はてなキーワード: 理不尽とは
ついこの前まで、私は自尊心が地の底に落ちていた。
理由は明白で、自分を否定してくるタイプの人間の下で働いていたからだ。
その人曰く、私は「アップデートしてもすぐにバックアップに戻るパソコン」だったそうだ。また「積み上げたジェンガをすぐに崩される」とも言われた。
いくら指導しても改善しない、進歩しない、だから指導しているのがだんだん辛くなり、仕事も振れなくなり、結果的に何の指導もしないまま放置することになった。指導するリソースを割く暇も惜しい、だそうだ。
事実、最終的にはほとんど仕事がない状態になり、挙げ句の果てにクビを言い渡された。(表向きは自己都合退職だけど)
彼らの下で働くことに疲れ切っていた私は、ごくあっさりとそれを受け入れ、荷物まとめて脱兎の如く逃げ出した。幸か不幸か、引き継ぐような仕事は殆ど無かったので辞めるのは簡単だった。
低スペックパソコンなりに一生懸命やってきたつもりだったが、こうして私の会社員生活は幕を閉じた。
さて、彼らから離れてしばらく経って、自尊心がいくらか回復してくるうちに、私は随分彼らに「飼い慣らされて」いたんだなぁと思うことしきりだ。今冷静に振り返ればどう考えてもパワハラであるような人格・能力否定の発言の数々、一方的で理不尽な評価、あまりに目にあまる印象操作に異を唱えようものなら「生意気」「このやり取りで双方(上司と私)の勤務時間を無駄にしている」と恫喝まがいの口調で言われ、何か一つ間違えれば百の小言が襲ってくるという日々。
こんな人間のことも、「部下思いのいい上司」と懸命について行こうとしていた過去の自分は、本当に人を見る目がなかったんだなぁと呆れるばかりだ。
退職勧奨をされた当初は、このまま黙って辞めるのは悔しいからと一矢報いてやろうとも考えたのだが、何より相手は「無能な部下にスポイルされた自分達の方が被害者」という理論を完璧に固めているので、まるで話が通じない。交渉したとしても勝ち取れるものは微々たるものだろうし、何やり彼らとこれ以上関わることで疲弊する心身の方が大事だと判断し、さっさと縁を切ってしまう道を選んだ。
人はこれを「泣き寝入り」と呼ぶのだろうが、本当に壊れたら泣くことも寝ることもできなくなる。そうなる前に自分を守ることは、自分の溜飲を下げることより余程大切だ。
そういうパワハラ上司の下にいた日々を振り返るに、私はこの頃よく考える。
「反省ってどうやればいいんだろう?」
と。
この上司にもよく言われたことだが、「自分が被害者である」という気持ちでいると、何も反省せず、何も改善できない人間になって危険だよ、という。世の中では割とありふれた戒めの言葉である。
だから私は、あの日々が100%完全に上司が悪かった訳ではない、自分にも原因があり、反省すべき点があるからそれをよく踏まえて、次はそうならないように心がけよう、と、そう考えるようにしている。
しかしそうやって振り返ってみる度に、上司によって傷つき、踏みつけられた過去の自分がゾンビのように蘇って、群れとなって襲いかかってくる。ゾンビたちは口々に「悔しい」「腹立たしい」「悲しい」と呪詛の言葉を吐いては、過去を糧にして未来に活かそうと努める光属性の私を揺さぶる。こいつらはどうやったら鎮まるのだろう。
何よりも、「私を傷つけた上司はのうのうと生きているのに、なんで傷つけられて職まで奪われた私が反省しなきゃならないのか」という悔しさが、ゾンビを活発にしている。そう、結局私は脱兎の如く逃げ出して、さっさと縁を切って、さあ立ち直ったぞと言いながら、実は全然克服出来ていないのだ。自尊心を損なうということの後遺症は、つまるところ時間との戦いになる。
本当に、反省ってどうやったらいいんだろう。
それは、トラウマを克服した果てにあるのか、それともトラウマを生じるような出来事では、反省することは難しいのか、はたまた、反省することがトラウマを克服することになるのか。
出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
(初出)
です。
[p166-167]
【※】『キル・ビル』に関する話題から、時代の証言に移ります。
町山:はっきり言えるのは、『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』とか『直撃地獄拳』(74年)が好きなだけで、もう、絶対にダチだってことだよ。
柳下:どうして?
