はてなキーワード: 漫画映画とは
婚活をやってると
もちろん『ジョーカー』は一般大衆受けする漫画映画だし悪くはない作品だが
「映画好きって名乗ったが、そもそもジブリと漫画映画しか見たことがない。ええい評判がいいらしいし、これを挙げとこ」って感じがみて取れます
実際映画好きな人は好きな映画が『ジョーカー』であっても恥ずかしいので、普通は映画を好きな映画に挙げません
(映画を挙げる男性は実際は映画よりゲームとかが好きなんでしょうが、好きなゲームに『GTA』を挙げるようなもん)
ガールフレンドと一緒に見た
聾唖者を題材にした映画でコーダ あいのうたみたいな感じの映画なんかなあって思いながら観た
(そういえばコーダあいのうたみたいにHシーンがあったら気まずかったな)
この聲の形って映画の声優を観たら、ノンデフ(聾唖ではない)の健全者の声優でドン引きした…
欧米中韓等人権先進国では、障がい者の役は障がい者が演じるべきだと考えられており
貴重な障がい者の出演の機会を搾取するのは、文化盗用であり倫理に反しかねないと考えられている
もしかして日本では、障がい者差別があまりに酷すぎて聾唖者の俳優が存在すらできないのかなあって一瞬考えたけど
去年日本アカデミー賞を受賞した「月」って映画にもデフアクターが出演してたからそんなこともないんだろう
実写なら昔の人権意識が劣る時代にとった作品ですって言い訳も聞くけど漫画映画で今からでもデフアクターでいくらでも吹き替えできるのになあ
いや、書こうとしたのだ。本気で。
狙いは女慣れしていないゲームだけが生きがいの男性。太ってるだとか禿げてるだとか、不細工な要素は最低でも四つ欲しい。自信なさげで、話しているかどうかもわからない、職場で浮いている男性を狙う。ファッションに疎いとなお良い。
他の女性が愛さない男性を狙う。カッコいい男性は積極的で美しい女が掻っ攫っていく。身の程は弁えるしかない。
だいたいそういった男性は押しに弱い。アプローチにアプローチを重ね、それっぽい空気を作って告白する。相手に恋人がいなければだいたいOKしてもらえる(はずだ)(多分ね!)。
先にセックスして既成事実を作っても良いかもしれない。ヤリチンならセフレ行きだが、セフレすら作れない弱者男性なら即恋人コースに乗れる可能性が高い。
食べ方が気に入らなければ調教する。
男性のクローゼットを暴き、毛玉だらけの服、ゴミがこびりついた服、洗いざらしの何年着たか分からない服、サイズ感の合わない服、何もかも捨てる。
服はデートと称して服屋に連れて行き、自分好みの服を買い与えてあげる。最近はワークマンでも格安でお洒落な服もたくさん出ている。太った男性でも着れるようなサイズの服もある。一万円しないくらいでブカブカ糞チェック野郎を卒業できる。ガチャ30連回す金でいい男が誕生日するのだ。
歩き方を教える。胸を張って歩くだけで呼吸がしやすくなると教えてあげる。ねごぜを注意する。あごを引くように伝える。それだけでも見れるようになる。ソシャゲの周回より効率がいい。
真っ直ぐに好意を伝える。
ちょっとの努力で世界は変わるのだと教えてあげる。男性の拗ねた世界観を少しでも良い方へ導いてあげる。
超絶喪女でもない限り、この手の男は育成する必要がない。出会いの場とチャンスさえあれば上記よりマシな男性と関係を持ててしまう。わざわざ弱者男性を仕込んで育てる必要がない。
超絶喪女でも手間暇をかけても結ばれるのが弱者男性、というなら生涯孤独でいいという者もいるだろう。自由恋愛の世の中だ、当人が望むなら外野がとやかく言う権利はない。
女はクリスマスケーキ、という言葉が死語と化しても男性の好みは変わらない。どう言い繕っても、彼らは若い女が好きだ。辛く悲しいが、この現実と向き合わないといけない。
これが弱者男性育成と食い合わせが悪い。
弱者男性を仕込むは早くて半年、長いと二、三年の期間がかかる。弱者男性が育つまでに女としての旬が終わる。必死に育てた元・弱者男性が自分より若く美しい女に取られたら? 奪われないまでも諸事情で別れたら?
