はてなキーワード: 夏休みとは
さすが夏休みだな
洋ドラなんてこの世で最も見かけ騙しで中身がない娯楽だというのに
そんな事に未だ気づかないとは君は何歳だね?
電気釜は時刻を毎回セットしなければタイマーが使えないような状況だったが、
米を炊くことはできていた。でも、つい先日逝った。
次が、風呂釜、正確には給湯器なのだが、風呂が沸かせなくなった。
給湯はできたのでシャワーを浴びることはできたし、シャワーヘッドから水を溜めて、
追い焚きで風呂に入ることもできたけど、給湯器を交換せざるを得なくなった。
「取付に一週間以上は掛かるから、待ってろ」との事だった。
エアコンの買い替え、付いていない部屋への追加等で、施工業者は大忙しらしい。
もう既に1週間、早く復旧して欲しい。
風呂釜も、エアコンもあまりにも古いため、修理の検討は無駄だった。
がっくり来ているところへ、とどめのパンチと思しき事態が発生した。
ガスコンロが逝ってしまった。3口+グリルが有るので、何とか使えなくは無いのだが、
メインだったところが使えないので非常に不便。
以前のフラットブラウン管のテレビは短命だったな。4、5年位のもんだった。
風呂釜、エアコン、ガスコンロは19年。長寿だった。安らかに眠ってくれ。
ただ、俺はこの夏休み、どこにも行けないことが決定した。
あ、冬もどこもいけないんだった。ちっくしょー。
あさりちゃんとかキャプテンとかルパン三世とか旧作ジャンプアニメとか高橋留美子作品とかタッチとかずっと見てた
やむを得ず始めたダイエットで、たくさん食べたいという甘えた理由から糖質制限と筋トレを選んだ
結果、痩せることはできたがそれ以上に大きな変化がたくさんあった
ただ、糖質制限はたくさん食べれて楽なんて話は嘘だ。たくさん食べれるが満腹感は得られないという謎現象に悩まされた
例えばサラダをボール一杯分食べても満腹感はなく、食べれなくなる理由は純粋な腹痛だった
だから、早寝早起きが身につく。起きたらすぐ食事をしたくなるから二度寝もない生活リズムが改善された
そして、筋トレを早朝ジムで行うことで食事制限をさぼらない為の助走がつく。というのは、せっかく運動したんだからという意識が食事制限をさぼらせない効果があった
筋トレ自体は、そこまで厳しいものではなく気分が乗るときだけ追い込むというもの。そもそもダイエットでは筋肉を大きくできるわけではないので痩せたときの為のフォームを身につけるくらいの気持ちでやってた
それでもある程度、気持ちを盛り上げる必要があった。そのせいか知らないが、なぜか筋トレ以外のときも自然と気持ちを盛り上げて集中しやすくなっていた
そして、食事も二週間に一回は好きなものを食べていいようにしたので、その日を楽しみに生活するようになった。実際、普通に食事していたときの三倍増しくらいで美味しく感じる
何かを楽しみにして生きるという状態が、精神的にすごく良かった。例えるなら、子供の頃にもうすぐ夏休みという状態や恋人と泊まりにいくデートの約束みたいなもの
気の重かったことも終わって、大好きな親友もこっちに帰ってくるらしいし、楽しみだ。
新しいバイトも始める予定だし、大学の友達と会う予定も、高校の友達と会う予定もある
やっとなれた遠出も少し楽しくなってきた。(引きこもってネットしてる方が楽しいのでは?って日もあるにはあるけど)
大学生の生活圏は広くて戸惑ったけど、慣れたらなんてことないものなのかもしれない。
人と仲良くするのは苦手だ。私は社会不適合だ。友達百人とはいかないし、何なら家でずっとだらだらしていたい。
だけど、今の生活も悪くはない……かもしれない。
