はてなキーワード: 人種とは
もっと早くハマりたかった!!今年に入って初めて偶然にTHE ORIGIN見たらめっちゃ面白くてシャアってこんなサイコパスみたいな面白イカレ野郎なのかよと興奮して
ファーストの劇場版やZのTVアニメ版と劇場版、ZZと立て続けに見た。逆シャアやハサウェイも見てアナザーガンダムも追い始めた。
面白い。
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ガンダムは初見ではなく、俺がリアタイでも見始めたのはSEED以降だけ
Zガンダムを見たことでもしかして酷評されてるSEED DESTINYってZを少しオマージュしてた?っていうのにも気づけて感動した。
シンは最初こそカミーユっぽいけど結局ジェリドだったなと感じている。これは当時も言われてたんだろうか?
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個人的にはZガンダムが一番好きで、ZZは対象年齢を少し下げたのか子供っぽいというか、コメディタッチな要素が多いなと思った。
カミーユやアムロが割と鬱屈しているのに対してジュドーがあっけらかんとしているというか。
ただ、アムロやカミーユは家庭こそ機能不全でネグレクトに近い状態ではあるが教育は施されているし食べるものには困っていない。フラウ・ボゥやファが面倒見てくれてるし。
対してジュドーって貧困層の子どもで親は出稼ぎ行ってて明日を生きるのにも精一杯、閃光のハサウェイで現地の運転手がマフティーが1000年先の話してたってこっちは今日や明日で精一杯、みたいなこと言ってたけど、
ジュドーはまさしくその運転手側の立場の子どもで、それが戦闘に巻き込まれていく中で最終的にちゃんと自分や周囲の未来を考えられるように成長していて嬉しくなった。
アムロに関しても親と決別した後に自分の居場所を見つけて生きがいや目的を逆シャアまでにきちんと確立していくところが描かれていて良いなあと思うので、カミーユのそういう姿も見たかった。
Z劇場版はある意味そういう成長したカミーユを見せてもらえたのかもしれないということで思うところは色々あるが受け入れている。
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この作品を見て、改めて富野由悠季監督の描くガンダムでの女性の描き方について考えるところもあったんだけど、
ファやフラウ・ボゥが男の子をケアする側として描かれているものの(30年以上前の作品にそんなことでケチ付けるつもりはない)、Zでは女性パイロットもたくさんいる。
最初見た時にほんとレコアさんの考えが理解できなかったんだが、
戦争で家族を亡くして行き当たりばったりな生き方をしてきて、ジャブロー降下作戦でもひどい目(おそらく性的被害)にあって、女性性というものにとらわれざるを得なかったのか、
男性社会で求められる女性のあり方を内面化して生き抜こうとしたものの、やっぱり女をモノとしてしか扱わないシロッコや他の男達に傷ついてしまったんだろうなと考えるに至った。
エマ中尉は男性社会での現行ルールに則ったまま自力でガラスの天井を爆破する的なあの時代に求められる”強い女性"を描いてる部分があるのかなあとも思った。
富野監督のインタビューもいくつか読んだけど作品をつくる上でその社会がどんな歴史、文化を形成してきたかというのがちゃんと練られていて、その上でこの社会の中のこの時代に生まれた人がこういう経験をしたらどう人格が形成されるかも考えているんだなぁと感じたから俺ももっと早くガンダムを好きになって富野由悠季の世界展に行きたかった。
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女性の描き方だと、カミーユの母親とかF91のシーブックの母親とかも仕事をバリバリこなす女性だけどどちらも家庭を顧みてない状態で、
仕事で成果をあげるには男性と同様に家庭を放り出して仕事をこなさないといけないまだまだ自力でのガラスの天井爆破型女性が求められる、という作品外での社会問題を感じたし、
逆シャアではチェーンが技術者としてバリバリ仕事していたけど彼女は独身だからやれてるだけで仮にアムロと結婚とかなってたらどうなっていたのか、とも思うし、