育成済みの弱者男性と結婚できなければ苦労だけして、若さだけ失うだけ失って、得られるものは何もない。別の男性にトライアンドエラーを繰り返してる時間は女にない。
だったら最初からある程度育った手間がかからない男性を……。となっても仕方ない気がする。
……失礼。上記ふたつは建前である。申し訳ない。本当は弱者男性育成増田を書いている途中で否応なしに現実と向き合うハメになり、心が折れたのだ。
セーラー服を脱いで早十年余。
同い年の親友は「私たちはまだ若い!」と言ってくれるが本当にそうだろうか?
歳だけ重ねて得たものはあったか? 中身は学生時代のままなのに若さだけを失った。
本当にそうだろうか?
結婚した友人がいない。そも、友人たちのほとんどに恋人がいない。恋人いない歴=年齢の友人もいる。
親友たちはソシャゲに2.5次元舞台の追っかけ、アニメ漫画映画消化で忙しく、結婚に対する不安はなさそうだ。
彼女らのように趣味に生きることができない。自分の人生の全てを推しに捧げる程狂えない。結婚出来なくて孤独で金もないけど推しがいるから幸せ! だなんて快哉を叫べない。そこまでの覚悟を持てない。
早く結婚して楽になりたい。
パッとしない人だった。穴の空いた下着を履き、ぶかぶかのチェックワイシャツを愛用している典型的な理系男子。口癖は「人肌が恋しい」。
強引に服を捨てて新品の買い与えた(割と怒られた)。少しでも恋人の自己肯定感が上がるようにじゃぶじゃぶに愛情表現した(上手くいったのかは未だに分からない)。
最初はクロマニョン人寄りのゴリラだなと思っていたが、今では育成が上手くいって福士蒼汰風味のゴリラに見える。
育成の成功した彼が私より若く美しい女に奪われないか心配になっている。
もう若い子のようなミニスカは履けない。日々の生活に疲れ、若い子のような無垢さも立ち消えた。
結婚しようと持ちかけてもはぐらかされる。卒業して遠距離になってしまった。結婚するにはどちらかが仕事を辞めるしかない。
「同棲してみて、合わなかったら別れよう。その時君が路頭に迷わないように、仕事を見つけて。喧嘩した時の避難場所も欲しいだろうから君の名義でアパートも借りておいた方がいいね」
恋人のいうことは正しい。
私が仕事を辞めて彼の元に行って、振られてしまったら? 私の手には何も残らない。
結婚しても働かないと家計を支えられないから仕事を見つけるのはマストだ。遠距離の転職活動がうまくいかず心だけが弱っていく。
働きながらの転職活動が辛い。転職もできない無能ですごめんなさい。転職したとて結婚できない可能性があるのが辛い。
何も得られていないのに歳だけとりすぎた。
潮時なんだろうなと思う。
現実逃避のために増田を書いている自分が苦しい。痛みから目を逸らすために他人にご高説を垂れてる自分が痛々しくてかなわない。
色々生意気言ってすみませんでした。恋人とちゃんと話し合ってみます。結婚をぼかすようなら、きちんと別れを告げようと思います。
弱者男性愛されないのアレかな、優柔不断で結婚だとかに踏み切れなくて女の方が逃げ出すんだろうな。あはは、笑える。
別れたらそうだな、職場の30過ぎた年上の人にアタックしてみようと思います。M字ハゲがひどくてデブの脂ぎった人だけど、気性が穏やかだから。育成方法は自分で書いたしいけるっしょ。
あーあ、疲れた。
古い漫画の、とあるキャラクターが気になって気になって仕方がない。
自分のことはそこそこオタクだと思っていたが、今までキャラクターに強い思い入れを持ったことはなく、アニメ漫画映画を読んだり観たりするのが好きくらいなものだったので、戸惑っている。
よく聞く感じの「幸せになって欲しい/してあげたい」ので二次創作をするぞ!というのとも違い、別のキャラクターとカップリングしたい訳でもなく、自分自身と恋愛関係になる妄想をするのでもなく、グッズを集めたいのとも違い、ただひたすら、そのキャラクターに想いを馳せている。
いわゆる「推し」が出来た状態に近いのか、それとも解けない問題にぶち当たっただけなのか、なんかもうよくわからない。
時間がめちゃくちゃ持ってかれる。
開放されたい。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 141 | 12917 | 91.6 | 35 |
