はてなキーワード: 作品集とは
そうか。私は「売れたのを気取ってる」と捉えられてんのか。それは反省せなあかんなぁ...(笑)
作詞家という肩書きを付けるからには、売れるために必死こくのが当然だし、結果売れればそれはもうみんなに感謝。だから続けてこられたんだと思ってんだけどね。 https://t.co/mnPfOvPPOi— 及川眠子 2月21日『ネコイズム〜及川眠子作品集』発売 (@oikawaneko) 2018年5月31日
文章で伝えるのはとても難しいし、
みんながみんなに同じように伝たわる
ただの私の勝手な考えなのでその辺はご了承ください。
いじめで命を絶つ子供達のニュースを度々目にするといつも思うことは「もったいないな」ということ。
「そんな事で?」と思うこともあるかもしれないけど、自分にとったらそんな事が辛いことなんだよね。
だけど私は本当に本当に学生時代のまだ人生の半分も生きていない子達が自殺をするともったいないと思ってしまいます。
今日楽しく話していた友達が明日には仲間を作り集団でシカトをし始めたり
聞こえるように悪口を言ってきたり
思い返すといい思い出はほとんどありません。
キモがられてそれをクラスの男子全員、女子もほぼ全員に言われて
みんな私をいじめの標的にしてました。
ほぼ毎日泣いていたし、2年生の頃は殆ど学校には行ってなかったと思います。
バイトも出来るし、髪も染められるし、
メイクだったり自分の中の可能性がかなり広げられる時期だと思っています
この時、いじめ受けてたときに自殺しなくて良かったなと思いました。
私は今21なんだけど、
出来ることがたーーくさんある!
食べたいものも食べれる。
まぁとにかく何が言いたいかって言うと
いじめをしてくる奴は絶対に1人じゃ何も出来ないから、これは絶対。
私はとにかく小中が嫌だったんで
作品集とか成績表とか全部捨ててスッキリしたぞ。そんなもん無くても生きていけるんだよ。
学生時代の思い出がなくても趣味で繋がった人達や新しい環境で知り合った人達と仲良くしたりすれば十分。
で、こやつらはいじめてた事なんて忘れてるから。そんなもんだよ。
学校なんて行きたくなったら行かなくていいし、その分 最低限 家では数学やらドリルやったりしたけど。
図書館行ったり、映画館行ったり、家にいてもいいじゃん。作ろうと思えば逃げ場はどこにだってあるよ。
考え方1つで何かが変わるかもしれないよということを伝えたかったんです。
※完全に業界人向け
マンドリンオーケストラに入って10年近くになるが、様々な演奏を、しかもとてつもなく高いレベルで聴ける機会はこのコンクールを除いてほぼ知らない。
高校の全国フェスもこうはいかないから、やっぱりすごいことだと思う。
何となく、派閥みたいなものが見えてきた。活動が活発なのはいいことだが、各々が勝手な方向を向いて、互いが互いの悪口を言っているのは見苦しい。それだけでなく、大切な部分で足並みがそろっていないのが情けない。
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活動の幅が広く、若い世代からはそこそこ信頼も得られているのではないだろうか。しかし、2012年頃の丸本大悟作品集をピークに演奏会での方向性が定まっていないのが不安である。
私が地方の高校生の頃は遠路はるばる聴きに行ったが、今は関西や関東の学生の集客すら苦戦しているようである。地方出身の私からすると、目の前にいい演奏があっても行かないなんて信じられないことだが…。
交響曲シリーズは個人的には大好きだが、業界の人間の興味を惹くには的外れ(これには思うところがあるけど)で、一般の人には何だかんだハードルが高くなっている気がする。業界に向けるか、一般に向けるか、折衷案をとるか、悩ましい部分だが、ここが上手くいけばマンドリンオケのコンサートで新しいスタンダードが出来て、全体の集客にも貢献できると思うので頑張ってほしい。
先日、京都で行われた演奏会。プロ奏者の演奏と公募した奏者(主に学生かな?)によるオケの演奏会。実力者が集った演奏の上に、オケに乗れば指導を受けられるという仕組みは非常に魅力的だ。特に比較的学生団体が盛んな関西地区でこのような機会を設けるのは良いことだと思う。モチベーションアップにつなげてほしい。
