はてなキーワード: 単純化とは
鬼滅の刃が面白いのってクライマックスまで一気に行って最終回がどうこうって話じゃないんだよ。
なんでそこだけを語るかなあ。主人公が優しい、死生観がどうこうってのも、大事だけどそう単純化してはいけない。命を扱った作品なんていくらでもある。どうしてあの世界観の息遣いを感じられるかというとこに踏み込まないと何の話にもなってない。
はてなでは(ニュースサイト一般に言えるかもしれないが)「大衆は単純なものに踊らされがち」みたいな本質を何もわかってない言説が持て囃されがちだ。
こういう要素だけを挙げてヒットを分析するのがけものフレンズのときも流行ったけど、そういう見方をしていた人たちが作った2がどうなったか。鬼滅の刃と比較された長期連載の大作にも言えるが(だれた飽きたはお前の気分だろ)批判するにしろ褒めるにしろもう少し作品の面白いところあるいはファンというものに敬意を持って分析して欲しい。
現実の遺伝法則をそのまま使うと言っても、当然ながらSwitchの中で現実の花を
育てるわけにはいかないので「そのまま」使うことは出来ませんね。
既に存在する現実世界の仕組みをプログラム上で「流用」するためには、
現実世界をなんらかの方法で単純化したルールで再現せねばなりません。
その再現のルールは、究極的には素粒子1粒1粒に対して大統一理論による挙動の計算を行うと
いうものになるでしょうし、極限まで単純化したものであれば現実に存在する花の割合にあわせて
どうぶつの森が採用した、遺伝法則をシミュレートするという手法は
・・・言いそうで救えないな
日本だけ大勝利!アメリカも中国も惨敗とかこの状況下でも平然と素で言うもんな
彼らが惨敗なら、彼らと付き合いをやめるなら、日本には食料も医療品も何かを作る材料も入ってこないのやで?
自称保守、自称リベラル、お互いは別に敵ではないことが、わかったことでは無いだろうか?
敵というか本当にどうにもならないのは、
- 長文が読めないネットde真実くん
なんていうか、文字が読めない庶民の代わりに聖書を読む聖職者を奉っていたが
だんだんと腐っていった構図そのままな気がする
海外の論文や臨床試験ジャーナルや学会の見解やニュースや学術インタビューは見放題なのである
anond:20200406171736 anond:20200406173237 anond:20200406180150 anond:20210902114734 anond:20210906190206 anond:20210909080902
素人なのただの思い込みで終わるのは重々承知なので、ここに吐き出す。
クラスターは一人のスーパースプレッダーが居るという過程で成り立っているけれど、果たしてそうなのか。
その人が関わる空間にたまたま別ルートで感染した人が集まっていたということはないのか。
当初の検査体制としては濃厚接触者&症状化が強い人しか検査しなかった。
2月時点で検査されていない感染源となる陽性患者はそれなりに居たのではないか。
例えば、大阪のライブハウスはたまたまスタッフが出張で行った北海道が検査対象が他都道府県より広かったので、検査につながり陽性判断された。
で、そこからクラスタを追うために症状の有無関係なく調査することで、陽性者の検出ができた。
さて、ここにスーパースプレッダーが一人いてから感染したと考えるのか。もしくは、他の感染源から感染した人が、ライブハウスにたまたま集まり、そこで一緒に仕事したスタッフ同士、一緒に呑みに行ったライブ仲間同士、会話をした物販スタッフと客、それぞれがまた感染したのか、感染してもその人元来の免疫で陽性反応出るほどまで活性しなかったか、そもそもライブに単独参戦、誰とも会話せず帰って発生すらしなかった…など考えるのか。
もちろん、ライブハウスに集まった人がライブハウスにだけ行っている、他は全く他人と接触しないなら単純系に考えても違和感はない。ただ、人の活動を考えると、家族がいる、職場がある、飲食店に出かける、往来の多い場所を通る、様々な感染ポイントを日々通過している。人もそれぞれ体調良い人、悪い人、色んな要素がある。
そこらへんを無視して単純なスーパースプレッダー説で一人に起因するとまとめあげるのは、やっぱり違和感がぬぐえない。
数理モデルと言われてもあんまりピンとこないけど、人の体質、営みという、それぞれが些末とは言えない複数の要素があるのに、それら要素をそぎ落とした単純系な処理で単純モデル化したものであれば、やっぱり納得しない。
もちろんウイルスそのものが飛沫、接触感染するというモデルについては納得している。医療従事者が大変なのも承知しているので自分が感染をひろげないという意識は大切だと思っているし気を付けたい。
でも、今の単純化したシミュレーションに踊らされるのも行動を制限されるのも正直勘弁してほしいし、同意できない。本当にすまない。
まず、なぜピークカット理論における曲線が正規曲線に近い形を描くのか、理解できていますでしょうか?
