はてなキーワード: 理不尽とは
某オタク系コンテンツを作ってる会社で働いてるけどまーーーーーーー理不尽なこと
オタクに受ける物作りってのは理屈じゃなくて感覚なのはよーくわかる
が、制作物のフィードバックが「自分に手直しさせないものを作ってください」て
俺はお前じゃないから知らんがなって話だ
腹立つなあ
別にいつまでもここにいるわけじゃないからどこかで終わるのは分かってるけどさ
とか何とか言いながら自分で決めたことなのでまだここで粘るつもりだけど
はーーめんどくさ
自分は今でいう陰キャだったので、歌詞は覚えてるけど、子供の頃は夕方におニャン子なんて観てなかったんだよなあ
だから、田代まさしとか片岡鶴太郎の全盛期を自分はあんまり観てないから、YouTubeで懐かしの映像みたいなのがあっても記憶にない
おニャン子みたいなのは小中でも陽キャやヤンキーの嗜好品だったし、
アニメとかSF小説好きは宮崎事件に便乗した宅八郎とマスコミの偏向報道に扇動された陽キャに後ろからいきなり蹴られたりとか、
ど田舎だったこともあって、そういう差別が普通に存在したよなあ
今は三鷹殺傷事件犯人のトーマスとか、パチンカスとか、ヤンキーの方がアニメ好きなぐらいで、時代は理不尽に変わるものだよなあ
(逆に自分の方がゲームとかアニメとかに興味を失ってる。開発とか作り手側の話には興味あるけど
だから、おニャン子は当然、チェッカーズみたいなのも陽キャ側の嗜好品で、比較的最近まで見るのも聴くのも嫌だったのだけど、
そういう幼少期もあったので、個人的に日本の楽曲が嫌いというか偏見があったのだけど、
自己満足で他人が知らない曲を弾いて周囲を白けさせるぐらいなら、
不愉快だけど他人が喜ぶ楽曲を弾いた方がウケるというか、仮に自分が下手でも逆にある程度許される安心感があるというか、
庵野さんも言ってたような気がするけど、自分が面白いことをやると売れない、だからやらないです、だったか、
自分が嫌いな曲は耳コピできない、演奏できない、自分が嫌いなものを理解しようとしない、というのもどうかと思ったので、
チェッカーズとか奥田民生とか、ヒットした曲は好き嫌い関係なく耳コピしようとするようになったんだけど、
そうやってるうちにヒットの法則みたいものも見えてくるわけで、
逆にどれだけ他人に日和らない曲を作るかの参考にもなるわけで、
ジュリアに傷心だったかな、耳コピすると作曲者の意図を感じることがあって、なんか色々面白かった気がするし、
公開されているランク上位のジャンル傾向や感想コメントの熱を見ていると、
自分の作りたいものは世間の需要に合っていないんだな、と感じて辛い。
さらに言えば、
たとえ求められていたものだとしても、「結局、承認欲求充足のほかにはほとんどなんにもならない」のが、辛い。
技術力も知名度もある、界隈で活躍していたフリーゲーム製作者たちが、軒並み全年齢向け有料ゲームで苦戦しているのを見ると(おおまかな売上は販売サイトのレビュー数、いいね数などから把握できる)。
結局、私たちが作るものは「商品」としては求められていないんだな、と理解できて、むなしくなる。
食費や家賃や税金といった「生存のための出費」をせざるをえない製作者たちに、面白いゲームをプレイした対価が払われないってことは、
極端かな。
いいものなのに。
とても面白いのに。
対価は、払われない。
いまはそれをすごく理不尽に感じるんですよね。私は。
なんらかの形で、この鬱屈を解消しなければならないと思う。
理不尽校則が昔から生き残ってきた、と勘違いしてるコメントがまだあるな。
理 不 尽 校 則 は 最 近 で き た も の なんですよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210401/k10012949121000.html
「呪術高専のTwitter検索汚染」とか「VTuberのBL同人誌読み上げ」みたいな騒動見るたびに、
「あ~あ、また腐女子が学級会はじめて仲間内で抑圧し合って、その鬱憤をフェミパワーに変換して男オタクに『ちょっと男子も自粛しなさいよー!』とぶつけてくるよ~」
とジャップオス「表現の自由戦士」オタクたる僕は非常にウンザリしてしまう。
男オタクが欲望と妄想を平然とネットに垂れ流しているのに対して腐女子はひたすら自粛し隠れることを迫られる理不尽な現状は、
男は街中を上半身ハダカで平然と歩けるのに対して女が同じことをすると公然わいせつ罪で警察に捕まるという我が国の現実に起きてる理不尽と似ているかもしれない。
でも、この不平等に対して主張すべきことは「ハダカの男も女と同じように捕まえるべき」じゃなくて、「女も男と同じように街中でトップレスになる権利がある!」だろう?
