はてなキーワード: Bump of Chickenとは
BUMP OF CHICKENというバンドがある。chikenではない。このバンドのファンだったおかげで、中学生の頃の英単語のテストでスペルを正しく覚えることができた。そういう意味では学業に貢献しているバンドであると言える。
俺は中学の時にCD貸してくれたやつがいて、そっからハマっていった。
そっからまあ色々あって、車校でたまたま知り合った奴らとBUMPのコピバン作ったりして、ライブハウスで歌ったりもした。すまん嘘だ。俺はドラムだったから唄は歌ってない。ライブハウスでポコチャカやったりしていた。
もちろん、ライブにも行った。ファンから「チャマ」って呼ばれてるベースの人(直井さん)がいるんだが、ずっとピョンピョン跳ねてんの。ずっと跳ねてて演奏できるんだから、やっぱプロすげーなとか思った。あと同じドラムスとして、ドラムの升って人に注目してたんだけど、MCとかでも全然しゃべらなかった。無口なのか。
で、ライブ行ったりすると分かるんだが、BUMPって熱狂的なファンがメチャクチャ多い。他のバンドのライブにも何度か行ったし、他のバンドにもそりゃあ熱狂的なファンはいるんだろうけど、BUMPはちょっと多すぎだろってぐらい多い。俺が行ったライブ会場では、終わった後に「フジくん(※ボーカルの藤原さん)の声がきけたよぉ~」「藤君ありがとう~」とか言って泣いてるやつメッチャ多いの。泣くとかじゃなくて号泣。こう言っちゃ何だが、宗教の信者ってこんな感じなんだろうなって思った。その後ネットで「ファンが痛いと思うバンド」堂々の1位を取ったという事実を知り、さすがの俺もちょっと泣いた。・・・ウソである。涙なんか見せないんだから!
(※現在はさすがに挙がってないと思う。調べてないが。当時は他にRADとかエルレとかの名前もあった。両方好きだった俺はさらに泣いた。)
まぁだから、ネット上とかで宗教戦争かってぐらい荒れてるのよ。もう完全に荒野ですよ荒野。「ヒャッハー!」とか言ってモヒカンが新参のファンから種もみを強奪とかしてんの。なんだよそれ世紀末救世主伝説かよ。藤君はケンシロウかよ。でも聖飢魔IIはサイコーだよな。お前も蝋人形にしてやろうか!
いやもちろん良識のあるファンが多いって事は知ってる。黙々と子供たちの為に井戸を掘ってるババアみたいな聖人も多い。嘘つけお前、お前のようなババアがいるか。違ったそっちは聖人じゃなかった。ラオウの手下だった。井戸掘ってるのはトヨだった。バット最後だ、母さんと呼んでやれ・・・。母さ~~~~ん!!(号泣)
まぁ読んでもらってだいたい分かってもらえたと思うが、良識のあるファンは多い。
そんな中、迂闊に「BUMP OF CHICKENの好きな曲」なんてものをネットに書こうものなら、火薬庫で火遊びしてるほうがまだ安全である。それどこのバルカン半島だよ。第一次世界大戦勃発かよ。
俺がもし「BUMP OF CHICKENの好きな曲」なんて凶弾をサラエボ事件よろしくネットにブチかますと、世界大戦は起こらないかも知れないが、即座に「はい開示」→「自宅本名特定」→「コラ素材化」→「一生ネットで晒し上げ」のKRSW弁護士コンボをキメられる事はほぼ確実であり、それを避ける為にもBUMPファンは皆一様に口をつぐみ、例えBUMPファン同士の交流の場であったとしても、暗黙の了解のうちに「BUMP OF CHICKENの好きな曲って何?」等という愚かな問いかけはしない。そんな問いかけをした途端に、指をパチンと鳴らし「そいつはオフパコの為だけに参加したエセ野郎だ、連れていけ」と、部屋の外に引きずり出される光景を俺は何度も見てきた。ああはなりたくない。・・・ウソである。俺も何度か引きずり出された。
そんなこんなで、全国に数多存在しているであろうBUMPファンは、息を潜めつつ各地に潜伏している。
諸君!BUMPを心から愛する良識あるファンの諸君!!諸君らはそんな事でいいのか!!真に良識あるもの、優良たるものが虐げられ、悪逆非道の限りを尽くす浅薄な似非BUMPファン気取りが跋扈する、そんな世界でいいのか!!!
否!!断じて否であるッ!!優良が蟄居し、劣等が跋扈するこの世界は、剛毅果断、改革されねばならない!!彼ら劣等は、諸君ら優良による支配でのみ安息の日々を得れると言う事実に、気付かなければならないッ!
奴ら蒙昧な愚民共が自ら気付くことができないというのであれば、我々優良の手をもってして、奴らの蒙を啓いてやらねばならないッ!!(唾を飛ばしながら)
・・・ああ、こうやって扇動する奴がいるから、世界は戦争になるんだなあ、と一瞬だけ考えた。三歩歩いたら忘れた。歩きながらこれ書いてる。・・・ウソである。実際には家でダラダラしながら書いてる。
それにつけても、BUMPの話がしたい。BUMPの好きな曲とか好きな理由とかを思いっきり書きなぐって、
「お前こんなの好きなのかよ!分かってねーな!」
「じゃあお前はどんな曲が好きなんだよ!」
「pillowsのカバーじゃねえか」
「違いますぅー、ミスチルのカヴァーですぅ~。ってか君、『カヴァー』の発音悪いね」
とかやりたい。でも個人を特定されるのは避けたい。あとカバーの発音とかどうでもいい。日本に20年以上住んでる米国人の知人は、日本語で会話するときは日本人と同じ発音で話してた。俺が「外人ってさ、日本語で話す時にもっとガイジンっぽく発音しないの?トマトをトメーイトゥ、とか、タマゴをタメーイゴゥ、とか」って言ったら、怪訝そうな顔で、「タマゴは日本語でしょ?」って言われた過去を思い出した。・・・ウソである。出典はネットのコピペで、俺の実体験じゃない。
・・・と言う訳で、俺の「BUMP OF CHICKENの好きな曲」を書いていく。理由も書く。ランク形式にしたほうが「なんで〇〇が10位なんだよ!ふざけんなよ!」等とより世紀末っぽくなるかなとヨコシマな考えが浮かんだりもしたが、途中まで考えてやめた。漫画とかゲームとか映画とか、よく個人ブログで「本当に面白い、私のオススメする漫画ベスト100ランキング!」とかやってるけど、71位と72位の差がどこにあったのかが気になって夜も眠れなくなった事があったので、ああいうのは本当に止めて欲しい。あとこういうアフィリエイトが目的なだけの互助会クソブログがGoogleのランキング上位にあがってくるのが本当に害悪でしかないし、そういうブログエントリに限って中身が薄い。サジェストも汚染されるし、あれで得するのって金儲けしてるクソ互助会連中だけじゃねえか。こっちはただ単純に面白い作品知りたいだけなんだよ。あと順位は固定なのかよ。変動しないのかよ。年月とか気分とかでそんなもんいくらでも変わるだろ。互助会連中もブクマで「参考になりました!」とか「いつも素晴らしい記事ですね!」とか、お前らそれしか言えねえのかよ。せめて「〇〇好きなら、ランキングにはないですが△△もオススメですよ!」ぐらい書いとけよ。amazonのアフィリンクでも添えてくれればゴミ度合いが増して尚良し。
BUMPは隠し曲も含めてほぼ全部好きなので、現在音源がリリースされてる全ての曲の好きなところとかを書いても良かったんだが、冒頭の「俺とBUMP」にちょっと行数を使ってしまったので、5曲ほど書き連ねたい。