町山:モテないからさ!ダサいからさ!この手の映画は今でこそ『映画秘宝』でしられるようになったけど、それまでは誰も見向きもしないクズだったんだ。特に80年代は完全に忘れられていたんだ!
柳下:急に力入ったね。
町山:いいか、オレがそういう映画を観ていたのは十六歳から二十六歳にかけて、つまり、人がいちばん恋愛してセックスする期間だよ。しかも80年代はバブルで、男はダブルのイタリアン・スーツ、女はボディコンで恋愛とセックスに狂っていたトレンディ・ドラマな時代だったんだ。でも、オレは六本木や西麻布に行く代わりに浅草や池袋で酔っ払いのジジイに交じって、タバコの煙越しに千葉ちゃんを観てたんだよ!中野監督や杉作J太郎さんや、きっとタランティーノもそうなんだよ!
町山:でも誕生日には自分へのプレゼントとしてソニー千葉三本立てオールナイトを観てたんだよ!『トゥルー・ロマンス』(93年)は本当の話なんだよ!でも、現実にはそんな映画を一緒に観てくれるアラバマみたいな女の子はいないんだ!その悲しさがエリック・ロメールだのR・W・ファスビンダーだの観てた貴様にわかるか?え?
【※】「モテない/モテなかった」こと自体は別に罪ではありませんが、しかし、何故コレで「オレは恋愛論を語れる!」と勘違いできたのでしょうか。
(初出『映画秘宝』03年vol.49)
【感想】
世の中には「モテない/モテなかった人間」は多数います。そのことは当人にとって、当人にしか理解し得ない、理不尽な現実だろうと思います。しかし、それでも真っ当に生きている人たちの方が大多数であろうと、私は信じています。
そういう中で「モテなかった!」と過去の怨念を叫びながら、権力勾配を利用してセクハラ的な言動をする町山智浩らのような人間の存在は、偏見を助長しかねない甚だ迷惑千万なことだと思います。
知り合いに親の介護で苦労してるやつがいるんだが、詳しい話はやめておくけど、簡単に言うと「自分は不幸で理不尽に虐げられている」という認識にすごくこだわるんだよな。確かに大変だとは思うんだが、「月に何日か人に任せて、息抜きに遊んできたらいいんじゃないか」とアドバイスしても、頑なに「いや、俺が何とかしないと大変なことになる」と言って聞かないどころか、細かいことにこだわって次々と自分の仕事を増やして「あれもこれもしなきゃいけない、俺は本当に大変なんだ」と言ってくる。それでなお「根を詰め過ぎたら潰れるぞ」と言い続けると、「お前は俺がどんなに苦労しているか分かってない。俺の苦労を認めないつもりか」と怒り出す始末。
彼は社会性はあるし人格に問題はないんだが、おそらく、自尊心というか自分肯定感が非常に低いのではないかと思う。介護のために、彼が誇りを持ってやっていた仕事を変えざるをえなくなったことも影響しているのだろう。その欠落を、親の介護をきっかけに「理不尽に苦しんでいる自分は、だからこそ真っ先に救われる資格がある」というアイデンティティで埋め合わせるようになってしまったように見える。彼の不幸を軽くする要素は「不幸な自分」という自己イメージを壊してしまうから、結果として、介護されている親(不幸の原因)に対しても、それを心配する周囲(「不幸な自分」というアイデンティティを取り上げようとする人)に対しても、常に攻撃的に振る舞うようになってしまった。正直、最近は彼と話をするのがつらい。
で、本題なんだが、ここ数日「弱者男性」についての議論を眺めていて「これは同じ話だな」と思った次第。もちろん、彼のプロフィールは「弱者男性」とは程遠いのだが、「不幸な自分」というアイデンティティにこだわる姿勢にとても既視感がある。これは、政治に影響を与えているという意味では社会問題なんだが、その解決策は実はカウンセリングなんじゃないか。おそらく、どれだけ福祉政策的な改善策を進めても、自分のアイデンティティの欠落を埋めるためにいつまでも「敵を見つけ続ける」ことになるんじゃないかと思う。
追記: まとめを作っている人がいるのでぶら下げておく。 anond:20210408163950
案A
・どっか適当なSES会社に入って1〜3年働く。ブラック?理不尽な長時間労働は全部拒め。どうせ長くいる会社じゃないと思えば強く出れるはず。
・転職する。「テレワークができる」の一点を条件にする。それ以外は全部妥協しろ。
案B
・どっか適当な大学の情報系の学部に入学して4年間学ぶ。入れるところに入る。
・就職する。「テレワークができる」の一点を条件にする。それ以外は全部妥協しろ。
案C
→当然である。議席をあてがってもらわないといけないほど切羽詰まっているのなら、そうしない理由がない。
→上記から当然である。そもそも望まれてないということだろう。
どこにも理不尽な要素ないだろ。
まともに生活しているなら「生活というのは苦労がないこと」だというなんて発想はでてこない。
俺はこの時点で、生活上男女平等が必須、とか言えてしまうお前は、真剣に生活してないと思っている。
放っておいても親が作るメシを食べたり、放っておいても余る金で好き放題コンビニ飯くったり、してるんじゃあないのか。
表題の通り
自分は女
今まで頑張って、頑張って頑張って年収を伸ばしてきたけど所詮は会社員、時間の切り売りだし今から成果で報酬が得られるキャリアチェンジなんて気力もない
多分半分位になる
あー理不尽!何も悪いことしてないのに!
