はてなキーワード: 全面的とは
全面的に同意なんですけど、「子は一人で留守番ができない」「パラサイトシングルゆえに家庭内権力者に対して私の立場が弱い」ということがあります。
お察しいただけているかとは思うんですが、「あなた(私)のことを好きな子に対してPTSDとかけしからん」という風潮が家庭内にありますね。
オーディエンス(子の親や私の母)的には、私の命よりその子の機嫌の方が大事なんだと思います。
あと、実家を出られるほど人が怖くないなら、引きこもり(≠無職)やってないです。
長期的な私の幸福を考えるなら、私は実家を出たほうがいい、というのはわかっているんですが、ならば病む前にそれをするべきだったし、病む前っていつ? 小学校低学年?
後出しでごめんね。
2020/06/10
2020年6月9日、当社元取締役が業務上横領の容疑で逮捕されました。
このような事態に至ったことを大変重く受け止め、関係の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを、まずは深くお詫び申し上げます。
当社は、元取締役による不正行為が発覚後、直ちに捜査当局に相談の上で刑事告訴を行い、全面的に捜査協力してまいりました。一日も早い信頼回復に向けて、引き続き、管理体制の強化や法令順守の徹底に努めてまいります。
1.1
当社元取締役(2019年12月27日付で解任)が、2017年4月から2019年1月まで、会社資金を元取締役個人名義の銀行預金口座に多数回にわたって振込送金し、横領していました。被害額は、約33億5000万円となっております。ただし、そのうち約5億9500万円については、横領行為の発覚前に元取締役が当社口座に返還しております。
1.2
本横領行為の発覚を免れるため、元取締役は該当する振込送金が記帳された当社銀行預金口座の預金通帳写しを改ざんしていました。
1.3
社内調査において任意提出された元取締役の個人預金口座通帳(写し)の一部及びFX取引(外国為替証拠金取引)の取引残高報告書により、主な費消先がFX取引であることを確認しております。
2. 当社の対応
2019年12月20日、警視庁本富士警察署への相談を開始し、2020年1月20日、刑事告訴状が受理されております。
2020年5月27日、本件により当社が被った損害について、元取締役に対し、賠償請求訴訟を提起いたしました。
2020年1月17日、以下3名の社外有資格者による特別調査委員会を設置し、2020年2月末までに、本調査委による本件の事実関係及び損害額の解明、原因分析、再発防止提言を受けております。
3. 再発防止に向けて
特別調査委員会による提言を受け、経営陣はもとより会社全体として、コーポレート・ガバナンス及び内部統制の体制を構築するとともに、コンプライアンスに対する意識を高め、徹底してまいります。特に、業務権限の集中、預金及び印章管理体制、内部及び外部監査の実施状況等を踏まえ、以下に取り組んでおります。
経理規程や印章管理規程を策定し、業務権限が集中しないよう実務者と管理者の職務分掌の見直しをいたしました。また、2020年3月1日付で内部監査室を設置し、定められた手続き通りに業務が行われているか業務監査を実施しております。
新たに常勤監査役1名を増員し経営監視体制の強化を図るとともに、当社の会計処理や計算書類作成が適切に実施されているかについて、前期決算より会計監査法人に財務調査を依頼しております。
4. 今後の経営について
経営執行体制の強化に向け、代表取締役を2名体制といたしました。
2020年5月、当社はCYBERDYNE株式会社ほかを引受先とする第三者割当増資及び新株予約権付社債の発行により、総額約10億円の資金調達を実施しました。今回の資金調達によって、これまで当社が取り組んできたAI画像診断支援技術「EIRL(エイル)」、研究者を対象としたAIを活用したクラウド型画像解析プラットフォーム「IMACEL(イマセル)」、科学論文の不正画像自動検出システム 「ImaChek(イマチェック)」の各事業を推し進め、ライフサイエンスと画像情報処理技術の両方に強みを持つ我々にしかできない挑戦を続けることで社会に貢献してまいります。
▼参加ベンチャーキャピタル他
・TomyK Ltd.