元記事 (https://medium.com/@joschabach/flattening-the-curve-is-a-deadly-delusion-eea324fe9727) は、
「我々は曲線を正規曲線として単純化する」(we furthermore simplify the model into a normal distribution)といってるが、この時点でこの記事はアウトだし、これを参照するこの記事もアウトです。もう少し、曲線そのものを自分で描けるようになるまで感染の理解を記事に入れて頂ければ、信頼性も増すと思います。
感染曲線の「ピークを下げる」というのは、たとえば学校閉鎖だったり、行動自粛だったり、個々人に衛生習慣を高めることで、医師・技師の単位時間あたりの稼働量を減らすことであって、集団が免疫を獲得することを目的としているわけではありません。
そのピーク下の面積で算出される集団感染者の総数を目標値(https://www.ft.com/content/38a81588-6508-11ea-b3f3-fe4680ea68b5 によれば、イギリスは総人口の60%)にもっていくのではなく、この曲線のピークを下げた結果、総感染者数が曲線下の面積になり、それを総人口でわったら60%になるのです。
あともう少し、生物学的要素を考慮していただきたいです。SARSやMERSが流行しなくなったのは、またはエボラなどの風土病が特定地域でしか流行らないのは、全人類がこれらの免疫を獲得したためではないですし、感染者を全員捕まえたわけでもありません。
とはいえ、ブコメで散見される「ワクチンができるまでの時間を考慮していない」という意見はガン無視して良いです。ウィルスのワクチンは一般に作成が困難であり、その中でもコロナウィルスは極めつけに難しく、作れたらノーベル賞クラスとも言われています。コロナのウィルスのワクチンができて、それが全国民に接種できるようになるまで、どんなに楽観的に見ても2年はかかるし、それどころか10年かけてもできないのではないか、とも思います。
(もっとも医療研究予算のなかで、コロナウィルス系の研究は比較的少なかったのですが、今回の件で各国が研究予算・資源をコロナに全振りしてきたらひょっとしたらどうにかなるかもしれません)。
とりあえず筆者が感染方程式(感染率が時間で変化することを基づく微分方程式)を立ててくれないので、もう少しわかりやすいサンプルを探したら、https://www.mag2.com/p/news/444079 があったのでこれでも参考になるかと思います。
ピークを下げれば、感染症の収束までに感染する個体の数も下げられるのだ、ということを、まずはちゃんと理解いただきたいです。
うっす。馬と鹿のキメラは嫌いなので、たくさん書いたよ。(少し書くの人とは別人ね)
https://anond.hatelabo.jp/20200303170825
https://anond.hatelabo.jp/20200304115839
ただの風邪とは違う。医療リソースの枯渇すると武漢の再来になるので、経済活動とのバランスを考えて流行を抑制すべきである。理想は、ほぼ新規感染者が発生しないような抑え込み、次善は流行のピークを小さくすること。
ただの風邪、のような症状の人は、家で休むこと。休むのが無理でも、ジムとかライブハウスとか雀荘とか宴会とかビュッフェに行かず、満員電車も避け、何よりも「病院に行かないこと」。