■リトルブレイバー
BUMP OF CHICKENというバンドがインディーズレーベルでデビューした際のアルバム、「FLAME VEIN」の中の1曲。
映画や音楽業界では、よく「デビュー作品には、すべてが詰まっている」と言われる。完全に首肯する訳ではないが、何かのきっかけがあってファンになったアーティストの作品群を聴いていくと、「これいいな」って曲がデビューCD収録の曲って事はまれに良くある。
バンドでも映画でも漫画でも、「表現手段として自分にはこれしかないから、これで発表した」っていうのはあるんじゃないだろうか。別に「カネ!名誉!オンナ!」が動機でも作品が良い物であれば一向に構わないのだが、特に若い頃って「なんだかよく分からんがとにかく俺はこんな感じのなんか俺的にスゲェイケてる何かをやりたい!!」みたいな、思春期特有のモヤモヤとかがあるじゃん。
で、行動力があるやつはモヤモヤしてるだけじゃなくて、実際に行動する。液タブ買ってきてpixivに絵をアップしたり、大学の映研に入って自主制作でなんだかよくわからん作品を撮ったり、楽器もできやしないのにバンドを組んだりする。そんな感じだから、初期のころの作品にはその人の「やりたいこと」が詰まっている、という理論は分からなくもない。
BUMPも御多聞に漏れずそんな感じだ。今リトルブレイバーを聞くと、最近の楽曲と比べて演奏技術面での拙さが目立つ。だが、そんな事はお構いなしに、BUMPの、メンバーの、藤原の、「俺の曲を聴いてくれ!」って感じが伝わってくる。後発の「グロリアスレボリューション」あたりの楽曲でもそうだが、原始的と言うかなんと言うか・・・。英語だと"primitive"って単語が一番しっくりくるが、聴いていてとても心地良い。
■リリィ
インディーズ2枚目のアルバム「THE LIVING DEAD」の中の1曲。
BUMP藤原の書く歌詞は各方面から好評を多々得ている。(ちなみに、BUMPの楽曲はほぼ全て藤原が作詞作曲している)曰く、山田かまちの再来だとか、叙事詩的であるとか。ミスチルの桜井さんも、「メンバーに入れて欲しいぐらい好きだ」と公言している。
BUMPの曲(歌詞)には、「モノガタリ的」なものがいくつかある。ストーリーラインのようなものがあって、登場人物的なものがあって、結末がある。「モノガタリ的」なBUMPの曲で一番有名なのは「K」という曲だろうか。Youtube等で、有志の作成した動画を見た事がある方も多いのではなかろうか。公式では「カルマ」という曲は人形劇としてリリースされているが、こちらもモノガタリ的な曲として挙がることが多い。くそっ、それにしてもニコル見つからねえ・・・。
そういった点から、「叙事詩的」と言われることも多いBUMPの楽曲の中で、俺がオススメしたいのが「リリィ」だ。
ストーリーラインはこうだ。バンドのボーカルっぽい男と、その彼女らしき女性の話。男には色々と苦悩があるようだ。
これが藤原自身の話かどうかは知らない。
続きは歌詞を見ながら聴いてもらえばいいとして、この曲の中で俺が良いなと思っている点は、「歌詞が荒い」「言わない」の2つである。
まず「歌詞が荒い」点。「出てこい!ウソツキめ!」とか、「ブチまけた」とか、最近のBUMPの楽曲ではなかなかお目にかかれない荒々しい歌詞が並ぶ。これが男の苦悩している様子が伝わってきて良い。もっと言ってしまうと、伝わりすぎて辛い。対する女性側に関係する歌詞が終始穏やかなのも対比としてより一層深く伝わってくる。
もうひとつの「言わない」点は複数ある。例として歌詞をいくつかあげるが、JASRACさんお願いですから個人の特定とか使用料の請求とかやめてください。何でもしますから!
膨れたポケット 裏返すとホラ 出てくる弱音の数 一日分想像つくかい?
「実際に弱音という物質がポケットに入っている事態は想定し難い」とか、そういう部分はどうでもいい。「お前に俺のポッケに入ってる一日分の弱音の数が想像つくか?」という問いは、「弱音が多い」という事である。だが、「弱音が多い」とは言っていない。まあ比喩表現のある歌詞なぞ世界にゴマンとあるだろうが、藤原の書く歌詞は、(特に叙事詩的な楽曲において)絶妙なシラブル数と相まって、いわゆる「世界観の構築」に一役買っている。
強がりの裏のウソを 放った ブチまけた
終電を告げる放送 慌てて掛けて行く人 右手に君の左手 もう放さなきゃ
「ブチまけた」後、場面がいきなり「終電を告げる放送」になる。その間に何があったのかは言わない。
思うに、日本語と言う言語は表現力に優れている。同じような事でも、微妙な差で違う表現にする。おそらく皆は普段は気にしてないだろうが、「見る」という表現だけでも、「見つめる」「眺める」「観る」「見上げる」「見渡す」「見通す」など多岐にわたる。こと表現力という方面において、日本語に比肩する言語はそうないだろう。
■Stage of the ground
メジャーデビュー1作目のアルバム「jupiter」の中の1曲。
一般の人に「BUMPと言えば」と問うと、「天体観測」という答えが多く返ってくるかと思うが、当時は「天体観測」で爆発的ヒットを飛ばしたインディーズバンドが移籍し、メジャーデビュー後に満を持して放つ渾身の1枚!って感じだった。・・・らしい。
「らしい」というのは、当時の俺はBUMPどころか音楽を全然聞いてなくて、ずっとポケモンばっかやってたからである。この話は熱心なBUMPファンから聞いた話なので、当時の「世間一般の」空気感としては間違ってるかも知れない。でも、そんな俺でも一応「天体観測」という曲があって、英会話講師並みにオーイエーアーハンって言いまくっているというのは知っていた。一応補足しておくと、「天体観測」もjupiterの中に入っている。
BUMPの選ぶ言葉には「jupiter」「天体観測」「COSMONAUT」「プラネタリウム」「orbital period」等、宇宙的な・・・もう少し正確に言えば、「宙的な」用語が多く並ぶ。ここまでアピールしておいて宇宙が嫌いという事はないと思うが、「Stage of the ground」をそう言った視点で聴くと、なかなかに味わい深い。
この曲は藤原の友人に子供が生まれて、その記念か何かで作ったらしい。自分がその子供だったらメッチャ嬉しいが。
それはともかくとして、宇宙である。「夜空の応援席」「あの月も あの星も」など、宙を想起させる歌詞が詰まっている。「那由多に広がる宇宙」とあるが、那由多というのは万とか億とかの「数の単位」の一種である。他には「恒河沙」「無量大数」とかもある。「1那由多」で、1の右に50個だか60個ぐらいゼロがついてるぐらい大きな数字、それが那由多なのだが、一説によると、こういった数字の単位は古代の人々が「星の数を数える」為に用いた、という説がある。
友人のエピソードや、那由多という単位の事などを思いながら聴くと、なんだか自分が宙に浮かんで地球を見下ろしているような、そんな不思議な気分になれる。もちろん、そんなエピソードを知らなくても、藤原の優しさと言うか、応援している気持ちと言うか、よくある表現で言えば、「聴いていて元気になれる」曲。
■Hello,world!