以上
業務内容:研究及び研究者支援事業/インターネット関連事業/ソフトウェアの企画,研究,設計,開発製造及び販売/前各号に付帯又は関連する一切の事業
資格等:医療機器製造業(登録番号 13BZ201223)/第二種医療機器製造販売業(許可番号 13B2X10317)
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最近、オタク活動(ここで言う“オタク”はアニメ、ゲーム、漫画などのサブカルチャーに分類されるものを好きと表現する人を指している)がめんどくさいなぁと思うことがある。
変に共感性が高く、気にしいで、そのくせに気分屋で、すぐ落ち込むようなメンタルの死んでいるわたしが勝手に落ち込んでいるだけなのである。
昨今、物凄い速度で新しいジャンルが生まれ、旬となり、瞬く間に旬が過ぎる。
わたしはもともと三つか四つくらいのジャンルを数年単位で順繰りに楽しむタイプのオタクだ。変なタイミングで再熱するし、気分が乗らなければ大フィーバー中に一人しらけてしまう時もある。
一丁前に創作なんざもする。
しかし凝り性で筆が遅い。そのくせ描きたいものだけはぽんぽこ生み出てくる。だからそんなわたしにはそういったサイクルが一番過ごしやすいのだと思う。
だが同時に、とても侘しくなる時もある。
仲の良かったみんながわたしの知らないジャンルを話し、それに混ざりたいからと、ジャンルを履修するが一つも楽しくなくて。
ハマれなくて焦っているうちにみんな新しい沼で楽しくしている。
自分が属するジャンルに新しく入ってきた方も、気づけば同じジャンルの話をしなくなり、そしてわたしを置いていなくなってしまうのだ。
そも、ジャンルを梯子したり同時進行で抱えたりと言うことが苦手な性分なのだ。
もともと頭の出来は良くなく、マルチタスクが苦手だ。一つ以上のことを抱え始めるとニッチもサッチも行かなくなり、頭をぐるぐる回した挙句に面倒になって放棄してしまう。
そういった人間なせいで、同時期に色々なジャンルを全部抱きしめて笑うアクティブなオタクを見ると、大好きでたまらないのに、どれか一つずつしか抱き上げられない自分の不器用さに呆れて、そして少し悔しくて、とてつもなく孤独を感じるのだ。
心細くて、胸がズドンと重たくなる。
辛いならやめればいいじゃないか。何度も考えた。
でも結局なにかを追いかけて、みんなで“たのしい”を共有する気持ちの良さを知った後だと、切り離すことに踏ん切りをつけることはとても難しい。
そんな宙ぶらりんでジャンルを抱えることに、たまに少しだけ罪悪感が湧く。
SNSでそんな感覚を味わい続けて、気づけば仲の良いフォロワーさんだとかを作るのすら怖くなっていた。昔は結構雑なリプライとか送ったりしてたと思うが。
仲良くなったオタクが、いつかジャンルと一緒に、自分との仲も振り解いていくことに怯えているのだ。
要するに面倒なクソデカ感情抱き込み厄介オタクになったということだ。
恥ずかしいことに。
昔から愛が重い自覚はあるが、こうもねじくれた方へと行くとは思わなかったと弁明はしておく。
だんだんなにを書いているかわからなくなってきた。 キッカケはお気持ち記事だったと思うが…
この通り鳥頭なので書きはじめと終わりで話していることがめちゃくちゃである。文章力が欲しい。
モヤモヤと毎日形を変え色を変え、自身を蝕むこのなんとも言えない感情を言語化する力があればなぁとつくづく思う。
そもこの記事は、ただ“はてな匿名ダイアリー”というツールを今し方初めて知り、匿名で自身の悩みを一方的に吐き散らかせる場所があるのか!とワクワクしながら書いた散文でしかないことは記しておく。
このような不器用なオタクがもしいるのなら、まぁ互いに生きづらいわけではあるが、なるべく楽しく感じれる時間が長く続きますようにと、そう願って止まないのです。
速水 融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争』
日本で猛威をふるったスペイン・インフルエンザ(現在のインフルエンザ)について、各地方の新聞記事を基に当時の様子を詳細に記述している本を読んだ。
スペイン・インフルエンザを新型コロナと重ねてみるには、最も参考になる本。
テレビで『感染症の世界史』が紹介されることが多かった(文庫本なので手に取りやすい)けど、あっちはウイルス学的な紹介なので、当時の社会情勢を知るにはこっちの本のが当たり。
著者によれば、スペイン・インフルエンザの流行は世界的にも「忘れられて」おり、その記録は数えるほどしかないという。
記述からも、統計上の数値からも、当時のスペイン・インフルエンザは猛威をふるい、日本史上に大きな傷を残したはずなのに、なぜわれわれの記憶に残っていないのか?