・基礎情報。中国国内のWHO調査報告書(2月20日時点調査 https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/who-china-joint-mission-on-covid-19-final-report.pdf)によると。55,924人が確定診断。うち2,114人死亡、死亡率3.8%。このうち武漢だけを見ると5.8%、武漢以外では0.7%。単純化すると武漢並みになると悲惨。そうじゃなくても怖い。国内において、武漢のような事態になる可能性も考えつつ、以下検討してみよう。
・このCOVID-19の特色はいくつかあるが、風邪やインフルエンザと大きく異なる点は、症状が重い上に長引く点。軽症者においても、倦怠感や発熱が1週間以上つづくことが多々あり、一定以上の肺炎を発症した重症者においては、長期入院を余儀なくされているケースが多いこと。結果、患者1人あたりの病床をはじめとした医療リソース消費が大きい。
・同じく特色として、重篤な肺炎が、風邪やインフルエンザに比べると高率で発生する。そうなると、まずは酸素吸入、ついで人工呼吸器。これも密着マスク型の非侵襲的陽圧換気、気管挿管、気管切開、体外式膜型人工肺(ECMO)を、重症度や設備に応じて使い分けて患者の血中酸素濃度を維持して回復を待つことになるが、余剰が多くあるものではなく、技量を持つ医療スタッフにも限りがある。利用可能な人工呼吸器が枯渇すれば、当然致死率は上がる。そのためにも重症者数を減らすべきで、現状では感染者の全数を減らすしかない。
・その医療スタッフについても、現状ではインフルエンザでのワクチンやタミフル予防投与等に相当する予防手段はなく、中国においては2月11日時点で医療スタッフ3019人が感染したとの情報がある。大規模流行にいたると、仕事量が激増し、さらには院内感染で戦線離脱するメンバーもでて、人的医療リソースが枯渇する。その結果、待合室での感染拡大という悪循環になったり、医療サービスのレベルも下がり、COVID-19以外の疾病での死者も増えることにもなりかねない。中国政府は4万1600人の医師らで構成される330の医療チームを湖北省に派遣という報道もあり、人海戦術で乗り越えたように見られるが、日本ではどうだろう。流行規模が武漢より小さい韓国の大邱でも、医療現場は大混乱である。
・もう1つ懸念事項がある。これはエビデンスがある話ではないが、一般論としてインフルエンザ等の既知のウイルス性肺炎では、無視できない比率で細菌性肺炎を合併し致命的となるケースが見られる。そのため、一部医師は予防的、そうでなくても細菌性肺炎が確認されれば全ての医師は抗菌剤投与を行うが、その状況が長期に渡り、患者数が多いと、多剤耐性菌と呼ばれる抗菌薬が効かない菌が増殖する確率も増えてくる。そして、多剤耐性菌での肺炎を併発すると致死率はさらに上がる。
多剤耐性菌は、免疫力が低下した患者において、抗菌薬投与により他の菌が排除されるよう環境でこそ容易に増殖するため、従来より院内感染が問題となっている。もし、武漢のようにICUなどの隔離度の高い病室が満室となり、COVID-19患者同士の隔離や感染予防ができなくなるような事態となると、多剤耐性菌の院内感染が派生し、COVID-19のみの発症であれば救えた患者も救えなくなるリスクが高まる。
多剤耐性菌は健康な人間であれば無害なものが多く、健常な人間が無症状で保菌しているケースが多いと言われるが、社会全体で抗菌薬(一般には抗生物質と呼ばれる)を過剰に不適切に利用していると保菌率が高くなるとも言われる。この保菌率は菌の種類によっても差があり、全般的には途上国に多く日本は少ないという報告はあるものの、COVID-19の重症患者が一般病室にあふれるような事態はできるだけ避けるべきである。なお、細菌性肺炎が合併した際も、タイムリーに原因菌を検査し、適切な薬剤選択を行うことで多剤耐性菌感染症の発生抑制や治療は一定可能と考えられるが、この点も医療リソース次第である。