そう思うとアストナージとケーラの関係はあの時代にあってすごく先進的というか、男性であるアストナージから「サラダを作って食べよう」みたいな提案してるのはかなり新鮮で結構驚いた。
ジェンダー的な部分だと∀でもさらに踏み込もうとしている感はあったし、Gレコではノレドが乱暴な喋り方なのが新鮮だった。
けっこう「~だわ」みたいな「女言葉」っていわれるような言葉遣いがZとか昔は多かったのがノレドは「~だろ!」みたいな荒っぽい言葉遣いしていて、思えば中高生のときの同級生の女子も結構そんな感じだったなと思うし、
そうした描写の変化を追っていくのも楽しい(まだ∀もGレコも途中までしか見れてない)
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こうした点も踏まえて富野監督作品じゃないけど「水星の魔女」ってすごく踏み込んだ作品だと感じた。
まず女性キャラクターを主人公にした上でさらに家父長制的なあり方を初っ端から批判的に描いている。
鉄血のオルフェンズで同性愛キャラクターがいたり、最終話でアトラとクーデリアがおそらくパートナー関係?(恋愛ではなさそう)になっていたりとアナザーガンダムでもじわじわ踏み込んできていたのが
いつだったか韓国のエンタメか映画「パラサイト」のポン・ジュノ監督の特集だったか忘れたけど、
韓国では人口が少ないし少子化でもあるから映画や音楽は最初から海外で利益を上げることを視野に入れていて、そのために世界に通用するやり方が必須と言ってて、
働き方はもちろん、作品の制作でもいろんな人(国籍、人種などなど)が見ることを前提にしているとかで、BTSも曲の歌詞は自分たちの表現が差別的でないか専門家のチェックを仰ぐとやっていた。
ガンダムはすでに世界で人気だけどより本気で世界で儲けるために社会問題とかフェミニズムを積極的に取り入れ始めたのかなぁとちょっと思ったし、
さらにはもとからいるファン(ガノタと呼ばれる人たち?と美少女好きそうなオタクとか?)も突き放さないために美少女キャラを入れてウテナっぽくして百合アニメと受け取れるような演出してて”うまい”なぁと思った。
まだプロローグと1話だけだしどうなるかなんて分かんないけどさ、とりあえずまだ見れていないガンダム作品があって水星の魔女もあって楽しみがたくさんで幸せだ。
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現代においてその代表例とされるのが世界平和だの人種民族の共存だの反差別とか
だから結果的に冷笑系の嘲笑の対象は左翼リベラル派の類になりやすい
つまり冷笑系は「俺は現実主義者の大人だぜ」というスタンスを取りたがるわけだが
一方で右派的な主張にもお花畑的な理想主義や嘘くさい過去の美化もある
明治から戦前の日本は教育勅語があったから理想的な聖人君子しかいなかったとか
戦国時代に残酷なことをしたのは織田信長一人だけで庶民はみな非暴力だったとか
自分は「人間はずるいし汚い(俺もな!)」という前提で生きてるから
「人間はずるいし汚いからこそ、せめてタテマエ上の正義や理想ぐらい必要」
ぐらいに思っておくべきではないか
(アニメ)オタクとは、結局のところ文化行動様式や人種ではなく、コミュニティなんだ。
アニメが広く開かれた趣味となることで、参加者も無限大に拡散し、アニメを見た者全員をコミュニティの参加者とみなすことはもはや適切ではなくなった。
しかしアニメコミュニティへの参加者かそうでないかの差は、厳然と存在しているので、定義をもとめるならその部分だろうな。
ホス狂はホストに搾取され続ける女性達のことだが、当の本人からしたら「ホストを支配している」認識なので、搾取されているとは微塵も思っていない。
そしていつかはホス狂を上がるわけだが、元ホス狂でホストを性的搾取者などと批判している人を見たことがない。ホス狂の過去がある芸能人全て該当するし、増田の知り合いにも何人か元ホス狂がいるが、全員ホストのことを悪く言わない。
どのように叩かれているかを書くよりも、増田がどこが好きか書いてくれよ。
以下は俺が考えているそれぞれの叩かれている理由。(あくまで叩かれてる理由であって俺が嫌いというわけではない)
人気が無い理由は他の敵に比べて主張がわかりづらい、DIOありき、能力が強すぎてバトルがわくわくしないあたり。
現実に起こっていること(最新作でいうと虐待)をテーマとして扱うわりに対応がファンタジーすぎで監督の認識がおかしいと思われてる。
