はてなキーワード: 理解力とは
悪いけど俺理解力ないんでその「行為に含まれる暴力性」の例を一点でいいから教えてくれない?
追記:
「行為に含まれる暴力性」とは「よく知らない人から告白されたら怖い」なのかなと推測する。
確かによく知らない人から告白されたら怖いだろう。だからこそ恋愛においてはコミュニケーションが必要で「モテない人はそれをすっ飛ばしてすぐ告白してしまうからモテない」とはよく聞く。
で、書いた通り告白はコミュニケーションの問題で、「よく知らない人から告白されたら、その旨伝えて断る」というのも立派なコミュニケーションだ。
そこから「当初はよく知らない人だったけど、話してみれば楽しい人だった」と発展することもあるのが恋愛だ。怖いから何も言わず逃げちゃったってのはコミュニケーションではない。自分の恐怖心を相手の好意より優先するディスコミュニケーションだ。相手の心に与えるダメージを考えると暴力的ですらある(皮肉だよ)。
当然「断ったらストーカーになった」なら恋愛ではなく刑事事件だ。通報しろ。
さて「よく知らない人から告白されたら怖い」部分に暴力性を見出すことはできる。
しかしそのことが「告白してはいけない」理由にはならない。相手にびっくりされようがうまくタイミングを取れないまま告白してしまうことなど古今東西いくらでもあるからだ。
誰しも完璧な告白ができるわけではない。その試行錯誤で失敗を重ねつつも人は恋愛をし続けてきたわけで、完璧な告白以外してはいけないなんていうのは不可能だ。
あなたは告白したことがありますか?相手にとっても完璧なタイミングでの告白だったと自認できますか?そのときどういう返事をもらいました?「いや告白されたら怖いんでやめてください」と無下に断られることなんてなかったでしょう。それはそれぞれの人が先入観で判断するのではなく、きちんとコミュニケーションを取ろうとした結果です。
そして元記事で主に問題になっていることは「告白されたことを誰かれ構わずばらしちゃうって大問題だよね」ということだ。これは「だって怖かったんだもん」で免罪されるレベルの話ではないということだ。これは同性異性関係なく人としての矜持みたいなもんだ。
Zが親しい友人のみにひっそり相談していたらこんな問題には発展しなかったろう。
そして何より「俺はどう感じた、あなたはどう感じた」などの極端な例が不適当というならなお一層、「一般的」に考えればゲイに告白されることでの脅威は恐れられているほどではない、ネットのホモ動画なんて極端な例だという事実を知るべきだろう。
「あなたには安全だった、私には怖かった」という主観ではなく「LGBTの割合から考えると、ほとんどのLGBTは他人に知られるほど存在感を出してすらいない。現在の評価は悪い方に偏り過ぎている」というのが統計的な事実だと思うけどね。
追記の追記:もしかしたらこの人はもてまくっていたのかもしれないな。だとしたら告白を断り続けてたら辛いしもうやめてくれとなるかもな、と思ったらそのような記事が。
「誰かに「好き」って言われることが、ずっと苦手だった。」
私は、仕事柄、平日の昼に街を歩くことがある。
スーパーや郵便局や図書館等いたるところで、理解力が低下している老人が若いスタッフに何度も同じ質問を繰り返して、時間を浪費させる光景を何度も見てきた。
複雑な気分になる。
老人の認知能力が下がるのは、一種の生理現象であり、やむを得ないことかもしれない。
昔は、老人が少なかったから、それでも社会は対応できてきたのだろう。
ところがいまや平日の昼、街を徘徊しているのは老人ばかりだ。
老人と言っても、健康状態は千差万別だから、若者とさして変わらない人たちもいる一方で、話し方がくどくて周囲を辟易させる人たちも少なくない。
小売業の店員は、老人対応で相当余計なエネルギーを消費しているのではないか。
老人も悪気があってやっているわけではないだろうが、正直困ったものだな、と思う。
自分は、ああいう形で人に迷惑を掛けたくない、とつくづく思う。
コミュ障でやる気がなさすぎて行動力理解力なさすぎるマンなので無い内定で卒業して時給900円の派遣やっており、お先真っ暗すぎて死にたい
コミュ力を養うために会話が必要なんだけどまずちょっとした会話をするコミュ力すらないので詰んでいる。
すぐにでもやめたいのにコミュ障だからやめますの一言が言えなくて2年やってる、どんな言葉も話せないので死ぬほど嫌われてる、態度がなってない、
定職に就くか自殺するかしかないのに自殺できないし定職にも就けない。
これはまずいと自分でわかっていてもなにをしたらいいかわからなくて立ち尽くして終わる。サボってると思われる。
頭がおかしいのかもしれないけど態度が悪くて他人と会話できなくて必要な事柄ですらなかなか伝えられないだけなので病院が来るほどではなく手帳も貰えない。
PS4とパワプロ欲しい。、買ったらダメになると思って必死に我慢してるけど別のものを買いまくってPS4買える以上の浪費しちゃってるしゲームやってるやってないの問題ではなく既にガチのダメ人間なので救いがない。
俺が今月既に15万費ったって言ったら笑うか?