と思う反面、時間で雇われているのに働いてない分の給料出されるのは、それはそれでおかしいと思う
じゃあ行政が全部負担すべきかと言うと、そうでもないと思うし現代日本でそんな事は絶対にできないので考えるだけ無駄だと思う
じゃあ誰が払うべきなんだろうか
そもそも払われるべきなんだろうか
子供を産み育てる事は金のかかる趣味みたいなもの、という考え方は私はあまり好きではない
だけど今の状況考えると、私は収入減と大きな支出を払ってでも子育てをする選択をした
貧乏ながら大学卒業して奨学金返して死に物狂いで男社会で頑張ってきたけど前みたいな働き方はできないので
私の年収は今後そんなに上がる事はないだろうな
誰にもぶつけられない切なさを
増田に記録してみました
モテたいと思うのと、女性側の人権を無視してでも相手を用意しろと主張するのは全然違う。あともし内心で妄想として思ってても言葉にしなければ主張しているとは言わない。
モテたいとかつては思ってたけど今はどうでもいいというのもいる。
俺は攻撃も加害もしてないけど?って弱者男性全員思ってるよ。性犯罪おこしてない人が性犯罪者と連帯責任とらされるのも理不尽じゃない?まったくの他人だし別の人格だよ。犯罪者の多くが鈴木姓だったら鈴木さんの自浄作用を求めるの?
別に共感しなくてもいいけど、多くの弱者に共感の態度を示すリベラルの人多いから、それならその視線をこっちにも向けてもいいのでは?という感じ。
リアルで漫画みたいにモテる人って本当にいるんだ…みたいな状況に出会すと嫌でもモテたいと思うようになるよ
ジャニーズが踊ってるステージの隅にデブでキモい俺が無理矢理立たされるような、そんな状況になることがリアルではあるんだよ
漫画とかアニメの世界に逃避しているだけの人の方がそういう理不尽な目に遭わない、
だから、そんなこと考えないで一人で生きてさっさと氏ね、みたいに言われても、例えを無理矢理続けるなら、
ジャニーズが踊ってるステージの隅でデブでキモい俺が自炊や洗濯し始めたり、ドアで自○し始めたりするようなものであって、
と書きながら想像してみると、それはそれで面白いステージパフォーマンスなのかもしれない、とも思うのだけど、
俺が自○するパフォーマンスはなんらオーディエンスの注目を集めることすらなく、
それはそれでむなしい気がしてしまうのが人間の佐賀なのではないか
だから、なんか悔しいのでそこで下手糞なロボットダンスを始めるとか、フルテンアンプでメタル弾き始めるとか、
そんな感じでステージの真ん中のジャニーズのステージをぶち壊せないかと思い始めるわけだけど、
ブラック校則の問題が取り上げられるたび、学校も先生も頭おかしい!おかしいルールは即撤廃すべき!って吠える人多いけど、どういう世界を望んでいるんだろうか。
子供たち自身が、自分たちで決めたルールに則って学校生活送る世界?それともすべての頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限を撤廃した上で、個々の子供と家庭に任せる世界?