01 | 53 | 5066 | 95.6 | 20 |
02 | 27 | 2815 | 104.3 | 4 |
03 | 16 | 2963 | 185.2 | 190.5 |
04 | 25 | 2644 | 105.8 | 58 |
05 | 54 | 15882 | 294.1 | 121.5 |
06 | 31 | 6061 | 195.5 | 48 |
07 | 42 | 4573 | 108.9 | 55 |
08 | 42 | 4060 | 96.7 | 31 |
09 | 39 | 2915 | 74.7 | 75 |
10 | 50 | 4778 | 95.6 | 58.5 |
11 | 85 | 5451 | 64.1 | 30 |
12 | 92 | 6926 | 75.3 | 33 |
13 | 119 | 8056 | 67.7 | 37 |
14 | 116 | 8707 | 75.1 | 33.5 |
15 | 130 | 8122 | 62.5 | 35 |
16 | 94 | 5757 | 61.2 | 31.5 |
17 | 74 | 12367 | 167.1 | 45 |
18 | 84 | 10227 | 121.8 | 34.5 |
19 | 78 | 16109 | 206.5 | 47 |
20 | 136 | 19275 | 141.7 | 37 |
21 | 105 | 11410 | 108.7 | 40 |
22 | 144 | 13008 | 90.3 | 37 |
23 | 127 | 16223 | 127.7 | 46 |
1日 | 1904 | 206312 | 108.4 | 39 |
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何かは分からないが、すみっこぐらしっていう映画が流行ってる事だけは知っていた。
どこかで「すみっこぐらし、ヒットの理由」みたいなネットニュースのタイトルを見たんだろうなぁ。
でもそのニュースは開かなかったから内容まではよく知らないし、これといって気にも留めていなかった。
そんな前提があって、今日映画の日ということで映画を観に行ってきた。お目当ては当然すみっこぐらしではない別の映画。
グッズコーナーを眺めていてすみっこぐらしのグッズをたまたま見つけ、やっとどんなものか知ることになった。
思ってたのと違った。漫画映画じゃねえか。
深夜にテレ東でやってる感じの、哀愁のある中年ハゲサラリーマンが社会の隅っこで生きている日常でも描いた映画なのかと、勝手に思っていた。
温水洋一あたりが主演で。描き方としては孤独のグルメ的なイメージかなぁ。そういうノリが受けて異例のヒット飛ばしてるんだと。
まあだからなんだっていう類のただの勘違いだけど、思っていたものとあまりにかけ離れていたもんだからちょっとした衝撃だった。
あとはこっちの話なんだけど、こういうタイトル見るとドキッとする。
イマジナリーフレンドと呼ぶと格好付けになる。実際はただの架空の友人。
私は幼少期から親の都合で関東を転々としていて、同じ家に5年以上住んでいたことが1度しかない。最長で8年。
そんなわけだから新天地で友達を作っても、どうせ長続きしないだろうと諦めて越すと同時に縁を切ってしまう。虚しい。
携帯を手に入れてからは人と繋がることが容易くなり、1年に1度でさえも会う事は無いけれど連絡は時折とる、そんな知り合いも増えてきた。
それでも虚しいし、寂しい。
小中高と同じ出身の人達を見ると胸が苦しい、幼馴染という概念が羨ましくて仕方ない。
元同級生達が卒業式後の打ち上げの話をしているのを見て喉を掻き毟りたくなった。
片鱗は以前からあったけど、はっきりと自覚して架空の友人を作り上げたのは高校転入時だ。東京から他県の田舎寄りの高校に転校した。
前の土地ではどんな風に友達と過ごしてた、とかオーソドックスな転校生への質問だったと思う。
私はAという友達とどこそこでよく買い物をした、映画を見た、食事をした、そう答えた。
今にして思えば見栄なんだけど、架空の友人を作る人なんて大概虚栄心じゃないか?