このままの気持ちでいられたら……なんて、難しいかな。きっとまた、失敗して落ち込んで苦しいまま眠る日々がくるんだ。
どうか終らないでほしい。
……でも、変化を望まないのって、きっととても愚かだ
どうあがいても夏の夜の夢なのだろう。変わっていくものに最近沢山気づく。少し寂しい
そんなことを思った今日でした
英語の答案返しをしていた。夏休みまであと1週間を切り、教室はどこかふわついた雰囲気が漂っている。各々夏にどこに行く、何をするだの小声で話していた。
担任は、どこかずれている。思ったことを言語化するのが苦手で言い間違えや方言が多々混じる。今回も試験の成績が悪いから夏休みしっかり勉強しろといったニュアンスのことを茶化しながら聞くのだろうなと思った。
「今朝東山君が亡くなりました。」
亡くなるとは何だろうか。明日も明後日も永遠に会えないし、話せない、何かを共有できなくなることなのか。
そんなはずはなかった。
昨日、東山は国語の試験に遅れて0点になったことを冗談めかして嘆いていた。
校内で1番厳しい先生の授業中、ムカデが思わぬところから出てきて一緒に必死になって笑いを堪えていた。
入学当初、人見知りで誰にも話しかけられずどこか距離をおいていた私に声をかけてくれた。
担任は交通事故だと言った。葬儀の詳細は分かりしだり連絡すると言った。気分が悪い人は早退していいと言った。
「それとついでに言っとくけど、レポート出してない人多いから早く出してね。」
課題提出の催促で話は終わった。
今日というのは昨日の延長線で等しく全てに与えられるものだと思っていた。
僕がまだ思春期だったころから、ときどき気分が上下するときがある
鬱っぽい気分のときはあまりキッカケがなくて、とにかく何もやりたくなくなる
出社するのは億劫で、昼飯は他の社員と話したくないので、弁当を買って一人車のなかでたべてる
定形の仕事以外は本当に苦痛で定時で帰れるように最大限の努力を重ねて、定時で速攻帰ってる
帰宅しても何もやる気がなくて、ぼーっとPCで増田とか掲示板を見て眠くなったら寝るという生活に自分でもうんざりしているけれど止められない
一番つらいことは、趣味の読書に対するやる気がなくなって「何をしても無駄」という気持ちでいっぱいになる
なんで生きてるんだろうって本気で悩むし、どうせ皆死ぬんだっていう絶望感に包まれる
しかし、無気力でもこんな感じの状態が3日〜2週間くらい続いて、突然気分が晴れて普通の気分になるときもあるし、躁転することもある
頭痛がして耐えられなくなって頭痛薬を飲んで昼寝すると、躁っぽくなる
躁っぽいときは朝目が覚めるのが目覚ましより早いし目覚めが最高に良い
会社に行くのが楽しみで、クリエイティブ系業務のアイデアが山のように生まれる
仕事が楽しいのでガンガン進むし、疲れをあまり感じないので少し残業もする
こんなときは誰に会っても物怖じしないし、他人の意見を積極的に聞きたいし、意見も言いたい気分になる
誇張なしで「世界のすべてを知りたい」というおおらかな気分になる
こっちの躁っぽい感じは3日くらいしかつづかなくて、1周間はつづかない
躁っぽい状態は大学生くらいのとき、とくに夏休みに頻発してたけど最近は年に4〜5回しか体験できない
鬱っぽい症状は昔と頻度は変わらず月に1回くらいある
躁鬱病というにはちょっとマイルドすぎるんだけど、自分に制御できない気分の上下に悩んでいる増田いる?
躁っぽいときの僕と、鬱っぽいときのぼくでどちらが本当の自分なんだろうって思う?
会社では平常心を装ってるけど、気分が沈んでるときは誰とも話したくないし、気分が良いときははっちゃけたくなる気持ちを押さえてる
みんなどうやって対策してる?