同じことを、次は関東でも出来ないだろうか。学生団体や社会人団体が乱立している関東地区は、指標となる奏者、団体に乏しかったり指導者同士の絡みがあったりして何となく全体のレベルの魅力が低く感じる。奏者人口は多いので、こんな機会があればいいのにな、と思う。
試みとしては非常に面白い。有料会員制をとったこと、奏者が頭をひねってコンテンツを全力で提供することは意義深いと思う。マンドリンはオーケストラでの演奏会というのが一つの活動単位となっている感がある。それに対して、演奏会1回分の値段(マンドリンで3000円取るところは少ないけど)でコンテンツ提供しているのは発送としては良い。
しかし、時期尚早かと思う。そのように価値判断を出来るアマチュア奏者は非常に少ないのが現状である。マンドリンオケだと無料の演奏会が基本となっているなかで、そのようなコンテンツにお金を払う意識がきちんと芽生えるかが大きな課題である。本来なら、もうワンクッション置いて、マンドリン業界における価値(お金を払う場所)についての意識が高まってからこのサービスが出来たのなら最高だったと思う。
アマチュア奏者でも、プロ奏者でも、指導者でも、互いが互いの足を引っ張ることが非常に多い。
とある団体で賛助で出たとき、アンケートを読ませてもらったら「○○(普段私が所属しているオケ)より上手かった」と書かれていた。純粋無垢な高校生が書いてしまうならともかく、わざわざ他所の団体を引き合いに出してくる大人がいることに笑ってしまったし、関係者が乗っていることに気付かない(普通気付かないだろうけど)ことにさらに笑ってしまった。
百歩譲って、アマチュアだけでやる演奏会であれば理解は出来る。他所の団体に負けたくないから同じ曲をやるとか、初演が良くなかったから再演したいとか、器が小さいとは思うけど、人間なんだからそういうことはあってもいい。
高校の全国フェスでは、審査体制が変わって、あげくに大会の名前が変わって大騒ぎになった。自分の頃よりは審査はマシになったけど、ちょっとマシになったところで止まってしまっている。その頃に「他のコンクールで演奏した曲を全国フェスでは演奏してはならない」という規約がついたことには卒倒しそうになった。誰がどう見ても、アルテの合奏コンクールへの嫌がらせだった。
ARTE国際もそうだ。せっかくの三連休で大きな行事をやるというのに、そこに演奏会を合わせてくる、被せてくる団体が結構多い。何も一番規模の大きいコンクールに合わせなくても…と思う。高校の全国フェスに合わせて演奏会をする団体はいない、下手したら独奏コンクールでもいないにも関わらず、アルテがやるときはそういうことを平気でしてしまうのは腑に落ちない。方法はともあれ、頑張ろうとしている人の揚げ足をとっているように感じる。
(同じようなことをトップの人が個人アカウントで言っていたが、言い方がやらしすぎる点には共感できなかった)
支えると言っても、みんながスタッフをやるとか、そういうことじゃない。コンクールに行って、感想をTwitterに書く。全国フェスでもARTE国際でも独奏コンクールでも、全部一緒だ。
チケットを買って、聴きに行く。一人じゃなくていい。大学のメンバーをみんな引き連れてとか、オケのマンドリンパートだけでも一緒に行くとかでもいい。
普段の態度が気に入らないとか色々あるかもしれない。でもそんなのは演奏会でやろう。
(個人的には、演奏会にも行かず、聴きもせず「気に入らない」と言ってしまう人間が最も愚かだと思うので、そのままのスタイルでマンドリン生活を楽しんでればいいと思う)
あるいは、そんなに気に食わないなら自分達でコンクールを開いてみるとか。
精神論になってしまって恐縮だが、私はコンクールを聴きに行くと、楽器が弾きたくなる。「その程度かよ」と思われるかもしれないが、足を運べば確実にモチベーションが上がる。そこから楽器を上手くしていこうと思うのは別に恥ずかしいことではないと思うがいかがだろうか。上手くするモチベーションがなくても、得られるものはあると思う。
※この情報はオープンにされていないため、あくまで個人の意見として情報を受け取ってください。
■はじめに
美大生が広告代理店へのAD職の内定を勝ち取るために必要なことは情報戦である。