しかも、「街中で女性がトップレスになる自由」は警察に法律の運用を変えさせないと実現しないけど、「腐女子が男オタク並にネットに欲望を垂れ流す自由」は単にキミ達が男オタクと同じように振る舞うだけで実現できるんだぜ?
他者の権利を奪って平等に不自由になろうとするのではなく、他者と同じ権利を自分が手に入れることで平等に自由になろう。今すぐに!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/81487
うちの場合、片方の親がこれ。お前の人生意味働いてるだけで意味がない、仕事なんて玄関出て帰ってくるだけ、などの罵倒をもう片方の親に飛ばしまくり、私が止めると「息子にも社会にも理不尽に嫌われる私は世界一不幸」botになるほうの親。
とんでもないクソみたいな罵倒という加害をしてるのに、自分は何も悪いことをしていない、正義なのに反発してくるこいつは悪だ、みたいな感情しかないんだろうな。私にも平気で罵倒してきて、それに対して怒ると「反応するお前が悪い、反応するな自意識過剰、悲劇のヒロインのつもりか、社会で通用しない」、無視すると「今のは悪意じゃない、悪意を見出すとか悲劇のヒロインか、社会で通用しない」などと言ってくる。真面目に反論しても「あーはいはい、また癇癪ね。私が黙ればいいのね。」って大声で言って以降無視。どんだけ自分が正義だと思ってんだ。本人いわく、「自分が絶対正しいなんて思ってない」そうだ。
だとしたら、もっと悪い奴。「自分が正義だとは思っていないが、お前は絶対悪」って簡単に思い込める奴だからだ。加害しても「私は絶対正義ではないからそういうこともある」だし、ちょっとでも気分を害したら「お前は悪!加害者!」っていう被害者しぐさを始める。
で、無視されようがなんだろうが徹底的に間違ってるとこを指摘すると「社会で通用しない(キリッ)」って決め台詞を吐く。ご本人は自称「会社でお局様にいじめられた」から退職した専業主フのくせにね。これ基準のいじめられたなんて、ミスを普通に指摘されたレベルのことだろ。
このあたりを全部、直接オブラートに包みまくって伝えた。逃げ道全部潰されて旗色が悪いと見た瞬間に「親失格だぁ」「頑張ってるけど私が頭悪いせいで迷惑をかけちゃったぁ」なんて徹底的に「子供に嫌われてもけなげに頑張る親」を演じ始めた。そういう親と理解してたので、すかさず「私は親として駄目なんて言ってない、人間として最低だって言ってるんだ」と最後まで徹底的に潰した結果、「今にわかる」「子供ができればわかる」「私の身になればわかる」などと繰り返す壊れたレコードになった。ずっと「社会で通用しない」とかの決めゼリフで不都合なことを黙らせてた方の親、自分が被害者であるという妄想を一生崩さない。
つまりは、被害者ポジションを徹底的に崩さないどうしようもない悲劇のヒロイン症候群患者は、男女問わんってことだ。
お前らも悲劇のヒロイン症候群にだけは侵されるなよ、一生不幸なことがアイデンティティになって、自らの加害にも誤りにも気づけなくなって、世界から嫌われる自分は世界一不幸、までシームレスにつながって、被害者に対して「お前の受けてる被害なんて大したこと無い、私のほうが不幸」っていうタイプの人間として最低の奴に成り下がるぞ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/afa901c655d2cdfb38c83fd1c73638520995e1a4
私の乗り口は降りようとする人も2人。私から見て右側から出ようとする乗客を目視し、私は左寄りのスペースから乗ろうとした
