はてなキーワード: 理解力とは
増田は日本語という確固としたものがちゃんと存在してて、それでみんなコミュニケーションとってると信じてて、自分はそれの使い方や理解の仕方が下手だから理解力が低いんだってコンプレックスあるんじゃないかな。
全員がきちんと公用で習熟している日本語なんていうものは、無いよ。会話に使う言語ってもっとずっとあやふやなものだよ。それに多分増田が思っているよりも、一般人の言語能力って低い。普段の会話を一度録音して、それを文章に落としてみればすぐわかるよ。訓練を受けてない素人の会話なんて、指示代名詞や感嘆詞が多すぎるし、繰り返しや説明構造を無視した順序の逆転も多発して、まともな日本語とはとてもいえないものだよ。増田の理解力についてはわからないけれど、素人の説明能力なんて到底実用に堪えるものじゃないんだよ。
そんな欠陥ツールにも関わらず、それを用いた社会や企業が、普段なんでコミュニケーション取れているかって言うと、参加者それぞれが、他人のしゃべる曖昧で適当な言語を、予測とか補正とかで脳内修正しているからだよ。それが出来ないのが理解力が低いってことだろ? 同じことじゃないか、って思うかもしれないけれど「日本語や説明に対する理解力が低い」ってのと「他人の言うことへの理解力が低い」ってのは、全く違うことなんだよ。
結論から言うと、多くの人間は、言語そのものや論理そのものの理解能力は高くないし、それは重要じゃない。他人の(多くの場合上司や同僚や家族など特定の)発するメッセージを的確に受信できれば、それで良いんだ。
そしてそれはパターン学習なんだよ。相手に対する知識量に依存している。
だからおすすめは、その同僚や上司の人との接触時間を増やすことだよ。直接仕事の話をしないでもいい。雑談でもいい。というか雑談のほうが良い。そうやって相手の話し方の癖や、思考展開の方向性や、リズムに対する情報が増えれば、脳内補正の精度が上がってゆくよ。同じく、現在行っている業務に対する知識を増やすのも有用だよ。いま開いてがどんな業務を抱えているのか理解すれば、そこからの類推で指示に対する予測精度が上がるよ。
コミュニケーション能力が高い奴ってのは、何も、その場その場のしゃべりや理解力が高いというわけじゃなくて、日常生活の中で、いざという時、自分のメッセージを正しく発信したり相手のメッセージを受信するための、材料を大量に備蓄しているんだよ。
何も訓練みたいに肩肘をはらず、相手に対して興味を持ってみるってのが、一番良いと思うよ。
わかったよ。スポニチに「誘拐監禁犯は女子高生アニメにハマってた」と書かれたんだろ? その通りだな、アニメは関係ねえ! 俺たちアニメファンは犯罪者じゃねえ! 全く正論だよその通りだよ主張してかなきゃいけねえよ。
でもな、いま大声でそれを叫んでTwitterのTLを埋め尽くして、お前ら、忘れてね? いまこの瞬間、誰が被害者で、何に注目すべきかを。
スポニチが書いて、まあつられてワイドショーもアニオタキモいぐらい言って、それでお前ら、いまこ、オタク文化がこれだけデカくなってアニメが主要産業になった時代に、何か被害を被るか? 表現が委縮するか? 四半世紀以上前の宮崎勤事件の頃みたく奇異の目で見られて犯罪予備軍のレッテル貼られて生きづらくなるか? 日陰者の立場に追いやられていくか?
おう、表現規制や委縮のリスクはある。防いでかなきゃなんねえ。でも今大声で連呼すべきは、そ・こ・じゃ・ないだろ! いまメディアの向こうにいる被害者の苦難を想像しろよ。同じような被害に遭ってる子供がほかにもいるかもしれないことを想像しろよ。犯罪者の物理的・心理的暴力に屈せざるを得ない、未成年の弱者がいることをリアルに想像しろよ。叫ぶべきは、そんな被害者を、俺たち社会の一員が、いかに救っていけるかってことだろよ。たとえ実社会から疎外されてると言ってもよ! ネットだって社会なんだから!