なにが夏休みだ何も言えないならそう言えよ
知識なくってゴジラってウルトラマンの怪獣版で正義の味方なんだと思ってたから
衝撃を受けたし楽しかった
只、夏休みの特番で観てたウルトラマン同様にどうみても作り物だってのは
解ってたよね、屋上のヒーローショーの着ぐるみとはクオリティが違うんだろうけど
結局は同じだよねと思ってた、でも仕方がない怪獣なんていないんだからぬいぐるみで代用するしかないって
そんな中ジュラシックパークの登場ですよ
同時期にやってた安達由美主演「REX恐竜物語」とどっちかにしなさいと親に選ばされて
REXを選んだのは子供だから仕方ない(結局両方観に行けたし、REXもあの時代大したもんだった気も)
で、ジュラシックパーク、凄かったね実際に恐竜が出てくるんだもの
そう思えたのは本当に凄いと思う、ハリウッド映画って凄い感がこれ以後内心MAXになった
なんとハリウッドでゴジラを作るという、しかもジャンレノが出るって
リアル?な怪獣が街中を暴れるという私の期待にきっちり応えてくれた
あんなのゴジラじゃないとか批判も相当あったらしいがそんなの耳に入る機会もないし
そもそも映像的なおもしろさに比べればゴジラとはなんぞやなんぞどうでもよろしい
個人的にこれは最高のゴジラだ、ゴジラが2000年代に復活して尚更思った
あの辺りにはゴジラとはなんぞやを低クオリティで作品をつくる言い訳に使っているとしか思えなかった
子供だましにもならない子供だましが伝統あるゴジラという事になるがそれで良かったのだろうか
ゴジラはつまらなくなって終わった、ゴジラとはなんぞやを語れるはずの連中が
NYトカゲふざけんなと息巻いた結果がこれだったのは虚しい
毎年夏になると読書感想文の書き方の話題が暑いですね。ほとんどの人間の共通体験として言及しやすいということもあり、だいたい
1.書き方をちゃんと指導しないのが悪い。
2.書き方の指導をするべきだ、しないほうがいい。
3.おれはこう書いてた。いつも褒められてた(ドヤリング)
4.書き方講座→アフィ
ぐらいのカテゴリになる。
で、読書感想文の目的を「文章を書く能力の向上のための課題」と決めつけ「なのに指導しないのは怠慢」という1.の文脈が気になる。あれ本来は「長い夏休み、少なくとも1冊ぐらい本を読んで欲しい」ってダケだよなあ。
どうやって本を読んだかどうかを確認するか、って方法として「読書感想文」という課題が設定されているだけなんじゃないかと。義務教育と共に歴史が長くなりすぎてもはや先生ですら本来の目的がなんだったのかわからなくなっている気がする。
まあついでの効能として「文章を書く能力にもつながる」「書ける才があるやつがわかる」ぐらいなので、それを積極的に指導することが本来の目的じゃないからちっとも指導されないのだと思う。
「読書感想文」を「文章を書く能力のための課題」と位置づけたほうがいいのかどうかは文科省にでも聞いてもらうとして、なぜ指導されないのかという理由については「本題じゃないから」ではなかろうか。だいたい本をよく読んでるやつはそれなりになにかしら書いてくるからな。
「読書感想文の書き方を指導すべき」という一辺倒ではなく、「どうすれば本をよく読むようになるか」「また効率的にチェック可能か?」の問題解決ができれば、また別の方向性が見えるのじゃないかと思う。
夏休みです。
めでたくスイッチの抽選にあたって、やったーイカできる!って喜んでました。
前作メインで使ってたブキは、ボールドマーカー、3Kスコープカスタム、スプラスコープ(ワカメ)、あとたまにスピナーとかダイナモとか、そんな感じでした。
ガチマッチカンストで維持できてたのはボールドと3Kだけだったと思う。
残念ながら今作ボールドマーカーはないらしいので、チャージャー目当てではじめたようなものでした。
チャージャー、なんですかこれ。
さすがにひどいと思いました。
ステージがゴミゴミしてきて、固定砲台しにくくなったのも、別にいいと思います。
というより、固定砲台を死滅させるスペシャルが増えたような気がするし、どうせやってられないと思う。
攻撃力のギアがなくなったのも、しょうがないかな……となんとか諦めもつく。
本来フルチャージするブキだと思うし、チャージャーなんだからチャージしろよっていう意見もあると思います。
信じられないくらい身体発光するのも、まあ百歩譲って泣き寝入りしましょう。
常時ガチホコ並に目立ってるの正直つらいけど、射線とかあるあたり、任天堂的にはチャージャーは隠れて狙撃するスナイパーではないんでしょう、きっと。
でも、弾速の遅延はないですよ。
ここまで散々下方修正かけといて、さらに致命的な追い討ちするんですか?