Aは最も長く過ごした土地で出来た仲の良い同性の友人で、私の一番の理解者でもある。8年ほど前に生まれた存在だが、設定からいえば16年ほどの付き合いだ。
人生の半分以上を共にした人間。もはや家族に近い感情を抱いている。
彼女に救われている一方で、彼女に囚われているとも自覚している。
彼女が存在することで救われているから、彼女が存在しないことを突き付けられる度に、絶望しそうになる。
私はツイッターのアカウントをいくつか持っていて、その中には俗に言うリア垢が存在する。
私だけではなく、Aのアカウントもある。
実在性を上げる為だ。
私が新作の映画を見ればAは「私も気になってたんだよね」と呟いてくれる。
私が誰かと食事をすればAは「どこのお店?今度連れてってよ」とリプをくれる。
そんなかんじだ。
別にAが私と会話をする為のアカウントではなく、Aはこの本を好むだろうと感じた本を読んで感想を呟いたり、彼女ならこんな曲を好むだろうと他人伝いで見つけた知らないバンドの新譜を買って写真をあげたりする。
直近だと、出演作もろくに知らない俳優の写真集イベントに飛び入りで参加などした。Aが好みそうな顔をしていたから。
時折よく会話をしている鍵垢は誰?と聞かれる。他人の会話覗いていることよく口に出来るな、と思いつつも自分でも同じことをしているのでなんとも言えない。(みんな見てるよね?)
彼女は私の中で生きていて、嘘はついていない。
彼女は私なくして存在する事はできないし、私も彼女なくして生きる事はできない。
大学も出て社会人になっていい歳してなにをしているんだろう、とも思う。
●追記
私と彼女の生活は「日常」の一コマで、平生の延長線上にあるものだ。だからトラバやブクマコメで、漫画映画といった「非日常」的要素を挙げられて驚いている。
自分にとっては大したことない行為(勿論私の中で占める割合は大きい行為)でも、他人にとってはフィクションに該当するんだな。当たり前のことなのにアハ体験。価値観のアップデートが行われた。
このエントリ?を書くためにアカウントを取得したので、返信の仕方がわからない。追記の方法も間違っている気がする。
誰からも反応が無いまま消えるのだろうとわかりつつも、彼女を私の中で生かし続ける後ろめたさからこのエントリを書いた。
でもありがたいことに(?)少し反応をいただけて、その瞬間だけでも擬似的に彼女が他人の中で存在することができたから、嬉しい。
ブクマコメに「自分が死ぬと同時に彼女も死ぬんだし」という言葉があった。
私が死ぬと彼女も死ぬという言葉、ガツンと後頭部をバットで殴られたような感覚。そうか、私が死ぬとAも死ぬんだ
本人にそんな意図ないのはわかってるんだけど、なんとなく長生きしようかなと思えた、ありがとう。これが言いたかっただけ。
それだけの追記です。
邦画はクソだと思ってるやつ、映画は監督で見ろよ。配給で見るな!
ネット社会でアレはダメだったから邦画がダメになった、みたいに言ってるやつは見てる映画が悪い!