オタクを犯罪者と決めつけるなと連呼される傍らで、(そいつらはオタクじゃないかもしれんが)平然と「一人で外出もできてネットも見られて、この女ってただの家出少女のビッチじゃねえの?」とか「家に幼女がいればそりゃ力づけられるわー」とか言って、それに頷いてる奴らがいる。女という性別に恨みがるのかもしれんが、それを一般化して少女にも問題があるように決めつけたり、それこそまるでエロ漫画のように、「所有物としての少女」をリアルで肯定したり。いま叫ぶべきは、それは違う! ということだろ!
犯罪の現場で男性と女性が対峙したときに、女性が感じる「体力じゃぜったいに男にかなわない。逆らえば殴られるかもしれない。逃げても追いつかれるかもしれない。従順にするしかない」という恐怖を想像しろよ。成長期にある少女を、歪んだ支配下に置く状況の異常性を想像しろよ。それが一人の、自我と人格を持った一人の人間の、健全な成長にどんな影響を与えるか、想像しろよ!!
事件は終わったが、被害者の「被害」は終わってないんだ。PTSDは永久に続くんだ。それを助長しようとしてるのは、メディアスクラムをやるマスコミだけじゃない。被害者がアクセスできるネットの中で、犯罪に対する理解力も想像力もなく、被害者をまるでフィクションのキャラのように好き勝手言って弄んでるやつらもだ。そいつらに届く声で全力で、それは違う! と言わなきゃなんない場面だろΖガンダムの最終回のカミーユみたいに! いやマジで!
本当の被害者を貶めるような発言はほっぽらかしといて、いざ被害が俺たちオタクに及ぶかもとなれば、一斉に自分たちが被害者でございと大合唱。お・か・し・い・ん・だ・よ! 被害者は、どこだよ!
「女子高生のアニメ見てれば犯罪者予備軍ですか?」ってわーってるよ違うよ。でもな、忘れんなよ。お前らハルヒに嵌って、グッズ買って、んで、ハルヒのエロ同人買わなかったか? ハルヒを性欲の対象として見なかったか? 俺もふたばでハルヒが男に組み伏せられてむぐーって言いながら、「孕めっ!」て思いっきり中だしされる絵(シチュちょっと違うかも)を見て興奮してヌいたよ。それは俺の中の、お前の中の、暴力性だ。フィクションに転嫁させた性的な暴力性、女性に対する暴力性が、なにかの拍子にリアルに向いてしまうかもしれないって、リスクを忘れんなよ。
自分が、性欲と暴力性を宿した男であるが故に、リアルで女を傷つけてしまうかもしれないという事実から、俺たちは逃げられないんだ。どんなに男女平等で、経済的に強い女が闊歩するようになっても、一対一で向き合えば男は女を組み伏せられる。その力を忘れんなよ。コミックLOの「ロリコンだから、少女を守る」とかいう標語を「ハハ、カッコいいじゃねえかLO」とか他人事のように言うなよ。俺はリアルの女に興味ないからとかリアルから見放されてるからとかうそぶくなよ、おっぱい触ってみたいと思ってる癖に。そんなリアルな性的欲求に、相手の女性を「自我のある人間」として見ない傾向が重なった状況は、危険なんだ。1万人のそういう傾向を持つ人間のうち、1人が暴走したとき、暴力は、犯罪は、起きてしまうんだ。だったら母数の1万人を、なるべく減らすように、いま叫んでかなきゃならねえだろが! 俺たちが!