これから来年の就活解禁である3月1日(一応来年度の解禁日も3月であると聞いた)に向けて作品制作をしている学生に向けて言いたい。
私自身はAD職ではない。同じ美大卒ではあるが、しがないWebディレクターをやっている。
ただ広告代理店や有名プロダクションのAD職の先輩、後輩を多数知っている、多くのポートフォリオを見てきたものとして美大生の就活に物申す。
100万かけて作品をつくる先輩もいる。
あっさり別業界へ行く人もいる。
これだけデザインという言葉が普及している中、学んだ発想法を活かして美大生は方々で活躍している。
広告を学んだ美大生が、広告代理店以外の企業へ行く人も多くなってきた。
逆に専門学校や一般大の人が代理店のAD職になっても良いのではと感じている。
それでも大手広告代理店の求人は特定の美大に集中する。それはAD職に必要な手法が特定の美大に集中しているからに他ならない。
しかし、その情報を知るもの同士の世界はごくごく狭いものを感じる。
「電通へ行ったタマビの○○先輩のポートフォリオ 」であったり「博報堂へ行った芸大の○○さんのポートフォリオ」であったりが彼らの間で代々流通している。
それが社会へ出たあとも代理店のAD職や有名広告制作プロダクションのデザイナー同志の交流は続いていて、定期的な飲み会が開催されている。
美大生は美大生の間で群れ、社会に出てもクリエイティブはクリエイティブ同士でつるむ。
(そうでない人もいる)
(オリンピックロゴ騒動が良い例である。身内同士でコンペをやっているようにしか見えないのは半ば必然であると感じた。)
参考:http://francepresent.com/hakuhodo/
■やるべきこと
美大生の就活は作品がすべてである。そのためにはポートフォリオが必要不可欠だ。
(各社審査方法は違うがポートフォリオベースの作品は必要)入社した先輩のポートフォリオを集め、自分なりの作品を作ってゆく必要がある。
私はこれまでに自身が就活した年の直近2~3年の電通、博報堂、ADK、東急エージェンシーに内定をもらったポートフォリオを見たことがある。
年代によって求められてくるものが変わってくるため、直近入社した先輩のポートフォリオを見ないことには内定はまずありえないと感じた。
就職課に置いてあるポートフォリオは古いものも多くあまり参考にはならない。
優秀な先輩といかに情報のやり取りをしておくかが内定につながると言っても過言ではない。
“感性"とか"センス"ではなく"知っているか"、"知らないか"である。
その知識の一つに”広告を作ってはならない”というものがある。
アマチュアの広告作品を見せても粗ばかりが目立ってしまいマイナスポイントとなってしまう。
それ以上に、AD職になるためには”自分”という一貫性が大切である。
分かりやすく言うと自分のポートフォリオにテーマを付けていたのである。
確かに3年生の課題の展示で見かけたものではあるが、むしろ自分の作品のテーマを課題に合わせているというスタンスである。
外部のコンペで入賞した作品や自主制作など意識が高いスタンスがうかがえる。これらの作品も、ひとつのテーマに寄り添って制作をしている。
そしてもう一つの知識、”アイデア”を出すための方法を身につけることである。
制作に必要なアイデアを生み出すのは一人で考えていると思われがちであるがそうではない。
アイデア発想法自体は既存のもので、これはAD職だけでなくどの仕事へ就いても社会へ出てから便利だ。
・KJ法
この二点がおすすめ。詳しい説明はリンクを貼っておく。https://liginc.co.jp/life/useful-info/37016
そして彼らは日夜休み時間が来ると食堂に来てはポートフォリオに入れる作品制作の打合せをしている。
毎夜毎夜、いつものメンバーが集まってブレストをしている光景が食堂へ行くと垣間見える。
この協力体制こそ、アイデアを生み出すための秘訣であると言える。(そして身内化してしまう原因でもある。)
■まとめ
一人ひとりが数少ないパイを巡って争うよりも、協力体制をつくれば醜い争いをしなくて良い。しかもより高みを目指せる。
しかし変化と多様性は必要である。このまま特定の美大のみが代理店のAD職になることはクリエイティブ業界全体の不振や成長の遅れにもつながる。
