はてなキーワード: 経済格差とは
【結論】
そもそも「男性は強者」「女性は弱者」ってクソ雑な分類をしてこようとするから、
「オイオイちょっと待ってくれよ男性にだって弱者はいるんだから強者弱者で区切るなら俺もそっちに入れてくれよ、無視しないでくれよ」
デフォの状態で女性=弱者ってコンテクストがあるんだから弱者女性ってのは「甘い甘味料」みたいな言い回しになるから使われないだけ。
https://anond.hatelabo.jp/20210410152243
grdgs また「女性は皆楽なはずだ」と透明化し弱者女性がいないことに。「男性は皆強者」という扱いをするなと言ってきたくせに、それはないだろう
元増田は「社会的資本弱者」って言葉を使って「雑談相手すらいない状態・誰にも相手にされない状態」を定義してる。
結局人と人が長期的に共助できる仕組みに恋愛・結婚・家族を持つ以上の方法なんてなくて、
女の場合は社会的に孤立してる状態でもマッチングアプリでも始めれば市場原理的にはよっぽどじゃなければ需要が殺到するから脱却しやすいけど、
男の場合は平均年収平均身長平均顔面偏差値平均的学歴程度じゃマッチングアプリや結婚相談所でもマジで土俵にすら上がれないことが大半なんよな。
こいつの言うようにアプリの統計を見たら間違いなく女性の方がメッセージ殺到する。
そりゃ中には例外的に誰にも話しかけられないような女性もいるかもよ?でもそれをカウンターとして持ち出して満足するんだったら、属性による格差を論じる意味なんて全くないじゃん。
低収入な高学歴男性もいるかもしれないし、職場で不当な扱いを受けている白人もいるかもよ。でも「全体の傾向としては有利」っていうのは一旦認めなよ。
そうでなきゃ男女や白人黒人の経済格差問題も全部その語り口で無効化されますよね。
あと、マッチングアプリで求められてるのはセックスの相手だから連絡が殺到したところで〜て言ってる人。
何が需要の源泉だろうがそれは結果を否定するものじゃないからね。
例えば金持ちの男性ほど未婚率が低い統計があるけど、「でもそれって所詮カネ目当てだから結婚できたところで〜」ってカウンターしてるのと何も変わんないんだけど。論点のすり替えだよね。
理由はどうあれ(というか理由自体どうでもいい)そういった傾向や格差がありますよって話をなんで素直に受け止められないのかな。
なんで弱者男性問題が発生したのかって、それは経済問題であり、いわゆるネオリベの政策が推進されたから。
ここを抑えてない人が多い。
「結婚なんかできない。自分で生きるので手一杯」って社会になったからだよね。
だから、貧困が問題であるということを、「非モテ問題」にすりかえている。
「女をあてがえっていうのか?」と言い出すのは大きな間違い。
非モテは結果であって、原因ではない。
原因は、低賃金長時間労働、残業代不払い、労働者の権利基盤の弱体化などなど、労働問題で、中間層の労働者が恋愛に金を使えない貧困層に転落したことにある。
でも、その現実を高学歴の差別問題大好き人間たちは認めたくないんだよね。
自分はタワーマンションで高級外車を乗り回しつつ、「差別は許せない」という人間たちにとって、「経済格差はむしろ歓迎すべき事柄」なんだよ。
チーム数が世界第二位のプロリーグを擁していて、年間の観客動員数も世界第二位。試合数は年間140試合くらいあり、日本国民の日常として長く定着。選手の年俸も、3年連続で活躍すればまず1億円は超える。凄い!
トップリーグのチーム数18(今年は20)は、欧州5大リーグと引けを取らない数。
年間の観客動員数は、トップリーグであるJ1はコロナ前の2019年では世界第8位!「魔境」と呼ばれる二部リーグのJ2はなんと世界第5位!イタリアより多い!試合数がプロ野球の半分もないから選手の年俸はそれなりだけど、それでも日本代表クラスになると1億円クラスが出てくる。凄い!
バレーボールのプロリーグが3部まである国は日本とイタリアだけ!凄い!
トップリーグのチーム数16は、実は世界一タイなんだよ!凄い!
年間6場所、90番もやってるなんて凄い!
夏と春の風物詩になっているね!凄い!
競技人口はたいしたことないけど、それでも毎年日本選手権や世界選手権などは確実にテレビで中継されるね!カーリング大国と呼ばれるカナダやスウェーデンでもこんなにテレビ中継してくれないみたいだね!テレビ中継の機会は世界一!凄い!