わかった、お前の理解力に合わせよう。
まず原作のコンテンツ的価値が原作者の発言力や選択肢を変えることを説明しよう。
強者パターン:面白い 売れる 他社に流れて欲しくないくらいの作品
こうやってメディア化に対しても手綱引いて原作者の思惑通りにするのには
実際にそうやって主導権握ってるやつもいれば逆に放任して任せてる場合もある。
原作通りに再現してほしいなら発言に力が出るだけのコンテンツ的な価値を生み出す能力が必須。
それがクリアできてない時点で何を言っても負け犬の遠吠えにしか過ぎない。
弱者パターン:くまみこ(期待値低い 萌え豚アニメ 波及効果低め 原作の売上並み程度)
そこでできる選択肢は手伝うという体で監修してチェックして駄目だしをする以外にはない。
あと露骨に監修しないにしても監督と仲良くなって作品の理解を上げるとか愛してもらうようにするとか
金のかからないテクニックを使って作品完成度に影響させることもやろうと思えばできる。
それ含めて様々な努力をくまみこはしなかったのに自分の負けポジも自覚せずにファン目線での発言。
例え利益率が低くてもそれをできる人間が原作者の自分しかいないならやるべきことであったのにあの発言。
やらないならやらなかったときの結果(くまみこ騒動)を受け止める以外に選択肢は無い。
「手弁当になるからやらない」という選択をしたから今の結果があり、
それに疑問を持っているようでは自分の負け犬ポジションを理解していないことにも繋がり低IQの証左。
負け犬は負け犬なりに方々走り回りケアして小銭になるように苦労しなきゃならんのよ。
先日「毎日音読をすると言葉がすらすらと出てくるようになる」という記事を見て、いつも上手く喋る事ができないという夫に音読を勧めてみた。
直後から「美容師と会話する時に言葉が出てきやすくなった!」と効果を感じたそうで、会話も少しスムーズになってきたり、側から見ても良い感じに変化があったので、これからも続けていこうと思ってる。
でも大きな別の問題点が浮き彫りになった。
小学生用の音読ドリルを買ってみたら各種名文が使われていて、授業やなんかで一度は目にした事がある詩や小説の一文、枕草子や徒然草の古文など懐かしいものが沢山あった。
でも中学生の頃に家庭環境がひどくてほとんど学校に行ってなかったという夫にはどれも初めて触れるものだそうで、一応スラスラと読む事はできるし現代語なら概ね内容も理解しているようなのだが、感想はどれも「よくわからん」と言う。
特に詩みたいなものは全く心が動く事がないようで「で、何が言いたいの?」という感想ばかり。
「こんなにあちこち行って色々頑張ったり良い事をしてたら、デクノボウなんて呼ばれないでしょ?あと玄米4合って多すぎ。」
と言っただけだった。
ただ読書感想文が書けない子ども状態なのか、それとも元々何か大きく欠けたものがあって情緒的なもの感じる事ができないのか、どちらかわからない。
もう結婚して長いけれど、映画やなんかで泣いてるのを見た事がないし本人も泣いた事がないと言ってる。
でも可愛いキャラものが好きだったりふざけたりいたずらもするし、まるきりロボットのようなわけでもない。PCを使った複雑な仕事も日々問題なくこなしている。
でも文章の理解力の低さと、情緒の表現に理解が乏しいのは間違いない。
Twitterの短い文章でも、若い子の書く遠まわしな表現の文体とか、添付の写真を見てやっと意味が理解できるような文章とか、夫に見せてもなかなか理解してもらえず、説明してやっとわかってもらえる事がよくある。
普通に小中高と過ごしてきていてこうだったら、ただこういうタイプの人なのだと思えるんだけど、もし義務教育を受けられなかったせいだったら「今からでも何かできる事がないか…音読じゃなくて小学校の国語からやり直したらいいのか…」「できる事なら今から中学校に通わせてあげたい」とか考えてしまう。
※追記しました↓
はいはい、もうじゃあ善処できない釣りのアスペでいいよもう面倒くさい人だねぇ。
ここに論破してドヤ顔してるのかもしれないけど、整合性皆無だよ。
アスペかもって話してるのが釣りで、でも文章の理解力はアスペなの??ちょっとよくわからないよね、ちゃんと文章読み直してからはなししてね。
いちいちこちらの事情を説明するのが面倒だししてやる必要はないけど、ともかく生活の安定はしてるからね。残念ながら。無職だと思った?
