていない。)
「1億3400万のあの土地に10億円なんか設定できるわけないんですよ。だから別途8月には13億の不動産鑑定書をとってるわけですよ。何から何まででたらめな土地取引だったと言わなければなりません。その全ては、安倍首相とその夫人が、肩入れをしてきたこと、そしてそれが発覚するや首相とその夫人を守るために、嘘に嘘を重ねた結果だと言わざるをえません。(昭恵証人喚問要求して終わり)」(この指摘はちょっと変かな)
抵当権は大抵の人が知ってると思うけど、質権は、債務不履行時に、目的物を占有できるのが特徴です。抵当権は占有はできない。そして重大な違いとして、一部を除いた債権を目的物に設定できるのが大きな特徴です。よく行われるのが、住宅ローンの火災保険の保険金に対する質権設定。住宅が火災で焼失し、債務者である借主が破産した場合、債権者である銀行は、現物である住宅を確保できないので、火災保険の保険金を請求する権利を債務者から譲渡してもらっておくことでリスクヘッジができるというわけです。
今回の場合、森友学園が購入した土地には、買い戻し特約が付されているため、その土地を担保に融資を受けるということはできないわけです。契約書の中で、所有権の移転の禁止や、売買物件そのものに質権や地上権を設定することを禁止する旨が記載されているので、銀行が抵当権を設定することができないのです。
債務:延納代金の支払い義務(残額およそ1億)、10年間の指定用途外利用の禁止等の違反時等の違約金支払い義務(契約金額の4割上限)
債権:延納代金の未払い部分(残額およそ1億)、10年間の指定用途外利用の禁止等の違反時等の違約金の受領(契約金額の4割上限)
という状況なわけですよ。
森友学園は、工事代金の支払いも滞っていたし、延納部分の支払いにも苦慮していた形跡があるので、おそらく、土地を担保に金を借りられないかと考えたのだと思われます。そのため、すぐに不動産鑑定を自ら依頼したのでしょう。その鑑定は8月に出ます。
つまり違約金部分まで含めると、売買金額の満額、1億3400万ですら、森友は受け取れないわけですよね。延納ではなく、即納であったとした場合でさえ、1億3400万の9割から6割(違反事由により変動)まで、つまり財務省が、土地を買い戻した時に、森友学園が受け取れる金額は最大でも1億2000万しかないわけ。原状回復義務を、国が設備を丸ごと受け取ったとしてもですよ。
その債権を担保に大阪航空局は10億円の債務を負うことを承諾してるんだけど、これって背任じゃないの?多分だけど、工事代金や延納代金の支払いを完了していないことから、実際には融資の実行前に騒ぎになったからとかで、融資は実行されてない可能性が高いと思うんだけど、これが実行されてて、籠池さんが破産してたら、大阪航空局は10億の債務を肩代わりしなきゃいけないんじゃないの?
財務省の売買契約終了後の応接記録には、大阪教育庁の私学課の職員から、28年9月に財務省の統括国有財産管理官(自殺された職員さんですね・・・)に対して、森友の提出してきた契約金額が異常に安いが、経緯を教えて欲しいという問い合わせがあったことが書かれてるんだけど、どうも森友学園は、学校建設に伴って、土地の瑕疵が解消したから、新たな不動産鑑定をとって、それを資産側に積もうとしていたことが読み取れます。
「同学園からの資料により、国との契約金額を見ると、周辺土地の相場から見て、相当程度やすいように思うが、その理由について教えて欲しい」
「土地の評価は不動産鑑定士による鑑定評価を徴し、同評価額について、森友学園と合意したものであり、国は契約金額について適正な価格と認識している。売買契約は双方の合意に基づくものであり、国が第三者に説明するような性格のものではない。森友学園から説明を聞いていただくのが良いのではないか。」
「略)本件土地から地下埋設物や土壌汚染が確認されたことは私学審議会の中でも報告されている。その要因を除いたとしても相当程度やすい価格ではないかと感じた。森友学園は、土地取得後、学校建設により、正常な価格に戻ったとして、本件土地の評価額を正常価格で計上する(13億のことだと思われます)。正常価格に戻るという考え方についてはどうか(負債比率を気にしているのだと思われます)」