叩いてる側が勝手に読み取ったわけではなく監督本人がインタビューで堂々と扱うテーマについて言っているので擁護しづらい。
作品の出来ではなく過去にジオン大好きな視聴者がうざすぎたので反動で叩かれている。
暁相手に殉職というがその際の戦いがあまりにもシカマルの成長のための描写でアスマ含めシカマル以外のメンバーの頭が悪くなったように感じられたため。
作者が悪いと思う。
火影の血縁なのにただの上忍だというおいしいポジションなので「大人は劣等感とどう向き合っているのか」みたいな描写を期待していたので残念。
俺は好きだけどもっと大技あってもよかっただろとは思う。
過去作のプリキュアを登場させた代わりに本作の登場人物の描写が減ったせいで説得力が減った。
声優の演技を聞いたり書いていく内に敵側のガエリオの描写を増やしていった脚本家と、各種インタビューで反感を買う発言を多々した監督が悪い。
最終話放映直後は賛否両論だったのに監督の発言が増えるにしたがい評価してた人も言葉を濁し始めた。
MSの人気はある。
脚本が遅いせいで作画が間に合わず戦闘シーンの使い回しが多すぎたのに加え、後半はできるだけ不殺を貫いた結果宇宙空間に放置されたパイロットの問題など独善だと叩かれた。
ただこの段階では地球連合とザフト双方のトップの主張の方がヤバいため、賛否両論だった。
DESTINYには前作と違いザフトのトップの主張がそこまで頭がおかしいものではない、キラ達のゴールが見えない、アスランが所属変えすぎなどで叩かれた。
大筋が変わってないがオリジナルのセリフが多い漫画版2種の評価が高いので、制作が遅れていなければもっと評価されていたと思う。
俺は好きだけどシンがせっかく葛藤を見せはじめてから描写が減ったのが残念。
1期から視聴者から好感度の高いセルゲイへの嫌味を言う2期からの登場人物なので、単純に好感度の差。
ただ対話できた沙慈とルイスの対比として父親と対話できなかった例として描かれた人物なので製作陣の期待通りだと思う。
何も言わなかった父親の方も悪い。
ニュータイプや各種設定のオカルト要素が強すぎて叩かれている。
カミーユ最後のオーラを常時放っているようなものなので既存のガンダムファンと相性が悪かった。
語録を使っている=叩いていると思ってるかもしれないが、単純に楽しまれてるだけだと思う。
マジで叩かれている。
他のキャラが自分の理想のために何かを犠牲にしていることをが大半なので、特に何も犠牲にしてないように見えて(カレンの兄との友情が描写されなかった)どころか記憶喪失のヴィレッタを匿う、戦闘で指示が遅い、ゼロを裏切るなど視聴者のイライラポイントを確実に貯めていったため。
新作アプリで事前登録特典が扇だとわかった際の批判もすごかった。(生放送でFLOWが「扇もいいところありますので使ってみて」みたいなフォローをしていた)
最初からうざいキャラとして描かれた玉城はギリギリまでゼロを信じていたためかそこまで叩かれてない。
俺も嫌いじゃないが好きかと言われると困るキャラ。
原作では仙台に行かなかったがいつか行くために努力する主人公を周囲が見守るが、アニメでは仙台に行って諦めて帰ってきた上にこれからも都会に出ていかないだろう想像をさせる終わり方で叩かれた。
彼と編集は悪意が無いから余計に叩かれているが、監督自身がモデルなのでそう意図されたキャラであるといえる。(ガルパンの制作経緯を見ると本当にああいう発言してそう)
悪意が無い分対応する側のコストが高いので、もっと余裕のある職場なら増田のいうようにポジティブに受け取られてたかもしれない。
後半に出てくる制作は挫折した上で八つ当たりでやっていたため同情の声もそこそこあった。
stay nightの描写とこの作品との描写に齟齬があるのにも関わらず、アニメとして先に広まってしまったためこちらの描写が正史だと思われるのを恐れたファンが叩いていた。
俺も単体だと好きだけどこれを前提にFateを語られるとイラッとしてしまうかもしれない。
自分の主張優先でマスターの考えを無視をしてお互い様だったのに、マスターの方が理解が無いみたいな雰囲気を出していた上恨み言がダサすぎたので叩かれた。
人間臭い英霊がいてもいいと思うので俺は好き(恨み言はダサいと思う気持ちと両立する)
名前を大きく宣伝で使っていたため出来が良かろうと悪かろうと反響は大きい。
増田のいうとおり脚本家があんなに叩かれたの他に見た事無いのは確かだが、そもそもあんなに宣伝に脚本家の名前をアピールしたのもみたことがない。