自分が過去、学校生活で味わった理不尽さを思い出して憤り、「現在の学校や先生」に八つ当たりしてんじゃないかと思うことがある。
わたしは、子供の頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限、学校側が頭ごなしに決めるのは問題だと思うし、どれもなくていいと考える方だけど、
たとえばだけど、小学校卒業式の服装。とくに女子で和装の流行が問題となってきて、実質規制する学校もある。
着崩れ問題とか着慣れない服でトイレいくのが難しいとかいう、児童一人で始末付けられない問題のせい。
誰が始末をつけるかったら、それは保護者じゃなく先生になるわけよ。
じゃあ一人で始末を付けられる服装という制限だけにしたらどうか。
それならと、和装着たい子のすべての家庭がきちんと練習して着用させるかったら、あやしいものだよね。
じゃあこの規制は「合理的理由」かったら、不合理と考える人だっているでしょう。うちの子は着付け習っててちゃんと着られますとかね。
合理的理由って一言でいうけど、線引き考えてルール決めるって本当にむずかしいよ。理由づけなんていくらでもできるから。
もちろん、下着着用問題、下着色問題とかは、明らかに不合理だし、女子もちでこのルールあったら学校にねじ込んでると思うけど。
なんかまあ、全部学校のせい!先生が悪!教育委員会はクズ!みたいな論調に違和感覚えるんだよね。
ルールを撤廃したり、子供に決めさせる、家庭に任せるにしても、実際の学校現場で子供たちに対応するのは先生たちだからね。
保護者が責任持って現場でサポートしてくれるわけじゃない。子供の学校外行動に、管轄外ですから!って割り切って電話切れる学校はない。
服装、頭髪どんな表現で登下校していても、個性的ねーってみんながみんなあたたかく見守ってくれる世界に生きてる?
家庭の問題だろっていうけど、制服着てる以上、学校に登下校する様子見てる以上、どうしたって評価は学校の方についてしまう。
規制がない私立の学校説明会で聞いたけど、生徒の「華美」な服装でイチャモン電話があったら、うちは生徒の自主性に任せる学校ですって応えてると言ってた。
公立小中、公立高校、すべての学校がこういう覚悟を持てるだろうか?
まあ一度、頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限とかなくしてみたらどうかとも考えるけど。面倒を考えると踏み切れんだろうね。
やっぱり勘違いしてるよ。
今ある社会のルールの中の理不尽なことを改善しようとする運動と理不尽なことを社会のルールとして設定しようとすることへの反発は全く違うものであり都条例改正やフェミニズムへの反発は後者なんだよ。
根源にあるのが保守的なのかリベラル的なのかなんて関係なく抑圧への反発であり、保守的なものだけが抑圧をもたらすわけではないという話。
弱者男性の気持ちを理解するには就職氷河期の就活をイメージするのが近い。それも貧困や病気や毒親が原因で良いとは言えない学歴しか得られなかった就活生。
自分なりにさんざん努力して、多くの企業にアプローチしてもまったく選ばれない。
まともな就職はほぼあきらめている。それはいい。でも、少なくとも選ぶ側は蔑んだ態度を取らないでほしい。圧迫面接や失礼な態度は不快だ。「え?そんな低学歴を我が社にあてがえってw?ありえない」みたいなことは思っても口に出すな。
解決が難しいのは十分わかっているのでそこまでは望まない。せめてそういう弱者がいること、自分なりにできる努力はしており必ずしも自己責任100パーセントではないことをわかってほしい。
ただ、就職難と違って景気が良くなっても弱者男性問題は好転しないんだけどね。
選ぶ側(女性、企業)と選ばれる側(弱者男性、就活生)との圧倒的な非対称性と、選ばれる側の苦境や低スペが自分の責任ばかりではない、という例え話だったんだが、伝わりにくかったか。すまん。貧困や病気や毒親は比喩ではなく実際に弱者男性を生む原因になってると思う。
うん。だからこそ、女性でも(弱者男性の感じてる)理不尽さ、徒労感、つらさが理解しやすいかと思ったんだけど書き方が悪かったね。
追記2
え?これが女をあてがえ論に見えるの?書いていないことを読み取られるのは心外だなあ。じゃあ解説するね。
次の文では自分が仕事(配偶者)を獲得できないのはわかっているし、誰かから仕事が与えられることまでは望まない、と書いている。
解決が難しいのは十分わかっているのでそこまでは望まない。
次の文では、立場の非対称性に乗じて失礼な態度をとらないでほしいという主張だ。こっちが言ってもいない「あてがえ」を攻撃の理由にするなということ。獲得したいなあと望むことと、あてがえと主張することの違いわかる?
