はてなキーワード: 山本直樹とは
社会人なりたての頃、仕事がどんなに辛くてヘロヘロになっても休みの日は充実していた。
一日中SEXをして彼女とダラダラと過ごしていた事もあったし、でかけて出先でSEXするのも日常だった。
活力があった。
山本直樹の作品に出てきそうな本当にダラダラしていた日々を過ごすこともあり、時間を無駄に過ごしていると言われるようなそんな日々。
今思えば、どこででもSEXしていたのはあの人の作品のせいじゃないだろうか。よく付き合い続けたな彼女は。
SEXって快感と疲労が起こるだけの行為だと思っていたけど、あれが自分にとっての活力を得る方法だったのかもしれないな、と今は思う。
現在になって得たのは、当時の活力は存在せず日々時間の使い方を無駄にしないようにするという細やかなスケジュール。
休みの日もダラダラするのではなく、スケジュールを組んで行動しないと落ち着かない。休みの日なのに疲労しか溜まらない。
『BLUE』(ブルー)は、千葉コズエによる日本の漫画。『Sho-Comi』(小学館)にて、2009年19号から[1]2011年19号まで掲載された。単行本は全8巻。
『BLUE』(ブルー)は、山本直樹による日本の短編漫画、および同作を収録した単行本のタイトル。作中の性描写が問題となり、東京都により不健全図書の指定を受け、版元回収となったことで話題になった。
『Blue Gender』(ブルージェンダー)は、1999年10月7日から2000年3月30日まで毎週木曜日25時50分から26時20分にTBSで放送されたテレビアニメ作品。月刊コミックドラゴンにおいて加崎善彦の作画で漫画連載もしていた。
『BLUE SEED』(ブルーシード)は、高田裕三の漫画作品、および1994年放映のテレビアニメ。1992年『コミックガンマ』に連載され、看板作品だった。
『Blue Heaven』(ブルーヘヴン)は、髙橋ツトムの漫画作品。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて2002年から2003年に連載された。単行本全3巻発売。
『BLUE MOON』(ブルー・ムーン)(英一&英二シリーズ)は、森脇真末味による日本の漫画。読み切りシリーズとして、小学館『プチフラワー』に発表された。「緑茶夢」・「おんなのこ物語」と並ぶ作者の代表作の一つ。
『BLUE DRAGON ラルΩグラド』(ブルードラゴン ラル・グラド)は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)2007年1号から2007年32号まで連載された原作・鷹野常雄、漫画・小畑健によるファンタジー漫画作品。単行本は全4巻が出版されている。
『BLUE DRAGON ST』(ブルードラゴン シークレットトリック)
2006年12月4日から2007年6月6日まで、『月刊少年ジャンプ』にて連載されていた。漫画は柴田亜美。Xbox 360版から4年後という設定であり、ゲーム版のキャラクターも登場する。ギャグが主。掲載誌休刊の際に連載終了。後に単行本化されている。
Vジャンプ2008年7月号から2009年6月号に連載。原作はアニメのシリーズ構成の大和屋暁、漫画は作画監督の大竹紀子。アニメ『天界の七竜』22話と23話の間に当たる物語。後に単行本化されている。
『BLUE DROP』(ブルー ドロップ)は、吉富昭仁の漫画『電撃コミックガオ!』にて連作読み切りとして連載された後、『チャンピオンRED』にて『BLUE DROP 〜天使の僕ら〜』が連載された。『BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜』としてテレビアニメ化され、2007年10月から同年12月に放送された。
『BLUE ROSES 〜妖精と青い瞳の戦士たち〜』(ブルー ローゼス ようせいとあおいひとみのせんしたち)は、2010年9月16日に日本一ソフトウェアから発売されたPlayStation Portable用シミュレーションRPG。 漫画版は『電撃「マ)王』にて2010年11月号から2011年8月号まで連載。作画は中村煌。
