はてなキーワード: 夏休みとは
本当は勉強好きじゃないけど、必要に迫られて、このところ少しずつだけ勉強してる
昔から勉強好きじゃないのでいつも宿題とかギリギリまで溜めこんで、提出日の朝に学校でやるのもしょっちゅうだった
夏休みの最初には、親に言われて一応「1日○ページ!」みたいな目標立てるけど、守れたことなかった
それがだよ!聞いてくれ!
今のところちゃんと計画通りに1日○ページできてるんだ
それどころか、「今日は暇があるからもう2,3ページやっちゃおうかな」なんて日もある
すごい
俺成長してる
いつの間にこんなことできるようになったんだろう
なあ俺すごいよな!ほめてくれ!
わたしは、肩身の狭い喫煙者。マナーを守り、限られた喫煙スペースでいつもひっそり吸っている。
そしてここは、いつも利用しているカフェのテラス席。この店唯一の喫煙エリアで、歩道から一歩奥まったところに席がある。
ところで、夏休みに入って、どこもかしこも人が多い。そしてだいたい家族連れ。それはいい。お父さんお母さんは大変だ…子供が元気でよいことだ、と思う。
席が空いてないのか? と店内を見回すと、空いてるのだ。
店を利用しない人たちまで、子供を座らせて靴を履かせたり、持参の飲み物を与えたりするために次々利用していく…。
読書とコーヒーとタバコで休日を過ごしたいが、面白いほど次々やってくる子供連れ。今、こうしている間にも、両サイドをチビッコに挟まれている。もちろん、吸えない。
子供がいるでしょう!と絶対的正義を振りかざされたら「すみません」としか言えないのだ。
「ここ喫煙席ですよ」「店のテラス席ですよ」と、両サイドの親子連れに言えるわけがないので、ここで叫んでみる。
禁煙しようかなあ…。
保護者『先生達は働いてないから知らないかもしれませんが仕事ってそう簡単に休めないんですよ』ちょっと何言ってるかわかりませんね… - Togetterまとめ
「子供熱出たから迎えに来いと言われたんだけど、仕事はそんなにすぐに休めないのにねー」
「保育士って世間知らずだからそういうの分からないんだよねー」「ねー」
って会話してるのを何度も見たし
「保育士って低学歴だから、私たちみたいな高学歴エリートワーママの仕事の大変さなんて分からないんだよねー」「ねー」
ってのも普通に見た(はてなーは何故ああもてめえの仕事に対するプライドが高いのか)
「教師は長い夏休みあるから暇だけど、普通のワーママは違うのよ!」って言ってる人もいたなあ
そんなのが「私たちは働いているから世間知らずな専業とは違って物事をよく知ってるの」と言ってるのが滑稽過ぎて
ここ数年で急にはてなで保育士不足や教師のブラック労働っぷりが話題になるようになってからは雰囲気が180度変わったけど、
それより前から報道とか見てても時々話題になってたと思うんだけど
ビートたけしがカラオケで歌っていたのを思い出した。夏休みだね。
(歌詞には、盗んだバイクで走り出す人の唄と通じるものがあるな)
30才になってしまった。
つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。
誕生日の記念に自分の人生をざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。
2年前からイーストヴィレッジのセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人、日本人、ヒスパニック。
日本酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所を特定できてしまうと思う。
大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターかDJブースにいる。ちなみに趣味はボディビルで、アマチュアの大会で2回ほど入賞したことがある。
まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江戸川乱歩と京極夏彦に傾倒していた。将来は図書館司書になるつもりだった。顔は青白く、ひどい猫背だった。ある女性との出会いが僕を大きく変えた。
そうだ、あの子について書こう。
最初に彼女と遭遇したのは、高校に入ってまもない頃だった。校庭と校舎をつなぐ階段の途中ですれ違った。彼女はジャージ姿だった。背が高く、涼しげな目が印象的だった。かっこいい人だと思った。一瞬だけ目が合い、僕はあわてて逸らした。
当時の僕は最低だった。勉強も出来ないし、スポーツも苦手。しかもクラスではパシリだった。どういう経緯でパシリになったのか、まったく思い出せない。梅雨の訪れのように自然な成り行きだった。
僕をパシリに任命したのはNというクラスメートで、彼は教室内の権力を一手に握っていた。髪を金色に染め、足首に蛇のタトゥーをいれていた。15才の僕にとって、蛇のタトゥーはかなりの脅威だった。
昼休みになると、僕はNを含む数人分のパンとジュースを買いに行かされた。金を渡され、学校の近くのコンビニまで走らされる。帰りが遅かったり、品切れだったりすると怒鳴られる。そういう時はヘラヘラ笑いながら謝った。歯向かう勇気はなかった。そんなことをすればさらに面倒なことになるのは目に見えていた。
いじめられていないだけマシだ、パシリに甘んじてるのもひとつの戦略だ、そう自分に言い聞かせていた。
ある日、いつものようにパンとジュースを買って裏門から教室に戻ろうとした時、また彼女とすれ違った。相変わらずクールな表情。今度は制服姿だ。ジャージの時より断然かっこいい。ネクタイをゆるく結び、黒いチョーカーをつけていた。目が合う。すぐに逸らす。前と同じだ。
僕はすっかり彼女に魅了されてしまった。教室に戻るのが遅れて、Nに尻を蹴られた。いつも通りヘラヘラ笑いながら謝った。
それからも広場や廊下で何度か彼女を見かけた。一人だったり、何人かと一緒だったりした。彼女は常にクールだった。それにどんどん美しくなっていくようだった。どうしても視線が吸い寄せられてしまう。そのくせ目が合いそうになると、僕はすぐに逸らした。
彼女のことをもっと知りたいと思った。気を抜くとすぐに彼女のことが頭に浮かんだ。できれば話してみたい。でも僕ごときにそんな資格は無い。きっと冷たくあしらわれて終わりだろう。遠くから眺めているのがちょうどいい気がした。
なんだか出来損ないの私小説みたいになってきた。こんなことが書きたかったんだっけ? まぁいいか。もう少し続けてみよう。
30才になった今、少年時代の気持ちを思い返すのはとてもむずかしい。あの頃は恋と憧れの区別もついていなかった。おまけに僕は根っからの小心者だった。彼女の目を見つめ返す勇気もなかった。世界は恐怖に満ちていた。蛇のタトゥーが恐怖のシンボルだった。
1学期の最後の日に転機が訪れた。大げさじゃなく、あれが人生の転機だった。
よく晴れた日の朝。バスターミナルに夏の光が溢れていた。まぶしくて時刻表の文字が見えなかった。僕はいつものように通学のために市営バスに乗り、2人掛けのシートに座った。本当は電車の方が早いのだが、僕は満員電車が嫌いだった。それにバスなら座れるし、仮眠も取れる。僕は窓に頭をあずけて目を閉じた。
発車する寸前に誰かが隣に座った。僕は目を閉じたまま腰をずらしてスペースを空けた。香水の匂いが鼻をくすぐった。
ふと隣を見ると、彼女が座っていた。目が合った。今度は逸らすことができなかった。彼女がにっこり微笑んだのだ。彼女は気さくに話しかけてきた。
校内でよく僕のことを見かけると彼女は言った。その時の驚きをどう表現すればいいだろう。うまく言葉にできない。
さらに彼女は僕の頭を指して「髪切ればいいのに」と言った。たしかに僕の髪は無造作だった。でもそんなに長いわけでもなかった。わけがわからなかった。彼女が僕の髪型を気にかけるなんて。