でも、少なくとも選ぶ側は蔑んだ態度を取らないでほしい。
「え?そんな低学歴を我が社にあてがえってw?ありえない」みたいなことは思っても口に出すな。
つらいのは、
で勝ち目のある競争に参加できなかったこと。負け戦に強制的に参加させられること。それによって蔑まれること。勝ち目のない低スぺになった原因は上記以外にも人それぞれあるけど、無職(非モテ)はつらい原因ではなく、つらいものを抱えた結果であること。
そして「あてがえ論」などとこちらが言ってもいないレッテルを貼って、本来の貧困や病気や毒親などの原因の原因に誰も目を向けないこと。新卒カードを持っている(男である)から強者だって言われても恩恵受けたことないし。
要は、今の段階では一足飛びに解決を望んではいない。弱者性を認めて声に耳をかたむけてほしい、こちらが感じている理不尽さ、徒労感、つらさがどういう種類のものなのか知ってほしいだけだ。
解決が難しいのは十分わかっているのでそこまでは望まない。せめてそういう弱者がいること、自分なりにできる努力はしており必ずしも自己責任100パーセントではないことをわかってほしい。
追記3
これ非モテ女性も同じじゃね?って話でいうと、これまで日本では異性とパートナーになるには、ほとんどの場合男性から女性へのアプローチだったということを考えてほしい。告られる回数の非対称性。それで、普通レベル以下の男性が人生において何度も経験するこちらからアプローチしては女性にジャッジされ拒否される状況のように、女性が自分から何度もアプローチをする状況が何かあるかというとそれが就活くらいかと思ったので。
勝ち目がないとわかっているアプローチを自分から何度も仕掛けないといけない徒労感が似てるんじゃないかと。
まあマッチングアプリとかで異性にアプローチする女性も増えてきたし、みずからアプローチする婚活に疲弊した女性もいるとは思う。
従来型の待ってても男性が全然寄ってこない、あるいはクズ男しか来ない非モテ女性の苦しみは、苦痛の大きさは同等だと思うしそれはそれで同情に値するけど、徒労感などの方向性が違うと思ってる。
いや男女関係あるでしょ
「お前が弱いからいけない。わきまえろ」と抑圧され
さらに同じ男性というだけで加害的な強者男性と一くくりに非難され
苦しみの声を上げれば「女をあてがえと喚いている」と嘲笑される
うんざりした気分で一連の議論を眺めていたが、その中によい論考をみつけた。
そう、まさにそれが言いたいことなんだ。わーー 伝わってた!!
雨の日も風の日も弱者男性論を主張してきたが、今日初めて、辛くても続けてよかったと思えた。
(モテるモテないは)容姿・性格とか色々な要因のせいであり、異性が悪いとか国のせいだとかは思わない。自分に限らず世間全体だいたいそう思ってるでしょ。
でもこの構文で貧困とか低賃金みたいな社会問題を「お前の能力の問題」みたいに切り捨てることもできそうな気がして怖いんだよなー。
怖いんだよなーとは言ったけど、実際には「お前が稼げないのはお前の問題」みたいな発言はたいてい怒られるわけじゃん。少なくとも最近は。モテの話と違いがわからん。
違いなんてない、が俺たちの主張の出発点なんだ。
なぜかフェミニストと対立しているように言われがちだが、「個人的なことは社会的なこと」っていう彼女らの主張を俺たちもまた信じている。一人一人の行動にその人の価値観が現れて、それが社会に影響する。社会の価値観が個人に影響する。人間社会は1つの巨大なシステムだ。
日本でも遥か昔にはオッパイの大小なんてどうでもよくて面長な女性が好まれた時代があった。どんな異性を選ぶか? は文化の影響を強く受ける。文化は、社会だ。
披露宴の馴れ初め紹介で「はじめて会ったとき、おカネ持ちだな、と思いました」とか「乳房が大きいなと思いました」とか言う奴はいない。本当はみんな解っている。それは表で胸を張って言えないような邪悪な価値観だって解っている。
かねてから自己批判なき差別論はクソだと思っていた。反省の結果、自分もまた差別構造の被害者であり受益者でもあることに気づいた。だがもはや目を瞑って自身をあざむくことはできない。だから俺は批判する。何と言われようと。
社会問題と個人の自由を都合よく切り替えて救済対象から外すのはダブルスタンダードだ。欺瞞で保護された理不尽が、結果的に弱者男性を追い込んでいるんだ。
コメントの別の人の返信について。
ならば俺はネットで仲良くしていた異性が実際に会ってみて…
交際を打ち切るわ。でも相手がそれをツイッターで喧伝したら、お前らは容赦無く俺を総バッシングするだろ?