「そういえばシングル曲全然紹介してないな」と思ったので。あと昔の曲が多いんで、最近の曲の中からという事で1曲。
シングル曲だが、「Butterflies」というアルバムにも収録されている。最近放送された「血界戦線」というアニメのOPテーマとして放送されていたので、聴いた事のある方も多いのではないだろうか。
さて、皆さんは「Hello world」を知っているだろうか。「何言ってんだコイツ頭おかしいんじゃねえのかBUMPの曲だろ?」と思われるかもしれないが、とある業界において、この言葉は特別な意味を持つ。それは、プログラム業界である。
本職のPGやcoderの方々からは「何だよプログラム業界って。そんなのねーよ」と言われるかもしれないが、まあとりあえず聞いてほしい。プログラム言語というのは本当に数が多くて、「プログラムを書いてご飯を食べている人」でも、仕事で書くのは2言語か3言語ぐらいである。就職時の面接で「10言語書けます!」という奴は信用してはいけない。雇った後にクソみたいなコードを書いた挙句CVSをグッチャグチャにしてある日突然遁走するのがオチだ。雇ってはいけない(戒め)
だが、仕事ではなく、趣味でいくつかの言語を使って書いているという人もたくさんいる。逆に仕事上に必要に迫られて、新しい言語を習得するハメになる人もいる。Swiftとかの比較的新しい言語なんかは当然そうなるケースも多い。まぁプログラム言語を習得する動機は人それぞれなのだが、覚えたてのプログラム言語を使って一番最初にやる事が、「Hello world」である。嘘ではない。詳しくは以下を見ていただきたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Hello_world
ともあれ、「Hello world」には意味がある。それはつまり「『世界』に初めて降り立ったものが発する言葉」である。あのビルゲイツも、twitterアカウント開設時の第一声は"Hellow world."だった。それほどに歴史と伝統ある言葉であり、作法なのだ。
ここでBUMPの「Hello, world!」を改めて聴いてみる。
ご自分だけがヒーロー 世界の真ん中で 終わるまで出ずっぱり ステージの上
どうしよう 空っぽのフリもできない
さあ目を開けて 君は強い人
その目が見たから すべては生まれた
世界は終わる。だが、また新しく生まれる世界もある。いくらでも生まれてくるのだ。よく自殺報道が取り上げられたりしているが、とても悲しい。自殺なんてせずに、そんな世界は終わらせてしまえばいいのだ。「世界を終わらせる」手段は自殺なんかでは断じてない。
世界をはじめよう。そして、その新しい世界で、高らかに叫ぼう「ハロー、ワールド!」と。
藤原は特にそんな事を意識してないだろうが、俺はこの曲を聴いてると本当に勇気が出てくる。
■バトルクライ
もう5曲目かよ。早いよ。まだまだ書き足りねえよ。あと20曲は書かせろよ。って言うか、ここまで読んでくれてる人ってあんまりいないような気がしてきた。あまり長くなると読むほうもダルいだろうし、もし他に書く時があれば、そん時は別の増田で書くわ。
とりあえず5曲目を紹介する。これは記念すべきBUMPのデビューCD「LAMP」の中に収録されていたのだが、LAMPが廃盤となった為、急遽「FLAME VEIN」を「FLAME VEIN+1」と改題し、バトルクライを追加したという話がある。そのせいかどうかは知らないが、歌詞カードに歌詞がない。何も知らない人からすれば「???」となること請け合いである。(歌詞はCDトレイの下に書かれている)
デビュー作なので、「リトルブレイバー」で触れた通り、演奏技術に関してはかなり未熟である。だがBUMPにとってそれはマイナスではない。粗削りだが「バトル」であり、「クライ」なのだ。
この曲も叙事詩的である。「自分に嘘をついたが、その嘘が本当になったんでまだ頑張って歌ってる」奴が出てくる。藤原本人かどうかは知らない。仮にそうだったとしても、インタビューでは「いや、あれは別に・・・フィクションとして聴いて頂ければ」とか言うだろう。俺ならそうする。
ともあれ、まだ頑張っているその男は、戦っている。何と戦っているのかは知らない。そして叫んでいる。
ずっと強がってんだ 強がって またウソついて
ひとつのウソにさえ縋る僕の そのウソが 誓いに変わる
BUMPの唄には「応援するスタンスの曲」が割とある。「才悩人応援歌」というド直球の題名の曲などもある事にはあるが、だいたいは「応援している」という明確な意思表示はしていない。先ほどの「才悩人応援歌」だって、歌詞中には「応援」という単語は出てこない。
藤原の書く歌詞世界は、概ね「俺はやってるぞ、さあ、お前はどうなんだ」的な、言葉で語らず背中で語る的な世界観の楽曲が多い。歌詞がある時点で「言葉で語ってしまっている」のだが、明確な意図・意志は常にボカしている印象だ。「バトルクライ」では、そんな藤原の「藤原節」とでも言うべきケレン味が存分に味わえる。
実は、冒頭に書いた「中学の頃に友達が貸してくれたCD」がFLAME VEIN+1だった。当時は音楽なんかに全然興味がなくて、どっちかって言うとポケモンばっかやっていた思い出しかない。そんな俺に「絶対ハマるから!いい曲だから!!」と執拗にすすめてきた級友を当時は大変疎んだものである。今では素晴らしいバンドを紹介してくれてありがとうという感謝しかない。
当時は全く興味もなかったし、聴く気もサラサラなかったのだが、諸事情があって結局俺は家にCDを持ち帰って聴くことになった。中学当時の俺が聞いても下手である。「あいつ、こんなバンドすすめてきやがって・・・こいつらの何がいいんだ?」とポケモンやりながら思っていたが、「バトルクライ」を初めて耳にした時、頭を撃ち抜かれたかのかと思った。
俺はGBAの電源をすぐに切った。セーブしてなかった。まあ厳選中だったんでどうでもいい。とにかくこの曲だ。この曲はヤバい。人の頭を平気で撃ち抜く危険物だ。
危険物として「セックス、ドラッグ、ロケンロール」の3つがよく挙がるが、なるほどよく理解できる。この曲はROCKだ。俺は未だ「ロックとは何ぞや?」という問いに回答できる自信はないが、これだけは断言して言える。
BUMP OF CHICKENの「バトルクライ」、この曲は、ロックだ。
そういう事情もあって、俺の中で「バトルクライ」はちょっと特別なところに位置している。勇気が欲しいとき、悲しいとき、気分を切り替えたいとき、ヒマなとき、ノリノリになりたいとき、戦いに赴くとき、誓いのとき、大事な時。
俺はいつもバトルクライを聴いてきた。ただそれだけの、まあだいたいそんな感じの曲である。
◆(隠し曲)星のアルペジオ
BUMP OF CHICKENの出すCDには、恒例として「隠し曲」という概念がある。
CDプレーヤーだと色々複雑な手順な必要らしいが、iTunes世代からするとあまり意味はない。(ただ、無音部分が50分ほどあるせいで曲の長さが異常に長いケースがあったり、ダミートラックが大量に生成されたりするので、知識のある方はmp3やAACの無音部分はカットしたり、ダミーを除去したほうがいいだろう。)そんな隠し曲の中から1曲。シングル「車輪の唄」の中に隠されている。
隠し曲は、普段のBUMPの楽曲と比較した場合、全体的にネタ的な要素が多い。メンバーも(ちょっと違う方向に)ノリノリでやっている。ライブではほぼ演奏されないが、「DANNY」という隠し曲だけはまれに演奏されることもある。
この曲はクリスマスソングなのだが、恋愛要素はない。というか、この曲の主人公である「ある男(BUMPメンバーの誰かだという噂がある)」は、12月24日に自宅でクリスマスパーティーの準備をしているのだが、呼んでいた人が誰も来ずに、一人待ちぼうけている様子を歌っている。巨人の星のアニメで似たような展開があるが、その時の星飛雄馬は机をひっくり返し、準備していたケースをグシャグシャにして泣き崩れていた。この曲の「ある男」がその後どうなったかが気になる人は、是非各自で音源を聴いてみて欲しい。