こんなに国民レベルで話題に出来るスポーツコンテンツがいっぱいある国は日本くらいだよね!欧米諸国は上に挙げたコンテンツのうち、半分は規模がしょぼかったりそもそも競技がなかったりするからね。日本のスポーツコンテンツって凄いんだね!
こんなにいっぱいコンテンツがあって大変だあ。そりゃ見る側もハイライトや早送りで十分ってなるよね!
今後は人口も減っていくし、経済格差も広がっていくし、そもそもスポーツにヘイトを向ける層も拡大中だし、スポーツコンテンツはじり貧になっていくんだろうね!
あなたのような実際に結婚された方の考え方や意見を聞きたかった。
子供はまだなので、教育費の負担の辺りや、教育方針とかで意見が食い違うことはあると思う。
だが、都度話し合って、乗り越えていけると思っている。
格差があっても、相手の両親や家族が、良い家族だなと思えるかどうかが大事なのでは。
ぐっとくる。話し合いながら乗り越えていく、こういう建設的な家庭を考えている。
彼女に対し尊敬できる点が多々ある。(思いやりや、人に対するやさしさなど)
喪女喪男のカップルで両親にパートーナーを紹介するタイミングを先延ばしにしあっているのだ。
一方で相手の家族に会って幻滅したらどうしよかと。そのため、顔を合わせるのを先送りしている。
増田は、話が通じない、セックスに疑念を感じる等、相手に対して匿名で書いてしまうほどの違和感がある時点で、結婚準備〜結婚後に大きな衝突がありそう。経済格差だけの問題では無いと思う。違和感を受け入れられなければ、乗り越えられないのでは?
現段階で結婚したらの話しは一切していない。このまま結婚は到底できない。
違和感を解消する話し合いや、結婚して具体的な生活(互いの仕事の話など)どうするか、とか。
今抱えている疑念や悩みが解消できないと、結婚を前提とした次のステップ(顔合わせや結婚生活の話)には進めない
格差を感じるときは、会いに行った年2回くらい。
もしよかったら、この点を詳しく聞きたい。
私も経済格差婚だ。
なんでも自主性にまかせる教育方針だったためか、特に相手実家からの干渉も無い。
子供はまだなので、教育費の負担の辺りや、教育方針とかで意見が食い違うことはあると思う。
だが、都度話し合って、乗り越えていけると思っている。
格差があっても、相手の両親や家族が、良い家族だなと思えるかどうかが大事なのでは。
セックスについては、いい育ちでも性欲モンスターはいるので、まったく経済格差は関係ない。
増田は、話が通じない、セックスに疑念を感じる等、相手に対して匿名で書いてしまうほどの違和感がある時点で、結婚準備〜結婚後に大きな衝突がありそう。経済格差だけの問題では無いと思う。違和感を受け入れられなければ、乗り越えられないのでは?
私はあのオーナーの発言は自己正当化のために特に深い考えもなく受け入れている都合のいい考えだと勝手に思っている。
1.ヴィーガンが広がる
→3.高価で高品質な肉は売れなくなり、安価で質の悪い肉だけが売られるようになる
→4.牛の待遇のいい、高価な牛肉を生み出す牛舎は潰れ、劣悪な環境の牛舎が残る
→5.苦痛に満ちた生を送る牛が増える
という感じだと思う。まあ分からなくもない。
まず前提としてオーナーの発言はアニマルウェルフェアの観点から言っているのは文脈上間違いない。
アニマルウェルフェアの観点から言って畜産の問題点は、私のすぐに思いつくものでは(元の文章にも書いたが)
の2つ。
で、ヴィーガンといっても一枚岩ではないから、前者と後者のどちらに重きを置くかは人による部分があり、
その意味で「殺すのは悪(1の論点)」というのを完全に否定する人は殆どいないだろうが、
しかし実際には「殺すのはよくないが仕方ない面もあるので、可能な限り牛の生に配慮すべき」ぐらいの立場の人も割といると思う。
で、先のオーナーのロジックによればヴィーガンが広がることは後者の問題点を逆に悪化させるらしい。
私としてはオーナーの論理は可能性としては言い得るが、あまりに単純すぎると思っていて、
どうなるかは割と不確定だと思っている(もちろんこの回答は曖昧で不誠実だ)。
例えば、ヴィーガンが広がることによって待遇のいい牛舎がむしろ増えるロジックも展開できる。
1.ヴィーガンが広がる