国家の最大の機能とは個々人では不可能な規模での先行投資を行うことである。
理解力・思考力のある人間でこれに180どの角度から異論を唱える人はいないだろう。
もしいるとしたらそれは相手が何をしゃべろうと常に反対の言葉をしゃべる逆オウム怪人の思考停止アンチなのでスルーするほかない。
しかしここ最近世界各国で国家が自国の成長を阻害し、目先の利益ばかりを追い求めてばかりいるのだから笑うしかなすぎて笑おうとした口角が引きつったまま動かなくなること請け合いである。
目の前の寒さを凌ぐために本を焼く乞食のような愚かさを国家が示していては人類の行末には終わりしか無い。
官僚たちは引きちぎったセーフティーネットを老人たちの口に無差別に突っ込み、民衆はダンピングの続く労働環境を努力って素晴らしいよねと褒め称える。
こんな国ばかりで世界が長続きするはずがない。
・発達障害表明 ADHD などなど 他の専門の掲示板行け、医者にいけ
・セクシュアルマイノリティ 他の専門の掲示板に行け 増田では正直お前らの議論についていけん ほとんどストレートか、ファッションでマイノリティをサポート自称している餓鬼ばっかりだ。アンタ達がハッピーになれる場所は他にある
・ジェンダーイシュー 他の専門の掲示板に行け 男ばっかの所で話をしても無駄だ、アホしか居ない。別でやってくれ
・レイシズム関連 リベラル自称のブロガーのコメント欄行くか、保守速報のコメント欄で暴れてくれ。誰も気にしちゃいねーよ。
個人的にはそれらの議論は全て割と首突っ込んで見てる方だが、正直、増田やブコメの理解力のレベルではあんたらを助けられない。繰り返す。あんたらを助けられない。
http://anond.hatelabo.jp/20160110131135
だからあくまで「俺から見て」という話になりますけども、イケダハヤトという人のブログからはおもしろみを感じることができなかった。役に立つかというと、それもあまりそうは思えない。
おもしろくない、役に立たないという結論を出しているが、イケダ氏がどうおもしろくないのか、
なぜ役に立たないのか、その根拠が書かれていない。
あれつくづく俺と対極にいる人なんだなあと思いました。
文章への情熱や原初的な感動が感じられないイケダハヤトは、自分とは対極の人だと断じているコンビニ店長。
だが、なぜイケダハヤトにはそれらが感じられないと判断できるのか、その根拠が書かれていない。
さて、彼は三度のメシよりなにが好きなんでしょう。俺にはそれがわかりません。その答えがおそらく彼があのような手法をとる理由であり、そしてどうやら俺は、わからないながらもなんとなくその理由があまり好きではないのです。
「わからない」を「つまらない」「嫌い」等に結び付けてしまう人をたまに見るが、
わからないのに判断を下しているおかしさに気付かないのだろうか。
すでに多くの人がやっているイケダハヤト叩きに手を出したあげく、鋭いことを何も言えず、
自身の陳腐な文章哲学を並べただけのコンビニ店長。独自性が無く、結論を根拠立てて説明するという
作法すら知らない人が、文章への情熱を自負している様は滑稽でしかない。
大学の知見や論文レポートの下地があるイケダハヤトは、自説を根拠立てて説明する文章を普通に書いているし、
顔や実名を明かしているぶん、コンビニ店長よりも文章に対する責任や覚悟があるのではないか。
なんにせよ、他人の情熱を否定するような傲慢を冒すなら、相応の論を出せないと恥ずかしい。
・発音やリズムに気を配って、読み心地のいい文章を作る(語句の反復もその一例)。
・漢字をひらいたり、常用外の漢字を使ったりして、ビジュアル的なニュアンスを出す。
これらは比較的ポピュラーな文章術であり、例えば大ベストセラー作家の村上春樹もやっている。
だから、こうしたテクニックを駆使しただけでは評価に値しない。
小説なら、どのような形でテーマを見せるか。評論なら、どれだけ鋭いことを言えるか。
文章術なら、まだ知られていない面白い文章術を編み出せるかどうか。