広告代理店へ行ったから偉い、有名なプロダクションへ入ったから偉い。美大はADにならないと偉くない。という価値観が広がってゆく。
毎年行われている各校のオープンキャンパスはそういった先輩たちの栄光が嫌というほど聞ける。
結局入社しても過労で死んでしまう人もいるし、逃げ出してしまう人もいる。世間のさらし者にされてしまう人もいる。
私にとってこの数年の広告とクリエイティブ業界の不振は堪えた。
次に面接していただいた企業は、日本の製品を海外へ輸出する会社だった。
よく中国やアメリカに日本の100円ショップが出店しているが、そのような店に並べるため、パッケージを海外仕様に変更する仕事だ。
日本では並ばない海外向け製品の場合、新にパッケージデザインを作るので新規のデザインにも関われる。
今回の転職活動と同時に、日銭を稼ぐため外注として仕事を受けながらの生活をしていた。
とはいっても月に1案件関わることが出来れば良いほうで、何も仕事が来ない月もあった。これがフリーランスという立場である。
googleやindeedでデザインの外注先を募集している企業を調べ、生活の足しになればと応募を繰り返していた。
正社員として安定した給与を望みつつも、まだフリーランスのデザイナーというある意味自由で気ままな生活を捨てられずにいたし、
仕事が順調だった頃のように、太い顧客と繋がり好きな仕事に没頭できる可能性がまだ残っているのではないかと賭けていた。
企業が外注先を募集していると言っても、ほとんどの企業は馴染の発注先が決まっており、そこに新規で食い込むには
相当の運とタイミングを持っていなければならない。
いつもの外注先が忙しく、打診した案件が断られた場合になって初めて、以前取引してみたがいまいちだった所や
私のような新規で応募してきた中からマシだと思えるものをピックアップし連絡が行く。
そこで成果を出せることが出来れば次へと繋がり馴染の一員に入ることが出来る。
今回の面接では外注先としての面接だったが、面接場所の喫茶店に出向いてくれた方が言うには正社員も募集しているという。
さらに残業の代わりに仕事を持ち帰り自宅で作業する社員もいるという。
そこで私は外注先というより正社員で働く事が希望であり、是非社長さんにも話をしてみてほしいと頼んで面接は終了した。
後日、面接をしていただいた方からメールがあり、私の経歴を聞き社長が話をしてみたいと言っているので本社に来てほしいと書いてあった。
本社では社長と専務の上品そうな紳士2人が面接を行ってくれた。
私に子供がいて残業が難しい事、輸出業ということで英語は堪能ではないが海外からの個人輸入でやりとりは出来る程度の会話は出来ることをアピールした。
その間社長さんは私の作品集を眺めながらにこやかに応対してくれている。
「う~ん。作品のテイストがですね、ちょっと我が社には合わないかな」
喫茶店で面接していただいた方にも社長が私の作品を見て気になってくれたと言っていたが、もしかして今初めて見ました?
また無駄足だった。
最初の面接に来た方は私のことをどう社長に伝えていたのだろう。私の作風を見て会っていただいていると思っていたが、そんな事は無かった。
この本社に来るのに往復で1000円以上交通費がかかっている。
また余計な出費をしてしまった…
今年も「このマンガがすごい!2017」が発売された。
ランキングはどうでもよく、どんな人がどんな漫画を読んでいるんだろうっていうことを毎年楽しみに読んでいる。
そこで気になったことがある。男編で、ほとんど同じタイトルに投票している人が4人いた。
1位 私の少年
3位 ファイアパンチ
4位 3月のライオン
5位 漫画サ道
2位 私の少年
3位 ファイアパンチ
4位 ドリフターズ
5位 兎が二匹
1位 私の少年
3位 善悪の屑
5位 ダンジョン飯
2位 ゴールデンゴールド
3位 ファイアパンチ
4位 私の少年
のこり全員が「中間管理職トネガワ」「私の少年」「ファイアパンチ」と今年の1位、2位、3位作品に投票している。
それ以外の作品も全部10位以内にランクインした作品ばかりだ。事前にランキングを知っていたみたいに。
こんなことってあるのだろうか。
「このマンガがすごい!」は誰だって投票できるような類のものじゃない。
各界のマンガ好きが選ぶこのマンガがすごい!