メンバーの実体験を基にしているのかどうかは定かではないが、妙に感情がこもっていて涙無くしては聞けない1曲となっている。繰り返すが、BUMP OF CHICKENのギター担当の増川さんとかは一切関係ないので、奇妙な詮索はしないように。
http://anond.hatelabo.jp/20170529064047
最初に謝罪なのだが、実は元の記事は二、三年ほど前にここに書いたが全然反応がなかったものの再投稿であった。
黙っていてすまん。
相変わらずどころか、加齢のぶん状況が悪化してるわ。
ザッと見た反応には共感も叩きもあるが、とりあえず前と違ってガン無視されなかったというだけでいくばくかの慰めを得ることができたので、そこんところに大いに感謝したい。
それでも叩いたり説教した奴はとても憎いがね……。
ところでこの記事のタイトルはイリヤの空UFOの夏が元ネタだ。
俺の発言がかつてないほど話題になって調子づいたので、その反響に対する自分語りを長々追記する。
悪いが、提案や説教に対して、でもできないよおと拗ねる内容だ。
返事しやすいことにだけ返事しているから、クリティカルな指摘はスルーしてるかもしれん。
・俺の求める優しさとは何か
・宗教
・創作
・風俗
・会おうかと言ってくれる人について
・無職で生かしてもらってんのがこれ以上ない優しさ
・働け
沢山ツッコまれている、「お前の求める優しさってなんだよ」ということを考えてみた。
自分の中でもふわっとしてるので、とりとめなく羅列する書き方になってしまうが。
たぶん俺が欲しているのは、物理(経済)面と、精神面の両方とで、自分の生存に罪悪感と不安を覚えなくていい状態ができてほしい、ということに近い。
居場所を作ってほしい、支えができてほしい、許しを与えてほしい、関係を持ってほしい。
こんな存在価値のない無能が生きていて申し訳ないとか、人と会話して申し訳ないとかの自罰的な気持ちと、その反動で貯まる攻撃的なルサンチマン、更にそれらからくる社会活動・経済活動のうまくできなさから解放されたい。
生きている現在と、生き続ける将来に安心したい。なんとかいい感じに暮らしていけそうだとほっとしたい。
物理面の安心は、セーフティネットや、俺でもつとめられる安定した職や、日本の将来の暗さの解決なんかが欲しいってことだろうか。
精神面の安心は、流行っている言葉で言えば自己肯定感が欲しいとまとめられるかもしれない。
個人でも、思想でも、社会システムでもいいから、俺に優しくすることで自己肯定感を育て直す手助けをしてほしい。
俺が幼稚だという感想も見たが、育て直しを手伝ってほしいってのを望むくらいだから、そりゃ幼稚なんだろうな。
他人を頼るなって意見も多く、そうできるにこしたことはないけど、自己肯定感を独力で育てるのそうとう厳しくないか。
厳しくてもやるんだよ、甘えるなっつーのが人生の現実ですか? こらこら、しばくなしばくなww
ついでに言えば、自己否定感をもたらす色々なものから守ってもほしい。
守ってほしいというとお姫様気取りかよと言われそうだが、人間には防壁が必要だ。
思想も信仰も密な人間関係も、外部の影響で精神が動揺するのを防ぐファイアーウォールになるというのが役割の一つだと思う。副作用として悪質なそれらにハマった人も、防御機能が働き意見を変えづらくなるってのもあるが。
ネット越しのあれこれを見てると、ファイアーウォールの十分でない俺の精神はどんどん腐っていくのを感じる。
だが他に気軽に寂しさを紛らわす手段もないので延々ネットを見ている。
そもそもこういう記事を書くこと自体、優しい言葉と厳しい言葉を両方飛ばされるかただガン無視されるかのどちらかだから、俺みたいな拗ねてこじらせた脛齧り野郎はやらないほうがいいんだ。
共感が10個あっても叩きが1個あったら叩きばかり印象に残る性格の奴が、運がよくても半々、そうでなければ袋叩きになるような愚痴をネットに書いてその反響を追うのはよくない。カウンセラーにでも愚痴るべき。それはわかる。
カウンセラーに愚痴っても淡々と聞かれるだけで虚しさが募ってきたから、我慢できず書いちゃうんだけど。
言ってみりゃ、BUMP OF CHICKENのリリィみたいな存在に出会いてえんですよ。
弱音と苛立ちをこぼしても「そういうところも全部かわいい人ね」って言われてえよ。
無職なのでスポットライトも浴びてないしがんばって自分を唄ってもいないけど。
人に優しさを求めるならまず自分が周囲に優しくしろ、というコメントも多かった。
この場合、俺が他人に送るべき優しさってなんだろうな。俺が求めてる優しさは上で書いた感じだが。
オタクやリアルの方では、人の愚痴にはできるだけ親身に乗っているつもりでいる。いいと思った創作者に長文感想を投げたりもする。落とし物を拾う手伝いとかする。
どれも迷惑な押しつけかもしれないし、性根の腐り具合が滲んでるかもしれないけど、いちおう些細な優しさだとする。
たとえば仕事がきついとか、上司がセクハラしてくるとか、金がないとか、親との関係が悪いとか、モテないとか、ネットで叩かれたとか、そういう愚痴に俺ができるのは「大変だよな」「そいつマジクソファッキン口からウンコ漏らし」「思いつめない方がいいよ」などを言うだけ。作品への感想も結局は面白かったと言ってるだけ。
しばらく泊めてやるし旅費も出すからろくでもない家と会社からは逃げてきなよと言うとか、出版関係者とコネがあるから紹介してあげるとか、そういうちゃんと役に立つ対応はできない。
俺は地方民なので、知人はみな地理的に遠く、日常的に会って一時的にストレスを紛らわしあうこともできない。(俺と会ったらむしろストレスが溜まるかもしれないが、一般的にはそういう優しさもあるだろうってことで)
生活に将来性がないので、他人の自己肯定感を育てられるほど長く密な関係を築くこともできない。
お金も社会的安定も能力も甲斐性ない人間は、責任のある優しさ、問題解決能力のある優しさを人に与えられないんじゃないか。
だから俺も優しくされないのか?
服を買いに行くための服がない問題みたいだな。
フェミニズムについて書いた部分もあれこれコメントされている。
元の記事でフェミニズムとマチズモの双方を俺の敵対陣営として書いたが、根源的にはフェミニズムは悪ではなく、公正さを目指すって意味ではむしろ善なる思想だとは思っている。
しかし、昨今俺に最も自己否定感や罪悪感をもたらしてくるのがフェミニスト的な言説だから敵視しているのだ。
俺のガバガバなメンタルファイアーウォールを突き破ってくるんだよ。
そういうのは真っ当なフェミニストではなく一部の過激派だとか、フェミを名乗るミサンドリストだとか、脳内フェミだとか言われるのだが、とりあえず確かにツイートやブログが見えるから脳内妄想ではないとして、一部過激派やミサンドリストと「真っ当なフェミ」なるものを区分するのは非常に困難である。
自己否定を煽られたならミサンドリーだとするなんてのは、俺に/男に都合のいい意見しかフェミニズムと認めないなどという傲慢極まるスタンスになるのでありえない。
そしてフェミニズムも色々な考え方があるっぽいから、明らかに罵詈雑言を投げてるタイプくらいしかミサンドリーだと断じきれない。
そもそも疑問なのだが、ミサンドリーの入ったフェミニストが見分けられたとして、フェミに耳を傾けましょうって立場の人間が「ミサンドリーフェミの主張は無視していい」なんて言うのはアリなのか?
ミサンドリーの奴らは、男によっぽど嫌な目にあわされたとか、別に大した理由はなく性格が歪んだとかで男に憎悪を抱き破壊的なことを言うわけだが、そこで他人が聞く耳を持たなくていいのは破壊的な部分に限られていて、あいつらがどんな被害にあったとかどこに男女不公平を感じるとかの指摘を無視することに正当性はないのでは?
たとえて言えば、テロリストのテロ行為は許すべきでないが、なぜテロリストがテロ思想に走ってしまったのかという部分は着目するに足る、みたいなのと近い。
ミサンドリーフェミニストは言論テロリストだしその論調と主張手段は責められて然るべきだが、あいつらが語る己がテロリストになってしまった理由については、ある程度の誇張を割り引くとしても聞いてやるのが、フェミ親和派としちゃあ正しいのでは?