コンビニ店長が今回書いた増田は評論に該当するが、鋭いことを何も言えていないので価値が無い。
「俺はアマチュアリズムの信奉者でした」と書くだけでも自覚や熱意を表現できるわけだが、
わざわざ「かなり自覚的な」という句を入れて野暮ったくしている。言葉のセンスが無い。
アマチュアリズムというとかっこよく聞こえるんですが、要は「無料なんだからなに書いたっていいだろ」っていうことです。あるいは「なに書いてもいい自由を俺から奪うな」「つーか金とるにあたって発生する責任とかとる気ねえから」ということでもあります。
考えてみると、俺は常におすそわけの原理で動いていた気がします。たとえばカレー作った。なんかおいしくできた。じゃあ隣にも分けてあげよう。やっべー俺の作ったカレー超うめえっすよ。でも隣の人がカレー好きじゃなかったらおすそわけしない。インターネットのすばらしさは、俺にとっては「俺の作ったカレーここにあり!」「俺は超うまいと思うからカレー好きな人は食え!」「でも俺の好みで作ったから好みにあわない人ごめんね」「そのかわり無料」っていうところです。
かといって日本全国のカレー好きの人に俺のすばらしいカレーを届けるための努力をするほどではないのです。だから別に有名になる必要はなかった。それに俺には「今日はカレーを作ろう」「いや、気分的に今日はうどん」という自由がありました。その自由を捨てる気はなかったのです。カレー職人になりカレーで金をとるためには、三度のメシよりカレーが好きであり、魂がカレーでできている必要があります。それでいえば俺は「料理が好き」なだけであり、だれかがおいしいといってくれればそれで満足だったのです。もっといえば「おいしいといってくれる可能性がある」だけで満足だった。
それでも俺は、なにも書かれていないテキストエディタを前にしたときの「さあ、いまから俺はなにを書いてもいい。そしてだれかがそれを読んでくれるかもしれないんだ。こんな素晴らしいことがあるだろうか」という原初的な感動を捨てたくはないです。
こういうのは、ネットで文章を書いている人の多くが日常感覚的に思うことだ。
それをさもマイナーな価値観のように語っているところに、コンビニ店長の井の中の蛙ぶりが見てとれる。
大卒の人や、それなりに本を読む人の語彙や理解力を想像する力がコンビニ店長には無い。
だから「かなり自覚的な」等の過剰な説明をしたり、誰もが知っていることを念入りに語ったりする。
言わずもがなの言葉ばかりで埋められた文章は、文字量のわりに読み応えに乏しい。
私はコンビニ店長の文章を面白いと思わない。コンビニ店長の文章には知的刺激が無い。
誰もが知っていること(共感性)をまわりくどい言葉(歯ごたえ)で書いていて、
その共感性+歯ごたえが、コンビニ店長の人気の理由ではないかと推測している。
粋な文芸の世界を知らない人や、文章を批評的に読む習慣の無い人が、コンビニ店長に釣られてしまう。
tailtame スルースキルの方向へは行かないのだな~。/☆5?後追記。それでいてエゴサと非公式RTで絡んで行くしキヌのファン(キヌシタン)をブロックしてるからダブスタなんだろうなぁ
はぁ~~~
id:tailtameって人はスルースキルをそんなにも信頼してるんだな~~
ていうかあきまんは「スルーしてたら永久に攻撃されるので反撃している」ってちゃんと言ってるのにもかかわらず「スルースキル使え」って言うのって理解力無いのかな~
id:tailtameはバカなのかなアホなのかなノータリンなのかな知障なのかな~~~
スマイリーキクチ事件もさ、あれはキクチさんが最初は根も葉もないデタラメだと割りきって無視してたら
あれよあれよという間に事実扱いにされちゃって、あそこまでの風評被害に拡大しちゃったんだよな~~~
id:tailtameはそれでもスルースキル使えば万物みな問題無しって考えを持ってるわけだ、へえ~~~~~
ようすんにid:tailtameは自分の人生メチャクチャに破壊されてもいいからスルースキルずっと使って行きたいだろ?
それがid:tailtameのご希望の人生だというなら、望み通りにしてやろうか?