彼女はひとつ上の2年生だった。ふだんは電車で通学しているが、初めてバスに乗ってみたという。色々なことを話した。幸福なひとときだった。なぜだろう、初めて喋るのに僕はとてもリラックスしていた。きっと彼女のおかげだと思う。人を安心させる力があるのだ。
車窓から見える景色がいつもと違った。こんなにきれいな街並みは見たことが無かった。行き先を間違えたのだろうか。ふたりであてのない旅に出るのか。落ち着け。そんなはずはない。もういちど景色を確認してみる。いつもの道だ。たまに彼女の肘が僕の脇腹に触れた。スカートから伸びるすらりとした足が目の前にあった。目眩がした。
特に印象に残っているのは、彼女が小学生の時に"あること"で日本一になったという話だ。でもそれが何なのか、頑なに言おうとしないのだ。絶対に笑うから教えたくないという。それでも僕が粘り続けると、ようやく白状した。それは「一輪車」だった。
一輪車駅伝の全国大会というものがあり、彼女はジュニアの部で最終走者を務めた。その時に日本一になったらしい。僕はそんな競技があることすら知らなかった。
あまりに想定外だったので、どう反応すればいいかわからなかった。でもこれだけは言える。彼女が恥ずかしそうに「一輪車」とつぶやき、はにかんだ瞬間、僕は本当に恋に落ちた。
彼女は一輪車で燃え尽きて、中学から一切スポーツをやらなくなった。部活に入らないのも体育を休みがちなのも、すべて「一輪車で燃え尽きたから」。ずいぶん勝手な理屈だ。なんだか笑えた。そんなことを真顔で語る彼女がたまらなくチャーミングに見えた。だいぶイメージが変わった。
会話が途切れると彼女はバッグからイヤホンを取り出して、片方を自分の耳に差し、もう片方を僕の耳に差した。ヒップホップが流れてきた。ジェイZだった。いちばん好きなアーティストだと教えてくれた。
僕はジェイZを知らなかった。そもそもヒップホップをあまり聴いたことがなかった。素晴らしいと思った。リリックなんてひとつもわからなかったが、極上のラブソングだった。本当はドラッグの売人についてラップしていたのかもしれない。でも僕にとってはラブソングだった。
あの日のバスは僕を新しい世界へと導く特別な乗り物だった。バスを降りて、校門で彼女と手を振って別れた瞬間から、あらゆる景色が違って見えた。すべてが輝いていた。空は広くなり、緑は深さを増していた。
次に彼女と目が合った時は必ず微笑み返そう。蛇のタトゥーはただのファッションだ。この世界はちっとも怖い場所じゃない。
新しい世界の始まりは、夏休みの始まりでもあった。僕は16才になった。(14年前の今日だ!)人生が一気に加速した。そう、書きたかったのはここから先の話だ。ようやく佳境に入れそうだ。やっと辿り着いた。
僕は髪を切った。坊主にした。そして体を鍛え始めた。近所の区民センターのトレーニングルームで筋トレに励んだ。それから英語の勉強に没頭した。図書館の自習室で閉館まで英語と格闘した。単語、熟語、文法、構文、長文読解。最初は暗号のように見えていた文字の羅列が、だんだんと意味を紡ぐようになっていった。
英語と筋トレ。なぜこの2つに邁進したのか。理由は至ってシンプルだ。ジェイZになろうと思ったのだ。彼女がいちばん好きなジェイZだ。
①僕がジェイZになる
②彼女は僕に夢中になる
できれば夏休みの間にジェイZに変身したかったが、さすがにそれは現実的では無かった。でもとにかくやれるところまでやろうと思った。僕は筋トレと英語に励み、ジェイZの曲を聴きまくり、真似しまくった。日差しの強い日には近所の川べりで体を焼いた。
夏休みが終わった時、僕の見た目はジェイZにはほど遠かった。当然だ。そう簡単に変われるわけがない。日焼けして、少しだけ健康的になっただけだった。でも内面は違った。ヒップホップマインドが根付いていた。誇りがあり、野心があった。闘争心に溢れていた。