すると私より背も高く大きな体の男性が突然方向転換して私の右肩に激突。
しっかり体に力を込めてぶつかられたことで、私は首まで衝撃を受けた。
背も体格も劣勢な私は、後ろに突き飛ばされた
私も暇じゃ無い。電車に乗り遅れたく無いし、このままだと殴られそうな威圧感を感じ、私は電車へ。
男性とのやりとりをつづり
「安全なはずの日常空間で、暴力や差別を受けることの理不尽さ。
この嫌な気分は、私は『誰かを傷つける形』では発散しない。
この政治じゃね。
でもだからと言って、より弱い方に暴力で発散するのは最悪の選択肢だと思う。
共に政治を変えようと、呼びかけたい
ホント呆れるばかり。なんでこういう被害者ぶってる人ばっかなんだろうね。
しかし、ぶつかられたから女性差別だ!ってのは意味分かんない。
まともな政治家っていないの?こういう奴ばっか話題になるんだけど。
って思ったけど、たぶん真面目に生きてる政治家もいるんだろうなあって。
まともに政治をやっていてもおかしい政治家ばっかが話題に出てくるから話題にならないんだろうなと。
まともなやつなんていない?そういうなよ。ひとりくらいいるでしょ。きっと。居て欲しい。
それはそれとして、何が呆れるかって女性差別の問題を何でもこじつける人がいるってこと。
今のゲームと比べれば、グラフィックはちゃちいしクリアまでのプレイ時間の長さもそれほどではない。
が、なぜ初代ゼルダは最高と言えるのか。
1スクロールごとに画面の端から端まで歩くために長い距離を歩いた気になる。
フィールドも迷宮も主要アイテムを手に入れた時もトライフォースゲット時のサウンドも、
全てが次の冒険を期待させる。
昔のゲームと言えば理不尽な難易度なんかが多かったが、ゼルダの伝説は子供向けで程よい難易度だった。
爆弾やろうそくの火で岩を砕き洞穴を見つけたり、木を燃やすことで階段を見つけたりできるというシステムは探す楽しみを教えてくれた。
また謎解きも程よいヒントがあったりで解明する楽しみもあったし、ボス戦でも特定のアイテムや武器を使うことで倒せるといったギミックも面白かった。
当時といえば、だいたいパスワードだったがディスクシステムはセーブというシステムでゲーム保存が楽だった。
説明書とゲーム内の説明、主要キャラの短いセリフだけだったのに、
現代と違いムービーがなかった分、自身の脳内でドラマの構築が止まらなかった。
ようやくクリアしたかと思ったら難易度の高い裏ゼルダが始まり、さらにPLAYERたちを熱くさせた。
この他にも魅力はあるが、結局の所プレイしやすい難易度とサウンドが全てを物語ったのだと思える。
追記:なぜか本人を無視して言及での諍いが始まっていた。なぜに罵りあっているのか分からないが、増田同士仲良くしたりできないのかなと。
ついでにブクマもそうだが、ゼルダの伝説が最高というのは個人の感想であって、そうじゃない人は多くいる。
だからといって否定をするためにボロクソ言うのはおかしな話だよなと。
そこまで言う必要ないよね?というくらい徹底的に叩こうとする人がいることが信じられない。
夫婦別姓についても、同性婚についても、芸能人の不倫についても、その他なんかようわからんそういう事柄についても思うことなんだけどさ、なんで特定の人たちはそんなに他人の生き方に干渉したがるのかがそもそも一切全く分からないでいます。