自殺企図者に辛いのは君だけじゃないとか言い出す空気読めないタイプ
そのサラリーマンが犯人と100%断定はできないし(たとえば電車の背もたれや壁についていた可能性だってゼロではない。気づかないうちに服についていたのが、どこかで髪の毛についたのかも)、周囲にどのくらい人がいたのかもわからないが
同情を表現するのに事実がなにかわざわざ言わなきゃいけないあたりバランスを取って考えてる俺様ドヤァが駄々漏れ
相手より言ってる自分に目が向いてるからこれは余計だとか想像すらできない
悪意をまき散らした屑については、どこかでひどい目に遭うだろうことを想像して溜飲を下げておくといいいと思う。そういう人間はいずれ必ずひどい目に遭うから心配ない。断言するが、道端に屑をまき散らす人間は自分の心の中に屑をまき散らし続けて、いずれ心の中が屑で一杯になるに決まっているし、ましてや邪な気持ちで「イタズラ」をする人間は周囲の人間への不信を募らせた結果どんどん社会のはみ出し者になって禄でもない人生を送る。
自分がつらいめにあったときにこういう理想論ぶちまけてくるクズのウザさを体感したことがないひいては大した人生経験がないことも明らか
そういう人間に怒りの矛先を向けたり思い悩んだりしてあなたの大事な人生の時間を浪費する必要は全くない
時間を割くかどうかは本人が決めること
「終電まで飲む」ということに、常にそういうリスクがあるということは、体験的に覚えておいてもいい。...最低限できる自衛がゼロだったとは思えない。
極稀の事例にも関わらずリスクをいちいち説いて犯罪にあったばかりのキズをえぐる想像力に欠けるゴミの証明
いついかなるときも終電を常に避け続けることは可能かどうかといった状況も無視してただお説教したいだけなのが明らか
最後に、あなたのかわいそうな髪先にお悔やみを申し上げる
髪を擬人化した上にお悔やみという葬式レベルの表現がさらに苛立ちを増させる
君さ、上の増田の因果応報論的(?)なパートを「理想論」と表現したり、なんかところどころ非常に理解しにくい文章になってるから、もうちょっと分かり易く書いてくれると嬉しい。
だからお水にありがとうといえばお水がおいしくなるとか言い出すレベルの現実にはありえないキレイ事と同列に置く次の文章があるわけだ
「一緒にいて楽」ということしか無いと思う。
ただ、分解すると相当なハイスペックで
・お金でギスギスしない(そこそこ稼ぐか、稼がなくても楽しめる人)
・気の使い方が自分にあってる(変な気の使われ方は疲れる)
・理解力が高い(話してて伝わらないの疲れる)
・短気じゃない(怒ったり怒鳴ったりする人は怖い)
・性欲が同じくらい(強すぎるのは大変)
・食習慣があってる(食に興味無いの困る)
・潔癖すぎない。不潔すぎない(どっちが不快だとキツい)
・仕事の話ができる(私が仕事人間なので仕事の話わかってほしい)
私の場合でパッとあげただけでも、こんだけあったりする。
もちろんお互いすり合わせることができるものも
たくさんあるんだろうけど、
「楽な相手を探す」って言うより
ハードル高いと思うのよね。
女性は男性と比較して一時の感情で理屈に合わない判断をすることが多い
例えばある指標が100を超えたら「A」超えなければ「B」と判断するべきところで
ある指標が30までしか至ってないにも関わらずそこに「感情」で70以上の補正をかけ「A」が正しいと判断してしまうみたいな
で、その「補正」をどれだけ理解できてるかがモテるかどうかに繋がるわけだ
いやいや
そんなんじゃなくて容姿の良し悪しのほうが大事だろと思うかもしれない
そもそもの話容姿のいい人間はその容姿によって「感情」のプラス補正を受けており他者の感情を理解、あるいはコントロールすることを感覚的に習得している
一方容姿が良くない人間は「感情」のマイナス補正を受けており(先の例で言えばある指標が100を超え「A」と判断するのが正しいときでもマイナス補正により「B」と判断されている)客観的、公正な判断を「感情」という主観的で不安定なもので否定されてきている
そのため「感情」をノイズ、不要なものと考えがちな傾向に陥ってる
またこの「感情」を理解する感覚は泳ぎ方や自転車の乗り方のように座学で習得するのが難しく