僕はパシリを断った。特に勇気を振り絞ったという感覚もない。単純に時間がもったいなかった。昼休みは英文のリーディングに充てたかった。誰かのパンやジュースを買いに行ってる暇はない。
パシリを断ると、彼らは一瞬どよめいた。こいつマジかよ、という顔をした。Nが笑いながら尻を蹴ってきたので、笑いながら蹴り返した。教室全体がざわついた。Nはそこで引き下がった。
それからしばらくの間、 嫌がらせが続いた。机や椅子が倒された。黒板には僕を揶揄する言葉が書かれた。でも相手にしている暇はなかった。早くジェイZにならなければ。僕は黙って机を立て直し、Nをにらみつけながら微笑んで見せた。Nの表情にわずかな怯えが走るのを僕は見逃さなかった。
筋トレ、英語、ラップ、筋トレ、英語、ラップ。その繰り返しだった。僕は少しずつ、でも着実に変わっていった。あの日からいちども彼女と会っていなかった。校内でも見かけなかった。でも焦ってはいけない。どうせ会うなら完全にジェイZになってからの方が良い。
そんなある日、柔道の授業でNと乱取りをすることになった。たまたま順番が当たってしまったのだ。組み合ってすぐにわかった。こいつは全然強くない。いつも余裕ぶった笑みを浮かべてるが、体はペラペラだ。とんだハッタリ野郎だ。絶対に勝てる。
Nが薄ら笑いを浮かべながら、足でドンと床を踏んで挑発してきた。腹の底から猛烈な怒りがこみ上げてきた。なぜこんなやつのパシリをしていたのだろう。さっさとぶちのめすべきではなかったのか?
僕はNを払い腰で倒して、裸締めにした。Nはすぐにタップしたらしいが、僕はまるで気付かなかった。先生があわてて引き離した。Nは気絶しかけていた。僕は先生にこっぴどく叱られたが、その日から誰も嫌がらせをしなくなった。勝ったのだ。
でも連戦連勝というわけにはいかない。ヒップホップの神様は残酷だ。僕は恋に敗れた。いや、勝負すら出来なかった。なんと彼女は夏休みの間に引っ越していたのだ。僕はそれをずいぶんあとになってから知った。
彼女とは二度と会えなかった。筋肉と英語とヒップホップだけが残った。なんのための努力だったんだろう。せっかく坊主にして、体つきも変わってきたというのに。仮装パーティーで会場を間違えた男みたいだ。マヌケ過ぎる。しかし、そんなマヌケな彷徨の果てに今の僕がいる。
高校を卒業して、さらに英語を極めるために外語大に入った。それからNYに留学して、今の仕事仲間と知り合い、色々あって現在に至る。仲間達はみんなヒップホップを愛している。それだけが共通点だ。すべてのスタートがあの日のバスの中にある。
ずいぶん長くなってしまった。まさかこんな長文になるとは思わなかった。そろそろ止めよう。
僕は今でも週に3回は筋トレをしている。当時よりずっと効果的なトレーニング方法も身に付けた。知識も格段に増えた。でも本当に必要なのは、あの頃のような闇雲な熱意だ。
30才になってしまった。
そうなんだけど田舎の山道にいたのでほとんどお店がみつからなかった。
お店を探してしばらく走ってると、わりあいキレイなお昼が食べられるお店があったので、
結局そこで食べることにしました。
たまたま入った店なんだけど、おかみさん曰くそこは山菜の天ぷらが有名らしく、客も結構遠くからもくるらしい。
そういわれたので大学生にしては少し痛い金額だったんだど皆で山菜の天丼をたのんだんでみたら、
街では見ない山菜ばかりで、しかもそれがとてもおいしかったんですよ。
特に、手のひらくらいの大きさの葉っぱの天ぷらが甘味があっておいしいと、皆で絶賛していた。
で、今になってそのことを思い出したんだけど、その山菜の葉っぱがわからない
色々調べてみてるんだけど、おいしい山菜の葉っぱはあっても甘味があるようなのはよくわからない。
もし名前を挙げてくれたら、実食してみてそのうち結果報告したいな。
(今更ながら追記)
ブコメに応えて、天ぷらだったので葉っぱの表面がざらざらかつるつるかは覚えてない。ただ形は楕円形。長さは20cm-30cmくらいかな。