お前たちのそういうところが好きだ。
昨日もほぼ丸一日妻に無視されたのだった。
めちゃくちゃ些細な一回のすれ違いが、理不尽な怒りとなって俺を襲う。たぶん今日も無視される。
最近は頻繁にこういう事が起きる。
短慮なタイプの増田は、モラハラ妻だから別れろとか言うに違いない。
不妊治療中の妻のPMSは、どうやらかなり強い。もともと女性ホルモン弱め男性ホルモン強めだった人が、女性ホルモン増える注射や薬やってるんだから、そりゃそうだ程度の話なんだろう。たぶん。どうやってもたぶんの話にしかならないけど。
手帳に書いている1行日記を見返したところ、どうやら俺はひと月のうち2週間ほど無視されるような状態で乗り切り、のこり2週間をなごやかに過ごしているらしい。導火線に火が付くきっかけはその時々なので、長かったり短かったりするが、とにかく周期がある。前回無視されていたのは先月の今頃だったし、前々回は先々月の今頃だった。
「あなたがイラついてるのは生理のせいですね」とか言ったらどうなるか。
「は? わいが悪いんか?(ブチギレ)」。こうなる可能性が高い。
いままでは、無視されていることに俺がリアルに傷つき、限界を迎えてこっちがキレて、キレたせいで妻が泣くのでそれを慰めて仲直りだとか。あるいは無視されているという状況自体を無視して、寝ている妻を基本放置して自分の読書に没頭し、いよいよ実家に帰るとか言い出した妻を慰めて仲直りだとか、そういう変に劇的なことをしてきた。つまり俺も感情に振り回されてきたわけだが、これはだいぶ疲れるのでもう少しうまくやりたい。
うまくやりたいが、俺も一緒に感情に振り回されること自体が役立っているかもしれず、悩ましいところだ。
妻とどうするのがいいのか。そもそもどうもしないのがいいのか。
とりあえず今月は、家事の類は全部やりつつ、優しい言葉のポーズ(無視されるのは判っているため単なるポーズとなる)を取りつつ、空いた時間はモンハンとかしながら妻を寝かしておくが。
それでいいのかはわからない。俺の心にはとりあえず硬化薬グレートがかかるが、別に上手い解決には向かってない気がする。特に、仲直りのきっかけが提供されてないのがまずいのではないか。
ちなみに今年の冬だ。
新社会人になって金が入る様になってから月1ペースで通っていたんだけど、お気に入りの嬢が足を洗った事と俺自身が仕事やら何やらでうつ病になった事もあり数年前からは行ってなかった。
仕事を辞めて暫くしてから働き始めてからは家と職場の往復。休日に日帰り旅行に行ったりライブを観に行ったりしてたのだが、コロナの影響でそれも出来なくなった。
仕事の方は職業柄テレワークというわけにもいかず、ひたすら職場で働いていたのだけどもまさかこんなにも自粛期間が長引くと思っておらず日に日にストレスが溜まっていった。
それで2回目の緊急事態宣言が発令された時、ストレスが限界にまで達した。
繁茂期に入り、仕事が忙しくなった上に自分の時間も持てなくなった。自粛ムードで何も出来ない事もあり精神的にも限界だった。
常に気を張り続ける生活に嫌気がさした俺はヤケクソ気味に風俗店へ足を運んだ。
理由?性的処理もそうだが思いっきり人に甘えたかったのだ。抱き締められたい。丁寧に扱われたい。そして嬢の尻を叩く程度にぞんざいに扱いたい。それでも笑顔で受け入れてもらいたい。何とも身勝手な理由だ。ただそれ以外俺を止める方法がなかった。
少し昔話をする
最初に入った会社はパワハラ・モラハラが飛び交う理不尽な社風でサビ残・休日出勤は当たり前、上司と取引先の無茶振りに対応するのが精一杯だった。プライベートなど無いようなもので最終的に電車に轢かれようと思うまでになって辞めた。