大体、「みんな」が見る東宝映画は金かかってるぶん、スポンサーに気を遣ってCMを入れる民放ドラマみたいになってる状態で(NHKは視聴者と国に気を遣いまくってる)
邦画漫画実写はダメだとかいうヤツもいるけど、じゃあ漫画映画一切見んなっつーの!と言いたい(「みんな」見るから売れる、だからやる。摂理)
あと批評家の宣伝方法がどうのとか言っても、今更批評家で興行は決まらないし……(インターネット時代になって批評家時代は終わったのだ)
この時代の日本にもしっかりした作品を作る映画監督が居ることを、ハッキリと言っていたい。
オリジナルで良作連発。漫画実写だけどミニシアター系でよくできてるのもたくさんだ。
そういうのが認められるようになったら、邦画はまともなものが売れるようになるんだ。
わりと認められてる漫画実写の「ピンポン」や「青い春」だって今みたいに大規模公開の分類ではなかったんだぞ。小規模の名作だ(ていうか、どっちも松本大洋だった)
商業監督の三池や堤を見てこいつらダメになった……って言うのは勝手だけど、あれは金稼ぎの中で十作に1作くらい好きな風に作ってる監督なわけだよ。
その1作が良作か駄作かで、その監督の価値が業界で決まってるわけ。
でもそんなの映画好きしか当たり引けないって。そんなに映画見ない人は、駄作見たくなきゃ避けるべき監督だ。
海外映画祭をとるような園子温は、とてもじゃないがおすすめできない。サブカルで奇抜なのが好きで、邦画に見飽きたくらいで見る監督だ。
(間違ってもクドカン監督作品は見るなとか言いたいけど、最新作は見に行く予定だ。大友監督は、ちょっとまともなのとってくれないと分かりません)
だから、最近のおすすめの映画監督をここに書く。我々「みんな」は良作を作る監督を学び広めるべきなんだ。
邦画ファンならみんな知ってる名前だろうけど、興行を支えているのが邦画ファン以外の東宝やワーナーファン(宣伝ブランド力)というのが虚しいではないか。
電通・マスコミによる印象操作で映画を語っているのは、悔しいと思わないか?
条件として。
傑作を作る監督も居る。だけど、そんなの邦画全体を見て年に1作2作あるか無いかなんだから、手っ取り早く傑作を求めても仕方がない。
「約9割の確率で駄作を作らない監督。マイナー過ぎず、佳作、良作を量産できている監督」を以下に書くので是非「ジャケ買い」ではなく「監督買い」してくれ。
代表作に「アヒルと鴨のコインロッカー」「ゴールデンスランバー」「ちょんまげぷりん」「残穢-住んではいけない部屋-」など
ミニシアター系でロングランになったアヒルと鴨の監督。どんどん規模の大きい映画を多く撮るようになった。
ただ、まだ三池や堤のように適当に撮ってないし、商業監督に寄っては無い。邦画ファンも認める『佳作』を『量産』してくれる。
知れ渡る知名度と合わせて、見た目がくまさんみたいに大きくなっているのが気になっている。
代表作に「舟を編む」「川の底からこんにちは」「ぼくたちの家族」
満島ひかりの旦那。嫉妬をするな、彼女は才能に惚れたのだ。日本の映画界を背負って立つ予定の監督。
堅実で丁寧で突っ込みどころがない、かつユーモアあふれる作風が特徴。若干32歳で舟を編む。賞をとりまくった。
淡々とした演出がTHE邦画といったところか。これからメジャーに寄っていくのか分からないが「舟を編む」だけは見ておくんだ。いいな、わかったか。絶対だ。
正直推していいのか迷ったけど、代表作に「モテキ」と「バクマン。」漫画実写で二つそろったとこだし、駄作を作らないという観点からラインナップ。
ポップでメジャーでサブカルでミュージック。ドラマ監督ならではの作風。ただ一つ、原作ファンには手厳しい(まほろ番外地だって、原作ファン的にどうなのか)。
しかし原作通り映画にするってどうなの?議論を使うと、彼の実写方針は正しいのだと思う。
映画そこまで好きじゃなーい邦画くらーいってヤツを連れて行くなら、大根監督一本だ。(エロには気をつけろ!)