また書きます。と結び↓つつ、2ヶ月あっという間に……。
https://anond.hatelabo.jp/20170516165447
夏休み中に誕生日を迎えるので、誕生日プレゼント兼読書感想文向けに、
まずはここら辺かな、と
https://anond.hatelabo.jp/20170515180123
https://anond.hatelabo.jp/20170515185422
でいただいたおすすめ本より、
『数の悪魔』
を注文しました。
明日には着くのかな。
息子の反応が楽しみです。
他におすすめいただいている
『オイラーの贈り物』
『利己的な遺伝子』
この辺りは、過去に私が全く関心を持たなかった分野なので、どれもこれも情報ありがたかったです。
唯一、結城先生の『数学ガール』シリーズだけは存在を認知していたので、著者が日本人で昔からTwitterされてる(もちろんはてなーでもある)のって影響あるのだなー、と実感できました(笑)
その後の息子の様子ですが、
夏休みに入る前の三者面談(担任+特別支援の先生+母である私)では、
「立ち歩きもなくなったし、積極的に発言するなど授業に対しても意欲的ですよ!」
と、ホッと一安心でした。
低学年では「先生の目が届くように」との配慮で、常に最前列を横移動していたような状況でしたが、
今年は一度後ろの席にしてみたら、それがハマったのか全く立ち歩きなく落ち着いているのとのこと。
おそらく、持たせている自由帳への落書き(すごい密度でゲームの構想が…)という内職に集中しやすいからじゃないか、と母としては予想しているのですが。
(教室からの脱走防止アイテムとして、入学当初から教科ノート以外に自由帳を持たせること、授業中の使用許可をいただいています)
今年の夏休みは、こども対象のプログラミングコンテストなどに応募出来るといいな。
息子自身が完成出来るところまでやる気が持続するかが怪しいですが、まず、ちゃんと完成させて1つ達成感を持ってもらうことが目標です。
沢山いただいたトラックバックに個別にお返事できずでどんどん時間が経ってしまっているのですが、聞いてよかった!!ありがとう増田日記!という感じです。本当にありがとうございます!
就職してからは年に1回しか帰省していなかったけれど、今年は色々用事が重なって3回目の帰省になった。
もう蝉が鳴いていて驚いた。実家に居たのはたった3日だったけれど、3日間ともよく晴れて暑かった。でも時々風が吹いて、あけっ放しの玄関から廊下に、部屋にと涼しい風が心地よかった。
帰省の間はずっと家にいた。親が作ってくれたごはんを食べて、洗濯物を干して、ゴロゴロして、昼を作って食べて、昼寝して、親が作ってくれたごはんを食べて、お風呂に入って、テレビを見たり家族と話したりして、眠くなったら寝た。何度か電気をつけっぱなしで寝てしまって、お母さんが消してくれていた。
夏に帰ってくるのは、就職してからは初めてだった。大学生の頃は、春夏冬と休みの度に帰省した。だからか、蝉の声を聴きながら家にいると自分は今大学生なんじゃないかと思った。
わたしはまだ大学生で、夏休みはまだまだたっぷり残っている。なにも心配することはない、まだ将来のことなんてなにも考えなくていい。大丈夫。大丈夫。
そうやって妄想に浸る反面、休み明けの仕事のことが気になった。家族に話すのは仕事の愚痴ばかりだった。
あっという間に3日間の帰省は終わって、電車にゆらり揺られてアパートに戻ってきてしまった。戻ってきたくなかった。仕事も行きたくない。ずっと実家で寝て起きてゴロゴロしていたかった。ずっと永遠に蝉の声がうるさい、暑くてでも風が涼しい夏でよかった。
こうやっていくら戻ってきたくなかった、仕事行きたくないってぐだぐだ言ってても、夏の気にあてられてノスタルジーに浸っていても、仕事を中心とした雑事が常に頭の隅にあって、それがそのうちどんどん膨らんでいってまたいつもみたいにアパートと職場を行き来する生活に戻っていくんだろうなと思う。