英語は独学。
3年間かかって海外ドラマのヒアリング、日常会話に支障がないレベルまで喋れるようになりました。
ちなみに英会話教室などには全く通わず、アプリ5種類くらい、中学生用テキスト2冊だけで勉強したので、コストはおそらく5,000円未満です。
いわゆる勉強時間というのは、1日に平均すれば15分くらいでした。
具体的な目標を持たずかなりのんびり勉強したので3年かかりましたが、集中的にやれば1年でこのレベルまで達することができると思います。
そんなわたしが思う日本人が英語を喋れない一番の原因は、英語を耳にしている時間が短すぎるということ。
単語と文法は沢山知っているくせに、いざ英語が外人の口から出てくると途端に聞き取れなくなってしまう。
聞き取れないから当然返事もできない。
これが、日本人が英語を喋れない一番の理由じゃないでしょうか。
Have you ever been to Osaka before?
例えばこの文章を読んだ時に、頭の中でちゃんとした英語として発音されるかどうかが重要です。
使われている単語はどれも難しいものではなので、日本人のほとんどはこの意味がわかるはずです。
でも、音として理解できていないから聞き取れないし、当然意味もわからなくなります。
そして、それ以上に大切なのが2つ目の意味、会話の流れを身に付けるということです。
例えば、突然何の前触れもなく単語を一言言われても、それを聞き取ることは困難です。
本来、会話というものは次の内容を予測しながら行なうものですよね。
その流れが理解できているから、途中の情報が失われても続けることができるし、速い速度でコミュニケーションが成立します。いわゆるコンテキストというやつですね。
英語がしゃべれない人は、この部分が全く出来上がっていません。
会話の予測もできないし、逆を返せば、相手の予測にものることができないのです。
これは、いくらテキストとにらめっこをしても全く身につきません。
何より効率がいいのは、音として、リズムとして身体に染み込ませることなんです。
先ほど、英語の勉強時間は1日に15分くらいとしましたが、ただ、英会話の垂れ流しを聞いている時間は平均して1時間以上作るようにしていました。
5種類のアプリのうち3種類はヒアリングアプリで、英語の会話をただひたすら聞くというものでした。
そうすることでまず英語が耳に馴染み、音として記憶したあとに、時間を見つけて単語や文法の勉強をしました。
それまでは早く喋れるようになりたいとテキストばかり読んでいましたが、結局は英語の流れが頭に入ってから勉強したほうが、理解力が圧倒的だという結論にいたったからです。
そうして会話の流れが身についてみると、大半の英語はある種の型にハマっていることがわかります。
その型さえ身についてしまえば、何を聞かれようとしているのか、それに対して何を返せばいいのかが理解できました。
英会話教室や高価なテキストを否定するつもりはまったくありませんが、それで勉強できた気になってしまうのはとても危険だと思います。
とにかく常に英語を耳にし続けること。
昔読んだ漫画だかファンタジー小説だかで、「魔法の契約自体は済んでいるけど、理解が出来ずその魔法が使えない」みたいなくだりがあったんだけど、最近そんな経験をしたので。
例えば、というか実際そうなんだけど、それまで全く英語がわからなかったのに、昔受験のために頭に詰め込んだ単発単発の英語の知識が、突然線で結ばれたように繋がりだして途端に英語を理解出来るようになったみたいな。
先月の事だったんだけど、その時は資格の勉強のために毎日テキストを読みふけっていた時期で、それがある朝目が覚めた時にやたら頭がスッキリしてて、きのう勉強した事がやたら頭に残ってる感じがした日がありまして。
その時は今日は調子いいのかなくらいに思ってたけど、その日を境に物事の考え方が違ってたというか、俯瞰でみれるようになったというか、何か今までの自分と違うような気がした。やべー俺覚醒しちゃったわみたいな。
もしかして頭いいやつってこんな感じを昔から持ってたのかなーと。
なんというかゴチャゴチャだった頭の中が整理されたって言い方が一番しっくりくる感じ。