新型コロナの流行の先を予測するためには、スペイン・インフルエンザの流行の様子を知ることがまず第一に重要ではないか。
スペイン・インフルエンザ流行時も、学校が閉鎖され、社会インフラが麻痺し、火葬場に棺桶が溢れた。
ひとつは、スペイン・インフルエンザの流行時、学校閉鎖や社会インフラの機能停止は、感染した結果人がいなくなり生じたものであり、予防のためにあらかじめ閉鎖したものではないということ。
劇場や社交場の閉鎖は行われたが、感染症の原因も不明であり、学校は4日~2週間の休校で再開していた。
感染症の感染拡大を予防するために社会機能を停止させたのは、新型コロナが史上初めてではないか。
ふたつは、スペイン・インフルエンザは多くの日本人が感染し、前流行と後流行があったが、前流行で感染し抗体を得たことが後流行の感染率低下となったこと。
日本において、新型コロナはほとんど伝播していない。外出自粛により感染拡大よりも予防が勝った。
スペイン・インフルエンザと同様に、前流行の後に後流行が生じたとして、前流行による抗体が獲得されていなければ、同様の被害を得るのではないか?
前流行と同様の対処で乗り切るのであれば、後流行でも社会機能を停止させ、外出自粛により感染予防に努めることが必須となる。
感染症と対峙した際、予防するか、抗体を得るか、どちらかしかない。
あるいは、徐々に抗体を得ていく方針なのか。新型コロナにおける外出自粛は、医療機能の崩壊を防ぐことが第一であり、新型コロナにかからないためではない。
一過性の激しい流行ではなく、慢性的な感染により、医療機能を崩壊させることなく一定の感染を得て免疫を獲得することが目的なのかもしれない。
しかし、感染症である以上、また史上最も人口密度が高く人類の移動もより広範囲・高頻度で行われている以上、そう簡単になだらかな感染が起こりうるのか?
一度発生すればまたたくまに広がる恐れがある。
みっつ、スペイン・インフルエンザと新型コロナではウイルスの種類が異なる。
スペイン・インフルエンザはインフルエンザであるので、季節性がある。
前流行と後流行も、約1年の間をあけた同時期のものである。気温や湿度の影響を多大に受ける。
おかげで収束したともいえる。
新型コロナが季節の影響を受けるのかは、未知であり、はっきりしない。
東アジアとアメリカ・ヨーロッパでの毒性が異なるのは、ウイルスの株が違うのではないか(何らかの変異があったのでははないか)という可能性があり、ほかには、季節性や環境、生活習慣の影響が考えられる。
スペイン・インフルエンザよりは毒性が高いが、無症状の患者も多い。死亡する年代も異なる。
新型コロナについては、まだいずれも判明していないが、数年後には明らかにはなるだろう。
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スペイン・インフルエンザの事例を受けて、新型コロナを見て思うことは
人類史上初めて、社会機能を停止させてでも感染症の拡大を予防したのが今回。
感染者数、ひいては死者数を劇的に削減した代わりに、抗体を得た者も少ない。
新型コロナであれスペイン・インフルエンザであれ、ウイルスが消滅することはないのは間違いない。
新型コロナと共生するにあたり、感染予防の対策をとった結果、今後どうなるのか。
ひとつは、散発的な流行が生じるたびに社会機能をある程度縮小させ、感染予防を今後も徹底するということ
また、国ごとに対策も感染者数も異なるために、国際的な軋轢にもつながる。
他の国ではある程度抗体が獲得されていってしまうと、完全に鎖国するわけにはいかない。
そもそも、感染予防を第一に置いた対応は継続可能なのか?現実的なのか?