転職した会社では社内抗争が勃発し、そこでもパワハラ・モラハラが前の会社よりかはマシな程度ではあったが横行していた。ノルマを達成しても給料が上がる見込みもなく、人間として扱われたい気持ちとは裏腹に理不尽を受け続ける事に必死だった俺はやがてうつ病を患い社会からドロップアウトした。
いつ何が起こるか分からない為予定も作れず、仕事終わりに時間が空いた時だけ俺は風俗店へ行った。職場周りは男しかおらず同期もいない俺にとって弱音を吐いたり、思いっきり甘えられるとは風俗嬢と一緒にいるラブホだけだった。そこでは何もかも肯定してくれる風俗嬢が居てくれた。お金を対価にサービスしてくれている事は百も承知だ。だがそうでもしなければ俺は生きていけなかった。
うつ病になる前後にお気に入りの嬢が辞めた事、うつ病になり性欲はおろか生きる気力すら無くなり金銭的な問題もあり、その後風俗店に足を運ぶ事はなくなった。
長い療養期間を経て社会復帰した俺は普通の人間が送る人生を諦め、生きていくには困らない程度のお金を稼ぐ事にした。収入が減った為、風俗店に足を運ぶ余裕がなかった事、生きる事に対する執着心が無くなった事。歳を取り自分よりはるかに年下の嬢と接するのがしんどくなる予感がしたのでもう行く事はないと思っていた。
それでもまた足を運んだ。コロナが蔓延し緊急事態宣言が発令された中でだ。
もう限界だったのだ。いつ爆発するか分からない不満と怒りを抑えるにはこれしかなかった。誰かに甘えたいという気持ちが理性を超えてしまったのだ。
店のEVで嬢と挨拶し、ホテルで抱き締められた瞬間俺の目的は達成された。
まだ周りから見て「普通の人間」だった頃の俺は性欲処理の為に風俗嬢を抱いていた。何回も風俗店に通いつめていくうちに身勝手な性欲の捌け口にしてしまう罪悪感とその欲望の狭間を行き来しながら風俗嬢を抱いていた。最終的に割り切った上で風俗嬢を抱いた。逃げ場がそこにしかなかったからだ。
今回もそうだ。もうこれしか方法がなかった。俺自身の精神的均衡を保つ為には風俗嬢を抱くしか方法はなかった。胸に顔を埋め、抱きしめ合い、性的絶頂を得る事で俺の心は救われた。
幸い体調を崩すことなく今のところ健康を維持している。あの出来事が無ければ間違いなく俺の精神は再び崩壊するところだった。コロナになる事は恐ろしい事だが、当時の俺はそれと俺自身の精神的苦痛の解消を天秤に掛けた上で風俗嬢を抱く選択をした。はっきり言って異常だ。
あれから数ヶ月がたち、それでもまた風俗嬢を抱きたいと思い始めている。
仕事は峠を超え、世間の自粛ムードも何となくうやむやになっている様にも見えるが、俺自身精神的に疲れ果てていた。コロナ禍で人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられた事も大きいが、俺自身将来への不安を抱えつつもどこか人生を諦めているところがある。正直いつ死んでもいいと思っている節もある。
それなのにまた人に…風俗嬢に甘えたいと感じる俺がいるのだ。俺の身勝手な欲望を受け止めて欲しいのだ。我慢したとしてもいずれまたストレスの捌け口を求める事になるのは分かりきっている。
まともな普通の人間に戻る事も出来ない俺にとって、唯一の救いになってしまうのだ。だからこそ苦しい。もうどうすればいいのか分からない。ひとつ言えることはここで吐き出すしかないという事だけだ。
恐らく今年もまた風俗嬢を抱くだろう。この状況下でやる事は常軌を逸している事も分かっている。コロナに対するリスクを抱える事も分かっている。抱いたとしてもまた暫くすれば同じ事を繰り返す事も分かっている。
ただもう止められないのだ。もうどうしようもないのだから。