男性への不公平感や抑圧感が嫌悪憎悪のレベルに達することで「あいつらはミサンドリストだからフェミニストではない」と切断処理の対象になってんのって変な気がする。
などとやたら長く書いたが、どっちにしろミサンドリストもフェミニストも嫌いなんだ俺は。
だって俺が男である以上、体格がいいとか化粧しないでいいとかヒール履かなくていいとか生理がないとかガラスの天井がないとか性暴力を受けづらく与えやすいとか性別由来の既得権益を得てはいるし、どんなフェミニズムであれその権益の使い方や再分配をよく考えましょう配慮しましょうと啓蒙してくるわけで、それは公正ではあるけど「ああ、男である俺は不当な利益を貪ってんだな、反省しなきゃな」みたいな気分にさせられるから、そりゃあ嫌いになる。
そのくらいの自省要求にすら耐えられないほどクズなんすわ、悪かったな。
しかし考えてみれば、ネット議論は幾らでもある中で俺が特に精神をかき乱されるのがフェミ主張ってことは、否が応でも目に入ってしまうくらいフェミニズムがネットに行き渡り無視できない勢力にまで育ったわけだから、フェミにとっちゃ順調っちゃあ順調なんじゃないの。
さっきちょっと信仰と書いたが、宗教を勧めるコメントも多かった。
わかる。
持たざる者が精神的救いを求めるなら、宗教が王道と言っていいと思う。
自分でも、上手くハマれればとても楽になれそうな気はずっとしている。
結婚式でチャペル行くのも葬式で数珠握るのも地鎮祭も、もちろん新興宗教の類も、くだらないしキモいと感じられる。
だから楽になるだろうことは分かっていてもやりたくない。
この場合の宗教はいわゆる神様を拝む系の宗教を指しているので、科学信仰や宗教嫌いも宗教であり~みたいな話は今回はなしで。
実はすでに、病院とカウンセリングには学生の頃から通っている。
病名はついているが、憂鬱とイライラと胃弱くらいしか自覚症状がないのでピンと来ていない。
延々経過観察されている。
薬は全然効かないので、現在は憂鬱が激しい時にその場で飲む薬しか処方されていない。
障害年金はもらえそうにない。
実はこれも嫌々ながらやったことがある。
某NPOの臨時作業員というかお手伝いみたいな感じで数か月混ぜてもらった。
でも、NPOの人らが輝いた眼をして、力強い握手と共に「増田クン、まずは元気な挨拶からがんばろう!」と言われた一日目の時点で内心もうダメだった。
いや挨拶はしていた。どっちかというと丁寧にしていたつもり。小学校でクラスの挨拶名人賞を受賞していた、昔取った杵柄だ。
ただ全盛期を過ぎた今の俺の挨拶はオドオドさも香るスタイルになってるから、エネルギッシュな人たちからすると元気よくと言いたくなるのは分かる。
でも俺とは求める心地よさが違うのだなと感じた。血圧が俺より30くらい高そうだった。
あと単純にボランティアの具体的な活動でも俺はグズで気が利かなくて、役立たずとして混じってるのがキツかった。
ワンシーズンの活動が終わったあと、臨時お手伝いの立場ながら打ち上げに呼んでもらえたので優しくしてもらったとは言えるんだろうけど、その最後の打ち上げの席も辛かった。
気力体力行動力の消耗がヤバかったし、がんばって書いても読者が少なくてあんまり褒めてもらえないので悲しくなった。
小さいものを一つ作ることはできても、それを複数作ったり書き続けていくのはひどく大変だ。
内容が多少まずくても創作できる人はそれだけですげえよ。42.195kmを走らず歩ききるだけで凄いようなもんだよ。
風俗。
俺の「童貞」という悩みを噛み砕いて言えば、「コミュニケーション能力と、アイデンティティのかなりの位置を占める男性という属性の二つが、他人(特に男性)から被害を受けやすい女性から受容されたことがないことによる、不全感や許されていない気持ち」が問題なので、お金で受け入れさせたところで解決になる気がしない。むしろその手段を取ることで罪悪感が増しそうで怖い。金という暴力で女を従わせたってことになる。
なんて言ってみたが、風俗でいいから一回ヤってみてーという即物的な気持ちもモチロンある。
でも実家暮らしだと、家族に風俗行ったとばれないかという心配事もありなかなか行けない。
男性性なんかにアイデンティティの重きを置くなって意見も見るが、その重心バランスはセルフコントロールムズイでしょ。
はてなの内外で、首都圏だったら飯奢ったり遊んでやるよと言ってくれる人をちょっと見た。
とてもありがたい。だがすまないことに、前述の通り俺は地方民である。
まあそうじゃなくても、こんなクズ of クズな記事書いといて非匿名で会うなんて、恥ずかしさと怖さでできやしないが。
知人に首都圏在住者が多いのもあり、そっちで暮らしたい気持ちは大いにあるが、以前親に話を振ったところ良い反応をもらえなかったので無理だ。
自殺企図したことがあるため、離れた場所に行かせるのは心配らしい。
「30代になって親の顔色をうかがうとか幼稚すぎる」と言われるだろうが、親と話し合ったりお願いしたりということが物凄く苦手でダメだ。一度話を振っただけでとても勇気を出したくらいだ。
無職でもその年まで生かしてもらえてることが最高に優しくされてるだろというド直球。
就職しろというド直球。
養ってくれているお父さんお母さん、医療保険を使わせてもらってる社会、ありがとう! 年金くらいは払ってます!
腕力なくて荷物を落としそうになって迷惑かけたバイト先、一回寝過ごしたらもう顔見せるのが怖くて連絡を絶ったバイト先、寝坊した上道分かんなくなって面接キャンセルした就活先、集団ディベートで変なこと言う俺と同じ組になった就活生、興味ある職種を答えられず困らせたハロワの相談員さん、ごめんなさい!
こんなに迷惑をかけても、直接的な刑罰とか咎は負わされてなくてこの社会はクズにも優しい!
その辺はマジその通り。
なのに、こんなに優しくされてるのに、なんでか人生がうまくいかねえし外に出るのが辛いし社会や他人と関わるのも不安だし心身落ち着かねえしで自分じゃどうしようもねえし辛いので、もっともっと優しくされたらうまいこといかねえかな、誰か救ってくれよっつー夢想を書き殴ったのが元記事なわけ。
自分じゃどうしようもないとか甘ったれてんじゃねーよ人は自分で何とかするしかないんだよとか、むしろ優しくされすぎたのが悪いんだよとかの声も拝聴しております。
書きたかったのはだいたいこんな感じだ。
自己卑下してかわいそうぶることで批判を避けようとしているのが鼻についたら申し訳ない。
卑屈さによる防御は卑怯なのだが、いったん頭に浮かんだ卑屈さや恐れを脱臭するのもこういうクズ人間のエッセーみたいな文章ではニュアンスを損なうのでは、と考えるとよくわかんなくなった。
よくわかんなくなったということを言い訳にして、卑屈さを大量に残して責めづらくする予防線を張り、そして予防線を張ったことについての予防線を更に張る卑怯な書き方申し訳ない。
また2年後くらいにどうなったのか報告してほしい
今から10年以上も前、中学生だった頃BUMP OF CHICKENの曲が好きで結構聴いていた。
『天体観測』『プラネタリウム』『ラフメイカー』『車輪の唄』などなどバンプの曲は全体を通してストーリーになっている曲が多い。当時の自分は、曲全体がストーリーになっててスゲーとえらく感動していた。
それと同時に、どうして他の歌手は感動ストーリー仕立ての曲を作らないんだろう、絶対そういう曲の方がいいのに、なんて疑問に思っていた。
でも時間が経って、その間にいろんな歌手のいろんな曲を聴いていくうちに、別にストーリーとかなくてもいい歌詞の曲っていっぱいあるじゃん、むしろストーリーとかいらないって思うようになった。
『K』とかは聴いてるこっちが恥ずかしくなるレベル。
今の自分の中でのいい歌詞判定の基準は上手く説明できないけど明らかに昔と違っている。
どちらが良い悪いというわけではなく(今もバンプの曲は好き)、自分も変わったなーと感慨深い気持ちに深夜のテンションでなったのでここに書いてみた。
10年後の自分はどんな曲を好んで聴いているのだろう。すでに存在している曲に10年後にハマるかもしれない。
そこで思った。
10年後にハマる曲がすでに存在しているのに今の自分にはどうあがいても見つけることができないって思うとなんかわくわくしない?
http://www.quercuswell.com/entry/baddrummer170502
ドラマーが下手なバンドはとても残念~BUMP OF CHICKEN編~ - きゃすのキラ
オレはBUMPが好きだがファンではない、CDも持ってないし、レンタルで借りた音源もどっかいった。
んで、これ書いた奴はどうかしらないが、ドラムもギターもそこそこ演奏する。素人よりはテクニックの難易度だとか、上手い下手がわかる。
打ち込みに合わせて叩いたりしてんだから、そんなことあるあるだし、SEぐらいに思っておけばいいじゃん。
音が汚いとか、グダグダとか……
馬鹿じゃん、それがいいんだよ。
え、じゃあ、お前、大好きなレストランのメニューに誤字脱字があったり、英語の文法ミスがあったら行かなくなるのかよ?
そういう事言ってるのと同じだよ。
どーも、互助会増田です
以下読む価値なし
どちらを選びますか?