ふたつは、医療機能の崩壊には注視するものの、ある程度は感染拡大を受け入れていくということ。
最初はセンセーショナルに扱ったとしても、次第に慣れていくのが人間らしいところ。
来年、再来年、数年後と、徐々に取りざたされることも減り、感染を受け入れながら暮らしていく。
今年、こんなに我慢をして大変な目にあっていることを思うと、そんなことがまかり通るのかと思いつつも、人間は慣れて飽きる生き物だから、意外となんとかなるのかも。
ひとつめの未来になるとすれば、社会機能を縮小させた状態でいかに生き抜くかが重要になる。
ふたつめの未来になるとすれば、いずれ新型コロナに感染するという心構えでもって、用意をしていくことになる。
マクロ的に見れば、ひとりの人間は数百万の人口の中の1人であり、感染症にかかって亡くなる未来もあれば、運よく生き抜くこともある。
それはどうやったって運でしかない。
+αで影響があるとすれば、年齢や基礎疾患、医療を受ける環境など、「感染したときに生き残るかどうか」であり、生命保険を含めて、多少の打つ手はあるかもしれない。
感染予防を全面的に押し出して感染症を闘った歴史は人類にいまだかつてなく、その結果を見るといった面では非常に興味深い。
但し、感染予防に固執し、社会機能を停止・縮小させることに執着し、知らぬ間に社会を崩壊させる恐れもある。
まるきりBAD END。そんな未来は見たくない。
昨今の経済対策への批判や、教育制度に対する批判を見てると一抹の不安がある。
史上に例がなく、だれも正解を知りえない以上、それぞれに考えがあり、それぞれにメリット・デメリットがあり、一概に何をもって正しいといえない。
なのに、批判・反対することばかりに固執すれば、いずれ方向性を見失い、知らぬ間に自らの尻尾にかみつく形で社会を瓦解させることに繋がりかねない。
一市民として家庭を守るためにできることは
である。
かかるときはかかるし、まるきりかからないようにすることは難しい。
人類と感染症の歴史を追っても、感染症から逃げきれた例はない。
之より社中の気風益ますます固結して曾かつて動変することなく、
爾後じご王政維新の太平に逢い又無数の事変をも目撃したれども、
報国致死ちしは我社中の精神にして、
その由来一朝一夕に非あらず、
蓋けだし社中全体の気風なりとは雖ども、
仁三郎君の一言亦重しと云うべし。
第二章 「貧富を問わずに人才を作るは、前金を払うて後の苦労の種子を買うもの」
「最も恐るべきは貧にして知ある者」
「報国致死はわが社中の精神」
─労働権を軽視する福沢女性論は男女平等論とは無縁である」216
─偕老同穴論が前提されている 226
「夫婦間の権利については、条文の規定一点の疑いを容るるところなく」
─「女徳」へのこだわり 234
「内実は不品行を犯すとも、これを秘密にして世間の耳目に隠すべし」
─ 239
─良家の娘を守るために公娼制は不可欠 242
─薄幸な貧しい女性をそこまで指弾するか?! 251
ことコロナに関していえば、日本は世界的にもうまく専門家を活かしている。
こないだうまくやったとWTOにも褒められたって報道を読んだよ。
たまにとんちんかんの意見を政治家が言うけど、ちゃんと専門家の後のコメントで取り下げさせている。
だから、「専門家との結びつきを強める」なんてとんでもねぇよ。
文科省は文科省でオンライン授業を単位として認めて欲しいのですが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4685562842362870114/comment/kazkaz03
これは間違い。というか、気の毒だが b:id:kazkaz03氏が参照した日経がガセ。
日本経済新聞 「対面指導」の原則 崩さぬ文科省 高校の単位認定制約 オンライン授業に壁
https://r.nikkei.com/article/DGKKZO58335730R20C20A4EA2000?s=3
対面指導なしでは原則、単位として認めない文部科学省の規制が高校側の消極姿勢につながっている。(略)
実施した科目は、その後に対面で内容を補う必要があるとも規定しており、文科省の担当者は「オンライン授業だけでは単位として原則認められない」という。