『ブルーシティー』は、星野之宣による日本のSF漫画作品。星野の「出世作」とも呼ばれる[1]。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、1976年2号から同年21号まで連載された。全18話。
『ブルーホール』は、星野之宣によるSF漫画。1991年から1992年まで『ミスターマガジン』(講談社)に連載された。1992年から1993年にかけてKCDX(講談社)から全2巻が刊行され、その後も2度にわたり文庫化された。中国語・フランス語に翻訳されている。 続編にあたる『ブルー・ワールド』は、1995年から1998年まで『月刊アフタヌーン』(講談社)に連載された。1996年から1998年にかけてKCDXから全4巻が刊行され、2001年には文庫化もされた。
『ブルーフレンド』は、えばんふみによる日本の漫画作品。 少女漫画雑誌『りぼん』(集英社)にて連載された百合漫画であり、作者にとって4回目の連載作である。
『ブルーイッシュ』は梅田阿比による日本の漫画。『プリンセスGOLD』(秋田書店刊)2011年1月号から2012年3月号まで不定期連載された。単行本は秋田書店から全2巻。
『ブルートレイン』は、高橋はるまさによる日本の漫画。集英社の漫画雑誌で連載され、電子文庫化を経て、100円ショップダイソーで再文庫化されている。
『ぶるうピーター』は、小山田いくによる日本の漫画作品。1982年から1983年にかけて、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』に掲載された。
『B.B.フィッシュ』(ブルーバタフライフィッシュ)は、きたがわ翔による日本の漫画。 1990年末から約3年にわたり、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に連載された。
原ちえこ
ヤマダ
ブルーゲイル 伊藤明弘版権物作品集 (大都社、単巻) - アニメ『戦闘メカ ザブングル』の後日譚(ラグを主人公にした作品)の他、『ARIEL』『勇者王ガオガイガー』の外伝・パロディを収録。
斉藤倫
川本コオ
柿崎普美
近未来の海上を舞台に、水素燃料プラントを狙う謎の軍隊と、国連軍空母部隊との、ステルス戦闘機同士の戦いを描いたSF作品。『サイバーコミックス』連載。休刊により未完。
『COMIC LO』『COMIC快楽天』『COMIC快楽天ビースト』『コミックメガストアα』『ANGEL CLUB』『BugBug (バグバグ)』『COMIC失楽天』『COMIC HOT MILK (ホットミルク)』『COMIC 夢幻転生』『COMIC阿吽』『COMIC華漫』『COMIC真激』『MEN’S GOLD (メンズゴールド)』『TECH GIAN(テックジャイアン)』『アクション・ピザッツ』『アクションピザッツDX』『ゲッチュ』『コミックアンリアル』『ペンギンクラブ』『ペンギンクラブ山賊版』『まんがシャワー』『メガストア』『ヤングコミックチェリー』『人妻本当にあった Hな話』『二次元ドリームマガジン』『魔翔』『漫画ボン』『漫画ローレンス』『comicキャンドール』『Comicバズーカ』『G-type(ジータイプ)』『Men’s Young(メンズヤング)』『PUSH!!』『アクションピザッツスペシャル』『コミック戦国無頼』『ドキッ!』『ドキュメント実録 ! 人妻姦熟コミック』『愛の体験スペシャルデラックス』『増刊 コミックメイト』
昔ながらの劇画誌っぽい物を除いたオタ向けだけで30誌以上ある。雑誌コードではなくアンソロ形式なども含めれば、さらに膨大な数になるだろう。
30年以上オタクをやってるじじいの昔話をすると、1990年代当時はここまで多くなかったはずだ。1980年代はもっと少なく、ことオタ向けとなると『レモンピープル』とか、同時に10誌もなかった(よく休刊して入れかわった)
そんな80年代当時のオタは『レモンピープル』がコンビニで売られる事態なんて考えてもなかったろうし、そうなって欲しいと希望してたとも思えない。