・COVID-19は1個人として見た場合は重症化しない限りは特にリスクはない。ただ、長々と書いてきた観点から、社会全体の感染者数を抑えることが、致死率にも大きく影響する可能性が高い。ごく軽症であっても他者へ感染させている例もあり、のどの痛み程度でも、クラスタ発生が確認されているような場所へ行くことは避けることが重要である。特に、病院は逆にウイルスを貰う可能性もあり、希少なリソースでもあり、少なくとも現状では軽症での受診を避けること。どうせ検査はして貰えないし、濃厚接触者でもない軽症者を検査する合理性は下記の観点からもない。
-(特に軽症者はウイルス排出も少ないことも多く)検査精度が低いこと
- 日本国内の流行がそこまでではなく感染確率そのものが低いこと
・経済も疫病もグローバル化した世界に、我々は住んでいる。全世界において他国は抑え込めているのに日本だけが流行している状態がつづくと、他国の防疫にも悪影響を与えて迷惑をかけるし、人的交流が禁止され、経済的に大打撃を受ける。日本は外需依存は比較的低い国ではあるが、人口減少国である。外国市場での販売拡大、海外生産、そして国内の余剰設備を活用できるインバウンド消費は、経済規模ひいては生活レベル維持のための生命線であり、純経済面で見ても、目先の損失を覚悟してCOVID-19の流行をおさえることに、合理性はあると考えられる。
・タイ、シンガポールは抑え込めている。昨年末から武漢封鎖までの期間でみると、武漢からの出国者は国別で「タイが2万558人で最も多く、シンガポール1万680人、日本9080人、韓国6430人」という情報がある。防疫体制の強いシンガポールはともかく、タイでの患者数が増えないのは、気候が影響していることが推察される。逆に主な流行地を見ると、武漢、韓国大邱、イタリア北部、イラン、北海道、米ワシントン州と、おおむね2月の平均最高気温が10度を下回るエリアとなっている。あくまで可能性の域を出ない話ではあるが、季節性があるならば、今を耐えて抑え込みを目指すのは、日本の風土を考えると合理的であろう。
・中国当局の情報を見ると、武漢以外ではほぼ抑えこめており、武漢も新規患者の発生はかなり抑制できてきている。大規模な封鎖や、追跡隔離、操業停止、仮設病院建設などのあらゆる手を打ったとはいえ、武漢レベルの流行も抑制できているように見えるのは朗報だ。
・高山義浩先生(岩田健太郎教授のプロレス?相手)も以下のように書いていて、スーパースプレッダーが発生するような特定条件以外では、インフルエンザほど感染力は強くなさそうである。抑え込みを放棄した2009年新型インフルエンザとは異なり、抑え込める可能性はより高いと思われる。
「新型コロナの感染力がインフルエンザほどではなさそうだということ。国内で発見された確定患者の濃厚接触者(1症例あたり数名から数十名)を保健所が追跡していますが、その後に感染が確認されたのが、ほぼ、同居者など家族に限られているのです。これがインフルエンザだったら、もっと学校や職場でのクラスターが確認されるものです。(https://www.facebook.com/100001305489071/posts/2726515674068589/)」
以上。がんばりましょ。
こちら、下記を書いた増田なので、一部の文章は、そこから流用。
https://anond.hatelabo.jp/20200228013154
https://anond.hatelabo.jp/20200210110528
(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200303170825)
↑ このブクマカいわく
だそうだ。正解は次のうちどちらだ?
個人的には米国のように2本立てで突っ込んだ報道して欲しいのだけど?