ガンダム以外にも、任天堂のメトロイドシリーズの主人公サムスのフィギュアの試作品でも炎上してた。その後原型師が変更されデザインもゲーム準拠になった。
カトキハジメと違い、造形がどうこうじゃなく関わりたくないと思われている。
・雑誌に載せた作例を参考にした方に、参考にしたことを書いておけと直接ではなくTwitterでRTした上で言った
・セブンイレブンで購入したあんまんを入れ忘れられた際に頭にきて電話したことをTwitterに書いた(クソ店員発言)
・猫3匹をキャリー入れてTwitterに画像をあげた際に心配したフォロワーに暴言を吐いた
ゲームのシナリオを切り詰めてアニメにしたのではなく最初からアニメなので脚本の粗が余計に叩かれる。(原作のファンがいない)
アプリのヘブバンは20代以下にも受けてるようなので、KEYの泣きゲーが時代遅れなわけではなく麻枝の脚本とアニメという形式があっていない。
アニメの話数は増やせないことを理解してないのかと思うが、麻枝よりも麻枝に企画を持ちかけるアニメ会社が悪い。
本編の前にアニメ化したことと、本編のような前線ではなく実験部隊の話なのでどうしても戦闘が少ないことがあわせて叩かれてた。
原作小説が途中で止まってて先の展開が不明なことなどもあり、アニメ制作陣の責任にするにはかわいそうだと思う。(アニメ放送1年後に発売されたゲームではクリスカルートのみ。唯依ルートが描かれる小説版は2013年で刊行が止まっている)
このクオリティで本編がアニメ化されたらこの比じゃない叩かれ具合になると思っていたが、原作は原作で完結しているためかそこまで叩かれていない。
俺も唯依が好きなので生放送のたびに新情報が無いか確認している。
日本がどれほど困難な状況かが描かれずむしろ平和そうなので、レジスタンスの主人公たちが異常に見えて叩かれている。
昔、といっても10年前くらいまではまだ料理ができるのを自慢できた
インターネットにレシピは溢れかえっていたけどレシピだけで作れない人種が一定数いたから
今、インターネットにはレシピどころか作る過程を動画で、無料で、好きなだけ見ることができる
見たまま実行するだけで誰でも料理できる
もう素人レベルの「料理ができる」は自慢にならない、できないを恥じる時代になってしまった
もっともっと昔、親に聞くか本を読むかでしかレシピがわからない時代なら幾らでも自慢できた料理経験者、令和の今なら無限大にいるだろうなあ
:追記
部落差別と身長の高低の違いは、部落差別は実態のないニセの差異であるということ。現実には何も差異などないのに、部落出身に何かあるかのように思い込ませ、差異に基づく差別を正当化しているのが部落差別。
本当にこの結論で良いの?マジ?確かに身長の高低には物理的な差があるけど、そもそも普通に結婚生活を送る上で身長の高低による差が発生する状況はほとんどない以上、問題なのは(特に男性の)高身長が是とされる、それこそ個人の選択の歴史によってつくられた差別構造ですよね。ここを肯定すると低身長に産まれた人は差別され続けるのでは?顔の美醜も同じようなことが言える。人種の違いによる交際相手の選別も差があるから肯定される?
と言うようなことを考えていくと、胸を張って主張できる交際/結婚相手の選択理由は共同生活を健全に送る上で重要な様々な価値観の違いくらいしかなくて、当然それだけで選ぶのは難しいので不道徳で申し訳ねえなと思いながら差別的な理由も内心に留まる範囲では肯定するしかないのでは。
バカなブコメを書くバカがいるのは仕方ないとして、そのバカブコメにスターが集まって上位ブコメになるのが意味わからん。
↓のブコメ欄な。
https://anond.hatelabo.jp/20220924173730
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220924173730
平等でなければならない場面で理不尽な差をつけるのが差別だ。交際相手を選ぶのに差をつけなかったら選べない。交際相手を選ぶのに平等はないんだ。
「平等でなければならない場面」「理不尽」の定義が示されてないので全く意味がない前文。
恋愛や結婚が「平等でなければならない場面」に該当しないと、恋愛や結婚で背の高さやおっぱいの大きさで相手を選ぶのが「理不尽」に該当しないと、だれが決めたの?あなた?