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1990年ごろになるとオタ向けエロ漫画誌も数が増えてコンビニでも売られるようになり、目立つようになって、遊人だの山本直樹の作品がやり玉に挙がるようになった。
このころから「ここでエロ漫画規制を容認すれば、日本は表現の自由がない言論弾圧国家になるぞ!!」と力説する者は多かった、今はなき米沢嘉博(初代コミックマーケット主催)とか。当時からその手の連中は、自分らを強権力に対するレジスタンスに見立てて自己陶酔してるような反体制きどり臭が鼻についたものだった。
しかしそれから約30年、本当に日本は表現の自由がない言論弾圧国家になったの? いつまで経っても、朝日新聞と産経新聞どっちも廃刊させられてないじゃん(ネット上で一個人が別の一個人の発言に噛みつくことは「弾圧」ではないですよ)
当時と今の変化と言えば成年コミックマークが導入されて、「建前上」漫画にも18禁が導入されたぐらいじゃね。18禁コードは昔から映画にもビデオにもあった、漫画にも導入された一点で「言論弾圧時代の始まり」と言うのは論理の飛躍としか思えない。
成年コミックマークの導入直後は、エロ漫画業界縮小を本気で恐れる者は多かったけど、結局そんなことは起きなかったのは冒頭のリストの通り。エロ漫画誌が都の条例とかに引っかかって休刊したが、同じ編集部が新雑誌を創刊(ようは誌名変更)して、問題視された作品が平然と連載を続けたケースもめずらしくない。
そういや1980年代当時は、メロンブックスやとらあなみたいに「市井の個人が作ったエロ同人誌を町中で買える書店」もなかった。イベント行くか雑誌の通販欄に頼るしかなかった。この点でも今のほうがよほどいい時代になったもんだと思う。
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表現の中身はどうか? 1990年代以降、実写ヌードじゃ陰毛がはっきり見える写真集がOKになった、この点なんかむしろ表現規制が解除されてるじゃん。
80年代当時のオタ向けエロ漫画は今よりずっと修正がきびしく、男女とも股間は広範囲にわたってべったり黒塗りでまったく何が描かれているのかわからん場合が少なくなかった。そもそも性器を精密に描くような絵柄も少なくなかった。
ところが、現在流通しているエロ漫画誌を見れば、ちんちんもおまんまんもリアルに描いたうえで、うっすらスクリーントーンを貼っただけという場合が平然とごろごろある。ジャンルの幅も、ロリ専門誌、ショタ専門誌、ファンタジー系専門とかずいぶん広がった。
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袋だたきを承知で書くが、表現規制反対派は、この30年ずっと「狼が来た」少年にしか見えない。じじいの実感としては、1980年代当時よりむしろ今のほうがずっとエロ漫画誌の刊行点数も増え、エロ表現はオープンになった気がしてならんのだ。
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つい先日も「ラノベの表紙」のエロ表現が問題になったが、叩いてる奴はほとんど、政治家でも権力者でもない市井のブロガー風情じゃないの。よほど政府与党の大臣が言い出せば実際に規制される可能性は高いだろうが、表現規制を言い立てるのは一部の左翼フェミニストだけで、国民の大多数が支持する長期政権の保守自民党はオタクの味方なんだろ?
要するに「エロ漫画表現規制は言論弾圧の危機だ!!」って騒いでる奴は、「今すぐ日本は中国みたいな左翼独裁国家になる!!」と言ってるのと同じようにしか思えない。そんなもん、まったくもって現実味が感じられないのだが。
戦後1980年代まで続いた冷戦時代、右派は何十年も「今すぐソ連のアカが攻めてくる攻めてくる!!」と言い続け、ついにその日は来なかった。左派は「今すぐ軍国主義復活だ!!」と言い続け、ついにその日は来なかった。冷戦体制崩壊後、右派は「中国経済崩壊」と言い続けてそろそろ30年になる……この手の予言が当たったことって何回あったっけ?