→2.ヴィーガン市場の規模が拡大し、商品の生産・流通が拡大、安く扱いやすいヴィーガン食材を手に入れられるようになる
(実のところそもそも現在でも豆は肉よりも安価ではあるが)。また食肉の消費が減り、肉の価格が上がる
(現在は基本的に畜産は政府によるバックアップがあるのでそれが減れば一層値上がりするはず)。
→3.低所得者にとってヴィーガン食が現実的な選択肢になり、広がる
→4.畜産業界は安い肉を売っても利益が薄いので、富裕層向けの高付加価値肉の生産が増す
という風に言えるわけだ。
ただここではある程度「肉の付加価値」と「畜産環境の良さ」が正の相関を持つと仮定しているけれども、
和牛生産を見ても分かるように必ずしもそうではないので、少しペテン的ではある。
まあでもヴィーガンが増えると食肉業界に嫌悪を抱く人が増えるだろうから、
それに対するエクスキューズとして、「でも可能な限り牛に配慮しています」というポーズは今以上に必要になるはず。
ともかくヴィーガンが増えると言っても、ある日突然増える訳でなく、徐々に増えるはずで、
それにつれて市場も変化していく。その変化につれて、食肉業界とヴィーガン食材生産業界の広告宣伝が活発化するはずで、
その広告戦争の勝敗によって人々がどっちに流れるかがかなりの程度決まるのではないかと思う。
ここからは余談になるが、そもそもヴィーガン生活は経済的余裕のある人しかできないというのは一面では真理だが、嘘でもある。
嘘というのは、実際、豆や野菜は安い。カルディでも大きめのスーパーでも乾燥豆は売っているので、
是非一度見てほしい(料理に使うには大豆は結構使いにくいのでひよこ豆、レンズマメ、ムングダールあたりがおすすめ)。
あとご存じの通り、豆腐も納豆も安い。非常に安い鶏肉と比較すると流石にたんぱく質効率で負けるかもしれないが、
今の段階でも豆によって安価にたんぱく質を十分量摂取するのは現実的に可能だ。
というわけで経済的余裕のある人しかできないというのはネガキャンだと思うのだが、
一応真理でもあって、それは豆を使った料理というのがあまり浸透していないということだ。
つまり、乾燥豆を渡されてもどう調理していいか分からないし、料理のレパートリーもないという人は割と多いはず。
で、そういう情報にアクセスするにはある種のリテラシーが必要で、経済格差と教育格差に正の相関があることを考えると
ある意味では経済的余裕がないとヴィーガン食は作れないというのは真実になる。
また慣れ親しんできた食生活を捨ててヴィーガン食を作るというのには、ある種の趣味的な精神も必要になるはずで、
・教育面: 父母いずれか1人が中卒以下
・衛生面: 喫煙者
・容姿: 美醜の価値観は個人差はあれど、社会生活を営む上での最低限のラインはあるでしょう
日本は順調に家庭間の経済格差が進んで国全体の貧困は加速するばかり。一方でSNS等の情報技術の発達によりいわゆる勝ち組と負け組の「差異」は嫌でも目に入ってしまう、そんな時代です。幼くして自分の生活環境が世間一般的に「劣悪」と評されるに値し、自ら生まれながらに不幸な立場にあることに気づいてしまう機会がより多くなったことでしょう。こうした現実は幼少期から青年期にかけての多感な時期の子供の人格形成に大きく影響します。そのうち未来と自分自身に希望が持てずに「どうして〇〇のような生活を送れないのだろう、あぁ生きるのが辛い」と感じてしまう中高生で溢れかえってしまうことはなるでしょう。
そういうかわいそうな子供たちの育ってきた家庭環境から「ああ、その条件ならしょうがないよ」っていう一定のラインを今のうちに明文化しておくことで、今後勃興してくるであろう関連議論の役に立つと思います。
「あなたは悪くない、あなたのお父さんとお母さんが子育て計画にこれだけ穴があったのが問題だね」という形で慰めることだってできると思います。
生まれた環境は本人にはどうしようもないことだってあります。子供本人だけが君の努力不足が悪いなどと責められるのは可哀想じゃありませんか。
なお、今回『2人以上作ってはいけない』としたのは、1人も子供を作るなと強制するのは不可能と思いますが、不幸な子は1人で十分だろと諭すことは可能な範囲だと思ったからです。