Mr.Children BUMP OF CHICKEN 椎名林檎 RADWIMPS 米津玄師 サカナクション SEKAI NO OWARI
One ok Rock UVERWORLD ASIAN KUNG-FU GENERATION フジファブリック クリープハイプ
ムーンライダーズ 少年ナイフ 曽我部恵一 ホフディラン ボアダムス キリンジ 小島麻由美 朝日美穂
Alfred beach sandal ミーマイモー 高橋翔(昆虫キッズ) cero 前野健太 シャムキャッツ おにんこ
The Collectors スピッツ THE YELLOW MONKEY 坂本慎太郎(ゆらゆら帝国) くるり ゲスの極み乙女
まずはHello,world!を歌う、同職にはウケル
日本映画学校在学時に先輩からの紹介でものまね専門のショーパブに出演するようになったのがお笑い芸人になるきっかけ。
藤原基央(BUMP OF CHICKENのボーカル)に扮して行う「オンリーロンリーグローリー漫談」が鉄板ネタ。
フジテレビの番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナー「細かすぎて伝わらないものまね選手権」では初出場した第20回以降、常に決勝戦まで勝ち進んでいる。
2012年にお笑いコンビ「アクセレーター」の安藤茂陽と伊根義玲とともに3ピースバンド「NAKAYOSI」を結成。魔法少女をテーマにしたラップと、アシッドハウスとグランジが融合したサウンドで徐々に人気を集めている。代表曲は「デリカD:3にのって」
2015年には「LADYBABY」とのツーマンライブを成功させ、
2016年には「ROCK IN JAPAN FES 2016」にてBuzz Stageに出演。ちなみにこのときもとおは藤原基央と初めての対面を果たし、「初対面なのにこんな格好ですみません」というコメントともに2ショットの写真を自身のTwitterに投稿した。このツイートは8000をこえるリツイートを集め瞬く間に話題となった。
趣味はフィギュア集めで、萌え系からアメコミ、果ては珍獣や実在の人物などジャンルを問わず集めている。そのコレクターぶりはフィギュアで覆い尽くされた部屋にいるのが耐えられないという理由で同棲していた恋人から別れを告げられたほど。(月刊ホビーカルチャー2015年3月号より)
また学生時代はバレーボールに打ち込んでおり、TBS系列「最強スポーツ男子頂上決戦」第4回大会では第4位にランクインし、運動神経の高さを見せつけた。
「バンバンジー」という名前のためかバンジージャンプをはじめとする絶叫アトラクションのレポーターを担うことも多々あるが、高所恐怖症のためとても辛いとのこと。
ノリや感情みたいなのをむき出しで刺激する
オラサイトとか、https://www.youtube.com/watch?v=oLFMdMYWUxM
トゥートゥートゥマシェリとか、https://www.youtube.com/watch?v=MCBS8-kh3e0
マイヤヒーとか、https://www.youtube.com/watch?v=GeeUSDW3tcA
しぃのうたとか、https://www.youtube.com/watch?v=VurT6jZnZks
でそのなかで、2ちゃんねらーのなかでも
https://www.youtube.com/watch?v=GKqGN3EQUIs
エモくて俺は苦手だったんだけど
とにかく当時のニヒリズムな2ちゃんねらーでもバンプは人気だったのを覚えてる
おまえらこういうの好きなのかよってね
これ以降、ネットは動画サイト時代になったりして、ニコニコ動画的なものが生み出されていくから
最初FLASHのこと忘れてて、君の名はってのはニコニコ動画的なものだなって思ってたんだけど
新海さんの年齢から考えて、おそらくFLASH動画のエモくて歌ものBGMでの演出に影響されていったんじゃないかなって思う
RADWIMPSを指名したのは新海さんだっていうんだけど、歌い方がみょうにBUMPっぽくなってて驚いた。
あのせだいに訴えかけるなにかがあるんじゃないだろうか
・長澤まさみが中の人はなんで飛騨についていった?(ヒマだから?)
彼女は「瀧を変えた女子がいるはずって予測してたんだから「その子に会うなら見てみたい」って事でしょ
・ムー好きの土建屋の息子と泣きぼくろの彼女はなぜ東京にいた?(岐阜にいない?)
・ヨツハも中学生になってどこか人の多い学校にいた風になってたけどもしかして東京にいる?
制服が夏服じゃなくなってて同一かわからんからどっちとも取れるけど地元ぽいかなあ
・反町長派がけっこういそうなのにみんな素直に避難に応じたのはなぜ?
それもそうだけど町長が応じたのも何故だよな
・ミツハが生理のときはどうしてた?(週に2~3なら該当するときがあるだろ)
考えたくは無いけど対処は無理ぽいよな。14日のうち前半3日と後半3日なら8日余るから何とかなるのかも。いや稼働日数よく知らんけど
・飛騨にあんな所あるの? 飛騨にないにしろモデルみたいな所あるの?(湖のあるところやご神体のあるクレーターなところ)
・人格が入れ替わる前のミツハもタキもどういう生活をしていたのかよくみえないんだけど(どっちも母親不在っぽい)それは監督のチカラ不足ってこと? それともなんか理由がある?
ミツハ姉妹はおばあちゃんに引き取られたとかタキは朝ごはんを父親と当番制でやってるとかわかるんだし十分じゃね?
東京だと満員電車でやられたとか聞く被害だけど地方だと無いのかな?ああいう店での事例は聞いた事ないけど無くはないだろなあ
・ヨツハがスマホに日記を書いていたようにタキもノートに日記を書いていたけど、それも消えた?
消えたんじゃないかねえ。デジタルデータは消えやすそうだけど紙まで?!って感覚なのかな。デジタルもそうそう消えないって感覚だわ
・高山ラーメンのオヤジは彗星が落ちる前の町にいた?(あと高山ラーメンはあんなじゃない記憶があるのだけど)
出身地みたいな言い方だったけど若い頃だけじゃなくある年齢までは住んでたように感じた
・ミツハのババアの過去にあった入れ替わりはなんか伏線としてある?
おばあちゃんにもお母さんにも経験としてあったのならお母さんから町長が何となく聞いててそれで避難に応じた可能性あるかなーって思った
・RADWIMPSってあんなBUMP OF CHICKENっぽかったっけ?
同じこと思った
やー見てきた。素直に面白かったよ。
・長澤まさみが中の人はなんで飛騨についていった?(ヒマだから?)
あと、一時期流行った山ガールなんじゃね?服装気合はいってたし
・ムー好きの土建屋の息子と泣きぼくろの彼女はなぜ東京にいた?(岐阜にいない?)
→田舎の人間にとっては土着の場所が消滅すれば岐阜だろうが東京だろうが同じなんじゃない?
土建屋も地場の道路が消えればやってけないだろうし、田舎に仕事が無いから東京に来たんじゃないかな。
それか、行政の処置でみんな関東に来てるとか?だいぶスレたカップルになってたな。
・ヨツハも中学生になってどこか人の多い学校にいた風になってたけどもしかして東京にいる?
・反町長派がけっこういそうなのにみんな素直に避難に応じたのはなぜ?
・ミツハが生理のときはどうしてた?(週に2~3なら該当するときがあるだろ)
→野暮なこと聞くな胸糞悪い
・飛騨にあんな所あるの? 飛騨にないにしろモデルみたいな所あるの?(湖のあるところやご神体のあるクレーターなところ)
→わからん
・人格が入れ替わる前のミツハもタキもどういう生活をしていたのかよくみえないんだけど(どっちも母親不在っぽい)それは監督のチカラ不足ってこと? それともなんか理由がある?
→1%くらいトトロっぽさを感じたからその影響かも。たきくん家のお父さんは何となく浮気で離婚したと言われても納得いく雰囲気だったと思う
→現代人の悪意とか嫌な人を端的に描きたかったんじゃない?下にあるように実際ある行為だし。
・ヨツハがスマホに日記を書いていたようにタキもノートに日記を書いていたけど、それも消えた?
→消えたと思う
・高山ラーメンのオヤジは彗星が落ちる前の町にいた?(あと高山ラーメンはあんなじゃない記憶があるのだけど)
→それな。俺もてっきり土建屋の息子がラーメン屋になったのかと思っちまった
・ミツハのババアの過去にあった入れ替わりはなんか伏線としてある?
・RADWIMPSってあんなBUMP OF CHICKENっぽかったっけ?
→それはそう思う。あと、ちょっと曲が余計だったところはあった気がする
もしわかるって人がいたなら教えて下さい。
・長澤まさみが中の人はなんで飛騨についていった?(ヒマだから?)
・ムー好きの土建屋の息子と泣きぼくろの彼女はなぜ東京にいた?(岐阜にいない?)
・ヨツハも中学生になってどこか人の多い学校にいた風になってたけどもしかして東京にいる?
・反町長派がけっこういそうなのにみんな素直に避難に応じたのはなぜ?
・ミツハが生理のときはどうしてた?(週に2~3なら該当するときがあるだろ)
・飛騨にあんな所あるの? 飛騨にないにしろモデルみたいな所あるの?(湖のあるところやご神体のあるクレーターなところ)
・人格が入れ替わる前のミツハもタキもどういう生活をしていたのかよくみえないんだけど(どっちも母親不在っぽい)それは監督のチカラ不足ってこと? それともなんか理由がある?