ていうかこんな仕様だったら、射線いらないですよね。当たる場所違いますもんね。
どうしてこういうことするんでしょうか。
前作のプレイヤーには遊んでほしくないってことでしょうか。
多分ダイナモ使ってたひとも似たようなこと思ってると思いますけど。
一体何がしたいんでしょうか。
下方修正にも限度があるでしょう。
味方に来たらもう勝てないとまで言われるブキに落とすのは、絶対にまちがってる。
これは本当に、みんなが楽しく遊べるための調整なんでしょうか。
さっさと弾速戻してほしい。
逆にもう戻す気がないなら、その旨発表してほしいです。
スイッチごと捨てるので。
本当に、こんな悲しくて不条理な気持ちにさせられるとは思わなかったし、
こんな思いするくらいなら買わないほうがよかった。
二人で自転車の坂道を下ったり、花火みてロマンスに酔ったり、安いアイス半分こしたり、海岸で将来の話したり、咲いたひまわりの数いっしょに数えたり、塾の帰りに内緒話したり、つまんない映画でもたのしかったり、遊園地のアトラクションでずぶ濡れになったり、お化け屋敷ではしゃいだり、とりあえず線香花火したり、誰もいない公園で馬鹿な話したり、昨日見たテレビの内容とか、部活で誰それが面白いことしてとか、最近あの子別れたとか、てか全然宿題終わらないとか、もう今年も夏終わるねえ、夕暮れの長さも短くなって、風鈴の音もいつの間にか消えて、一年の燃えるような季節が終わる。知ってましたどうせ全部フィクションで誰かの勝手な妄想でそんな青春どこにもない!!!!!それでも高校最後の夏休みが着々と終わっていくのは、やっぱりつらい。誰かに与えられた幻想がたまたま自分の理想に重なって、ちょっとだけ絶望する夏。あと半分。
・波風立てるな。
・何事も黙って従え。
・本音を隠せ。
私にはこの三つの呪いが掛けられている。だいたい十五年くらい生きてきたけど、この呪いに振り回されなかった日がない。
きっかけはまだランドセルも背負ったことのなかった時の夫婦喧嘩。離婚届を出されて二人の間に流れる空気が変わったのを敏感に感じ取ってしまった私は、咄嗟に泣きじゃくりながら「やめて!」と叫んでしまった。その時の親の表情。邪魔するな、黙ってろとかそういう感情がごちゃごちゃになった顔を見た瞬間、私に三つの呪いが掛けられた。
その呪いを引き摺ったまま私は小学校の入学式を迎えた。ぴかぴかのランドセルの裏に呪いを隠して、学校に通う私。せっかく出来た友達にも、本心を隠して対応しなければいけない辛さは想像を絶する物だった。学年が上がるごとに、行きたくない日が増えていった。複雑化する人間関係。そして、悩む私に大きな転機が訪れる。
十歳年下の弟が出来た。
病室で小さな弟を初めて抱いた時、咄嗟に思った。私が、この子を守ってあげなきゃいけないと。あの日から未だ止まない親の揉め事と、精神を蝕む呪いから。
初めて制服を着て入学式に出た日。この日から、私は着実に壊れ始めていた。友達に流されるまま入った吹奏楽部では顧問に行き過ぎた指導を受け、ついていけない勉強内容にテストの点数を見て絶望した。しかし、何より衝撃的だったのは、周りの生徒が空気を読んだタイミングではなく、自分の好きなタイミングで笑っていた時だった。
あぁ、私、間違っていたのか。だから苦しかったのか。そう気付いた時、安堵と共に悲しみが襲ってきた。何だか今までのすべてを否定された気がして、涙が溢れて止まらなかった。
そして一年の夏休みの少し前、私は学校に行けなくなった。家に引きこもり、毎日泣いていた。
私が引きこもっている間も、親の口論は止まらなかった。あの日の私と同じくらいの年の弟を庇いながら、必死に仲裁する。けれど内心、守ってくれる存在がいる弟が羨ましくもいた。
その後、不登校のまま二年生に進級。相変わらず事態は停滞していて、私は時間を食い潰して生きていた。教科書を開いてもやる気が出ない。文庫本一冊読み切るのも難しい。昼夜逆転生活で体調を崩し、親とぶつかり合う。私、生きてていいんだろうか?そんな思いを抱えながら、ついに、三年生への進級が決まった。
そして今、進路に悩む三年生。とりあえず高卒資格は取りたい、しかし全日制高校には通えない。じゃあ通信制にしようという事で、公立通信制高校の説明会に行ってきた。高校で何がどう変わるか分からないけれど、少し未来のビジョンがはっきりしてきた気がする。