堤化しないことを祈る。
代表作「リンダ リンダ リンダ」「天然コケッコー」「もらとりあむタマ子」「味園ユニバース」
邦画ファンなら必須チェック監督になっている気がする。自らの作風をつかみ始めたのか、近年、油が乗ってきたように思う。
画が良い。キャラが良い。2時間、監督のノスタルジックでファンタジーな世界に浸れたら幸せ。
代表作「純喫茶磯辺」「さんかく」「ばしゃ馬さんとビッグマウス」
「銀の匙 Silver Spoon」という人気原作で華麗に滑った印象があるのだけれど、あんなもんで消えてたまるか!映画自体は良作なんだ!
いきなり任されたってのは、映画業界の期待の現れでもあったはず。
人間のどうしようもないところをポップに描く監督の映画活動が途切れないことを祈ってます。才能は消えない。
飯テロ映画「南極料理人」が好きな人は多いかもしれない。キツツキや横道を経て、最新作モヒカンを見て確信した。この人は天才。
単調なのが味わいでもあるが、作品によってはストーリーも効いているし、王道を嫌っているのか泣かしにこないでコメディに走るので気楽に見てほしい。
今まで長編映画は6作あるが、全部良作なので、いつでも安心して見てくれ。
安定してる人ってそんなに居ないので、これくらいは覚えられるはず。
何人か漏れている気がしないでもないが、他にもおすすめの監督が居る。ただ、良作率が6割程度に下がる他、発表間隔が長かったり、まだ出始めの新人監督なども居るので、そのへんは容赦してほしい。
まぁ他にもいろいろ居るんだけど、好きな監督は自分で「宣伝」してください。
SNS時代なんだから、今更企業宣伝に踊らされてる時代でもないでしょう。
追記・ブコメ返信:
内田けんじ追加命令が多いので追加します。新作撮る気はないんでしょうか?あと入江悠、大森立嗣、いいですね。好みではないけど良いです。あとは規模と宣伝ができるバックがついた監督も多いので、その辺はスルーしてます。矢口さん滝田さんとか、テレビ局がついてるので監督買いする人も一定数居るでしょう。とくに好みではないですが、悪くない監督だと思ってます。え、岩井俊二はもうみんな知ってるでしょう?堤さんや三池さんの映画にも好きなものはあります。堤さんは、最近丁寧になってきました。見てますよ。ただたまに許せない時があるだけです。橋口亮輔監督はいいけど、量産してくれるんだろうか?今後の監督として薦めにくいんすよ~過去作のレンタルおすすめ。30分も映画見てられないとか義務教育でつまらない授業45分からやりなおすべき。あともうなんか、ここに入ってないから気に食わないとか言われてもね。そんなに好きなら、あとは自分で宣伝してください。それがすべてと言っているでしょう。そういうお話をしたかったんです。邦画好きはもっとオシャベリになるべき。
そうそう、これ入門編なのです。人それぞれだなって思うような監督は、このリストではおすすめしにくいんで。別のときに別の方法で勝手に宣伝します。リストは好みの監督なんだなって思われるかもしれませんが、もうちょっとカオスなのも結構好きです。好みとか抜きにして良いのは良い、でまとめてます。どうせ、このリストから見るのなんて1人の監督から1作くらいでしょ?カオス作に当たったら責任とれない><個人的に大好きな映画は映画通に批判されるだろうから入れてないですよ三池監督…自分だけの宝物にしたい気持ちわかりますよね。
映画批評家(死語)や映画好きの漫画家(じゃあ貶してないで自分でフォロワーに宣伝すれば)に守ってるとか言われても知りません。一増田になにを求めるの?増田はテラフォをdisってないよ。
あと洋画見ないのかって言われたけど、こんだけ書いてて洋画見てない増田に見えますか?映画館でやる洋画なんて絶対面白いんだから、日本公開されない洋画を見てから洋画ファンは洋画ファンと名乗ってくださいね。邦画が楽しくてそこまで手を伸ばしてる余裕ないので、増田は邦画好きと名乗ります。邦画と似た洋画名作もたっくさんあるんだけどなぁ?洋画イコールドンパチCGって認識もどうなの?洋画にたいする侮辱じゃない?