(わかる人向けに突っ込んだニュース、わからない人向けに単純化されたリリース)
現実的なことを考えたら自分で海外サイトを見るしかないのだろうけど
勿論学校に依るだろうけれど、少なくともうちでは教室の数も教員の数も物理的に足りない。
それから話は変わるが、今回の案件は『罪を憎んで人を憎まず』ならぬ、「政策」と「首相」を分離できていない人が多い気がする。
つまり「一斉休校そのもの」を肯定・批判している人と「首相そのもの」を肯定・批判している人がごっちゃに語っているから、
両者の肯定・否定を組み合わせた4パターンを白黒2パターンの枠に単純化して語ろうとするから、おかしな話になる。
まぁ、首相憎けりゃ政策まで憎い(orその逆)もまた人間らしくて、それはそれで魅力的なのだけれども。
更に付け加えるならば、科学的に正しいのか否かもこんがらがっているケースが多い。
PCR検査に関しては「軽症の人も含め、希望者全員を検査しろ!」「正確な患者数を把握しろ!」などとPCR検査の精度を無視した非科学的なことを言っているのに、
同じ口でこと休校に至っては「根拠がない!非科学的だ!」と急に科学サイドに立脚したりする(その逆の組み合わせの場合もまた然り)
即ち、根本は自身の不安や都合などによる結論ありきで、その肉付けとして詳しく知らない科学を語っている人が多い。
総じて、今回の騒動は割と良いリトマス試験紙になっていると思うよ。
その人の主張が一貫しているのか、
Twitterというツールは、140字で1かたまりというその特性から、文脈ありきの主張をうまく表現することができない。もちろんリプツリーに繋げて、長々と意見を表明する人はいる。
しかしそういう、長々とした意見よりは(それがどんなに理にかなった、素晴らしい考えだとしても)1ツイート内に収まった、パッと見てすぐにわかる、インスタントな意見が好まれて、拡散されやすい。この"リツイートで拡散"というのも、文脈を汲んだ意見が支持されにくい理由だと思う。わかりやすくて面白いものが広まりやすいのは当然だ。
(大抵の)規制派の意見は文脈ありきだ。女性差別とか、ジェンダーやセクシュアリティに関する問題はとにかく文脈や背景が大切だ。(というか、文脈や説明なしに「萌え絵ポスター撤去しろ!」と叫んでいたらただの過激なオタク差別主義者だ。私はそれを規制派とは呼ばない)
自分は長々とした文章を読むのが好きなので(そして暇なのでw)、規制派の非常に長いリプツリーも根気よく読める。何言ってるんだコイツというのもあれば、なるほど!とハッとさせられるものもある。しかし大抵の人は長い文を読むのが億劫だ。Twitterにそんなに時間をかけていられない人もいる。
だから、規制派の「表現としてではなく、広告として…」「ポスターの皺の形一つに文句をつけるのは、むかしから女性は性的アイコン・アイキャッチャーとして広告に使用されていて…」「ラ●ライブコラボがダメなのではなく、ポスターの絵だけが…」といった長々とした説明は読み飛ばされ、規制反対派の「ラブ●イブが攻撃されている!表現の自由が奪われようとしている!」という、わかりやすい、一言のツイートが正しかろうが間違っていようがぐんぐん拡散されるのだ。
Twitterは陰キャでオタク/Instagramは陽キャでリア充、といった考え方をそのまま流用すると、Twitterのヘビーユーザー層は隠キャでオタクな人間が多いということになる。(体感では、そういう属性を自称している人もかなりいる)
そのせいか知らないが、Twitterの風潮はかなり判官贔屓な方に傾いている、と思う。これは、本当に私の勝手な感覚だが。(すぐソースは?とか言う人がいるのでw)
現状、献血ポスターやみかんのポスターの件は「規制派の声により、撤去または第二弾から絵柄などの変化があった」という結果になっている。特にみかんポスターについては、規制派が声を上げたことにより「撤去を強いられた」ということになっている。
私としては規制派・反規制派のどちらも善でも悪でもないと考えるが、この一連のポスターについての流れが上記のように「規制派に撤去を強いられた」という、ある意味単純化された構図になり広まることにより、一部のユーザーの間では「規制派=悪、いじめっ子」「反規制派=正義、いじめられっ子」的な風潮が高まっているように感じる。