「当局が売買契約により所有権移転した後の土地の評価額についてご意見する立場にない。森友学園に説明を求めるべき内容ではないか」
「森友学園は、土地の鑑定評価を取っているようである。これからも本件に関して貴局と情報共有したいと考えているので、よろしくお願いしたい」
そして9月15日に金融機関の担当者が近畿財務局を来訪しています。
その中では、金融機関の担当者が、池田統括官と、神戸の類似事例があったことを話しているので、資料は出ていませんが、おそらく電話か面談で、売買代金返還請求権への質権設定について問い合わせがあったものと思われます。この中で大臣印はもらえないから局長印でいいか、というやり取りがあるので、石井大臣は多分本当に知らない。
10月17日には再び、金融機関担当者が近畿財務局を訪れ、申請書の承認申請書を取り交わす約束であったけれども、籠池氏が、金融機関との貸借契約の学園側用の契約書も用意して欲しいから、ちょっと待って欲しいということで一旦中止されたことが記載されていますが、その後の事務については、近畿財務局の手を離れ、大阪航空局と直接手続きを行うことになったと記載されていて、実際に14日付で大阪航空局長が押印した書類が銀行側に回ったのかどうかまでは不明、という経緯ですね。
銀行がよほどのバカでなければ、これは大阪航空局と銀行は握ってないとおかしい。籠池さんはそんなに土地取引実務に詳しくなさそうだから、売買代金返還請求権を使って借り入れをしようというような発想は持ってないと思う。多分13億の不動産鑑定書を持って、銀行に融資の相談に行ったと思うんですけど、当然、銀行としては土地の登記を確認するでしょ。そしたらそこに1億3400万円と売買価格が書いてあるんだから、籠池が売買代金返還請求権を担保に10億貸してくれって言ったってそりゃ断るに決まってるわけ。
この銀行の担当者はおそらく買い戻し特約にすぐ気がついて、近畿財務局に相談を持ちかけたわけだよね、なんて親切なんだろうと思うけど、学校建設費用としての融資だと10月17日付の費用には記載があるので、おそらく既に取引のあったあの銀行でしょうねー。売買代金返還請求権に質権を設定しようと持ちかけたのが、池田統括官か銀行の担当者かはわからないけど、両方ロクデモナイ。
これは後1年ぐらいバレなければ、森友学園が、延納の残額と、違約金を支払うことで、土地の権利の設定を行えるようにすれば、完全に近畿財務局との関係は切れるわけ。おそらく銀行側としては、売買代金返還請求権を解消して、普通の土地担保取引にできる思惑があったと思うし、よほどのバカでなければ、当然地下埋設物に対する与信評価もやるでしょうよ。まぁつまりそういうことなんだろうね、とは思うけど、国としては、売買代金返還請求権(ご指摘多謝!)が10億の価値ないことは原理上知ってる(取引の当事者なんだから)わけだから、銀行が国に対して、直接10億の請求する権利を有することを承認するのはとんでもない話でしょ。ゴミがないこと知ってた上に、森友が土地の評価額を10億以上にしようとしてることも知ってるからこういう、いずれリスクがなくなるけど、一時的にとんでもないマイナスになる契約を承認しとるんでしょ。池田統括官ともう退職してるけど干山大阪航空局長は国会招致せなあかんやろ。
追記
id:bareloさんの指摘は正しいかもしれない。宮本議員は10億円の質権設定をしたと質疑していたけれど、1億ちょいの質権を設定して、残りを2番(1番抵当は国交省のもの約1億)で8−9億の抵当権を設定しているのかもしれないね。ただその場合、国が買い戻し権を行使して1億ちょいを銀行に直接返還して、国に土地が戻るんだけど、国が抵当権設定に了承しているのであれば、その戻ってきた土地には8−9億の抵当権がくっついてることになるんじゃないのかなぁ。これは誰が払うわけ?
ネガティブキャンペーンされないようにどの方向にも気を使うのが普通の企業
今回はその瑕疵に付け込んできたのがチャイナだった、力があったというだけでしょ
「この辺まで」が際限なく拡大してるのが現状でしょ。