それ以来資格の勉強やら何かモノを覚えなくちゃいけない時も、勉強した後に一眠りした後だと、更に理解力が高まってる気がするし、学生時代のように徹夜で頭に詰め込む!みたいなやり方よりも、勉強した後にきっちり睡眠とった方が断然ものを覚えられるようになった。
脳が睡眠の使い方を覚えた!みたいな感じなのかなぁ。
書いてるうちに何を言いたいか分からなくなってきたけど睡眠は大事ってことで。
それではおやすみなさい。
マーケティングの仕事をしていて、映像関係もちょいちょい仕事で絡む事が多く、それもあるのかどうかテレビ番組もよくチェックしている。楽しみの面もあるけど、テレビ局は未だに影響力が多く、少なくともネットではびくともしないくらいのこの方面のタレントや過去の技術的な積み重ねがなんだかんだで集まっている事が多くて編集、演出など勉強になることが多い。
ネットの子供たちは、まだ理解力がついていかないのでYTとかの素人動画になってしまうのは、それはそれで仕方ないのだが…、今回の話ではおいておく。(ネットもテレビと同様に楽しくチェックしてるけどね)
さて、最近のバラエティの話。主に青年向けの番組・お昼のものなどでも…。
最近はもう定石や定番の演出・編集を入れないことが多くて面白いなと。例えば、最初にタイトルコールして参加者の紹介を省いていきなり本編の目玉の画を入れ込んできたり。(その間に参加者の紹介など一切なく番組が進行している)後、30分番組だとしても、ゲストが入れ変わって別収録をまとめて放送してしまったり。今まではあり得なかった、順序みたいなのを一部の制作チームはガンガン壊しているのを肌で感じる。
いいことだ。
僕の場合、ワープロからはじまり、物置に眠っていたBASIC機をいじり倒し、叔父から譲り受けたDOS機をいじり倒し、小学高学年の頃にはプログラマになることを決めていた。
そんな僕も今や一児の父だ。定時で帰れる日は息子に勉強を教えている。彼の理解力や興味に合わせた手書きのドリルを作って、学校の授業ではわからなかったところをサポートしている。今では満点をもらえることも増えてきた。同僚に技術指導をする機会が多いが、当然ながら息子に教えるほうがはるかに簡単だ。
そんな僕が思うこと。
プログラミングを必修化したところで成果は得られない。
プログラミングに入門させるくらいならエクセル教室でもやったほうがいいだろう。どんな業界でも表計算は必須と言えるし、興味があれば思うままに使って遊んで覚えてくれる。子供に教えられる家族も、それなりにいる(期待はできないが)。
ちなみに、表計算は、プログラミングのエッセンスを必要とする。変数、条件分岐、繰り返し、関数、これらはどのようなプログラミング言語の基礎となる概念だ。
さておき、プログラミングを教えるとして、どんな言語だろうが、"Hello World" がはじめの一歩だろう。その次は変数。変数を教えるのは難しい。「箱に入れる」という比喩が理解できる子とできない子に分かれるだろう。四則演算と同様に、ここでつまづくと先はない。それからも、条件分岐、繰り返し、配列、関数、ここまで来れるのだろうか。
プログラミング言語は覚えたとしても、論理の組み立てができなければ、モノはつくれない。言語を覚えることと論理を組み立てることは、必要とする能力が違う。単語を覚えたところで、ネイティブと話すことはできない。人間ならば、単語だけでも曖昧さを補完して理解してくれるが、プログラミング言語は書いた通りにしか動かない。おそらくプログラミングに苦手意識を持つ子供が増えるだけだろう。
このブログを読んだ上でこれだけは言いたいと思って書きました。
どれだけ喚こうが、どれだけ叫ぼうが日本は死にません。自分が死ぬだけなのだということです
筆者の意見には否定的な反応が多いようですが、私は同情を覚えずにはいられない。
何故なら、私も筆者と同じような心境に陥っているからです