・ヨツハがスマホに日記を書いていたようにタキもノートに日記を書いていたけど、それも消えた?
・高山ラーメンのオヤジは彗星が落ちる前の町にいた?(あと高山ラーメンはあんなじゃない記憶があるのだけど)
・ミツハのババアの過去にあった入れ替わりはなんか伏線としてある?
・RADWIMPSってあんなBUMP OF CHICKENっぽかったっけ?
・3年のタイムラグを感じさせる描写ってゲーム機以外になんかあった?
ただ、思いついたこと列挙しただけですね。
1番好きなシーンは泣きながらおっぱいを揉むところです。
「王様が何で王様かというと、王様が王様を王様と決めたからだ」
という文章から始まる”星の鳥”という物語。この物語について心理学的観点から少し考察してみたいと思う。この文章を読むにあたって、筆者はまだこの心理学について勉強の途中であり、未熟な考察が多々あるかもしれないがお許しいただきたい。この日記から、また星の鳥という物語に、BUMP OF CHICKENというアーティストのすばらしさに気づいてもらえたら幸いである。
この物語は、”王様と呼ばれる彼”が、もう一人の彼である星の鳥と出会い、”本当に王様と呼ばれる彼”になっていく物語である。
私の学ぶ心理学では、”自己実現”という言葉がしばしば登場する。それは端的に言うと、”自分が自分と出会う”という体験であり、”出会った新たな自分を、自分の中に統合していく”ということだ。自分が今まで見てこなかった、気づいていなかった、切り離してきた自分。人間のこころは、それらの自分へ出会おうとするエネルギーを持っている。学術用語では、「こころの全体性」なんて言い方をする。
王様と呼ばれる彼は、星の鳥という物語を通して、深く、そして厳しい自己実現の道のりを歩んでいる。
自分自身を王様と呼ぶことを決めた彼は、自分のことを”王様”としか見ていなかった。だから、こころが全体性を求めるエネルギーが現実世界へ溢れ出し、様々なものを王様は欲しがっている。しかし、そのどれもは自分のものであって、自分じゃない。満たされない思いは、”胸のあたりをぎゅうっと”させる。
そんな時に、彼は星の鳥と出会う。”星の鳥”は彼がそう名付けただけのものであり、実際は何なのか、物語の中では描かれない。彼が見た星の鳥は、他の誰にも見えることはなく、彼にしか見えていない。星の鳥は、本来彼自身であるべきものなのである。彼の中にある、”王様”以外の自分ーー彼はそれを星の鳥と名付け、それを自分のものにすることを求めた。
そして、そのために非常に厳しい道のりを歩み始める。
様々な試行錯誤を繰り返し、体に傷を負い、他のものたちに笑われーーそうして彼は気づく。星の鳥と自分自身が似ているということに。
そして、この自己実現、つまり、星の鳥を自分のものにすることは自分一人ではできないことに気づく。自分の力がないことを認め、他の動物たちへ頼む。自分の唯一のアイデンティティであった王様であることすら放棄し、それまで自分の一部だと思っていた大切な宝物も差し出し、それも一蹴され、、彼にとっては相当辛い体験だったはずである。しかし、自分を一度やめるところまで深く、厳しい体験をしなければ、星の鳥を手に入れることはできなかったのだ。
彼は、たくさんの仲間と共に星の鳥を作り始めた。しかし、やがて”死”が訪れる。
私の学ぶ心理学では、”死”を単純なイメージとして扱うことはない。”死”は変化の象徴として扱われることもあり、必ずしもネガティブなイメージではない。ここでの彼の死は、象徴的な意味での変化を表しているのではないだろうか。本当の彼自身になるために必要な、死。星の鳥を自分のものにするためには一度死の道を通らなければならなかった。
彼は星の鳥の中心部へ埋葬される。
星の鳥が完成し、王様としての彼の象徴であった冠が彼の墓にかけられた時、彼は猫として生まれ変わり、世界に再び生を受ける。星の鳥である彼自身が王様である彼自身へと統合され、より高次の存在であるネコへと再生されたのだ。
ここで面白いのが、物語の最後に、統合されたはずの星の鳥が再び登場するということだ。
これまで考察してきたように、星の鳥は自己実現の過程で必要な、自分自身が気づいていなかった自分自身である。完璧な人間はすべての自分自身を余すところなく統合し、認知下に置いていると言えるが、完璧な人間などこの世には存在しない。どんな人間のどんな時にも、切り離してきた自分自身は存在するのだ。それを象徴するものが星の鳥であると私は考える。
そのため、一つ星の鳥を自身に統合できたからといって、星の鳥は消えない。星の鳥は、再び新たな自分自身を連れて、ネコの元へやってくる。
”自己実現”について長々と考察をしてきたが、自己実現はすればするほど良いというものでもなく、そう簡単にできるものでもない。星の鳥の物語に描かれているのは、非常に厳しい自己実現の道のりである。簡単にできる自己実現などは、この世に存在しない。しかし、全く自己実現を行わない人間もいないーー。
ーーだから、「思い出した 星の鳥だ」くらいに考えておけばきっと良いのだろう。
この2つのバンドはヒップランドミュージックという同じマネージメント事務所に属しているんだけど
両者はメディア露出に対するバンドの考え方のトレンドを変えたバンドであると思う。
サカナクションのライブをテレビで見たのをきっかけに、バンドを聞くようになった人間。
といってもそこまでディープではない。
一年前からTSUTAYA DISCASで新旧問わず月に4枚CD借りるという
そういうわけで、日本のポピュラー音楽を聞きはじめてから日が浅いので、
で、最初の話に戻る。
バンドのメディア露出に対するトレンドを作ったバンドであると思う。
※追記
ブクマで、スペシャ(スペースシャワーTV)のライブ中継の時に視聴者に言った言葉との情報を頂いた。感謝。
バンドがテレビに出ない美学がバンドシーン、ひいては音楽シーンの衰退に繋がった。
http://natalie.mu/music/pp/sakanaction04
BUMPの藤原の発言の意図は当時の音楽シーンに詳しくない自分は想像するしかないのだが、
音楽と商業が結びつきすぎていて、音楽が音楽でない評価のされ方をしている
ヴィジュアルやルックスで音楽が評価されることを嫌ったのだと思う。
そんな感じか。
音楽の純度を高めたい。そんな感じ。
※追記
ブクマで教えて頂きました。横山さんのテレビに出なかった理由とか書かれていて(その日自分はMステ見てなかったけどツイッターが騒いでたのは覚えてる)、
一方でサカナクション。
アルクアラウンドというMVなどで知名度をあげてきた(あと大手フェスでのヘッドライナー)
インタビューを読んでみればわかるように、Mステ出たり、紅白出たり。
総合芸術というワードがサカナクションに対して使われたり、裏方の仕事やスタッフを紹介したりと
音楽だけでは勝負しない、というのがサカナクションのスタンスであろう。
(ちなみに山口はファッションと音楽の乖離を嘆いてNFパンチというテレビ番組まで作ってしまったが、自分はバンドがテレビに出てこなかったからそういうことになったのだと思っている)
テレビに出ない、テレビに出る、というバンドの大きな流れを作った2つのバンドだけど
個人的には、
音楽を音楽として純粋に聞いて欲しい、というBUMPの方が共感できるし、
正直、ビジュアルと音楽が結びつくとイメージが固まってしまうところがあるので、
嫌だと思うのだけど、まぁ個人的意見。
実際サカナクションはイメージの固定化前提、イメージを作って、
ビジュアル的要素を音楽とパッケージ化して売ってるわけだし。確信犯(語句の使い方違うな)。
(でもファッションと音楽が結びつくと、変に威張って排他的なやつが出てくるので社会の空気が窮屈になるな、とダサい人間である自分は思う。自分みたいな奴がファッションを抑圧してるという自覚はある)
メディアの使い方は悩んでるんだろうなって思う。SNSも含め。
テレビに出ないのと出るの、どっちが正しいかという話でもないし。
音楽を汚したくない、という思いは一緒だろう。
音楽の楽しみ方は人それぞれってことで。
ちなみに個人的な話で閉めさせていただくと、
ドーム行きたい。
つまりハリウッドザコシショウの事を歌っているんだよね。
十年くらい前かな。
2chのFlash板でバンプの動画が流行ったことがあって、俺も面白く見ていた。
「K」が気になったのでアルバム(THE LIVING DEAD)も買った。
ざっと十年経って、今。
おおまかなメロディとおおまかな歌詞は覚えているのだが、場面がいきいきと蘇ってこない。