権利とか自由という概念以前に、そもそもなんで干渉したがるのかそのモチベーションから分からない。分かりたくない。自分以外の人間がどう生きようが自分の人生にはなんの関係もねえのに、なんでそんなどうでもいいことに当事者意識が持てるんだろう。自他の壁が消失しているのだろうか。僕の知らない間に地球人の幼年期は終わったのだろうか。そんな形の補完は嫌だ。倫理観とか宗教観とか社会規範とかなんかそういうまぁ要するに信仰心ドリブンな事柄について、他人に強要することはあんまり良いことではないと思うし、そう憲法に書いてあるし、たぶん小学校とかで習っていると思う。知らんけど。
そもそも他人の幸せを決める権利なんて我々は持ち合わせてはいないのだから、どんなに自身の信仰心に照らして愚行と思える行いでもそれを止める権利なんてないし、愚行でないのならなおのこと。愚行権は自由権の本質です。例えば、夫婦が別姓になって何か問題が起きるとしてもそれは当事者が最大限の自助努力のもとで理不尽に相対しながら血反吐を吐いて解決すればいいだけの話です。事前に法が介入するべきではなくて、問題が起きた後に法が介入できる余地を残しておけばいい。それが法にできるギリギリのことです。
例えばそれで不幸になる人がいるにしても、その人から事前に権利を奪ってはならない。自らの自由意志による選択の結果として不幸になる権利をその人から事前に奪うことは悪行に他ならなりません。人は不幸になる権利があるんです。見方を変えて、社会規範の維持や社会制度の維持を願う権利は個々の市民にあるとしてもその権利範囲は強く束縛を与えなきゃいけないはず。個々の姓に関しての束縛はその権利範囲を明らかに逸脱しているし、個々の性事情に関しても踏み込んでいい範囲じゃない。それらは誰がどう考えても個人の自由の範疇です。
そもそも自由主義社会においては当事者同士が限りない自由の中でより良い道を模索するべきで、法律が束縛を与えるのはあまり良いことではない。法律は利益調整のために仕方なくあるものなので、必ずしも必要ではない束縛はそもそも全て破棄すべきなので、夫婦同姓規定も夫婦別性規定もどちらも要らない。というか本質的には私有財産の接続制度以外の何者でもない法律婚制度の形が現行のものだと違和感が凄いとは思っているけど、これは未婚の私が言うことじゃないから言わない。市民は自らの選択で限りなく不幸になる権利すら手中に収めた。それはきっと素晴らしいことなんです。隷従のもとで肥え太ることより遥かに素晴らしいし、それを守りたいと私は思います。私は私が正しいとは思っていません。自由主義なんて最悪だと思っています、もちろん自由主義以外のすべての形態を除けばの話ですが。
今日のテーマはとても良かった。白饅頭氏は阪神大震災のサバイバーで自分の周りが一変した、そこから大きな影響を受けているって話ね。
今のリベラルの人達、リベラル理解度8、保守理解度2みたいなステータスで保守(リベラル理解度15ー20、保守理解度15-20で保守を支持)みたいな人達を徒党組んで燃やしてる(そして返り討ちに合う)から正直成長ねえ猿だなぁって思ってるんだけど、それも幸せな事だ。
白饅頭氏はなんというか成熟してるけどそれも阪神大震災(だけではないし勿論当人の普段の努力の成果ではあるけど)みたいな理不尽に合っての事。成熟するにはある種試練が必要かはわからんけど助けになるのは事実で、試練には人の死が付き物だ。時たま訪れる理不尽な試練乗り越えられず狂う人もたくさんいる。人に成るのに死人が要るなら、人に成ってない人が多い方が世界はよっぽど良いだろう。
勿論そのような試練は色々な形を変えて今も存在してる。天然の試練と養殖の試練があって、天然の試練は大体人命を伴うんだろう。進撃の巨人の新兵を殴るシーンがわかりやすいかな。面構えから違ってしまっていたし、ただ殴られる程度でその試練はクリアだった。だけどその差は仲間が死に始めるまでずっとあっただろう。今でも受験だの就職だの上下関係だので用意されてはいるけど、結局地獄を見たり人の命を背負う羽目になったりしないとダメなんだ。だからやっぱり、天然物のまともな大人なんていない方が良い。作るのに犠牲を伴うものだから。俺も多分天然物ではないし。