三十数年前、森山塔の作品に偶然出会った。フランス書院から出ていた文庫版のあとは寝るだけであった。小さな本屋で何気なく手にしたその黒い単行本に衝撃を受けた。衝撃を受けたまま一旦家に帰り、翌日学校帰りに買った。淫行かしらも、とくべつのあわも素晴らしい。いまだに名作であると思う。刷り込まれたからであろうか。いまだにコーフン模様とかにはしびれさせられる。僕がクンニ大好きになったのは森山塔の影響が大であると思っている。
その後、はっぱ64がビッグコミックスピリッツで連載されていてその画風が森山塔そのものなので混乱した。同一人物であった。山本直樹は今も好きである。
先日、分校の三巻が出た。すごく楽しみにしていたのだが、ウェブで連載されていた頃に比べて消しが濃くなっている所が大いに不満である。ドバシと先生の絡みがすごく良かったのに残念である。
作品そのものは素晴らしい。けっこうな御歳であるはずなのに、あのリビドーが作品全体に満ちているような画風、リズムは素晴らしい。凄い。太田出版から出ているのだから、堀田レベルでの画、消しの薄さ、消しの無さを期待していたのだが、前巻が有害図書指定を受けたことから、守りに入ってしまったようだ。
分校の第二巻も素晴らしかったのだ。まずはKindle版を買った。一読してちょっとやばいかなと感じるところがあったので、急ぎ紙版の本も注文した。その後、悪い予感は当たり有害図書指定となったわけだが、これはそのような指定を行った大人の方が感性が鈍っていると言うほかない。
こんばんは。
前回01と02に関してコメントやブックマークを入れて頂いた模様。有難う御座います。
SHUFFLEって2004年だそうで、14年前って何してたでしょうか。
山本直樹。懐かしい名前を聞きました。上げて頂いた作品、読ませて頂きます。
デッキが無いといいますか、撮影、編集側にもビデオデッキで再生する為の機材、今となっては化石の様な機器を使用して編集する必要がありそうですね。
親しい、大事な女性が堕ちていく様と云うのは私事ですが、まったく興奮しません。その時点で他人か汚物になります。なりました。
さて、この速筆習練は寝る30分前より行っている。寝る前に日記を書く。と云った体なのだが、書くのに時間が掛かった場合、その分寝るのが遅くなる。
01と02は結局40分前後の時間が掛かってしまった。もっと早く文章化出来る様になりたいし、ならなくてはならない。この意味不明な決意も、如何せんまったくの思い付きスタートであり、いつ私の事情で取りやめになるかも分からないのだが、まあそれは之を読んでくれている方には関係の無い話ではある。
それはそうと、誤解が無い様に記載するがニッチな性的嗜好を否定する気はまったく無い。私自身もニッチな性嗜好だからと云うのもあるが、01に記載した通り様々な性的嗜好があるのだ。何かを攻撃したい訳では全く無い。
私自身がああ、こういう性的嗜好があるのだなぁ。とラベリングしたいだけなのだと云う事を改めて記載しておく。
4.愛される事について
昨今、創作物の影響かそれとも時代の流れなのか”愛される事”に飢えている諸兄を見かける気がする。
性的嗜好と云うか人間、否さ動物としても勿論愛される事とは重要ではあるのだが、それでも此処まで愛される事に貪欲であっただろうか?
愛される事。と記載したが、それは愛では無い。愛とは得るものが無くとも与える物だ。と云うのが年寄り臭くも私の考えなのだ、確固たる信念でそう言い切る。
愛が足りないぜと歌っているのは、自分自身の愛情が足りないぜといっているのだ。
だが、この愛される事。と云うのはそもそも様相が異なる。愛する事でなく、自分自身がどうであっても愛を注いて欲しがる。
自分自身は何も変わらない、変化もしない。だが、自分を愛してくれる存在はそんな自分自身がどの様な存在であっても愛を注いでくれる。そんな存在を欲している様に感じた。これは私自身も全力を持って賛意を表明したいのだが、そもそもそんな愛情を注いでくれるのはヤンデレか、父なる神のみである、仏にはお門違いの願いだ。
誰かに愛してほしいという感情自体は、決して疎まれるものでも拒絶される物でもない。なのだが、この無償の愛のみを求めるのはいささか勝手が過ぎるのでは無いだろうか。
この考えに至ったのはとある成人向けゲーム、所謂エロゲ―をやってみた事で益々強い考えになった。
実のところ、友人に勧められたのだ。強力に。アガペーを求める私向きだと言う、求めた事は無いのだが。
年甲斐も無く、ワクワクしながらゲームをプレイしてみた。こういうジャンルがあるのかどうかは分からないが”甘やかし”とでもラベリングしようか。