アニメはあんまり詳しくないです。ごめんなさいね。言われてる監督は一通り見てるけど、アニヲタ様からしましたら色々あると思うのでなにも言いません。ただ日本のアニメは作風がとても邦画寄りですよね。D映画より好みに合います。
あと、あともなにも追記がうざいな。ブログ教えろって言われたけど、絶対嫌です。もうちょっと丁寧にインテリジェンスに、文章見なおしながら普通に書いて楽しんでます。そもそも感想文が上手くないんで、もっぱらツイッターだけど。これは思ってること一気に書いたので、読みにくいという指摘は「だよね」って思ってますよ。すごい共感した。
この映画監督リストが気に食わない人は自分で好きな映画宣伝してくださいよー邦画も洋画もどっちも日本じゃ下火なんだから、こういうところでどうでもいい議論して、じゃあいっちょ見るかくらいの熱が欲しいんですよ。駄作を批判した分、同じ熱度で良作紹介するのは映画ファンのマナーとしてきっと必要ですからね。今は批判したらしっぱなしだから…。
剛力さんはほんとに頑張ってると思う。
普通の勤め人として考えると、あきらかに働き過ぎな状態なのに、
穴もあけず、肌も体型も調子を保ったまま、笑顔でその激務をこなしている。
もちろん、そういう特殊な職業を選んだのは他ならぬ彼女自身なのだから
そうやって当たり前なのかもしれない。
だけど、あれだけの量のプロジェクトを並行して回し、
しかもそれぞれが撮影だったり演技だったりトークだったり歌だったり踊りだったり
ひとつひとつが重たいタスクなんだから、並大抵のことではないと思う。
事実上彼女に仕事を選ぶ権利がない のであったとしても、やはり
「これも私かよ!」とか「これはなんかちょっと違うだろ!」と
自分自身思う瞬間があるかもしれない。
でも、次の瞬間には「それでも求められてるから」「せっかくのチャンスだから」
「仕事があるだけありがたい」など、様々な前向きな理由をつけて
一生懸命こなしているのだろう。
スタイルはいいし、踊りも巧いんだから、モデルとか舞台俳優とか
「あんまり知られてないけど、いい味出してるよね」と言われる位置づけに
唐突な「なんとか賞」を受賞させたり、鳴り物入りの漫画映画化などに担ぎ出したら
精一杯頑張っている彼女が、あたかも彼女自身に非があるかのように
叩かれたり馬鹿にされたりしているのをみると、
とてもやるせない気分になる。
声が震えるくらい緊張してるのに、逃げ出さずにやりきったことは
やっぱり凄いことだとおもう。
(電波に乗せる音楽ってもんはそういうレベルじゃないんだよ、というのは置いておいて)
そんなわけで、
剛力さんが、本当に良さを発揮できる場所を
一日も早く得られることを、陰ながら祈っています。
なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?
しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督に尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督はリアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。
つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。
CASSHERNは、人間の感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)
CASSHERNのクリティカルさというのは、そう、ブライのセリフに集約されている。
「つまり、憎しみとは、人間也!」
さらに、キャシャーンはキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味のモノローグを語っている。
・人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)
これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説がベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。
しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間に
「憎しみとは、人間也!」
というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画のテーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。
このテーマを容認できない人にとっては、監督の独善、ということになるのだろう。
伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼の儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士や三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。
しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。
しかもキャシャーンは抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこの映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。
が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。
では、鉄也の懺悔は無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画のテーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズの「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。
さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエス・キリストの物語を髣髴とさせる。
だから、キリスト教圏では、この映画は日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。
過去に、日本のアニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジが救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジは人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造の映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。
もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオの誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械の触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。
ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画のひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画の黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。
80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹の逮捕とホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清や三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画のシステムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画をとりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。
無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というその姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズでカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的なプロレスファンは旧来のプロレスのシステムを破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。
従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターがカリスマ化していく作品としては、「最強伝説・黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。
すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。
僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督の製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERNが賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。
そしてこの映画のテーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。
このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的な能力が皆無なので……。
(04/5/1 本田)