もう一人ではどうしようもない吐き出させて下さい。
変わりたくて、努力してきたけど変われなかった。もう俺はだめかもしれない。
勉強に対するモチベーションも、周りの自分よりも優秀なクラスメイトに付いていく努力も
2年も続かなかった。
長くなるし特定されたくないから詳細は省くけど、高校も中退している。
今の大学は、2か月の引き籠り生活の後、クズな自分を変えようと
自己啓発本を読み漁り、ネットの大海をさまよい、猛勉強の末何とか合格した大学だった。
合格を報告した際の、母の「自分に似なくて良かった(母は自分が大卒じゃない事を気にしていた)、自慢の息子だ」と
涙ぐみながらの言葉が忘れられない。
一流大学の学歴を得て、俺は変われたという自信と社会への繋がりを取り戻せるはずだった。
青春を捧げて合格した俺と違って、周りは部活の片手間や俺の半分の努力で合格してしまうような
優秀な奴ら、俺とはポテンシャルが違った。すぐに落ちこぼれた。
3年生になっても弾性係数の関係式も答えられず教授にやる気がないのなら大学を辞めて働いた方がいいとまで言われた
友達もできない。人と仲良くなりたいのに自分から壁を作ってしまう
人に嫌われるのが怖い。人にどう思われているか気になってしかたない。
大学で頑張る理由が見つからなくなった。俺は環境を変えても、この先ずっと独りなんだと思うと
目が覚めると夕方で、自己嫌悪と失意の中で自分をなじって朝まで眠れない日が続いた。
結局、高校の頃から何一つ変わってなんかなくて俺はクズのままだった。
留年すると奨学金も授業料免除もなくなる。女手一つで俺を育ててくれている母にただただ申し訳ない。
俺が死ぬと母を死ぬほど悲しませてしまうだろうし、それは20年間ダメ息子を育ててたくれた報いとしてはあんまりだと思ったから死にたくはない。
父と兄にどんどん似てきている気がする。
2人とも人付き合いが得意なタイプじゃなくて、孤独で陰鬱とした性格だった。
これから俺は母にこの件について話して、母を悲しませて、そして許して貰えるだろう。
後1年、頑張って卒業しなさいと言ってくれるだろう
人生の夏休みって言われる大学でもこれで、耳タコで聞いてきた厳しい社会人として生きていく自信がない。
とんだ甘えた野郎だと自分でも分かる。嫌いな人間のトップ2は高校時代の俺と、そして今の俺だ。
もう早く楽になれたらと思ってしまう、もう大学は辞めるしかないのだろうか?
こんな愚痴、2chでは死ねって言われるだろうし、知恵袋では罵倒されて終わりだろうと思い
理系や、同じような性格とか経験をした人生の先輩が多そうなはてなでなら色んなアドバイスや、叱って貰えるのではと期待してダラダラと駄文を書いてしまいました。
最初はとんでもない長文になってしまったので、読んで貰えなそうだと思ってかなり省きました。
(追記)
トラバに返信しようかなと思ったら、想像の10倍近いコメントがあってたまげました。
トラバもコメントも全部読みました。こんなうじうじした増田に優しいお言葉を沢山、ありがとうございます。厳しい意見もお叱りもご尤もだなと思えるものばかりですし、
URLや大学の相談に乗ってくれるサービスの紹介もありがとうございます。勇気を出して行ってみようかな。
自分と同じような経験をした方の話も、留年を乗り越えた先輩の経験談も励みになります。
休学して学費を貯めてから復学するという選択肢は思いつきませんでした。(休学中は学費掛からないんですね)
こんな精神状態になる事は、1年生の頃から何回もあって、その度になんとか乗り越えてきたんですけど、
今回は、もう立ち直れないんじゃないかってくらい落ち込んでしまって、ヤケクソになって書きました。
まだ何も解決していませんが、昨日よりは随分マシな気分です。
昨今,Twitter上では,マスメディアによる情報の正当性について議論されることが多々ある.