文部科学省 学校再開等に関するQ&A(自治体・教育関係機関の方へ)
https://www.mext.go.jp/content/20200423-mxt_kouhou01-000006270_1.pdf
① 学校が課した家庭学習の内容が教科等の指導計画に適切に位置付くものであること、
② 教師が当該家庭学習における児童生徒の学習状況及び成果を適切に把握することが可能であること
③ 児童生徒に、十分な学習内容の定着が見られ、学校再開後に一律の授業において再度指導する必要が無いものと校長が判断したものであること
を満たせば、学校再開後も改めて対面指導する必要はない、としている。分かってない人も多いだろうが、校長判断というのは、原則認めるということだ。
であって、さらに、
教科書と併用できる教材の具体的な例として、
と続く問65で明言している。要はClassiやスタディサプリでOKということ。もちろん教員のオリジナルICT教材でもよいだろう。
留意点として、
・教科書だけは意地でも配っとけ
があるが、現状、文科省はオンライン授業を単位として認めるよ、です。
まあ、校内のPCへのインストールはほとんどNGなはずなのに、zoomなんかを活用してるという学校はいったい誰のPCでやってんだろうね、とは思うが。
『変身』読んだことありますか?
『城』読んだことありますか?
双方とも百年以上前に書かれた小説で、それぞれ男性の生きにくさについて書かれています。
これらの内容は非常にシンプル。
つまり、「辿り着きたい場所にどうしても辿り着けない」、ということ。
このようなテーマは長編『審判』の作中に登場する掌編、『掟の門前』にも表れていて、これまたカフカを語る上では重要な箇所です。ちなみに、この『掟の門前』について軽くあらすじを述べると、
ある男が「掟の門」の前に辿り着く。
その男は、門番に対して「入れてくれ」と乞う。しかし、門番は決して首を縦に振らない。
門番は言う。「この門をくぐれば終わりという訳ではない。この門の中にも更に門番がいる。更にその門をくぐれば更に門番がいる。屈強な門番達だ。それが繰り返される」
どうしても辿り着きたい場所に辿り着けない。
全力で何かをしようとしても、それは叶えられない。
今回のコロナ対策で「やったこと」を批判するのって難しいんだよね。
批判する筋は「なぜやらなかった」「やったことが遅すぎた」のラインしかない。
今回の緊急事態宣言の延長も、「五月に入ったとたん急に新規感染者がいなくなった」みたいな夢のような事態にならない限り、後々全面的に批判されることにはならず、一定の評価を得ると思う。
話を気楽に一線を引いてやって聞いてやること。そのうえでどうしたらいいか聞かれたら児童相談所/心療内科に連絡したら?と声をかけてやる。
NO!といわれる可能性があるが、深く追っかけずにそっかー。と流す。罵倒あるかもしれんがそれも聞き流す。
そのうえで一線は引かれるが信じられるって立場ぐらいにはなってやればいい。
もっとも精神的に参ってるやつは「全面的に認めてくれるだれか」を求める。だけどそれを求められたって抱えきれないよ。
16歳になって自分で働けるようになって、安い家でも借りて自立できるようになったら、家の保証人ぐらいにはなってあげたらいい。逆に言えばそれはゴミ屋敷になったらあなたが掃除しないとならんってことでもあるが。
後、心療内科にかかる時に診療費ぐらいは出してやるぐらいもね。
マインドフルネス、瞑想、心療内科という手法はある。だけど、根本的に誰も信じられんって状態では彼女にはとどかない。そこから、誰かは信じられるという状態にまでしてやるぐらいはしてやったらいい。
もっともそういう弱ったやつには怪しい自己啓発セミナーや霊感商法みたいな質の悪い人間もよってくる。ああいうのは一応は助けてはくれるんよ。永久に幽遊白書の邪念樹見たいな感じで吸い尽くされるだろうけど。
せめて質の悪い人間に取り込まれず、チャンスがあったら児童相談所/心療内科つなげるぐらいを目標にするぐらいで頑張るぐらいがいいと思う。全面的に力入れすぎるとあなたも疲れる。