雪の中走り続ける猫とか、たんぽぽのところに通うライオンとか、当時は目の前にあるかのように想像していたものだが、
全部消えた。
唯一「車輪の唄」の「ゆっくり離さーれーてーくー」だけは当時のように思い出せた。
やっぱ歌でいくら歌詞を頑張っても、それだけでは難しいものがある。
TRICERATOPS - Fall Again(2000年)
ポルノグラフィティ - Century lovers(2000年)
ノーナ・リーヴス - LOVE TOGETHER(2000年)
JUDY AND MARY - Rainbow Devils Land(2001年)
SUPERCAR - YUMEGIWA LAST BOY(2001年)
B'z - ultra soul(2001年)
THE BACK HORN - 涙がこぼれたら(2002年)
https://youtu.be/0ZwG5QuxJw0?t=5m30s
ASIAN KUNG-FU GENERATION - 君という花(2003年)
フジファブリック - ダンス2000(2004年)(インディーズ盤では2002年)
BUMP OF CHICKEN - オンリーロンリーグローリー(2004年)
キャプテン・ストライダム - マウンテン・ア・ゴーゴー・ツー(2004年)
ART-SCHOOL - あと10秒で(2005年)
the band apart - higher(2005年)
Base Ball Bear - ELECTRIC SUMMER(2006年)
BOOM BOOM SATELLITES - KICK IT OUT(2006年)
サザンオールスターズ - DIRTY OLD MAN ~さらば夏よ~(2006年)
hare-brained unity - ORION(2006年)
https://youtu.be/9IaIHX2FO-0?t=15s
Mr.Children - フェイク(2007年)
L'Arc〜en〜Ciel - SEVENTH HEAVEN(2007年)
MONOBRIGHT - 頭の中のSOS(2007年)
GOING UNDER GROUND - TWISTER(2007年)
school food punishment - you may crawl(2007年)
Aqua Timez - 虹(2008年)
the telephones - Love&DISCO(2008年)
竹内電気 - Baby I Love you(2008年)
winnie - first class speed of light(2009年)
UNISON SQUARE GARDEN - MR.アンディ(2009年)
とある男とは、また別の男の話。
90年代後半。男はギターロックが好きだった。ちょっとポップな、弾ける感じのギターロック。
ある日、小さなレコードショップの試聴機で聞いた歌声と歌詞に感銘を受けた。
「これは素敵な僕のバンドを見つけた!」と思った。
ハイラインレコーズか、さすがだな!
アルバムを買った。ランプ、ガラスのブルース、K、続・くだらない唄、アルエ、やばいやばいやばい!
ライブがあるとのことで、十三ファンタンゴに駆けつけた。泣いた。笑った。叫んだ。泣いた。
「十三ファンタンゴもいいライブハウスだけど、もうちょっと大きなところでやりたい。クワトロは大きすぎるけど」
そんなボーカル藤原のMCに、会場の男たちは「クワトロでも狭いわ! ゼップクラス以上やろ!」と笑った。
ライブから帰ってすぐ、その感動を自分のホームページにしたたるためにホームページビルダーを立ち上げた。
BUMP OF CHICKENの公式サイトにあるBBSにも「ライブ良かったです! 感想をまとめたので良かったら読んでください」と、男のホームページのURLを貼った。
翌日、カウンターのCGIが壊れたのかと思ったぐらい回転した。
今まで誰も書き込んでくれなかった男のBBSに、知らない人から「良かったです」「ライブ、行きたかった」「東京も良かったですよ」と100人以上の人が書き込んでくれた。
でもこのバンドはいつかメジャーになって変わってしまうんだろう、と確信めいた感覚があった。
それからと言うもの、男は会う人会う人にバンプを勧めた。変わってしまう前に。
「ふーん。インディーズなの」
「この曲「ランプ」って言うんだけど、最高なんだよ!」
「へー、今度聴いてみるわ」
「今から送るよ!」
ダイヤルアップ接続の遅いスピードで、ICQを使って送った。数分の曲を送るのに2時間近くかかった。勿論、歌詞も一緒にテキストにまとめて送った。
「これ、いいね! すごい元気になれる!」
「あー、若い時に聴きたかった。今の僕はナイフに代わる自信を仕事で手に入れたよ。でも、いい歌だね」
みんな、喜んでくれた。
男は嬉しくて、でも「ランプ」だけを送りプロモーション活動を続けた。無料で配るのは気が引けるから、この1曲だけ。本当に気に入ってくれたら、きっとアルバムを買ってくれるはずだと。
こんなにも良い音楽なんだもん、本当に多くの人に届く! 嬉しい!
どこか勝手な使命感にかられてたのかもしれない。自分ごとのように必死だった。自分のことじゃないのに。
ある時。
転機は急に訪れた。
「見えないものを見ようとして」
大好きな歌声で、なんだか、ちょっと違和感を感じる、乗り切れないメロディが飛び込んできた。
メジャーデビューが決まったと聞いた時、すごい不安だった。変わってしまうと思ったから。
ボーカル藤原だけじゃなくメンバー全員が「俺ら、変わらないから」そう何度も言ってたけど、そんなの無理だって分かってた。
モテない、女心も分かってない童貞全開な歌詞。いつも通りのバンプなのに……。
天体観測。
さながら打ち上がったロケットが、大気圏を突破して宇宙(そら)に消えて行くようだった。
男は黙り込んだ。
これで、もうバンプの話ができなくなるかもしれない。
この前までバンプのことを完全スルーしてた人たちも、男と同じように自分ごとのように喜ぶんだろう。「これは素敵な僕のバンドを見つけた!」と。
それは、もう男にとっての「僕のバンド」ではなくなっているだろうけど。
ほどなくして、そんな知人に会う機会があった。
その日は珍しく知人のほうからこう切り出してきた。
「おっ、そうなん?」
「BUMP OF CHICKENって知ってる?」
(終)
▼元ネタ:本当にあったやるせない話「BUMP OF CHICKENって知ってる?」
ロキノン系(笑)とバカにされ、ダサい、曲が似通っている、歌が下手、メンヘラっぽい……。世間から色々言われているロキノン系。
フジファブリックの志村が死んで、Syrup16gが解散して、ミスチルが平和と愛だけを歌うようになって、BUMP OF CHICKENがみんなともだちだよとか言い始めてからだと思う。
ちょうどその頃22歳くらいで、自分と同年代くらいのバンドが世に出てきていた。そういう同年代バンドにカッコいいなとか素敵だなっていう“憧れ”を抱けなくなっていたのも原因かもしれない。
また震災があって、世の中のアーティストが「音楽で日本を救おう」って、そういう思想が表現する音楽の中に入っている気がして、こういうの違うなと思っていて。
なんなら「音楽」っていうものは自分のコンプレックスとか初期衝動とかをメロディに乗せてリスナーに届けたいっていう、そんな単純なもので良かったと考えていた。
また、ファッションの世界でも今は「ノームコア」なんて言われてるけど、音楽もそれだった。
派手なもの、人とは違うもの、共通の趣味で盛り上がるあの感覚。そんなものがカッコいいと思っていたし、ある一定の人にはモテると思っていた。
ちなみに「ノームコア」の意味は色々諸説があるけれど、“3周くらい回った”っていう意味だと解釈している。
ロキノン系大好き! みたいな人はいなくて、カラオケで盛り上がる“懐メロ”をたくさん覚えた。
段々とその方が居心地が良いことに気付き、CDもライブもここ4年間全く音沙汰なし。youtubeあるしね。
サブカルって括りにすると嫌な気持ちを抱く方がいるかもしれないけど、10数年自分の中にあった“サブカル”がカッコいいものではなくダサいものに変化してしまったんだ。
好きな音楽ってなんですか? とか聞かれると、決まって「僕、音楽とか全然聞かないんですよ」って言ってしまう。
驚いて、とりあえずチケットを申し込んだら運良くとれて、ライブに行く事になった。
ただそれで僕の中の音楽に対する気持ちがどのように動くかは分からない。
懐かしいな、で片付いてしまえばそれまでだと思う。
ただ、あの時の音楽に熱中していた素直な気持ちが僕の中でも“再発”してくれればとは少し思っている。