彼氏が理解できないのは当たり前です。経験した事の無い事は理解できないのです。
男は攻め、女は受けと言う儒教文化ばりばりのセックスが問題です。
これを逆転してみてはいかがでしょうか?あなたが攻めるのです。
乳首を噛み。フェラをガシガシして、どう気持ちいいでしょ?いって良いよと言えばどうでしょうか?
彼氏とあなたの立場関係によっては私腐女子なのと言ってアナル攻めでもやってみれば良いでしょう。
多少の理解力のある男ならここで考えるでしょう。あれ?これ何かおかしくない?
それなりの男は考えます。「あああ、もしかして俺間違ってた?」と
『生き延びるための作文教室(14歳の世渡り術)』 石原千秋:著 2015年
・読書感想文などという何の役にも立たない糞のような課題を課せられる中学生のために、
"学校が生徒に何を求めているか"を解説し、それを意識した上で、せめてその枠の中で個性的に"見える"作文を書く手法を教えよう、というロックな本。
たとえば、先生に「もっと客観的に自分を見なさい」などと説諭されたことはないだろうか。端的に言って、これは罠である。この時先生が期待している、あるいは強いている答えは簡単だ。「私はまちがっていました」だけだ。
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田 ズーニー:著 2001年
・「その文章、何のために書くか?」
文章を書くときには「その文章が何を目的とするか」ということを見失ってはいけない。と解説する本。
会話と同様に、文章にも読み手と書き手のすれ違いがある。就職活動の自己推薦状の例で考えてみよう。
学生Dは、会社訪問を申し込み、「形式は自由だから、自己推薦状を書いて持ってきてください」と言われた。
Dは考えた。「学生生活を振り返って、自分が唯一やってきたのは音楽だ。自分には、音楽しかとりえがない」。そこで、「音楽への情熱では誰にも負けません」という趣旨の自己アピールを書いた。
このままの文章では、採用担当者は首をひねるだろう。その会社は、音楽にまったく興味がない。音楽への情熱が、入社後、何の役に立つのだろうと。
まったくかみ合っていない。採用担当は、仕事への適正を見たいのだ。その問題関心から外れたところで、どんなに自分をアピールしても意味がない。どうすればいいのだろうか。
文章書くなら読んでおいて損はない鉄板本だが、内容濃すぎて読み込むのに時間がかかる。
文章の綴り方がいくら上手くなったとしても、それに見合うほどに就職試験の評価が上がるわけではないので、
これまでの日本語教育の根幹を流れる方針は、理解力や記憶力ばかり重視し、独創性・想像力・創造力を最も必要とする作文を軽視または無視するというやりかたです。
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だから今の小学校では、「綴り方」の時間さえも少なくて、そのかわり「読書感想文」などというものがあるんですね。
あれは作文というよりも理解力のテストみたいなもので、あれで作文をやったつもりでいたら噴飯ものというべきでしょう。おかげで読書も嫌いになる。
文章関係の本を読んでいると、「読書感想文は何の役にも立たない。あんなものを子供に書かせるな!」と筆者が憤る内容の記述がよくあるので、学生時代に読書感想文が書けなかったからといって気にする必要はないと思いますよ。
既にトラックバックがついてるけど、大学入った頃に比べても劣化してる気がするなら、何かの疾患がある可能性があるから、まず専門家に相談したらどうか。脳の問題や精神の問題だけじゃなくて、例えば体力が落ちると集中力や理解力や記憶力も低下することがあるし、まずはそういった健康上の問題の可能性をはっきりさせては。
で、その可能性が無かったとしての話だが、能力ってのはもちろん一次元の値じゃなくて色々な方向があるし、ひとつの能力がある状況ではメリットになり別の状況ではデメリットになるってこともある。大学に入れること、および大学で身につけられることってのはそういう能力の方向のうちの一部にしかすぎないんで、たまたまそれ以外の方向の能力が状況にフィットしてないってことかもしれない。その場合の対策としては、まずどこにミスマッチが生じているかをはっきりさせて、自分が改善できるものなら改善する、できないものなら状況の方を変える(別の場所にゆく)、ってことしかないんじゃないか。