政府は少子化対策する気がないとか日本の少子化の加速を憂う人は多いけど、それでも「バカと金がない無計画夫婦は子供を産むべきではない、自分のエゴでその子が不幸になるだけ」って意見は、おそらく皆の統一見解だと思うので。
ちなみに、当方は反出生主義ではありません。が、何となく世の中のトレンドがそうなりつつあるので、皆さんの考える「バカと金がない無計画夫婦」のラインがどの程度なのか気になったのと、それなりに需要があると思い書いてみた次第です。
理解ある彼くん現象とは、精神疾患や引きこもり等の女性が『女性の生きづらさ』『困窮した状況から立ち直った方法』をテーマに描いたコラムや漫画の中で『理解ある彼氏』が最終ページ辺りに唐突に登場し、男性パートナーの経済的・精神的な支えによっていきなりすべての問題がなんとかなってしまうというある意味デウス・エクス・マキナ的な超展開パターンがあまりにも多いため、皮肉や嫉妬を込めて『理解ある彼くん現象』とか『そ理彼(そんな私にも理解ある彼くんがいますの略)』などと言われるようになったネットスラングである。
逆に障害者や引きこもり男性の人生にこのような『理解ある彼女』が登場し経済的・精神的に支えられ人生におけるセーフティネットとして機能するケースはそ理彼に比べると極めて稀で(健常男性だったパートナーが結婚後に鬱病を発症したケースや数十年前の国民皆婚時代の話であれば例外的にないこともないが)、自由恋愛化した現代日本においての生まれながらの性的価値の差による男女の非対称性の象徴としてよく扱われている。
また、男性の自殺率などを持ち出し『男性と女性どちらが本当の弱者であるか』というテーマの議論でもよく議題に上がる内容だ。
ちなみにこれは『無能の世界』の男女の対比の話であって、例えばそこそこ良い大学を卒業していたりコミュニケーション能力が高かったりと男だろうと女だろうと現代社会で就業や恋愛や結婚に特に困ることのないような五体満足の男女とは全く別次元の社会問題であることは予め頭に入れておいてほしい。
解説するが、理解ある彼くんの正体とは『一応定職にはついているが健常者の女性に相手にされなかった冴えない非モテ男性』のことである。
恋愛競争に敗北したチー牛顔の彼らは『無職や障害者のメンヘラ女性を養う』という戦略を取ることでギリギリの境界で恋愛競争に振り落とされないように必死にしがみついているのだ。
男としての性的魅力は低いが『優しい』『メンヘラ相手でも面倒を見れる』『嫁を養えるレベルにはまともな経済力』という属性がたまたま彼女らのセーフティネットとしてマッチングし、双方の妥協と打算の歪な結果生まれたのがあの物語なのだ。
しかし、この構図は同時に、後世の男性に対する重大な加害行為ではないだろうか?
この漫画で描かれる多くの『性を売ることでしか生きていけない無能な女性』というのは、言い換えるともし彼女がたまたま男であれば生きていけない人間だったということだ。
この『性を売る』というのは売春行為だけでなく当然恋愛での優位性を利用して婚姻等の社会制度の中で『理解ある彼くんに面倒を見てもらう』ことも含まれる。
男性パートナーに依存して生きていくということは、大人として成熟していけば結婚、出産などのイベントからは多くの場合逃れられないだろう。
そして、精神疾患や発達障害などは高確率で子供に遺伝してしまう。
私が『理解ある彼くんに支えてもらいか弱い女性が幸せになったお話』を見たときに一番違和感を感じるのは、彼女らの間に生まれるかもしれない男の子、つまりは不幸の再生産による後世の男性に対する加害行為があまりにも見て見ぬ振りされすぎではないだろうか?という点だ。
生活や承認のために様々なものに目をつぶって『ただ女だから生きていけた無能な女性』が『男だというだけでは生きていけない無能な男性』をこの世界に生み出すことはあまりにも残酷ではないか?
生き方が多様化した現代社会、中には「私は理解ある彼くんと無能な女性の間に生まれた性的弱者の無能な男性であるが、それでも趣味や宗教に打ち込むことによって幸せな人生を送ることができた。」というような男性も、ミクロレベルにはいるのかもしれない、だがそんなレアケースが生まれることを期待して恋愛や生殖のような生物としての根源とも言える選択肢を生まれながらにして当人の意思とは関係なく奪われた弱者を生み出すことは果たして人道的であろうか?