最近だと,安倍総理が「選挙のためならばなんだってする」ということを言ったという切り取り報道がなされていたり,
外国で起きている暴動を一切シャットアウトして報道をしなかったり,
このような状況,確かにおかしいと思う.
TwitterなどのSNSは,「見て見ぬふり」が出来るツールです.
どのような投稿がされていても,まったくと言っていいほどテレビ局は思慮のうちに入れません.
そりゃそうでしょ,意図的に「見ない」ということで情報をシャットアウト出来るわけです.
じゃあなにすんのって言ったら電話.
少し前,このようなことがあったの,覚えてますか?
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/24/familymart_n_4657854.html
ファミマが,約20件ほどの苦情で,フォアグラ弁当を発売中止にしたあれです.
話が極端になっていますが,「電話」というツールは,今の時代になっても有用なツールとなっている側面があります.
ファミマ以外でも,昨今のクソつまらないTVはPTAのテレビ局へのクレームが巻き起こしているとも言われます.
Twitterの画面の前でキレながらRTしているオタク,お前ら電話しろ電話,
10000RTされてるんだろ?10人に一人が電話しても1000件のクレームだぜ?
世界かえられるんじゃないの?
お前らがTwitterで言ってたって,何にも変わらないの,TV局は見ても見ぬふりするの.
TV局の窓口は大体が電話窓口とか,インターネットのフォームがある,
Twitterに書き込む暇があったら,そっちに書き込め.
自画自賛みたいになっちゃうけど、うちの職場悪くない職場だと思うんだよね。
残業無いし、17時半定時だし、完全週休二日制だし、休日出勤無いし、飲み会も休日返上の付き合いも無いし。冬休みも夏休みも1週間あるし。
都心にあるからアクセスもいいよ。ネームバリューなんて全然無い小さい会社だけど、歴史はそこそこあるよ。景気にも左右されないよ。
年収だって平均の1.5倍~2倍くらいは出るし、営業成績がいいと更に増えちゃうかも。昇給だって万単位であるよ。
学歴不問、未経験OKだよ。年金とか保険だって勿論支払ってるよ。
でもねー、年末からせっせと求人出してるんだけどほっとんど応募が無いの。
数件来た応募も全員面接しようと思ったけどバックレられたり、何度電話しても出なかったり、ドタキャン食らってあっちからお断りされてる。
もうすぐ定年退職の人が居て、その人の引継ぎを…と思ったんだけど無理そうだ。
春から何件か人材紹介?みたいな会社に問い合わせてみたけど、いい返事は来ない。らしい。俺はその愚痴を聞いてるだけだからよく解んないけど。
取引先でも中々人が集まらなくて難儀してる所が何か所もある。今は応募来ないから大変だよーって口揃えて言う。大きい所は違うんだろうけどね。
世の中じゃ転職しようにもまともな職が無い。食いっぱぐれるなら今のブラックで…って頑張っちゃう人がいっぱい居るらしい。
大企業で島耕作になりたいって言うなら話は違うんだろうけど、中小は結構求人出てるよ。
うちの周りじゃ大きい会社より小さい会社の方が若い人の待遇はいい。だって逃げられちゃったら次捕まえるの大変だもの。