と書いてあって、私でも知っているような人ばかりが投票してる。
当然、しらない人もいるけれど、そういう人は検索すればだいたいTwitterなりブログだったりにたどり着くことができた。
上の4人は全員今年初参加(ここ5年分を確認してみた)。名前を検索しても出てこないし、失礼だけど肩書を見ても有名な人とは思えない。
実在するのか。
「このマンガがすごい!」は採点方法が、きちんと書かれている。
それに照らし合わせて、今年のランキングから上記4人の点を引いてみたら、1位〜3位はほぼ同点、4位、5位も僅差しかない。
1位から5位がほとんど変わらないランキングって、ランキングとしてどうなんだろう。
それで架空の人物をでっちあげて票を操作したたんじゃないだろうか。
もともとランキングには興味ないし、操作されてても別にいいと思う。
けどカバーにある「本音のランキング」っていう謳い文句は嘘だと思った。
こんな嘘のランキング発表するくらいなら、順位つけずに「みんなのおすすめ」って紹介すればいいのに。
それだけでも私は読みたい。
疑問に思っている4人の点数を除くと
「接戦の1位、2位と少し離れた3位」という印象だったランキングは「1位〜3位は大差なし」という印象に。
白けねえよw
「実力伯仲の名作が同時に三作も出たなんて素晴らしいなあ」と思うよ。
「実力泊中の名作」ってより、どの作品もパッとしなかったから底上げっていう感じかも。
「2016」1位の「ダンジョン飯」は270点、「2015」1位の「聲の形」は129点。
それに対して1位が70点っていうのは。
ちなみに去年まで70点台っていうのは5位、6位くらい。
或るろくでなしの死を読んだ。短編集なんだけど、タイトル通りの強烈なキャラクターが代わる代わる出てくる小説だった。
全体的に貧者のホラーというか、弱者のホラーというか、社会的に追い詰められた者に降りかかる恐怖を描いた作品集だったと思う。
一話目の或るはぐれ者の死では浮浪者が主人公だったし、六話目の或る英雄の死では第一線で活躍していたのに底辺まで転がり落ちてしまった人物が主になった物語がつづられていた。
自動車事故にあった遺族の物語があれば、若いのに将来設計もなく子供を孕んでしまった男女の物語もあった。
全部が全部そうじゃないんだけど、総じて昭和っぽいレトロな空気感でもって不快感をぶん投げてくる感じ素敵だった。環境もモラルも整備され切ってない境遇と昭和って、よく合うよね。
上で不快感をぶん投げてくるって書いたけど、全部で七つある短編集の全てで違った不快感を味合わせてくれるのも面白かった。。
例えば一話目の浮浪者の話だと貧者の善意が健全に見える社会から踏みにじられる不快感が得られたし、二話目はとある人物の生き死にがたくさんに人々の思惑によって弄ばれている不快感がにじみ出ていた。
三話目はどうしようもない屑の話。ただ似通った話は昨今も絶えないので、実情を想像すると怒りがこみ上げてきた。
うって変わって四話目の狂ってしまった母親の話は終わり方が切なかった。鎮魂の儀式は人それぞれだけれど、そうするしかないってのがつらかった。
表題作である或るろくでなしの死は、ちょっぴり毛色が変わってダークヒーローものだった。ヨミさんかっこいいよ。サキかわいいよ。ただし、最後のスナップフィルムを撮影するシーンは短編集内でも随一の猟奇描写だった。
或る英雄の死は物語の構造がちょっぴりメタい気がする。最終話の話はなんで二人で幸せに生き残るハッピーエンドにならんかったんやって思った。ホラー小説なんだし、死こそが救いなんだから仕方がないのかもしれないけど。
まあそんなこんなで雑多な作品が集まっていたので、どれか一つは好みの一編が見つかる作品集になっていたと思う。反面ずしんとくる不快な読後感はあまりなかった。