で、やってみた感想としては”違うよクソ!”である。私は赤ん坊に成りたいのでは無い。こんな愛の押し付けは私が望んだものでは無いのだ。
まあ、この作品は所謂ヌキゲーらしいので、プレイ内容を煽情的に見せるのが目的であって、こういうシナリオなのだろうと無理やり納得した。
しかし、冷静に考えるとこれがフルプライスで販売される世の中なのだから、こういう愛を望む者も多くいるのだろうか。だがこの歪んだ愛され方と云うのは少し気になる流れだった。
このゲームに固執する訳では無いのだが、愛情表現が男女がする物では無く、大人が子供に向ける、云わば庇護欲、母性愛を性欲と一緒くたにして求めると云うのはまるで性的嗜好が歪に歪んでいる様に感じたのだ。可愛くてヒロインから愛されて当然だからこっちは勝手にやる。俺の性欲もママが処理してね、と。
昨今、創作物の中でも愛や恋は不変の人気ジャンルとして成り立っている、男性向けでも女性向けでもだ。
しかし、こういった作品の中でも所謂ハーレム物と謳われる作品がある、こういった作品が流行るのは時代でも何でも無い、誰でも愛されたいのは当然だ。
中々捻った作品もあるし、面白い作品もある。だが愛され具合はちょっとした宗教を感じる作品も見受けられる。名付けて主人公教だ。
他の作品の中には納得出来たり、いたたまれない理由で主人公と共にいるパートナー達も居るが、そういった作品では主人公がどういう立場なのか表明されている場合も多い。つまりは失恋前提の物もある。それが分かっていてもヒロインは主人公に惹かれるのだ。
だが、私はハーレム物で主人公が愛されて当然と、主神の様に崇め奉られている事に恐怖と違和感を感じる。その愛に応えない、愛する事もしない、優柔不断で神様気取りの主人公の何処が良いのだと。
ハーレムのヒロイン同士で約束や協定など結び出した日には目も当てられない。結局一人しか選ばれないのに、その気持ち悪い約束事は何だ。
世界観で一夫多妻制?サブヒロインがハーレムに入った瞬間出番が無くなったりしていないだろうか?それは主人公教のハーレムに入る事が目的になってしまって、ハーレムの中でどう生きるかが適当にしか描写されていないのでは無いだろうか。
作者は、そして物語の中で主人公はサブヒロインもヒロインと同じだけ愛せて無いのではないか。サブヒロインをハーレムに入れた事で彼女の人生への責任は誰が取るのだろう。
こういった作品ではこの責任という事を極力嫌がるか、表現しない作品が多い。人間の人生を無責任では負えないだろうに。
その主人公よりこっちのサブキャラクタの方が良い男だよ?と言いたいヒロインも居れば、キャラクタの愛を強調する為に登場した元初恋の人(どっちの思慕だったにせよ結局フラれる)等、不憫でならない。そのキマってギリギリのヒロインよりイイ女いっぱい居るから大丈夫と、酒でも奢りたい気分にさせる。
これが酷い物になると、異性に限らず、別世代、同性、動物、神、敵、など皆主人公を愛して止まない世界になる。主人公がやる事なす事、諸手を上げて肯定する。分かり合えない敵も居るには居るが、そういうのは主人公が来るまで、トラブルが起きなかったのが不思議なレベルの気持ち悪い犯罪者になって断罪されるか、主人公の実力を認めながら消えていくか、味方になって主人公教に入信する、全肯定なのだ。正に狂気の世界である。
こんな主人公のみに優しい世界は気味が悪いとは感じないだろうか。私が主人公なら日記に狂気を記録しながら外なる神とコンタクトを取って、死体も残さず消えるだろう。
主人公教タイプの創作物が好きな方は勿論沢山いらっしゃるだろう。そういったファンが作品を支えて市場を作っている。つまりは売れ筋なのだ。
大いなる力には大いなる責任がある。とある作品では主人公の行動をそう制した。主人公にも人としての責任があるのだと私は思う。
新年あけましておめでとう!毎度おなじみシャイニング茗荷谷の今年一発目の記事よ!
この間、おねショタ界隈が盛り上がりを見せたわね?最近のおねショタは描きづらいみたいな感じで。
それを見て私思ったことがあるの。おねショタってあたし達みたいなショタコン不在で進んでね?って。
基本、男性が男性の抜きのためにあるジャンルだから、私達みたいなショタコンは不在で進んでいくのが当たり前なんだけど、
あたしちょっと思うのが、おねショタってある種、私たちショタコンにとっての楽園になる可能性を秘めてるんじゃないかなって。
だってそうでしょ?あたし達みたいなおねぇさんとショタがくっつく話なわけだから、これは女性人気も狙えるモンスタージャンルになりえるんじゃないかって思うのよ。
まぁ考え過ぎかしらね?
今のところ、ショタコンの魂の入ったおねぇさんが登場してるおねショタ漫画って見たことないわ。
以上、これが年始にアタシが考えたことよ!