私の状況をお話しますと、学生時代に就活をしていましたが、内定を頂けず、現在は既卒での就活を再開しています。私は10社ではなく20社ほどに絞って就活をし、筆記テスト、グループディスカッション、一次面接、二次面接、ときには三次面接とくぐり抜け、10社最終面接にたどり着きました。そして、全て最終面接でお祈りをされることになりました。最終面接に10社辿り着けたということは、最低限の学力、コミュニケーション能力、理解力等は自分にはあるのでしょう。しかし何らかの理由で最終面接だけは通過できなかった。その理由は何なのか?フィードバックを頂いても、定まった答えは返って来ませんでした。自分の中でこれだ!と言った答えも見つからないままです
私が何を言いたいのか。
それはどれだけ勉強をしようが、コミュニケーション能力を磨こうが、インターンや自己分析、企業分析、OB訪問等の就活の準備をどれだけしようが、どれだけ○○をしようが落ちるときは落ちるということです。なので、まだ10社連続なら大丈夫。私のように落ち続けて既卒になった者もいます。生存競争において淘汰されるべき者はあなたのずっと下に存在します。
そういった感情論とは別に、筆者は日本の雇用問題に関して指摘をしている部分もあります。日本においては人材のミスマッチ率が非常に高く、そして雇用の満足度も低いという問題があります。日本はここ20年、経済成長を果たしておりません。諸外国と比べると、日本の物価はどんどん安くなっています。
日本のGDPが成長していない理由。それは雇用だけの問題ではないでしょう。生産性の低さ、消費の停滞、労働者数の減少、終身雇用によるチャレンジのなさ、ただパイを奪い合うだけの長時間労働・・・様々な問題があります。そもそも、GDPを指標にするということが古いのかもしれません。しかし、この企業と学生による化かし合いの新卒一括採用が雇用のミスマッチを引き起こし、満足度を低くしているのは間違いないでしょう。何がしたいのかも、何が向いているのかも明確に定まっていないまま、就職した最初の企業でうまくいく確率は低いとは思いませんか?
米国の若者は18歳から28歳までに平均6.2回の転職を行っているそうです。もちろん、ここまでの転職回数を認めろと言っているのではありません。ただ、転職について、雇用主も雇用者もポジティブに考える事で良い結果をもたらすのではないかということです。何故なら、流動性の高さはマッチング率を高めるからです。新卒一括採用と流動性の低さはミスマッチ度合いを高くします。恋人だって何人とも付き合って結婚相手を決めるのに、どうして雇用は流動性が低くて満足できると思えるのでしょうか。
運が悪く負ける人になったのか、実力がなかったのか、それは分かりません。
ただ、そこにある事実は面接に落ち続けた人ということであり、内定を貰えなかった人であり、それは必ず存在し得る人なのです。
そして、誰が助けてくれるわけでもありません
誰も助けてくれなくても、家族がいるじゃないか!という意見。ごもっともです。これまで様々な面で経済的援助、精神的な援助をしてくださった両親。非常に感謝しております。しかし、こと両親の分からない範疇、自分で決めたいと考える物事において、両親という存在が必ずしもセーフティネットになるとは限りません。何社受けたの?いつ決まるの?就活してるの?もっと○○したら?いい企業に入れないんじゃないの?など、自分は考えて行動をしていても、必ず親という存在はプレッシャーをかけてくるのです。仮に僕が社会人の方々に聞いてきたことが正しいとしたら、中には全くアドバイスにならないようなアドバイスをしてくる場合もあります。
就活や人生で悩んでいる子供を抱えている親の方がご覧になっていたら、子供に声をかける前によく考えていただきたいです。あなたの言葉がプレッシャーになり、子供の心を壊してしまう可能性があることを十分に理解しておいたほうが良いと思います。私のような人間を生まなくてすむでしょう。
私は分からなくなるのです。自分がどう生きていけば良いのか。自分に何ができるのか。やりたかったことが出来ない人生。
もしかしたらそこでしか出来なかったであろうこと。先のみえない人生。
それは筆者も同じでしょう。その中でもがいて生きていくのです。
日本は死にません。死ぬ必要もありません。自分に何らかの責任があり、自分が自らの失敗を背負うだけなのです。
踏ん張る。駄目なら色々な方法を試す。変化する。それでも駄目だ。