最後にもう一つ二つ。個人的に帯のセンスがないと思った。作者二人のコメントが作品に水を差している気がする。ちょっとひどい。
そして解説もどき。あれいる? 自分語りはブログででもやっててほしいと思った。イラストとちょっとしたコメントだけ残してくれたらよかったのに。途中のポエムがひどい。
前は、イベント記念アンソロジーや好きなカップリングのアンソロジーの企画が発表されるとわくわくしてサイトを見に行ったり、イベントで購入するのが楽しみだった。
ただ、その頃は私も絵を描き始めて間もなかったし、到底アンソロジーに誘われるだけのレベルではなかったので、一読者としての楽しみであったのだと思う。
それから数年経ち、個人誌を出したり、頻繁に同人活動をするようになって初めて
アンソロジーに誘われないということは辛いことだ、と感じた。
公式が発行するようなものはともかく、同人活動の一環として発行されるアンソロジーというのは、そのくくり(カップリングだったり作品だったり)が好きな人たちで集まってワイワイ楽しむ、お祭りのようなものだと思った。
参加すると「私はこの作品(カップリング)が好きですよ」という印象も付く。
周りの、同じ作品やカップリングが好きな人たちがあるときから一斉に
「DM送りました!確認お願いします!」 「メッセージ送ります!」とざわざわし始めて、その後、企画がたちました!サイトができました!とアナウンスされるのを見ているのが辛い。
言い方はとても悪いが、仲間はずれにされている気持ちになる。
これが作品を生み出さずに喚いているならともかく、普段から作品を投稿したり、呟いたりを頻繁にしていても誘われないと、「その作品やカップリングを好きな人たち、の中に私はカウントされないんだ」と思ってしまう。
周りがその話題で盛り上がれば盛り上がるほど、どんどん惨めになっていく。
それが原因となり、この作品やカップリングをいくら描いた所でどうせ私の作品はいらないんだ、と思われているなら描かなくてもいいだろう、とジャンルから引いてしまったこともある。
自分の作品が技術的に稚拙だから企画には需要がないことは分かっているけれど、
分かっていてもそういった、「需要がある人たちだけで集まって作った作品集」のようなあからさまな形として見せ付けられるとどうしても辛くなってしまう。
以後、その企画に参加した人から自分の作品を褒めてもらっても、どうしても信用できず、とりあえずお世辞で言ってるだけなんだな、と全く嬉しくなくなってしまう。
自分の心が狭いことは分かっているけれど、そういうことをもやもやと考えるようになってから全ての企画を素直に楽しめなくなってしまった。
なんで自分を誘わないんだ!という怒りとかじゃない。ただただ今まで自分が好きで好きで書いてきたものは何一つ需要がないものだったんだなあ、と悲しくなるだけ。
私みたいに小さいことをウジウジ引きずる人がそうそういるとは思えないけれど、全く知らないジャンルやカップリングであっても、アンソロジー企画を見かけるたび、もしかしたら誘われなくて惨めな思いをしている人が居るかもしれない、とどうしても考えてしまって、素直に喜べなくなってしまった。
これとか https://note.mu/akiko_saito/n/n3c3d6b264f7e
まじで?そんなわかんないもんなの? 俺はリアルタイムで見ながら普通に解消していったけど...
一個一個答えてみると、
あと村上春樹だけど、初期の頃の作品集に「タイトル書いてみてから想起される物語をさらっと書いてみるというやり方を取っている」とか書いてあったし、普通にシチュエーションだと思う。あとで物語に意味的なものをどんどん入れていったと思うけど、新海誠もそんな風に成長すれば良いんじゃないかと思うけど。村上春樹も初めの作品は評価割れて芥川賞とか取れてないしね。