上で述べたように、Twitterは文脈をきらう。長々と理屈をこねてポスターを批判する規制派は「悪そうな奴」に、そんな「悪そうな奴」にいじめられている(ように見える)反規制派の「表現の自由が侵害されている!」という端的で、わかりやすいツイートに「ひどいことだ。規制派はアニメを潰す気か」と賛同する人が増えるのも、そりゃ、仕方のない話なのである。そして、長々と主張を述べる・読む人と、端的に述べたい・読みたい人の論争が、噛み合うはずもないのである。
つーわけで、表現規制派はTwitterと相性が悪いので、意見を表明すればするほど、悪い方向に転がるなんてことも…だからといって、どうすることもできないですが。
と、まあツッコミどころ満載な気もしますが 風呂入りながら何となく思ったことを日記に。案の定長くなったので、Twitterのリプツリーに繋げなくて良かったw
規制派・反規制派どっちの肩も持たずに書くつもりだったけど、「ツイフェミと、ツイフェミに叩かれた人がよく使う言葉」みたいなしょーもないツイが、バズっていてなんだか脱力してしまったので、かなり規制派寄りになってしまったかも。
わかる。わかるんだよ。これはファンのための絵だよね?千歌ちゃんかわいい。
でも私、これをガルパンでやられたらすっごくがっかりする。戦車はしっかり描いてくれるのに女の子の制服はラテックス素材かよ…!って思う。
なんていうか、これは見方によるけど、ファンの人は現実と二次元の表現をどう見てるのかな。あれをエロく無い、と言い切るのはかなりむずかしいと思う。いつもの制服より体の線も強調されてるし、股に不自然すぎる影が入っている。(デフォルメとは要素の歪曲・単純化・強調を示すものであり、現実にないものを書き足すのはデフォルメではない。デフォルメであるとするとこれは股間の強調ということになるのでやはりエロということになる)
エロくてもいい!とは思っているんだけど、私は好きな子が不必要に、不自然にエロい格好させられてたらすごく申し訳ない気持ちになっちゃうんだ。かわいい水着着てたり、ちょっとセクシーにランジェリー的なものがあってもいいんだよ。
でもあの絵、なんか股にスカート挟んでるかラテックスか、制服じゃないうっすい布着ているだけじゃん。いつも着てるやつ着せてあげてほしいんだ。
好きな子には可愛くて、素敵なものを着てほしいんだよ。ラテックスの制服じゃなくて。
全方位にラッキースケベしなければならない子なのかと思われると、そうじゃない!千歌ちゃんは歌もダンスも頑張ってる努力家なんだ!明るい性格だし本当に魅力的なんだよ!って言いたくなる。
そんな単純なラッキースケベだけで千歌ちゃんの魅力を即物的なものにしないで欲しいんだ。少なくとも公式が。
千歌ちゃん?見た目も可愛いけどめっちゃいい子だからとりあえずサンシャイン見てよ!って言いたいんだよ。せっかくやるなら意味のあるものにして欲しいんだ。ファンの人はそう思ってないのかな。
意識の高いはてなー必読書って感じで出版されたときにさんざんブクマしたじゃないですか。
ファクトフルネス読んだはずなのになんでこいつらこうも読んだ本を無視してるんだ?って思ったよ。
いいかい?
目次だけ見ても全部とはいわんがこれブクマカじゃね?って心当たりがあると思うよ。
日本の治安の件では「ネガティブ本能」と「恐怖本能」が指摘されてたね。
グッドニュースはニュースバリューがないからメディアはついドラマチックなバッドニュースばかり伝えようとすること。
「悪い」と「良くなっている」は両立するということ。
詳しくは本読んでねって感じだけど。ていうか読んだやろ? 日々ブコメ書く前に思い出してな。
人々を2つのグループに分けて、その間には決して埋まらない溝があるに違いないと思い込む。
好きだよねーこういう話題。
よくやるよくやる。
子供にトンカチを持たせると何でも釘に見える。
自分の専門で何でも解決できるとつい思いがちだが、専門外のことは何も知らないものだ。
よく専門外のことにいっちょかみするよね。
物事が今のままであり続けるのはどうにもならない理由があるからで、昔からもこれからも永遠にそのままだってやつ。