ここでいう試練と同じものかはわからないけど殺しもかなり効くらしい。爺さんが庭から芋虫たくさん取って来て目の前で踏みつぶし始めて、お前もやってみろって。一匹アゲハの幼虫だけ虫かごに入れて2,3匹潰してギブアップした。今は考えがなんとなくわかるし、全部潰すべきだったしアゲハも潰すべきだった。というか害虫(ひいては害獣、人)を分け隔てなく全員殺せるかって試練だっただろうから、ちょっとしか殺せなかった上に一匹一番大事な奴を残した俺は失格だったんだろう。あの時から爺さんはあまり俺に目をくれなくなった。
多分殺すなら人に近いほど良い。虫や魚だと遠い。哺乳類が良い。結局人殺しが一番伝統的かもしれないけど現代だとちょっと俺も許せないかな。それでどんな優秀な奴が生まれても俺は一応リベラルだから。でも自分の視界の外の人たちを見殺しするくらいなら自分で殺したやつの方がマシって考えもあるから結局のところはわからない。
今は家畜殺さんと肉喰えないから家畜殺しはセーフだしやった方が良いんだろうけど、それも許せない気合入った皆さんも居て人口肉作るのに気合入れてる。あれはあれで筋通ってていいと思う。
生きてて楽しい?
楽しければいいんだけどさ
生きてたらちょっと辛いとか悲しいとかあるよね
なんで産んだんだー頼んでもないのにとか言っちゃうよね
それが貢献したってことの結果かな?
そう、貢献した結果不幸が産まれて悲しみや苦しみが産まれて苦労と努力が産まれてるんだね
これがリソース?
そう!リソースだね!
よかったね(よくねーよ)
社会ってそう、苦労とか苦しみとか憎しみありきで解決策とかストレスありきで解決手段とかそういうものの塊なんだね
社会に貢献した!ってつまりイコール地獄そのものみたいな感じだね
その地獄で王になるのはどんな人かな
いちばん苦労して努力をして他人に貢献、その地獄のリソースをより地獄にしてくれた人が王かな
いやいや実は楽をして努力や苦労をしなくていい人がいるんだ
生きながらにして地獄、息をしているだけで苦痛と不便とストレスと理不尽を抱えてなお生きてる人
苦労も努力もしなくても社会が生かしてくれる これは最強じゃないかな
みんなだってだれでも平等に王になれる こめかみに釘とかうちこんでもうなにもわからなくなっちゃったら
なんにもできなくなっちゃったら生きてる間は死ぬまで生かし続けられちゃうよ
なんにもしなくてもただ生きているだけをつづける生きるだけの人になれちゃう
一番社会に貢献してるね
労働を生み出し雇用を生み出し技術を生み出し学問や倫理も、社会がそれらを生み出す役割を一人で息をしてるだけでできてる
きみたちが五体満足で生きてる価値があるとか社会に貢献してるっていかに地獄を地獄たらしめてるか自慢しても
本物の地獄の王にはかなわないってことだよ
それってリソースとかリターンとか貢献とか価値とかそういうものがないところなんだ
いいとかわるいとかないから誇ったり奢ったり蔑んだり騙したり攻撃しない競争もないただ平らで暇でなにもないところ
つまんないよね
やっぱりこの世の社会ってやつに生まれたからには、頑張って、頑張った分の見返りを独り占めして勝ち誇って比べて安心したいよね
まず初めに、私は20歳になる年の春までスカートが履けなかった。(制服を除いて)
最後に履いた記憶は、幼稚園の年少よりも前だから、やはり15年以上前ということになる。