Twitterなどで男女論で議論しているフェミニストやこのような論説に異を唱えているアカウントを追っていると、(勿論漫画化などされていない)暗数も含め『無能な女性が理解ある彼くんと結ばれることで不幸な人生を歩むであろう男の子を生産する』パターンはかなり多いように見える。
現代の発達障害者の男女の生涯未婚率などを比較すると、統計としてもより顕著になるだろう。
もしかすると、この歪な関係の男女の間に生まれてくるのが運良く女児である可能性もある、その場合、その娘は母親と同じように将来『理解ある彼くん』を生やすことで幸福や承認を掴むことは可能なのかもしれない。
しかし、結局は彼女らの子孫から男の子が生まれてしまうまで問題を先送りするだけのことだ。
弱い男性が恋愛や人間関係の中で淘汰され苦しまざるを得ない現代の構造は誰が悪いという話ではない。
それが自然の摂理、といえばそれまでだし、ほぼ全国民が見合い結婚をしていた数十年前の方が生物としてはおかしかったのかもしれない。
これは黒人の奴隷制や昭和時代の女性蔑視な法体制のように国家による責任でも、ましてや『彼らを選ばなかった女性』の責任でもないだろう。
国民に自由を与えた結果、たまたま彼らは選ばれなかっただけだ。
LGBTや黒人のように歴史的な道徳的優位性もなければ、彼らは被害者ですらないだろう。
しかし、そんな歴史の都合は本人達の苦しみとは何一つ関係ない。
100年前であれば、現代では考えられないような碌でなしの男ですら皆何も考えず結婚できていたのだろう。 労働者階級が農民中心の時代では、現代では無能扱いされる彼らも無能ではなかったのかもしれない。
もっと昔の狩猟時代であれば、生きることに必死でこんなことは考えすらしなかったのだろう。
たまたま時代と自己の存在がミスマッチしてしまった不幸な存在が現代の無能な男性なのである。
社会は自動化が進み労働環境は複雑化し続け、教育費は高騰。経済格差は今後も広がり続ける。
無能な社員を雇い続け海外からは『日本式経営』と揶揄される現代の終身雇用形態も合理性のもといつ終焉を迎えるのか誰にもわからない。
きっと無能男性に対して厳しい社会は今後も長い間続いていくのだろう。
社会が形を変え、自殺率や幸福度が更に悲惨な状態になり、無能な世界の男女格差がどれだけ広がっても、きっと彼らは被差別階級にすらなれないのだろう。
情報化によって無能な男がどんな惨めな末路を辿るのか、現代はこんなにもはっきりと知ることができてしまう。
今の世界は、無能な男が笑って胸を張って生きていけるほどまだ優しいものではない。
政治的な正しさなんて概念も、そこまで万能ではない。 『多様性』なんて甘い言葉にきっと苦しむ彼らの存在は含まれていない。
現代における政治的な正しさにおいては「どんな人間であれ恋愛や生殖の権利はあるし、か弱い彼女らがパートナーに救済され子供を持つことは何一つ間違っていない」という主張の方が圧倒的に正しいのだろう。
しかし、どんなに取り繕っても現代の自由経済・自由恋愛社会というものは性淘汰と優生思想の理のもとに機能していて、結局は彼女らの救済の物語とは性淘汰の苦しみを後世の男性にすべて押し付けているだけではないだろうか?
実の子供というのは親にとっては可愛いものだ。 それは多分、種としては出来損ないの息子であったとしてもだ。
理解ある彼くんと無能な女子との間に生まれてきた子供の存在意義を無理やりこじつけるとすれば、それはきっと弱い女性と冴えない男の人生に多少の彩りを与える愛玩動物なのであろう。
彼らの存在は、さしずめカップルが寂しさを紛らわすためにペットショップから貰ってきた去勢済みのポメラニアンと何も変わらないのだ。
悲しいことに、愛玩動物として生を全うするには人類は幾分賢すぎる。
もし今後このような物語を見たとき、少しでも思い出してほしい。
か弱い女性が『理解彼くん』に救われた明るい物語の陰には、その皺寄せにより生涯苦しみ抜かねばならない後世の男性がいるかもしれないことを。
医者が叩かれるのって、単純に上級国民のなる職業だと思われているからだと。
親も金持ちで子供のころから金に苦労せずに努力だけすればやっていけただろうし、一般企業に勤めたり自営業と違って、医者ならコロナ禍で辞めても再就職も容易、経済が死んで下級国民が自殺しまくっても何にも影響がない。
商売している人間を潜在的に見下して、今自分はこんなに苦労してる!って叫んでる。実際はセーフティーネットに溢れているし、失業=自殺に繋がる下級とは違う。
ってな感じに思われているんだろうな。