交際相手を選ぶのに部落出身者か否かで差をつけて選ぶのは理不尽?理不尽でない?それすらわからない。
中段の「交際相手を選ぶのに差をつけなかったら選べない」も、その理屈だと「企業の採用活動で枠に対して応募者が殺到したら、”採用者を選ぶのに差をつけなかったら選べない”から、顔の美醜や性別や人種や出身地で選ぶのも仕方ないね」と許容されてしまう。(企業の業績にとってその判断に意味があるか無いかは経営者の経営判断で、別の話)
後段の「交際相手を選ぶのに平等はないんだ」に至っては単なる自己肯定のつぶやきでしかなく、他人に対する言葉ではないので全く意味無し。
交際相手を選ぶときに内心でどう思おうが差別として問題になったりしない。差別が問題になるのは外部にその差別が露わになったときだけだ。
「彼女は背の高い男としか付き合ってないな」「彼はおっぱいの大きな女としか付き合ってないな」と”外部に露わになった”ら、その交際相手の選考は差別として問題になるの?
ならば企業の採用活動で、選考過程は一切秘匿して、女性社員は美形のみ採用する顔採用したり(これはサイバーエージェントで実例がある)、外国人や部落出身者は書類だけ受け付けて真っ先にハネて不採用にしても「偶然だぞ」と説明すれば、「外部にその差別が露わに」なってないから問題ないんだね。
ポリコレにうるさいはずのハリウッド一番の権威であるアカデミー会員が白人男性ばかりなのも、実力と実績で選んだらたまたまそうなっただけで「外部にその差別が露わに」なってないから問題ないんだね?
「身長が高いと性的魅力を感じる」あり、「部落出身者は人格に問題があると思うので避ける」なし、「社会的地位に魅力を感じる」あり、「社会的地位が高い方が人格が優れているはずなので良い」なし。判るかな
「判るかな」(キリッ)じゃねーよ。
これは自分の思いつくアウトセーフをダラダラと並べただけで、そこには何の理由・基準・根拠も書かれておらず、他人に対する何の説得内容もなく、こんな駄文は見たことがない最悪レベルのブコメ。
「顔が整ってると性的魅力を感じるので選ぶ」(←ブコメ主の事例だと”あり”)と「顔が整ってると人格も整ってると思うので選ぶ」(←ブコメ主の事例だと”なし”)をどうやって区別すんだよ。
「部落出身者は人格に問題があると思うので避ける」は”なし”でも、「部落出身者は生理的に嫌悪感を感じるので避ける」なら”あり”か?
このブコメからはブコメ主が一方的に決めた偏ったシチュエーションしか示されておらず、その背景にある判断基準が見えてこない。
ブコメは100字という文字制限があるから結論しか書けないというのなら、こんなの書かないほうがマシ。せめて最後の一言がなければ「貴方はそうなんだね」でスルーできるが、最後の「判るかな」のおかげでキモさ100倍になってる。
判るかよ。エスパーじゃねんだぞ。
こんなオナニーブコメにスターつけてる連中は、ブコメ主のマスかきを手伝う外交儀礼の無い奴、ホースでゴルフボールを吸い込む口をしたおフェラ豚です。
個人的な選択は自由にしたらいい。自分では変えられない属性を判断材料にするのが差別なら、「性別で選ぶ」も差別になってしまう。
「自分と相手」の2者間の関係になった時点でそれは小さな社会で、選ばれる相手・選ばれない相手が存在する以上「個人的」ではないんだよ。
で、どこからどこまでが「個人的な選択」?恋愛は主体のグラデーションがないので、事業するときの採用を例にしようか。
個人が起業するにあたって事業パートナーを性別・人種・出身地で選ぶのは差別? 個人事業主がアルバイト志願者の採用を性別・人種・出身地で選ぶのは差別?
社員1名の会社のバイト採用を性別・人種・出身地で選ぶのは?(法人化してる女性漫画家がアシスタント募集にあたり「女性のみ」と性別で制限かけることがあるね)
自分が代表取締役を務める会社(小企業~中企業~大企業)の社員採用を性別・人種・出身地で選ぶのは?
どこまでが「個人的」でどこからそうでないのか、基準を示さないと「個人的な選択は自由」の主張の意味は無い。
まともなブコメ(首尾一貫、理由が示されてる)もあるけど、上に挙げたブコメはほんっと酷い。
ボーっとスターつけてんじゃねえぞオラッ!