私がスカートを履けるようになるまでの歴史は、私の中での「価値観の変化」の歴史でもあるから、書き残しておきたい。
1. 「〇〇(私)はお母さんのお腹の中にち〇ちんを置いてきちゃったんだね」
プリキュアやおジャ魔女どれみ(世代がバレる)は、敵キャラのビジュアルが当時の私からしたらとても怖くて苦手だった。
そして、同時期、私は幼稚園の園服の半ズボンから覗く自分の太い足がコンプレックスで、スカートを履きたくなかった。
当時の私は、プリキュアに出てくるような「足の出る短いスカート」しか知らなかった。
・スカートが嫌い
以上の2点を踏まえた上での祖母の言葉が、タイトルのセリフだ。
幼稚園児からしたら、大人の言葉というのは絶対で、私はぼんやりと「私は男に生まれたかったんだ」などと思ったりもした。
一度も思ったことないのに。
他にも、「〇〇ちゃんってスカート似合わないよw」とも言われた。子供の言葉というのは残酷だ。
友達からしたら、何気ない日常会話の一つだったのかもしれないけれど、私にとってはこれが高校生になるまで呪いの言葉となった。
人から言われた言葉によって、私は常に左右され続け、思春期の間は「私は男に生まれたかったんだ、周りもそれを望んでいる」と悩み続けた。
んなわけあるか、と今なら言える。
3.推しメンみたいな服が着たい
そのアイドルグループは、モデル業などをこなすメンバーも多かったため、
2.に記述したように、高校生になるまで「私は男になりたいのかもしれない」と悩み続けた私は、女性ファッションに触れる機会がまるで無く、
この「アイドルブログ」こそが女性ファッションとの出会いだった。
可愛い!同じような服を着たい!と感じた自分を認識した時に、私は気づいた。
私がスカートを履きたくなかったのは、"コンプレックの足が出る"からだ。
おまけに、その推しメンが履いていたのは黒のカジュアルな大人っぽいロングスカートだった。
私のイメージしていたスカート=「短くてフリフリ」とは真逆で、
初めて「こういうスカートが履きたい!」と思った瞬間だった。
4.「スカート履くな!」
「wwwwwええやんwwww」
高校を卒業する頃、3.のように「履きたいスカート」が見つかった私だったが、
19年間の考え方を変えるというのは、まだ少し難しく、「私なんかが着ても似合わない、笑われるだけだ」という気持ちが支配していた。
時間は進んで、19歳も後半になる頃、私には芸人の推しがいた。
その推し芸人が投稿していたコント動画の中で、私は魔法の言葉に出会う。
彼女はショートカットで、言葉遣いも少し荒い関西弁でありながら、
ジェンダー蔑視などには頼らず実力で笑わせるといった芸風で、所謂「カッコいい女性」といった感じだった。
そして、私が見た動画というのが、そんな彼女が後輩から理不尽な追求(ボケ)をされるというネタだ。
彼女に対して、そんなカッコいい彼女を慕う後輩芸人がボケとして
「スカート履くな!」
「ええやんwwwwwww」
呪いが解けた瞬間だった。
「ええやんwwwwwww」
「ええやんwwwwwww」
それを否定する周囲に対して返す「ええやんwwwwwww」だったのだ。
20歳を目前にした春、私は15年ぶりに"自分の履きたい"スカートを履いた。
5.
令和になり、少しずつだけれど、古いジェンダー観的なものは廃れつつある。
それでも、完全な状態ではないし、
何よりも、思春期にある学生は学校が世界の全てとなってしまうため、
私のように、「周囲の言葉によって自己の人格を形成」してしまう人もいるかもしれない。
自分が着たい服を着れば良いし、
好きなものを見れば良いし、
好きな風に生きれば良い。